小羊の悲鳴は止まない

好きな映画を好きな時に好きなように語りたい。

命の輝きと愛を描く(「しあわせの絵の具 愛を描く人 モード・ルイス」ネタバレ無し感想)

目次




初めに

こんばんは、レクと申します。
今回は「しあわせの絵の具 愛を描く人 モード・ルイス」について書いています。

えー今日はですね、あまり好きではない映画館(そこでしか上映してない)で観たんですが、昼間に行ったからかまだ客質はマシでしたね。
その分、この映画に集中して観ることが出来ました(笑)

この記事はネタバレはありません。



作品概要


原題:Maudie
製作年:2016年
製作国:カナダ・アイルランド合作
配給:松竹
上映時間:116分
映倫区分:G


解説

カナダの女性画家モード・ルイスと彼女の夫の半生を、「ブルージャスミン」のサリー・ホーキンスと「6才のボクが、大人になるまで。」のイーサン・ホークの共演で描いた人間ドラマ。カナダ東部の小さな町で叔母と暮らすモードは、買い物中に見かけた家政婦募集の広告を貼り出したエベレットに興味を抱き、彼が暮らす町外れの小屋に押しかける。子どもの頃から重度のリウマチを患っているモード。孤児院育ちで学もないエベレット。そんな2人の同居生活はトラブルの連続だったが、はみ出し者の2人は互いを認め合い、結婚する。そしてある時、魚の行商を営むエベレットの顧客であるサンドラが2人の家を訪れる。モードが部屋の壁に描いたニワトリの絵を見て、モードの絵の才能を見抜いたサンドラは、絵の制作を依頼。やがてモードの絵は評判を呼び、アメリカのニクソン大統領から依頼が来るまでになるが……。監督はドラマ「荊の城」を手がけたアシュリング・ウォルシュ。
しあわせの絵の具 愛を描く人 モード・ルイス : 作品情報 - 映画.comより引用

予告編





実在した画家モード

この映画の存在を知るまで、正直モード・ルイスという画家がおられることを知りませんでした。
日本で取り上げられたことも少ないようで、日本人には馴染みのない画家なのかもしれません。


『しあわせの絵の具』サリー・ホーキンスのインタビュー - YouTubeより

モード・ルイス(Maud Lewis1903年-1970年)
カナダのフォーク・アートの画家である。田舎の風景、動物、草花をモチーフに、明るい色彩とシンプルなタッチで温かみと幸福感のある絵を描いた。カナダで愛された画家の一人である。

ほとんどの絵のサイズは小さく 20cm×25cmである。41cm×51cmの絵が3枚だけ確認されている。
茶ツボ、ティーポット、ちり取り、クッキーシート、薪ストーブなど家庭内のほとんどの物品、扉、雨戸、外壁、壁紙。家のあらゆるものがモードのキャンパスだった。家全体(内部の物品を含めた)がモードの作品である。

モチーフは自分の住む田舎の風景、動物、草花、蝶など。
絵画手法は、先ず輪郭を描き、絵の具のチューブから直接キャンパスに描いた。色を混ぜることは無かった。原色が多く使われるが、バランスの良い配色がされている。遠近法が用いられることはあるが、影は描かれない。素朴で明晰な画面。動物はユーモラスに描かれる。
美術の専門家の高い評価を受けることが少ない絵画である。それでも、モードの絵は見る人にとって明るく楽しい絵であり、それはモードが描く事に対して感じた楽しさと喜びが漏れ伝わる故であろう。

モード・ルイス - Wikipediaより引用


モードの抱えていたのはリウマチという病です。


関節リウマチの影響を示した図

関節リウマチ(かんせつリウマチ、rheumatoid arthritis:RA)
自己の免疫が主に手足の関節を侵し、これにより関節痛、関節の変形が生じる代表的な膠原病の1つで、炎症性自己免疫疾患である。
四肢のみならず、脊椎、血管、心臓、肺、皮膚、筋肉といった全身臓器にも病変が及ぶこともある。

発症のメカニズムは未解明であるが、生活習慣と遺伝的要因や感染症などによる免疫系の働きが関与していることを示唆する研究が多くある。
喫煙が関節リウマチと関連していることが予測されている。(シトルリン酸と喫煙の遺伝学的データの報告)

関節リウマチ - Wikipediaより引用



先日行われたアカデミー賞授賞式。
シェイプ・オブ・ウォーターが4冠ということで、主演女優賞ノミネートのサリー・ホーキンスの演技が光る。

そんな彼女が演じたモード・ルイス。
こちらは「シェイプ・オブ・ウォーター」とはまた違った障害を持つ女性なのですが、その自然体の演技と表情、細かな所作のひとつに至るまで全てが素晴らしい。


また、モードの夫エベレット役にイーサン・ホーク
彼もまたいい空気感を出すんですよ。

不器用でツンデレな漁師(笑)
そして、プライドと本音に葛藤しながらも少しずつモードに惹かれ、大切に想う優しさを見せる。



総評

窓から見える景色。静かに移り変わる季節。
そんな情景を切り取るように部屋や紙に描かれる色鮮やかな草花や動物たち。
その絵を見る人に命の尊さとその輝きを、そして絵を描くことの楽しさを伝える。




自分の居場所を求めるモードと、自分の居場所に閉じ込もるエベレット。
時にはぶつかり合い、葛藤しながらも次第に同調していく。
互いが互いを刺激するように、二人も時の流れとともに変化していく。

まるで真っ白なキャンパスから絵を描きあげていくように、モードとエベレットの二人の関係も少しずつ、しかし確実に夫婦の形となっていく。



この作品はモードだけでも、エベレットだけでも成り立たない。
あくまでも"夫婦"の愛を描いた作品だ。
よって、どちらのキャラクターにも偏ることない演出、二人のバランスが重要となってくる。

その点においても、サリーとイーサンの二人の演技は完璧と言えますね。
自然体であり、絶妙な空気感を持つ二人だからこそなのですが。


派手な描写や目に見える大きな変化はない。
どちらかと言えば退屈でごく平凡な日常が映る。

しかし、この状況と心理描写の変遷の繊細さが、心を響かせ優しく包み込む。



なんていい映画なんだ。

そう思わせる魅力が詰まっています。
そう、これは「パターソン」を観終わった後の感情に近しい。



終わりに

Wikipediaによると、エベレットはモードが亡くなった後、晩年絵を描いていたそうですね。

邦題の「しあわせの絵の具」
色どり豊かな絵の具は二人の人生を彩った夫婦を繋ぐ絆なのかもしれません。

どのシーンを切り取っても好きという感情を抱いてしまう。
こんな愛おしい一作に出会えて幸せです。



最後までお読みいただいた方、ありがとうございました。




(C)2016 Small Shack Productions Inc. / Painted House Films Inc. / Parallel Films (Maudie) Ltd.

愛と喪失の物語(「シェイプ・オブ・ウォーター」ネタバレ考察)

目次




初めに

こんばんは、レクと申します。
今回は話題にもなっている「シェイプ・オブ・ウォーター」です。

この記事はネタバレを含みます。
未鑑賞の方はご注意ください。



作品概要


原題:The Shape of Water
製作年:2017年
製作国:アメリカ
配給:20世紀フォックス映画
上映時間:124分
映倫区分:R15+


解説

パンズ・ラビリンス」のギレルモ・デル・トロが監督・脚本・製作を手がけ、2017年・第74回ベネチア国際映画祭で金獅子賞を受賞したファンタジーラブストーリー。1962年、冷戦下のアメリカ。政府の極秘研究所で清掃員として働く女性イライザは、研究所内に密かに運び込まれた不思議な生き物を目撃する。イライザはアマゾンで神のように崇拝されていたという“彼”にすっかり心を奪われ、こっそり会いに行くように。幼少期のトラウマで声が出せないイライザだったが、“彼”とのコミュニケーションに言葉は不要で、2人は少しずつ心を通わせていく。そんな矢先、イライザは“彼”が実験の犠牲になることを知る。「ブルージャスミン」のサリー・ホーキンスがイライザ役で主演を務め、イライザを支える友人役に「ドリーム」のオクタビア・スペンサーと「扉をたたく人」のリチャード・ジェンキンス、イライザと“彼”を追い詰める軍人ストリックランド役に「マン・オブ・スティール」のマイケル・シャノン
シェイプ・オブ・ウォーター : 作品情報 - 映画.comより引用


予告編




愛と水

恐らく、「シェイプ・オブ・ウォーター」をご覧になられた方は、なんて切ない愛の物語なんだ!と思ったでしょう。

別に批判するつもりはなく、まさにその通りだと思います。



Twitterにも挙げた通り、自分もその感想に辿り着きました。



冒頭の映画「砂漠の女王」「恋愛候補生」
これは紛れもなくイライザを比喩しています。

実際に「砂漠の女王」という映画があります。
ルツ記を基にしたこの作品は、モアブ国でいけにえとなるはずだった少女ルツが、ユダヤ国の青年マーロンと出会い、そして捕らえられたマーロンを助け出す話なんですが、本作と共通する部分が感じられます。

「恋愛候補生」は観ていないのでわかりませんが(笑)


また愛を水と喩えるなら、「砂漠の女王」は水のない砂漠、愛を知らない女性を指す。
つまり「恋愛候補生」なのです。


ただ、愛と水と表現すると官能的な響きになっちゃいますね(笑)



Twitterで、水は清らかで美しいと表現しました。
愛とは美しいものなのです。
しかし、時には汚れるものでもあります。
愛故に嫉妬や猜疑心、束縛、性欲、様々な汚れも存在する。

どうやら、私の心は汚れてしまっているようです。



決められた行為のように、決められた時間でゆで卵を作る間に自慰行為をしていたイライザが、半魚人と出逢ってからその自慰行為の描写が見られない。
これはイライザが半魚人を異性として見始めたこと、そして性欲がそちらに向いたことも意味していると思います。

また、イライザが半魚人に恋をしてしまった経緯もしっかりと描かれていました。



ひとつの要因は共通点


共に川から拾われ、卵と音楽が好きで言葉が話せない。
イライザは少しずつ半魚人に惹かれていく。
そして、イライザの首には魚のエラのような傷があることからも、半魚人もイライザを自己投影していたのかもしれません。


もうひとつの要因は吊り橋効果

聞いたことがあると思いますが、吊り橋のように恐怖心を抱いた時、その心臓の鼓動が恋をした時の鼓動だと錯覚し、恋に落ちるという昔から使われる手です(笑)

さあ、片想いの男子は遊園地デートでジェットコースターに乗るんだ!

イライザは初対面で異型の半魚人に畏れを抱いていました。
しかし、畏れと好奇心というドキドキから半魚人に恋(勘違い)をしてしまったのです。





ミュージカルシーンでもイライザの心模様が表現されていましたね。

美女と野獣」を皮肉に意識しています。

デル・トロ監督自身、実際に実写化に着手しかけたものの、降板していましたね。

彼はこうも語っています。
「僕は『美女と野獣』が好きじゃない。『人は外見ではない』というテーマなのに、なぜヒロインは美しい処女で、野獣はハンサムな王子になるんだ? だから僕は半魚人を野獣のままにした。モンスターだからいいんだよ。」と。

ごもっともです(笑)





自宅のバスルームで初めて愛を交わしたシーン。
バスに乗るイライザの横で雨水の水滴が2つ交わる描写が入りましたが、これは性行為を指す。
つまり、水は愛を意味することを決定づけるシーンなんですよね。


バスルームを水で満たし、抱き合う様はまるで愛に包まれるかのように


水を愛とするなら、愛の中で生きるなんて事も言えるだろうが、海とは勿論海水のこと。
真水の比重は1、つまり1ccあたり1.000g。
海水の比重は1.025なので1ccあたり1.025g。
ラストで海の中へと沈んでいく様子は、より深い愛に包まれたと解釈しても良いだろう。


水を愛と比喩する一方で、雨水、浴槽の水、海水。淡水から汽水、汽水から海水へと水の比重を増やすことでイライザと半魚人の愛の変遷、重さや深さを明確に表していると思う。



愛も水も形のないもの。
しかし、型にハマればどんな形にもなれる。
たとえ種族が違っても、そこに愛は形作れるのだと。



ギレルモ・デル・トロ監督自らもその事について語っています。

デル・トロ監督は「男女の愛やロマンチックな愛、友情、仕事や科学に対する愛。または、誰かのために何かを行う(献身的・自己犠牲的な)愛。“愛”というのはさまざまな形を持っている。水も同じだよね。決まった形がなく、色々な形になる。僕は、“愛”と“水”は同じだと思っているんだ。(本作では)愛の可能性について探りたかったんだよ」と慈しむようなまなざしで語る。監督の思いは本作のタイトルにも反映されており、「シェイプ・オブ・ウォーター(水の形)」は、人物ごとに姿を変える「愛そのもの」を示している。
本作は水中で眠るイライザをとらえた幻想的なシーンから始まり、その後も「2分ごと、3分ごとに水が何らかの形で出ているんだ。水を飲むとか、涙を流すとか、雨が降るとか、卵をゆでるとかね。常にそれは意識していたよ」と監督が語る通り、水、つまり愛のメタファーが随所に登場。見る者に愛の流動的なイメージを強く印象付ける。
【デル・トロ監督インタビュー:前編】「シェイプ・オブ・ウォーター」のタイトルに込めた真意 : 映画ニュース - 映画.comより引用




人魚と半魚人

この作品に登場する半魚人。
皆さんがイメージされる半魚人でしたか?
そもそも、人魚と半魚人の違いって何でしょう?

人魚

ジョン・ウィリアム・ウォーターハウスによる人魚(マーメイド)の絵画(1900年)

英語ではマーフォーク (merfolk) と言い、特に若い女性の人魚はマーメイド (mermaid) または男性の場合はマーマン (merman) と呼ばれる。マー (mer-) は、単語では mere となり、いずれもラテン語の mare(海)に由来する。
ヨーロッパの人魚は、上半身がヒトで下半身が魚類のことが多い。裸のことが多く、服を着ている人魚は稀である。
伝説や物語に登場する人魚の多くは、マーメイド(若い女性の人魚)である。今日よく知られている人魚すなわちマーメイドの外観イメージは、16–17世紀頃のイングランド民話を起源とするものであり、それより古いケルトの伝承では、人間と人魚の間に肉体的な外見上の違いはなかったとされている。
人魚 - Wikipediaより引用


半魚人

海の司教。1531年にバルト海にて捕獲とある。

半魚人(はんぎょじん)とは、ヒトと魚類の中間的な身体をもつ、伝説の生物。
二腕二脚だが、鱗やエラを持つなどの特徴があることから水棲人(すいせいじん)とも呼ばれ、英語ではマーマン(Merman)と称されることが多い。なお、上半身が人間、下半身が魚の姿(脚が無い)のものは人魚と呼ぶのが普通である。
アマゾン川に生息するといわれる(?)、上半身が魚、下半身が人間という形態のものは魚人と呼ばれる。
近年の創作作品の中では、「手足にヒレや水かきがあり、全身がうろこで覆われ、頭部が魚のもので、言葉を話す人間のような生物」といった形態が、ステレオ的に用いられている。
半魚人 - Wikipediaより引用



ここまでは恐らく一般的なイメージでしょう。
では、本作における半魚人の正体とは一体なんなのでしょうか?


ストリックランドとゼルダの会話を思い出してほしいのですが、二度ほどサムソン、ペリシテ人という会話がされます。

ダゴン

ダゴン(英: Dagon、ヘブライ語: דָּגוֹן [dagon])は、古代フェニキアの神。マリとテルカに神殿が発見されている。聖書によって古代パレスチナにおいてペリシテ人が信奉していたことが知られる。

旧約聖書サムエル記上第5章に記述された内容によれば、ペリシテ人イスラエルと戦い、勝利して契約の箱を奪ったとき、アシトドのダゴンの神殿にこれを奉納した。翌朝、ダゴンの神像は破壊され、ペリシテ人は疫病に悩まされたため、ペリシテ人は賠償をつけて契約の箱をイスラエルに返したとされる。破壊された神像は頭と両手が切り離されて魚のような体の部分だけが残っていたという。また、旧約聖書士師記16章には、サムソンを捕えたペリシテ人は、ダゴンに生贄を捧げ、ダゴンの神殿でサムソンを見せ物にした。しかし、サムソンは力を取り戻し、中心の2本の柱を引き倒すことで神殿を崩落させ、3000人のペリシテ人とともに死んだ事が書かれている。



クトゥルフ神話ダゴン

クトゥルフ神話ダゴンが取り入れられたのはハワード・フィリップス・ラヴクラフトが著作の小説「インスマウスの影」で半魚人である「深きものども」あるいは「インスマウス人」によって組織された邪悪な教団をダゴン密教団と呼び、ダゴンを神としていたところからである。

https://ja.m.wikipedia.org/wiki/ダゴンtitle:より引用





ラヴクラフトの小説「インマウスの影」でも青白く蛙にも似た容貌の半魚人が登場し、主人公の祖母の名前がイライザである。

きっと、イライザという名前もここから取られたのではないでしょうか?




少なからずデル・トロもこのラヴクラフトクトゥルフ神話の影響を受けていると思われます。
本作でも半魚人を神だとした会話がありました。

つまり、本作における半魚人とはダゴンのことを指すのではないだろうか。


またイライザは人魚姫と同じく声が出せないという設定にも、半魚人がイライザに自己投影したことを裏付けます。



本当に純愛なのか?

これが言いたいがために、今まで散々愛だの何だのと語ってきました(笑)


この作品は果たして本当に純愛なのか?


なぜ自分がそのような考察に至ったか。
それはこの作品の始まりと終わりからも、語り部として描かれていたのはイライザの良き理解者でもあったジャイルズ。
この作品はあくまでもそのジャイルズから見た視点で描かれている。

つまり、異型との美しい愛の物語は真実ではない可能性もあるのではないかと思うわけです。

いや、"真実ではない"は語弊がありますね。
ジャイルズの創作の可能性もあるのではないか。

自分の性格がひねくれてるからだと思うので、ここから先は暖かい目で見てやってください。



まず冒頭で「愛と喪失の物語」と語られています。
ここで何か引っかかりませんでしたか?
自分は少なくとも引っかかった人間です。


愛とは勿論、イライザが半魚人へ抱いた感情を指します。
では喪失とは何か?


普通に考えればイライザのことでしょう。
良き理解者であった彼から見た喪失はイライザのほかなりません。

またストリックランド初めアメリカ側からすれば、半魚人のことでしょう。



しかし、この物語は愛をテーマとしたもの。
例えば、第三者から見た「イライザと半魚人の愛」を語るとするなら、わざわざ「愛と喪失」と語るでしょうか?

イライザにとっては胸中の半魚人と共にハッピーエンド。
喪失という言葉を使わず、「愛の物語」として語ればいいもの。


ジャイルズ視点だからこそ、「愛と喪失の物語」であり、それは彼が描く絵のように創作物、逸話、寓話として描かれた彼の理想、夢物語なのかもしれません。



ここでラストシークエンスに半魚人との別れの予定日の前日、9日のカレンダー裏に書いてあった言葉です。

「人生は失敗の積み重ねに過ぎない」

一見、敵であるストリックランドへの皮肉とも取れる言葉ですが、これはイライザにも当てはまるのではないか?

ラストで半魚人にキスをされたイライザは首の傷が魚のエラのように変化し、水中でも呼吸ができるようになった。
つまりは、イライザは人ではなくなったのだ。
半魚人の本能的行動が招いた結果とも取れてしまう。


そう、これは実際、決して純愛などではなく、半魚人と出逢った運命、そしてその後の行動全てが失敗の積み重ねであるとする運命論的物語なのではないだろうか?



愛を手に入れた。
これ以上、幸せなことはない。
そう見せかけながらも人としての人生を失い、海の底へと沈んでいく…。


仮に半魚人がダゴンだとするなら、旧支配者クトゥルフに仕える従者として位置づけられ、クトゥルフ神話で邪神と教えられる彼にハッピーエンドは有り得るのだろうか?

恋は盲目とも言います。
愛と喪失、結局イライザが自分自身を見失ってしまった結果とも取れてしまう。
そして半魚人が本当にイライザのことを一人の人間として愛していたのなら、撃たれた傷を癒し、一人海へ帰るのではないか?とさえ考えてしまうのである。



イライザと半魚人との愛は、冒頭から語ったように無形の愛です。

一方で、ジャイルズが語るイライザと半魚人の愛は、絵やこの物語の語りで残したように形あるものは失われる。
有形の愛なのかもしれませんね。



終わりに

いつものようにひとつの事柄、今回は半魚人について掘り下げてみましたが、何ともバッドエンド解釈が出来てしまうというオチ(笑)

自分のひねくれた性格がよく投影されています。

まあバッドエンドも有り得るとして考察は進めましたが、監督の言葉や鑑賞後の印象は純愛でいいと思います。
ただ、こんな見方もできるかな?ってだけの話でした。


作中に出てきたストリックランドが購入したキャデラックも緑に見えるティール色。
この作品のように一見同じ色でも、見る人によってその色は変わるということなのかもしれません。


最後までお読みくださった方、ありがとうございました。




(C)2017 Twentieth Century Fox

カタストロフィーが齎すリアリティ(映画「犬猿」ネタバレあり考察)

目次




初めに

こんにちは、レクと申します。
今回は楽しみにしていて、やっと観に行けた「犬猿」について綴っています。

この記事はネタバレを含みます。
未鑑賞の方はご注意ください。



作品概要


製作年:2018年
製作国:日本
配給:東京テアトル
上映時間:103分
映倫区分:G


解説

「ヒメアノ~ル」の吉田恵輔が4年ぶりにオリジナル脚本でメガホンをとり、見た目も性格も正反対な兄弟と姉妹を主人公に描いた人間ドラマ。印刷会社の営業マンとして働く真面目な青年・金山和成は、乱暴でトラブルばかり起こす兄・卓司の存在を恐れていた。そんな和成に思いを寄せる幾野由利亜は、容姿は悪いが仕事ができ、家業の印刷工場をテキパキと切り盛りしている。一方、由利亜の妹・真子は美人だけど要領が悪く、印刷工場を手伝いながら芸能活動に励んでいる。そんな相性の悪い2組の兄弟姉妹が、それまで互いに対して抱えてきた複雑な感情をついに爆発させ……。和成役を「東京喰種 トーキョーグール」の窪田正孝、卓司役を「百円の恋」の新井浩文、由利亜役をお笑いコンビ「ニッチェ」の江上敬子、真子役を「闇金ウシジマくん Part3」の筧美和子がそれぞれ演じる。
犬猿 : 作品情報 - 映画.comより引用


予告編



犬猿

タイトルの犬猿とは言わずもがな「犬猿の仲」という慣用句が由来ですね。
どちらが一方的に嫌っている関係ではなく、双方が双方を嫌っている関係を表す言葉です。

この言葉の由来は様々な説がありますが、面白い説が二つあります。



ひとつは"干支"にまつわる話。

元日に行われたレースで上位12位までに入った動物に、交代制で年毎にリーダーを任せるという神様の元への競争。

犬と猿は最初は両者の関係は良好でした。
それも仲良く一緒に出発して向かっていくほどの仲。
しかし、お互いに真剣になって相手に負けまいと一生懸命になっていった結果、途中の丸木橋で我先にと争って一緒に川に落ちてしまい、犬と猿の両者共に神様のところにたどり着くのが遅れてしまったそうです。

それが原因で犬と猿は大喧嘩をしてしまい、神様の元にたどり着いても喧嘩を続けていたというお話です。


犬猿の仲」という言葉の意味は、単に「仲が悪いこと」ではなく、正確には「かつては仲が良かったが仲違いをして悪化した関係」という意味なんです。



もうひとつの面白い説が"戦国時代"にまつわる話。

かつて戦国時代、天下統一を果たした豊臣秀吉は""というあだ名で呼ばれていたことは多くの人がご存知だと思います。
秀吉には前田利家という大親友がいました。
利家の幼名は"犬千代"。
両者は互いに"犬"、"猿"と呼ぶ間柄であったそうです。

二人は共に尾張の出で、昔から「尾張の言葉は汚い」と言うところから、両者の会話が他国人から見ると大喧嘩に見えたそうです。
「仲が悪い」と思い込んでしまい、この言葉が出来たそうです。


この言い伝えからも「仲が良い関係」が周りから見ると「仲が悪い関係」に見えてしまったことを意味します。



兄弟姉妹の決まり文句で「喧嘩するほど仲が良い」なんて言葉もあります。






・・・・・果たしてそうでしょうか?

個人的な話で申し訳ないんですが、自分には一歳半ほど年の離れた妹がいます。
作中では兄弟、姉妹で描かれていましたが、兄妹でも兄弟姉妹に抱く感情って共通してる部分はあると思うんです。

喧嘩している時はマジで消えてほしいとさえ思います。

(笑)



いやはや、私自身もそこそこの年齢になってきて、今でこそ喧嘩自体は無くなりましたが、小さい頃は歳が近いってのもあってよくくだらないことで喧嘩をしたものです。

性別が同じなら更に酷かったことでしょう。

兄や姉、弟や妹。
親や周りから比較されることで抱く劣等感。



"人間は比べたがる生き物だ"
自分がよく言う言葉です。

何かにつけて優位に立ちたがる。
また承認欲求や自己顕示欲を満たすため、優越感を得るために他人の悪口を言ったり蔑みマウントを取りたがる。

この作品はそんな他人ではなく、血の繋がった兄弟姉妹だからこその悩み、葛藤が巧みに練り込まれています。

完璧な人間なんていない。
自分にないものを持っていることは憧れでもあり、嫉妬するもの。
でもその相手が兄弟姉妹だからこそ、強がったり言いたいことを遠慮なく言えたりする。


犬猿」とはそんな兄弟姉妹が持つ特有の感情を的確にリアルに描かれた素晴らしい作品です。



兄弟姉妹は最も身近なライバル

先程、兄弟姉妹が抱く劣等感と記述しました。
本作でもその劣等感による嫉妬や悩みが幾つも描かれています。



そしてそのひとつひとつの演出が本当にリアルすぎるんですよ。


例えば兄弟で言うなら給料、父親の借金返済。
コツコツと真面目に働き生きてきた弟と出所後に会社を興し大金を得る兄。
父親の借金返済を済ませた兄と給料値上げにも素直に喜べない弟。
大金でマッサージチェアを送った兄と安くても気に入られる座椅子を買った弟。


姉妹に関してもそうだ。
姉の好きな人を恋人にした妹。
美人な妹と容姿に自信が無い姉。
頭の良い姉と馬鹿な妹。
家事が出来ていい嫁になると言われる姉と家事もせずにテレビを見る妹。


互いが互いを羨望し、疎ましくも思う。
そして、相手に負けないように強がってみたり、虚勢を張ったり、生きていく上で最も身近なライバルなんですよ!



その対比として描かれたのが弟と妹の遊園地デートです。


互いに互いの兄弟姉妹の悪口を言うんです。
弟は兄をバカにし、妹は姉をバカにする。
でも、妹が兄をバカにすると弟が弁解し、弟が姉をバカにすると妹が弁解する。
何やかんやで嫉妬する一方で自分の兄弟姉妹の良い部分をちゃんと認めている節もあるんですよね。


ここが兄姉が入院し、仲直りする流れに繋がるんです。
互いの良いところを認めること。
それでも悪いところは認めないぞ、と(笑)

この絶妙なバランスの元で兄弟姉妹の関係は成り立ってるんですよね。



あと、兄弟姉妹ってどこか似てる部分もあるんですよ。

例えば、兄弟揃って喫煙、親孝行、借金返済。
姉妹揃ってデート先が同じ遊園地(笑)


それは本人は認めない部分でもあり、周りから見ればふと気付かされる部分でもある。

これも兄弟姉妹ならではの描写ではないでしょうか?



カタストロフィー理論

「好きと嫌い」
同じような言葉で「愛と憎しみ」という言葉があります。

皆さんはこの言葉でどんなイメージをされますか?






自分が真っ先に出たのは"紙一重"でした。
中には"表裏一体"や"対極"なんて言葉が浮かんだ方もおられると思います。

そう、「愛」の裏側には「憎」があり、対極を成しながら表裏一体、紙一重の位置関係にあるものなんです。

このように、相反する感情があることをきっかけに入れ替わること、秩序だった現象の中から不意に発生する無秩序な現象を心理学の分野で「カタストロフィー理論」と呼びます。

カタストロフィーとは"大変動"や"破局"を表す言葉です。



この作品犬猿ではこのカタストロフィー理論が幾つも練り込まれているんです。

そこがすごいリアル!


暴力的な兄が突如優しく思えたり、クソ真面目な弟が実は腹黒く見えたり、不憫な姉が性格までブスに見えたり、いい子だと思ってた妹が最低だったり。

そして物語としては相容れなかった兄弟姉妹が仲直りし、そしてまた睨み合う。


兄と弟、姉と妹、好きと嫌い、愛と憎、これらが対比するように描かれています。

感情の入れ替わりは距離感は勿論のこと、血縁的、遺伝的にも近しい間柄、兄弟姉妹だからこそ起こりやすいのかもしれません。



幼少期と現在とでその心変わりをも描く吉田恵輔監督の上手さがでてましたね。



兄弟姉妹がおられる方には特に心にズシンと来るものがあったと思います。

幾度となく共感し、心を抉られ、頷き、笑える。

そんなリアリティを突き詰めた傑作なので、是非ともより多くの方にご鑑賞いただきたい。



終わりに

窪田正孝さんは俳優として売れて良かったですよ!
演技も良いし、表情も好きです。


新井浩文さんは本当に俳優として凄く好きな役者さんで、初登場シーンからのオーラがハンパないです!


ニッチェ江上を起用したことは素晴らしい。
ハマり役なのは勿論、笑いを取る所も台詞回しも慣れてらっしゃる感じで観ていても違和感なかったです。


にゃんにゃん(?)
ということで、結論として筧美和子は可愛い。



しつこいようですが、兄弟姉妹がおられる方は是非観てください!
そして、一人っ子の方がこの作品を観てどう感じられたのかお聞きしたい!


最後までお読みくださった方、ありがとうございました。




(C)2018「犬猿」製作委員会

若者の痛みが凝縮された映画「リバーズ・エッジ」(ネタバレあり考察)

目次




初めに

こんにちは、レクと申します。
今回は今になって突然実写化された「リバーズ・エッジ」について語っています。

Twitterでは散々「リバーズ・エッ〇」なんて原作ネタで遊んでましたが、二階堂ふみさんがちゃんと脱いでたなんて。
おっぱいとお尻、すごいスタイルいいですよね。
体を張った演技に注目です。

そして吉沢亮さんの無機質な演技。
感情の籠っていない淡々とした口調とやられっぷりは仮面ライダーフォーゼのメテオを彷彿とさせます(笑)
ウホッ!いいケツ!って叫びたくなること間違いなし。

その他、俳優陣も良い味出してました。
こずえが原作にかなり近くてびっくりです。



作品概要


製作年:2018年
製作国:日本
配給:キノフィルムズ
上映時間:118分
映倫区分:R15+


解説

1993年に雑誌「CUTiE」で連載されていた岡崎京子の同名漫画を、行定勲監督のメガホン、二階堂ふみ吉沢亮の出演で実写映画化。女子高生の若草ハルナは、元恋人の観音崎にいじめられている同級生・山田一郎を助けたことをきっかけに、一郎からある秘密を打ち明けられる。それは河原に放置された人間の死体の存在だった。ハルナの後輩で過食しては吐く行為を繰り返すモデルの吉川こずえも、この死体を愛していた。一方通行の好意を一郎に寄せる田島カンナ、父親の分からない子どもを妊娠する小山ルミら、それぞれの事情を抱えた少年少女たちの不器用でストレートな物語が進行していく。ハルナ役を二階堂、一郎役を吉沢がそれぞれ演じる。
リバーズ・エッジ : 作品情報 - 映画.comより引用

予告編




若者に向けたメッセージ

初めにTwitterの感想から。




さて、早速本題に入っていきます。


1993~94年に「CUTiE」(宝島社刊)で連載されていた岡崎氏の同名原作は、バブルが弾けた90年代を舞台にリアルなセックス描写を含む愛や暴力、若者たちの欲望や不安、焦燥感を果敢に描いたことで多くのファンを引き付けたことで知られています。


行定勲監督のコメント

行定監督は「ずっと漫画の映画化に抵抗してきた」というが、「岡崎京子さんの名作はあまりにも魅力的でついに手を染めてしまった」と胸中を告白。さらに、「私たちが生きたけがれた青春は今の時代にどれくらい杭を打てるのだろうか? 日々、苦闘しながら撮影しています」とコメントを寄せている。
岡崎京子「リバーズ・エッジ」映画化!二階堂ふみ×吉沢亮が行定勲監督とタッグ : 映画ニュース - 映画.comより引用



自分は概ねこの世代の人間なのですが、時代は違っても日常の無感動や無感覚という若者ならではの孤独感や虚無感は現代の若者たちにも刺さる部分があるのではないでしょうか?

イジメ、LGBTへの差別、暴力、セックス、ドラッグ、摂食障害、ひきこもりなどなど、若者の社会問題、若者の痛みが凝縮された「リバーズ・エッジ」は、性からも死からも離れた童貞や処女たちに送るメッセージなのだ。

だからこそ、今の多くの若い人に観てもらいたい作品でもあります。
決して共感を得る映画ではないですが、心に刺さる部分があるのではないでしょうか?




生を感じる瞬間とは?

突然ですが皆さんは日常生活で"生きている"と実感することってありますか?


自分はやはり、死に直面して助かった時、所謂
九死に一生
というやつですね。


…って、平凡な?と言われるとそれなりに人生経験はしてきていますが、そんな危険なことはありませんよ(笑)

多分、普段何気なく生活を送っていると
仕事→帰宅→風呂→Twitter→寝る→仕事→…
と毎日毎日同じことの繰り返し。

生きるために仕事をしているのか、仕事をするために生きているのか、分からなくなることがあります(病んでません)



世の中は勿論、平和が一番だとは思います。
しかし、世の中で何事も起こらないなんてことはない。
ニュースを見ていてもそう。
悪いニュースは必ず毎日流れています。
良いニュースしか流れない、ネタのない日なんてなかなかありませんよね。

常に平坦であり続けるはずがないんです。

例えば、日常生活で人の死を目の当たりにすることは日常的ではありませんよね?
しかし、その人の死を伝えるニュース自体は我々にとって平坦な日常なんです。
身近でない出来事はほぼほぼ無関心なんですよ。


それはこの物語でも同じで、平坦であり続けるはずがない日常で彼らにとっての平坦な日常を送っている。
そんな物語を、死人同然の若者たちのフィルターを通して見せることで、今の若者たちに生の命を吹き込むバイブルになり得るのではないか?
と思うわけです。



死体との関係性

先ずは河川敷の死体と彼女らの関係性について考えていきます。


ハルナは彼氏でもある観音崎から虐められている山田を助けたことから、"大切な宝物"を見せたいと言われて河原へと連れていかれる。
そこで見たものは白骨化した死体であった。

「これを見ると勇気が出るんだ」と言う山田に絶句するハルナ。
宝物として死体の存在を知る後輩でモデルのこずえが現れ、3人は特別な友情で結ばれる。

死体と彼女らの出会いを要約するとこんな感じですかね。



・ハルナと河川敷の死体

ハルナが初めて死体を見た時
「実感がわかない」と言っています。
恐怖というよりも何か感情のひとつを失っているようにも見えました。

ハルナ自身、授業もサボり気味で毎日タバコを吸いながらボーッと外を眺める毎日。
観音崎と付き合いつつもセックスに対しても非常に淡白です。

"何もリアリティを感じないリアリティ"を抱いた、ある意味、他人に対して死人のようでどこか感情がないようにも見えます。


・山田と河川敷の死体

山田は学校で虐められる一方で、虐める相手を殺してやりたいと思う一面も覗かせます。
一方で彼女のいる山田は実はゲイで、彼の関心は片想いのサッカー部男子。
田島カンナという彼女との疑似恋愛的なデートにも無感情、お金を稼ぐための売春行為も感情が欠落したようにハルナと同じく死人のようでもある。

そんな山田にとって死体とは、注目を浴びない存在。
つまり自分の立場との対比であり、非日常への希望の光であり関心を示すもの。
自分の置かれている日常とは違う世界。
死体のある河川敷は憧れに近い聖域のような場所なんです。

原作では河川敷の死体を見つけた同級生と揉み合いになる場面ですが、実写化では少し改変されており死体は同級生に見つかることはありませんでした。
虐められっ子が怒り狂って襲いかかる様はまさに聖域を犯す輩に立ち向かう、そんなところでしょうか。


・こずえと河川敷の死体

こずえはモデルという顔とは別に過食と吐くという摂食障害の食生活を送る。


同級生に死体が見つかりそうになり、埋めることにした3人。
その時、こずえはハルナにこう質問します。
「ハルナさん、この死体を、初めてアレみた時どう思った?」
ハルナは「…よくわかんない」と答える。

それに対してこずえはこう答えた。
「わたしはね “ザマアミロ”って思った。
世の中みんなキレイぶって、ステキぶって、楽しぶってるけどふざけんじゃねぇよって、ざけんじゃねぇよって。
ざけんじゃねぇよ、いいかげんにしろ。
あたしにも無いけどあんたらにも逃げ道ないぞザマアミロって…なーんて」(原作から)

ここに共感した人いますか?
恐らくいないと思います。

日常生活で本音と建前で不満に思うことはあります。
しかし、死体を見てこんなこと思うでしょうか?

これは"死体を見たから"ではなく、ハルナに対して自分の思いをぶちまけたんです。
ハルナを自分と同じような人間だと、感情に虚無感を抱くハルナなら理解してくれると思ったのでしょう。



・ハルナとこずえと猫の死体

ハルナとこずえの関係は子猫のシーンからも明らかです。


こずえにとってビニール袋に入った子猫の死体は「ミートボールみたい」といった無関心に近いもの。
むしろ「ザマアミロ」の感覚だったのかもしれない。
ハルナも自分と同じ人間だと、この感情を理解してくれると思ったこずえはハルナにも見せる。


そこで初めて感情を露わにし、泣きじゃくるハルナに驚きながら慰めるこずえ。

同じ感情ではなくとも、二人の距離が縮まった瞬間でもありますね。



観音崎とルミ

観音崎とルミの事故の後、河川敷での観音崎とのセックスもハルナは無表情のままでした。
河川敷にあった死体と重なるように描かれたこのセックスは、ハルナが死を連想するものだと位置づけたと考えられます。

観音崎の殺害は未遂に終わりましたが、事件後に発狂したルミは死人のようになってしまう。
ハルナともう一人の友人でルミの見舞いに行くが、ハルナは涙すら流すことはなく、ほとんど無表情のまま。

一連の非日常も、観音崎とのセックスも、ハルナにとっては"何もリアリティを感じない"、やり過ごすしかないのだ。



・山田とカンナの死体

ラストシークエンス。
山田の彼女であったカンナ。
嫉妬からハルナの部屋に火をつけ、自身も焼身飛び降り自殺を謀ります。
このカンナの死体を見た時の山田の笑みは観終わった後も暫く忘れられませんでした。


死んでしまったカンナの方が好きだなんて、山田は河川敷の死体を見つけた時から何も変わっていない。
きっと山田がハルナに河川敷の死体という"大切な宝物"を見せたのも、ハルナに死を感じたからでしょうか?

一方で、生きているハルナも好きだと語る山田。
ここで初めてハルナ自身が"自分は死人同然だ"と自覚するわけです。
なぜなら山田は死体しか好きではないから。
正しくはそっと見守るだけのサッカー部男子を除く(笑)



ハルナへのインタビューでも語られました。
生きていると実感出来るのはどういう時か?の問いに対してハルナは「感じる時」と答えています。

自分が"何も感じない死人"だからこそ、"生きている実感"がわかるのだ。



ウィリアム・ギブスンの詩

この作品のラスト、山田からハルナへひとつの贈り物が手渡されます。
そしてハルナと山田の二人で語るウィリアム・ギブスンの一説。

THIS CITY IN PLAGUE TIME
この街は 悪疫のときにあって
KNEW OUR BRIEF ETERNITY
僕らの短い永遠を知っていた
OUR BRIEF ETERNITY
僕らの短い永遠
OUR LOVE
僕らの愛
OUR LOVE KNEW
僕らの愛は知っていた
THE BLANK WALLS AT STREET LEVEL
街場レヴェルののっぺりした壁を
OUR LOVE KNEW
僕らの愛は知っていた
THE FREQUENCY OF SILENCE
沈黙の周波数を
OUR LOVE KNEW
僕らの愛は知っていた
THE FLAT FIELD
平坦な戦場を
WE BECAME FIELD OPERATORS
僕らは現場担当者になった
WE SOUGHT TO DECODE THE LATTICES
格子を解読しようとした
TO PHASE-SHIFT TO NEW ALIGNMENTS
相転移して新たな配置になるために
TO PATROL THE DEEP FAULTS
深い亀裂をパトロールするために
TO MAP THE FLOW
流れをマップするために
LOOK AT THE LEAVES
落ち葉を見るがいい
HOW THEY CIRCLE IN THE DRY FOUNTAIN
涸れた噴水をめぐること
HOW WE SURVIVE IN THE FLAT FIELD
平坦な戦場で僕らが生き延びることを

ウィリアム・ギブスン『THE BELOVED(VOICES FOR THREE HEADS)』より

「僕らは現場担当者になった」って「WE BECAME FIELD OPERATORS」だから、ここでいう「現場」って「平坦な戦場」のことだったんだ。つまり「平坦な戦場」を自らの活動の舞台として生きる人間になったということ。

最後の4行で「HOW THEY CIRCLE IN THE DRY FOUNTAIN」と「HOW WE SURVIVE IN THE FLAT FIELD」は対を成しているから、「平坦な戦場で僕らが生き延びること」は「干上がった噴水の中で風に吹かれた落ち葉が渦を巻くこと」と同じことなんですね。(←ホントかよ!?)

「ArT RANDOM 71 Robert Longo」京都書院 - 日々の雑感(tach雑記帳はてなブログ版)より引用


何度も作中で映し出される工場とその工場から排出される汚水。

河の流れのように時には流され、時には逆らいながら畝り淀むこの河の水こそが、平坦な日常であり、彼女らの生と死の狭間を意味する。

行き場を失くした汚水という負の感情が河を濁らせ、留まり、異様な臭いを放つ。
非日常とは突然起こるわけではなく、実は徐々に、だが着実に淀みを積み重ねて、水面下で形作られるものなのではないだろうか?


そんな中、河川敷の死体と出会うことで、その平坦な日常が一気に崩れ、そこで死人同然だった若者たちが生きている実感を得た。

彼女らの生き延びる場所は平坦な戦場、干からびた噴水のように空っぽで殺伐とした景色である。
しかし、そんな若者たちも我々のいう平坦な日常の中を漂いながら、生きていく術を模索していくしかないのです。



エンディングテーマ




岡崎京子と親交のある小沢健二が映画のために書き下ろした楽曲。
小沢にとって初の映画主題歌となる同曲には、ハルナ役の二階堂ふみと山田役の吉沢亮も参加している。

ポップさと奇抜さを交えたこのエンディングテーマ。

二階堂ふみのコメント
まるで、問いかけるように、思い出を語らうように、寄り添うように、明日に向かう曲を聴きました。『リバーズ・エッジ』へと導く小沢さんの唄は、懐かしい新しい、現在進行形の作品だと思います。

吉沢亮のコメント
映画のラストでこの曲が流れて来た時、大切な何かが過ぎ去っていくのをただじっと見守っているような、切なさと温かさが入り混じった感覚に自然と涙が流れました。初めてデモを聴いた時から今日まで、毎日気が付くと頭の中で流れています。

行定勲監督のコメント
映画の終わり方として、何かひとつの時代性の総括がほしいと思っていました。「あの時代はなんだったのか」ということを語るのに、岡崎京子を一番理解している人間はメロウじゃなくて感傷的じゃなくて、ものすごく爽やかなんだと。だからこんなにも力強いんだって。僕たちの予想を軽々と裏切ってくる楽曲をとてもすばらしく思いました。

小沢健二、岡崎京子原作「リバーズ・エッジ」で初の映画主題歌(コメントあり) - 音楽ナタリーより引用

エンディングでこの曲が流れた時、一瞬「あれ?なにこの違和感www」でしたが、気が付くとクセになってました。
変な中毒性がありますね。



終わりに

原作を読んでいたのは随分昔なので記憶が曖昧ですが、実写化は原作に忠実で、その独特の空気感を表現出来ていると思います。
非常にうまく作り込まれているのではないでしようか。

ただ、もうひとつ実写化するにあたって多少の改変があってもよかったのかなあというのも否めませんね。

最後までお読みくださった方、ありがとうございました。






(C)2018映画「リバーズ・エッジ」製作委員会/岡崎京子・宝島社


リバーズ・エッジ

リバーズ・エッジ

リバーズ・エッジ オリジナル復刻版

リバーズ・エッジ オリジナル復刻版

リバーズ・エッジ 愛蔵版

リバーズ・エッジ 愛蔵版

「殺人者の記憶法」「悪女/AKUJO」と韓国映画について(ネタバレなし感想)

目次




初めに

こんにちは、レクと申します。
今日は韓国映画2本立てということで
殺人者の記憶法」「悪女/AKUJO」
を観てきました。

今回はこの2作を絡めた韓国映画について、ネタバレなしで語っていきます。



作品概要


(C)2017 SHOWBOX AND W-PICTURES ALL RIGHTS RESERVED.

原題:Memoir of a Murderer
製作年:2017年
製作国:韓国
配給:ファインフィルムズ
上映時間:118分
映倫区分:G


解説

「監視者たち」「ソウォン 願い」「シルミド SILMIDO」など数々の作品で韓国を代表する名優ソル・ギョングが、アルツハイマーのために記憶があいまいな元連続殺人犯を演じ、「ワン・デイ 悲しみが消えるまで」「パイレーツ」のキム・ナムギル扮する新たな連続殺人犯との対決を描いたミステリーサスペンス。かつて連続殺人を犯した獣医のビョンスは、いまはアルツハイマー病に侵され、記憶がおぼろげになっていく日々を送っていた。あやふやになる記憶への対処のため毎日の出来事を録音する習慣がついていたビョンスは、ある日、偶然出会った男テジュの目つきに、テジュが自分と同じ殺人犯であるという確信を抱く。やがてテジュはビョンスのひとり娘ウンヒのそばをうろつくようになり、ビョンスはひとりでテジュを捕らえようとするのだが……。
殺人者の記憶法 : 作品情報 - 映画.comより引用

予告編






(C)2017 NEXT ENTERTAINMENT WORLD & APEITDA. All Rights Reserved.

原題:The Villainess
製作年:2017年
製作国:韓国
配給:KADOKAWA
上映時間:124分
映倫区分:R15+


解説

「渇き」のキム・オクビンが女暗殺者を熱演したスタイリッシュアクション。日本で「22年目の告白 私が殺人犯です」としてリメイクされた映画「殺人の告白」で知られるチョン・ビョンギル監督が手がけた。犯罪組織の殺し屋として育てられたスクヒは、いつしか育ての親ジュンサンに恋心を抱き、やがて2人は結婚するが、ジュンサンが敵対組織に殺害される。怒りにかられたスクヒは復讐を果たすが、国家組織に拘束されてしまい、国家の下すミッションを10年間こなせば自由の身になるという条件をのみ、国家直属の暗殺者として第2の人生を歩み始める。やがて、新たな運命の男性と出会い、幸せを誓ったスクヒだったが、結婚式当日に新たなミッションが下され……。
悪女 AKUJO : 作品情報 - 映画.comより引用

予告編





韓国映画の魅力

この2作は映画情報を知ってから、楽しみにしていた作品です。
何と言っても私、韓国映画好物なんですよね。


個人的な意見ですが、韓国映画の最大の魅力は心理描写の繊細さだと思っています。
また、猟奇殺人ものやアクションなどはバイオレンス描写も素晴らしい。
演出ひとつひとつが丁寧で、妥協していないからこそ成し得る作品なのではないでしょうか?

民主化による検閲の廃止と映画法の廃止によって法的な制限がなくなったことや、韓国経済が潤い財閥がスポンサーになって製作費が増したことなど、裏事情もあるにはあるんですが、高い演技力と中毒性、繰り返し観たくなる魅力があるんですよね。


また、映画「哭声/コクソン」に出演された國村隼さんも韓国映画の魅力について語られています。

國村:実は今回の映画に出る前、韓国映画を観る側だった時に僕自身、その力強い感覚や俳優さんたちのモチベーションが高そうな印象を受けていました。いったい撮影現場はどうなっていて、どうしてこういう作品になるんだろうって興味を抱いていた時にオファーをいただいた。今回参加してひとつ思ったことは、システムの違いもあるでしょうけれど、韓国では撮影現場において監督が絶対的な権力を持っている。すべては監督からのみ発信されて、それゆえに監督はすべての責任を負っているわけです。
(中略)
本当に、エンターテインメントのヒエラルキーでは、おそらく映画が一番高いでしょうね。だから携わっている人たちは高いプライドとモチベーションを持っていて、お客さんがそれを支えている。第一、5,000万人くらいの人口で1,000万人の映画人口がいるわけですから、映画を愛しているんですよ。だから韓国では面白い映画が生まれると、僕は思っています。
國村隼が語る「韓国で面白い映画が生まれる理由」 | AbemaTIMESより抜粋引用


殺人者の記憶法」はバイオレンス描写は少なめで年齢制限もない、この手の韓国映画としては珍しい作品でもありますね。
その代わりと言ってはなんですが、心理描写はずば抜けて凄い。
それもこれも監督の演出と韓国を代表する名優ソル・ギョングの演技力あってのもの。

「悪女/AKUJO」は如何にも韓国映画というバイオレンスさでR15+。
POV視点や、どうやって撮ってるんだろうといった視点の映像が凄まじい臨場感を演出する最新スタイリッシュアクション。
これは役者の演技と監督の拘り、妥協を許さない姿勢です。



雨のシーン

韓国映画のもうひとつの魅力は独特のじめじめとした湿った雰囲気
イメージとして、雨の演出の使い方が非常に上手い。

人物の心理描写と雨の演出との相乗効果で登場人物は一切涙を流していないシーンでも惆悵、慟哭する様を比喩的に表現し、悲嘆さを心に語りかけてくる。


ポン・ジュノ監督作殺人の追憶

© 2003 CJ E&M CORPORATION, All Rights Reserved.

ナ・ホンジン監督作「チェイサー」

(C) 2008 BIG HOUSE / VANTAGE HOLDINGS. All Rights Reserved.

チョン・ビョンギル監督作「殺人の告白」

(C)2012 DASEPO CLUB AND SHOWBOX/MEDIAPLEX ALL RIGHTS RESERVED.

ナ・ホンジン監督作「哭声/コクソン」

© 2016 Twentieth Century Fox Film Corporation. All Rights Reserved.

また、毛色は違いますが
同じアルツハイマーを扱った映画でも雨が演出されています。
イ・ジェハン監督作私の頭の中の消しゴム

(C)2004 CJ Entertainment Inc.& Sidus Pictures Corporation. All rights reserved.



勿論、「殺人者の記憶法」「悪女/AKUJO」でも雨のシーンが使われています。

ウォン・シニョン監督作殺人者の記憶法

(C)2017 SHOWBOX AND W-PICTURES ALL RIGHTS RESERVED.

チョン・ビョンギル監督作「悪女/AKUJO」

(C)2017 NEXT ENTERTAINMENT WORLD & APEITDA. All Rights Reserved.



自分自身が韓国映画の雨のシーンを意識しすぎてるからかもしれませんが、事件が起こる前兆や事件現場、登場人物の心理的変化の場面で、雨のシーンが多く導入されています。
※主に自分の観た韓国映画での話

もし今後、韓国映画をご覧になられる際には雨のシーンに着目して観てみるのも面白いと思いますよ!



ちなみに、自分が韓国リメイクして欲しい映画No.1は「ミュージアム」ですね。

(C)巴亮介講談社 (C)2016映画「ミュージアム」製作委員会

レーティングを引き上げて、韓国映画ならではのバイオレンスさ、猟奇殺人特有の湿った空気感を最高に演出できると思うんです。

邦画がダメだったわけではないんですが。



第二の人生と対比

殺人者の記憶法」「悪女/AKUJO」
2作の共通点は第二の人生と対比です。

共に"ある過去の出来事"を境に第二の人生を歩むことになります。
そして過去の自分と第二の人生を歩む自分との現状や心情の対比がそれぞれの物語の良いアクセントになってるんですよね。



・「殺人者の記憶法

先ずはTwitterに挙げた感想から。

↑ひとつ誤字があるんですが面倒くさいので直さなかったんですよ(笑)
正しくは「殺人と育児、詩と散文の対比」です。


作中で「殺人は詩、育児は散文」だとあまり深い意味もなく語られます。
しかし、この言葉が忘れられない。
なぜならこの作品を表す言葉として最も適した言葉だからです。


言語の表面的な意味(だけ)ではなく美学的・喚起的な性質を用いて表現される文学の一形式である。

散文
小説や評論のように、5・7・5などの韻律や句法にとらわれずに書かれた文章のことである。

Wikipediaより引用

「殺人は詩」
過去の出来事を表し、習慣として付いてしまった殺人という行為は形を崩すことなく人生に刻まれているもの。
元殺人鬼というこの習慣が過去のトラウマとして作中にも使われる。

「育児は散文」
育児、つまりは親と子の愛を表し、愛の形は常に一定ではなく変化していくもの。
娘を想う気持ちが現実と向き合う事件解決の糸口を明るく照らす。


サスペンスに重きが置かれ、それに並行してアルツハイマーで日々失われていく記憶とそこに起こる事件とを錯綜させる上で、元殺人鬼の心理描写は必須。
アルツハイマーという病に冒され、やりたいこととやらなければならないことが思うようにいかない。
そんなもどかしさ、そしてその事すらも忘れてしまう恐怖を巧みに上手く描いています。


記憶と記録、正気と狂気、現実と虚構、真実と嘘。
アルツハイマーの元殺人鬼だけでなく、我々鑑賞者側も惑わされること間違いなし!



ご覧になられた方はこちらも観たいですよね!


(C)2017 SHOWBOX AND W-PICTURES ALL RIGHTS RESERVED.

韓国を代表する演技派俳優ソル・ギョングの主演で、アルツハイマーにおかされた元殺人犯が、新たに出現した殺人鬼と対峙する姿を描いたサスペンスミステリー「殺人者の記憶法」のストーリーが異なる別バージョン。主人公のアルツハイマーの元連続殺人鬼ビョンスと、新しい殺人鬼テジュの激しい攻防をさらに詳しく描き、周囲を欺き一般社会に溶け込んでいる様子のテジュや、ビョンスから鋭い殺意を感じて疑惑の目を向ける警察官ビョンマン、そして事件の顛末を明らかにしようとする検事といった新しい場面が多数追加されている。
殺人者の記憶法 新しい記憶 : 作品情報 - 映画.comより引用



・「悪女/AKUJO」

Twitterの感想から。

冒頭の7分ノンストップアクションは秒でアガる!
一人称視点と三人称視点の切り替えは素晴らしく、一気に現実から映画の世界へと引き込まれていきます。


チョン・ビョンギル監督もこう語っています。

オープニングならば、何の説明をせずとも違和感を抱かせず、観客に受け止めてもらえると思いました。1番気をつけたのは、スクヒの“1人称”から“3人称”の視点に映像を切り替えるポイントです。映画が始まって『一体誰がこんなすごいバトルをしてるんだ?」と思わせておいて、ある瞬間に視点が切り替わり、スクヒの姿が映し出される。そこで観客が一気に物語に入り込めるようにしました」と背景を明かす。
「悪女」の驚がくアクションはどうやって撮った?監督が舞台裏を解説 : 映画ニュース - 映画.comより引用

まんまと監督の思惑にハメられましたね(笑)


「悪いのは、私か、運命か。」
予告編から暗殺者として育てられた女。
標的は最愛だった男。
一人の女性が突き当たる大きな壁での葛藤。
殺し屋が人として生きる道を選ぶ上で切っても切れない縁、彼女の人生に準えながら描かれるリベンジもの映画です。


暗殺者と標的、愛と復讐、過去と現実。
一人の女性が過去を背負いながらも現実と向き合うその決意を表すような凄まじいアクションは一見の価値アリです!



終わりに

結局、韓国映画が好きだとしか伝えられなかった気もしますが、「殺人者の記憶法」「悪女/AKUJO」
共にオススメできる映画です。

あんまり韓国映画は観ないよって方も、これを機に一度鑑賞してみては如何でしょうか?


最後までお読みいただいた方、ありがとうございました。

脳内を赤く染める中毒映画(「RAW 少女のめざめ」ネタバレ考察)

目次




初めに

どうも、レクと申します。
今回はずーーーっと楽しみにしていた映画「RAW 少女のめざめ」について語りたいだけ語っていきます。
こじつけも多く、好き勝手語っていますが、興味ある方はお付き合いください。

この記事はネタバレを含みます。
未鑑賞の方はご注意ください。



作品概要


原題:Grave
製作年:2016年
製作国:フランス・ベルギー合作
配給:パルコ
上映時間:98分
映倫区分:R15+


解説

2016年・第69回カンヌ国際映画祭で批評家連盟賞を受賞した、フランス人女性監督ジュリア・デュクルノーの長編デビュー作品。厳格なベジタリアンの獣医一家に育った16歳のジュスティーヌは、両親と姉も通った獣医学校に進学する。見知らぬ土地での寮生活に不安な日々を送る中、ジュスティーヌは上級生からの新入生通過儀礼として、生肉を食べることを強要される。学校になじみたいという思いから家族のルールを破り、人生で初めて肉を口にしたジュスティーヌ。その行為により本性があらわになった彼女は次第に変貌を遂げていく。主人公ジュスティーヌ役をデュクルノー監督の短編「Junior」でデビューしたガランス・マリリエールが演じる。
RAW 少女のめざめ : 作品情報 - 映画.comより引用


予告編



人間の三大欲求

人間の三大欲求は睡眠欲食欲性欲と言われています。

この作品の特徴として、その三大欲求が誇大表現されているんですよ。


・睡眠欲

冒頭の新人の洗礼では先輩よりも先に眠ることは許されませんでした。
先輩が窓からマットレスを放り投げたことからも、直接的表現として描かれています。
そしてジュスティーヌは初め、睡魔に負けて眠ってしまうんです。


洗礼の儀式として生のウサギの肝を食べ、少しずつ肉食に芽生えていくのですが、その体と心の葛藤として幾つもの睡眠シーンが導入されています。


初めの異変はアレルギーとして体の表面に現れました。
痒みが睡眠を妨げます。
お医者さんから痒み止めの薬を貰って痒みは収まっていきます。


次の睡眠シーンでも、何者かの妨害により眠れず叫んでしまいます。
これは物理的に妨害されているわけではなく、精神的なものでしょう。

そうして睡眠欲を満たせぬまま、物語の終盤に差し掛かるとその葛藤が無くなるんですよね。
ラストのシーンからもジュスティーヌが熟睡していたことがわかります。
これは精神状態の安定でもあるんです。

両極端な睡眠描写を描くことで、心理描写の移り変わりを誇大表現しているんですよ。




・食欲

次に食欲ですが、これは物語の主軸でもありますね。
ベジタリアンだった彼女が洗礼の儀式により少しずつ肉食に目覚めてしまう。

キャッチコピー
「知ってしまった味一一一。」


初めはベジタリアンであった彼女の気持ちとして肉食に恥じらいすらあって、堂々とハンバーグを食べられませんでした。

夜中に眠れず冷蔵庫の生肉に齧り付く。

肉が食べたいけれど食べられなくて髪の毛を食べて戻す日々。


そんな中で姉の指チョンパ事件が起こり、姉の指をもぐもぐしちゃうんです。
もうジェットコースター並の急加速(笑)

ベジタリアンだった彼女がここまで野菜を食べずに肉ばかり貪り食う誇大表現は恐怖すら覚える


また、初めての肉食からアレルギー反応が出たように、変化には常に恐怖が付き纏うもの。
初めての物を口にする時、興味や好奇心の裏側で不安や恐怖を感じるものです。

しかし、味を知り、味覚が慣れ、そこに満足感を覚えてしまったら歯止めは効きません。
犬のクイックが人肉の味を覚えたとされて安楽死させられたように、危険とも隣合わせ。

歯止めが効かなくなった食欲は暴食へと繋がります。
暴食はキリスト教でも七つの大罪の一つとして挙げられるほど、罪深きことなんです。



・性欲

最後に性欲ですが、食欲と性欲は非常に関係性が強いものなんです。
満腹状態、つまり食欲が満たされた状態では性欲が薄れるらしいです。


ジュスティーヌも肉食に目覚めていくと同時に、性にも目覚めていきます。
16歳、思春期の彼女ですからそれは自然なこと。
しかし、その自然なことが異常だとさえ思えてしまうほど誇大表現で描かれています

一方で、逆から見てみると、異常だと思える人食が自然なことである思春期の悩みと同等に、さも当たり前の悩みのように描かれているんです。
この自然さと異常さのバランスというか、食欲と性欲の関係性の描き方が素晴らしいんですよ!



人肉の味を知ってしまい、食事をろくに取らないジュスティーヌは少しずつ痩せていきます。
姉のワンピースがいいアクセントになってますね。

空腹は性欲を爆発させます。


姉のワンピースを纏い、ヒールを履き、赤いリップを付け、少しずつ大人の女性としても目覚めていくんです。
所謂セックスアピール。


また、睡眠欲で書きましたが、先輩が窓から投げ捨てたマットレスを部屋に持ち込もうとするんですよね。
これもあからさまなセックスアピール。


ルームメイトでゲイのアドリアンを男として認識し、アドリアンと親しくする姉にも嫉妬するようになっていきます。


ジュスティーヌとアドリアンのセックスはまさに獣のようなセックス(笑)

いつ噛み付くのかハラハラするくらい。
自分の腕を噛み、なんとか理性を保ちましたが食欲と性欲が入り交じったことを証明するシーンでもあります。



美徳の不幸

この作品は七つの大罪の要素が散りばめられています。


ヒエロニムス・ボスの『七つの大罪と四終』(Table of the Mortal Sins / The Seven Deadly Sins and the Four Last Things)。1485年

七つの大罪
キリスト教の西方教会、おもにカトリック教会における用語。ラテン語や英語での意味は「七つの死に至る罪」だが、「罪」そのものというよりは、人間を罪に導く可能性があると見做されてきた欲望や感情のことを指すもので、日本のカトリック教会では七つの罪源(ななつのざいげん)と訳している。

七つの大罪は、4世紀のエジプトの修道士エヴァグリオス・ポンティコス(英語: Evagrius Ponticus)の著作に八つの「枢要罪」として現れたのが起源である。キリスト教の正典の聖書の中で七つの大罪について直接に言及されてはいない。八つの枢要罪は厳しさの順序によると「暴食」、「色欲」、「強欲」、「憂鬱」、「憤怒」、「怠惰」、「虚飾」、「傲慢」である。

6世紀後半には、グレゴリウス1世により、八つから七つに改正され、順序も現在の順序に仕上げられる。その後「虚飾」は「傲慢」へ、「憂鬱」は「怠惰」へとそれぞれ一つの大罪となり、「嫉妬」が追加された。そして七つの大罪は「暴食」、「色欲」、「強欲」、「憤怒」、「怠惰」、「傲慢」、「嫉妬」となった。

Wikipediaより引用


ジュスティーヌは肉食に目覚めてから貪るように食らいつく「暴食」とハンバーグを盗む「強欲」の罪を犯す。
そして同時に「色欲(肉欲)」にとらわれ、姉への「嫉妬」心を抱く。

神童と呼ばれ、その「傲慢」からテストでミスをする。
アレックスや母親に対し「憤怒」し、酒に溺れて「怠惰」に至る。



では何故、ここでキリスト教における七つの大罪を挙げたのか。
それは主人公であるジュスティーヌの由来から関連付けています。


ジュスティーヌあるいは美徳の不幸の挿絵

『美徳の不幸』 (Les Infortunes de la Vertu)
サド侯爵 (Marquis de Sade) が1787年に著した小説である。のちに大幅な加筆修正が施され、『ジュスティーヌあるいは美徳の不幸』 (Justine ou les Malheurs de la Vertu) 、さらに『新ジュスティーヌ』 (Nouvelle Justine) として出版された。『悪徳の栄え』と対を成す作品である。

ジュスティーヌという名前の由来はこの「ジュスティーヌあるいは美徳の不幸」

ジュスティーヌは幼い頃、姉と修道院で育てられる。
修道院を出たジュスティーヌは、宗教的美徳に忠実であろうとするばかりに幾度も貶められたり辱められ、ついには罪をも被せられる。
しかし、彼女はそれに対して少しずつ悦びに目覚めていくというもの。

この作品は彼女が辛酸の数々を嘗め、"美徳を守ろうとする者には不幸が、悪徳に身を委ねる者には繁栄が訪れる"という皮肉的主題が描かれています。


宗教的美徳に逆らい、数々の辛酸を嘗め、罪を重ねることにより、自我が芽生える。
まさに本作のジュスティーヌの行動そのものなんですよね。



作中に詰め込まれたメタファー

詰め込まれたメタファーの数々。
全て拾いきれませんでしたが、ひとつずつ見ていきます。


・テストでの間違い
→高校生活で道を踏み外すことの暗示。

神童と呼ばれるほどのジュスティーヌが簡単なミスを犯すことから、たった一つのミスで失敗し、やり直しが効かない人生を表しています。



・猿の話題と四つん這い行進
→人と獣の境界線の曖昧さ。

感情と理性の狭間で葛藤する姿を表現しているのでは?



・アレルギーによる痒み
→生まれ変わり。

肉の味を知ってから、その欲は加速していく。
この変貌は身体の皮膚を剥くシーンで直接的表現がされていましたが、成長や生まれ変わりを意味する"脱皮"ではないでしょうか。



・走る馬の挿画
→肉食に目覚めた欲望の加速を表現。

馬自体は草食動物、つまりこの時点ではジュスティーヌもベジタリアンなわけです。
ここで走らされる馬の描写は物語が加速していく様を表しているのではないかと考えました。



・車のクラッシュシーン
→クラクションは欲への目覚めの警告音。

このシーンは冒頭シーンに繋がります。



・犬の死体の挿画
→獣のようなセックス。

七つの大罪で「嫉妬」は悪魔レヴィアタンを指します。
同時に「嫉妬」は動物では犬が挙げられる。
嫉妬という感情からの脱却、初体験に至るという比喩。



・色彩表現
→性欲と食欲が入り交じる様。

青色のペンキと黄色のペンキが混じり合い緑色となる。

青色は落ち着かせる鎮静のイメージがあります。
食欲を抑える色でもあるんですよね。
黄色は警告色、不安感のイメージがあります。
混ざり合うことで緑色となる。
緑色はリラックスのイメージです。
ジュスティーヌの心理状態の変化を表しています。

鎮静、緊張感からリラックスすることにより緩和され、本能的になってしまって相手の唇を噛み切ってしまったのでしょう。



・シャワーシーン
→感情と理性の切り替え。

シャワーシーンも印象的です。
人食を終えた後、理性を取り戻すルーティンのように見えました。

ただ、このペンキシーンからのシャワーシーンだけは歯に詰まる肉片を再び食べるという感情的な部分が描かれています。



人食へのめざめ
→少女の成長のメタファー。

まとめとして、全体的なメタファーは人食を通じて描く少女の思春期と成長の比喩。



歪んだ愛情

直接的に映せないようなシーンが多少ありました。
姉の指がチョンパされるシーンやキスで唇を噛み切るシーン、ラストシーンなんかもそうですね。

あと、下品なシーンも。
牛の肛門に腕突っ込むシーンやブラジリアンワックス(笑)
そして女性の立ちション初めて見ました。

そんな中、姉妹のワイルド過ぎる喧嘩シーンに爆笑でしたよ!
妹の頬肉を噛み千切るとか。
それでも二人の間には歪んだ愛情があるんです。


ジュスティーヌの姉であるアレックスは指を失う事故の際に失神してしまい、目覚めた時に失った指に貪りつく妹の姿を目撃する。
しかし、アレックスはそれを両親に隠し、そして自分もカニバリストだと車の事故のシーンで見せました。
アレックスが妹のその異常とも取れる行動を許したのも、それに対する"理解"があったからです。

それがラストシークエンスに繋がっていくんです。



そのラストシークエンスも秀逸。

ジュスティーヌは自分だけが異常者だと葛藤しつつ人食に目覚めたんだと思いきや、実はアレックスも人食に目覚めてましたってオチ。
アレックスの部屋の洗面台に痒み止めの薬があったことから、姉妹揃って同じ道を歩んでいたんです。

そして、刑務所の面会でガラス越しに二人の顔が重なるシーンからも人食姉妹でした的なオチの演出となっています。

ただ一つ、違ったことはか。
本能と理性の狭間で葛藤するジュスティーヌと本能のまま行動してしまったアレックス。
ここが大きな人生の分かれ目でしたね。



って終わりだと思いきや
実はお母さんからの遺伝でした っていうまさかの二段階オチ!

お母さん、お前もか!って叫びそうになりました(笑)


そして…

お父さんドMかよ!!!

これも全力で叫びそうになりましたね(笑)

お父さんはお母さんと出会うことで、本当の自分に目覚めたってことですか(笑)


相手の嗜好を"理解"すること。
姉が妹の嗜好を理解して許したように、父もまた母の嗜好を理解して許しています。

第三者から見れば歪んだ愛情ですが、この家族にとっての究極の愛なのかもしれません。



越えてはいけない一線を越えたアレックス。
母親の嗜好を受け入れる父親。
二つの前例を目の当たりにしたジュスティーヌが今後歩む人生とは?

自分の嗜好を理解し、その上でどうやって生きていくかは彼女次第だと言うことを最後に残したように思えます。


「RAW」とは
「生の」、「皮のむけた」、「未熟な」、「下品な」
という意味があります。
タイトルそのままですが、原題は全く違ったものなんですよね。

原題『Grave』
意味としては
名詞「墓」
動詞「墓を掘る」
形容詞「重大な」「尤もらしい」
などがありますが、この作品は
「(心や記憶などに)刻み込む」という意味が「尤もらしい」ですね。



終わりに


映画「サスペリア」を彷彿とさせるシーンもありましたね。
学校という閉鎖的空間も共通点ですが、何より非常に色彩の使い方が上手く、この物語も「サスペリア」同様に赤い色が映える。


赤色は興奮や愛情、危険や怒りなどのイメージがあります。
また、食欲を促進させる効果があります。
本作「RAW 少女のめざめ」のカラーとして鮮やかな色彩を楽しめると思います。


最後までお読みくださった方、ありがとうございました!






(C)2016 Petit Film, Rouge International, FraKas Productions. ALL RIGHTS RESERVED.

バロメッツから読み解く(映画「羊の木」ネタバレ考察)

目次




初めに

こんにちは、レクと申します。
今回は楽しみにしていた「羊の木」について好き勝手に語っていこうかと思っております。

最近、邦画祭りです(笑)

この記事はネタバレを含みます。
未鑑賞の方はご注意ください。



作品概要


製作年:2018年
製作国:日本
配給:アスミック・エース
上映時間:126分
映倫区分:G


解説

桐島、部活やめるってよ」の吉田大八監督が錦戸亮を主演に迎え、山上たつひこ原作・いがらしみきお作画の同名コミックを実写映画化したヒューマンミステリー。寂れた港町・魚深にそれぞれ移住して来た6人の男女。彼らの受け入れを担当することになった市役所職員・月末は、これが過疎問題を解決するために町が身元引受人となって元受刑者を受け入れる、国家の極秘プロジェクトだと知る。月末や町の住人、そして6人にもそれぞれの経歴は明かされなかったが、やがて月末は、6人全員が元殺人犯だという事実を知ってしまう。そんな中、港で起きた死亡事故をきっかけに、町の住人たちと6人の運命が交錯しはじめる。月末の同級生・文役に木村文乃、6人の元殺人犯役に北村一輝、優香、市川実日子、水澤紳吾、田中泯松田龍平と実力派キャストが集結。「クヒオ大佐」の香川まさひとが脚本を手がける。
羊の木 : 作品情報 - 映画.comより引用

予告編



短評とこの作品の魅力

まずはTwitterの感想から。



この作品の魅力はなんと言ってもキャスト陣の演技力。
Twitterでも書きましたが、元受刑者たちの持つ肌で感じる独特の空気感と違和感が堪らないんですよ。

魚深という田舎町に住む人達は元受刑者であることを知らされていません
一方で、主人公の月末と一部の人間、そして我々観客がそのことを知っています
このバランスと見せ方、演出が素晴らしいんです!


住人は当然知らないので、町の人、一般人と接するように日常の何気ない会話などが描かれています。
しかし、月末と我々は元殺人犯ということが分かっているので、彼らが「何かをやらかすのではないのか?」と偏見のような色眼鏡で見てしまう。

また、月末も我々観客も受け入れを担当した当初は元受刑者で殺人歴のある6人だと知らされていませんでした。
そこで彼らの違和感に一抹の不安を覚えるわけです。
主人公と観客が同じ認識を持つことで、その世界感、物語に没入しやすくなるんですよね。


この序盤のシークエンスがあるからこそ、その後の彼らの言動や取り巻く環境、周りの視線、人間関係などがより一層引き立つ。
そこにこの映画の素晴らしさを感じました。



原作と映画の違い

原作と映画では設定が大きく違うようです。

原作での受け入れ理由は
地方自治体と民間の構成促進事業

映画での受け入れ理由は
仮釈放制度の見直しと地域活性化

仮釈放
収容期間満了前において仮に釈放されること。
刑法28条に「懲役又は禁錮に処せられた者に改悛の状があるときは、有期刑についてはその刑期の三分の一を、無期刑については十年を経過した後、行政官庁の処分によって仮に釈放することができる。」と定められている。ここにいう行政官庁とは、法務省所管の地方更生保護委員会であり、本人の資質、生活歴、矯正施設内における生活状況、将来の生活計画、帰住後の環境等を総合的に考慮するとともに、悔悟の情、再犯のおそれ、更生の意欲、社会の感情の4つの事由を総合的に判断し、保護観察に付することが本人の改善更生のために相当であると認められるときに(「仮釈放、仮出場及び仮退院並びに保護観察等に関する規則」の31条、32条を参照)、仮釈放を決定する権限が与えられている。実際に仮釈放が許される時期については、有期刑は最近ではほとんどの場合、執行刑期の3分の2以上であり、刑期の半分に満たないで許される者は稀にしかおらず、無期刑は2003年以降、すべての許可例において刑確定後20年以上が経過してからである。
Wikipediaより引用

似たような理由ではありますが、仮釈放制度という法律そのものの見直し、つまり税金対策という設定になっています。


また原作では犯罪履歴のある11名が一定期間で移り住むのに対し、映画では殺人歴のある6名が一度に移り住む設定でした。

この辺りは映画という限られた時間の中での改変なので特に問題はなさそうです。


問題は原作の主人公が月末ではないということ(笑)
原作での主人公はこの物語の舞台となる魚深市の市長、鳥原秀太郎です。

映画では名前すら出てこない(笑)

原作にも月末一という人物は登場するが、仏壇店を営むおっさんで既婚者。
錦戸亮くんとは似ても似つかない(笑)

この辺は集客効果を求めた映画ならではの改変でしょう。

とは言っても、錦戸亮くんの演技はいいんですよね。
さり気ない表情や間のとり方、演技力はもっと評価されてもいいと思います。



羊の木

さて、そろそろ本題へ入っていきます。

タイトルの「羊の木」にはどういう意味があるのでしょうか?

冒頭で使われた一文。

その種子やがて芽吹き
タタールの子羊となる
羊にして植物
その血 蜜のように甘く
その肉 魚のように柔らかく
狼のみ それを貪る

「東タタール旅行記」より

映画『羊の木』 | 2018年2月3日(土)全国ロードショーより引用

一見、この羊と狼の関係性は一般市民と殺人犯のメタファーとも取れます。



当ブログ「小羊の悲鳴は止まない」
ご存知の方も居られるでしょうが、少し書かせていただくと
当管理人レクの大好きな作品羊たちの沈黙

作中のセリフから取ったものです。

ここで言う小羊とは被害者のメタファーであり、本作の立ち位置とは対極しています。



しかし、言うまでもなく本作におけるは元受刑者のことを指します。
市川実日子さん演じる栗本清美が海岸で拾った羊の木の描かれたお皿を見てください。

ここには、羊の木に実る羊が5匹。
そして実らぬままの葉っぱが2枚。

羊の実った木が生まれ変わり、人生のやり直し、とするならこの5匹の羊は松田龍平さん演じる宮腰と北村一輝さん演じる杉山を除く元受刑者5名でしょう。
そして冒頭のは実らぬままの葉っぱ、羊の中に放たれた犯罪者。
つまり本作では宮腰と杉山にあたるわけです。


…あれ?人数が足らないぞ?(笑)

もう一人、元受刑者で魚深という町で平和に暮らしている人がいましたよね?
そうです、福元の職場、理髪店の店長です。

殺人の罪を犯した元受刑者は社会的に弱者なんです。

羊の木に実った羊たちは、生まれ変わり新たな人生を生きることを表していると思います。



この作品「羊の木」はTwitterにも書きましたが、輪廻転生、罪と罰、赦しと贖罪、それらが詰まったものだと思います。

栗本が死んだ動物や魚などを自宅横に埋葬するシーンがいくつかありました。

ラストでそのひとつに芽が出てましたよね?
この事からも羊の木とは命の繋がり、生まれ変わること、輪廻転生の意ではないでしょうか。

罪を犯した者は罪を償った後、生まれ変わることが出来るのか?を問う。

宮腰や杉山のように生まれ変わっても性根は変わらない人もいます。
それと同時に真っ当に生きようと努力する人間もいるのです。



バロメッツという伝説の植物があることをご存知ですか?

バロメッツ

黒海沿岸、中国、モンゴル、ヨーロッパ各地の荒野に分布するといわれた伝説の植物である。この木には、羊の入った実がなると考えられていた。

時期が来ると実をつけ、採取して割れば中から肉と血と骨をつ子羊が収穫できるが、この羊は生きていない。実が熟して割れるまで放置しておくと、「ぅめー」と鳴く生きた羊が顔を出し、茎と繋がったまま、木の周りの草を食べて生き、近くに畑があれば食い散らかしてしまう。周囲の草がなくなると、やがて飢えて、羊は木とともに死ぬ。ある時期のバロメッツの周りには、この死んだ羊が集中して山積みになるので、それを求めて狼や人があつまって来るのだと言う。この羊は蹄まで羊毛なので無駄な所がほとんど無く、その金色の羊毛は重宝された。肉はカニの味がするとされた。

バロメッツ - Wikipediaより引用

この伝説は、ヨーロッパ人の誤解が発端で、バロメッツから採れる羊毛とされた繊維は木綿。
木綿を知らなかった当時のヨーロッパ人は「綿の採れる木」を「ウールを産む木」だと解釈して、この植物の伝説が産まれたとされています。

単純に綿と羊毛が似ていることが由来なのですが、この事からも
可視出来るものと伝え聞いた事の真偽
が核心ではないか?

冒頭でも記述しましたが、伝え聞いた事、先入観は人を色眼鏡で見てしまう。
自分で見たものを信じることの大切さを訴える作品でしょう。



このテーマは本作の偶像崇拝のろろ様にも繋がる部分だと思います。

魚深という田舎町で、皆のろろ様を信じています。
祭りの途中で抜け出した杉山。
直接見てはいけない禁じ事を破った宮腰。
この二人が羊の木の羊として描かれていないのも頷けます。


また、吉田大八監督もこんなことを話していました。
「分からなくても信じる。その方が疑うよりも生きていて楽しい人生を歩めるはずだ」



人は変われるのか?

人間、簡単には変われませんよね。
でも他人を変えるより自分を変える方が楽なんです。
元受刑者で生まれ変われた人は皆、誰かの優しさに触れて自分を変えられたんですよ。
変えたからこそ、あの生活を送ることが出来るんです。

福元は素直に打ち明けることで。
栗本は自分と向き合うことで。
大野は守ってくれる人を見つけたことで。
太田は好きな人が出来たことで。


その中で杉山は中立の立場を上手く演じてました。
変われない自分と馴染めないもどかしさから、普通の暮らしと犯罪の間で揺れ動く凄く人間的な人物だったと思います。

そして、宮腰は唯一変わることが出来なかった犯罪者。
仮釈放制度見直しの難しさ。
そして人生をやり直すことの難しさ。
宮腰自身も魚深で平和に暮らそうと思っていたはずです。
しかし、人を殺めることに対する罪の意識の欠如が大きな障害となってました。



人を殺めたという事実は消えることはありません。
しかし、彼らに必要なのは未来を見ることなんですよ。


エンディング曲「Death Is Not the End」


死は終わりではない。

また芽を出し、生まれ変わることで新たな人生を歩むことが出来るんです。



終わりに

考察としては書くところがなく、端折りましたがやはり書いておこう。
特筆すべきは優香さんの体を張った演技ですよね(笑)



映画「羊の木」オススメ - YouTubeより

いやらしいなと思う


最後までお読みくださった方、ありがとうございました。




(C)2018「羊の木」製作委員会 (C)山上たつひこいがらしみきお講談社

宗教や信仰概念を揺るがすフェイク・ドキュメンタリー(映画「オカルト」ネタバレ)

目次




初めに

こんばんは、レクと申します。
今回はTwitterのフォロワーさんからのオススメ
白石晃士監督の「オカルト」について少し語っていこうかと。

経緯の詳細は忘れましたが、自分がフェイク・ドキュメンタリーやPOVが好きだという話の流れからだったと思います(笑)
ホラー映画も好きだということもあるのかなあ?


この記事はネタバレ含みますので、未鑑賞の方はご注意ください。



作品概要


©CREATIVE AXA Co.,Ltd. 2009

製作年:2008年
製作国:日本
配給:イメージリングス
上映時間:110分


あらすじ

ノロイ」「口裂け女」などで知られるホラーの鬼才・白石晃士が、オカルト・ドキュメンタリー番組を製作する人々のスリルや恐怖を描いた意欲作。「アカルイミライ」「トウキョウソナタ」の黒沢清監督や漫画家の渡辺ペコなどが特別出演している。3年前にとある観光地で起きた通り魔殺人事件に興味を持った映画監督の白石は、事件の唯一の生存者で現在はネットカフェ難民の青年・江野に取材を敢行する。
オカルト : 作品情報 - 映画.comより引用


予告編



白石晃士監督作品

まず、「オカルト」を観終わって一言。

「そう来たか。」



白石晃士監督には申し訳ないんですが、彼の作品は片手で数えられるほどしか観たことがないんですよね。

ひとつは「貞子vs伽椰子」
メジャータイトルであり、リングと呪怨が好きな自分向けではある作品です。

ミュージアム 序章」
こちらもミュージアムというメジャータイトルがきっかけです。

つまり、純粋に白石晃士監督の作品が観たいと思って観たのはこの作品が初ではないかと。
「ある優しき殺人者の記録」

そして不能犯
絶賛公開中ではありますが、感想はまだ書いてません(笑)



観ている作品が少ないために、監督の嗜好や傾向と判断材料が無いながらにも、感想を纏めました。
白石晃士監督初心者として暖かい目で見てやってください。



オカルトとは

タイトルにもなるオカルトとは?

オカルト(英語: occult)
秘学・神秘(的なこと)・超自然的なもの。
目で見たり、触れて感じたりすることのできないことを意味する。
Wikipediaより引用

一般的にイメージするところのオカルトと同じでしょう。
この作品「オカルト」でも、事件の裏側に潜む超常現象と謎の声、オカルティズムが描かれています。

そのオカルト現象をチープだが奇跡と見せること、そしてそれらをモキュメンタリーとして信じ込ませる演出が光る。

またその奇跡を目の当たりにする江野くんを演じる宇野祥平さんが、ダメ男なのにどこか憎めない、独特の雰囲気を醸し出してるんですよね(笑)



早速、確信に触れますが
超常現象や謎の声とは何だったのか?を掘り下げていきましょう。


まず、冒頭で起きた通り魔事件。
二人の女性が殺害され、一人の男性が重傷を負い、犯人は崖から飛び降りるも死体は見つからなかった。

その事件の被害者であり生存者でもある江野くん。
うんこみたいな人生を送ってきた彼が、その事件の後から起こる様々な超常現象により、自分は特別な使命を課されたと感じるようになるんです。
そして、その事件より刻まれた背中の傷。
それとよく似たアザが通り魔事件の犯人にもあったことが分かった。



通り魔事件の犯人(松木)

江野


この象形文字のようなものが御昼山の九頭呂岩で見つかる。


まさかの象形文字解析に特別出演の黒沢清監督(笑)


見つかった岩の左側(松木のアザ)は神託と殺人
右側(江野の傷)は神託と災害(人災も含む)

ここで松木神の啓示により殺人を犯したように、江野も神の啓示により何か罪を犯すのではないか?と白石は推測する。


言わば、超常現象や謎の声は神の存在を示すものとして描かれているわけですね。





さて、ここでいうとは何なのだろうか?

特別出演の黒沢清監督の話に出てきましたね。


天瓊を以て滄海を探るの図(小林永濯・画、明治時代)
右がイザナギ、左がイザナミ。二人は天の橋に立っており、矛で混沌をかき混ぜて島(日本)を作っているところ


ヒル(水蛭子、蛭子神蛭子命
日本神話に登場する神。蛭児とも。

古事記』において国産みの際、イザナギ伊耶那岐命)とイザナミ(伊耶那美命)との間に生まれた最初の神。しかし、子作りの際に女神であるイザナミから先に男神イザナギに声をかけた事が原因で不具の子に生まれたため、葦の舟に入れられオノゴロ島から流されてしまう。
後世の解釈では、水蛭子とあることから水蛭のように手足が異形であったのではないかという推測を生んだ。あるいは、胞状奇胎と呼ばれる形を成さない胎児のことではないかとする医学者もある。

Wikipediaより引用

日本神話におけるイザナギイザナミの国産みの際に生まれた最初の子ヒル


ここで思い出してほしいのが、白石の左足と岩の名前です。
白石の足に九匹の蛭が噛み付いていたこと。
そして岩の名前は九頭呂岩

一見、九にのみ着目してしまうところですが
「御昼山」=「日本神話」
「九頭呂岩」=「クトゥルフ神話
を繋げるものではないだろうか。


白石晃士監督はクトゥルフ神話が好きだというお話も前情報として得ていました。
その辺りを交え、神の正体について考えていきます。



日本神話とクトゥルフ神話

同じ神話でも日本神話とクトゥルフ神話はまるで別のものです。
しかし、ここで関係が全くないとも言いきれないんですよ。
クトゥルフ神話でこの作品のヒルコにより近い神が存在します。

アブホース(英:Abhoth)
クトゥルフ神話に登場する架空の神性。外なる神。

地底の空洞にわだかまる巨大な灰色の水溜まりのような姿をしており、その中からは絶え間なく灰色の塊が形成され、それが這いずりながら親から離れていこうとする。アブホースから延びている無数の触手は、そういった自らの落とし子をつかんで貪り食う行為を絶え間なく続けている。
アブホースは知性を持っており、テレパシーで会話が出来るが、 地上や人間に関しては疎く、興味も持っていないようである。

Wikipediaより引用


・這いずりながら親から離れていこうとする
→まるで捨てられたヒルコのようでもある。

・アブホースから延びている無数の触手
→九匹の蛭もその触手?

・知性を持っており、テレパシーで会話が出来る
→謎の声の正体?

・自らの落とし子をつかんで貪り食う行為を絶え間なく続けている
→人間を誑かし、貪る。


こじつけかもしれませんが、作中に語られた日本神話のヒルコとクトゥルフ神話のアブホースは同一と考えられるのではないでしょうか?



総評

ネカフェ難民を捉えた社会派モキュメンタリーとしての作品の完成度は高い。

悪魔は時として天使の姿で現れ、人を騙すとも言います。
まさにこの作品がそれ。

上記で超常現象や謎の声は神の存在を示すものと記述しました。
奇跡と信じるその現象も神の啓示も全てはだったわけです。

神の啓示から地獄行きの流れは宗教や信仰概念を揺るがし、穏やかに狂気の渦へと引き込まれ、じわじわと後から感じる恐怖と絶望感を体験する

異常な人間は、自分の異常さに気付かないもの。
信じたその奇跡もまた神の啓示として疑わないのだ。

ラストのうんこみたいな終わり方はリアルをフェイク、ノンフィクションをフィクションだと分からせる目覚めの薬、眠眠打破になってますね(笑)


終わりに

久しぶりの旧作記事になりましたが、この作品は観る人を選ぶ作品であることは間違いない。
自分はある程度何でも観れちゃう派なので楽しめましたが、興味のある方は是非。

自分は白石晃士監督の他の作品に興味がわいてきたので、少しずつ鑑賞していきますね(笑)

最後までお読みくださった方、ありがとうございました。

観る映画はどうやって選びますか?

目次




初めに

こんにちは、レクと申します。
今回は映画の感想や考察ではなく、雑談になります。
興味のある方は最後までお付き合いくだされば幸いです。



人生は選択の連続である

人生で追い切れないほどある映画。
そんな数多の映画作品の中からあなたはどうやって観る映画を選びますか?

※ここから先はいち提案であり、批判云々の類ではないことをご理解ください。


レンタルビデオ - Wikipediaより引用

例えば、映画を1本だけ借りようかな?と思い立って、ふらっとレンタルショップへ赴いたとします。
あなたはどうやって無数に陳列された映画の中から1本に絞りますか?

  • 新作コーナーから
  • パッケージとあらすじから
  • 好きなジャンルから
  • 好きな監督作から
  • 好きな俳優が出演してるから


どれもいいと思います。
しかし、これでは自分の殻を破ることは出来ません(笑)
なぜならこれらは必然的に自分の好みに偏ってしまうからです。


別にそれが悪いと言っているわけではないんです。
当然、自分の好みに偏るわけですからそれなりに好きな作品に出会える確率も高いでしょう。

しかし自分はそれでは「あー面白かった」で終わっちゃう作品が多いような気がするんです。
何というか、自分の枠に収めちゃう感じ。


ちなみに、自分の好みの映画はジャンル問わず心理描写がしっかりと描かれているもの。

自分は派手な演出よりも登場人物の心理描写がしっかりと描かれた作品が好みなんです。‬
その作品から自分が感じるもの、心に刺さる何かがどれだけあるか、によってその好みの度合いが決まります。



どうせ観るなら観た後に
「感動して泣きまくった」
「興奮して眠れない」
「どういう意味なのか考えて気がつけば朝になっていた」
「もうこの映画のことが頭から離れない」
「もう一度観たい」

抑えきれんばかりの感情を味わいたくないですか?

ちょっと大袈裟に言いましたが(笑)
少なくとも自分は、自分にとって掛け替えのない作品になるような1本に出逢いたいです。


上記を纏めて"満足感"としますが、その満足感を得るためには自分の枠を超えた作品と出会うことも必要なのではないか?
と思うわけです。



では、どうすればいいのか?
答えは至極単純なことです。

第三者がオススメする映画に触れてみること。

趣味の合う合わないは別として、他人がオススメされている映画を観ることで、自分の枠にとらわれない作品と出会う確率は格段に上がります。

とは言っても、他人がオススメされる映画の中には自分に合わない作品もあるでしょう。
つまらない映画をオススメしやがって!なんて考え方はしないでください(笑)

この作品をオススメされている方はこういう所が好きなんだーなど、いつもと違った視点から映画を観ることが出来るというメリットもあります。



わたくしの体験談で語るとするなら
昨年公開の映画「彼らが本気で編むときは、」

こちらでも記述させていただいてますが、昨年度劇場鑑賞作品、邦画ベスト1です。

この作品は公開当初、自分の選択として劇場鑑賞スルー作品だったんですよね。
レンタル配信されたら観てみようくらいの考えでした。

Twitterのフォロワーさん方のオススメや感想を観て、何気なしに「観てみようかな?」程度に思って観た作品が自分の心を鷲掴みにしたわけです。



これは周りの評価に流されることとは異なります。
あくまでも周りの評価は参考程度に留め、第三者の好きな映画を自分目線で観ることが大切だと思います。


声を大にして言いたい。

自分は他人の評価に流されて評価することが大嫌いです。



ということで
最近、Twitterで「1日1本オススメ映画」タグを再開しました。
そちらで紹介した10本の作品をこちらでも載せておこうかと思います。

未鑑賞の作品があれば、おひとりでも多く自分の好きな作品に触れていただけると嬉しいです。

心に響くものがなければすみません。



オススメ映画10

1.「ボルベール<帰郷>」


2.「21グラム」


3.「ツナグ」


4.エターナル・サンシャイン


5.「マウス・オブ・マッドネス」


6.「新 感染 ファイナル・エクスプレス」


7.A.I.


8.フェノミナン」


9.最高の人生の見つけ方


10.トゥルーマン・ショー




1月劇場鑑賞作品

1月に劇場鑑賞した映画でも素晴らしい作品がありました。


好きな順(1月劇場鑑賞全作品)

  1. 勝手にふるえてろ
  2. 8年越しの花嫁 奇跡の実話
  3. 祈りの幕が下りる時
  4. デトロイト
  5. 嘘を愛する女
  6. キングスマン:ゴールデン・サークル
  7. ジオストーム
  8. DESTINY 鎌倉ものがたり
  9. 悪と仮面のルール



この二作はずば抜けて素晴らしい作品でした。
劇場での上映が終了している地域もあると思いますが、レンタルされてからでも是非観ていただきたい作品です。



企画に乗っかる

去年に話題となったのがこちら。

大手レンタル店TSUTAYAさんで行われた企画。
パッケージを伏せ、その映画の概要のみを記載するという斬新なもの。

これもまた、他人がオススメするワードと同じように文面で興味の惹かれるものがあると思うんですよ。

非常に面白い試みだと思います。
こういった企画に乗っかると、普段自分で選ばないような映画と出逢える機会は増えます。

結果はどうあれ(笑)

この企画の場合、フィルマークスの評価3.7以上の作品に絞られているとのことですが
他人の評価を鵜呑みにするということではなく、TSUTAYAさんの一般的評価の高い映画のオススメという形とも言えるでしょう。



終わりに

と、ここまで映画の選び方について語ってきましたが、ここからは持論です。


時には思い切りの良い選択方法も面白いと思います。
観るからには面白い映画を観たい!
って感覚も分かるんですが(笑)


映画は"感覚"で観るもの。
一部を覗いて。

予告動画やあらすじ、監督や出演などなど…観る前からあれこれ考えるのではなく、選ぶ際にも"直感"でいいと思うんですよね。

自分は予告動画などから得られる情報で勝手にイメージを付け、その先入観や固定概念が評価を左右しちゃうんじゃないか?と思ってる側で、あまり前知識は入れないようにしています。


Twitterの「1日1本オススメ映画」タグは同じ作品でもそれぞれ違った観点から自分の言葉でご紹介されているので、本当にオススメです。

何を観ようか悩んでいる時、参考にしてみるのも一つの手ですよ!



最後までお読みくださった方、ありがとうございました。

映画「祈りの幕が下りる時」ネタバレなし

目次




初めに

おはようございます、レクと申します。
今回は昨日鑑賞した「祈りの幕が下りる時」について少しだけ語っています。

『新参者』シリーズ完結ということで、過去作品も含めネタバレはなしです。



作品概要


(C)2018 映画「祈りの幕が下りる時」製作委員会

製作年:2018年
製作国:日本
配給:東宝
上映時間:119分
映倫区分:G


解説

阿部寛主演、東野圭吾原作による「新参者」シリーズの完結編。東野の人気ミステリー「加賀恭一郎シリーズ」第10作の映画化で、2010年に放送された連続ドラマ「新参者」、2本のスペシャルドラマ、映画「麒麟の翼 劇場版・新参者」に続き、阿部が主人公の刑事・加賀恭一郎を演じる。父との確執、母の失踪など、これまで明かされることがなかった加賀自身の謎が明らかとなる。東京都葛飾区小菅のアパートで滋賀県在住の押谷道子の絞殺死体が発見された。アパートの住人も姿を消し、住人と押谷の接点は見つからず、滋賀県在住の押谷が東京で殺された理由もわからず捜査は難航する。捜査を進める中で加賀は、押谷が中学の同級生で演出家の浅居博美をたずねて東京にやってきたことを突き止めるが……。演出家の浅居博美役を松嶋菜々子が演じるほか、山崎努及川光博溝端淳平田中麗奈伊藤蘭小日向文世らが顔をそろえる。監督は「半沢直樹」「下町ロケット」「3年B組金八先生」など数多くのヒットドラマを手がけた福澤克雄
祈りの幕が下りる時 : 作品情報 - 映画.comより引用


予告編




東野圭吾のミステリー

東野圭吾の作品、すべてを網羅しているわけではありません。
なので、自分が読んだ小説、そして映像化されてきた作品からの印象でしか考えることはできませんが、その辺は目を瞑ってください(笑)


東野圭吾原作で最も好きな作品は
容疑者Xの献身です。

ドラマ「ガリレオ」シリーズの劇場一作目。
個人的には小説は勿論のこと、邦画の中でもベストに入るくらい思い入れもあればミステリーとしての評価もしています。


ずばり言うと
東野圭吾の手掛けるミステリーは"そうせざるを得ない理由"をもの哀しい物語に溶け込ませることが非常にうまいと思うんです。

人の行動の是非を問う、善悪の境界線が曖昧となる絶妙な部分を突いてくるんですよ。
その上で、悲壮感漂う雰囲気が秀逸。

それは本作品でも存分に活かされています。



新参者

さて、早速本題へと入っていきますが、その前に。

「新参者」シリーズの完結ということで、本作祈りの幕が下りる時を観るにあたり、予習(過去作品の鑑賞)は必要か?というお声をいただいたのでこちらでも書かせていただきますね。

答えは、厳密に言えばイエスです。
ある程度このシリーズの小説を読んでいる、もしくは映像化された作品を観ている方は加賀恭一郎という人物像、魅力を分かっていただけるでしょう。
逆に「新参者」シリーズに触れていない方がいきなり本作品本書を観たとして、それが伝わるかどうか分かりません。


勿論、過去作品すべてを観てから本作に臨むのが最も好ましいとは思いますが、最低限押さえておくところとすれば、ドラマ「新参者」映画「麒麟の翼」でしょう。

過去作と本作との事件に直接的な関わりはありませんが、人物相関図として把握すべき部分はあると思います。

前日譚であるスペシャルドラマ「赤い指」「眠りの森」はあくまでも加賀恭一郎という人物の補完という感じなので、本作鑑賞前後どちらで観ても特に問題はないかと。



本作の話に入ります。
まずはTwitterに挙げた感想から。


本作は予告編やキャッチコピーにもあるように
『事件の、は俺。俺なのかー』

加賀恭一郎の身辺が事件に関わってきます。
この点からも、「新参者」シリーズに触れているか否かで大きく印象が変わってくるでしょう。



そもそも、「新参者」シリーズの魅力は加賀恭一郎という人物が解決の糸口を見つけてから畳み掛ける推理劇なんですよね。
そこに垣間見える登場人物たちの人間味ある心理描写がまた素晴らしいんです。

無駄足を踏んででも散り散りになったパズルのピースをひとつひとつ繋いでいく。
その過程で、想像もしなかった真実が浮かび上がる。

これが基本構造なんです。


事件自体はこう言ってはなんですが、ニュースで流れていそうな平凡で地味なもの。
人が亡くなっているのに言い方は悪いですが、ミステリー小説としては地味なんですよ。

そこに加賀恭一郎という人物を充てることで、登場人物たちの心理も明らかとなり、魅力ある一つの作品となり得るんです。



本作も地味な事件と加賀恭一郎の組み合わせで魅力を引き出した作品…にはなるのですが、過去作と違うところは
今まで以上に加賀恭一郎が事件に関わること。
そして事件に無関係な人間の今まで表面立って描かれなかった様々な想いを、事件解決の過程で汲み取ってすくい上げていくことになる。

という点です。


ここが本作最大の魅力であり、個人的にですがシリーズ完結にして最高傑作と言える部分なんです。


あくまでシリーズ完結にして最高傑作です。
裏を返せば、加賀恭一郎なしにこの作品ひとつでどこまで魅力があるのかと言うと難しいのではないかと思うわけです。

親と子の関係性、人生の選択、加賀恭一郎を絡めずとも重く切ない物語に違いはないんですが。

少なくとも自分はシリーズとして最高の終わり方をしたと思っています。



終わりに

主題歌はJUJUさんの「東京」。
親子の愛とすれ違い、本作にも通ずるPVが素晴らしいので、こちらも。


ということで、拙い文面で「新参者」シリーズの魅力が伝わったかどうかは分かりませんが、是非ともドラマ「新参者」と映画「麒麟の翼」を観て劇場へ足を運んでもらいたい。
この観た後にしか味わえない気持ちを味わってもらいたい。

少しでも興味がある方はよろしくお願いします!



最後までお読みくださった方、ありがとうございました。


関連作品

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自分の人生とは何か?(「嘘を愛する女」ネタバレ考察)

目次




初めに

こんばんはレクと申します。
今回は「嘘を愛する女」について書き綴っていきます。

ネタバレを含みますので、ご注意ください。



作品概要


製作年:2018年
製作国:日本
配給:東宝
上映時間:118分
映倫区分:G


・解説

長澤まさみ高橋一生が共演し、恋人の大きな嘘に翻弄されるキャリアウーマンの運命を描いたラブサスペンス。オリジナルの優れた映画企画を募集する「TSUTAYA CREATORS' PROGRAM」の第1回でグランプリを受賞した企画を映画化した。食品メーカーに勤める川原由加利は、研究医である優しい恋人・小出桔平と同棲5年目を迎え、公私ともに充実した日々を送っていた。そんなある日、自宅で桔平の帰りを待つ由加利のもとに、警察が訪ねてくる。桔平がくも膜下出血で意識を失っているところを発見されたのだが、桔平の所持していた運転免許証や医師免許証はすべて偽造されたもので、職業も名前も全てが嘘であると判明したのだ。ショックを受けた由加利は桔平の正体を突き止めるべく、私立探偵の海原匠と彼の助手キムに調査を依頼。やがて、桔平が書き溜めていた700ページにも及ぶ未完成の小説が見つかる。その内容をもとに、いまだ病院で眠り続ける桔平の秘密を探るため瀬戸内海へと向かう由加利だったが……。「ゆうちょ銀行」など数々の人気CMを手がけた中江和仁長編映画初メガホンをとった。
嘘を愛する女 : 作品情報 - 映画.comより引用


・予告編





嘘を愛する

ミステリーとしての核の部分である"嘘"

上映前の予告映像しか確認してませんでしたが、予告から想像できるようなミステリー色はあまりなく、どちらかと言えばラブストーリーであり、人間ドラマでしたね。


恐らく、ミステリーとして観ると物足りない感はあるかもしれません。
想像の範囲内ではありました。

だが、純粋にこの作品が示す"嘘"を通して伝えたいことを感じ取れば鑑賞後に心地良さを得ることが出来ることでしょう。



この核となる"嘘"は想像の範囲内と言いました。
それはあくまでも高橋一生さん演じる小出桔平(偽名)が嘘をついていた理由が想像できる範囲内であるということであり、そこはこの物語で重要なポイントではない。

桔平(偽名)が嘘をつき、身分を隠していたことの真意が二人を繋ぐ重要なポイントだと思います。


その部分を彼の手掛ける創作小説から、小出桔平(偽名)という一人の男を綴る人間ドラマへと仕立てた脚本が素晴らしい。

桔平の書いていた創作小説は過去の輝かしい想い出が綴られていました。
そう思い込ませるようにミスリードされていたわけですが。


しかし、実際その創作小説の真相は過去の自分との決別、そして新たに出逢えた大切な人との未来予想図が綴られていたことを知る。
創作小説が桔平と由加利とをつなぐもの、愛の絆となり得たのです。



この作品は
嘘を愛するとは嘘を受け入れること。
そして
"嘘"を通して相手への気持ち"愛"を再確認する物語
なんですよ。


人間、誰しもが全てを曝け出して生きているわけではありません。
人には隠しておきたい過去がある。

でも、それも含めてその人の人生なのです。
創作小説は桔平にとっての家族愛、人生が詰め込まれたものだったんです。



芥川龍之介と小出桔平

桔平が執筆する喫茶店で桔平は芥川先生と称されてました。
芥川とは皆さんご存知の芥川龍之介ですね。
また、作中の別シーンで太宰の名前も出ます。
太宰とは勿論、太宰治のことですね。

共に心中や自殺をイメージさせる日本文学における著名人。
今回は芥川龍之介について掘り下げていきます。

芥川龍之介
1892年(明治25年)3月1日 - 1927年(昭和2年)7月24日
日本の小説家。本名同じ、号は澄江堂主人(ちょうこうどうしゅじん)、俳号は我鬼。

「続西方の人」を書き上げた後、斎藤茂吉からもらっていた致死量の睡眠薬を飲んで自殺した。服用した薬には異説があり、例えば、山崎光夫は、芥川の主治医だった下島勲の日記などから青酸カリによる服毒自殺説を主張している。

Wikipediaより引用


代表作は「鼻」「羅生門」「蜘蛛の糸」「地獄変」などがあります。
個人的には彼の作品を読んだ印象として、芥川龍之介という人物は「何故」という自問自答にも思える問いかけを作中に残す作家だと思うんですよ。
全てを読めてないので、読んだ作品がたまたまそうだったのかもしれませんが。


例えば「鼻」ではコンプレックスである欠点を直したが、更にそのことを笑いものにする人の醜い心の内を。
羅生門」では、生きる為の悪行は悪なのか?を問いかける。



そんな中で芥川龍之介はこんな作品を残しています。
或阿呆の一生


この作品を読んだ時に、「地獄変」をふと思い出したんですよね。

また芥川の身辺でも「地獄変」と似た結末の出来事が起こりました。
中国旅行中に肋膜炎を患った芥川は心身の病気を発症。
そんな時、芥川の義兄の家が焼失し、放火の嫌疑を受けた義兄は自殺してしまったそうです。

芥川龍之介という作家の人生もこうだったのかなあとさえ思ったほどです。
芥川の考える人生の結末と、周りが見る人生の結末の真相は別なのではないか?と。


自分の人生とは何か?
そんな問いかけから導き出した答えはこの作品に記述されている「一生」という言葉が全てを物語ってます。

本来、自叙伝というものは今までの人生を振り返る言わば「半生」を書き綴るものなんです。
或阿呆の一生」は芥川自殺直後に見つかった自叙伝ですが、勿論生前に書かれたもの。
「半生」ではなく「一生」と書かれたことから、芥川自身の人生は既に終わりを迎えていたのかもしれません。


彼が何故自殺をしたのか?
その真意は本人にしか分かり得ません。
ただ言えることは、この作品から察するに己の人生を後悔していたのではないだろうかということ。
そして、人生の終着駅に自ら命を絶つことを選んだということ。


或阿呆の一生」と高橋一生(桔平)
過去への未練や後悔を孕む人生観は重なる部分が多いでしょう。

芥川龍之介と小出桔平の異なる点は

そんな辛い過去を乗り越えられる可能性を見つけたこと。
それが由加利の存在であり、想い描く人生だと思うんです。



世界の中心で(マジンガー)Zと叫ぶ

さてさて、ここで印象的なマジンガーZに触れておきましょう(笑)


冒頭に桔平がタブレットで「これじゃ無いんだよなあ…」なんて探していたオモチャのマジンガーZ
部屋に飾られたマジンガーZのフィギュアからも、一見オタクなのか?と匂わせる描写となっていました。

桔平が嘘をついていたこと、そしてくも膜下出血で倒れてしまったことで、由加利は桔平の私物を処分します。
その時に床に落ちていたフィギュアもマジンガーZ
踏みつけたマジンガーZは如何にも由加利と桔平の関係のように破損してしまっていましたね。

愛し合った5年という歳月すらも嘘なのではないか?
苛立ちを隠せず人にあたってしまう由加利を見るのが辛かった。


そんな中で、真相を探るべく四国の瀬戸内へと向かった由加利。

中盤からこのマジンガーZが重要な伏線になっています。
創作小説が記す蝋燭のように見える灯台で見つけた筒の中からマジンガーZが出てきたではありませんか!


この時、思わず
ゼーーーーーーット!!!
と叫びたくなりましたね(笑)

いや、むしろ吉田鋼太郎演じる私立探偵、海原なら叫んでもおかしくなかった。


原稿に綴られていた桔平の手掛かりでもあった夕日に照らされて蝋燭のように見える灯台
言い換えれば、桔平の過去の想い出の中心にあたる場所。

世界の中心で(マジンガー)Zと叫ぶ


そう、このマジンガーZのフィギュアは
過去に失ったものを再び手にすることが出来るのか?
を暗示するものなんです。


マジンガーZのフィギュアは原稿にも綴られていた通り子どもの頃の"宝物"
では桔平にとっての宝物とは一体なんなのか?

それは"家族"です。
過去に失ったもの、それを再び手にすることは出来るのだろうか?
そんな罪悪感から「俺にはそんな資格ない。」という心の声が漏れたと思います。

自分の過去に苦しみ、打ち明けられず、それでも由加利が欲しがっていた男の子と家族三人で手を繋ぐ暖かな姿を想像し、書き綴っていた桔平の胸中の想い。

それは原稿に綴られた桔平が想い描く理想の家族像であり、人生における"宝物"なのでしょう。


そして、マジンガーZを見つけ出し、手にした由加利は桔平との家族愛を手にすることを示唆させる。
かつての桔平家族が住んでいた家を訪れたシーンでも隣人の問いに対して、由加利は桔平の妻だと答えました。
ここからも由加利の桔平に対する想いは固まっていたと思います。



また、マジンガーZには幾つかの必殺技があります。
ブレストファイヤーやルストハリケーンなどもありますが、今回はロケットパンチとアイアンカッターに着目します。

マジンガーZ
永井豪の漫画作品、原作者を共にする東映動画制作のテレビアニメ、桜多吾作によるコミカライズ作品の題名、またこれら3作品で描かれる主役の巨大ロボットの名称。

ロケットパンチ
両腕の肘から先が分離し、光子力ロケットで飛行、敵を貫く。飛行速度はマッハ2で誘導も可能。第19話では空飛ぶ機械獣を引きずり降ろすためにチェーン付きで発射。指からのジェット噴射で再度腕に戻る。中盤以降は後部のロケットを噴射したままバックで腕に戻ることが多くなった。

アイアンカッター
ロケットパンチの強化版。前腕部から左右に飛び出す斧状の刃で敵を切り裂く。もりもり博士による設計で第59話から使用した。刃は腕を切り離さない常態でも使用することが出来る。

Wikipediaより引用


灯台で見つけ出したマジンガーZは片腕がなかったのに気が付かれましたでしょうか?
恐らく、子どもならロケットパンチを飛ばして遊んだことでしょう。
その時に紛失したと考えられます。

ロケットパンチは発射して相手を攻撃し、噴射によって手元に帰ってくる仕組みとなってます。
これは過去の桔平の家族のメタファーであることは間違いないでしょう。


この物語のラストシークエンス。
桔平の病室に飾られたマジンガーZの腕には何とアイアンカッターが取り付けられていたんですよ!
アイアンカッターはロケットパンチの強化版。
つまり、桔平と由加利の愛がより一層強まったことを表し、尚且つ家族愛を取り戻すことが出来たということ。

マジンガーZなくしてこの作品は語れませんね!



終わりに

このタイミングで
映画マジンガーZ INFINITY」
を観てないことが悔やまれます。

とは言ってもあまり興味もないので観に行かないと思いますが(笑)


高橋一生さんも長澤まさみさんも演技は申し分ないですね。
台詞のタイミングや間の取り方、表情や所作、言葉で伝えること以上の何かを感じさせてくれる演技なんですよね。
勿論、吉田鋼太郎さんはじめ脇を固めた俳優さん方も素晴らしいんですが。


原作とは内容が異なるそうなので、原作も読んでみようと思います。

最後までお読みいただいた方、ありがとうございました。



(C)2018「嘘を愛する女」製作委員会

妄想のバイブル(「勝手にふるえてろ」ネタバレ考察)

目次




初めに

こんばんは、レクと申します。
今日は昨年見逃した映画「勝手にふるえてろ」を鑑賞してきました。

相も変わらず、Twitterにはおバカな感想を垂れ流しましたが、いつも通りひとつのことを深堀りしていこうかと思います(笑)
興味のある方は最後までお付き合いください。

この記事はネタバレ含みます。
未鑑賞の方はご注意ください。



作品概要


製作年:2017年
製作国:日本
配給:ファントム・フィルム
上映時間:117分
映倫区分:G


・解説

芥川賞作家・綿矢りさによる同名小説の映画化で、恋愛経験のない主人公のOLが2つの恋に悩み暴走する様を、松岡茉優の映画初主演で描くコメディ。OLのヨシカは同期の「ニ」からの突然の告白に「人生で初めて告られた!」とテンションがあがるが、「ニ」との関係にいまいち乗り切れず、中学時代から同級生の「イチ」への思いもいまだに引きずり続けていた。一方的な脳内の片思いとリアルな恋愛の同時進行に、恋愛ド素人のヨシカは「私には彼氏が2人いる」と彼女なりに頭を悩ませていた。そんな中で「一目でいいから、今のイチに会って前のめりに死んでいこう」という奇妙な動機から、ありえない嘘をついて同窓会を計画。やがてヨシカとイチの再会の日が訪れるが……。監督は「でーれーガールズ」の大九明子。2017年・第30回東京国際映画祭コンペティション部門に出品され、観客賞を受賞した。
勝手にふるえてろ : 作品情報 - 映画.comより引用

・予告編




この恋、絶滅すべきでしょうか?

この作品で特に気になったのが"水"の描写。
すべての恋愛ポイントで"水"が絡んできます。
ここら辺をヨシカの恋愛と絡めて考察していきます。



  • 500mlのミネラルウォーター

ニが酔いつぶれたシーン。

ミネラルウォーターに特にこれといった意味はありません(笑)
ただ、ニの想いを受け取る瞬間の機会を作ったものではありますね。

背中をさすってあげたり、こじらせ系女子ヨシカの優しい一面も垣間見れます。


  • 危うく火事に

浮かれて眠ってしまってストーブで布団を燃やし、湯船に張った水で鎮火するシーン。
これはニから人生で初めて告白されて舞い上がったヨシカの気持ちを表し、一度落ち着かせた瞬間。
ヨシカの心理状況が伝わります。

私事ですがこの日、ストーブ付けっぱなしで映画を観に来ていたようで、帰宅してドキッとしてしまいましたね。
自分は告白なんかされてないので火事にはなっておりませんが(笑)



  • 川釣りデートとパワースポットである滝

「釣った魚に餌はやらぬ」
親しい間柄になったあとは、相手の機嫌をとる必要はないという諺ですが、魚を釣る描写は一切なく、ニとは親しい間柄でもない心の距離感を表しています。
逆に釣り糸が絡む演出は後に運命の糸を絡ませることを示唆するもの?

滝の前で神に祈るようにイチの母親に電話するヨシカ。
これをきっかけにイチとの再会と東京に住んでいるという貴重な情報をゲットしたわけですね(笑)
神様!お母様!様様です!


  • 上京組の集まり

イチが東京住みという神様からの贈り物のお陰で上京組で集まることとなったタワーマンションにて。

この時のニの距離感がかなりキモい(笑)

都合よく一人になった時にイチが水を飲みに戻ってきました。
イチとまともに話せたシーンでもありますね。
いじられ続けることへの嫌悪感から他人との距離を置くようになっていた、とイチの人物像を知ることができます。
ヨシカとイチとの間で価値観のズレが生じた瞬間でもあります。

アンモナイトの話題で盛り上がるも、イチが自分の名前を覚えてないというショックな事実。
ヨシカ自身も他人の名前に興味がなく、「名前を知らない=無関心」と受け取ってしまったのでしょう。


  • 歯磨きとうがいの音

ミュージカル調になったシーンで露になりましたが、冒頭から見せられていた日常会話は全てヨシカの妄想でこうなりたかった自分の理想の可視化。
イチとの想い出話に花を咲かせ、イチへの想いを馳せる。

何度も流れた一見不要とも取れる歯磨きシーンとうがいの音と同じように、ヨシカの日常的であったその妄想も毎日、脳内で吐き出していたことを表します。


突然、ミュージカル調になった理由も考えてみます。
冒頭からこのミュージカル調までは、恰もこれが現実であるかのように描写されていたご近所や街中の人々との付き合い。
ミュージカル調に仕立てたのはそんな日常と区別するためのひとつの演出でしょう。
そしてミュージカル調にすることで心の中の想いをぶちまけ、単なるセリフではなく音で鑑賞者側へと伝える

アンモナイトに生きる術を問う」
これはまるで自問自答のようでもある。
一見、変化球のようですがここでこの演出を持ってきた点は個人的にかなり評価できます。


  • トイレで涙するシーンの流水音

イチの想いを断ち、ニとデートを重ねて付き合うことに。

そしてキスを避けたことから同僚の来留美がヨシカは処女だという秘密をニに伝えたことを知ります。

トイレで泣きじゃくる音を誤魔化すように何度も押されるトイレの流水音。
これは信頼していた来留美、処女だとバレたニ、そして会社との関係を水に流す、つまり白紙にするという彼女の意思表示。
流水音って連打すると違和感しかない(笑)

自分を好きでいてくれるニの存在。
直視できなかったヨシカの「視野見」からの成長。
向かい合って行うスポーツ、卓球からも読み取れるように、自分と他人とのコミュニケーションにちゃんと向き始めたヨシカだったが、自分の知らないところで他人と他人のコミュニケーションによって自分が蔑ろにされていると気づきショックを受けたのでしょう。


  • 雨の日の初キス

なんやかんやでニからの着信を待ちながら電話を掛けるもニはヨシカを着信拒否。
ここ一番笑いました、fxxk!(笑)
偽名を使って連絡を取り、ニを呼び出すヨシカ。
雨はすべてを洗い流してくれました。
「雨降って地固まる」ってやつです(笑)

二人が本音をぶつけ合い、決め台詞「勝手にふるえてろ」からの初キス。
このシーンは後程改めて記述します。


ヨシカがWikipediaを見るだけで夜更かし出来るほど熱中する絶滅種。
そのひとつ、海の生き物アンモナイト

そしてイチとの思い出、過去へと遡る際に流れるBGM。


アンモナイトの化石標本(裁断面)

アンモナイト
古生代シルル紀末期(もしくは、デボン紀中期)から中生代白亜紀末までのおよそ3億5,000万年前後の間を、海洋に広く分布し繁栄した、頭足類の分類群の一つ。全ての種が平らな巻き貝の形をした殻を持っているのが特徴である。

等角螺旋
アンモナイトの殻(螺環)の外観は一見しただけでは巻き貝のそれと同じようにみえるが、注意深く観察するとそうではない。一般的なアンモナイトの殻は、巻き貝のそれと共通点の多い等角螺旋(対数螺旋、ベルヌーイ螺旋)構造を持っていることは確かであるが、螺旋の伸張が平面的特徴を持つ点で、下へ下へと伸びていき全体に立体化していく巻き貝の殻とは異なり、巻かれたぜんまいばねと同じような形で外側へ成長していくものであった(もっとも、現生オウムガイ類がそうであるように縦巻きである)。



ニッポニテスの化石(国立科学博物館の展示)

異常巻き
通常のアンモナイトの殻は同一平面に螺旋に巻いた渦巻状の形態である。ところが中生代も後期の白亜紀に入ると、「異常巻き」と呼ばれる奇妙な形の種が数多く見られるようになってくる。細長く伸びたようなものや、紐がもつれたような非常に複雑な形状のものなど、様々な形態が現れ(ニッポニテスが有名。左の画像参照)、過去の研究者を悩ませた。これらは系統進化上の“寿命”なるものが尽きることで引き起こされた一種の末期的な畸形(きけい)の症状であると見なすのが旧来の説だったが、現在は浅海域が発達した白亜紀という時代の環境に因を求め、そこに生じた複雑なニッチ(生態的地位)に適応して様々な生活型のアンモナイトが分化した結果であるという説が唱えられている。
Wikipediaより引用

中学生の頃からずっと片想いのイチ。
同僚で自分のことを好きになってくれたニ。
二人の間で揺れ動くヨシカの恋愛模様が面白いんですが、この絶滅種であるアンモナイトはヨシカの比喩なんですよね。


一見、外見は普通の独身26歳の女性なんです。
しかし、実際は誰とも付き合ったことがなく、妄想を膨らますこじらせ系女子

アンモナイトが垂直ではなく螺旋の外側へ平面的特徴に伸張するように、彼女の恋愛も中学生の頃から片想いのイチへの想いばかりが膨らみ、平面的であること

そして、ニと出逢い、告白されることでヨシカの想いが揺らぎ始める。
アンモナイトの紐がもつれたような複雑な形状のものへと適応したようにヨシカ自身の恋愛模様も複雑なものへと変わっていく
また、社会に適応するためにひねくれていったヨシカの性格の自己投影でもあるのでしょう。



では何故回想シーン導入時に水のBGMが流れるのか?

自分が思うに、海の底へと沈むように過去の記憶の中へと潜っていくひとつの演出ではないかと。
目を閉じ足を閉じるスタイルからもその事を示唆させます。

浮遊型遊泳動物であるイカや海底を匍匐するタコのように、ヨシカの比喩である絶滅種アンモナイトは過去の記憶という大海原を生きているんです。


かなーりこじつけましたが、"水"の描写があるポイントで恋愛が関係していることがわかっていただけると思います。



勝手にふるえてろ

さてさて、上記に記述しました初キスですが、何故ヨシカはキスをする前にタイトルでもある決め台詞勝手にふるえてろを言葉にしたのでしょう?


まず、ヨシカはイチに名前を覚えられていませんでした。
そしてヨシカ自身も周りの興味ない人の名前を覚えられない。

恋愛において辛いことはフラれることじゃなく、相手の中に自分が存在しないことなのではないでしょうか?

自分は他人に興味がないが、他人は自分に興味を持ってると思い込んでいること。
ヨシカという人物を通して警鐘を鳴らすSNSの怖さ


そんな中、ニはヨシカのことを江藤さん(後にヨシカ)と呼んでいます。
「名前」はイチとニを対照的に描き、またヨシカ自身の他人への無関心さも浮き彫りにした重要な要素なんです。

ヨシカがニの名前を初めて呼んだことにより、ヨシカはニを受け入れたということ。
そして、ニはヨシカに受け入れてもらった。
その後の台詞勝手にふるえてろ
これは自分自身、ニへと向けられた言葉でもあり、脳内妄想イチへ向けられた言葉でもあると思うんですよ。



キャッチコピー
「この恋、絶滅すべきでしょうか?」
この絶滅とはイチへの恋であり、ニの存在がヨシカの恋愛観を変えてしまった。
アンモナイト異常巻きのように。

イチへの10年の片想いと妄想を馳せていたヨシカが新たな恋愛へと踏み出した相手、ニ。
彼と付き合いが始まったとしても、絶滅しても記憶として後世に残るように、ヨシカの脳内には常にイチの記憶が残っています。
ヨシカにとってイチはそれだけ大きな存在であり、脳内妄想としてこれからも残っていく。
オタク女子が二次元の彼氏を脳内に置くように、ヨシカもまた脳内に天然王子を召喚し続けることでしょう。

今まで理想を追いかけるばかりだったヨシカが逆の立場になり、妄想ではなく現実で幸せを手にしようとしている、ある種の武者震いのように勝ち誇ったように口にした言葉
勝手にふるえてろ」にふるえましたね。




また、このシーンで自分が手放しで褒められる"ふるえる"ような演出がありました。
ヨシカとニを繋いだ赤い付箋です。

ヨシカの左胸に貼られていた赤い付箋が雨で濡れたニのシャツに落ち、毛細管現象で徐々に濡れていく様は、ヨシカかニの恋愛観に染まっていく様子、そして裸体を見せない二人の濡れ場シーンなんですよ!

"水"の描写がヨシカの恋愛に絡むと上記でも記述しましたが、この演出には脱帽です。



終わりに

いつも綺麗にオシャレに着飾っているよりも、少しだらしなくて生活感が垣間見得る瞬間って好きなんですよ。
何故かって、その人の本質を感じられるから。


案外、こういう女性の方が男性陣ウケするんじゃないかと思うわけですよね。

作中にも出てきましたが"自然体"で居れること。
ここは激しく共感しました。


色々な恋愛観に響く何かを含んだ凄い作品ではないかと思うんですよ。
生々しい心理描写、リアルな心変わりはある意味で恋愛のバイブルにもなり得る。
…いや、恋愛未満の話なので妄想のバイブルですね(笑)

理想と現実、濃度は違えど人が内包するものであることは間違いない。

恋愛経験ゼロのこじらせ系女子が大人の恋愛とはいかないものの、恋を通して成長する物語。
その不安定さを持つヨシカを演じきった松岡茉優さんにふるえが止まりません。



原作も読んでみたいと思います。

勝手にふるえてろ (文春文庫)

勝手にふるえてろ (文春文庫)

最後までお読みいただいた方、ありがとうございました!




(C)2017映画「勝手にふるえてろ」製作委員会

「8年越しの花嫁 奇跡の実話」ネタバレ感想・考察

目次


初めに

こんにちは、レクと申します。
今回は「8年越しの花嫁 奇跡の実話」を観てきました。

初めに申し上げておきますが
実話ということ。
そして感動する、泣ける映画という謳い文句の映画では私、あまり泣けない方でございます。

…泣いた。


出オチ感すごいですが、その事を踏まえた上で最後までお付き合いくだされば幸いです(笑)

この記事はネタバレを含みます。
未鑑賞の方はご注意ください。



作品概要


製作年:2017年
製作国:日本
配給:松竹
上映時間:119分
映倫区分:G


・解説

YouTube動画をきっかけに話題となり、「8年越しの花嫁 キミの目が覚めたなら」のタイトルで書籍化もされた実話を、佐藤健&土屋太鳳の主演で映画化。結婚を約束し幸せの絶頂にいた20代のカップル・尚志と麻衣。しかし結婚式の3カ月前、麻衣が原因不明の病に倒れ昏睡状態に陥ってしまう。尚志はそれから毎朝、出勤前に病院に通って麻衣の回復を祈り続ける。数年後、麻衣は少しずつ意識を取り戻すが、記憶障害により尚志に関する記憶を失っていた。2人の思い出の場所に連れて行っても麻衣は尚志を思い出せず、尚志は自分の存在が麻衣の負担になっているのではと考え別れを決意するが……。「64 ロクヨン」の瀬々敬久監督がメガホンをとり、「いま、会いにゆきます」の岡田惠和が脚本を担当。
8年越しの花嫁 奇跡の実話 : 作品情報 - 映画.comより引用


・予告編




泣ける作品とは何か

まずですね、言葉は悪いかもしれませんが実話であるという事実は自分にとっては些細なものなんです。

勿論、病気を患いながらも治療し、努力を積み重ね、幸せな家庭を築いた麻衣さんも、麻衣さんを支えたご家族と尚志さんも本当にすごいと思います。
ただこれは作中にあったように我々との間には「家族ではない」という大きな壁があって、その心境、胸中の想いはそこに立ち会った人にしか分からないものだと思ってます。

いくら感傷的になったとしても、第三者である以上、その事実はなかなか埋まるものでは無い。


よく、感情移入という表現がされて「泣けなかった」や「感動しなかった」といった感想を目にすることがあります。
演出や演技によってはそう感じることもあるでしょう。
そもそも、自分は普段から俯瞰的に見てしまっているのかもしれません。

今作において、泣いた、泣いてしまった理由は知らず知らずのうちに映像や演出により感情移入してしまっていたのかもしれない。



映画とは感じるまま、感情的に受け取ることが純粋な感想、理想的な鑑賞方法ではないか。

子供の頃に観た映画はそうでした。
頭では考えず、純粋に心で感じたまま「面白い」「楽しい」「つまらない」といった感想が出てきました。

しかしながら、大人になるにつれて感じることよりも考えることが優先され、純粋に楽しむということができなくなってきているのも事実です。

此度は考えることよりも感じたことの方が多かったように思えます。
それが自分にとっての泣ける映画のひとつの基準なのかもしれません。



では一体この作品のどこが自分にとっての泣けるポイントだったのか。
先程、感じたと言いましたが、その部分について理性的に考えてみたいと思います(笑)

直感より考えて動くタイプなのですみません。



まず特筆すべきは主演の佐藤健さんと土屋太鳳さんの演技ですね。

佐藤健さんはどこか気弱で、それでも心に一本芯の通った好青年を演じきり、頼りない感じに見えてもしっかりと相手のことを考えることの出来る包容力を感じました。
苦しい時ほど笑顔を見せ、深い愛情というよりも心が強い人なんだなあという印象です。

土屋太鳳さんは飛び抜けて可愛い笑顔は置いといて(笑)
発症前後のギャップ。
明るくアクティブなイメージを覆すほどの発症時の迫真の演技。
回復の兆しが見えてからの尚志を見る表情はまるで別人のようです。


また、麻衣のご両親、尚志の職場の方々、ウェディングプランナー、周りを取り巻く人達も二人を想う気持ちが見て取れる。

恋人同士の愛だけではなく、二人を支える周りの愛も感じられました。



麻衣さんが発症した原因不明の病は「抗NMDA受容体抗体脳炎」というものだそうです。

抗NMDA受容体抗体脳炎
脳の興奮性神経伝達物質であるグルタミン酸の受容体、NMDA型グルタミン酸受容体に自己抗体ができることによる急性型の脳炎である。致死的な疾患である一方、治療により高率での回復も見込める疾患である。卵巣の奇形腫などに関連して発生する腫瘍随伴症候群と考えられているが、腫瘍を随伴しない疾患も多数存在している。2007年1月ペンシルバニア大学のDalmau教授らによって提唱された。ある日から突然、鏡を見て不気味に笑うなどの精神症状を示しだし、その後、数か月にわたり昏睡し、軽快することが自然転帰でもあるため、過去に悪魔憑きとされたものがこの疾患であった可能性が指摘されており、映画『エクソシスト』の原作モデルになった少年の臨床像は抗NMDA受容体抗体脳炎の症状そのものと指摘されている。また、興奮、幻覚、妄想などいわゆる統合失調症様症状が急速に出現するのが本疾患の特徴であるため、統合失調症との鑑別も重要である。
Wikipediaより引用


別名「エクソシスト」とも言われ、病院に運び込まれた時は目の色が変わり、まさに悪魔憑きのようでしたね。


Warner Bros. Pictures / Photofest / ゲッティ イメージズ

映画『エクソシスト』写真005 - シネマトゥデイより引用



タイトル「8年越しの花嫁」。
着地点の決まった映画では、その結果は安易に想像出来てしまうというデメリットがあります。
言い換えればオチが分かってしまっているわけです。

そんな中で、如何にその結末へと向かう過程を描くことが出来るか?が決め手となるわけですが、その過程ひとつひとつの細かな演出が素晴らしいんです。


そのひとつに視点があります。
一見、同じようなシーンを繰り返しているように見せながらもその視点を少しずつ変え、場面場面での意味合いを強めています。


初めは何気なく観ていたんですが、途中でふと気付かされるわけです。
「あれ?さっきと同じような映像なのに全然雰囲気が違うな」って。




感動のシーンなんかではこの演出が物凄く心を揺さぶられるわけですよ。
役者陣の表情ひとつ取ってもそう。
同時にその時の彼らの心境が垣間見えてくるんです。





いつか目を覚ますと信じていた尚志は麻衣が昏睡状態になって1年が過ぎたある日、麻衣の両親から、思いもよらぬ言葉が。

自分の人生を寝たきりの娘に費やしてくれる尚志を見ているのが耐えられなかったのでしょう。
この時のご両親の気持ちは感謝と申し訳なさと悲しみと…様々な感情が入り交じっていたと思います。

それでも尚志は傍に寄り添うこと、麻衣とご両親と家族になることを選びました。

もう会わないでくれと言われた尚志が、病室で麻衣の母親と会った時のお母さんの「ありがとう」が今でも忘れられません。

…泣いた。


尚志の言葉を借りると「麻衣が一番苦しんでいる。」
それは分かるんですが、実際には尚志さんよりもお母さんの方が苦しかったんだと思います。

実際に娘の卵巣摘出手術の話が出た時も、尚志に「家族じゃないんだから」と綺麗事では済まされない家族の心情を口にしています。
心労と疲労は想像以上のものだったことでしょう。

そんな麻衣の母親を演じた薬師丸ひろ子さんの凄いところは麻衣が病を発症する前、入院中、リハビリ中とその後、その8年という歳月を表情ひとつで物語ってるんですよ。



そして端折りますが様々なやり取りがあって、結果として一旦離れることとなった尚志と麻衣。
このシーンの長回しは本当に素晴らしい。

…泣いた。


別れを告げて帰宅する尚志はハザードを付けて路肩に停車。
運転席で涙を零します。

尚志さんの生真面目さと純粋な心を佐藤健さんが上手く演じておられますね(笑)

…泣いた。


麻衣は例の結婚式場で尚志の行動を知ることになりました。
毎年、出会った日である3月17日に予約を入れていたこと。
そして0317という数字が今までの二人の空白の時間を埋めるかのように携帯に送られていた動画で映し出されます。

…泣いた。


この時の土屋太鳳さんの表情ったら、ね。
笑顔の印象が強い彼女のこの涙が、携帯の動画と共に尚志の行動が一気にフラッシュバックされて。

ここ一番泣いたシーンかもしれない。


そうなんです。
今まで見せられていた映像全てがこのシーンへの布石なんです。
この8年という歳月を積み重ねてきた過程に涙が止まらなかったんですよ!



尚志と再開した麻衣は自ら傍へと向かい、支えられながらも一歩ずつ前へと歩み始める。

一人ではなく二人で、同じ歩幅で、同じ速度で。
失ってしまった時間を取り戻すのではなく、新しい時間を築き上げていく。


そこで出会った時のあの土屋太鳳さんの笑顔のフラッシュバックである(笑)

そこからラストのウェディングドレスに身を纏った純白の姿と眩いばかりの笑顔にすべてが救われた気持ちになりました。



余談

この作品は単なるお涙頂戴映画ではないと思う部分がいくつかあります。


物語の始まり、二人が出会ったのは2006年。
その時代背景がしっかりと作り込まれていること。

服装や携帯は勿論のこと、初デートで駐車場に止まっている車の車種や麻衣の車。
細部に渡ってその時代に合った演出がされているんです。

そして、まさかの主人公の車がハチロク
職場の社長が2000GT

心地よいエンジン音に車好きも大満足間違いなしです!(笑)



小豆島での2000GT納車。
このシーンは本筋としてはズレたシーンなんですが、尚志が麻衣のご両親から会わないでくれと言われてから自分の気持ちを再認識する貴重な時間なんですよね。

そしてその島の自然の美しさと心落ち着ける場所は終盤でのシーンに繋がっていきます。



ラストのシーンで出てきた小豆島のブランコ。
4つ並んだうちの1つが壊れていましたね。
これは尚志を含む麻衣の家族のメタファーで間違いないでしょう。

故障した1つのブランコを修理。
尚志が面接で語ったとされる
「壊れたら直せばいい。」
直ると信じる気持ちがあれば必ず修復できると熱く語られたように、一度は地に落ちたブランコも修理されて新しいものとして生まれ変わりました。

新しいブランコだけ、元あった位置よりも少し高さが低いのにお気づきになられましたか?
これはゼロからのスタートではなく、マイナスからのスタートであることを示したものではないだろうか。

麻衣さんの新たな人生のスタートを暗示すると共に、4つ並んだブランコは4人が家族として今後の人生を歩んでいくことを表したものでしょう。



終わりに

グダグダと書き綴ってきましたが、本当にここまで泣いたのは久しぶりというか自分でもここまでグッと来るものがあるなんて思ってもみなかったんで驚いてます。

強引に泣かせようとしたものではなく、淡々と過ぎていく日常の中で映像により見せる細かな演出が自分の心を揺さぶったのだと思っています。

本当に素晴らしい作品でした。
昨年に観ておくべき映画だったかもしれません(笑)



最後までお読みいただいた方、ありがとうございました。




(C)2017映画「8年越しの花嫁」製作委員会

映画「DESTINY 鎌倉ものがたり」ネタバレ感想

目次




初めに

こんにちは、レクと申します。
2018年映画初めは「キングスマン:ゴールデン・サークル」でしたが、邦画初めは今作「DESTINY 鎌倉ものがたり」になります。

この記事はネタバレを含みますので、未鑑賞の方はご注意ください。



作品概要


製作年:2017年
製作国:日本
配給:東宝
上映時間:129分
映倫区分:G


・解説

ALWAYS 三丁目の夕日」の山崎貴監督が、同作の原作者・西岸良平のベストセラーコミック「鎌倉ものがたり」を実写映画化し、堺雅人高畑充希が年の差夫婦役で初共演したファンタジードラマ。幽霊や魔物、妖怪といった「人ならざるもの」が日常的に姿を現す古都・鎌倉。この地に居を構えるミステリー作家・一色正和のもとに嫁いできた亜紀子は、妖怪や幽霊が人と仲良く暮らす鎌倉の街に最初は驚くが、次第に溶け込んでいく。正和は本業の執筆に加え、魔物や幽霊が関わる難事件の捜査で警察に協力することもあり、日々はにぎやかに過ぎていった。しかし、そんなある日、亜紀子が不測の事態に巻き込まれ、黄泉の国へと旅立ってしまう。正和は亜紀子を取り戻すため、黄泉の国へ行くことを決意するが……。主演の堺、高畑と同じく山崎監督作初参加の安藤サクラ中村玉緒をはじめ、山崎組常連の堤真一三浦友和薬師丸ひろ子ら豪華キャストが集結した。
DESTINY 鎌倉ものがたり : 作品情報 - 映画.comより引用


・予告編



神仏混淆のファンタジー

感想を纏めたらこれなんですが、もう少し内容に言及していこうかと思います(笑)


まずこの作品の舞台となる鎌倉について。


鎌倉市中心部周辺の空中写真。南を相模湾、東・西・北の三方を山に囲まれた地形である。1988年撮影の8枚を合成作成。

鎌倉(かまくら)は、現在の神奈川県鎌倉市の中心部に当たる地域。源頼朝を旗頭として、北条時政北条義時らによって鎌倉幕府が置かれた都市であり、三浦半島の付け根に位置し、相模湾に面している。古くは鎌府(れんぷ)とも呼ばれた。

Wikipediaより引用

設定では作中の鎌倉は人間と魔物や妖怪が共存。
幽霊、死神、三途の川、黄泉の国、地獄と神仏混淆の独特な世界観をファンタジックに魅せてくれます。

そんな中で、オカルトサスペンスな殺人事件と家族愛、夫婦愛を描いた人間ドラマ、ひとつのジャンルとして収まらないのが良いところですね。

良くも悪くも大衆向けで、お子さんも安心です(笑)



惜しかったところとして、もう少し人間と魔物の共存を絡めたエピソードが欲しかったですね。



本田さんは寿命により魔物へと転生する道を選びましたが、そのサイドストーリーも投げっぱなし。



貧乏神とのエピソードは最終的に天頭鬼との戦いに絡むエピソードだっただけに本田さんのサイドストーリーもしっかりと最後まで描いてほしかった。




愛くるしい魔物もいただけに現世での人間と魔物の共存する世界のエピソードが希薄だった点は勿体無い気がします。




黄泉の国にて
特にボス的なポジションで亜希子にしつこく求婚する魔物『天頭鬼』。

このモデルとなった鬼が鎌倉時代に造られた国宝として今も残っています。


鎌倉時代再興期の西金堂須弥壇(しゅみだん)に安置されていた像で、四天王(してんのう)像に踏みつけられる邪鬼(じゃき)を独立させ、仏前を照す役目を与えたものです。
 天燈鬼(てんとうき)像。2本の角と3つの目を持ち、口を大きく開き、やや横目で前方をにらみ、左肩に乗せた燈籠(とうろう)を左手で支えます。
 龍燈鬼(りゅうとうき)像。腹前で左手で右手の手首を握り、右手は上半身に巻きついた龍の尻尾をつかみ、頭上に乗せた燈籠を上目づかいににらみます。像内に建保3年(1215)に法橋庚弁が造ったとする書きつけがあります。
 阿と吽、赤と青、動と静とが対比的に表現された鬼彫刻の傑作です。
木造天燈鬼・龍燈鬼立像(もくぞうてんとうき・りゅうとうきりゅうぞう) | 「国宝」「重要文化財」 | 文化財 | 法相宗大本山 興福寺より引用


黄泉の国とは日本神話で死後の世界のこと。
今作では死後に死神(日本神話)によって連れてこられ、輪廻転生(仏教)を待つ間に暮らす場所とされる。
見る人の想像により作られる世界となってました。

三途の川(仏教)はご存知の通り現世とあの世の境目に流れる川。
あの世とこの世を繋ぐものとして列車が使われ、江ノ電の単行運転の旧型モデル100型車両の愛称「タンコロ」と呼ばれています。

一見、違和感のある組み合わせですがそれを感じさせなかったのはこの作品の見せ方が上手かったのだと思います。



なぜ泣けなかったのか?

Twitterでも呟きましたが
「ぼく、泣かなかったよ。」


泣ける映画だという前情報は数人の感想からも受け取っていたんですが、結果自分の涙腺を刺激することはなく終わりを迎えてしまいました。

そもそも、自分が映画で泣いたことはあるのだろうか?
記憶を辿っても片手で数えられるほどでしょう。
それは置いておいて、なぜ泣けなかったのか?について言及していきます。



えー、同じようなことが昨年にもありました。
映画「LION ライオン 25年目のただいま」です。


こちらでも、なぜ泣けなかったのか?について言及しています。


今作との共通点は
前情報で感動だと知っていたから
という部分が大きいのではないか。

天邪鬼である自分の性格上、感動すると言われると感動出来なくなっちゃうんですよ(笑)


そしてもうひとつの共通点
愛よりも運命論に重きを置かれた演出

タイトルからも、二人が結ばれるのは運命的なもので切っても切れない縁というのが今作のテーマです。



黄泉の国へ行く前はほんわかとした可愛らしい奥さんとの新婚生活に夫婦愛を感じました。
ここではいくつかホロリとくる部分もあったんですよね。

特に亜希子が黄泉の国へ行ってからの正和の行動全てに夫婦愛を感じますし、展開としても最高潮です。

あとは黄泉の国へ行って連れ戻してハッピーエンド。
ここでもうひと山、感動的な展開が待ってるんじゃないのか?と。


黄泉の国へ行ってからは全くそういった演出もなく、運命論で終わらせる展開になり、泣けるものも泣けなくなってしまったのではないかと思います。

ここは映画「LION ライオン 25年目のただいま」とは違って今作「DESTINY 鎌倉ものがたり」は運命がテーマとなっていたので仕方ない部分もありますが、涙腺を刺激することはなかったですね(二回目)



DESTINY

原作は西岸良平のベストセラーコミック「鎌倉ものがたり」。
その実写化に置いてタイトルを「DESTINY 鎌倉ものがたり」とした意味について考えていきます。


原作タイトルを副題扱いとし、「DESTINY」という言葉をタイトルとして持ってきた意図は前世からの夫婦の絆、出逢うべくして出逢った"運命"を強調し、印象付けるテーマのようなもの。

その意図は本作中でも十二分に描かれていました。

先程記述した人間と魔物の共存する世界が希薄だと感じてしまった点も、この実写化映画はあくまでも「鎌倉ものがたり」ではなく「DESTINY」、つまり一色夫妻の運命に重きが置かれているんだぞというメッセージなのでしょうか?

自分は運命論よりも単純に愛を見たかったのだ…。




その一方で、サスペンスなシーンも描かれる。

「DESTINY」夫婦間の愛と運命を全面に推すのであれば、この事件のエピソードは必要だったのだろうかと疑問に思うわけです。

勿論、原作をなぞることも一色正和という人物像を描くことも世界観を出す上では必要な描写であったとも思いますが、そこよりも神仏混淆のファンタジーと人間ドラマとして、夫婦愛を見せつつ魔物や妖怪を絡めた日常を描くべきだったのではないかと。


そうです。しつこいようですが
本田さんのエピソードをもっと膨らませるべきだったんじゃないのか!?
と言いたい(笑)


人が魔物へと生まれ変わる。
魔界転生

このエピソードを一色夫婦を絡めて最後まで見たかったんです。
これがあれば泣いてたと思う(笑)



終わりに

泣けなかっただの本田さん!だの色々と不満は言いましたが、作品としてはそれなりに楽しめましたよ!

原作も廉価版コミックスでかじった程度なので、より一層原作に興味がわきましたね。


オリジナル・サウンドトラック発売中


音楽:佐藤直紀
発売日:2017年12月6日(水)
定価:¥2,500+税
[収録曲]
鎌倉ものがたり ~Main Title~ 納戸の秘密 正和の趣味 赤い手 降霊捜査 事件解決 幻の駅 甲滝五四朗 貧乏神 幽霊申請 魔界転生 魔物 茶碗 怒り 霊体 別れ 稲荷 亜紀子 天頭鬼 黄泉の国 屋敷 積年の恨み 想像の力 鎌倉ものがたり ~End Title~
映画「DESTINY 鎌倉ものがたり」公式サイトより引用

因みに、山崎貴監督作
鑑賞済は
ジュブナイル
三丁目の夕日」シリーズ
BALLAD 名もなき恋のうた
寄生獣」一作目
です。

オススメあればお願いします(笑)



最後までお読みいただいた方、ありがとうございました。


(C)2017「DESTINY 鎌倉ものがたり」製作委員会

秒でアガる?(「キングスマン:ゴールデン・サークル」ネタバレ考察)

目次




初めに

こんにちは、レクと申します。
2018年、映画初めとして選ばせていただいた映画「キングスマン:ゴールデン・サークル」について書いていきたいと思います。

この記事はネタバレを含みますので、ご注意ください。



作品概要


原題:Kingsman: The Golden Circle
製作年:2017年
製作国:イギリス
配給:20世紀フォックス映画
上映時間:140分
映倫区分:PG12


・解説

世界的ヒットを記録したイギリス製スパイアクション「キングスマン」の続編。イギリスのスパイ機関キングスマンの拠点が、謎の組織ゴールデン・サークルの攻撃を受けて壊滅した。残されたのは、一流エージェントに成長したエグジーと教官兼メカ担当のマーリンのみ。2人は同盟関係にあるアメリカのスパイ機関ステイツマンに協力を求めるが、彼らは英国文化に強い影響を受けたキングスマンとは正反対の、コテコテにアメリカンなチームで……。主演のエガートンやマーリン役のマーク・ストロングら前作のキャストに加え、ステイツマンのメンバーにチャニング・テイタムジェフ・ブリッジスハル・ベリー、謎の組織ゴールデン・サークルのボスにジュリアン・ムーアら豪華キャストが新たに参加。さらに、前作で死んだと思われていたコリン・ファース扮するエグジーの師ハリーも再登場する。前作に続き、「キック・アス」のマシュー・ボーンがメガホンをとる。
キングスマン ゴールデン・サークル : 作品情報 - 映画.comより引用


・予告編



秒でアガる?

『秒でアガる。』
キャッチフレーズにも使われたこのワード。
皆さん、どうでしたか?

自分はですね…
掴みのアクションシーンではアガりました(笑)



一方で、前作大好きマンな自分は今作品での主役級死にすぎ問題は評価するにあたって重要なポイント。

その主役級の大半を失うというキャラクター愛の無さに胸が苦しくなった。
そのせいで中盤からの展開がもう…。

何よりロキシーちゃんが早々に離脱なんて酷すぎやしません?


ハリーが生きてた件で、序盤に死んだと思われた仲間が実は生きてんだろ?って思わせといてそりゃないでしょ。
挙句の果てにマーリンまで…カントリーロードが…。


細かいところもツッコミ始めてしまえばキリがないんですが、一つ一つのシーンの切り替え、アクション、キレ、ノリ、これは紛れもなくキングスマン

但し、前作を超えたか否かは別として、前作を支えたキャラを失うという結末には秒でアガって、分でサガったと個人的に思うわけです。

不謹慎な描写もクララのゴールデン・サークルに指を突っ込んだだけという。



と残念な点をタラタラと書きましたが、結局のところ最後まで楽しんでたんですけどね(笑)


さて、諜報機関側と相対するゴールデン・サークルについて、いつものように掘り下げてみます。

念の為に言っておきますが、今作を鑑賞するにあたり前作「キングスマン」は観ておいた方がいいでしょう。
幾つかの場面や設定で、前作との繋がりがあります。



ゴールデン・サークル

まず、ゴールデン・サークルという組織と人物について。

世界的に有名なお薬組織で違法お薬の合法化を目論む。
富と名声を得たい。
典型的な悪役の欲望ですね(笑)


その組織のボス、ポピー。

キングスマン採用試験に落ちて右腕を失ったポピーの右腕(笑)のチャーリー。

ポピーの飼い犬2匹。

かませ犬だったメイド?ロボットとエンジェル。

ハンバーガーの元。

裏切り者のウイスキー

カメオで大活躍の囚われの身、エルトン・ジョン



ポピーを演じたジュリアン・ムーアはいくつになっても眩いばかりの美貌ですね。
また人の命を何とも思わないサイコっぷりが素晴らしい!

かませ犬か?と思われたチャーリーも最後まで奮闘してました。
ポピーは忠実な3匹の犬を飼ってたわけです。

ゴールデン・サークルに忠誠を誓うと歯を削られ、指紋を焼かれ、体の一部に金で円を刻まれる。

全身エステという名前でエッチなやつかと想像したけど全然全身じゃねぇし!エロくもねぇ!



ウイスキーはステイツマンとゴールデン・サークルのダブルエージェントでした。

ステイツマンキングスマンと同様に20世紀初頭にアメリカで立ち上げられた独立国際諜報機関
アメリカでは1920年〜1933年まで「禁酒法」により酒類の製造が禁止されていた為、密造酒製造業として設立。

某見た目は子供のバーロォ探偵に登場する黒の組織と同じように、お酒の名前がコードネームとして与えられてるんですよね。


黒の組織に登場するコードネーム

ジン
ウォッカ
ベルモット
テキーラ
シェリ
ピスコ
カルバドス
キャンティ
コルン
アイリッシュ
ライ
キール
バーボン
ラム

洒落た名前もいくつかありますね!



・ステイツマンに登場するコードネーム

シャンパ
テキーラ
ウイスキー
ジンジャー

名前がダサいんじゃ!!!




何故、ウイスキーはステイツマンを裏切ったのか?
おさらいをしておきましょう。

ウイスキーは過去に恋人がお薬中毒者に殺害されるという事件を経験、お薬に対して恨みを持っていたんですね。

そのことにより、ステイツマンのお薬ウイルス解毒剤配布任務に反対だったということです。



では、何故ハリーはウイスキーが裏切り者だと分かったのか?
分かりやすかったのは雪山で解毒剤を手に入れたエグジーたちを襲撃したシーンで、庇った際に解毒剤を割った時くらい。
まあ、わざとらしかったですが(笑)

一流のスパイにはわざとか否か、分かるんでしょうかね?




さてさて、ではゴールデン・サークルとは何を意味するのか?
本題へと入っていきます。

元々、今作「キングスマン2」の副題は「ゴールデン・トライアングル」だったそうです。

黄金の三角地帯
東南アジアのタイ、ミャンマーラオスの3国がメコン川で接する山岳地帯で、ミャンマー東部シャン州に属する。世界最大の麻薬密造地帯であった。別名ゴールデン・トライアングル(英語: Golden Triangle)と呼ばれ、アフガニスタンパキスタン・イラン国境付近の「黄金の三日月地帯」と並ぶ密造地帯である。現在では経済成長や取締強化により、タイやラオスでの生産は減少傾向にあるが、逆にミャンマーのシャン州ではいくつかの軍閥が麻薬生産のみならず覚醒剤の製造も行い、さらには合法ビジネスを行うなど、二極化の傾向にある。
Wikipediaより引用

では何故「ゴールデン・サークル」となったのか。

ここは憶測でしか語れませんが
恐らく、世界中のお薬市場全てをポピーひとりが牛耳ることから三角形ではなく円であるサークルに変えられたのではないかと思います。


また、お薬の原材料であるケシはポピー。
つまり、ゴールデン・サークルのボスとお薬を繋げるものなんですよね。


ケシ(芥子、罌粟、Opium poppy、学名 Papaver somniferum)
ケシ科ケシ属に属する一年草の植物。
日本語のケシは英語のpoppyと同義とされるが、英語では単に poppy といえばイギリス各地に自生しており、園芸種としても盛んに栽培されているヒナゲシ Corn poppy を指す。
Wikipediaより引用





ところで皆さん、「ゴールデンサークル理論」というのをご存知でしょうか?


汚い図ですみません。


えー、図のように
「WHY」「HOW」「WHAT」
の三つの円から成り立つ。
企業や人は外側の円から物事を考えるが、優れたリーダーは内側から物事を考える。
(WHY → HOW → WHAT の順)

簡単に説明すると
人は「何を(WHAT)」ではなく「なぜ(WHY)」に動かされる。
という商業戦略や会議などで使われる理論です。

では、ゴールデン・サークルの理念をゴールデンサークル理論に当て嵌めて見ていきましょう。



ゴールデン・サークルの理念を「WHAT」で見たとします。

  • お薬の合法化して売買を自由にする

これだけでは非常に抽象的ですよね?


「WHY」からの流れで見ていきましょう。

  • 富と名声を得たい(WHY)
  • 大統領のサインを貰う(HOW)
  • お薬の完全合法化と株式市場への上場(WHAT)

なんだか説得力を持ちませんか?(笑)



例えば仕事の依頼を受ける場合も「WHAT」しか伝えられないことが多いです。
「何々をしてほしい(WHAT)」といったものです。

「なぜするのか(WHY)」「どのようにするのか(HOW)」から考えていくと、より具体的に物事を進めることが出来るというわけです。

「WHY」は明確なビジョン、目標を示すものです。


この「WHY」から「WHAT」までのゴールデンサークル理論が、ポピーの台詞にしっかりと掲示されていました。
彼女は非情ですが、優れたリーダーであったことは間違いないでしょう(笑)



パスワードの意味

解毒剤が全世界に届けられる為のパスワード
Viva Las Vegan』(ビバ・ラス・ビーガン)

どういう意味があるのでしょうか?


エルヴィス・プレスリーの名曲『Viva Las Vegas』
に掛けたダジャレとも考えられます。

エルトン・ジョンを軟禁したってことは音楽好きの可能性は十分に考えられますからね。



『viva』は「万歳」
『las』は「その」
『vegan』は「菜食主義者」

つまり、『菜食主義者、万歳』を意味します。
ということは、ポピーは菜食主義者ということになりますね。


では何故、あそこにミンチ機があるのでしょうか?

そうです、ミッションに失敗した用無しを美味しいハンバーガーにする為のお仕置きマシーンなんです!

出来上がった人肉ハンバーガー。
ポピー自身は食べない。
部下には食べさせる。
なんて悪女っぷりなんだろう(笑)



終わりに

チャーチルによる、かの名演説
「これは終わりではない。終わりの始まりでもない。だがこれは始まりの終わりかもしれない。」
続編を示唆させるナレーション。

ハル・ベリー演じるジンジャーの件もありますし、テキーラキングスマン本部へ足を運んだことからも続編はありそうですね。
というか制作が決まっているらしいですね。

今作で主役級を大半を失った失態(まだ言う)をどう補うつもりなのだろうか?
実は生きてましたオチだけはもう使っちゃダメだと思います。


最後までお読みいただいた方、ありがとうございました。



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