小羊の悲鳴は止まない

好きな映画を好きな時に好きなように語りたい。

受け継がれる悪夢(「ヘレディタリー/継承」ネタバレ考察)

目次




初めに

こんばんは、レクと申します。
久しぶりの更新となってしまい、すみません。


今回はホラー好きの間でも好評な「ヘレディタリー/継承」について少し語っています。

最近ご無沙汰でしたが、当管理人はホラー映画が大好物です。
もうこれは無理してでも観たい!という勢いだけで観た映画ですが、大満足。
TOHOの1ヶ月フリーパスを使ってタダで観ちゃったもんだからお得感がハンパないです(笑)

というわけで、久しぶりにブログに書きたいと思える映画となり、鑑賞後の興奮覚めやらぬままに書き殴った次第です。


この記事はネタバレを含みます。
未鑑賞の方はご注意ください。
鑑賞後にお読みいただけたら嬉しいです。



作品概要


原題:Hereditary
製作年:2018年
製作国:アメリカ
配給:ファントム・フィルム
上映時間:127分
映倫区分:PG12


・解説

家長である祖母の死をきっかけに、さまざまな恐怖に見舞われる一家を描いたホラー。祖母エレンが亡くなったグラハム家。過去のある出来事により、母に対して愛憎交じりの感情を持ってた娘のアニーも、夫、2人の子どもたちとともに淡々と葬儀を執り行った。祖母が亡くなった喪失感を乗り越えようとするグラハム家に奇妙な出来事が頻発。最悪な事態に陥った一家は修復不能なまでに崩壊してしまうが、亡くなったエレンの遺品が収められた箱に「私を憎まないで」と書かれたメモが挟まれていた。「シックス・センス」「リトル・ミス・サンシャイン」のトニ・コレットがアニー役を演じるほか、夫役をガブリエル・バーン、息子役をアレックス・ウルフ、娘役をミリー・シャピロが演じる。監督、脚本は本作で長編監督デビューを果たしたアリ・アスター。
ヘレディタリー 継承 : 作品情報 - 映画.comより引用


・予告編




悪夢の元凶

まずはTwitterに上げた感想から。




まず、ラストに明かされた元凶、悪魔ペイモンについて語らなければなりません。


『ゴエティア』に記載されているパイモンのシジル

パイモンまたはペイモン(Paymon, Paimon)は、ヨーロッパの伝承あるいは悪魔学に登場する悪魔の1体。悪魔や精霊に関して記述した文献や、魔術に関して記したグリモワールと呼ばれる書物などにその名が見られる。

現れる際には、王冠を被り女性の顔をした男性の姿を取り、ひとこぶ駱駝に駕しているとされる。
召喚者に地位を与え、人々を召喚者の意思に従わせる力も持つ。

パイモン - Wikipediaより引用



グラハム家はこの悪魔によって絶望の悪夢を体験することになります。

祖母エレンのペンダントにもこのペイモンのシジルがデザインされていたことから察することができます。



冒頭で妹のチャーリーが鳩の首を切断し、絵を描いていたシーンを思い出してください。
その絵には鳩の生首に王冠が描かれています。
この時点で既に悪魔ペイモンの影響を受けていることが分かります。

その他の不可解な行動も。


チャーリーはケーキを食べて呼吸困難に陥り、病院へと運ばれる途中で電柱に頭部をぶつけて死亡しました。
恐らくチョコレートケーキにナッツが入っていた為にアナフィラキシーショックを起こしたと考えられます。


ここから少し余談に入ります。
クリスマスツリーはキリスト教以前の異教時代で魔除けとして常緑樹を家の内外に飾ったという習慣が起源です。
クリスマスツリーの装飾にもそれぞれ意味があり、例えばリンゴはアダムとイヴを想起させ、楽園の木を。
ナッツは神の計り知れぬ御心を表します。

また、リンゴやナッツは古代ケルト人にとってとても重要な果実です。
寒くて長い冬を乗り越えるにはナッツやドングリは保存食として最適なものであり、中でもヘーゼルナッツは神聖なものとして崇められていました。
言語学的にリンゴを意味するポーモーナという果実と果樹を司る女神と古代ケルト人にとって大事な果実を結びついていったという話もあります。

ナッツには魔除けの力があり、ただのアレルギーだとは思いますが、ペイモンが避けていたということも考えられるのではないでしょうか。



またアニーの話から、祖母エレンから息子であるピーターを遠ざけたとあります。
その理由はアニーの兄チャールズ。
彼は16歳で自殺しており、彼の遺書には「母が自分の中に何かを入れようとした」とされています。
この時にはペイモンはエレンを使ってチャールズを我が肉体として使おうとしていたことが分かります。

ピーターの代わりにチャーリーがエレンに関わることで、そしてエレンが亡くなったことでペイモンの魔の手がチャーリーへと継承されたことになります。

チャーリーはエレンが「男の子なら良かった」と語っていたことも話します。
チャーリーとは本来、男の子に付ける名前であり、このことからもエレンがペイモンの召喚に強い拘りがあったことを窺い知ることができます。


つまり、エレンの死後、チャーリーへ。
チャーリーの死後、アニーへ。
最終的にアニーを使って、ピーターをペイモンの宿主としてラストシークエンスへ。
という流れだと考えられますね。



ペイモンは"女性の顔をした男性の姿"
肉体はピーター、顔は家族のうちの女性の誰かでないといけないんですね。
従って、祖母、母、妹と一族の女性全員が首を落として亡くなる必要があったのです。


"召喚者に地位を与え、人々を召喚者の意思に従わせる力も持つ。"
とあるように、召喚とは例の降霊術、従わせる力とはラストシーンで神を崇めるように取り囲む人々を指します。
ジョーンが「降霊術は家族一緒に」と注意喚起したことも、ピーターを降霊術に参加させてピーターを召喚者とさせる為だと考えられます。



と、Twitterの感想でも書いたように
ラストを知ってしまえばラストにつながるプロットは至極単純なんです。

そこに家族の在り方や状況、精神状態などを重ねることで単純ではない恐怖が演出されてるんですよ。



音と光の演出

悪魔ペイモンとラストシークエンスについては簡単にまとめました。
ここからは細かな演出について着目していきたいと思います。


まず印象的なものが"音"です。
そうです、チャーリーの「コッ」という舌鳴らしです。
非常に不快感の募る不気味な音ですよね。

鑑賞後に家に帰って、突然後ろから、暗い部屋の隅から、「コッ」と聞こえてきたらチビること間違いなしです(笑)


チャーリーは赤子の頃から泣かない子だったそうで、生まれた時にも鳴き声をあげなかったとあります。
仮にそれが意味のある台詞と捉えるなら、チャーリーは生まれながらにペイモンに操作されていた可能性が高い。
チャーリー=ペイモンとした場合、"女性の顔をした男性の姿"が当てはまらないので、あくまでもペイモンに唆されている生贄のようなものだと思って間違いないでしょう。

元々音を発さない子供だったとしたら、舌鳴らしはペイモンに唆されてからの癖ではないかと考えられる。
劇中でも舌鳴らしを初めて行ったのは祖母エレンの葬式だったように思います。



では本来、舌を鳴らすとはどのような状況で行うのでしょうか?

1軽蔑・不満の気持ちを表す動作。「不服そうに―・す」
2賛美する気持ちを表す動作。特に、おいしい物を食べて、満足した気持ちを表す動作。「ごちそうに―・す」
舌を鳴らすとは - コトバンクより引用


相反する二つの意味があります。
つまりはペイモンの感情や心情の現れではないかと。

また、ペイモンの名前の由来はヘブライ語の"POMN"(「チリンチリン」という音)だそうで、ヘブライ語では音節はすべて子音で始まり「コッ」(k)という音も子音です。



次に印象的なのが"光"の演出ですね。

光の演出が可視化されたのは恐らく降霊術後。
皆さんもお分かりだと思いますが、ジョーンに教えて貰った降霊術は地獄の門を開くこと。
チャーリーではなくペイモンの召喚だったというわけですね。

ということはジョーンもまたエレン同様に悪魔崇拝によりペイモンに唆されていたということになります。
アニーが二度目に彼女の家を訪れた際の部屋の中の儀式、学校でピーターに声をかける姿などからも察することが出来ます。



ここで斬新なのが、悪魔であるペイモンを光として見せたことです。
分かりやすい描写はピーターが窓から転落した際に光が体へと取り込まれるシーン。
ここでペイモンがピーターに完全に憑依したことが明確に啓示されています。


一般的なイメージとして、悪魔といえば闇を連想すると思います。
実はですね、ペイモンは悪魔でありながら、天使の一面も併せ持つんですよ。

イギリスで発見されたグリモワール『ゴエティア』によると、パイモンは序列9番の地獄の王である。一部は天使からなり一部は能天使からなる200の軍を率いており、ルシファーに対して他の王よりも忠実とされる。彼自身は主天使の地位にあったという。

イギリスの文筆家・政治家レジナルド・スコットが記した『妖術の開示(原題:The Discoverie of Witchcraft)』1655年版では、パイモン、バティン、バルマを呼び出し、その恩恵を受ける方法が書かれている。この書によれば、パイモンは空の軍勢に属し、座天使の位階の16位にあるという。Corban およびマルバスの配下にあるという。

パイモン - Wikipediaより引用

主天使とは神学に基づく天使のヒエラルキーにおいて、第四位に数えられる天使の総称。
座天使とは神学に基づく天使のヒエラルキーにおいて、第三位に数えられる上級天使の総称。


また、ペイモンを智天使とされる文献もあります。

『悪魔の偽王国』(あくまのぎおうこく、あくまのにせおうこく、Pseudomonarchia Daemonum)はヨハン・ヴァイヤーの主著『悪魔による眩惑について』(De praestigiis daemonum)の1577年の第五版に付された補遺である。原題は「デーモン(悪霊)の偽君主国」の意であり、地獄の悪霊たちを神聖ローマ帝国の封建体制を思わせる位階秩序をもつものとして記述している。
悪魔の偽王国 - Wikipediaより引用



このようにペイモンは悪魔でありながら、一部天使であるという光と闇の二面性があるんですよね。
"闇"とは対称的なもの"光"を悪魔として演出したアリ・アスター監督のこのセンスが素晴らしい。


そう、この映画の最大の魅力がこの演出力にあると思います。
ストーリー自体はそこまで目新しいものでもなく、ラストも衝撃と言えば衝撃で後味の悪さもあるのですが、ホラー映画を見慣れた方ならばそこまで驚きはないと思います。

それよりもホラー映画としての散りばめられた伏線と回収、恐怖心の煽り方、家族の精神面の描き方、これらの演出力が他のホラー映画作品と比べても一線を画していると感じました。



もう一度言います。

アリ・アスター監督のセンスが素晴らしい。

これが長編初監督作品というから驚きだ。



タイトルの意味

さて、ここで改めて考えてみましょう。
タイトル「ヘレディタリー/継承」とはどういうことなのか。

原題『Hereditary』
直訳すると「遺伝的な」「代々の」「親譲りの」となります。

このタイトルとラストに向けたプロットからも、祖母であるエレンの悪魔崇拝によるペイモンの継承。



もうひとつが、遺伝的な脳の病気ではないか?です。

父は重度の鬱病で餓死。
兄は統合失調症で自殺。
エレンは解離性同一性障害。
そしてアニー自身も夢遊病。


ここでもう一つの解釈として
劇中のオカルト的な現象は遺伝的な脳の病気が引き起こした精神の崩壊が見せた幻覚ではないか説です。


アニーの仕事でもあるミニチュアの製作。
冒頭でそのミニチュアの家にカメラが寄っていって物語が始まりました。

そう、我々が観ていた劇中でのオカルト体験は全てアニーがミニチュアの家の中で想像した架空の出来事ではないだろうか。


祖母の死、娘の死、夫の死、これらは全て現実に起こったこと。
チャーリーの死をきっかけに、アニーの精神が壊れてエレンの幽霊を見るなどの幻覚に囚われる。


ピーターは妹を過失事故とはいえ殺してしまい、そのショックや責任感、罪悪感から幻覚を。
夫スティーブもそんなアニーやピーターに囲まれて精神的ストレスに。
精神安定剤を飲んでる描写からも精神的に病んでいたことは明らかです。



主軸はエレンが始めた悪魔崇拝が家族崩壊へ繋がるというものであり、その脚色されたオカルト的な演出は精神異常からくる幻覚。
そして、家族にトラウマを持つアニーが悪魔崇拝を通して擬似家族による集団を形成することである種の救済措置として機能している
というのも考えられるのではないだろうか。



終わりに

ということで、端的にめちゃくちゃ好みでした。
「シャイニング」や「ローズマリーの赤ちゃん」などが挙げられていますが、過去の傑作と言われるホラー映画を踏襲しつつ、しっかりと監督の作品として作り上げられた秀作。



そして、アニー役のトニ・コレットの顔芸は一見の価値ありです(笑)



久しぶりに考察をしたので鑑賞後の補足なものになりましたが、楽しかったです。
いつもながら乱文ですみません。

最後までお読みいただいた方、ありがとうございました。



(C)2018 Hereditary Film Productions, LLC

「生きるとは何か」を深く問いかける(「教誨師」ネタバレ考察)

目次




初めに

こんにちは、レクと申します。
今日は大杉漣さんプロデュースの「教誨師」を観てきました。

今作は上映時間の大半が拘置所の密室、主に会話劇である為、少し考察を交えつつ、感じたまま、受け取ったままを吐き出していこうと思っております。

どうしても核心に迫る部分についての言及が多くなるためネタバレを含みます。
未鑑賞の方はご注意ください。



作品概要


製作年:2018年
製作国:日本
配給:マーメイドフィルム、コピアポア・フィルム
上映時間:114分
映倫区分:G


・解説

2018年2月に急逝した俳優・大杉漣の最後の主演作にして初プロデュース作で、6人の死刑囚と対話する教誨師の男を主人公に描いた人間ドラマ。受刑者の道徳心の育成や心の救済につとめ、彼らが改心できるよう導く教誨師。死刑囚専門の教誨師である牧師・佐伯は、独房で孤独に過ごす死刑囚にとって良き理解者であり、格好の話し相手だ。佐伯は彼らに寄り添いながらも、自分の言葉が本当に届いているのか、そして死刑囚が心安らかに死ねるよう導くのは正しいことなのか苦悩していた。そんな葛藤を通し、佐伯もまた自らの忘れたい過去と向き合うことになる。死刑囚役に光石研烏丸せつこ古舘寛治。「ランニング・オン・エンプティ」の佐向大が監督・脚本を手がけた。
教誨師 : 作品情報 - 映画.comより引用



・予告編




教誨師と死刑囚

先ず、主人公である教誨師と死刑囚についてお話しておかなければなりません。


教誨(きょうかい)とは、第1義には、教えさとすことをいう。同義語として教戒(きょうかい)があるが、こちらは、教え戒めることをいう。両者の違いは「誨(意:知らない者を教えさとす)」と「戒(意:いましめ。さとし)」の違いである。また、これらから転じて第2義には、受刑者に対し、徳性(道徳をわきまえた正しい品性。道徳心。道義心)の育成を目的として教育することをいう。

受刑者に対して教誨・教戒を行う者は、教誨師教戒師(きょうかいし)という。

教誨 - Wikipediaより引用


死刑囚(しけいしゅう)は、死刑の判決が確定した囚人に対する呼称である。死刑が執行されるまでその身柄は刑事施設に拘束される。また死刑は自らの生命と引換に罪を償う生命刑とされることから、執行されるとその称は「元死刑囚」となる[1]。刑事施設法などの日本の法令では死刑確定者と呼ばれる。

21世紀初頭現在、国連総会で採択された自由権規約第2選択議定書(死刑廃止議定書)の影響もあり、死刑廃止国も多いため死刑囚が現在も存在する国は限られてきている。

死刑囚 - Wikipediaより引用



作中にも語られた通り、EU加盟国は死刑廃止国が条件であり、欧州諸国はベラルーシを除き死刑は廃止されています。

本国における死刑囚に対する刑の執行は法務大臣の命令によらなければならないとされ、法律上は特別な理由のない限り、死刑判決が確定してから6か月以内に死刑が執行されなければならない。

また、作中冒頭でも記載された通り
死刑判決を受けた者(死刑囚)の執行に至るまでの身柄拘束は刑の執行ではないとして、通常刑務所ではなく拘置所に置かれる。



今作は死刑囚と対話する日本の教誨師を主人公としたドラマ映画であり、大杉漣さんが教誨師を演じています。
6人の死刑囚がバラバラに登場し、教誨師である佐伯(大杉漣)が対話をしつつ、各々の死刑囚に合わせて罪の意識に問いかける。
形式上はそうなのだが、単なる死刑囚の救済、そんな綺麗事で終わる話ではないのだ。
教誨師としての葛藤や苦悩。
死刑囚の生きる意味や訴えたいこと。
このふたつに接点を持たせること、人と人が交わる難しさを描く。


なんと言っても序盤から終盤にかけての6人の死刑囚たちの演技、人物描写が素晴らしい。
ひとりひとりに与えられた教誨の時間は短く、出演時間も断片的だ。
それでも一回目の登場から各死刑囚がどのような人物なのかを大まかに把握することが出来る。

勿論、大杉漣さんも主人公ながら聞き役として徹し、素晴らしい演技です。


また、拘置所の静謐に満ちた独特な雰囲気も肌で感じることが出来る。
無音に響き渡る足音、扉の開閉の音、椅子の軋む音、対話、雨音に至るまで、無駄なBGMを排除したからこそ味わえる臨場感。

死刑囚相手という張り詰めた空気感、会話からのみ与えられる情報の少なさに、各死刑囚たちがどのような経緯で殺人を犯し、死刑囚として収監されたのか?
そして死刑執行は6人の中の誰なのか?(予想はつきますが)
その推理サスペンスとしての側面、面白さもある。

そんな観客の推理と並行するように教誨師の佐伯が彼らと対話したことで相手がどのような人間なのかが明らかとなっていく。



登場人物の整理

本題に入る前に6人の死刑囚と教誨師佐伯がどのような人物なのかを当管理人の目線で簡単に紹介したいと思います。

これを踏まえた上で次の考察に入ります。




ストーカー規制法により相手と家族を殺めた鈴木死刑囚
彼はずっと押し黙ったままだったが、佐伯の語りに少しずつ心を開いていく。
鈴木自身、ストーカーだとは気付かず妄想を描いて心の安寧を手にする。




酒好きのヤクザ組長、吉田死刑囚
佐伯と最も親しく映る一方で、佐伯以外には態度が変わる。
悪びれることもなく、他に犯した罪を佐伯に伝える。
刑の執行について人一倍に敏感だった所も印象的だ。




よく喋る関西のオバチャン、野口死刑囚
マシンガントークは観ているこちらも思わず笑ってしまうほどで一見明るい。
しかし、リストカットの跡があったり、虚言癖があったり、自分の話を邪魔されるとキレだす。
精神的に不安定であり、自身の罪の意識よりも周りが周りがと他人のせいにする傾向が見られる。




家族のことを思う気弱で心優しい小川死刑囚
死刑囚たちの中で唯一、犯行についての詳細が明かされた人物。
その経緯には哀れみの感情すら覚えてしまう。
裁判のやり直しを助言する佐伯に対して、諦めを見せる姿に胸が痛くなりました。




ホームレスの進藤死刑囚
字が読み書き出来ず、連帯保証人になっても他人を心配するお人好しのおじいちゃん。
死刑囚の中で最も明確に佐伯に救済された人物でもあると思う。
キリスト教に入りたいと願い、佐伯に字を教えてもらう。




博識で人を見下す高宮死刑囚
この作品で最重要人物である彼は他の死刑囚とは違う。
彼は常に社会をより良いものにしたいという理想を持っています。
一方で話すことは正論ではあるが、屁理屈でもあり、表情や態度に至るまで全てが不快。
佐伯も怖いと表現したように、理性的であるが故の人間らしさが見えない人物。




佐伯
教誨師としての彼は聞き役であり、死刑囚との対話、救済が求められるが、彼自身もその教誨師という立場に苦悩する。
それは過去の出来事があるからだ。
兄が人を殺めていること、その原因が自分にあること。
迷いが決心に変わる瞬間、意外な素顔など牧師ではない彼の姿との対比が実に人間味溢れる。



このように、会話劇にも関わらず、全てが全て説明的にならずに断片的な部分のみを見せることによってその人物の人となりを想像で保管するようになっています。
例えば、こんな酷いことをしたんだから死刑になっても当たり前じゃないか。なんて先入観や固定概念を抜きに、二人の対話から読み取る情報で自分自身が判断する仕様になっている事が素晴らしいんですよ。



さて、ここでこの作品の核心に迫る部分について言及していこうと思います。

・この作品のメッセージとは?
・ラストに残されたメッセージの意味とは?

この2点に絞って考えていきます。



無知の知

・この作品のメッセージとは?

刑の執行対象者は高宮でした。
これは概ね予想のつくものではありましたが、そこに至るまでの過程がこの作品のメッセージそのものなんですよね。



作中の二人の対話について着目します。

佐伯「どんな命でも生きる権利がある、奪われていい命など無い」
高宮「牛や豚は良いのにイルカは殺してはダメな理由は?」
佐伯「イルカは知能が高いから…」
(中略)
高宮「どんな人間でも殺してはいけないと言うのに死刑があるのは?」

この言葉に反論出来ず沈黙してしまう佐伯。
この時の表情はとても印象的だと思います。

このシーンこそがこの作品の核心部分であり
今作は"生と死"、そして"罪とは何か?"がテーマなのは明白で、死刑囚は生きる意味があるのか?という難しい問題を教誨師を通して観客が考えるものとなっています。



教科書通りの牧師の言葉では高宮の心を動かすことは出来ない。
高宮から返ってきた言葉が佐伯の考え方を変えることとなる。

上記にも佐伯は高宮のことを「あなたを知らないことが恐ろしい」と表現しています。
「生きることと死ぬこと」
これも同じで、知らないことは怖いのだと説く。


その根底にあるのは哲学でしばし用いられる
"無知の知"である。

「無知であることを知っていること」が重要であるということ。
要するに「自分が如何にわかっていないかを自覚せよ」ということです。

これは自分自身だけでなく、相手に対してもそう。
無知を自覚することで新しい何かが見えてくる。

佐伯自身も死刑囚たちと対話することで少しずつ人となりを知っていくこととなる。
しかし、「知る」とは「理解すること」ではない。
「空いた穴を一緒に見つめる」と表現されたように、相手が犯した罪、心情の変化に寄り添うことなのです。


その結果、「どうして空いたのか?誰が空けた穴なのか?」などはどうでも良くて「空いた穴を一緒に見つめる」こと、つまり寄り添うことを選んだ佐伯は教誨師としては失格、今までの形を崩した対応を見せ、高宮を変えることとなったわけです。

この対応が「ああ、高宮が死刑の執行対象者なんだな」と気付かされる部分ではあるのですが。


死刑囚との対話を通して、佐伯は「何もできない」という教誨師としての絶望感を抱いたのだと思います。
それでも「自分にできることは何か?」を見つめ直し、彼らに寄り添うことしかないという答えを出したのではないか?

これまで冷静で上から目線だった高宮が執行直前に弱々しく怯えていた姿はしっかりと脳裏に刻まれている。
執行時、黒いマスクを被せられた時に漏らした言葉
「あれ?」
この時、彼は一体何を思ったのだろうか?



キリストの言葉

・ラストに残されたメッセージの意味は?

佐伯に字を教えられ、脳梗塞か何かの病で倒れた進藤が佐伯に洗礼を受けた後に涙ながらに渡したグラビアアイドルの写真。
ここに書かれていたメッセージは

あなたがたのうち、
だれがわたしに
つみがあると
せめうるのか

これはヨハネ福音書8章46節。
(参考:John / ヨハネによる福音書-8 : 聖書日本語 - 新約聖書)

聖書では、キリストが神の子であることを疑い悪霊に取り憑かれているんだと言う人々に投げかけた言葉です。

この言葉の続きはこうだ。
「わたしは真理を語っているのに、なぜあなたがたは、わたしを信じないのか。
神からきた者は神の言葉に聞き従うが、あなたがたが聞き従わないのは、神からきた者でないからである。」

進藤が覚えた平仮名で佐伯に何を伝えたかったのだろうか?
進藤は唯一、明白に救済された死刑囚であり、可能性として罪なき罪の贖い、冤罪だったということも有り得るのではないだろうか?



終わりに

言葉というものは他人に物事を伝えるコミュニケーションにおいて最適な手段で、とても大きな力を持っている。
しかし、この作品のように時にはそのコミュニケーション機能が全く果たせないこと、すれ違うことで蟠りができることだってあります。

教誨師と死刑囚の対話を通して表現された言葉の難しさを受けて、色々自分なりに考えてほしい。


また、大杉漣さんを劇場で拝めてよかったです。
惜しい人を亡くしたと改めて痛感しました。
是非、劇場に足を運んでもらいたい作品です。


最後までお読みくださった方、ありがとうございました。




(C)「教誨師」members

現実と虚構の水面下で見えるもの(「アンダー・ザ・シルバーレイク」ネタバレ考察)

目次




初めに

こんばんは、レクと申します。
今日は楽しみにしていた『アンダー・ザ・シルバーレイク』を観てきました。

一度鑑賞した後で纏まらないようならもう一度観ようと思ってましたが、一先ず無理矢理にでも纏めてみました。

とは言っても、これだ!という答えが出せた訳ではなく、それこそこの映画に含まれるテーマのひとつでもあるかと思います。
相も変わらず、こじつけて考察していますので、あくまでも個人の解釈であるということを念頭にお読みいただけると幸いです。


この記事はネタバレを含みます。
未鑑賞の方はご注意ください。



作品概要


原題:Under the Silver Lake
製作年:2018年
製作国:アメリ
配給:ギャガ
上映時間:140分
映倫区分:R15+



・解説

「イット・フォローズ」で世界的に注目を集めたデビッド・ロバート・ミッチェル監督が、「ハクソー・リッジ」「沈黙 サイレンス」のアンドリュー・ガーフィールド主演で描いたサスペンススリラー。セレブやアーティストたちが暮らすロサンゼルスの街シルバーレイク。ゲームや都市伝説を愛するオタク青年サムは、隣に住む美女サラに恋をするが、彼女は突然失踪してしまう。サラの行方を捜すうちに、いつしかサムは街の裏側に潜む陰謀に巻き込まれていく。「私たちは誰かに操られているのではないか」という現代人の恐れや好奇心を、幻想的な映像と斬新なアイデアで描き出す。サラ役に「マッドマックス 怒りのデス・ロード」のライリー・キーオ。
アンダー・ザ・シルバーレイク : 作品情報 - 映画.comより引用



・予告編






本作のテーマ

監督のデビュー作『アメリカン・スリープオーバー』が流れるシーン。
登場する女性が劇中に登場する娼婦として作り替えられているのが印象的である。

「アメリカン・スリープオーバー」2枚組ブルーレイ&DVD [Blu-ray]

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これは表立った舞台に立つ人間の裏の顔を暴くというメッセージのようで、監督自身の作品をネタにする辺りが、この映画にも裏があるんだぞと言わんばかりの挑発的演出にも映る。



劇中で聞こえた懐かしの電子音。
そう、1983年に発売された大人気ゲーム「マリオブラザーズ」のBGMです。

土管に入り、下へと潜っていくマリオはまるでこの先のサムを示唆するようでもある。

下、例えばアンダーグラウンドといったように"下"という言葉には表面下に潜む闇を暫し表す言葉として用いられる。
タイトル、そして劇中にも登場する「シルバーレイクの下」という言葉は物理的な意味ではなく、 我々の住む現実世界の根底を支配している闇、現実と虚構の狭間をテーマに混沌とした深層心理を描いた作品であると思います。


さて、このテーマを基にここで『アンダー・ザ・シルバーレイク』を象徴する都市伝説や陰謀について掘り下げていきましょう。



犬殺し

まずは"犬殺し"から考えていきましょう。

冒頭にも登場したカフェの窓ガラスに書かれた「BEWARE THE DOG KILLER(犬殺しに気をつけろ)」の警告文。
資産家の失踪事件とサムが見た夢、そして彼女の失踪と事件を繋ぐキーワードとなっています。

劇中ではシルバーレイクの都市伝説としても使われる"犬殺し"。
しかし、本来は別の意味があることをご存知でしょうか?



当管理人は三国志が好きなんです。(唐突)


三国志とは魏呉蜀の対立を描いた中国の後漢末期から三国時代にかけて群雄割拠していた時代(180年頃〜280年頃)の興亡史。
この三国時代の蜀の初代皇帝、劉備は有名ですよね?

彼の先祖に当たる人物、劉邦
項羽と劉邦」でも有名ですが、劉邦は秦の始皇帝の死後、項羽とともに戦い天下を手に入れた漢王朝の初代皇帝です。

その劉邦の沛時代からの配下である樊噲の仕事は"犬殺し(狗屠)"
本作『アンダー・ザ・シルバーレイク』における"犬殺し"とは少し違ったものなんですよね。

この時代、中国で犬は食用でした。
貧しい人々が食料とする為、野良犬として生きてはいけない。
飼い主を失った犬がどんなに惨めか。
その為に産まれた子犬を食料として処理する"狗屠"という職業があったんです。

古代中国では飼い主がいなくなり住む家も失った犬は、すぐ誰かに食べられてしまう運命が待っているという現実。
アンダー・ザ・シルバーレイク』を観ていて劇中のサム自身と重なる部分があるなと考えてました。


また、サラが失踪する前夜にサムが見た夢を思い出してもらいたい。
夜道にサラの飼っていた犬が殺され、彼女の姿をした女性が男性の腸に食らいつく姿。
劇中の"犬殺し"もただ犬だけではなく、人をも、そして食料として屠る者だという明白な描写なんです。


サムが見たサラや女性達が犬のように吠える幻想も、後に出てくるセブンスの娘の台詞「犬を殺せるなら人も殺せる」を連想させるように犬と人の境界線を曖昧にし、"犬殺し"に対するサムの抱いた恐怖心の可視化なのだと思います。
尾行されている(と思い込んでいた)のも恐怖心の表れかと。


劇中の台詞「犬は無条件に愛情をくれる」から考えると"犬"は夢のメタファーとなる。
つまり、"犬殺し"は後に人々をも飲み込んでしまう現実の恐ろしさを指すものと解釈しましたが、作中では畏怖するものの象徴として描かれていますね。



ついでに後半に登場したコヨーテについても記述しておきます。

コヨーテはイヌ科イヌ属に属する哺乳類。


米インディアン(カド族)の昔話コヨーテとお人好しのオポッサム

アメリカインディアンのほとんどの部族が、コヨーテをトリックスターとして崇めている。彼らにとって、大文字で「Coyote」と書くとコヨーテ神の意味を持っている。彼らの伝承で、コヨーテによって人間社会にもたらされたものはタバコ、太陽、死、雷をはじめとして、あらゆるものに及んでいる。
コヨーテ - Wikipediaより引用


劇中でも語られたように、コヨーテは聖なる生き物と称されています。
ここは後ほど少し絡めてお話します。



フクロウのキス

フクロウって、実際にキスするんですね。

ギリシャ神話において、フクロウは女神アテーナーの象徴であるとされる。知恵の女神アテーナーの象徴であることから転じて知恵の象徴とされることも多い。

東洋では、フクロウは成長した雛が母鳥を食べるという言い伝えがあり、転じて「親不孝者」の象徴とされている。
「梟雄」という古くからの言葉も、親殺しを下克上の例えから転じたものに由来する。

フクロウ - Wikipediaより引用


フクロウはかつて、アメリカの先住民に死の象徴として捉えられていたという話もあるみたいです。
アンダー・ザ・シルバーレイク』の都市伝説では街の裏組織にとって都合の悪い者を秘密裏に始末しているというもの。


フクロウは音を立てずに獲物に飛び掛かることから「森の忍者」と称されることがありますが、劇中でも足音を立てずに背後から忍び寄る全裸のフクロウ女が登場しました。

同人作家の自殺の件からも、恐らくはこのフクロウ女は自殺のメタファーであると考えられます。
もしかするとサムもあと一歩で自殺していたのかもしれません。


また、フリーメイソンイルミナティのシンボルもフクロウです。
フクロウがアメリカのドル紙幣に刻まれているというのは劇中にも挙げられています。


イルミナティのシンボル①「フクロウ」より引用。





実際に話として存在する都市伝説を映画という創作物の中で使用する。
こういった演出もまた、この映画のテーマにもある現実と虚構に沿ったものではないでしょうか?




3という数字

次に気になったのが"3"の数字です。
失踪者セブンスは3人の娼婦と焼死したとニュースに流れました。
そのうちの一人がサラだとサムは気付いたわけですが。

サラの持っていた人形も3体。
サラを探してサムが後を追った女性も3人組。
そしてパーティー会場で見たバンド「イエスとドラキュラの花嫁たち」も女性3人。
シューティングスターの娼婦も3人。

特に構図として、人形を除いて全て男性1人に対して女性3人なんですよね。
ある意味、玩具としては男根1に女性3でしたが(笑)



パーティー会場入口付近で女性が「3、3、三位一体」と歌っていたのは覚えてますでしょうか?


1210年頃に描かれた『三位一体の盾』の図式。

三位一体は、キリスト教において「父」と「子(キリスト)」と「聖霊聖神)」が「一体(唯一の神)」であるとする教え。
三位一体 - Wikipediaより引用


カトリック教会では「老人の姿の父、キリスト、火の姿で表される聖霊」の図像も広く用いられている。
正教会においては、「三つが一つであり、一つが三つというのは理解を超えていること」とし、三位一体についても「理解する」対象ではなく「信じる」対象としての神秘であると強調される。

つまり、父はソングライターの老人、子は人気バンドを含むアーティストたち、聖霊は上記にも記載した通り聖なる生き物と称されたコヨーテ。
バンドの曲から暗号を解読し、コヨーテに導かれ、ソングライターと出会う。

そしてポップカルチャーの裏側、闇、アンダーグラウンドな世界も理解するのではなく信じる対象として強調するものと考えられる。
非常に妄信に描き出した宗教的な図式であることがわかる。



敬意と隠喩

アンダー・ザ・シルバーレイク』は言うまでもなく様々な映画作品のオマージュとメタファーが散りばめられていますね。

前から姿を消した美女を追い求める様は『めまい』を。
双眼鏡で覗く様は『裏窓』を彷彿とさせる。


劇中にはヒッチコックの墓も登場し、デヴィッド・ロバート・ミッチェル監督のアルフレッド・ヒッチコックへ対する執着の畏怖とも取れる敬意が感じられる。



サムの白昼夢のような妄想でサラが失踪してから再びプールに姿を表すシーンではサラがマリリン・モンローの遺作『女房は生きていた』と同じポーズをとる。

これは死んだはずの女性が再び目の前に現れるという虚構世界そのもの
サラ自身が持っていた3体の人形のひとつがマリリン・モンローという細かい演出も良い。



メタファーと言えば、サムが大切にしていた雑誌「PLAYBOY」のカバーと後半のシルバーレイク貯水池での演出。

監督デヴィッド・ロバート・ミッチェルの言葉を借りるなら

いつも水にインスパイアされているんだ。
水辺の光景や音は観客を映画の中に招き込むと思っている。
水は物理的なものでもあるけれど、同時に全てを超越するものでもあるんだ。
アメリカン・スリープオーバー』のパンフレットより引用


今作同様に、彼の過去作『イット・フォローズ』でも血に染まりゆくプールの描写がありましたが


澱みないものが穢れていく様、そして形のないものの変容性、シルバーレイクという水面下から虚構が現実を飲み込んでいく様を描き出している。



サムの母親から送られてきた『第七天国』のVHSにあるジャネット・ゲイナーの「うつむかないで、上を向いて」という台詞。
これは
シルバーレイクの下へと足を踏み入れたサムが形のない答えを探して現実と虚構の狭間で現実を、上を向く展開、構図を端的に表現したものとなっている。


また、"犬殺し"と"フクロウ"の二点から少しずつ見えてくるものがあるんですよ。
それが、サムの見た妄想が現実世界でも見え始めること。

犬殺しでは単なる悪夢だったが、フクロウでは虚構が現実に干渉している。
つまりはサム自身の現実逃避の進行の現れ。
何が現実で何が虚構か分からなくなる、作り上げた妄想が真実を曇らせ、その世界観に引きずり込まれる。
デヴィッド・リンチ監督作『マルホランド・ドライブ』に近いものもあるのだろう。

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ただ、『マルホランド・ドライブ』と違うところは、サムの妄想から物語が始まっていること。
カート・コバーンは絶望して自分の命を絶っているが、サムは命ではなく(恐らくは音楽の)夢を絶ったと考えられる。

そんな彼を妄信させたのが隣人のサラ。
彼女と出会うことで、サムの現実逃避に拍車が掛かる。
「イエスとドラキュラの花嫁たち」の曲「回る歯」のように。

サムが目にしたものを妄想として現実世界で見せたのも、この映画のテーマである現実と虚構の狭間を可視化する為だと分かる。



総評

ポップカルチャーへの熱量と情報量の多さ。
現実と虚構の狭間で我々観客が掻き立てられる探究心は、まるで暗号を探す主人公と重なるように混沌とした深層心理、ネオ・ノワールの世界へと嵌っていく。

作中に散りばめられたオマージュやメタファー、その伏線をしっかりと回収しつつ芸術的に魅せるデヴィッド・ロバート・ミッチェル監督の才能と腕に惚れてしまった。
過去作『イット・フォローズ』は性と死というテーマの元、愛や青春を交えた希望を主軸に描かれていました。
今作『アンダー・ザ・シルバーレイク』ではその希望を見出すまでの絶望、もがき苦しむ現実逃避が主軸のように思います。

きっとあの排泄物を映した意味の無いシーンにも何か理由があるのでしょう。
便器の中が現実世界を表してて、現実はクソだとでも言いたいのだろうか?

この映画は答えを出すものではなく、探すものだと思う。
理解するよりも信じること、考えるより感じるもの。
それでもこの難解さはどうしても考えたくなる。
何が正解で何が間違いかは分からない。
だからこそ、自分の中でその答えを探し続けていく。
そういうものだと思いました。



終わりに

うーん、上手く纏まらなくてすみません(笑)
もしかしたらもう一度鑑賞しに行くかもしれないし、DVDが発売したら必ず観返します。

その時にまた、追記するかもしれませんが、この辺で許してください。



この手の映画考察は楽しいですね!
ぼちぼち更新も頑張りますので暖かい目で今後も見てやってください。

最後までお読みくださった方、ありがとうございました。



(C)2017 Under the LL Sea, LLC


アメリカンホラーのお手本(「クワイエット・プレイス」ネタバレ感想)

目次


初めに

こんばんは、レクと申します。

えー、暫く更新が滞っておりまして、申し訳ございません。
今回は久しぶりにブログを書きたい!となった作品「クワイエット・プレイス」について(?)語ってます。




原題:A Quiet Place
製作年:2018年
製作国:アメリ
配給:東和ピクチャーズ
上映時間:90分
映倫区分:G



今回はいつものような感想や考察ではない内容となってますので、あらすじ等は省かせていただきます。
久しぶりの更新で面倒臭いとかではない(笑)

ネタバレ有りなので、未鑑賞の方はご注意ください。


ホラーの観点

先ずはTwitterの感想から。



よくTSUTAYAなどのレンタルショップでは大まかにホラー映画と分類されていますが、ホラー映画は更に小分類化できるんですよね。
個人的な観点から製作国各国の特徴を挙げてみます。



日本はじめじめと湿った雰囲気の心霊オカルトものが多い。
リングや呪怨などが代表的な作品ですね。

リング

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呪怨 劇場版

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タイや台湾などアジア映画はJホラーの影響を大きく受けた作品が多数見受けられます。

the EYE (アイ) デラックス版 [DVD]

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心霊写真 [DVD]

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韓国では猟奇殺人もののサスペンス調のものが多い印象ですが、エクソシストもの、心霊オカルトものも多数あり、近年ではゾンビものと幅広いジャンルが楽しめます。

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フレンチホラーといえばスプラッターが代名詞ですね。

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屋敷女 [DVD]

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北欧ホラーは美しい情景と物悲しいストーリーが印象的。

などなど、挙げればキリがないので早速本題に入ります。

Twitter投稿のリプにも記載しましたが、自分が思うアメリカ的ホラー演出といえば音で驚かせることがテンプレであり、今作の静謐を要するシチュエーションにおいては最も効果的な手法である。



上記に挙げた映画は全てハリウッドリメイクされています。
※「屋敷女」は2018年に日本公開「インサイド」。
※「新感染」は現在進行中。

ザ・リング(字幕版)

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シャッター [Blu-ray]

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ゲスト (字幕版)

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では、ハリウッドリメイクされたらオリジナルと比べてどうなるのか?
これもあくまでも個人的な観点での主張です。

ストーリーは家族愛へ特化。
モンスターパニック化。
精神的恐怖から視覚的恐怖に。

全てとは言いませんが、良くも悪くもこのパターンに収まるところが多い気がします。



では、今作「クワイエット・プレイス」はどうなのか?





めちゃくちゃアメリカ的!!!



まあそりゃそうですよね。
製作国がアメリカなんですから(笑)



むしろアメリカ的ホラーのお手本!!!




家族愛、モンスターパニック、そのアメリカ的な王道な作りが音を立ててはいけないという単なるアイデアひとつで突き詰めた映画でなく、あくまでもホラー映画として観客を楽しませることを突き詰めたかのようで好感が持てるんですよ。

音を立ててはいけないという精神的な緊迫感と音を立てるとモンスターに襲われるという視覚的な恐怖のバランスが秀逸であり、アメリカ的ホラーの要素を存分に活かした作品だと思います。

個人的には精神的な恐怖が好みではあるが、今作においてはアメリカ的な演出、視覚的な恐怖への満足度が大きい。


観客を楽しませる

さて、では今作がどう観客を楽しませることを突き詰めた映画なのかについて語らねばなりません。

皆さんは、自分を楽しませてくれる映画とはどのような映画だと思いますか?



自分はですね、その世界観に没入させてくれる映画です。

勿論、その世界観に入れなくても素晴らしい作品はたくさんあります。


しかし
鑑賞中に作品中の何かに心を捉えられている状態、鑑賞後に現実に引き戻される尚且つ心に留まり続ける感覚を味わえるもの。

それこそが自分が
「映画を楽しめた」
と感じる大きな要因の一つです。



今作「クワイエット・プレイス」はその観客との一体化という点においてある種のアトラクションのような臨場感を味わえるのです。


まず、退廃した閉鎖的な街並み。
やはり登場人物たちが置かれた状況というものに我々は敏感です。
それはその映画の世界観に入り込もうとするが故。

例えば某ファンタジー映画では魔法学校が舞台であったり、某SF映画では宇宙船で惑星に降り立ったり。
ホラー映画においても、その置かれた状況や街並みというものは非常に重要なものとなってきます。

似たような街並みでパッと思いついた映画がこれです。


廃墟と化した封鎖された異世界のような街で、鳴り響くサイレンを合図に闇と共にクリーチャーが襲いかかる。
映画「サイレントヒル」はゲームが原作のホラー映画であり、その世界観を最も忠実に再現した作品の一つであると思っています。

そうです、世界観に没入することでその恐怖心や登場人物の心情を我々はより密に感じることができるのです。


他の要因として、得体の知れない何かに襲われる恐怖。
例えば、本日一緒に観てきた「MEG ザ・モンスター」はメガロドンという巨大サメに襲われる映画。
アナコンダ」は蛇、「ジュラシックパーク」は恐竜、と明確に何に襲われるのかが分かっている状態です。

今作のように地球上に存在しない得体の知れない何かに襲われる恐怖は上記のように正体の分かっているモンスターに襲われるのとは比較にならないと思います。

近いものを上げるとするなら

ザ・グリード [DVD]

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ミスト (字幕版)

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この辺りでしょうか?





次にその世界観を肌で感じてもらうこと。
冒頭始まって数秒で
「あ、音立てたら即死」というキャッチコピーが脳内に過ぎり、物音を立てるどころか息付く暇さえ無くしてしまう。

裏を返せば
劇場で物音を立ててしまうと周りのお客様からの袋叩きにあって即死
するということです。

というのは冗談ですが、それくらいのマナーの質が求められる、音を立ててはいけないとより一層張り詰めた空気が劇場内を包み込んでしまう。

こんな映画、今までありましたか!?




はい、「ドント・ブリーズ」!!!

ありました(笑)
とはいえ、盲目で聴力が発達した相手という共通点はありますが対人間。
今作のモンスターとは迫力が違います。

冒頭の息子の死がここでもいいアクセントになっているんですよね。
得体の知れないモンスターへの恐怖心とトラウマを早期に観客へと植え付ける。


また、その伏線が妻の妊娠と出産、夫の我が子を守りたいという想いへと繋がっていく。

そうなんです。
上記にも書きましたが
単なるアイデアひとつで突き詰めた映画ではなく、しっかりと盛り上がりポイントへの伏線を敷いた計算され尽くした物語となっているんです。

色々とツッコミどころは満載でしたがそれはご愛嬌(笑)


エミリー・ブラントの魅力

と、今作とホラー映画について語ってきましたが、今作を語るにあたってこの話題は絶対に外せないだろう。


※鼻をほじってるわけではありません。

そう、なんと言ってもエミリー・ブラントの可愛さが僕の中で爆発したのだ。



ここから先、少々変態発言がありますのでご注意ください。










先ず、ここ!
マタニティエミリーを見れること!

音を立ててはいけないという設定の中での子作り。
無音でセッ〇ス…つまりは喘ぎ声を堪えたということで、それはもう興奮材料でしかない!!!


すみません、取り乱しました。



子を持つ母親の気持ちは分かりませんが、我が子を守れず死なせてしまったこと。

その分、新たに宿った命を大切にしたい。
そんな気持ちと、今作の設定やシチュエーションに出産シーンは最高潮に盛り上がったシーンではないか?




バスタブにエミリー。

じゃなくて(笑)
出産に伴う痛みに耐えながら、音を立てて襲われるかもしれない恐怖にも耐える。
二重苦で必死に堪えるエミリーの姿には興(自主規制)


出産祝いの花火やでー!!!



もうここは真面目に語るつもりは毛頭ございませぬ。



最も心を奪われたのは、ほっぺを膨らませる仕草。
生憎、画像は見つかりませんでしたが可愛すぎる。

「なんなんだこの可愛さは!」
と上映中に叫び、即死するところでした。

いや、そもそも可愛さに即死だったんですが。

エミリーがほっぺを膨らますシーンの画像をお持ちの方は僕のTwitterへリプお願いします。




僕はエミリーに抱きしめられる家の柱になりたい(錯乱)



・・・あ、もう話すことはありませんよ?


終わりに

ということで、最終的にエミリーへの気持ち悪い愛を書き殴っただけになりましたが、久しぶりにブログ書けて楽しかったです。
ブログを書きたい!という作品は幾つかあったのですが、なかなか手が付けられず…今作「クワイエット・プレイス」を観てよかったと思います。



ということで、「IT/イット "それ"が見えたら、終わり」の考察も置いておきます。


更新は今後も不定期になりますが、何卒よろしくお願いいたします。






(C)2018 Paramount Pictures. All rights reserved.

母親である前にひとりの女性(「タリーと私の秘密の時間」感想考察)

目次




初めに

こんばんは、レクと申します。
今回は「タリーと私の秘密の時間」について語っています。

前半はネタバレなし。
後半はネタバレあり。
で書かせていただいてます。



作品概要


原題:Tully
製作年:2018年
製作国:アメリ
配給:キノフィルムズ
上映時間:95分
映倫区分:G


・解説

「JUNO ジュノ」「マイレージ、マイライフ」のジェイソン・ライトマン監督が、「ヤング≒アダルト」でもタッグを組んだシャーリーズ・セロンを再び主演に迎え、3人の子を育てる母親と不思議な魅力をもったベビーシッターの女性との交流や絆を、コミカルかつハートウォーミングに描いたドラマ。仕事に家事に育児にと何でも完璧にこなしてきたマーロだったが、3人目の子どもが生まれて疲れ果ててしまう。そんなマーロのもとに、夜だけのベビーシッターとしてタリーという若い女性がやってくる。自由奔放でイマドキな女子のタリーだったが、仕事は完璧で、悩みも解決してくれ、マーロはそんなタリーと絆を深めることで次第に元の輝きを取り戻していく。タリーは夜明け前には必ず帰ってしまい、自分の身の上を語らないのだが……。セロンがマーロ役を演じ、「ブレードランナー 2049」などで注目されるマッケンジーデイビスがタリーに扮した。脚本を「JUNO ジュノ」「ヤング≒アダルト」のディアブロ・コーディが手がけた。
タリーと私の秘密の時間 : 作品情報 - 映画.comより引用



・予告編





役作りと演出

この作品の素晴らしいところは何と言ってもシャーリーズ・セロンの役作りと演技。
そしてジェイソン・ライトマン監督の演出。
ヤング≒アダルト」でもこの二人はタッグを組んでますね。

ヤング≒アダルト スペシャル・コレクターズ・エディション [Blu-ray]

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今作では少し重い話を優しく包む込むような映像や音楽で演出されています。


台詞ひとつひとつもジョークめいた軽いコメディが散りばめられていて軽快。


セロンは育児に疲れた母親を体現するため体重を約18キロ増加して役に挑んだそうで、前出演作「アトミック・ブロンド」のセロンとは全く体型が違う。
彼女の役作りは「モンスター」で13キロの増量にも驚かされたが、本当に凄い。

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子育てに苦悩するという脚本は「ヤング≒アダルト」も担当したディアブロ・コーディの実体験だそうですね。

物語が生まれたきっかけは、脚本を執筆したディアブロ・コーディ(「JUNO ジュノ」など)の実体験。3人目の子どもを出産した直後、すでに2人の幼い子どもに時間とエネルギーを費やしていたコーディは、夜の10時から翌朝までの夜間ベビーシッターを雇っていた。その際のことを「(シッターは)救世主のように思えたわ」と語っており、今作では「分娩後の気持ちの落ち込み」と「育児に疲弊した母親の現実」、そしてそれを癒す数々のエピソードをつづっている。
“お疲れママ”を助ける“救世主”は誰!? C・セロン主演「タリーと私の秘密の時間」場面写真 : 映画ニュース - 映画.comより引用


で、どの演出が素晴らしいのかと言うとですね…
全てです!と言いたい。

母親の苦悩、父親の無関心さ、子供の自由奔放さ、他人の無関係さ、ベビーシッターの有難み、少しずつ心を開いていく様、家族に笑顔が戻る瞬間。
どのシーンを切り取っても素晴らしいの一言に尽きる。
いや、一言では言い表せない素晴らしさが詰まってます。

正直なところ、自分は子供もいなければ未婚であり、夫婦生活は疎か子育てに対する苦悩も想像でしか出来ません。
そして、子供の頃の記憶なんて曖昧で。
私情ながら家は母子家庭であり、どれだけ母親に迷惑を掛けてきたのか、すべてを分かるのは難しい。


そんな分からないなりにも、この映画のセロンを見ていると育児というものの難しさと苦悩、抱える問題が見えてくる。
それでいて語りすぎない演出が成されているんです。

全てを台詞で説明しなくとも伝わってくる。
それは感情移入とセロンの現実味ある役作り、演技の賜物ではないだろうか。

妊娠によるボディラインの崩れ、目の下のクマ、母乳、ここまでリアルを追求されたらもう出産後の母親にしか見えないでしょう(笑)




さて、ここからはいつも通りひとつの事を掘り下げつつ考察していきたいと思います。

この先はネタバレとなっております。
未鑑賞の方はご注意ください。






夢に見たものとは?

タリーの存在や脚本、これは恐らく他の方も感想などに挙げておられると思うので自分は夢について考察していこうと思っています。

作中で幾つか夢の映像が流れましたよね?
マーロの夢とは一体何を表しているのか?を考えてみました。


夢は大きく分けて二種類。
海の中の映像と現実的な映像。

海の中は終盤の事故で川へと落ちたシーンにも繋がりますが、他にも幾つか意味があると思います。


先ず、海が意味するもの。
夢占いによると

海の夢がおもに象徴するのは以下のようなこと。

・母親・母性
・豊さ
・潜在意識(思考のクセ)
・精神状態や体の状態
・出会い・妊娠など恋愛に関すること

全ての生命の源である海は、私たちに様々な恩恵を与えてくれます。
海水が蒸発して雲になり、雨を降らせれば恵みの雨となる。緑や生物など生命を維持していくために必要なものですよね。
人間の体の中にも海と同じようなものが存在していて、それはお母さんのお腹の中です。
誰もがお母さんのお腹の中にいる事を経験していて、「海に行くと落ち着く」このような感覚を感じたこともあるのではないでしょうか。
このように海は全ての源泉・源と言っても過言ではありません。
ですから、人間が生きていくうえで生じる問題や、嬉しい出来事を幅広く象徴するのが海の夢だと捉えてください。

【夢占い】海の夢!海辺・海岸・波など夢の意味を幅広く解釈 | 夢占いで心模様を洗い出すより引用

海中はお腹の中。
つまり新たに生まれてくる羊水に包まれた胎児のメタファー。
もうひとつは、新たな出会い。生まれてくるミアのこと。
そして、ベビーシッターのタリーとの出会いを示唆させるもの。


では人魚が意味するものとは?
空想上の生き物である人魚は、夢占いでは現実逃避したいという願望を表しているそうです。

人魚が海で泳ぐ夢は、夢占いでは女性らしさの発揮や、母性が高まっていくことを暗示します。人魚が泳ぐ夢は才能の開花や生命力の高まりを意味しますが、海は母性やかさの象徴です。
穏やかで美しい海の中を泳ぐことで、これまで以上に生活が充実してくることが考えられます。また結婚している人がこの夢を見た場合には、妊娠を暗示することもあります。
人魚の夢占いの意味15選|泳ぐ/助ける/死ぬ/食べる/自分/人間になる | Cutyより引用


人魚の夢もまた、母性の高まり、妊娠を暗示しているようです。




次に夢の中で、車中でジョナが二人現れた理由について考えていきます。

夢占いで子供の夢は、「あなたの側面・あなた自身・育むコトやモノ・可能性・不安の種か、可能性の種か?」を意味します。

子供は誰かと血を分けた存在。
夢の中に登場した子供は、実際に子供がいない人が夢を見た場合でも、あなたと血を分けた存在なんです。
ですから、子供の夢は、あなたの側面であって、あなた自身をあらわすこともあります。

また、子供は放っておくことができず、手のかかる存在。
育むべき、「コトやモノ」全般を象徴するものと捉えてください。
愛を育むことを意味するかもしれませんし、自分の魅力や才能かもしれません。あなたがこれから育て培っていくものを暗示する場合があります。

また実際の子供と同じように、育むことによって、その先には可能性が広がることも。子供の夢は可能性を象徴することがあります。
一方で、子供につきまとうものは、不安です。
子供はとても手がかかりますよね、放っておくことはなかなか難しいです。
子供の夢を見た場合は、あなたのなかに絶えずつきまとう不安のようなものを象徴することもあります。

【夢占い】子供の夢17選!自分に子供がいる夢・話す・遊ぶ・抱っこなど | 夢占いで心模様を洗い出すより引用



正直、ジョナはマーロにとって可愛い我が子であると同時に悩みの種でもありました。

これから育て培っていくものを暗示。
絶えずつきまとう不安の象徴。
そして、自分自身。つまりはマーロとタリー、二人の関係を示唆するもの。



母親となったマーロと対比するように演出されていた母親になる前のマーロ(タリー)。
最後の夢に人魚姿のタリーが現れたこと。
このことからも、水中に沈む車内からタリーがマーロを助け出した描写は育児に疲れた母親への精神的な救いを意味していると考えられます。

そして
これらの夢の共通点は母性の高まり、愛を育むこと。
すべては"暖かい家庭を築く"というラストシークエンスへ繋がる。



女性は母親になると我が子の為にと自己犠牲も厭わない状況に陥る。


タリーと私の秘密の時間」とはそんな自分自身と向き合った時間。
そして、ワンオペ育児で追い詰められていたマーロの苦悩からの解放、つまりは夫の育児への理解。
その為に費やした時間なんだと。

何度も言いますが、これらを台詞ではなく演出で分かりやすく魅せたところが本当に素晴らしいんですよ!



終わりに

あくまでも独身男性目線でしか見れないので、本当の育児の大変さは分からないのですが、分からないなりに感じたものは多々ありました。


完璧な人間なんていないんです。
完璧な母親を求めちゃいかん。
そして、母親である前に、ひとりの女性なんですよ。

母親視点で描かれた映画のようで、実は世の中の父親に対するメッセージが込められた作品なんですよね。
お互いに足りないところを補い合うのが本来の夫婦、家族の在り方なのだ。

ということで、女性の社会進出が進行している現代で、父親の育児協力も必要だという認識がもっと社会に広まればいいなあと思う作品でした。


お読みくださった方、ありがとうございました。





(C)2017 TULLY PRODUCTIONS.LLC. ALL RIGHTS RESERVED.

形而上学の視点から見る非現実世界(「未来のミライ」ネタバレ考察)

目次




初めに

こんばんは、レクと申します。
今回は「未来のミライ」について語っています。
久しぶりの考察記事となってます。

この記事はネタバレを含みますので
未鑑賞の方はご注意ください。



作品概要


製作年:2018年
製作国:日本
配給:東宝
上映時間:98分
映倫区分:G


・解説

バケモノの子」「おおかみこどもの雨と雪」の細田守監督が手がけるオリジナルの長編劇場用アニメーション。甘えん坊の4歳の男児くんちゃんと、未来からやってきた成長した妹ミライの2人が繰り広げる不思議な冒険を通して、さまざまな家族の愛のかたちを描く。とある都会の片隅。小さな庭に小さな木の生えた、小さな家に暮らす4歳のくんちゃんは、生まれたばかりの妹に両親の愛情を奪われ、戸惑いの日々を過ごしていた。そんな彼の前にある時、学生の姿をした少女が現れる。彼女は、未来からやってきた妹ミライだった。ミライに導かれ、時を越えた冒険に出たくんちゃんは、かつて王子だったという謎の男や幼い頃の母、青年時代の曽祖父など、不思議な出会いを果たしていく。これがアニメ声優初挑戦の上白石萌歌がくんちゃん、細田作品は3度目となる黒木華がミライの声を担当。両親役に星野源麻生久美子、祖父母役に宮崎美子役所広司
未来のミライ : 作品情報 - 映画.comより引用



・予告編





矛盾点

鑑賞後、端的に言って混乱しました。

なぜなら作品内の設定を自ら崩した脚本となっているから。
整合性のないストーリー展開となっているため、自分の中で想像した過程と結果というレールを大きく脱線してしまったんです。

これは明らかに制作側の作為的なもの。と判断せざるを得ない。
つまりは、何か理由があるんです。

その点について考えていこうと思っています。



・現在

まず、冒頭のファンタジー要素。

樫の木が生えた庭で、くんちゃんは変な男に話しかけられます。
この変な男は飼ってるペットのゆっこ。

衝撃的な描写として、その擬人化ゆっこに生えた尻尾を引っこ抜いただけでなく、くんちゃんは自分のア〇ルにそれを突っ込んで犬になってしまうんです!

そして、更に分からないのが、その尻尾を付けたくんちゃんをお父さんやお母さんがゆっこと呼ぶんです。
つまりは、お父さんやお母さんからはくんちゃんはゆっこに見えていることになります。

時間軸としては現在の時間経過そのもの。


ファンタジーの導入部としては力で押し切る展開…と思いきや、その後の展開で庭での不思議体験にファンタジー色は薄まり、SF色が強まるんですね。
後半に差し掛かるにつれて益々自分の中でこの冒頭のファンタジー導入部は必要だったのか?とさえ思ってしまう。(※ここについては後述しています。)



・未来から現在へ

次に、くんちゃんが未来のミライと出会うシーン。

ここでも違和感がずっと残ったままなんですよね。
右手の痣は恐らく4歳児のくんちゃんが未来から来たミライをミライだと判断するための設定でしょう。
庭で起こる不思議体験も、既にゆっこの擬人化を経ているのですんなり(?)受け入れられる。

問題は擬人化ゆっこを見ても未来のミライは動じないこと。
あくまでも冒頭での不思議体験はくんちゃん自身のもののはず。
未来のミライが知るはずがないんです。


もうひとつ言及するなら、未来から来たミライが過去に干渉することの危険性。
くんちゃんは分からないとして、未来のミライが自分本位に過去改変することへの違和感。

冒頭のファンタジー体験とこの未来のミライ体験、これをくんちゃんの脳内妄想として仮定した時に、雛人形の片付けという物理的干渉がどうしても納得いかない。

この二点から、ひとつの道筋が見えてきました。(※こちらについても後述しています。)

そして、同じ時間軸に同じ人物が同時に存在できない設定。
ここも後半パートでその設定を崩しています。(※こちらも後述しています。)



・現在から過去へ


次に、お母さんの幼少期と曾祖父さんに会うシーン。

過去へと飛んだくんちゃん。
泣いている少女(お母さんの幼少期)と出会います。
部屋を散らかし放題にし、お母さんのお母さん(お婆ちゃん)に叱られるお母さん(幼少期)を自分に重ねるような展開ですね。

実際に時間軸を移動したとして、過去の自分の母親に会うことはかなり危険です。
一方で、過去への干渉は現在の物理干渉は起こっておらず、くんちゃんの脳内妄想として仮定することもできます。


次に、自転車に乗ることを挫折したくんちゃんは再び過去へと飛びます。
すみません、ここで少し睡魔がきてしまいウトウトしてました。
なので、観てはいましたが事実と異なることが記載されていた場合はご指摘の方をお願いします。

そこで出会った青年はくんちゃんと馬に乗り、バイクに乗り、前を向くことを教えてくれました。
くんちゃんはこの青年をお父さんだと思い込むんですね。

しかし、実際は曾祖父さん。
4歳児のくんちゃんは曾祖父さんの顔を認識出来てなかったのか、若い頃の曾祖父さんだから気付かなかったのか。
現在へと戻ってきたくんちゃんはアルバムの写真で曾祖父さんだと認識します。

こちらも同様に、現在への物理干渉がなされてないので、脳内妄想として仮定できます。

いずれにせよ、この過去シーンが最もSFらしい展開となってますね。



さて、この後にもうひと展開あるのですが
一旦、ここでこの現在、未来、過去の3時間軸について整理したいと思います。



矛盾点の整理

まず、鑑賞中に感じたこと。
それは時間軸の移動は全てくんちゃんの脳内妄想ではないのか?です。


上記にも記載した通り、この3時間軸の整合性のない矛盾点は明らかに制作側の作為的なもの。と判断せざるを得ない。

整合性のないもの、とするなら
現在の擬人化ゆっこと犬化という不思議体験。
未来のミライ、過去のお母さんと曾祖父さん。


冒頭の擬人化ゆっこはこれから始まるこれらの不思議体験はファンタジー、脳内妄想ということを指し示すための演出の具現化、可視化ではないだろうか。
よって、その方向性で考えてみると全ての不思議体験はくんちゃんの脳内妄想という結論に至る。



擬人化ゆっこと出会うことで、赤ちゃん返りが治る。
未来のミライと出会うことで、雛人形の片付け。
過去のお母さんと出会うことで、母親への思いやり。
過去の曾祖父さんと出会うことで、自転車に乗れる。


自転車の件を終えた後のお父さんの台詞にもあった通り、子供は突然色んなことができるようになる。
不思議体験と現在のくんちゃんとのリンクはくんちゃんの現在置かれた状況と不思議体験後の自我の芽生えにあると思います。


その点で考えていくと、未来のミライ雛人形を片付けた点。
ここが唯一物理干渉を起こした点であり、最も大きな矛盾点となります。

雛人形の件もくんちゃんが一人で片付けたことになっちゃう。
果たしてそんなことが可能なのだろうか?(笑)

擬人化ゆっこを見ても未来のミライは動じなかった件は、くんちゃんの脳内妄想とするならば納得はできます。
未来のミライにも擬人化ゆっこは犬のゆっことして見えていたとできるからです。


しかし
時間軸の移動→整合性の矛盾→脳内妄想
とすると、後半パートで更に作品内設定を崩す設定が登場するんですよね。


それが樫の木の存在。
くんちゃんが不思議体験をしたのは家の庭に生えている樫の木が原因でした。
これは作品中でも説明されています。

過去のお母さんのエピソードから、靴に手紙を入れる。
猫好きだったお母さんのペットが犬である理由。
そして、傷ついた鳥とくんちゃん宅の鳥の巣。
過去の時間軸が現在に干渉している。


ということは
時間軸の移動→整合性の矛盾→脳内妄想→時間軸の移動
結局、振り出しに戻ってしまうんですよ。

でもですよ、時間軸の移動とするなら
擬人化ゆっこの件がまた説明できなくなるんです。
唯一、時間軸を移動してない不思議体験ですからね。


ここが最も混乱した理由です。
単に意味が分からないから混乱したのではないんです。
SF観点から考察すべきか、ファンタジー観点から考察すべきか、分からないから混乱したんです(笑)



矛盾点の結論

はい。
少し長々と行ったり来たりで話してきましたが、ここで自分なりの結論を出したいと思います。


自分が提唱する説は
形而上学的成長譚
です。

何言ってんだよ!ってのはやめてください(笑)
あくまでも個人的考察によるものなので正解を求めている訳ではありません。
自分が納得出来る仮説を説きたいだけです。

形而上学(けいじじょうがく、希: μεταφυσικά、羅: Metaphysica、英: Metaphysics、仏: métaphysique、独: Metaphysik)
感覚ないし経験を超え出でた世界を真実在とし、その世界の普遍的な原理について理性的な思惟によって認識しようとする学問ないし哲学の一分野である。世界の根本的な成り立ちの理由(世界の根本原因)や、物や人間の存在の理由や意味など、見たり確かめたりできないものについて考える。対立する用語は唯物論である。他に、実証主義や不可知論の立場から見て、客観的実在やその認識可能性を認める立場や、ヘーゲルマルクス主義の立場から見て弁証法を用いない形式的な思考方法のこと。
形而上学 - Wikipediaより引用



今作は不思議体験を通して得たくんちゃんの成長譚であること、そして家族の絆を描いたもので間違いないと思います。

くんちゃんが不思議体験する際には必ず、喜怒哀楽などの感情の起伏が起点となっています。
嫉妬、怒り、悲しみ、そういったなかなか受け入れられない駄々をこねる状況で不思議体験を経て、現実でくんちゃんがその経験を踏まえて成長を見せる。
自分の成長と共に家族との絆を育む。

大まかに纏めるとこんな感じ。
愛を奪われたくんちゃんが愛を取り戻す、北斗の拳的な話でもありますね(違う)

愛をとりもどせ!!

愛をとりもどせ!!



結局、この話は時間軸の移動なの?それとも脳内妄想なの?というところなんですが
SFファンタジーとするなら両方の要素があってもいいのではないか?
という安直な結論しか導き出せませんでした、すみません(笑)


時間軸の移動→整合性の矛盾→脳内妄想→時間軸の移動
ではなく
整合性の矛盾→脳内妄想≒時間軸の移動
もしくは
整合性の矛盾→脳内妄想+時間軸の移動


全てはくんちゃんの妄想だと纏めてしまえば簡単な話なんですが
やはり引っかかる雛人形の物理的干渉、そして
物理学に興味があるならまだしも鉄道マニアな4歳の男の子が果たしてこんな壮大な時間軸の移動と設定を妄想可能なのか?
というところで「脳内妄想+時間軸の移動」としています。


また、そのひとつの理由が
この作品における時間軸の移動はすべて過去に遡るもの。

そして、くんちゃんが現在の出来事をリンクして時間軸の移動、不思議体験を脳内妄想したと考えると、現実世界と非現実世界での繋がりが見えてきたんです。



・擬人化ゆっこの愚痴を聞く(くんちゃんの脳内妄想)
→赤ちゃん返りが治る



雛人形を片付ける(未来のミライの時間軸移動)
→おもちゃを片付けない



・現実世界でミライの顔にお菓子を乗せるイタズラをする
→非現実世界で魚の群れに襲われる


→非現実世界でお母さん(幼少期)が叱られて泣く(くんちゃんの時間軸移動)
→現実世界でお母さんが泣いている



・現実世界で自転車に乗れない
→非現実世界で馬やバイクに乗る(くんちゃんの時間軸移動)
→現実世界で自転車に乗れる



・くんちゃんの迷子(くんちゃんとミライの時間軸移動)
→くんちゃんがミライを妹として認める



そうです、3時間軸からもうひと展開あったくんちゃんの迷子シーンで判明したのですが

くんちゃん宅の樫の木は図書館のようなものでインデックスが出来ており、家系の過去、現在、未来の3時間軸全ての出来事がカードのような形になって収められている。
インデックスの中は球体状になっており、そこには系統樹が張り巡らせ枝分かれするような形で記録が残されているという。

そこから行きたい場所を見つけるのは困難という未来のミライの台詞。

ここで仮説が立てられますね。


くんちゃんの迷い込んだ場所(ここを俯瞰的世界とします)。
くんちゃんの描写では、とある駅の待合室でした。
未来のミライは時間軸の移動で現在へと来ている。
そして、この3時間軸に関わる俯瞰的世界にも未来のミライが登場していることから


ミライもくんちゃんと同じように、未来での樫の木による不思議体験者なのではないだろうか?


ということ。
索引の使い方をくんちゃんに教えていたのも頷ける。
とするなら、雛人形の物理的干渉も説明できます。
また、擬人化ゆっこを見ても動じなかったことも説明ができます。
時間軸を移動して、既に知っていたからです。


ここで前半パートと後半パートの矛盾点、雛人形を片付ける際に説明された同じ時間軸に同じ人物は同時に存在できない。という設定も
俯瞰的世界、つまりどの時間軸でもない世界では過去と現在と未来が混在しているのではないか?と推測できます。

したがって、俯瞰的世界では
現在のくんちゃんと待合室にいた未来のくんちゃん。
が同時に存在できたのではないか?



これらの不思議体験を何らかの実体として認めると仮定しよう。
(ゆっこの尻尾でくんちゃんがゆっこに見えた件、未来のミライが物理的に干渉した件などを考慮し)

これは広い意味で、様相実在論と呼べるのではないか?

非現実世界は現実に存在しない。
とするなら、この主張は様相形而上学的には否である。
裏を返せばすべての実体は現実に存在するものということが言える。
つまりは、哲学的理論(ここで言う不思議体験)に使われる実体もすべて現実に存在する。と言えるのではないか。


現実世界と非現実世界の区別はどこか?
例えば、「此処」と「此処以外の場所」の区別や
「現在」と「現在ではない時間軸」の概念と類似すると思う。

「此処」と発した時点での場所を「此処」と定義するなら、「現在」と発した時間が「現在」なわけで、非現実世界を現実だと認識したのならば現実世界であり、現実世界での現実としての認識と区別されることはない。
つまりは非現実世界も形而上学的には特別なものということにはならない。

無数の不思議体験は論理空間を探索する知的旅行である。



かなり極論なのは承知の上で述べてます。
こうしないと纏まらなかったんです。

締まりが悪いなあ。。。



総評

考察してきた矛盾点が気になって気になって感想どころではなかったので、改めて感想を。


SFファンタジーとする一方で、しっかりとうざいくらいに子供目線で描かれている点も評価できる。
また、作品内容だけでなくアニメ作画としても素晴らしい。
息を吹きかけて曇る窓ガラスとそれを拭う手の跡。
人型であるくんちゃんの犬化モーション。
泳ぐ魚や駅の描写まで。

恐らく、自分が考察してきたような理論的なものではなく、「考えるのではなく感じろ」映画だったのは間違いないだろう。
ただ、ファンタジー導入部が機能しきれず後半になるにつれてSF色が強まったことは勿体無い気もします。

そもそも、細田守監督が壮大なファンタジーを描けるとは思っていなかったので、不思議体験が家の中で、それも庭という限られたミニマム空間でしか起こっていないことは英断としか思えない。

よって脚本の粗さはあるものの、時間跳躍によって紡がれる家族という共同体を冷たくも温かく描き出したことが素晴らしく、また過去へしか遡っていない設定は未来は自分で切り開いていくものだというメッセージにも取れる。



終わりに

なんだかグダグダと語り出したら止まらなくなってきて、長々と失礼しました。
結局答えはビシッと出せず抽象的になりましたが、疲れたのでこの辺でやめておきます。

最後までお読みくださった方、ありがとうございました。



(C)2018 スタジオ地図

この森で、天使はバスを降りた(ネタバレ感想)

目次




初めに

こんばんは、レクと申します。
今回は映画「この森で、天使はバスを降りた」について語っています。
フォロワーさんからのオススメ映画を観た第三弾になります(笑)

この記事はネタバレを含みます。
未鑑賞の方はご注意ください。



作品概要


原題:The Spitfire Grill
製作年:1996年
製作国:アメリ
配給:東宝東和
上映時間:116分


・解説

さびれた町にやって来たよそ者の少女が、しだいに人々の傷ついた心を癒していく様を描くヒューマンドラマ。監督・脚本はテレビシリーズ『探偵レミントン・スティール』で知られるリー・デイヴィッド・ズロートフで、彼の劇映画デビュー作。製作は「ボブ・ロバーツ」のフォレスト・マーレー、製作総指揮はウォレン・G・スティット、撮影は「Dr.ギグルス」のロブ・ドレイパー、音楽は「アポロ13」のジェームズ・ホーナー、美術は「ユージュアル・サスペクツ」のハワード・カミングス、編集は「フォー・ルームス」のマージー・グッドスピード、衣裳は「ユージュアル・サスペクツ」のルイーズ・ミンゲンバック。主演は「蒼い記憶」のアリソン・エリオット。共演は「キルトに綴る愛」のエレン・バースティン、「クラッシュ」のマルシア・ゲイ・ハーデンほか。96年サンダンス映画祭観客賞受賞。
この森で、天使はバスを降りた : 作品情報 - 映画.comより引用



・トレーラー






調和からの脱却

自然に囲まれた閉鎖的な小さな村。
そこにバスから降り立つ一人の素朴な女性。


変化を求めない調和、現状維持の傾向は、いい意味で平凡であり平和なのだろう。
一方で、排他的な視線で外部を受け入れようとはしない偏見が見られるんですよね。

そこで、力で押し切り何かを変えようとする強引な演出がないところもこの映画の魅力のひとつ。


彼女が服役していた罪は殺人罪
刑期を終えた彼女はその罪からも逃れられずにいる。
食堂スピットファイアを営むハナもまた、自責の念に囚われている。

この二人と食堂を取り巻くように物語は展開されていくわけだが、ひとつのアイデアが現状を一変させる。



作文コンテスト。
100ドルの応募金で作文を作り、優勝者にはこの食堂を譲るというもの。
自然に囲まれる田舎の食堂だからこそ価値があり、パーシー同様に新たな地で人生をやり直したいと願う人は多数いるのだ。

この寄せられる一つ一つの文が、それを読む村中の人達の表情が和やかで心温まる。



パーシーのアイデアを受け入れたことは、それまで調和を求めた村全体に変化を齎せた。
自分が変わろうとするパーシーには人を変える力がある。

ハナも少しずつパーシーを受け入れるようになっていく。
怪我をきっかけに少しずつパーシーを頼るようになっていくのだ。


ハナの甥ネイハムの妻であるシェルビーもまた、パーシーと出逢ったことで少しずつ変わっていく。

最もそれが表れたシーンが、シェルビーが夫ネイハムに逆らうシーンだ。
それまでは夫の言いなりで閉鎖的な村同様に調和を求めていた。
ハナのお金が盗まれた時、シェルビーはパーシーを疑うなら離婚すると言ったのだ。

これはパーシーによって変わりゆく村のメタファーとして描かれていると思う。


こうだと決め込んでしまうとそれ以上にはならない。
変化することは恐怖もある。
そして変化するためには勇気がいる。
変わるきっかけを作ってくれたのがパーシーであり、変えることができたのは彼女ら自身なのだ。



見えないものの恐怖

傷が深ければ、治るのもそれに比例して苦しいのか?


‪人間が持つ内包的な善悪、犯罪に至る経緯や心情の変化、憎悪や嫉妬、猜疑心や欺瞞、そういった負の感情というものは、築かれつつあった関係を一瞬で崩れさせる。‬

しかし、周りの目を気にするような消したい過去、例えばパーシーのように罪を犯して刑務所に入っていた過去があったとしても、その経験を後の人生に活かすことも出来るんだ。
つまりは生かすも殺すも自分次第であり、自分がどう立ち振舞って行くかが重要だということ。



何よりも怖いのが、分かっているつもり、知っているつもりで相手を決めつけてしまうことだろう。
潜在的にある偏見や差別の目、自分のフィルターを通して見た姿と相手の本心、真意との乖離や齟齬。


「彼女のことを知ってるつもりでした。」
ネイハムのこの言葉が全ての懺悔と罪の意識を物語っている。

そう、「何も知らなかった。」んです。
思い込みは時に良からぬ方向へと進んでいってしまう。
信じることとそう思い込むことは違うんです。


そして、さらに言うならば、大切なものは失って初めて気付かされるということ。

手の届かない場所、もう会えない場所へ旅立った。
その時になって人々は与えられた小さな物事の大きさに気付かされる。



交わる接点

我が子を失った母親と我が子を亡くした母親。
境遇は違うし、互いの気持ちを理解し合うことは出来ない。
それでも我が子に対する愛情という点においては共通するものがある。


人は決して相手の気持ちを全て理解することなんて出来ない。
それでも、相手の気持ちを察することは出来る。


気持ちに乖離があっても接点を持つことは出来るんです。

だからハナの息子であるイーライに、パーシーは産まれてくるはずだった子どもと同じジョニー・Bと名付け、命を賭けて助けようとしたのだろう。
意図するものではなく、無意識に。本能的に。


自分は我が子に会えなかった。
しかし、ハナとイーライを会わせることが出来た。
これは紛れもなくパーシーの立ち振る舞いの結果である。



作文コンテストの優勝者はクレアという女性。

子を身篭った時に応募されたもので、応募金は100ドルに満たない。
しかし、息子のこれからの人生のチャンスを与えてあげようといった内容には、我が子への愛情、そしてこれから先の未来を見据えた希望が見える。
ハナはその希望に託したのだと思えるのです。


拍手でクレアを迎え入れる村人たちとその笑顔は当初の排他的な村の印象はない。

そう、これは決して爽やかなハッピーエンドでもなければ悲劇的なバッドエンドでもない。
今、ここから始まる物語なのです。



終わりに

この作品を観て分かる邦題の素晴らしさ。
単にタイトルを見ただけでは分からないこの作品の良さがこの放題に詰め込まれている。

何このセンス!
邦題が良すぎてブログ記事のタイトル何も浮かばんかった(笑)

扱うテーマは重いものの、ラストは荒んだ心に静謐を齎してくれるような、そんな映画でした。
最後までお読みくださった方、ありがとうございました。



(C) 1996 Warner Bros. Entertainment lnc. All Rights Reserved.

不遇への葛藤と愛を見つけた希望の物語(「プレシャス」ネタバレ感想)

目次




初めに

こんばんは、レクと申します。
今回は映画「プレシャス」について語っています。
フォロワーさんからのオススメ映画を観た第二弾になります(笑)

この記事はネタバレを含みます。
未鑑賞の方はご注意ください。



作品概要


原題:Precious
製作年:2009年
製作国:アメリ
配給:ファントム・フィルム
上映時間:109分
映倫区分:R15+



・解説

1987年のニューヨーク・ハーレムで、両親の虐待を受けながら希望のない日々を生きる黒人少女プレシャス。レイン先生に読み書きを習い、つたない文章で自分の心情を綴り始めたプレシャスは、ひたむきに人生の希望を見出していく。サファイアの小説「プッシュ」を、「チョコレート」で製作を務めたリー・ダニエルズが映画化。マライア・キャリー、レニー・クラビッツ、ポーラ・パットンらが出演。2009年のサンダンス映画祭でグランプリ、第82回アカデミー賞助演女優賞と脚色賞を受賞した。
プレシャス : 作品情報 - 映画.comより引用



・キャスト






・予告編





人生の選択

16歳のプレシャスは父親からの性的虐待で二度目の妊娠。
母親からも逆恨みの虐待を受け、友達や恋人も出来ず、読み書きもできない。
妊娠を理由に退学させられたプレシャスはここで人生のターニングポイントに差し掛かる。



一つ目の重要な選択は
教育を受けること。

プレシャス自身の本当の想いは分からない。
しかし、子は親を選べないという自分の不遇を愛する我が子たちにして欲しくないという母性の目覚めを自分は感じました。

その為には先ず自分がちゃんとした生活を手にする必要がある。
愛を知らない齢16の女の子が、学校に通いつつ産まれてきた子ども二人を育てる。
非常に困難で突きつけられる現実、大きな壁、障害は多い。


そして、もう一つの重要な選択が
母親との離別。

プレシャスの母親だって初めは心から娘を愛していたんです。
我が子に名付けたその名前こそがそれを証明しています。
宝物(プレシャス)

この作品で、恐らく誰もがよく思わない母親という存在。
娘に対する虐待は決して許せない問題であるが、彼女自身も被害者であることは忘れてはならない。
彼女もまた夫からの愛を知らずに人生を歩んできたのだ。

プレシャスはそんな母親との離別を決意し、我が子へ愛を注ぎ、同時に愛を知ることとなる。
自分を本当の意味で愛してくれる人の存在は大きい。
生きる希望にもなるし、自分の存在意義にもなりうる。
同時に、親が子を愛することは当たり前ではなく、時には別の愛する人のために捨て置くことも有り得るのだ。


1980年代、経済格差の渦中にあったアメリカでは、貧困の中に疎外された男性たちのDVや性的虐待などの暴力が蔓延っていました。
原作者のサファイア自身もDVのある環境に育っていたようで、今作の監督てをあるリー・ダニエルスは原作を読んで深く感心を寄せたという。
母親役のモニークも兄からの性的虐待を告白していることからも、この役作りに徹したモニークには脱帽です。

「プレシャス」で第82回アカデミー助演女優賞に輝いたモニークの兄ジェラルド・アイムスが、4月19日放送の米ABC「オプラ・ウィンフリー・ショー」に出演し、子どものころのモニークに性的虐待を行っていたことを告白した。
アイムスは、自身が13歳、モニークが7歳のころから1、2年にわたり性的虐待を行ったと明かし、「本当にすまないと思っている」と涙ながらに謝罪。かねてモニークは、兄から性的虐待を受けていた過去をメディアに語り、「プレシャス」で演じた鬼のような母親役を、その経験をもとに演じたとコメントしていた。
オスカー女優モニークの実兄、性的虐待を告白 : 映画ニュース - 映画.comより引用




変化と成長

大きく分ければこの上記2つがプレシャスの重要なターニングポイントでした。

一方で、人生とは無数の選択肢の上に成り立ちます。
勿論、この劇中にも様々な選択肢がありました。
その中でも大きく関わったのはフリースクールで出会った生徒たちとレイン先生です。


あの時、校長先生が自宅を訪ねて来なければ。
もし、プレシャスが校長先生の言葉に耳を傾けなければ。
翌朝、フリースクールへと足を運ばなければ。
・・・etc.

その中でも印象に残ったポイントだけ挙げていきます。



・レイン先生の質問

フリースクールでの初めての自己紹介。
名前、出身地、得意なこと、好きな色を教えて。


一度はパスしたプレシャスは勇気を振り絞って自己紹介をします。

人は名前も、生まれる場所も、肌の色も選べない。
それでも好きな色は自分で選ぶことが出来る。
得意なことを伸ばすことは自分の自信へと繋がる。

人生とは自分の選択肢で歩んでいくものなんだ。
というメッセージとも取れる非常に素晴らしい描写がさり気ない演出のひとつとして落とし込まれているんですね。



・プレシャスの妄想

冒頭から何度か劇中に挿入されるプレシャスの妄想。
こうありたいと願う夢が可視化される瞬間は色鮮やかで表情も明るく煌びやかな演出がなされています。

この現実と夢との対比は、不遇な彼女を通した現実世界は甘くないという痛烈な皮肉にも、現実逃避にも思える妄想はある種の前向きな姿勢の表れにも取れる。

また、この妄想や表情からも、プレシャスは人生のすべてにおいて自己憐憫に浸ってはいないということが伺える。
そして、物語を終始取り巻く暗く落ちていくような雰囲気を少しでも和らげる観客への救いにも思えてならない。
ポジティブな人を見ていると何処か元気が出てくるアレに近い(語彙力)。



・プレシャスの心境の変化

フリースクールへと通う前は自分の都合のいいように妄想をしていたプレシャス。
思い出してほしいのですが、身支度をする鏡に映った自分の姿が白人の金髪女性として演出されています。
上記に記述した通り、プレシャス自身のこうありたいという理想像。


しかし、母親との対談の場に歩む前、ロビーで映る自分自身の姿は金髪女性ではなくありのままの自分自身でした。

妄想することで現実から目を背けてきた彼女自身を払拭する決意の表れ、現実と向き合ったこと、現実と向き合う強さを持ったことを意味するのではないかと思う。

フリースクールが人生の転機となったのはこれ以上説明するまでもありませんが、この時にプレシャスが自分のありのままの姿を受け入れたこと。
そして、自分の人生を歩み出したことを示唆させます。

勿論、転機を見逃さないことも必要ですが、その転機に乗っかることが出来る自己選択も重要なのではないだろうか。


いつか子どもに読み聞かせると語った絵本。
フリースクールで習ったことは読み書きだけでなく、人間としても母親としても成長させたのでしょう。



終わりに

プレシャスは過去のしがらみを断ち切った。
一見、ハッピーエンドにも見えるラストでしたが、プレシャスはやっとスタートラインに立てたんです。

この先、我が子が成長し、自分の出生について知る機会もあるでしょう。話さなければいけないことも沢山あるでしょう。
その時に、どう向き合っていくのか。
ただ言えることは、プレシャスにとって我が子は宝物です。

良い母親として我が子へ愛を注いでやってほしい。
そして二人の子どもにとっても、プレシャスは母親としては勿論のこと、かけがえのない存在で在り続けてほしい。
そう願わざるを得ないラスト。


重くのしかかる題材の中に、諦めないことで自ら見出した光を掴む、そんな希望に溢れた未来を想像できる非常に感慨深い作品でしたね。
最後までお読みくださった方、ありがとうございました。




(C) PUSH PICTURES, LLC

この映画は二度はじまる(「カメラを止めるな!」ネタバレなし)

目次




初めに

こんにちは、レクと申します。
今回は今、話題の「カメラを止めるな!」について語っていこうかと思っています。

まだ上映館数も少なく、観てない方も大勢おられると思いますのでネタバレは控えています。
※とは言ってもサイト情報や予告編で明示されている部分については言及しています。



作品概要


製作年:2017年
製作国:日本
配給:ENBUゼミナール
日本初公開:2017年11月4日
上映時間:96分


・解説

映画専門学校「ENBUゼミナール」のワークショップ「シネマプロジェクト」の第7弾として製作された作品で、前半と後半で大きく赴きが異なる異色の構成や緻密な脚本、30分以上に及ぶ長回しなど、さまざま挑戦に満ちた野心作。「37分ワンシーンワンカットのゾンビサバイバル映画」を撮った人々の姿を描く。監督はオムニバス映画「4/猫 ねこぶんのよん」などに参加してきた上田慎一郎。とある自主映画の撮影隊が山奥の廃墟でゾンビ映画の撮影をしていたが、そこへ本物のゾンビが襲来。ディレクターの日暮は大喜びで撮影を続けるが、撮影隊の面々は次々とゾンビ化していき……。2017年11月に「シネマプロジェクト」第7弾作品の「きみはなにも悪くないよ」とともに劇場で上映されて好評を博し、18年6月に単独で劇場公開。
カメラを止めるな! : 作品情報 - 映画.comより引用


・予告編





駄文

まず、Twitterの感想から。



前提として、この作品は好きです。
それを踏まえた上で、あえて言及していきます。




そもそも、前知識、予備知識を持たずに観た場合、期待した作品なのか?期待を超える内容なのか?


ゾンビ映画としてカメラを止められない。
言い換えれば、撮影し続けなければならない現状でゾンビパンデミックが起こるといったものを期待してしまうと斜め上を行くものとなっています。

そう、予告編を観るか観ないかで、期待する方向性が大きく変わってきてしまうんですよね。


前半、ゾンビ映画としてのクオリティは手放しに褒められるものではありません。
低予算というフィルターを通してでも。

この作品で評価できるポイントのひとつがここにあります。
この低予算で見るに堪えないとは言いませんが、少しシラケてしまうようなチグハグした冒頭のゾンビ映画
このチープさでさえ、伏線回収へと繋げてしまうんですよね。
キャッチコピーや予告編をご覧になられた方は察すると思いますが。

一度落とされた(笑)気持ちを盛り上げる脚本。
その落差の絶対値が大きければ大きいほど、この作品が面白いと感じる仕様になっているのでしょう。

えっ、上田慎一郎監督凄すぎない?ってなっちゃいます。



実際に撮影されたものと伏線回収時の演出に少し齟齬が見えたこと。
ここは大した問題ではありません。
むしろ、上手く誤魔化せてたと思います。

チープな低予算ゾンビ映画での盛り上がりを期待すると恐らくは期待外れ、肩透かしを食らってしまいます。
ここで「オイオイ、マジかよ(笑)」な空気が劇場で流れたことも確かです。

そこを裏切って、楽しませてくれたエンタメ性の高い脚本と役者陣の熱が観客を巻き込んだ。
この作品の人気を支える大きな要因のひとつだと思います。

自分も予備知識なしに観に行きましたが、そこに惹かれたことは間違いないでしょう。

ここにハマれるかどうか。。。

あまり時間が取れず、観た方の感想も回りきれてませんが、見るのは絶賛評ばかり。
そう、それに期待しすぎると合わない人がいてもおかしくない。
観客皆が同調圧力に負けてるとは思いません。
ただ、批判的な意見をあまり見かけないこと。
そして、上田監督の次作への期待値は不安がないこともない(笑)





次に、インディーズ映画は普段メジャー作品を観ている観客にウケるのか?


かく言う自分もミニシアター系映画を好き好んで観るタイプではありますが、数をこなしている訳ではありません。
時間に余裕があれば足を運ぶ程度で、大半はやはりメジャータイトルに落ち着く。

普段から映画を観ない観客にとってのインディーズ映画はどう映るのか?

経験上、この作品のように口コミで広まっていないインディーズ映画はやはり空席が目立ちます。
上映館数も少なく、座席数も少ない。
カメラを止めるな!」は口コミも宣伝もあり、ほぼ満員でした。
そして、鑑賞中に何度か笑いの起こる和やかな雰囲気でした。

その雰囲気に引っ張られたこともあるでしょうが、コメディタッチな笑いは万人受けしそうではありました。
そうです、純粋にこの演出が評価された瞬間でもあり、ここに所謂顔となる役者や監督の名前は不要なんです。
もちろん最低限の技術は必要ですが。

確かに演技力にバラつきはありました。
しかし、それを互いに補い合い、ひとつのチームとしてこの作品を作り上げた。
そんな熱意が観客の心を掴んで離さないんですよね。


あ、厳しくいこうと思ってても、何故か褒めちゃってますね。
なんか悔しい(笑)





ということで
厳しい目で評価しましょう。

本作「カメラを止めるな!」は本当に前情報や予備知識なしでなければいけないのか?

自分も映画好きを謳っているひとりであり、それなりにネタバレはダメだというような作品も観てきています。
そんな中で時折思うのが、ばらしていいネタバレとばらしてはいけないネタバレです。



例えば、公開当初に問題となったM・ナイト・シャマラン監督作「スプリット」。

この作品を観る前にある作品を観ておけ。といったネタバレとも取れないネタバレ問題ですね。
観客にとって有益で必要な情報であるにも関わらず、それをネタバレだと批判されたことに疑問は大きい。
それは必要なネタバレ(ネタバレと言っていいのかも疑問だが)だと思っています。
シャマラン監督の過去作を観ておいた方がいいよ。だけではプッシュが弱いんですよね。


次に、ジェームズ・マンゴールド監督作「アイデンティティー」。

アイデンティティー [Blu-ray]

アイデンティティー [Blu-ray]

この作品のすごいところは、ネタバレ禁止の部類に入る作品であるにも関わらず、作中であっさりとネタバレを掲示してしまう。
そこに観客が納得出来ること。
そしてネタバレを知っても楽しめること。
何度観ても面白い点にあると思うんです。


本作「カメラを止めるな!」に関しても
ネタバレされても観客は納得して楽しめるのか?と。
ネタバレされてから観ても面白いのか?と。


恐らく、自分はもう一度観に行っても楽しめると思います。
それは自分がこの作品にハマれたからというのが大きい。

一度も鑑賞されていない観客が、もしネタバレを見て、それでも尚この作品を楽しめるのかどうかという点に非常に興味があります。
あくまでも一般的な視点で。


もちろん、何も知らない状態の方が受ける衝撃は大きい。
かく言う自分も、ネタバレは出来る限り見たくありません(笑)
前情報も予備知識もあまり入れずにフラットな状態で作品に臨みたい。

しかし、ネタバレされたから面白くなくなるような作品はそもそも面白い作品なのか?とも思う。


まだ観てない方に言いますが、「カメラを止めるな!」は正直、予告編でネタバレしてます(笑)

どちらがいいのかなんて言えませんが、公式が掲示した内容を踏まえた上で鑑賞しなければ、観客側が勝手に期待して、思っていたのと違うと肩透かしを食らってハマれなかった。なんてことも有り得るということが言いたい。

そもそもの話、ネタバレの境界線は各々違うってのもあるんですけど。



キャッチコピー
『最後まで席を立つな。この映画は二度はじまる。』



もしかすると、ネタを知った二回目の鑑賞で何かが始まるのかもしれない(笑)



終わりに

と、色々と簡単に書きましたが、まだご鑑賞されていない方は出来るだけ劇場で観てほしいです。
勿論、自宅鑑賞を否定するわけではありませんが、この手の映画は観客一体となって観る臨場感もキモのひとつだと思います。

作品の善し悪しを左右するものと簡単には言えませんが、どうせ観るなら劇場で!くらいの気持ちで行ってみましょう。
少なくとも自分はこの作品に1800円を支払う価値はあると思います!

最後までお読みくださった方、ありがとうございました。


Keep Rolling (映画『カメラを止めるな!』主題歌) [feat. 山本真由美]

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(C)ENBUゼミナール

この映画を観たらもう戻れない変態映画25選!

目次




初めに

こんにちは、レクと申します。

今回はですね、Twitterのフォロワーさんでありブロガーのナガさんがお書きになられた記事

より、自分の変態映画も記事にしてみては?とのご意見をいただいたので、早速やってみることにしました(笑)


所謂「変態映画」をナガさん同様に25作品ご紹介させていただこうと思っていますが、ナガさんのエログロ?ではなく、自分はあくまでも常軌を逸した変態要素を重要視して選出しました。

ナガさん曰く
「もう変態ではなかったあの頃には戻れない」
との事なので、今回ご紹介する映画を見ないように気をつけてください!(こちらでもフリ)

そして25作品全て見ているよと言う方がいらっしゃいましたら、健全だったあの頃にもう戻れないないという事実を噛みしめて、ナガさんと僕と一緒に泣きましょう。

ナガさんも僕ももうあの頃には戻れません(笑)


(C)あんど慶周集英社・2016「HK2」製作委員会



ということで、真面目な記事ではありません。
レビューもふざけてますが、興味ある方は最後までお付き合いお願いします。



変態入門編

先ずは変態入門編!
変態味は薄ーい犯罪者たちの映画。
これくらいじゃ変態とは胸を張って言えませんね!


・セブン:ビギンズ 〜彩られた猟奇〜

ウィレム・デフォー セブン:ビギンズ~彩られた猟奇~ [DVD]

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アナモルフォーズとは、歪像画とも言われる所謂隠し絵や騙し絵のことです。
見る角度や距離、遠近法を利用して描かれたもので、ある視点から見ると隠れていたものが現れてくるという仕組み。
ある視点から見てるだけではその物事の全容はわからないって教えみたいですね。

主人公とアンクル・エディ猟奇殺人事件を絡めたストーリー展開。
一番の見せ場が犯人の殺害現場の装飾。
壁に投影される臓器を抜かれ逆さ吊りにされた死体。
バラバラに切り刻まれた人体ジグソーパズル。
一見、無意味に見える殺害現場もある視点から見れば一つの作品となる。
芸術性の高い殺害方法は実に変態的な美しさ。


・チェイサー

デリヘル運営の元刑事の店で女の子が立て続けに失踪。その頃、街では連続猟奇殺人事件が頻発していた。
デリヘル運営元刑事と殺人でしか性的興奮を覚えないEDな犯人との追いかけっこクライムサスペンス。

EDな犯人が女性を突くのはアソコではなく頭蓋骨、チンコではなくノミ。
何といっても救われない結末に胸が痛くなる。
こうピンと張ったピアノ線が切れて一気に弛む様のように、気持ちが沈んでいく。本当に後味が悪い。
実話を基に作られたようですが、実に生々しい。


ザ・セル

最先端技術で連続殺人鬼の精神世界へ潜入。
漂白した被害者女性の屍を見ながらの吊り下げ自慰は変態領域で、そんな彼のインナースペースは残酷と稚拙な快楽が入り乱れる。
正直、物語としては薄味だが、この圧倒的映像美と役者の存在感に目が離せない。

力の入った独創的な映像と主演のジェニファー・ロペスのコスプレ七変化、殺人鬼役ヴィンセント・ドノフリオの狂気。
変態殺人鬼の脳内はどうなっているのか?が最大の魅力であり、サスペンス色よりもSF色の強い作品です。


・インビジブル

もし透明人間になれたら?
恐らく男性なら間違いなく女子風呂を覗くという回答が得られるだろう。
そう、そんな世の男性の欲望を現実にしたらこうなりました映画がこれ。

ケヴィン・ベーコンの演技とおっぱいは勿論のこと、何より評価される点は透明人間という目に見えない描写を可視化したことである。
何度観ても色褪せない透明人間の細かな描写と男の欲望を叶えてくれた愛すべき変態映画。


・マニアック

マネキン修復師が女性の頭皮を剥がしてマネキンに被せるというタイトル通り、マニアックすぎる性癖を持つイライジャ主演の猟奇殺人ホラー。

あえてリメイク作品をご紹介しますが、イライジャのLOTRのイメージを払拭するほどの変態味を味わって欲しい。
ただそれだけだ。
POV視点だがグロにボカしが入っててそこは残念でしたが、観て損はしない変態ホラー映画。


・ELLE(エル)

エル ELLE [Blu-ray]

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流石は変態ヴァーホーヴェン監督、一筋縄ではいかない。
衝撃的な始まり方から単なるサスペンスに留まらない変態映画。
女性がエロくもあり美しくもあり、男性を手のひらで泳がすように主導権を握る強かさや怖さと徐々に浮き彫りになってくる人間に潜む変態的な本質。
この作品に漂う妖艶な雰囲気と性が齎す耽美なサスペンスが絶妙なバランス。
そして、欲に囚われた人間の怖さや愚かさ、醜さがより人間らしい生々しさを含ませる。

誰しも性や暴力を幾度か妄想したことはあるはず。
ヴァーホーヴェンが変態と言われるくらい凄いところはそんな型にハマらない非日常的な性と暴力を頭の中で描いていて、その空想を現実で起こる事象のように創作出来るところだと思う。



変態中級編

さあ、ここからはエログロに突入だ!
この作品もすべて観てるよって方は普通の映画じゃ満足出来なくなってるんじゃないですか?(笑)


・RAW 少女のめざめ

食欲と性欲は非常に関係性が強いもの。
満腹状態、つまり食欲が満たされた状態では性欲が薄れるらしいです。
人食に目覚めていくと同時に性にも目覚めていく、その一方で異常だと思える人食が自然なことである思春期の悩みと同等に、さも当たり前の悩みのように描かれる。
この自然さと異常さのバランスというか、食欲と性欲の関係性の描き方が素晴らしい。

「RAW」とは「生の」、「皮のむけた」、「未熟な」、「下品な」
という意味があります。いやらしい。


イグジステンズ

イグジステンズ [DVD]

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夢とも現実とも区別がつかないヴァーチャル・リアリティの世界。
果たして今見ているのは夢なのか現実なのか?
ある種のゲームに没入するような、或いは映画の世界に浸るような幻想世界にイク。
グロ汚いヘンテコSFファンタジー

クローネンバーグ監督作は基本的に本人もよくわかってない作品が多いですが、今作は「ヴィデオドローム」の性的モチーフをわかり易く、テーマそのものを明確にした作品。
つまりは変態映画です(笑)


アンチクライスト

暴力シーンと性描写が凄いというか、日本公開ではボカシありで誤魔化されてますがウィレム・デフォーのウィレムJr.がデフォデフォしてます。

監督は救われない結末を作らせたら右に出る者がいないと思う『ダンサー・イン・ザ・ダーク』のあのお方(笑)
森で出てくる烏、鹿、狐もそれぞれ生殖に関する暗喩を含んでいる。
タイトルに♀が入っている通り女性の目線で描かれる鬱な内容と壊れていく姿。
女の性とそこに潜むエゴを描いた愛憎を絡めた狂気的な変態映画。


・ベイビー・ブラッド

ベイビー・ブラッド [DVD]

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フレンチホラーの原点。
端的に言って怖いとかではなくて、ぽんぽん痛くなる映画。
女性の方は特に注意が必要なんですが、ぽんぽんが痛い。
フレンチ・マタニティー・スプラッター

触手系のムチムチおっぱいと言えば誤解が生じますが色々とシュールな映像が楽しめます。
終始、おっぱいとスキッ歯が気になって仕方なかった映画ですね(笑)


・屋敷女

屋敷女 [DVD]

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ベイビー・ブラッドと合わせて観るといいかも。
グロとかゴアは勿論なんですが、出産間近の妊婦ってことでお腹の赤ちゃんが心配で終始落ち着かない。
途中で弛れることもないから、いい意味で精神力使います。
まあ想像してた通りの結末なんで、案外普通でしたが、自分を追い込みたいドMな妊婦さんにオススメ(やめろ)

これもぽんぽん痛くなる映画です。
マトモな人は観ない方が良いです(笑)


マーターズ

一級品の胸糞映画。
見るのも嫌になるようなグロ、ゴア描写の拷問の連続と救われない不条理な展開は観る人を選ぶ。
ただ、この作品が評価される理由は残虐描写だけに頼ることなく、しっかりとしたストーリーがあるということだ。

ここまで残虐行為をする理由は何なのか?
その答えは【死後の世界を見たい】から。
人の欲望というものは底がない。
一線を越えたその欲望の恐ろしさたるや。
そして、この残虐行為は変態野郎の金持ちたちの単なる娯楽に過ぎないという事実がまた恐ろしい。
そこにまた別の嫌悪感が生まれる。


・ビヨンド・ザ・ダークネス/嗜肉の愛

原因不明の病で恋人を失ったフランクは彼女を剥製にする。
剥製にするために内臓や目玉を取り出すシーン、首を噛みちぎったりカニバリズム的な過激なゴア描写のある変態映画。

常軌を逸した彼女への愛情は変態の鑑。
と思いきや、他の女と授乳プレイしたり剥製に他の女とのセクロスを見せるなど変態味が溢れます。



変態上級編

さあ、エログロを超えた先には何があるのかな?
そう!下ネタとうんち映画だ!


・キラーコンドーム

キラーコンドーム [DVD]

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32㌢の巨根を持つ(もうこれだけで変態的)、ゲイの刑事はコンドームがナニを食うという奇妙な事件の調査の為に現場へ向かうが、コトに及んだ際に片方の睾丸を食いちぎられてしまう。

一見おバカな設定とおバカな内容なんですが、この作品には子作り目的以外での不純異性行為はダメだというメッセージが込められているんですよ!
中学校で観せるべき映画(やめろ)


・吐きだめの悪魔

酒飲んだら溶けちゃうよーなグロ汚いホラー映画。
今まで観てきた映画の中でも特に汚い方(笑)
映像から臭さが漂ってくる感じ、分かりますかね?
蓋を開けてみればど下ネタのオンパレード。
めちゃくちゃくだらないのに笑っちゃう。
見どころは宙を舞う切り取られたチンコと切り取られたチンコでフットボールです。

なんと、めでたくBD化されたんですよね。
「おなかいっぱい吐きそうエディション」欲しい!


クリーチャーズ 異次元からの侵略者

監督は撮影中にお薬でも決めちゃってるのかな?ってくらい散らかったくだらなさ。
グロと笑いのコラボレーションなんですが、端的に言いましょう、これはドアノブがチンコになる映画です。

ソイソースというお薬で見えないものが見えるようになる、シュールでカオスな世界は癖になる。
大真面目にふざけ切った変態珍SF映画


ゾンビアス

ゾンビアス [Blu-ray]

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井口昇監督のゾンビ映画
オナラで空を飛ぶ女性とウンチまみれのゾンビ、ウンデッドに初めは84分、何を観させられたんだろうという気持ちになる。
そしてなんだか分からないけど、フルチの「サンゲリア」が観たくなった、そんな汚い映画(わからん)

この映画から学んだことは、「オナラはエンジン」です。


ジャッカス3D

ジャッカス3 [Blu-ray]

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頭空っぽにして観ようよ、おバカ映画。
この映画を観てる時のIQは恐らく20くらいだろう(笑)
ネタの内容はチンコかゲロかウンコなんだけど、超お下品なのに何故か飽きない。
耐性がある方だけ観てください、ご飯食べられなくなっても責任は取りません。

爆笑出来たなら、もらいゲロともらい脱糞出来ること間違いなし!


ピンク・フラミンゴ

ピンク・フラミンゴ ノーカット特別版 [DVD]

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恐らくうんち映画としては最も有名な作品ではないでしょうか?
そうです、犬の糞を食べるシーンです。
はい、これ、マジで犬の出したてほやほやのうんちを食べてるんですよ。
このシーンを観るだけでも価値がある!

汚くてお下品な映画だけど、アーティスティックで最高のお下劣カルト映画だと思うんですよね。


ムカデ人間

ムカデ人間 [DVD]

ムカデ人間 [DVD]

言わずもがなですね。
このブログでもあることについて考察しましたが、人の口と肛門を繋ぎ、ひとつの生命体としてムカデ人間を作りたい。
つまりは「つ・な・げ・て・み・た・い」という好奇心、発想自体が変態すぎる。

ムカデ人間はうんちは食べてはいけません!という教育映画です。


ムカデ人間

ムカデ人間2 [DVD]

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ムカデ人間3は正直観ても観なくてもどちらでもいいです。
先程ご紹介させていただいた1作目とこの2作目は合わせて観てもらいたい。
ムカデ人間に影響を受けた人間が如何にして変態的素養を得たのか?

ムカデ人間を愛しすぎた変態野郎のムカデ人間ひとりでできるもん!は危険だ。
ムカデ人間は手術が必要だよ、という教育テレビのようなメッセージを残す。


・ソドムの市

ご飯が喉を通らないほどのファシズムの糾弾、人間批判映画。
自尊心、承認欲求、そんなもののために他者を蔑むならソドムの市へ送られろ。
描かれる愚行の数々は、芸術的狂気。
炙り出される悪趣味な映像は、変態的蹂躙。

スカ〇ロジスト以外は観ていていい気分にはならないだろう。



ド変態編

最後に、一切の感情移入もできない、観た後に何も残らなかった虚無感。
自分が評価できない作品を生み出した監督の変態性を存分に見せられたド変態編です。


セルビアン・フィルム

セルビアン・フィルム 完全版 [Blu-ray]

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スルジャン・スパイソイェヴィッチ監督作。
名前がもう変態的でしょ、するじゃんって(謝れ)
自分は結構耐性ある方だから何でも観れるわ、と自信過剰に思ってたんですが、こればかりは二度と観たくないと思った。
内容は口に出来ないほど非人道的な映画撮影に巻き込まれる元ポルノ男優の話。
倫理の裏側に潜む嗜好を寄せ集めたような映画。

作品自体は評価すべきものなんでしょうが…すみません、自分の許容範囲を超えたので評価できませんでした。


・ネクロマンティック

ユルグ・ブットゲライト監督作。
彼は人の死を描くことが大好きな変態監督。
今作は死体愛好家が死体を交えて3Pをしちゃったよ的なド変態っぷり。
ぶっ飛げー(ブットゲライトだけに)な死姦、屍姦の悪趣味映画。

大きく人道を逸れた偏愛は正にド変態と呼べるのではないだろうか?


・死の王

死の王 [Blu-ray]

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こちらも同じく、ユルグ・ブットゲライト監督作。
月曜から日曜までの一週間、7つの死をオムニバス形式で撮す。
自殺を特別な出来事ではなく、日常の中に捉えた繊細且つ挑発的で憐憫さえ感じさせる鬱映画。

途中に挿入される腐りゆく死体はリアルで、こんな作品を作る監督はド変態としか思えない。



終わりに

ということで、25作品を挙げさせていただきましたが、ここでご紹介しきれなかった変態映画もまだまだあります。
自分の観ていない変態映画もたくさんあるので、もう後戻りはしません。
前に進むだけです!

あ、くれぐれも変態上級編とド変態編の映画を軽い気持ちで観てはいけませんよ?(笑)
おふざけの軽ーいレビューしか書いてませんが、なかなかのグロさがあります、ご飯食べられないとか言われても責任は取れません。

真面目な記事ではなくて申し訳ないですが、最後までお読みくださった方、ありがとうございました!


自然は見える精神であり、精神は見えない自然である(「Vision-ビジョン-」ネタバレ考察)

目次




初めに

こんにちは、レクと申します。
今回は「Vision-ビジョン-」について語っています。

まず初めにTwitterの感想から。





作品概要


製作年:2018年
製作国:日本・フランス合作
配給:LDH PICTURES
上映時間:110分
映倫区分:PG12


・解説

河瀬直美監督が永瀬正敏とフランスの名女優ジュリエット・ビノシュを主演に迎え、生まれ故郷である奈良県でオールロケを敢行したヒューマンドラマ。フランスの女性エッセイストで、世界中をめぐり紀行文を執筆しているジャンヌは、あるリサーチのために奈良の吉野を訪れ、山間に暮らす山守の男・智と出会う。智は、山で自然とともに暮らす老女アキからジャンヌとの出会いを予言されていたが、その言葉通りに出会った2人は、文化や言葉の壁を超えて次第に心を通わせ、さらに山に生きる者たちとの運命が予期せぬ形で交錯していく。ジャンヌ役をビノシュ、山守の男・智役を永瀬が演じるほか、岩田剛典、美波、森山未來田中泯夏木マリらが出演。
Vision : 作品情報 - 映画.comより引用


・予告編





仏教的観点からのVision

先ずは本作「Vision」を仏教的観点から見ていきます。
本作「Vision」は自然と大きな関わりがあります。

主演女優ジュリエット・ビノシュはこうも語っています。

「自然と人間は、切り離せないもの。自然に戻るということは過去に回帰することではなく、自分の基になっているものを再確認することなの。日本の方は、そういった理念を大切にしている。自然を失って文明だけで生きてしまうと、人は人生に迷ってしまったり、自殺する人までも出てきてしまう。ちゃんと自分のルーツを持ちながら、新しいことに向かっていくのが大事だと思うわ」
ジュリエット・ビノシュ、「Vision」河瀬直美監督の現場で最も感銘を受けたのは? : 映画ニュース - 映画.comより引用



諸行無常

日本国における仏教の教えに諸行無常という言葉があります。
諸行無常とは、仏教のテーゼのひとつ。
「この世のあらゆるものはすべて移ろい行く」
「形あるものは必ず壊れる」というようにあらゆるものは生じそして滅するという理。

自然とは命あるもの。
命あるものは儚くいずれは必ず消えてしまう。
そして、命あるものは生まれ変わる。輪廻転生へと繋がります。

"山川草木悉皆成仏"という仏教の思想、みな平等で生けとし生きるものが寄り沿い合う"法華経"の世界観、"八百万の神"といわれるような日本の神々の思想が融合され、日本の仏教が形成されています。


本作でも命あるものは儚くいずれは必ず消えてしまう。という死が描かれていましたね。

ひとつはアキ。
もうひとつは犬のコウ。

共にトンネルを潜る演出から、生から死を表しているのは間違いないでしょう。

死を迎えて自然に帰る。
アキは智に「17歳に戻ったら…」と輪廻転生を匂わす台詞も語っています。



諸法無我

諸法無我とは、全てのものは因縁によって生じたものであって実体性がないという意味の仏教用語


これは本作「Vision」における幻の薬草"ビジョン"を指します。

ビジョンによって引き寄せられた彼女らが、再びこの森で出会う。
言い換えれば、この出会いは必然であり、縁によって生じた実体のないもの"ビジョン"。

自然とは実体があるものでもありますが、同時に感じるものでもあると思うんです。
風で靡く木々の葉音、雲の切れ間から差し込む陽の光、土の匂いや川のせせらぎ。


目に見えるものだけが全てではなく、目に見えないところにこの映画の本質があるのかもしれません。

この作品自体が何処か掴みどころのない、実体がないもののようで、そんな作品を観ることとなったのもまた、何かの縁なのかもしれませんね。
と言っておきます(笑)



涅槃寂静

涅槃寂静とは、煩悩の炎の吹き消された悟りの世界(涅槃)は、静やかな安らぎの境地(寂静)であるということを指す仏教用語

幻の薬草"ビジョン"を巡り、辿り着いたのは
火がVisionを生み出し、痛みを消し去る。

この炎に包まれ、沈静していく様は正に涅槃寂静


炎の中に見た岳の姿。
岳と森で出会い、鈴という子を授かったジャンヌにとって、岳を失ったことは心の痛み、つまり煩悩だったのではないでしょうか?

そして、鈴にとっても親の顔も知らずに育った。
この森に導かれてジャンヌが自分の母親だと認識出来た。
過去の苦しみ(煩悩)からの解放を意味しています。




諸行無常諸法無我涅槃寂静
この3つを三法印といい、仏教において三つの根本的な理念を示します。

仏教的観点から見ても本作「Vision」はこの三法印でひとつのストーリーとなっている事が分かりますね。



哲学的観点からのVision

次に、哲学的観点から見ていきます。
先程も記載したように、本作「Vision」は自然と大きく関わりがあります。

日本語の"自然"という言葉は、明治時代に古代ギリシア語の"ピュシス"、ラテン語では"natura"を語源とするヨーロッパ言語の言葉を翻訳する際に、もともと日本で用いられていた"自然"という言葉をあてがった翻訳語です。

したがって現代の日本語でいう"自然"には
翻訳語として用いられる以前に持っていた意味と
ヨーロッパ言語の言葉の意味

の2種類が存在します。

"自ずとなる"という意味での"自然"と
"物質的存在"という意味での"自然"。

"自然"と"nature"の共通する意味は"人工"との対義語だ。

古代ギリシアにおいても
「自然は隠れることを好む」(ヘラクレイトス)
「各々の事物のうちに、それ自体として、それの運動の始まりを内在させているところのその当の事物の実体のことである」(アリストテレス)
とされ、自然とは固有の在り方、内在的な原理のことを意味する。


では、日本にもともとあった"自然"と"nature"との相違とは何か?

"nature"は物質的存在を意味している場合が多く、人間の精神や意識と反意する意味である。
日本語における"自然"には、このような意味はもともとありません。


仏教的観点では記載しませんでしたが、『沈黙-サイレンス-』での宣教師フェレイラの言葉
「自然の内でしか信仰を見い出せない」

まさにこれです。
日本では精神や意識として扱うことが多いのです。


本作「Vision」でも"自然"は精神的な意味合いが大きいように思います。

自然と哲学は密接な関係があります。
特にドイツ観念論における自然哲学で代表されるなシェリングの言葉を借りましょう。


フリードリヒ・ヴィルヘルム・ヨーゼフ・フォン・シェリング(Friedrich Wilhelm Joseph von Schelling、1775年1月27日 - 1854年8月20日)は、ドイツの哲学者である。カント、フィヒテヘーゲルなどとともにドイツ観念論を代表する哲学者のひとり。
フリードリヒ・シェリング - Wikipediaより引用


「自然は見える精神であり、精神は見えない自然であるはずだ」




これを元に結論に入っていきます。






これがすべてです(笑)


前置きに対しての結論の短さ。
言いたいことの全てがこれです。


見て、聞いて、触れて、感じる。

自然は見える精神であり、精神は見えない自然である。
これ以上この作品について語る的確な言葉がないと思います。



余談

他にも幾つか伏線がありましたね。
素数ゼミです。

周期ゼミとは
毎世代正確に17年または13年で成虫になり大量発生するセミである。その間の年にはその地方では全く発生しない。ほぼ毎年どこかでは発生しているものの、全米のどこでも周期ゼミが発生しない年もある。周期年数が素数であることから素数ゼミともいう。
17年周期の17年ゼミが3種、13年周期の13年ゼミが4種いる。なお、17年ゼミと13年ゼミが共に生息する地方はほとんどない。
周期ゼミ - Wikipediaより引用

本作における幻の薬草"ビジョン"の周期も997年で素数という設定でした。
三桁の素数の中で最も大きい数ですね。

と、特に掘り下げることもありませんでした。
恐らく1000年という区切りとして最も近い素数を選ばれたのかな?

この辺りの詰めが甘い(笑)



次に、涙についてですが
ジャンヌ、鈴など涙を流すシーンが幾つかあるのですが、必ず右目からのみ涙を流していたのにお気づきになられましたでしょうか?

哲学的観点で、見る、聞く、触る、感じる。それがすべてだと語りました。

裏を返せばどれかひとつでは足りないんです。
人は見ることですべてを分かったかのように思い込む。
この作品は台詞が極端に少なく、そして言葉を交わすというコミュニケーション能力がかえって疎通の壁となるわけです。
そこでより一層、数少ない会話、表情、仕草、アイコンタクトが強調されるわけです。

見て、聞いて、触れて、感じる。
そのひとつが涙です。


「右目から流れる涙は嬉し涙だよ」

などというスピリチュアル的なことをいう訳ではありませんが、スピリチュアルな作品である本作の演出としては可能性は高いです(笑)


そもそも、涙を流すための神経(涙腺神経)は左右別にあり、鼻の奥にある翼口蓋神経節からの副交感性節前線維を涙腺神経に知覚が運ばれることで涙が出るんです。

翼口蓋神経節、または蝶形口蓋神経節、メッケル神経節)は、翼口蓋窩にある副交感神経の神経節である。
翼口蓋神経節は副交感神経の神経節の中で最も大きなもので、顔面神経からの副交感神経を受けている。翼口蓋窩の中で上顎神経に接して存在し、三角形ないしハート形をしている。 翼口蓋神経節は口・鼻・眼のどれに対しても近い位置にあり、涙腺、副鼻腔、歯肉、咽頭、口蓋などの腺分泌にかかわっている。
翼口蓋神経節 - Wikipediaより引用

つまり、右目からだけ涙を流そうと思えば流せるんですね。



終わりに

河瀬直美監督作は合う合わないがあると思います。
特に本作「Vision」においても、難解というよりも抽象的で物語の全容を把握出来ず、脚本も緩いところが難点だ。

一方で、視覚的な美しさ、自然美と演出の芸術性は評価しますが、論理的に見た時との齟齬が大きく、ノれなければかなりしんどい作品となってますね。

語りすぎない内容は、様々な考察、視点が生まれるものとも思います。
ご鑑賞された方はどんな視点でどのように感じたのか、お聞きしたいものです。


最後までお読みくださった方、ありがとうございました!




(C)2018「VisionLDH JAPAN, SLOT MACHINE, KUMIE INC.

1日1本オススメ映画(2018/01/01~2018/05/31)

初めに

こんにちは、レクと申します。

昔からTwitterで度々お世話になっております
「1日1本オススメ映画」
というタグで紹介させていただいた映画を今年の頭から半年分ではありますが纏めました。
数が多ければ四半期や月毎となる場合も御座います。

いつものように記事らしい記事では御座いませんが、観る映画の参考程度になれば幸いです。



1日1本オススメ映画

・ボルベール<帰郷>




フェノミナ



最高の人生の見つけ方



トゥルーマン・ショー



・サヨナラの代わりに



・ワンチャンス



言の葉の庭



スペース カウボーイ



・ルーム



・エイミー



サスペリア



インフェルノ



・ウィッチ



ジョゼと虎と魚たち



三度目の殺人



グラン・トリノ


終わりに

今後もこのような形ではありますが、纏めて保管させていただこうと思っております。

よろしくお願い致します。


優しさと勇気は人の心を動かす(「ワンダー 君は太陽」ネタバレなし感想)


目次




初めに

こんばんは、レクと申します。

実はですね、先日初めて試写会とやらに応募したんですよ。
ほんの出来心というか、当たったらいいなあくらいの軽い気持ちで。

そしたらですねー「ワンダー 君は太陽」が当たってたんですよ。

Twitterにも呟かず、秘密裏に動いてました(笑)
なので、本日初の試写会に参加してきました。
事後報告となります(笑)


ワンダー 君は太陽」について語っていきます。
この記事はネタバレはございません。
映画.com及び予告編動画から読み取れる情報のみです。
最後までお目通しいただけると幸いです。



作品概要


原題:Wonder
製作年:2017年
製作国:アメリカ
配給:キノフィルムズ
上映時間:113分
映倫区分:G


・解説

全世界で800万部以上を売り上げたR・J・パラシオのベストセラー小説「ワンダー」を、「ウォールフラワー」のスティーブン・チョボウスキー監督・脚本で映画化したヒューマンドラマ。ごく普通の10歳の少年オギーは、生まれつきの障がいにより、人とは違う顔をもっていた。幼い頃からずっと母イザベルと自宅学習をしてきた彼は、小学5年生になって初めて学校へ通うことに。はじめのうちは同級生たちからじろじろ眺められたり避けられたりするオギーだったが、オギーの行動によって同級生たちは少しずつ変わっていく。「ルーム」で世界中から注目を集めた子役ジェイコブ・トレンブレイがオギー役を務め、「エリン・ブロコビッチ」のジュリア・ロバーツが母イザベル役、「ミッドナイト・イン・パリ」のオーウェン・ウィルソンが父ネート役をそれぞれ演じる。
ワンダー 君は太陽 : 作品情報 - 映画.comより引用



・予告編






お涙頂戴映画なのか?

さて、ここで気になるのが
果たして本作はお涙頂戴映画なのか?ということ。

何を隠そう私、お涙頂戴映画、所謂「全米が泣いた」的な映画やラブロマンスが少々苦手でして。
何故かと聞かれると、理由があるんですよ。

視覚的描写を全面に感じてしまい、感情移入しにくいから。


ご存知の方も居られるかと思いますが、自分の好みは心理描写のしっかりと描かれた映画なんですよね。
では、お涙頂戴映画にその心理描写はないのか?と言われると、あると答えます。
ただ、先程記述させてもらった通り、自分はその視覚的描写が邪魔をして心理描写を感じにくい。
シラケるとまでは言いませんが、そんな感じです。
察してください、悪口になっちゃいます(笑)


えー、端的に言います。

本作はお涙頂戴映画のような作品ではありません。

これは声を大にして言いたい。
非常に巧みな演出と脚本で、視覚的にではなく心理描写を描くことで観客に感動を与えてくれました。
その点については後述しています。




演技が素晴らしい

・オギー(ジェイコブ・トレンブレイ)

・イザベル(ジュリア・ロバーツ)

・ネート(オーウェン・ウィルソン)

・ヴィア(イザベラ・ビドビッチ)

・デイジー



オギーの先天性の障がいは恐らく頭蓋顔面異骨症と思われます。

『疾病及び関連保健問題の国際統計分類』第10版(ICD-10)の「第17章:先天奇形、変形および染色体異常」
ICD-10 第17章:先天奇形、変形および染色体異常 - Wikipediaより引用

疾病及び関連保健問題の国際統計分類(しっぺいおよびかんれんほけんもんだいのこくさいとうけいぶんるい、英:International Statistical Classification of Diseases and Related Health Problems)、略称:国際疾病分類(英:International Classification of Diseases、ICD)とは、死因や疾病の国際的な統計基準として、世界保健機関 (WHO) によって公表されている分類である。死因や疾病の統計などに関する情報の国際的な比較や、医療機関における診療記録の管理などに活用されている。
疾病及び関連保健問題の国際統計分類 - Wikipediaより引用




生まれて27回の手術。


見た目のせいで、いじめられてしまいます。


ポスターは家族に付き添われながら、オギーが初登校するシーンが使用されていますね。
このシーンだけでも家族の暖かみを感じます。



オギーを演じるのは「ルーム」の演技で天才子役と称されたジェイコブ・トレンブレイ。

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「ルーム」での天才っぷりは健在。
本作でも特殊メイクを施し、特別な顔の少年を物の見事に演じきっています。

時には感情を露わにするが、その細かい所作や含みますはにかむような笑顔、しぐさに可愛さを隠せません。
抱きしめたくなる可愛さです。
彼の演技が本当に素晴らしい。

その他のオギーの家族、クラスメイト、どの役者陣の演技も素晴らしく、賞賛を送りたい。



総評

なんて良い映画なんだ。
こんな素敵な映画に出会えて良かった。

観終わった後に自分が抱いた率直な感想だ。



オギーの成長が微笑ましい。
そして感動的で泣けるのに自然と笑顔になれる。
作品全体から伝わる優しさに包み込まれた。


また、秀逸な演出と脚本も、この作品が素晴らしいと感じた大きな要素の一つです。

あー昔こんなこともあったなあ…なんて、いつの間にか登場人物の誰かしらに自己投影してしまっている自分に気づく。

そうなんです。
ごく自然に感情移入させられていたんですよ!

登場人物の様々な視点から描かれる展開は観ている者の心をぐっと掴んで離さない。
人の優しさと可能性、魅力が詰まった映画だ。



みんなとは違う。
それを受け入れるのは難しいけれど、自分を信じれば、きっと人は心を開いてくれる。

"普通じゃない"とは"特別"。
"特別"とは"個性"なんです。


人を知るためにやることは一つ。
よく見ること。
そして、相手を知ることで自分を見つめ直すことができる。

偏見や差別という普遍的な問題。
人はどうしても自分と違うものを恐れ避けようとする。
いじめ、排他的思考は後に己が淘汰される可能性があるのではないか。

難しく考えなくとも、答えはもっと単純なものなのかもしれない。
それが、オギーへの家族愛、オギーとジャックの友情に現れていたように思う。



戸惑い、驚き、奇跡

ワンダー 君は太陽
オギーの笑顔は太陽のように輝いてました。



終わりに

優しさに包まれる魅力的な演出の中で、家族愛や友情を描きつつ、各々の気持ちが一つに収束していく。
その要所要所で笑い、泣かせ、感動させてくれる。
オギーが愛おしく、そしてこの作品自体も愛おしくなった。

どうやら自分は"大好きな映画"のひとつに出会ってしまったようです(笑)



試写会には参加しましたが、もう一度お金を払って観に行きたい!

2018/06/15 公開。
是非、劇場へ足を運んでください。
胸を張ってオススメします。


最後までお読みいただいた方、ありがとうございました。

ワンダー Wonder

ワンダー Wonder



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文学的視点から描かれた傑作(「モリーズ・ゲーム」ネタバレ考察)

目次




初めに

こんにちは、レクと申します。
久しぶりの更新になり申し訳ございません。
今回は「モリーズ・ゲーム」について語っています。

ネタバレ含みます。
未鑑賞の方はご注意ください。



作品概要


原題:Molly's Game
製作年:2017年
製作国:アメリカ
配給:キノフィルムズ
上映時間:140分
映倫区分:PG12


あらすじ

女神の見えざる手」「ゼロ・ダーク・サーティ」のジェシカ・チャステインが主演を務め、トップアスリートからポーカールームの経営者へと転身した実在の女性モリー・ブルームの栄光と転落を描いたドラマ。「ソーシャル・ネットワーク」でアカデミー脚色賞を受賞した名脚本家アーロン・ソーキンが、2014年に刊行されたブルームの回想録をもとに脚色し、初メガホンをとった。モーグルの選手として五輪出場も有望視されていたモリーは試合中の怪我でアスリートの道を断念する。ロースクールへ進学することを考えていた彼女は、その前に1年間の休暇をとろうとロサンゼルスにやってくるが、ウェイトレスのバイトで知り合った人々のつながりから、ハリウッドスターや大企業の経営者が法外な掛け金でポーカーに興じるアンダーグラウンドなポーカーゲームの運営アシスタントをすることになる。その才覚で26歳にして自分のゲームルームを開設するモリーだったが、10年後、FBIに逮捕されてしまう。モリーを担当する弁護士は、打ち合わせを重ねるうちに彼女の意外な素顔を知る。モリーの弁護士役をイドリス・エルバ、父親役をケビン・コスナーがそれぞれ演じる。
モリーズ・ゲーム : 作品情報 - 映画.comより引用



・予告編




本作の魅力

まずはツイッターの感想から。



本作「モリーズ・ゲーム」はモリー・D・ブルームによる自叙伝。
モリーが合法カジノで成り上がった半生、そしてモリー逮捕後の法廷劇。
そこに至るまでの経緯(過去)と弁護士との人間ドラマ(現在)が描かれています。



本作は主演ジェシカ・チャステインの魅力が最大限に詰まったもの。

彼女の魅力が詰まった映画「女神の見えざる手」。
本作と同様に強い女性像を描いた作品です。



女神の見えざる手」と本作「モリーズ・ゲーム」との決定的な違いはジェシカ・チャステインの冒頭からの語り部です。
そのマシンガントークは思わず聞き入ってしまうほど。

本作は脚本家アーロン・ソーキンの初監督作ということで、台詞量が膨大です。
早口な語り部や会話、スキー、ポーカー、法律などの専門用語など翻訳泣かせw

ここについて行くために頭をリセットして挑んでいただきたい。


また、モリーズ・ゲームで実名は明かされていませんが、彼女主催の超高額ポーカールームにはレオナルド・ディカプリオベン・アフレックトビー・マグワイアら有名スターや映画監督、一流スポーツ選手やミュージシャンも顧客リストに並んでいたとのこと。

モリーの半生、錚々たる面子を虜にしたギャンブル運営、これが作り話でないことが凄い。



上映時間は140分です。
しかし、圧倒的な台詞量とテンポの良さから全く長く感じることもなく終わりました。
ポーカーのルールくらいは分かっておいた方がいいかもしれませんが、メインはそこではないので問題ないです。


予告編を観る限りでは、モリーという一人の女性に焦点を当て、人生の成功と転落を描いたエンタメ性の強い作品のように見えました。
見る人によっては巨額の富を得るサクセスストーリーのように映ったかもしれません。

勿論、本筋はそのようなストーリーですが思っていた以上に人間ドラマが挿入されていました。



何度も言いますが、ジェシカ・チャステインの魅力が詰まった映画ではあります。

この映画はモリーの自叙伝にも関わらず、描写足らずでモリーのプライベートを想像しにくいという短所があります。
欲を言えばもう少し孤独感や虚無感から心理描写を描いて欲しかったというのが本音でもあります。

しかし、そこを補って余るその他の登場人物の存在。
脇を固める役者陣がモリーという人物に深みや厚みを与えてくれてるんですよね。



そして、これだけは言いたい。




ジェシカ・チャステインのドレスがエロい!!!



文学的視点から見る

作中にアーロン・ソーキンらしい文学的視点が登場します。
その辺について掘り下げていきます。


・「るつぼ」

作品でモリーを「るつぼ」だと比喩するシーンがありました。

『るつぼ』(原題:The Crucible)
アーサー・ミラーによる戯曲。セイラム魔女裁判と、それを通して当時問題になっていた赤狩りマッカーシズムに対しての批判を描く。1953年1月、ニューヨーク市マーテイン・ベックシアター(英語版)で初演。全4幕。
るつぼ (戯曲) - Wikipedia)り引用


「るつぼ」は映画化もされています。

クルーシブル [DVD]

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『クルーシブル』(The Crucible)は、1996年制作のアメリカ映画。セイラム魔女裁判をモチーフにしたアーサー・ミラーの戯曲『るつぼ』の映画化作品。
クルーシブル - Wikipediaより引用


「るつぼ」では様々な批判やテーマが込められています。
・集団心理の異常性と恐怖
・権力者による弾圧
・冤罪の恐ろしさと裁判制度への警鐘
・人間の尊厳と倫理観


多くの人を陥れた彼女が罪を負うことになるのか?
私利私欲に基づく身勝手な行動だと断罪されるのか?

周りを売って生きるか、それとも自らの尊厳を主張するのか?
魔女と認める虚言を拒み、処刑台へと送られる姿を見事にモリーと重ねられています。



・「ユリシーズ

アーロン・ソーキンの遊び心というか、本作のモリー・ブルームと「ユリシーズ」に登場する妻の名前に着目して重ね合わされる。


初版(1922年)

ユリシーズ』(Ulysses)
アイルランドの作家ジェイムズ・ジョイスの小説。当初アメリカの雑誌『リトル・レビュー』1918年3月号から1920年12月号にかけて一部が連載され、その後1922年2月2日にパリのシェイクスピア・アンド・カンパニー書店から完全な形で出版された。20世紀前半のモダニズム文学におけるもっとも重要な作品の一つであり、プルーストの『失われた時を求めて』とともに20世紀を代表する小説とみなされている。

ユリシーズ - Wikipediaより引用



ユリシーズ」で描かれるオデュッセウス同様に、本作のモリーも事故からオリンピックの夢を絶たれるという地獄を見る。


ユリシーズ」で用いられた文体で最も特徴的なのが前後半での小気味よく転調する点だ。

前半では"意識の流れ"
心理学の概念で、人間の意識は静的な部分の配列によって成り立つものではなく、動的なイメージや観念が流れるように連なったものである。とするもの。
本作も同様に、モリー自身の内的独白で描かれる。


後半では語りの視点が複数化、非個人化するとともに作者固有の文体というべきものが消失している。
本作も同様に、前半での語り手であるモリー視点から、モリーの父親と弁護士視点として描かれている。



モリーの行動原理は「るつぼ」を用いて倫理観を示す。
台詞回しとその語りは「ユリシーズ」で展開される。

アーロン・ソーキンの文学的視点には正直驚かされた。



終わりに

「成功とはひとつの失敗から、熱意を保ち続けてもうひとつの失敗に移れる才能に他ならない」

ラストでモリーウィンストン・チャーチルの言葉を引用して締めくくっています。
言葉を紡ぐことにおいて右に出る者はいない天才、ウィンストン・チャーチル

首相就任からの27日間を描いた映画「ウィンストン・チャーチル/ヒトラーから世界を救った男



その類希なる言葉の魔術を披露していました。

‪失敗から学び、それを繰り返さないこと。‬
‪至極単純ながら難しい。‬
‪しかし、それが成功への最短ルート。なのかもしれない。


原作者であるモリー本人のインタビュー映像も貼っておきます。


最後までお読みいただいた方、ありがとうございました。




(C)2017 MG's Game, Inc. ALL RIGHTS RESERVED.

創世記と黙示録、聖書に準えた物語(「マザー!」ネタバレ考察)

目次




初めに

こんにちは、レクと申します。
今回は久しぶりに考察してみたいと思える映画に出会いました。
日本公開中止の超問題作「マザー!」です。

いつも通り好き勝手語っていますが、お付き合いくだされば幸いです。

この記事はネタバレを含みます。
未鑑賞の方はご注意ください。



作品概要


原題:Mother!
製作年:2017年
製作国:アメリカ
上映時間:121分


解説

ブラック・スワン」の鬼才ダーレン・アロノフスキー監督が、「世界にひとつのプレイブック」でアカデミー主演女優賞を受賞した若手実力派のジェニファー・ローレンスを主演に迎えて描くサイコミステリー。郊外の一軒家に暮らす一組の夫婦のもとに、ある夜、不審な訪問者が現れたことから、夫婦の穏やかな生活は一変。翌日以降も次々と謎の訪問者が現れるが、夫は招かれざる客たちを拒む素振りも見せず、受け入れていく。そんな夫の行動に妻は不安と恐怖を募らせていき、やがてエスカレートしていく訪問者たちの行動によって事件が相次ぐ。そんな中でも妊娠し、やがて出産して母親になった妻だったが、そんな彼女を想像もしない出来事が待ち受ける。
マザー! : 作品情報 - 映画.comより引用

予告編





聖書に準えた物語

この物語はダーレン・アロノフスキー監督自身も語っている通り、旧約聖書の創世記をモチーフとされていますね。
主に本作の物語は「天地創造と原初の人類」を基に作られたように思います。

創世記
内容は「天地創造と原初の人類」、「イスラエルの太祖たち」、「ヨセフ物語」の大きく3つに分けることができる。

天地創造と原初の人類
天地創造 1章
アダムとエバ、失楽園 2章 - 3章
カインとアベル 4章
ノアの方舟 5章 - 11章
バベルの塔 11章

創世記 - Wikipediaより引用


それぞれの登場人物が表すものは以下の通りです。

妻 → マザーアース
夫 → 創造主・神
男 → アダム
女 → イヴ
兄 → カイン
弟 → アベル
赤子 → イエス・キリスト
その他 → 信仰者
家 → この世



このように、創世記に準えて物語が進行していきます。

冒頭から時折、妻と家が共鳴するシーンが導入されます。

妻は我が家"楽園"を作りたいと言及していた通り、家は家庭の安泰。
マザーアース(母なる大地)とこの世がリンクしていることを示唆させます。

夫は詩人であり、創作する者ということから創造主・神であることは分かっていただけると思います。


そこに最初の人類、男アダムが現れる。
男の脇腹の傷は、神がアダムの肋骨からイブを創った暗喩でしょう。
翌日、女イブが現れ、共にかき乱すわけですね。

夫の書斎(神のエデンの園)で、アダムとイブは禁断の知恵の実(夫の部屋にあった水晶)を手にしてしまうシーンから失楽園を示す。


楽園を追放されるアダムとエバ(ジェームズ・ティソ画)

失楽園』(しつらくえん、英語:Paradise Lost)とは、旧約聖書『創世記』第3章の挿話である。蛇に唆されたアダムとエバが、神の禁を破って「善悪の知識の実」を食べ、最終的にエデンの園を追放されるというもの。楽園喪失、楽園追放ともいう。

失楽園 - Wikipediaより引用


追放された直後の性交渉。
女の緑の下着は、禁断の知恵の実を食べて羞恥心から裸体を隠した葉の暗喩。

次に兄と弟が現れます。
カインとアベルです。


アベルを殺すカイン(ピーテル・パウルルーベンス画)

カインとアベルは、旧約聖書『創世記』第4章に登場する兄弟のこと。アダムとイヴの息子たちで兄がカイン(קַיִן)、弟がアベル(הֶבֶל)である。人類最初の殺人の加害者・被害者とされている。

カインとアベル - Wikipediaより引用

遺産問題で弟への嫉妬から兄は夫の忠告を聞かず弟を殺害。
神に貢物を無視されたカインがアベルに嫉妬し殺害する。
まさにそのままですね。



そして信仰者の居場所を確立し、人々が蛮行する世界を鎮圧した水道管の破裂は大洪水(ダーレン・アロノフスキー監督の前作「ノア 約束の舟」)でしょう。


『洪水』(ミケランジェロ・ブオナローティ画、システィーナ礼拝堂蔵)

ノアの方舟
旧約聖書の『創世記』(6章-9章)に登場する、大洪水にまつわる、ノアの方舟物語の事。または、その物語中の主人公ノアとその家族、多種の動物を乗せた方舟自体を指す。

ノアの方舟 - Wikipediaより引用

人々の堕落を見た神は大洪水で人類を滅亡させた。



ここまでが旧約聖書の創世記をモチーフとして描かれたもの。

大洪水から一転、妻が妊娠する。
そして、夫はスランプを脱出し、新書を書き始める。
妻のセリフ「私は黙示録の後始末をするわ」
からもここからは第二幕、新約聖書の黙示録へと進んでいきます。

ヨハネの黙示録
新約聖書(クリスチャン・ギリシャ語聖書)』の最後に配された聖典であり、『新約聖書』の中で唯一預言書的性格を持つ書である。
ヨハネの黙示録 - Wikipediaより引用

その後、子を授かった妻は男の子を出産します。
イエス・キリストの誕生です。

赤子は民衆に担がれ首の骨を折り死んでしまう。
ここでダーレン・アロノフスキー監督のキリスト教への思想が顕著に表れています(後述しています)。



世界が業火で焼き尽くされ崩壊。

夫は妻の心臓を抉り取り、新たな水晶を手にする。
創造主は理想郷、新たな世界を作り直したところでEND。

この事からも、創造主・神は少なくとも2回、マザーアースを創造していることが分かります。



気になる点として、黄色い粉の正体。
ダーレン・アロノフスキー監督自身も「墓場まで持っていく」とさえ言っているほど謎のままです。

個人的な見解では医療用の硫黄を含む何かではないか?と考える。
硫黄とは主要ミネラルのひとつで、皮膚や髪、爪のを構成する成分。
黄色はユダヤの象徴色とされる。
また燃えると悪臭を放つことから悪人を懲罰するためにしばしば用いられたことが聖書にも記述されています。
また、古代には太陽の三原質のひとつとされ、賢者の石そのものと見倣すこともあった。

あくまでも余談です。





さて、話を戻しますが、ここで旧約聖書新約聖書の話をしておかなければなりませんね。

ダーレン・アロノフスキー監督はユダヤ教徒です。
ユダヤ教では旧約聖書を聖書と呼んでいます。
その旧約聖書新約聖書を織り交ぜたものが、ユダヤ教から派生した宗教、キリスト教

ダーレン・アロノフスキー監督のユダヤ教への演繹的表現とキリスト教への帰納的表現が対比として非常に上手く練られています。



演繹法帰納法

演繹と帰納とは何か?からお話しましょう。

・演繹とは
「一般的・普遍的な前提から、正しい推論を行うことで、結論を得る方法」である。妥当な演繹とは、前提がすべて真なら、結論も必ず真であるような推論である。演繹の持つこの性質は、真理保存性と呼ばれている。

帰納とは
「個別の事例から、一般的・普遍的な規則・法則を得る推論方法」である。つまり、過去の経験やデータから、法則や事実を導き出す推論方法で、前提がすべて真であっても、結論が真であることは保証されない。



毎度毎度、字が汚くてすみません。



では、具体的に見ていきます。
まずはユダヤ教の演繹的表現といった言い方をしましたが、上記にも記述しました赤子(イエス・キリスト)の誕生とその後の展開はダーレン・アロノフスキー監督の思想が顕著に表れていると感じました。


赤子は民衆に担がれ、首の骨を折って死にました。
その血と肉を、肉塊を民衆が食べるという衝撃的なシーン。
ここにキリスト教でこのシーンは"最後の晩餐"を思い浮かべました。

新約聖書に記述されている"最後の晩餐"。
これは、キリスト教会において主の聖餐として伝統的儀式となり、現代まで受け継がれています。
司祭によって聖化された赤ワインやパンはイエスの血と肉になり、それを信徒が食べることで自らの体にイエスを取り込むというもの。

実際、聖書にも
死を予期したイエスは弟子を集めて"最後の晩餐"に臨み、その後イエス磔刑になったと記載されています。

昨今、哲学者やすいゆたか氏らによる新説が唱えられているのをご存知でしょうか?
実はイエスは最後の晩餐で本当に弟子たちに食べられてしまった。
という実に興味深い説。


旧約聖書の創世記にも、生贄の儀式は存在します。

預言者アブラハム不妊の妻との間に年老いてから授かった一人息子イサクを生贄に捧げるよう神ヤハウェによって命じられるというものだ。
アブラハムの信仰を確かめる為のもので、実際にイサクが生贄に捧げられることはなかった(イサクの燔祭)

しかし、これは
神が望めば実の子でさえも生贄に捧げなければならない。
という思想にほかならない。



つまり、イエス・キリストのメタファーである赤子の扱い。
ここにこそ、この作品に込められたダーレン・アロノフスキー監督の意図があったと思います。


その意図とは
救世主は未だ到来していない。
だと思います。



演繹法を基にイエスは救世主ではないという事実を仮説とすると。

仮説:イエスは救世主ではない。

エスとイサクは至上の犠牲である。

イサクは救世主ではない。

エスは救世主ではない。

ユダヤ教における信仰で結果を導き出すことが出来る。


ユダヤ教キリスト教の大きな違いは、イエスを救世主と認めるかどうか。
旧約聖書の中に、救世主メシアの到来の記述があり、キリスト教ではイエスを救世主としています。
ユダヤ教では救世主は未だ降臨していないのです。

ユダヤ教ではユダヤ人こそ唯一、神に選ばれた民であり、神との約束を実践すればやがて救世主が現れ、ユダヤ人の為の神の国が創られると教えられています。

この点も根強くこの作品「マザー!」に反映されています。
創造主である夫はすべての人々を受け入れます。
救世主が現れ、神の国が創られることを望み、幾度となく繰り返しているんです。

作中でも"楽園"と語られたように、理想の国を求め、描いては壊す。
この作品はある意味、この世の抜け出せないジレンマをも示唆しているのかもしれません。





次に、"8"という数字はキリスト教を示すものという仮説を基に帰納法を用いて考えましょう。


この世を暗喩する八角形の家。
八角形の家は骨相学の観点から見ると、人間の脳の機能に調和した形とされ、建築家や科学者によって発展させられた。
部屋の構造は行き止まりがなく、すべての部屋に繋がる構造となっていて、妻と家が深く関わることを表現しています。

また、キリスト教では "8"は"復活"を連想させる数字として知られています。
キリストが復活後の8日目に弟子の前に現れたことから"復活の象徴"とされています。

他にも、創世記の天地創造は一週間とされ、その翌日、つまり8日目がリスタートを意味するものではないかとも考えています。

この世を表す八角形の家に登場する人物も8人(大衆を信仰者と一括りにすると)。

ユダヤ教の象徴、ダビデの星六芒星
頂点を繋ぐと六角形なので八角形ではない。

この事から、"8"という数字はキリスト教を示すものであると考えられます。



自分は考察するにあたって、よくこの演繹と帰納を用いて推論します。
あくまでも考察は個人の見解であり、答えを決めつけるものではないので、よく使うのは帰納法の方ですが。
ひとつの事柄について掘り下げる際、こじつけて推論や考察する際には帰納的推論の方が楽でやりやすいんですよね(笑)



オマージュ

ダーレン・アロノフスキー監督はこう語っています。

“Mother!” unfolds like a surreal landscape from Salvador Dali, where bloody mouths appear in the floor and a strange piece of soft flesh gurgles at the bottom of the toilet. The house has a breathing, pulsing heart. “The dreamscape in movies is one of the great elements of cinema,” said Aronofsky. “It was popular all the way up to the ’70s, when our heroes Scorsese and Friedkin started making realism, and we’ve left dreamscape. Bunuel and Polanski drifted away, and movies became real, leading to ’80s fantasy and the ’90s superhero era. Now we have very simple heroics.”

‘mother!’: Darren Aronofsky Finally Explains It All to You | IndieWireより引用

60年代はドリームスケープの映画が素晴らしい素質だった。
70年代にはスコセッシとフリードキンがリアリズムを始めて、人々は夢から去った。
ブニュエルポランスキーは放浪し、映画はリアルになっていった。
そして80年代のファンタジー時代と90年代のスーパーヒーロ時代に至った。
そして今、とても単純な英雄譚の時代になった。



ダーレン・アロノフスキー監督の挙げたルイス・ブニュエル監督とロマン・ポランスキー監督。
彼らの作品が本作「マザー!」にも影響しています。


ルイス・ブニュエル監督作「皆殺しの天使」

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ロマン・ポランスキー監督作「ローズマリーの赤ちゃん

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マザー!」のポスターのひとつに「ローズマリーの赤ちゃん」のオマージュがあります。




終わりに

マザー!」は神と地球の関係性を夫婦に投影した旧・新約聖書を準えた宗教的映画でした。
また、冒頭とラストを繋ぐ胸糞円環構造でしたね。

勿論、その点においても良かったのですが、この映画は妻視点で胸糞悪い蛮行、家の蹂躙、女性の虐待というかたちで描き出されるにも関わらず、人々の姿こそが我々人間なのだという、神視点の映画でもある点が素晴らしい。


好き嫌いは分かれそうな作品ではありますが、個人的には好きな作品です。


最後までお読みいただいた方、ありがとうございました。




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