アイデンティティと愛(「ブレードランナー2049」ネタバレ考察 その2)
初めに
こんにちは、レクと申します。
今回は先日鑑賞を終え、ブログにも書かせてもらった「ブレードランナー2049」の補足記事となります。
↓前回の記事
本日、二回目の鑑賞で新たに気付いたこと。
そして、前回の表題とはまた違った観点からの考察をしていこうと思い、書かせていただきました。
前回の記事と同様に前作「ブレードランナー」と今作「ブレードランナー2049」のネタバレを含みます。
未鑑賞の方はご注意ください。
評価は初見で決まらない
映画に限らず、複数回鑑賞することで見えてくる細かな描写、複数回鑑賞することで感じることなど新しい発見があると思います。
そして、再評価されることが重要な要素になってくると思っています。
何故なら、好きな映画は何回も観たくなるものです。
皆さんも思い入れのある映画たちは何度も何度も観てきたと思います。
前作「ブレードランナー」は今でこそSF映画の金字塔と称される作品です。
しかし、公開当初から評価されてきたわけではありません。
公開当時に「デッカードは実はレプリカントなのか?」と思った方はほとんどおられなかったと思います。
ビデオで繰り返し鑑賞することで、その脚本に妙を感じた方もおられたと思いますが。
その気付かれないように隠された妙が上手く脚本に組み込まれていたことで、様々な考察がじわりじわりと議論されるようになり、作品の深みのようなものが認識されていったんですよね。
ディレクターズ・カット版の発売で更に新たなシーンが追加され、デッカードについての議論が盛り上がりを見せました。
ファイナル・カット版の発売、DVDBOXの特典映像による今まで未公開だったシーンで、益々盛り上がりを見せたんですよ。
例えば、
・ユニコーンの夢。
・デッカードの目が赤くなる。
・レプリカントは写真に固執する性質がある。
・男女ペアで存在する。
といった設定ですね。
そうです、初めから全てこれらの撮影がされていたということ。
そして、カットされていたシーンで見えてくるテーマのようなものが明らかになったわけです。
脚本は数え切れないほど書き直されている為、実際にデッカードをレプリカントとして描いたものもあったそうです。
このように、何度も観たくなる。
そして、様々な考察が出来るということが今も名作と語られる「ブレードランナー」の素晴らしい点だと思うわけです。
「ブレードランナー2049」も何度も鑑賞したくなる。
そして、様々な考察が出来るという要素もまた、前作を引き継ぐ形になっていると、改めて感じました。
アイデンティティ
本題に入ります。
前回は一つの表題を掘り下げる形で考察させていただきましたが、今回はそれとはまた違った観点から考察したいと思います。
今回のテーマは「アイデンティティと愛」について。
まず、アイデンティティについてですが
アイデンティティとは個物や個人がさまざまな変化や差異に抗して、その連続性、統一性、不変性、独自性を保ち続けること。
レプリカントにとってのアイデンティティとは何なのでしょうか?
フレイサ率いるレプリカント地下組織の敵は人間、概ねウォレス社とウォレスでしょう。
大停電を引き起こし、データを消去することで自らの身を守ります。
彼らの戦いは奴隷というポジションからの解放であり、アイデンティティの確立が目的。
そのアイデンティティを象徴するのが、デッカードとレイチェルの奇跡の娘アナというわけです。
Kが自分自身を奇跡の子だと勘違いしたように、他のレプリカントたちもまた同じように期待し、願っている。
「ブレードランナー」にはレプリカントの自我の芽生えが根底のテーマとしてあるように思えてならないのです。
異なる愛の形
ここで言う愛とは相手のことを理解し、受け入れること。
また、自分を晒け出して相手に受け入れてもらえること。
今作「ブレードランナー2049」では大きく分けて4つの異なる愛がありました。
- Kとジョイ
- Kとマリエット
- ウォレスとラブ
- デッカードとアナ
・Kとジョイ
Kとジョイについては、前回でも少し語らせてもらいましたが、前作「ブレードランナー」におけるデッカードとレイチェルの関係を彷彿とさせるものがあったと思います。
女性アンドロイドに恋をしてしまうところですね。
デッカードは人間であり、レイチェルはレプリカントであること。
一方、Kはレプリカントであり、ジョイはホログラムであること。
人間ではないレプリカントから更に非人間的な存在である人工知能への恋。
そのジョイがKに「あなたは特別」と諭したように、K自身もジョイのことを特別な存在としています。
これは未来の愛の形であり、自分とは別の存在を愛することの重要性を説くものだと思う。
これはまさに自我の芽生えであり、自分固有の生き方や価値観の獲得、つまりレプリカントであるKがアイデンティティを得た瞬間なのではないだろうか。
・Kとマリエット
娼婦であるマリエットも登場シーンはすくないですが、今作を引き立てる重要な女性だと思っています。
人間というポジションではありますが、前作「ブレードランナー」に登場したレプリカント、プリスを彷彿とさせる雰囲気。
実際に演じたマッケンジー・デイヴィスはプリスのコスプレでオーディションに臨んだそうです。
彼女はジョイと同期して3Pをするほど、Kに片想いなわけですが(笑)
これもまた未来の愛の形と言えるのではないだろうか。
また、彼女はジョイに対して
「大したことない」
と揶揄うシーンがありましたね。
単に好きな男を巡る女性同士の張り合いかとも思いましたが、ここも何かしらの解釈が出来ると思います。
大したことないは言い換えれば平凡だということ。
人であるマリエットはKが恋する人工知能ジョイには他とは違う何か特別なものがあるのではないか?と思ったはずです。
「ブレードランナー2049」で登場する女性の名前は実に興味深いんですよ。
ジョイ=悦び
マリエット=あやつり人形(マリオネット?)
ラブ=愛
女性をセックス・オブジェクトとして描くことに批判的な意見もありますが、必要不可欠な存在であったことは誰が見ても明らかだと思います。
・ウォレスとラブ
ウォレスとラブの関係については愛という言葉が相応しいか分かりませんが、何か特別な感情はありますね。
ウォレスの右腕にして、唯一名を貰ったネクサス9型、"天使"。
その名前からも愛を連想させる。
ラブの綴りはLOVEではなくLUVですが。
ラブの涙については皆さん様々な考察をされてますが、特に印象的だったウォレス社で新たな女性レプリカントが産まれた際に流した涙。
そこら辺を絡めつつラブのLOVEについて考えてみました(笑)
レプリカントが涙を流す。
前作「ブレードランナー」では自分の正体を知らされたレイチェルが流した涙のみであるが、今作はレプリカントが流す涙が非常に印象的だ。
"天使"という立ち位置にあるラブにとって、ウォレスは"神"という立ち位置。
つまり新生レプリカントが作る、言わば新たな未来の創造主というポジションである。
ウォレスの台詞
「全ての文明は使い捨ての労働力によって建設されてきた」
ウォレスのレプリカントに対する考えを象徴する言葉ですね。
彼女はそんな彼の最も近しい存在でありたいと願っているはずです。
しかし、ウォレスはレプリカントであるレイチェルが子を産んだという貴重な実験材料から、レプリカントの母胎という新たなるステージを求めます。
つまり、ラブの立場からするとその存在は自分の存在を脅かすものなんですよね。
そんな状況下で、彼女自身はウォレスの為に完璧な存在になろうとしている。
その一方で、自分の存在価値やアイデンティティを探して葛藤しているのではないか?
自分が思うに、その時の涙とはそんな気持ちと行動のギャップから出る自然な反応なのかなあと。
人生で自分も何度か経験したことがあるんですが、嬉しさや悲しさ、悔しさや怒りなどの感情的な涙ではなく、不意に流れる自然な涙というものがあるんです。
ちなみに、嬉し涙や悲しみの涙は副交感神経が働いて薄い水っぽい涙が出ます。
一方、悔し涙や怒った時の涙は交感神経が働き塩辛くしょっぱい涙が出ます。
この時流した涙はラブの心が流した涙なのかもしれません。
ということにしておいてください(笑)
レプリカントにも自我の芽生えが、しっかりと心があるんです。
・デッカードとアナ
前回の記事にも少し書かせていただきましたが、デッカードとアナ・ステラインの親子にも愛がありました。
「誰かを愛するためには時には他人にならないといけない。」
デッカードの台詞が全てを物語ってますね。
デッカードは少なくとも娘であるアナに普通の人間として暮らして欲しかったんだと思います。
ここでもレプリカントの涙が印象的でした。
そうです、"奇跡の子"であるアナの流した涙です。
自分の中に残る幼少期の記憶「木彫りの馬」が作られた記憶なのかを確かめるべく、Kはアナ・ステライン博士のもとへと足を運びました。
そこで流した涙のわけとは?
その時見た「木彫りの馬」の記憶はアナにもあり、自分がデッカードとレイチェルの娘であることを知った涙ではないだろうか?
前作「ブレードランナー」でレイチェルが自分の存在を知って流した涙のオマージュ?
「これは誰かの実際の記憶よ。そう、実際に起こったこと。」
アナが涙を流しながら語ったこの台詞からもこの事に気付いてしまったと推測できますね。
レプリカントにはない過去の記憶を作ってきたアナにとって、自分の過去を呼び起こすきっかけになった。
つまり、父親という存在、愛を身近に感じた瞬間でもあったのではないだろうか?
ラブの涙とは対照的にこちらは様々な感情が入り交じった涙だったのではないかと思います。