小羊の悲鳴は止まない

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愛の形の多様性(「彼女がその名を知らない鳥たち」ネタバレ考察)

目次




初めに

こんばんは、レクと申します。
今回は先日観てきた映画から「彼女がその名を知らない鳥たち」について語っていこうと思います。

ネタバレを含みますので、未鑑賞の方はご注意ください。



作品概要


製作年:2017年
製作国:日本
配給:クロックワークス
上映時間:123分
映倫区分:R15+


・あらすじ

沼田まほかるの人気ミステリー小説を蒼井優阿部サダヲ主演、「凶悪」「日本で一番悪い奴ら」の白石和彌監督で映画化。下品で貧相、金も地位もない15歳上の男・陣治と暮らす十和子は、8年前に別れた黒崎のことを忘れられずにいた。陣治に激しい嫌悪の念を抱きながらも、陣治の稼ぎのみで働きもせずに毎日を送っていた十和子は、黒崎に似た面影を持つ妻子ある水島と関係を持つ。ある日、十和子は家に訪ねてきた刑事から、黒崎が行方不明であることを告げられる。「十和子が幸せならそれでいい」と、日に何度も十和子に電話をかけ、さらには彼女を尾行するなど、異様なまでの執着を見せる陣治。黒崎の失踪に陣治が関係しているのではないかとの疑いを持った十和子は、その危険が水島にまでおよぶのではとないかと戦慄する。
彼女がその名を知らない鳥たち : 作品情報 - 映画.comから引用

・予告編



騙されて騙される

原作小説はイヤミスと言われていますが、自分が受けた印象では意外な結末の純愛映画でした。
愛と憎しみは表裏一体…なんて言葉もありますが、まさにその言葉そのものなんですよね。

何より素晴らしいのが二段階落ちで騙されるこの脚本。


・一段階目

陣治(阿部サダヲさん)は十和子(蒼井優さん)のためなら何でもすると言うのが普段からの口癖のようでした。
十和子に近付いた男、水島(松坂桃李さん)への嫌がらせから、かつて十和子の恋人であった黒崎(竹野内豊さん)が消息不明になっている事への関与を疑い始めます。


それまでの陣治のあからさまに怪しいストーカーとも取れる行動や不気味な演技、発言から観客側も
陣治が黒崎を殺したんじゃないのか?と疑念や不信感を抱くはず。

そして、十和子が購入したナイフ。
水島との関係を続けたい十和子は水島が陣治に何かされる前に陣治を殺すつもりなのか?
その前にもう一度最後に水島に会っておきたいと電話をする十和子。

そして、水島が襲われるシーンから全てが明らかになる。



・二段階目

水島を背後から襲う十和子。
過去のフラッシュバックと共に十和子の記憶も蘇ります。

陣治の台詞
「あんまりなことしたら、恐ろしいことになるで」
は陣治が十和子を手に入れるために水島を殺してしまうということを示唆させながらも、真相は十和子が水島を殺してしまうという注意喚起だったわけです。

陣治は十和子が黒崎を殺して記憶を失くしたことをラッキーだと語っているように、もし殺人がバレたとしても彼自身が十和子の罪を全て被るつもりだったのでしょう。
「十和子のためなら何でもする」
この献身的な愛は陣治を投身自殺させるまでに至ります。


十和子は陣治を刺すと思わせながら、水島を刺した
そして、黒崎を殺した犯人は陣治だと思わせておきながら、真犯人は十和子だった。



その水島を刺すシーンまでの十和子が黒崎、水島に対する愛情は、そのシーンの後には黒崎、水島への憎しみに変わっているんです。


そして、そのシーンまでの陣治に対する疑念や不信感は、そのシーンの後にはいつの間にか十和子への愛情に変わっているんですから。



この騙されて騙される脚本が凄いんです。
尚且つ、十和子の黒崎、水島に対する心境の変化と、十和子の陣治に対する心境の変化との対比が素晴らしく、この心境の変化が我々観客側にも干渉する。

自分が共感度ゼロなのに心に突き刺さるものがあると感じたのはここなのかもしれない。



愛の形

キャッチフレーズである
「あなたはこれを愛と呼べるか」

このラストは、あなたの恋愛観を変える

非常に的を射た言葉ですね。
これは意外な結末の純愛映画と語りましたが、今作における最大のテーマは共感を得るラブストーリーではなく、愛の形の多様性を訴えるものだと思うんですよ。


恋愛観というものは人それぞれにあり、愛の形や愛情表現の方法は異なるはず。

しかし、人は愛を求めるためにそこに理想を思い描き、比較し選別する。
そんな自分のエゴを押し付けることなく、献身すること…言い換えるなら無償の奉仕の精神が陣治が抱く愛するという感情なのではないでしょうか。



原作著者である沼田まほかる先生。
以前にも記事を挙げました「ユリゴコロ」の著者でもあります。

こちらも愛の形の多様性を訴える作品だと思います。



タイトルの意味

では、このタイトル「彼女がその名を知らない鳥たち」とは一体どういう意味なのか?


彼女は十和子のことですね。
鳥たちとは恐らく十和子の周りの男たちのことでしょう。
その名を知らない、これは本編を見る限りでは心に気付いていないという事のように思えてなりません。

陣治は見た目は不潔で見窄らしい人間ですが、中身は純粋で綺麗な人でした。
一方で黒崎や水島はどうでしょう?
見た目は小綺麗でイケメン。しかし、中身はというと…。

このタイトルは十和子目線から見た男たちのことを意味していると思われます。



また、作中で鳥が登場するのはラストのワンシーンだけなんですよね。
陣治が飛び降りた瞬間に羽ばたく無数の鳥たち。

陣治が投身自殺した理由は十和子が全てを思い出したその嫌な記憶全てを持っていく。
そして、いつまでも十和子の傍に居たいと願う想いの辿り着いた先が、十和子の子供に生まれ変わるということ。

これも全く共感出来ない行動ですが、これが陣治にとって十和子に対する決して美しいとは言えない究極の愛の形

その時に羽ばたく無数の鳥たちは解放、つまり魂の浄化と生まれ変わりを意味するものだと考えています。



この羽ばたいた無数の鳥たちは恐らくムクドリでしょう。

ムクドリ
繁殖期は春から夏で、番いで分散し、木の洞や人家の軒先などの穴に巣を作る。両親ともに子育てを行い、とくに育雛期には両親が揃って出掛け、食糧を探して仲良さそうに歩き回る様子が観察される。
Wikipediaより引用

仲睦まじいおしどり夫婦な反面、糞害や鳴き声などの不潔さや煩わしさもあります。
陣治そのものですね(笑)



ちなみに、最初に流れたピアノ曲
ブラームスパガニーニの主題による変奏曲」

ヨハネス・ブラームスJohannes Brahms
19世紀ドイツの作曲家、ピアニスト、指揮者である。J.S.バッハ(Bach)、ベートーヴェン(Beethoven)と共に、ドイツ音楽における「三大B」とも称される。

パガニーニの主題による変奏曲
作品35は、ヨハネス・ブラームスピアノ曲1862年から1863年にかけて作曲され、1865年11月に作曲者自身によりチューリヒにおいて初演された。
Wikipediaより引用

1862年ブラームスは生活の本拠をウィーンに移し、そこで出会った名ピアニスト、カール・タウジヒの技巧に、完全に魅了された。
彼はブラームスと正反対と言えるくらいに性格が違っていたが二人は意気投合し、この曲を作曲したといいます。

陣治と十和子も全く正反対と言える性格でしたが、この何年間かで二人が奏でた愛の終止符は誰にも作り出せない唯一無二のものではないでしょうか。



終わりに

散々愛だの何だのと語ってきましたが、自分はこの作品を純愛映画として捉えています。

しかし、観る人にとってはイヤミスなのかなあと。
ラストの陣治の投身自殺も、取り方によっては恩着せがましい呪いのようにも思えます。
残りの人生を使って少しずつ返さないとならない借りを十和子は受けたのですから。

ラストの解釈も愛と憎しみと同じように表裏一体なんですよね。
沼田まほかる先生の作品、好みだということが判明したので今後ファンになりそうです(笑)


最後までお読みくださった方、ありがとうございました。


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