小羊の悲鳴は止まない

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創世記と黙示録、聖書に準えた物語(「マザー!」ネタバレ考察)

目次




初めに

こんにちは、レクと申します。
今回は久しぶりに考察してみたいと思える映画に出会いました。
日本公開中止の超問題作「マザー!」です。

いつも通り好き勝手語っていますが、お付き合いくだされば幸いです。

この記事はネタバレを含みます。
未鑑賞の方はご注意ください。



作品概要


原題:Mother!
製作年:2017年
製作国:アメリカ
上映時間:121分


解説

ブラック・スワン」の鬼才ダーレン・アロノフスキー監督が、「世界にひとつのプレイブック」でアカデミー主演女優賞を受賞した若手実力派のジェニファー・ローレンスを主演に迎えて描くサイコミステリー。郊外の一軒家に暮らす一組の夫婦のもとに、ある夜、不審な訪問者が現れたことから、夫婦の穏やかな生活は一変。翌日以降も次々と謎の訪問者が現れるが、夫は招かれざる客たちを拒む素振りも見せず、受け入れていく。そんな夫の行動に妻は不安と恐怖を募らせていき、やがてエスカレートしていく訪問者たちの行動によって事件が相次ぐ。そんな中でも妊娠し、やがて出産して母親になった妻だったが、そんな彼女を想像もしない出来事が待ち受ける。
マザー! : 作品情報 - 映画.comより引用

予告編





聖書に準えた物語

この物語はダーレン・アロノフスキー監督自身も語っている通り、旧約聖書の創世記をモチーフとされていますね。
主に本作の物語は「天地創造と原初の人類」を基に作られたように思います。

創世記
内容は「天地創造と原初の人類」、「イスラエルの太祖たち」、「ヨセフ物語」の大きく3つに分けることができる。

天地創造と原初の人類
天地創造 1章
アダムとエバ、失楽園 2章 - 3章
カインとアベル 4章
ノアの方舟 5章 - 11章
バベルの塔 11章

創世記 - Wikipediaより引用


それぞれの登場人物が表すものは以下の通りです。

妻 → マザーアース
夫 → 創造主・神
男 → アダム
女 → イヴ
兄 → カイン
弟 → アベル
赤子 → イエス・キリスト
その他 → 信仰者
家 → この世



このように、創世記に準えて物語が進行していきます。

冒頭から時折、妻と家が共鳴するシーンが導入されます。

妻は我が家"楽園"を作りたいと言及していた通り、家は家庭の安泰。
マザーアース(母なる大地)とこの世がリンクしていることを示唆させます。

夫は詩人であり、創作する者ということから創造主・神であることは分かっていただけると思います。


そこに最初の人類、男アダムが現れる。
男の脇腹の傷は、神がアダムの肋骨からイブを創った暗喩でしょう。
翌日、女イブが現れ、共にかき乱すわけですね。

夫の書斎(神のエデンの園)で、アダムとイブは禁断の知恵の実(夫の部屋にあった水晶)を手にしてしまうシーンから失楽園を示す。


楽園を追放されるアダムとエバ(ジェームズ・ティソ画)

失楽園』(しつらくえん、英語:Paradise Lost)とは、旧約聖書『創世記』第3章の挿話である。蛇に唆されたアダムとエバが、神の禁を破って「善悪の知識の実」を食べ、最終的にエデンの園を追放されるというもの。楽園喪失、楽園追放ともいう。

失楽園 - Wikipediaより引用


追放された直後の性交渉。
女の緑の下着は、禁断の知恵の実を食べて羞恥心から裸体を隠した葉の暗喩。

次に兄と弟が現れます。
カインとアベルです。


アベルを殺すカイン(ピーテル・パウルルーベンス画)

カインとアベルは、旧約聖書『創世記』第4章に登場する兄弟のこと。アダムとイヴの息子たちで兄がカイン(קַיִן)、弟がアベル(הֶבֶל)である。人類最初の殺人の加害者・被害者とされている。

カインとアベル - Wikipediaより引用

遺産問題で弟への嫉妬から兄は夫の忠告を聞かず弟を殺害。
神に貢物を無視されたカインがアベルに嫉妬し殺害する。
まさにそのままですね。



そして信仰者の居場所を確立し、人々が蛮行する世界を鎮圧した水道管の破裂は大洪水(ダーレン・アロノフスキー監督の前作「ノア 約束の舟」)でしょう。


『洪水』(ミケランジェロ・ブオナローティ画、システィーナ礼拝堂蔵)

ノアの方舟
旧約聖書の『創世記』(6章-9章)に登場する、大洪水にまつわる、ノアの方舟物語の事。または、その物語中の主人公ノアとその家族、多種の動物を乗せた方舟自体を指す。

ノアの方舟 - Wikipediaより引用

人々の堕落を見た神は大洪水で人類を滅亡させた。



ここまでが旧約聖書の創世記をモチーフとして描かれたもの。

大洪水から一転、妻が妊娠する。
そして、夫はスランプを脱出し、新書を書き始める。
妻のセリフ「私は黙示録の後始末をするわ」
からもここからは第二幕、新約聖書の黙示録へと進んでいきます。

ヨハネの黙示録
新約聖書(クリスチャン・ギリシャ語聖書)』の最後に配された聖典であり、『新約聖書』の中で唯一預言書的性格を持つ書である。
ヨハネの黙示録 - Wikipediaより引用

その後、子を授かった妻は男の子を出産します。
イエス・キリストの誕生です。

赤子は民衆に担がれ首の骨を折り死んでしまう。
ここでダーレン・アロノフスキー監督のキリスト教への思想が顕著に表れています(後述しています)。



世界が業火で焼き尽くされ崩壊。

夫は妻の心臓を抉り取り、新たな水晶を手にする。
創造主は理想郷、新たな世界を作り直したところでEND。

この事からも、創造主・神は少なくとも2回、マザーアースを創造していることが分かります。



気になる点として、黄色い粉の正体。
ダーレン・アロノフスキー監督自身も「墓場まで持っていく」とさえ言っているほど謎のままです。

個人的な見解では医療用の硫黄を含む何かではないか?と考える。
硫黄とは主要ミネラルのひとつで、皮膚や髪、爪のを構成する成分。
黄色はユダヤの象徴色とされる。
また燃えると悪臭を放つことから悪人を懲罰するためにしばしば用いられたことが聖書にも記述されています。
また、古代には太陽の三原質のひとつとされ、賢者の石そのものと見倣すこともあった。

あくまでも余談です。





さて、話を戻しますが、ここで旧約聖書新約聖書の話をしておかなければなりませんね。

ダーレン・アロノフスキー監督はユダヤ教徒です。
ユダヤ教では旧約聖書を聖書と呼んでいます。
その旧約聖書新約聖書を織り交ぜたものが、ユダヤ教から派生した宗教、キリスト教

ダーレン・アロノフスキー監督のユダヤ教への演繹的表現とキリスト教への帰納的表現が対比として非常に上手く練られています。



演繹法帰納法

演繹と帰納とは何か?からお話しましょう。

・演繹とは
「一般的・普遍的な前提から、正しい推論を行うことで、結論を得る方法」である。妥当な演繹とは、前提がすべて真なら、結論も必ず真であるような推論である。演繹の持つこの性質は、真理保存性と呼ばれている。

帰納とは
「個別の事例から、一般的・普遍的な規則・法則を得る推論方法」である。つまり、過去の経験やデータから、法則や事実を導き出す推論方法で、前提がすべて真であっても、結論が真であることは保証されない。



毎度毎度、字が汚くてすみません。



では、具体的に見ていきます。
まずはユダヤ教の演繹的表現といった言い方をしましたが、上記にも記述しました赤子(イエス・キリスト)の誕生とその後の展開はダーレン・アロノフスキー監督の思想が顕著に表れていると感じました。


赤子は民衆に担がれ、首の骨を折って死にました。
その血と肉を、肉塊を民衆が食べるという衝撃的なシーン。
ここにキリスト教でこのシーンは"最後の晩餐"を思い浮かべました。

新約聖書に記述されている"最後の晩餐"。
これは、キリスト教会において主の聖餐として伝統的儀式となり、現代まで受け継がれています。
司祭によって聖化された赤ワインやパンはイエスの血と肉になり、それを信徒が食べることで自らの体にイエスを取り込むというもの。

実際、聖書にも
死を予期したイエスは弟子を集めて"最後の晩餐"に臨み、その後イエス磔刑になったと記載されています。

昨今、哲学者やすいゆたか氏らによる新説が唱えられているのをご存知でしょうか?
実はイエスは最後の晩餐で本当に弟子たちに食べられてしまった。
という実に興味深い説。


旧約聖書の創世記にも、生贄の儀式は存在します。

預言者アブラハム不妊の妻との間に年老いてから授かった一人息子イサクを生贄に捧げるよう神ヤハウェによって命じられるというものだ。
アブラハムの信仰を確かめる為のもので、実際にイサクが生贄に捧げられることはなかった(イサクの燔祭)

しかし、これは
神が望めば実の子でさえも生贄に捧げなければならない。
という思想にほかならない。



つまり、イエス・キリストのメタファーである赤子の扱い。
ここにこそ、この作品に込められたダーレン・アロノフスキー監督の意図があったと思います。


その意図とは
救世主は未だ到来していない。
だと思います。



演繹法を基にイエスは救世主ではないという事実を仮説とすると。

仮説:イエスは救世主ではない。

エスとイサクは至上の犠牲である。

イサクは救世主ではない。

エスは救世主ではない。

ユダヤ教における信仰で結果を導き出すことが出来る。


ユダヤ教キリスト教の大きな違いは、イエスを救世主と認めるかどうか。
旧約聖書の中に、救世主メシアの到来の記述があり、キリスト教ではイエスを救世主としています。
ユダヤ教では救世主は未だ降臨していないのです。

ユダヤ教ではユダヤ人こそ唯一、神に選ばれた民であり、神との約束を実践すればやがて救世主が現れ、ユダヤ人の為の神の国が創られると教えられています。

この点も根強くこの作品「マザー!」に反映されています。
創造主である夫はすべての人々を受け入れます。
救世主が現れ、神の国が創られることを望み、幾度となく繰り返しているんです。

作中でも"楽園"と語られたように、理想の国を求め、描いては壊す。
この作品はある意味、この世の抜け出せないジレンマをも示唆しているのかもしれません。





次に、"8"という数字はキリスト教を示すものという仮説を基に帰納法を用いて考えましょう。


この世を暗喩する八角形の家。
八角形の家は骨相学の観点から見ると、人間の脳の機能に調和した形とされ、建築家や科学者によって発展させられた。
部屋の構造は行き止まりがなく、すべての部屋に繋がる構造となっていて、妻と家が深く関わることを表現しています。

また、キリスト教では "8"は"復活"を連想させる数字として知られています。
キリストが復活後の8日目に弟子の前に現れたことから"復活の象徴"とされています。

他にも、創世記の天地創造は一週間とされ、その翌日、つまり8日目がリスタートを意味するものではないかとも考えています。

この世を表す八角形の家に登場する人物も8人(大衆を信仰者と一括りにすると)。

ユダヤ教の象徴、ダビデの星六芒星
頂点を繋ぐと六角形なので八角形ではない。

この事から、"8"という数字はキリスト教を示すものであると考えられます。



自分は考察するにあたって、よくこの演繹と帰納を用いて推論します。
あくまでも考察は個人の見解であり、答えを決めつけるものではないので、よく使うのは帰納法の方ですが。
ひとつの事柄について掘り下げる際、こじつけて推論や考察する際には帰納的推論の方が楽でやりやすいんですよね(笑)



オマージュ

ダーレン・アロノフスキー監督はこう語っています。

“Mother!” unfolds like a surreal landscape from Salvador Dali, where bloody mouths appear in the floor and a strange piece of soft flesh gurgles at the bottom of the toilet. The house has a breathing, pulsing heart. “The dreamscape in movies is one of the great elements of cinema,” said Aronofsky. “It was popular all the way up to the ’70s, when our heroes Scorsese and Friedkin started making realism, and we’ve left dreamscape. Bunuel and Polanski drifted away, and movies became real, leading to ’80s fantasy and the ’90s superhero era. Now we have very simple heroics.”

‘mother!’: Darren Aronofsky Finally Explains It All to You | IndieWireより引用

60年代はドリームスケープの映画が素晴らしい素質だった。
70年代にはスコセッシとフリードキンがリアリズムを始めて、人々は夢から去った。
ブニュエルポランスキーは放浪し、映画はリアルになっていった。
そして80年代のファンタジー時代と90年代のスーパーヒーロ時代に至った。
そして今、とても単純な英雄譚の時代になった。



ダーレン・アロノフスキー監督の挙げたルイス・ブニュエル監督とロマン・ポランスキー監督。
彼らの作品が本作「マザー!」にも影響しています。


ルイス・ブニュエル監督作「皆殺しの天使」

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ロマン・ポランスキー監督作「ローズマリーの赤ちゃん

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マザー!」のポスターのひとつに「ローズマリーの赤ちゃん」のオマージュがあります。




終わりに

マザー!」は神と地球の関係性を夫婦に投影した旧・新約聖書を準えた宗教的映画でした。
また、冒頭とラストを繋ぐ胸糞円環構造でしたね。

勿論、その点においても良かったのですが、この映画は妻視点で胸糞悪い蛮行、家の蹂躙、女性の虐待というかたちで描き出されるにも関わらず、人々の姿こそが我々人間なのだという、神視点の映画でもある点が素晴らしい。


好き嫌いは分かれそうな作品ではありますが、個人的には好きな作品です。


最後までお読みいただいた方、ありがとうございました。




(C)2017, 2018 Paramount Pictures.