小羊の悲鳴は止まない

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自然は見える精神であり、精神は見えない自然である(「Vision-ビジョン-」ネタバレ考察)

目次




初めに

こんにちは、レクと申します。
今回は「Vision-ビジョン-」について語っています。

まず初めにTwitterの感想から。





作品概要


製作年:2018年
製作国:日本・フランス合作
配給:LDH PICTURES
上映時間:110分
映倫区分:PG12


・解説

河瀬直美監督が永瀬正敏とフランスの名女優ジュリエット・ビノシュを主演に迎え、生まれ故郷である奈良県でオールロケを敢行したヒューマンドラマ。フランスの女性エッセイストで、世界中をめぐり紀行文を執筆しているジャンヌは、あるリサーチのために奈良の吉野を訪れ、山間に暮らす山守の男・智と出会う。智は、山で自然とともに暮らす老女アキからジャンヌとの出会いを予言されていたが、その言葉通りに出会った2人は、文化や言葉の壁を超えて次第に心を通わせ、さらに山に生きる者たちとの運命が予期せぬ形で交錯していく。ジャンヌ役をビノシュ、山守の男・智役を永瀬が演じるほか、岩田剛典、美波、森山未來田中泯夏木マリらが出演。
Vision : 作品情報 - 映画.comより引用


・予告編





仏教的観点からのVision

先ずは本作「Vision」を仏教的観点から見ていきます。
本作「Vision」は自然と大きな関わりがあります。

主演女優ジュリエット・ビノシュはこうも語っています。

「自然と人間は、切り離せないもの。自然に戻るということは過去に回帰することではなく、自分の基になっているものを再確認することなの。日本の方は、そういった理念を大切にしている。自然を失って文明だけで生きてしまうと、人は人生に迷ってしまったり、自殺する人までも出てきてしまう。ちゃんと自分のルーツを持ちながら、新しいことに向かっていくのが大事だと思うわ」
ジュリエット・ビノシュ、「Vision」河瀬直美監督の現場で最も感銘を受けたのは? : 映画ニュース - 映画.comより引用



諸行無常

日本国における仏教の教えに諸行無常という言葉があります。
諸行無常とは、仏教のテーゼのひとつ。
「この世のあらゆるものはすべて移ろい行く」
「形あるものは必ず壊れる」というようにあらゆるものは生じそして滅するという理。

自然とは命あるもの。
命あるものは儚くいずれは必ず消えてしまう。
そして、命あるものは生まれ変わる。輪廻転生へと繋がります。

"山川草木悉皆成仏"という仏教の思想、みな平等で生けとし生きるものが寄り沿い合う"法華経"の世界観、"八百万の神"といわれるような日本の神々の思想が融合され、日本の仏教が形成されています。


本作でも命あるものは儚くいずれは必ず消えてしまう。という死が描かれていましたね。

ひとつはアキ。
もうひとつは犬のコウ。

共にトンネルを潜る演出から、生から死を表しているのは間違いないでしょう。

死を迎えて自然に帰る。
アキは智に「17歳に戻ったら…」と輪廻転生を匂わす台詞も語っています。



諸法無我

諸法無我とは、全てのものは因縁によって生じたものであって実体性がないという意味の仏教用語


これは本作「Vision」における幻の薬草"ビジョン"を指します。

ビジョンによって引き寄せられた彼女らが、再びこの森で出会う。
言い換えれば、この出会いは必然であり、縁によって生じた実体のないもの"ビジョン"。

自然とは実体があるものでもありますが、同時に感じるものでもあると思うんです。
風で靡く木々の葉音、雲の切れ間から差し込む陽の光、土の匂いや川のせせらぎ。


目に見えるものだけが全てではなく、目に見えないところにこの映画の本質があるのかもしれません。

この作品自体が何処か掴みどころのない、実体がないもののようで、そんな作品を観ることとなったのもまた、何かの縁なのかもしれませんね。
と言っておきます(笑)



涅槃寂静

涅槃寂静とは、煩悩の炎の吹き消された悟りの世界(涅槃)は、静やかな安らぎの境地(寂静)であるということを指す仏教用語

幻の薬草"ビジョン"を巡り、辿り着いたのは
火がVisionを生み出し、痛みを消し去る。

この炎に包まれ、沈静していく様は正に涅槃寂静


炎の中に見た岳の姿。
岳と森で出会い、鈴という子を授かったジャンヌにとって、岳を失ったことは心の痛み、つまり煩悩だったのではないでしょうか?

そして、鈴にとっても親の顔も知らずに育った。
この森に導かれてジャンヌが自分の母親だと認識出来た。
過去の苦しみ(煩悩)からの解放を意味しています。




諸行無常諸法無我涅槃寂静
この3つを三法印といい、仏教において三つの根本的な理念を示します。

仏教的観点から見ても本作「Vision」はこの三法印でひとつのストーリーとなっている事が分かりますね。



哲学的観点からのVision

次に、哲学的観点から見ていきます。
先程も記載したように、本作「Vision」は自然と大きく関わりがあります。

日本語の"自然"という言葉は、明治時代に古代ギリシア語の"ピュシス"、ラテン語では"natura"を語源とするヨーロッパ言語の言葉を翻訳する際に、もともと日本で用いられていた"自然"という言葉をあてがった翻訳語です。

したがって現代の日本語でいう"自然"には
翻訳語として用いられる以前に持っていた意味と
ヨーロッパ言語の言葉の意味

の2種類が存在します。

"自ずとなる"という意味での"自然"と
"物質的存在"という意味での"自然"。

"自然"と"nature"の共通する意味は"人工"との対義語だ。

古代ギリシアにおいても
「自然は隠れることを好む」(ヘラクレイトス)
「各々の事物のうちに、それ自体として、それの運動の始まりを内在させているところのその当の事物の実体のことである」(アリストテレス)
とされ、自然とは固有の在り方、内在的な原理のことを意味する。


では、日本にもともとあった"自然"と"nature"との相違とは何か?

"nature"は物質的存在を意味している場合が多く、人間の精神や意識と反意する意味である。
日本語における"自然"には、このような意味はもともとありません。


仏教的観点では記載しませんでしたが、『沈黙-サイレンス-』での宣教師フェレイラの言葉
「自然の内でしか信仰を見い出せない」

まさにこれです。
日本では精神や意識として扱うことが多いのです。


本作「Vision」でも"自然"は精神的な意味合いが大きいように思います。

自然と哲学は密接な関係があります。
特にドイツ観念論における自然哲学で代表されるなシェリングの言葉を借りましょう。


フリードリヒ・ヴィルヘルム・ヨーゼフ・フォン・シェリング(Friedrich Wilhelm Joseph von Schelling、1775年1月27日 - 1854年8月20日)は、ドイツの哲学者である。カント、フィヒテヘーゲルなどとともにドイツ観念論を代表する哲学者のひとり。
フリードリヒ・シェリング - Wikipediaより引用


「自然は見える精神であり、精神は見えない自然であるはずだ」




これを元に結論に入っていきます。






これがすべてです(笑)


前置きに対しての結論の短さ。
言いたいことの全てがこれです。


見て、聞いて、触れて、感じる。

自然は見える精神であり、精神は見えない自然である。
これ以上この作品について語る的確な言葉がないと思います。



余談

他にも幾つか伏線がありましたね。
素数ゼミです。

周期ゼミとは
毎世代正確に17年または13年で成虫になり大量発生するセミである。その間の年にはその地方では全く発生しない。ほぼ毎年どこかでは発生しているものの、全米のどこでも周期ゼミが発生しない年もある。周期年数が素数であることから素数ゼミともいう。
17年周期の17年ゼミが3種、13年周期の13年ゼミが4種いる。なお、17年ゼミと13年ゼミが共に生息する地方はほとんどない。
周期ゼミ - Wikipediaより引用

本作における幻の薬草"ビジョン"の周期も997年で素数という設定でした。
三桁の素数の中で最も大きい数ですね。

と、特に掘り下げることもありませんでした。
恐らく1000年という区切りとして最も近い素数を選ばれたのかな?

この辺りの詰めが甘い(笑)



次に、涙についてですが
ジャンヌ、鈴など涙を流すシーンが幾つかあるのですが、必ず右目からのみ涙を流していたのにお気づきになられましたでしょうか?

哲学的観点で、見る、聞く、触る、感じる。それがすべてだと語りました。

裏を返せばどれかひとつでは足りないんです。
人は見ることですべてを分かったかのように思い込む。
この作品は台詞が極端に少なく、そして言葉を交わすというコミュニケーション能力がかえって疎通の壁となるわけです。
そこでより一層、数少ない会話、表情、仕草、アイコンタクトが強調されるわけです。

見て、聞いて、触れて、感じる。
そのひとつが涙です。


「右目から流れる涙は嬉し涙だよ」

などというスピリチュアル的なことをいう訳ではありませんが、スピリチュアルな作品である本作の演出としては可能性は高いです(笑)


そもそも、涙を流すための神経(涙腺神経)は左右別にあり、鼻の奥にある翼口蓋神経節からの副交感性節前線維を涙腺神経に知覚が運ばれることで涙が出るんです。

翼口蓋神経節、または蝶形口蓋神経節、メッケル神経節)は、翼口蓋窩にある副交感神経の神経節である。
翼口蓋神経節は副交感神経の神経節の中で最も大きなもので、顔面神経からの副交感神経を受けている。翼口蓋窩の中で上顎神経に接して存在し、三角形ないしハート形をしている。 翼口蓋神経節は口・鼻・眼のどれに対しても近い位置にあり、涙腺、副鼻腔、歯肉、咽頭、口蓋などの腺分泌にかかわっている。
翼口蓋神経節 - Wikipediaより引用

つまり、右目からだけ涙を流そうと思えば流せるんですね。



終わりに

河瀬直美監督作は合う合わないがあると思います。
特に本作「Vision」においても、難解というよりも抽象的で物語の全容を把握出来ず、脚本も緩いところが難点だ。

一方で、視覚的な美しさ、自然美と演出の芸術性は評価しますが、論理的に見た時との齟齬が大きく、ノれなければかなりしんどい作品となってますね。

語りすぎない内容は、様々な考察、視点が生まれるものとも思います。
ご鑑賞された方はどんな視点でどのように感じたのか、お聞きしたいものです。


最後までお読みくださった方、ありがとうございました!




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