小羊の悲鳴は止まない

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この森で、天使はバスを降りた(ネタバレ感想)

目次




初めに

こんばんは、レクと申します。
今回は映画「この森で、天使はバスを降りた」について語っています。
フォロワーさんからのオススメ映画を観た第三弾になります(笑)

この記事はネタバレを含みます。
未鑑賞の方はご注意ください。



作品概要


原題:The Spitfire Grill
製作年:1996年
製作国:アメリ
配給:東宝東和
上映時間:116分


・解説

さびれた町にやって来たよそ者の少女が、しだいに人々の傷ついた心を癒していく様を描くヒューマンドラマ。監督・脚本はテレビシリーズ『探偵レミントン・スティール』で知られるリー・デイヴィッド・ズロートフで、彼の劇映画デビュー作。製作は「ボブ・ロバーツ」のフォレスト・マーレー、製作総指揮はウォレン・G・スティット、撮影は「Dr.ギグルス」のロブ・ドレイパー、音楽は「アポロ13」のジェームズ・ホーナー、美術は「ユージュアル・サスペクツ」のハワード・カミングス、編集は「フォー・ルームス」のマージー・グッドスピード、衣裳は「ユージュアル・サスペクツ」のルイーズ・ミンゲンバック。主演は「蒼い記憶」のアリソン・エリオット。共演は「キルトに綴る愛」のエレン・バースティン、「クラッシュ」のマルシア・ゲイ・ハーデンほか。96年サンダンス映画祭観客賞受賞。
この森で、天使はバスを降りた : 作品情報 - 映画.comより引用



・トレーラー






調和からの脱却

自然に囲まれた閉鎖的な小さな村。
そこにバスから降り立つ一人の素朴な女性。


変化を求めない調和、現状維持の傾向は、いい意味で平凡であり平和なのだろう。
一方で、排他的な視線で外部を受け入れようとはしない偏見が見られるんですよね。

そこで、力で押し切り何かを変えようとする強引な演出がないところもこの映画の魅力のひとつ。


彼女が服役していた罪は殺人罪
刑期を終えた彼女はその罪からも逃れられずにいる。
食堂スピットファイアを営むハナもまた、自責の念に囚われている。

この二人と食堂を取り巻くように物語は展開されていくわけだが、ひとつのアイデアが現状を一変させる。



作文コンテスト。
100ドルの応募金で作文を作り、優勝者にはこの食堂を譲るというもの。
自然に囲まれる田舎の食堂だからこそ価値があり、パーシー同様に新たな地で人生をやり直したいと願う人は多数いるのだ。

この寄せられる一つ一つの文が、それを読む村中の人達の表情が和やかで心温まる。



パーシーのアイデアを受け入れたことは、それまで調和を求めた村全体に変化を齎せた。
自分が変わろうとするパーシーには人を変える力がある。

ハナも少しずつパーシーを受け入れるようになっていく。
怪我をきっかけに少しずつパーシーを頼るようになっていくのだ。


ハナの甥ネイハムの妻であるシェルビーもまた、パーシーと出逢ったことで少しずつ変わっていく。

最もそれが表れたシーンが、シェルビーが夫ネイハムに逆らうシーンだ。
それまでは夫の言いなりで閉鎖的な村同様に調和を求めていた。
ハナのお金が盗まれた時、シェルビーはパーシーを疑うなら離婚すると言ったのだ。

これはパーシーによって変わりゆく村のメタファーとして描かれていると思う。


こうだと決め込んでしまうとそれ以上にはならない。
変化することは恐怖もある。
そして変化するためには勇気がいる。
変わるきっかけを作ってくれたのがパーシーであり、変えることができたのは彼女ら自身なのだ。



見えないものの恐怖

傷が深ければ、治るのもそれに比例して苦しいのか?


‪人間が持つ内包的な善悪、犯罪に至る経緯や心情の変化、憎悪や嫉妬、猜疑心や欺瞞、そういった負の感情というものは、築かれつつあった関係を一瞬で崩れさせる。‬

しかし、周りの目を気にするような消したい過去、例えばパーシーのように罪を犯して刑務所に入っていた過去があったとしても、その経験を後の人生に活かすことも出来るんだ。
つまりは生かすも殺すも自分次第であり、自分がどう立ち振舞って行くかが重要だということ。



何よりも怖いのが、分かっているつもり、知っているつもりで相手を決めつけてしまうことだろう。
潜在的にある偏見や差別の目、自分のフィルターを通して見た姿と相手の本心、真意との乖離や齟齬。


「彼女のことを知ってるつもりでした。」
ネイハムのこの言葉が全ての懺悔と罪の意識を物語っている。

そう、「何も知らなかった。」んです。
思い込みは時に良からぬ方向へと進んでいってしまう。
信じることとそう思い込むことは違うんです。


そして、さらに言うならば、大切なものは失って初めて気付かされるということ。

手の届かない場所、もう会えない場所へ旅立った。
その時になって人々は与えられた小さな物事の大きさに気付かされる。



交わる接点

我が子を失った母親と我が子を亡くした母親。
境遇は違うし、互いの気持ちを理解し合うことは出来ない。
それでも我が子に対する愛情という点においては共通するものがある。


人は決して相手の気持ちを全て理解することなんて出来ない。
それでも、相手の気持ちを察することは出来る。


気持ちに乖離があっても接点を持つことは出来るんです。

だからハナの息子であるイーライに、パーシーは産まれてくるはずだった子どもと同じジョニー・Bと名付け、命を賭けて助けようとしたのだろう。
意図するものではなく、無意識に。本能的に。


自分は我が子に会えなかった。
しかし、ハナとイーライを会わせることが出来た。
これは紛れもなくパーシーの立ち振る舞いの結果である。



作文コンテストの優勝者はクレアという女性。

子を身篭った時に応募されたもので、応募金は100ドルに満たない。
しかし、息子のこれからの人生のチャンスを与えてあげようといった内容には、我が子への愛情、そしてこれから先の未来を見据えた希望が見える。
ハナはその希望に託したのだと思えるのです。


拍手でクレアを迎え入れる村人たちとその笑顔は当初の排他的な村の印象はない。

そう、これは決して爽やかなハッピーエンドでもなければ悲劇的なバッドエンドでもない。
今、ここから始まる物語なのです。



終わりに

この作品を観て分かる邦題の素晴らしさ。
単にタイトルを見ただけでは分からないこの作品の良さがこの放題に詰め込まれている。

何このセンス!
邦題が良すぎてブログ記事のタイトル何も浮かばんかった(笑)

扱うテーマは重いものの、ラストは荒んだ心に静謐を齎してくれるような、そんな映画でした。
最後までお読みくださった方、ありがとうございました。



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