小羊の悲鳴は止まない

好きな映画を好きな時に好きなように語りたい。

静かなる変革と未来への軌跡(「僕たちは希望という名の列車に乗った」感想)

目次




初めに

こんにちは、レクと申します。
今回は5月に絶対観たいと心待ちにしていたドイツ映画
『僕たちは希望という名の列車に乗った』
について語っています。

この記事に明確なネタバレはございません。
最後までお読みいただければ幸いです。



作品概要


原題:Das schweigende Klassenzimmer
製作年:2018年
製作国:ドイツ
配給:アルバトロス・フィルム、クロックワークス
上映時間:111分
映倫区分:PG12


解説

ベルリンの壁建設前夜の東ドイツを舞台に、無意識のうちに政治的タブーを犯してしまった高校生たちに突きつけられる過酷な現実を、実話をもとに映画化した青春ドラマ。1956年、東ドイツの高校に通うテオとクルトは、西ベルリンの映画館でハンガリーの民衆蜂起を伝えるニュース映像を見る。自由を求めるハンガリー市民に共感した2人は純粋な哀悼の心から、クラスメイトに呼びかけて2分間の黙祷をするが、ソ連の影響下に置かれた東ドイツでは社会主義国家への反逆とみなされてしまう。人民教育相から1週間以内に首謀者を明らかにするよう宣告された生徒たちは、仲間を密告してエリートとしての道を歩むのか、信念を貫いて大学進学を諦めるのか、人生を左右する重大な選択を迫られる。監督・脚本は「アイヒマンを追え!ナチスがもっとも畏れた男」のラース・クラウメ。
僕たちは希望という名の列車に乗った : 作品情報 - 映画.comより引用

予告編
https://youtu.be/UE1pZVM52aI



ラース・クラウメ監督

アイヒマンを追え!ナチスがもっとも畏れた男』ラース・クラウメ監督が、ベルリンの壁建設5年前の東ドイツで起こった史実を基に作られています。

"たった2分間の黙祷"は、国家を揺るがす大事件に発展するという衝撃の実話を映画化した青春群像劇。


アイヒマンを追え!ナチスがもっとも畏れた男』の感想はこちら。



今作『僕たちは希望という名の列車に乗った』と『アイヒマンを追え!ナチスがもっとも畏れた男』の二作からも、ラース・クラウメ監督が描く映画のメッセージが読み取れる。

ラース・クラウメ監督は映画を通して我々観客に、 ドイツが誇れる人物を、物語をもっと多くの人に知ってもらいたい。
歴史を変えた英雄を、時代の矛盾に苦しんだ者たちの奮闘する姿を伝えたい
のではないか?


アイヒマンを追え!ナチスがもっとも畏れた男』にてフリッツ・バウアー本人映像の冒頭の語りはラース・クラウメ監督自身にも大きな影響を与えたのではないだろうか。

「我々ドイツ人にとって、奇跡的な経済復興とゲーテやヴェートーベンを生んだ国であるということは、とっても大きな誇りになっている。
だが、その一方でドイツは、ヒトラーアイヒマン、そしてそのお仲間を生んだ国であるというのも事実である。」
by フリッツ・バウアー





ラース・クラウメ監督は今作の映画化へ動いた理由を明かしています。

「『アイヒマンを追え!ナチスがもっとも畏れた男』が自分でも予想できないぐらいの成功を収めて、うれしい反面、次へのプレッシャーがそうとうあったことは確か。周囲から期待されるからね(苦笑)。ただ、プロデューサーにはほんとうに自分がいいと思う脚本でないと作れないと宣言していた。

 そんな折、出会ったのがディートリッヒ・ガルスカのノンフィクション『沈黙する教室 1956年東ドイツ-自由のために国境を越えた高校生たちの真実の物語』だったんだけど、恥ずかしながらこんなことがあったなんて知らなかった。

アイヒマンを追え!ナチスがもっとも畏れた男』の主人公フリッツ・バウアーはもっともっとドイツ国内で知られていい人物だけど、それなりに知っている人はいる。でも、今回の『僕たちは希望という名の列車に乗った』のエピソードに関しては、ドイツ人でさえほとんどが知らない。ということは世界では全く知られていないということ。確かにベルリンの壁崩壊前後のことはよく描かれいる。ただ、これは壁がまだできる前の話。ここら辺の時代、とりわけ東ドイツ側の状況はほとんど語られていない。これは世界に向けて発信しなければと思ったんだ」

ラース・クラウメ監督が東ドイツを題材にした理由は?|Real Sound|リアルサウンド 映画部より引用


ドイツの人々がなぜ東に残るのか、なぜ西へ逃げるのかが的確且つ簡潔に描かれており、予備知識は不要。
しかし、ベルリンの壁に関する時代背景や当時のドイツの情勢を念頭に観ると更に深みが出ます。

ということで、予備知識として時代背景を簡単に書き足しておきます。
参考までにどうぞ。



時代背景

まず、資本主義と社会主義、その時代背景について簡単に説明します。

資本主義は、営利目的の個人的所有者によって商業や産業が制御されている、経済的・政治的システム。
資本主義 - Wikipediaより引用


簡単に説明すると、資本(お金)を持つ資本家が労働者を雇って利益を得る体制のことで、我が国日本の社会も資本主義にあたります。

資本主義のメリットは競走市場により、経済が発展しやすいこと。
デメリットは格差が広がる恐れがあること。

社会主義は、個人主義的な自由主義経済や資本主義の弊害に反対し、より平等で公正な社会を目指す思想、運動、体制。
社会主義 - Wikipediaより引用


こちらは、国が国民の給料や財産を管理して、 平等を実現しようとする体制のこと。
つまり、国民を平等にする為に国、政府が一括に管轄する社会。

社会主義のメリットは計画経済を基盤に格差のない平等な社会を目指すもの。
デメリットは経済が停滞しやすく、政治的圧力が強いこと。

あくまでも社会主義共産主義を目指す第一段階であるという言わば理想論です。



最初に"社会主義"を実行したのが当時、地球上で最も面積が大きかった"ソ連"という国です。
1900年頃まで、世界の中心は資本主義でしたが、1922年にスターリンのもとでソ連が成立すると、スターリンソ連社会主義化を進めます。

そして、1945年に第二次世界大戦が終わると、ソ連は周辺国を中心に"社会主義"を広めていきます。


以降、社会主義国家は東ドイツハンガリーポーランドなどの東欧。
中国、北朝鮮の東アジア。
ベトナムカンボジアなどの東南アジア。
イラク、シリアなどの中東。
エチオピアコンゴ共和国などのアフリカ。
キューバの中米。
世界中で社会主義が成立します。

それに危機感を感じたのが、資本主義の象徴であるアメリカ。
この"資本主義アメリカ"と"社会主義ソ連"の対立が、いわゆる"冷戦"です。


しかし、上記に記載した通り社会主義は"経済が停滞しやすい"というデメリットがあり、ソ連は1991年に崩壊します。

"ベルリンの壁"崩壊後の旧東ドイツを描いた映画『希望の灯り』も凄くいい映画でした。
機会があれば是非。



今作の舞台となった1956年は"ベルリン壁"建設前の時代。
壁が建設されたのはこの5年後の1961年です。
東西ドイツに分断されたのは1949年で、まだ国としては新しくて混乱と発展の狭間にあった。

社会主義に重きが置かれ、国民の思考としても社会主義には"希望"を抱いていたのかもしれません。

1950年代終わりの東ドイツの生活水準は西ドイツの25~30%のレベルでしかなかったと言われています。



米ソ冷戦下での旧東ドイツが舞台となると、暗く重苦しい描写を想像するかもしれませんが、物語の導入は軽快。
今作の主人公であるテオとクルトという二人の若者が青春を謳歌している。



テオは労働者階級の生まれ。(上)
クルトは市議会議長の父を持つ。(下)

彼らは大学へ進学するという希望が約束された特進クラス。
社会的地位の異なる二人が同じ立場として国の行く末や社会的立場の苦難を強いられることとなる。
 


クルトのモデルは原作者ディートリッヒ・ガルスカです。
惜しくも2018年にお亡くなりになられたようで、この映画を観ることなくこの世を去られています。

舞台となった街や人物の脚色以外はありのまま描かれているそうで、監督は原作『沈黙する教室 1956年東ドイツ-自由のために国境を越えた高校生たちの真実の物語』を細かく読み解き、ディートリッヒ・ガルスカ本人にも話を聞いた上で脚本を書いたそうです。

沈黙する教室 1956年東ドイツ—自由のために国境を越えた高校生たちの真実の物語

沈黙する教室 1956年東ドイツ—自由のために国境を越えた高校生たちの真実の物語

ディートリッヒ・ガルスカ(著/文)
1939年生まれ。ケルン、ボーフムでドイツ文学、社会学、地理学を学ぶ。
ギムナジウム教師を経て、後はエッセンの市民学校で文化と芸術分野の講師をしていた。
2018年2月28日に本書を原作とした映画『僕たちは希望という名の列車に乗った(Das chweigende Klassenzimmer)』のワールド・プレミアがベルリン映画祭で行われたが、その2ヶ月後の4月18日に病没。



ナチスの傷跡

さて、ここまで今作を絡めつつ、時代背景について語ってきましたが、それを踏まえた上でこの作品が何を我々に残したのか。

ここからは個人的感想をまとめていきます。



ナチス・ドイツが残した傷跡は他国だけではなく、ドイツにもある。
例えば『ヒトラーの忘れもの』のようにナチス政権が残した負の遺産とどのように向き合い、過去を乗り越えていくのかをテーマにした作品が作られている。



今作でもナチス政権が残した負の遺産ナチスの傷跡が根強く残る。

東ドイツスターリンシュタットに通う高校生たちが、西ベルリンの映画館でハンガリーの民衆蜂起を伝えるニュース映像を目にしたことからこの物語は大きく動く。

民衆蜂起でハンガリー市民が多数死亡したこと知った彼らは、学校の教室で哀悼の意を表し黙祷を捧ぐ。

統制がかかっていたこの時代にも、自由を求めて自分の意志を貫く若者たちが東ドイツにもいたという事実。



若者たちの行った"たった2分間の黙祷"。
それに対し、体制を重んじる大人たちが厳しく当たり、権力の行使が行われる。

それは、ソ連支配下社会主義国家(ソ連マルクス主義)であった東ドイツの体制において、ハンガリー動乱社会主義の体制を脅かす"国家への反逆"、"反革命行為"とされる行為だからだ。

今を生きる我々には人権があり、アイデンティティは尊重されるべきものとして守られている。
しかし、当時の大人たちから見ればそれは、"反乱分子"であり、"反革命的"な若者たちとして見なされるのだ。



また、今作で使われた"ゲシュタポ"という言葉に対し、大人たちは激昴し「ナチスと戦った」と反論する。

支配と隷属
かつての独裁国家ナチス武力行使を憎んでいた大人たちが若者たちに対して同じようなことをしているというこの皮肉こそが、根強く残るナチスの傷跡そのものである。



また、社会主義(ソ連マルクス主義)は国が資産を管理することから政治的な抑圧、差別が見られる。

マルクス主義とは、カール・マルクスフリードリヒ・エンゲルスによって展開された思想をベースとして確立された社会主義思想体系の一つである。しばしば科学的社会主義とも言われる。

マルクス主義は、資本を社会の共有財産に変えることによって、労働者が資本を増殖するためだけに生きるという賃労働の悲惨な性質を廃止し、階級のない協同社会をめざすとしている。

ソ連型のマルクス主義マルクス・レーニン主義、その後継としてのスターリン主義)に対して、西欧のマルクス主義者は異論や批判的立場を持つ者も少なくなかったが、最初に西欧型のマルクス主義を提示したのは哲学者のルカーチ・ジェルジとカール・コルシュだった。

ルカーチソ連マルクス主義マルクスレーニン主義)に転向したが、ドイツのフランクフルト学派と呼ばれるマルクス主義者たちは、テオドール・アドルノやマックス・ホルクハイマーを筆頭に、ソ連マルクス主義のような権威主義に対する徹底した批判を展開し、西欧のモダニズムと深く結びついた「批判理論」と呼ばれる新しいマルクス主義を展開し、1960年代の学生運動ポストモダニズムなどの現代思想に対しても深い影響力を見せている。

マルクス主義 - Wikipediaより引用



つまり、マルクス主義による冷戦下での思想の抑圧は、東欧から西欧へ、後世の現代思想にまで影響を与えているほど強大なものであった。


マルクス主義による格差社会の撤廃は、逆に抑圧的な差別意識を含む。
その差別意識は支配階級のイデオロギーが被支配階級に強制されている。

即ち、様々な階級、階層、民族、世代、その他の社会集団が、それぞれの存在条件を維持、あるいは変革するための力として作用するものとしての精神的諸形態。

これは現在の差別意識にも通ずるところがある。
個人の差別意識でも、差別イデオロギーでもなく、社会意識としての差別意識そのものではないだろうか。
どのような状況に置かれているどのような集団がいかにして差別意識を形成し、保持しているのか。
また、その集団に所属している個人は如何にして差別意識を内面化し、集団の差別意識を支えているか。



この作品の凄いところは
その階級社会を撤廃するという平等な社会の確立という聞こえの良い言葉の中に隠された差別意識をしっかりと映像として見せ、差別意識を無意識に植え付けられた体制と社会主義の危うさを浮き彫りにしているところではないだろうか。

無論、そんな大人たちに屈することなく、自分たちで考えて行動に起こした若者たちが輝いて見える。
そんな若者たちへの繊細で力強い想いも素晴らしいのですが。


ここに関してはラース・クラウメ監督の前作『アイヒマンを追え!ナチスがもっとも畏れた男』の冒頭でも共通する認識がある。

「どんな日であっても必ず昼と夜があるものだが、同様にどんな民族の歴史においても陽の部分と陰の部分がある。
私は信じる。このドイツの若い世代ならきっと出来まいことはないのだと。
過去の歴史と真実を知っても克服出来るはずだ。
だが、若い世代に出来てもこれがその親世代となると実に難しいことなのだ。」
by フリッツ・バウアー


体制のもと、そうであることが"正しい"と刷り込まれた親世代は、簡単には変われない。
だからこそ、それを若い世代に押し付けようと、型に収めようとする。
若い世代は、見るもの全てが新しく、"自由"を選択することが出来る。

ほんの出来心、少しの反抗心、恐らく誰もが抱く感情。
そんな些細な、それでいて悪気のない若者たちの"たった2分間の黙祷"という行為が"政治的反逆"とされ、自らの状況を知り、立ち向かい、自らの進むべき道を短期間で考え、選ばなければならなかった。
そんな彼らの判断が我々に大きな勇気を与えてくれる。

沈黙から離脱することがほとんどできない状況。
その沈黙が家族を守ることであり、友情を繋ぐものでもある。
欺瞞や猜疑心に駆られながらも確かな形を残した彼らの行動。


『僕たちは希望という名の列車に乗った』(Das schweigende Klassenzimmer/THE SILENT REVOLUTION)

彼らの勇気ある行動は、歴史を変えるであろう"静かなる変革"
乗り込んだ列車は彼らにとっての"希望"であり、"新しい未来"の幕開け。

未来は自分自身の手で切り開いていくものなのだから。



終わりに

如何でしたか?

ドイツ映画のイメージは、戦争、ナチスホロコースト、東西統一というものがありますが
今作は知られていない歴史のひとつ、新たな一面を掘り起こした作品であり、歴史的社会派ドラマとしてだけでなく、青春群像劇としても楽しめる作品と言える。

今作は個人的に文句なしに2019年劇場鑑賞暫定ベストです。
今まで観てきたドイツ映画の中でもトップクラスの出来ではないでしょうか。


最後までお読みいただいた方、ありがとうございました。




(C)Studiocanal GmbH Julia Terjung