小羊の悲鳴は止まない

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鏡像と鏡の法則(「アス」ネタバレ考察)

目次




初めに

こんばんは、レクと申します。
今回はジョーダン・ピール監督最新作「アス」について語っております。

※この記事はネタバレを含みますので、未鑑賞の方はご注意ください。



作品概要


原題:Us
製作年:2019年
製作国:アメリ
配給:東宝東和
上映時間:116分
映倫区分:R15+


解説

ゲット・アウト」がアカデミー賞にノミネートされ、脚本賞を受賞するなど大きな話題を集めたジョーダン・ピール監督が、自分たちとそっくりの謎の存在と対峙する一家の恐怖を描いたサスペンススリラー。夫のゲイブ、娘のゾーラ、息子のジェイソンとともに夏休みを過ごすため、幼少期に住んでいたカリフォルニア州サンタクルーズの家を訪れたアデレードは、不気味な偶然に見舞われたことで過去のトラウマがフラッシュバックするようになってしまう。そして、家族の身に何か恐ろしいことが起こるという妄想を次第に強めていく彼女の前に、自分たちとそっくりな“わたしたち”が現れ……。「ゲット・アウト」に続き、数々のホラー/スリラー作品を大ヒットさせてきたジェイソン・ブラムが製作。主演には「それでも夜は明ける」でアカデミー助演女優賞を受賞し、「ブラックパンサー」などで活躍するルピタ・ニョンゴを迎えた。
アス : 作品情報 - 映画.comより引用

予告編



ジョーダン・ピール監督

前作「ゲット・アウト」でもその才能の真価を発揮したJ・ピール監督。



彼の作品には、黒人差別やその歴史がテーマとして暗喩されています。
ゲット・アウト」では黒人差別の裏をつく奴隷制度や人身売買がテーマでした。
ゲット・アウト」の記事にも記載していますが、特に潜在意識にある偏見や差別意識に注目して描かれています。

では、今作「アス」ではどのようなテーマが隠されているのか?
ズバリ、奴隷解放宣言からの公民権運動を経たアファーマティブ・アクション

つまり今作のテーマは、表面化する偏見や差別意識です。



民主主義国家を標榜するアメリカは、1862年奴隷解放宣言以降や第二次世界大戦後に至っても南部を中心に白人による人種差別が法律で認められ、一部の州では結婚も禁止する人種差別国家でもあった。

アメリカ合衆国は元々先住民族であるネイティブ・アメリカンが住んでいた土地に、ヨーロッパからの植民者が、奴隷貿易によりアフリカからの黒人奴隷が、そしてアジアからの移民が、多様な民族が溶け合って生きる人種のるつぼと呼ばれています。

キング牧師を中心としたアフリカ系アメリカ人などが、法の上での差別撤廃を訴える公民権運動を行った結果、1964年7月にリンドン・ジョンソン大統領の下で公民権法が制定されました。



それでも人種差別が完全に撤廃されたわけではなく、そこで打たれたひとつの対策が黒人優遇政策(アファーマティブ・アクション)です。

しかし、一部の白人は政府に対して黒人優遇は逆差別だ、つまり白人への差別だとして批判している。
また、それが却って裕福な黒人を豊かにし、貧困の黒人を貧しい状況へと追い詰めていると指摘の声もあります。


そう、アファーマティブ・アクションにおいて今作「アス」の物語では、陽の当たる地上の黒人たちが裕福な黒人、陽の当たらない地下の住人たちが貧困の黒人として暗喩されているんですね。

地上の住人たちと地下の住人たちは互いに対称的な立ち位置、言わば鏡像のような構図となっています。
これはアデレードの複製人間であるレッドが語っていた内容からも察することができます。

アデレードが豊かな暮らしを送れば、レッドが貧しい暮らしを強いられる。
裕福な黒人を豊かにし、貧困の黒人を貧しい状況へと追い詰めているというアファーマティブ・アクションの指摘そのものです。


ちなみに、そのテザードが暮らしていた地下へのエレベーターが下向きのものしか用意されていないというのも、貧富の差は埋まらないということを示唆するものだろう。



その地下の住人たち、複製人間であるテザードの代表でもあるレッドのセリフにこうありました。
「私たちはアメリカ人」

そうです、タイトル「Us」は United States とも考えられるのです。

テザードも同じアメリカ人であり、その状況を作ったのもアメリカ人なのだ。
人種差別とその皮肉、これが今作「アス」に込められた思いでもあるように感じました。


これが"Hands Across America"とも繋がります。

1985年に飢餓に苦しむアフリカに救いの手を差し延べようと、全米のトップ・アーチストが一堂に集結し行われた歴史的イベント"We Are The World"の流れを受けて、翌86年にアメリカ行われた"大西洋から太平洋までアメリカを横断して一列に手を繋ぐ"という前代未聞の大チャリティーイベントが"Hands Across America"です。

アデレードが幼少期に着た"スリラー"のマイケル・ジャクソンUSAフォー・アフリカのメンバーとして参加してますね。




「アス」の象徴でもある手を繋ぐ棒人間や、エンドロール直前のラストカットがこの"Hands Across America"です。



これは、陽の当たらない地下の住人たちにも陽の光を、という地下の住人たちの思いの反映。



幼少期に元々地下の住人であったレッドが、地上の住人であったアデレードと入れ替わり、アデレードとして生きてきた。
そして、ラストにそのアデレードとして生きてきたレッドが生き残るという物語は、痛烈にアメリカそのものを批判した皮肉なんですよ。



また、この映画の幕切れは事件の根本的な解決には至っていない。
なんともモヤモヤした気持ちのままで終わりますよね?
これは、白人主義であり、移民の受け入れを拒否する現トランプ政権の批判でもあると思います。



エレミヤ書

何度も登場したので言及するまでもないんですが、今作は聖書のある一節に準えられています。


エレミヤ書11章11節
それゆえ、主はこう仰せられる。「見よ。わたしは彼らにわざわいを下す。彼らはそれからのがれることはできない。彼らはわたしに叫ぶだろうが、わたしは彼らに聞かない。


遊園地でプラカードを持って立っていた不気味な男。
そのプラカードに書かれていた文字がこの"エレミヤ書11章11節"
彼は初の犠牲者でもあります。



ミケランジェロによるシスティーナ礼拝堂天井画のエレミア。

エレミヤは旧約聖書の『エレミヤ書』に登場する古代ユダヤ預言者
旧約聖書のうち『エレミヤ書』と並んで、『哀歌』もエレミヤの作とされている。『エレミヤ書』は『イザヤ書』『エゼキエル書』とならんで3大預言書のひとつとされ、旧約時代の預言者のなかでも、重要視される人物の一人である。

エレミヤ - Wikipediaより引用


"エレミヤ書"は、神ヤハウェに従わないイスラエル国民がバビロンによって滅ぼされる事をエレミヤが預言する内容。
イスラエル国民にとっては望ましい話ではなかったため、エレミヤは酷い仕打ちを受け、最終的にはエルサレムの宮殿は焼かれて民はバビロンへ捕囚にされる。



聖書の中でも11章11節のこの一節はとんでもない内容の言葉なんです。

祈りを聞かないという断言は、実はすぐ後14節にも出てきます。
エレミヤ書においては祈りを聞かないという内容が何回か登場するんですよね。

私たちは、すべての祈りを神である主が聞いてくださると思っています。
祈りの答えがないときでも、主が聞いておられないと感じることがあっても、ただ私たちが考える方法のように主がお応えになっていないだけで祈りはすばらしい神の子どもの特権です。

※自分は無神論者です(笑)


しかし、祈りは聞かれないことがあります。
それは「主の言われる事を全く聞かない人の祈りは聞かない」という原則があるからです。

これ、ご存知でしたか?
正確には、"主の言われる事を聞かない"とは罪を犯した者たちの言葉という意味を持ちます。
まさに現実主義と言いますか、等価交換制度なんですよ、神への祈りって(笑)

赦しを請うことと祈りを捧げることはキッパリと割り切っているんですよ。



例えば、箴言1章28節にこうあります。
「そのとき、彼らはわたしを呼ぶが、わたしは答えない。わたしを捜し求めるが、彼らはわたしを見つけることができない。なぜなら、彼らは知識を憎み、主を恐れることを選ばず、わたしの忠告を好まず、わたしの叱責を、ことごとく侮ったからである。」
"ことごとく侮る"とは、謀反、陰謀、故意の罪のことです。

また、イザヤ書1章15節では「あなたがたが手を差し伸べて祈っても、わたしはあなたがたから目をそらす。どんなに祈りを増し加えても、聞くことはない。あなたがたの手は血まみれだ。 」
"手が血まみれ"、つまり流血の罪ということです。

そして新約聖書マタイの福音書7章22節では「その日には、大ぜいの者がわたしに言うでしょう。『主よ、主よ。私たちはあなたの名によって預言をし、あなたの名によって悪霊を追い出し、あなたの名によって奇蹟をたくさん行なったではありませんか。』しかし、その時、わたしは彼らにこう宣告します。『わたしはあなたがたを全然知らない。不法をなす者ども。わたしから離れて行け。』」
やはりここでも"不法をなす"ことが、彼らの叫びを聞かない理由としています。



罪を犯した者とは、テザードを地下に閉じ込めた地上の住人たちのこと。
彼らがどれだけ神に祈ろうとも、その祈りは決して届かない。
エレミヤをアデレード、バビロンをレッドに置き換え、制裁を下すのは私たち(Us)であり、彼女らの武器が左右対称なハサミであることも興味深い。



次に、印象的なのがウサギの存在です。



「ウィッチ」にも記載していますが、聖書によるとウサギは穢れたものとされています。

レビ記11章6節
「野うさぎ、これは反芻するけれどもひづめが割れていないから、あなたがたには穢れたものである。」

つまり、食べてはいけない生き物なんですね。
しかし一方で、イースターという祭りではウサギは聖なる生き物として扱われます。
ウサギは1年に何度も出産することから生命と関わりがあるとされ、豊穣のシンボルとされています。

この善悪の二面性はこの作品のテーマとも一致するのではないでしょうか。



鏡の持つ二つの意味

何度も劇中に登場する鏡の演出
これは自分と自分の分身であるテザードの二重性や二面性を表すものですが、そこには対称性や対照性の意味合いも含まれます。

冒頭でも記載した通り、地上の住人たちが裕福な暮らしをすれば地下の住人たちは貧困の暮らしを強いられる。


アデレードは家族に対して言葉で支持をしたり、主導権を握るシーンが多く映されていたが、ビーチでは"無口"だと言ったり昔の出来事を話せずにいる。
一方で、アデレードのテザードであるレッドは言葉を上手く発することが出来ないがよく喋る。
夫ゲイブは子供の使う汚い言葉を指摘する非暴力主義の優しい夫。
そのテザードであるアブラハムは非常に暴力的。
娘ゾーラは走ることが得意であるにも関わらずビーチでは座り込むし、車の運転をしたがる。
テザードであるアンブラは足の速さに絶対的な自信を持っている。




襲撃された時の立ち位置が左右対称なのもこの対照性を強調しており、テザードを自分の鏡像として見せているんです。

その自分の分身でもあるテザードを殺して生き延びようとする自分自身の姿は、過去に社会で"自分"を押し殺して生き延びようとする黒人の姿そのものではないだろうか。



地上の住人たちとテザードたちは地表を境に鏡像のように行動を取っていました。
地上と地下の境界線である地表が鏡の役割を担っていたことになります。
他のテザードたちは地上へ出て、内面的な対照性は見られるものの、その行動の対称性を無くしている。

一方で、息子ジェイソンとプルートとの関係に注目したい。
確かに、ジェイソンはお面が好きなのに顔を隠さないし、火のつかないマジック用ライターで遊ぶ。
テザードであるプルートはマスクで顔を覆い隠し、火を好む。といった内面的な対照性は見られます。
が、同時に唯一行動における対称性も見られること。



何故ジェイソンとプルートだけが対称性を失わなかったのか?

考えられることは、2人は未だに鏡を通して向き合っているから。
鏡の前に立った時、離れれば離れるほど、鏡に映った自分自身も離れていきます。
近づけば鏡の中の自分自身も近づきます。
これは当たり前のことなんですが、他の家族は鏡から離れて見えないところまで移動(地上に出る)してしまったために、行動の対称性を失った。
しかし、ジェイソンはプルートと鏡を挟んで近い立ち位置にいたので未だに鏡の前に居るように行動での対称性の関係が持続していた?
もしくは、ある共通点から互いに引き合って鏡の前から離れられていなかった?

例えば火のつかないマジック用ライターにしても、ジェイソンは本当は火への興味があり、そこを自制心で押さえ込んでいたとしたら?
だからこそ、マジックでライターごと消えたように見せてその欲求を隠しているのでは?
本来は対照的であるはずが、プルートの"火を好む"というジェイソンとの共通点が写し鏡のように2人の感情を同化し、2人の距離を近づけたとも考えられます。



ジェイソンがマスクを被ること = プルートと同化すること
こう考えると、ラスト前のジェイソンの気持ちも見えてくるんですよね。

母親であるアデレードが実はテザードのレッドであるという秘密を隠すことに同意した。
これは自身もテザードの血を引くという立場を理解したとも受け取れる。
だから車内でマスクを被って顔を隠し、母親を見つめていたのではないだろうか。

一方で、ジェイソンだけがその真実に気付いている、もしくは知ってしまったことが非常に重要であり
これは裕福な人間が貧困の人間たちを見て見ぬふりをする、貧困問題から目を背けていることを暗示していると思われます。



ところで、"鏡の法則"をご存知でしょうか?
私たちの人生は、私たちの心の中を映し出す鏡であるという法則です。
つまり、自分の人生に起こる問題の原因は、すべて自分自身の中にあるという考え方ですね。

例えば、鏡を見た時に髪が乱れていたとします。
鏡の中に手を突っ込んで髪を直すことはできませんよね?
髪を直すには、自分自身の髪を直すしかないんです。
しかし現実には、鏡の中の髪を直そうと必死に頑張る人が多い。

つまり、現状を打開するためには自分が変わらなければならない
自分が変わらなければならない…そうなんです、(相手と)自分が(入れ)替わるしかない
という歪んだ恐ろしい考え方も見えてきます。

これは自身の内面に潜んだアデレード(レッド)の暴力性を表面化しているんです。
言い換えれば、アデレードとレッドは写し鏡のようなものと言えます。

鏡というものは地上の住人たちとテザードのように対称を意味する一方で、ジェイソンとプルートやアデレードとレッドのように自己投影という意味合いも持つんです。



他の細かな演出では、劇中で時計が11時11分を指していましたが、もうひとつの意味として家族4人の立ち姿も1111の数字を暗喩し、エレミヤ書へ印象付ける演出がされています。



また、友人のキティの娘は双子でシンメトリーを。
キティの名前は"キティ・ジェノヴィーズ事件"から取られたものだとすると面白い。

キティ・ジェノヴィーズ事件(Murder of Kitty Genovese)とは1964年3月13日、アメリカニューヨーク州クイーンズ郡キュー・ガーデン地区で発生した殺人事件である。この地区に住むキティ(Kitty)ことキャスリーン・ジェノヴィーズ(Catherine Genovese)が帰宅途中であるキューガーデン駅の近くで暴漢ウィンストン・モースリー(Winston Moseley)に殺害された。ニューヨーク・タイムズは、彼女は大声で助けを求めたが、近所の住人は誰ひとり警察に通報しなかったと報じた。この事件がきっかけとなり、傍観者効果が提唱された。
https://ja.m.wikipedia.org/wiki/キティ・ジェノヴィーズ事件:title より引用

傍観者効果(ぼうかんしゃこうか,英:bystander effect)とは、社会心理学の用語であり、集団心理の一つ。ある事件に対して、自分以外に傍観者がいる時に率先して行動を起こさない心理である。傍観者が多いほど、その効果は高い。
傍観者効果 - Wikipediaより引用


この事件で注目された傍観者効果は、富裕層が貧困層を見て見ぬふりするといった意味合いにも近い気がします。



このように鏡像のような対称性、対照性の見せ方、写し鏡の自己投影、そして至る所で黒人の歴史、格差社会を匂わせる。
こういったメタ的な構造と演出の一貫性はJ・ピールの天才的な感性だと思いますね。



終わりに

余談なのですが、各テザードの名前の由来についても考えてたんですが
夫ゲイブのテザード、アブラハムは聖書の中に登場する信仰の父アブラハム
娘ゾーラのテザード、アンブラは競走馬アンブライドルド
息子ジェイソンのテザード、プルートはディズニーの犬。
辺りでしょうか?

なんかしっくり来ないので考察からは外しました(笑)



今作「アス」は前作「ゲット・アウト」よりも演出力が凄かったですね。
強いて言及しておきたいのが、アデレードとレッドの戦いが終わり、"実はアデレードはレッドでした!"なネタ明かしの映像が流れてラストの車内からHands Across Americaのカットに入りますよね?

あの"実はアデレードはレッドでした!"の映像、要ります!?
正直なところ、それまでの流れやジェイソンの表情で全て察することができるのに、わざわざ映像で見せる必要性はなく、野暮だなあと思いました。
そこはもう少し観客を信じて委ねても良かったんじゃないでしょうか。

とはいえ、J・ピール監督は流石といったところ。
これからも追いかけていこうかと思っております。



最後までお読みいただいた方、ありがとうございました!




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