小羊の悲鳴は止まない

好きな映画を好きな時に好きなように語りたい。

若者の痛みが凝縮された映画「リバーズ・エッジ」(ネタバレあり考察)

目次




初めに

こんにちは、レクと申します。
今回は今になって突然実写化された「リバーズ・エッジ」について語っています。

Twitterでは散々「リバーズ・エッ〇」なんて原作ネタで遊んでましたが、二階堂ふみさんがちゃんと脱いでたなんて。
おっぱいとお尻、すごいスタイルいいですよね。
体を張った演技に注目です。

そして吉沢亮さんの無機質な演技。
感情の籠っていない淡々とした口調とやられっぷりは仮面ライダーフォーゼのメテオを彷彿とさせます(笑)
ウホッ!いいケツ!って叫びたくなること間違いなし。

その他、俳優陣も良い味出してました。
こずえが原作にかなり近くてびっくりです。



作品概要


製作年:2018年
製作国:日本
配給:キノフィルムズ
上映時間:118分
映倫区分:R15+


解説

1993年に雑誌「CUTiE」で連載されていた岡崎京子の同名漫画を、行定勲監督のメガホン、二階堂ふみ吉沢亮の出演で実写映画化。女子高生の若草ハルナは、元恋人の観音崎にいじめられている同級生・山田一郎を助けたことをきっかけに、一郎からある秘密を打ち明けられる。それは河原に放置された人間の死体の存在だった。ハルナの後輩で過食しては吐く行為を繰り返すモデルの吉川こずえも、この死体を愛していた。一方通行の好意を一郎に寄せる田島カンナ、父親の分からない子どもを妊娠する小山ルミら、それぞれの事情を抱えた少年少女たちの不器用でストレートな物語が進行していく。ハルナ役を二階堂、一郎役を吉沢がそれぞれ演じる。
リバーズ・エッジ : 作品情報 - 映画.comより引用

予告編




若者に向けたメッセージ

初めにTwitterの感想から。




さて、早速本題に入っていきます。


1993~94年に「CUTiE」(宝島社刊)で連載されていた岡崎氏の同名原作は、バブルが弾けた90年代を舞台にリアルなセックス描写を含む愛や暴力、若者たちの欲望や不安、焦燥感を果敢に描いたことで多くのファンを引き付けたことで知られています。


行定勲監督のコメント

行定監督は「ずっと漫画の映画化に抵抗してきた」というが、「岡崎京子さんの名作はあまりにも魅力的でついに手を染めてしまった」と胸中を告白。さらに、「私たちが生きたけがれた青春は今の時代にどれくらい杭を打てるのだろうか? 日々、苦闘しながら撮影しています」とコメントを寄せている。
岡崎京子「リバーズ・エッジ」映画化!二階堂ふみ×吉沢亮が行定勲監督とタッグ : 映画ニュース - 映画.comより引用



自分は概ねこの世代の人間なのですが、時代は違っても日常の無感動や無感覚という若者ならではの孤独感や虚無感は現代の若者たちにも刺さる部分があるのではないでしょうか?

イジメ、LGBTへの差別、暴力、セックス、ドラッグ、摂食障害、ひきこもりなどなど、若者の社会問題、若者の痛みが凝縮された「リバーズ・エッジ」は、性からも死からも離れた童貞や処女たちに送るメッセージなのだ。

だからこそ、今の多くの若い人に観てもらいたい作品でもあります。
決して共感を得る映画ではないですが、心に刺さる部分があるのではないでしょうか?




生を感じる瞬間とは?

突然ですが皆さんは日常生活で"生きている"と実感することってありますか?


自分はやはり、死に直面して助かった時、所謂
九死に一生
というやつですね。


…って、平凡な?と言われるとそれなりに人生経験はしてきていますが、そんな危険なことはありませんよ(笑)

多分、普段何気なく生活を送っていると
仕事→帰宅→風呂→Twitter→寝る→仕事→…
と毎日毎日同じことの繰り返し。

生きるために仕事をしているのか、仕事をするために生きているのか、分からなくなることがあります(病んでません)



世の中は勿論、平和が一番だとは思います。
しかし、世の中で何事も起こらないなんてことはない。
ニュースを見ていてもそう。
悪いニュースは必ず毎日流れています。
良いニュースしか流れない、ネタのない日なんてなかなかありませんよね。

常に平坦であり続けるはずがないんです。

例えば、日常生活で人の死を目の当たりにすることは日常的ではありませんよね?
しかし、その人の死を伝えるニュース自体は我々にとって平坦な日常なんです。
身近でない出来事はほぼほぼ無関心なんですよ。


それはこの物語でも同じで、平坦であり続けるはずがない日常で彼らにとっての平坦な日常を送っている。
そんな物語を、死人同然の若者たちのフィルターを通して見せることで、今の若者たちに生の命を吹き込むバイブルになり得るのではないか?
と思うわけです。



死体との関係性

先ずは河川敷の死体と彼女らの関係性について考えていきます。


ハルナは彼氏でもある観音崎から虐められている山田を助けたことから、"大切な宝物"を見せたいと言われて河原へと連れていかれる。
そこで見たものは白骨化した死体であった。

「これを見ると勇気が出るんだ」と言う山田に絶句するハルナ。
宝物として死体の存在を知る後輩でモデルのこずえが現れ、3人は特別な友情で結ばれる。

死体と彼女らの出会いを要約するとこんな感じですかね。



・ハルナと河川敷の死体

ハルナが初めて死体を見た時
「実感がわかない」と言っています。
恐怖というよりも何か感情のひとつを失っているようにも見えました。

ハルナ自身、授業もサボり気味で毎日タバコを吸いながらボーッと外を眺める毎日。
観音崎と付き合いつつもセックスに対しても非常に淡白です。

"何もリアリティを感じないリアリティ"を抱いた、ある意味、他人に対して死人のようでどこか感情がないようにも見えます。


・山田と河川敷の死体

山田は学校で虐められる一方で、虐める相手を殺してやりたいと思う一面も覗かせます。
一方で彼女のいる山田は実はゲイで、彼の関心は片想いのサッカー部男子。
田島カンナという彼女との疑似恋愛的なデートにも無感情、お金を稼ぐための売春行為も感情が欠落したようにハルナと同じく死人のようでもある。

そんな山田にとって死体とは、注目を浴びない存在。
つまり自分の立場との対比であり、非日常への希望の光であり関心を示すもの。
自分の置かれている日常とは違う世界。
死体のある河川敷は憧れに近い聖域のような場所なんです。

原作では河川敷の死体を見つけた同級生と揉み合いになる場面ですが、実写化では少し改変されており死体は同級生に見つかることはありませんでした。
虐められっ子が怒り狂って襲いかかる様はまさに聖域を犯す輩に立ち向かう、そんなところでしょうか。


・こずえと河川敷の死体

こずえはモデルという顔とは別に過食と吐くという摂食障害の食生活を送る。


同級生に死体が見つかりそうになり、埋めることにした3人。
その時、こずえはハルナにこう質問します。
「ハルナさん、この死体を、初めてアレみた時どう思った?」
ハルナは「…よくわかんない」と答える。

それに対してこずえはこう答えた。
「わたしはね “ザマアミロ”って思った。
世の中みんなキレイぶって、ステキぶって、楽しぶってるけどふざけんじゃねぇよって、ざけんじゃねぇよって。
ざけんじゃねぇよ、いいかげんにしろ。
あたしにも無いけどあんたらにも逃げ道ないぞザマアミロって…なーんて」(原作から)

ここに共感した人いますか?
恐らくいないと思います。

日常生活で本音と建前で不満に思うことはあります。
しかし、死体を見てこんなこと思うでしょうか?

これは"死体を見たから"ではなく、ハルナに対して自分の思いをぶちまけたんです。
ハルナを自分と同じような人間だと、感情に虚無感を抱くハルナなら理解してくれると思ったのでしょう。



・ハルナとこずえと猫の死体

ハルナとこずえの関係は子猫のシーンからも明らかです。


こずえにとってビニール袋に入った子猫の死体は「ミートボールみたい」といった無関心に近いもの。
むしろ「ザマアミロ」の感覚だったのかもしれない。
ハルナも自分と同じ人間だと、この感情を理解してくれると思ったこずえはハルナにも見せる。


そこで初めて感情を露わにし、泣きじゃくるハルナに驚きながら慰めるこずえ。

同じ感情ではなくとも、二人の距離が縮まった瞬間でもありますね。



観音崎とルミ

観音崎とルミの事故の後、河川敷での観音崎とのセックスもハルナは無表情のままでした。
河川敷にあった死体と重なるように描かれたこのセックスは、ハルナが死を連想するものだと位置づけたと考えられます。

観音崎の殺害は未遂に終わりましたが、事件後に発狂したルミは死人のようになってしまう。
ハルナともう一人の友人でルミの見舞いに行くが、ハルナは涙すら流すことはなく、ほとんど無表情のまま。

一連の非日常も、観音崎とのセックスも、ハルナにとっては"何もリアリティを感じない"、やり過ごすしかないのだ。



・山田とカンナの死体

ラストシークエンス。
山田の彼女であったカンナ。
嫉妬からハルナの部屋に火をつけ、自身も焼身飛び降り自殺を謀ります。
このカンナの死体を見た時の山田の笑みは観終わった後も暫く忘れられませんでした。


死んでしまったカンナの方が好きだなんて、山田は河川敷の死体を見つけた時から何も変わっていない。
きっと山田がハルナに河川敷の死体という"大切な宝物"を見せたのも、ハルナに死を感じたからでしょうか?

一方で、生きているハルナも好きだと語る山田。
ここで初めてハルナ自身が"自分は死人同然だ"と自覚するわけです。
なぜなら山田は死体しか好きではないから。
正しくはそっと見守るだけのサッカー部男子を除く(笑)



ハルナへのインタビューでも語られました。
生きていると実感出来るのはどういう時か?の問いに対してハルナは「感じる時」と答えています。

自分が"何も感じない死人"だからこそ、"生きている実感"がわかるのだ。



ウィリアム・ギブスンの詩

この作品のラスト、山田からハルナへひとつの贈り物が手渡されます。
そしてハルナと山田の二人で語るウィリアム・ギブスンの一説。

THIS CITY IN PLAGUE TIME
この街は 悪疫のときにあって
KNEW OUR BRIEF ETERNITY
僕らの短い永遠を知っていた
OUR BRIEF ETERNITY
僕らの短い永遠
OUR LOVE
僕らの愛
OUR LOVE KNEW
僕らの愛は知っていた
THE BLANK WALLS AT STREET LEVEL
街場レヴェルののっぺりした壁を
OUR LOVE KNEW
僕らの愛は知っていた
THE FREQUENCY OF SILENCE
沈黙の周波数を
OUR LOVE KNEW
僕らの愛は知っていた
THE FLAT FIELD
平坦な戦場を
WE BECAME FIELD OPERATORS
僕らは現場担当者になった
WE SOUGHT TO DECODE THE LATTICES
格子を解読しようとした
TO PHASE-SHIFT TO NEW ALIGNMENTS
相転移して新たな配置になるために
TO PATROL THE DEEP FAULTS
深い亀裂をパトロールするために
TO MAP THE FLOW
流れをマップするために
LOOK AT THE LEAVES
落ち葉を見るがいい
HOW THEY CIRCLE IN THE DRY FOUNTAIN
涸れた噴水をめぐること
HOW WE SURVIVE IN THE FLAT FIELD
平坦な戦場で僕らが生き延びることを

ウィリアム・ギブスン『THE BELOVED(VOICES FOR THREE HEADS)』より

「僕らは現場担当者になった」って「WE BECAME FIELD OPERATORS」だから、ここでいう「現場」って「平坦な戦場」のことだったんだ。つまり「平坦な戦場」を自らの活動の舞台として生きる人間になったということ。

最後の4行で「HOW THEY CIRCLE IN THE DRY FOUNTAIN」と「HOW WE SURVIVE IN THE FLAT FIELD」は対を成しているから、「平坦な戦場で僕らが生き延びること」は「干上がった噴水の中で風に吹かれた落ち葉が渦を巻くこと」と同じことなんですね。(←ホントかよ!?)

「ArT RANDOM 71 Robert Longo」京都書院 - 日々の雑感(tach雑記帳はてなブログ版)より引用


何度も作中で映し出される工場とその工場から排出される汚水。

河の流れのように時には流され、時には逆らいながら畝り淀むこの河の水こそが、平坦な日常であり、彼女らの生と死の狭間を意味する。

行き場を失くした汚水という負の感情が河を濁らせ、留まり、異様な臭いを放つ。
非日常とは突然起こるわけではなく、実は徐々に、だが着実に淀みを積み重ねて、水面下で形作られるものなのではないだろうか?


そんな中、河川敷の死体と出会うことで、その平坦な日常が一気に崩れ、そこで死人同然だった若者たちが生きている実感を得た。

彼女らの生き延びる場所は平坦な戦場、干からびた噴水のように空っぽで殺伐とした景色である。
しかし、そんな若者たちも我々のいう平坦な日常の中を漂いながら、生きていく術を模索していくしかないのです。



エンディングテーマ




岡崎京子と親交のある小沢健二が映画のために書き下ろした楽曲。
小沢にとって初の映画主題歌となる同曲には、ハルナ役の二階堂ふみと山田役の吉沢亮も参加している。

ポップさと奇抜さを交えたこのエンディングテーマ。

二階堂ふみのコメント
まるで、問いかけるように、思い出を語らうように、寄り添うように、明日に向かう曲を聴きました。『リバーズ・エッジ』へと導く小沢さんの唄は、懐かしい新しい、現在進行形の作品だと思います。

吉沢亮のコメント
映画のラストでこの曲が流れて来た時、大切な何かが過ぎ去っていくのをただじっと見守っているような、切なさと温かさが入り混じった感覚に自然と涙が流れました。初めてデモを聴いた時から今日まで、毎日気が付くと頭の中で流れています。

行定勲監督のコメント
映画の終わり方として、何かひとつの時代性の総括がほしいと思っていました。「あの時代はなんだったのか」ということを語るのに、岡崎京子を一番理解している人間はメロウじゃなくて感傷的じゃなくて、ものすごく爽やかなんだと。だからこんなにも力強いんだって。僕たちの予想を軽々と裏切ってくる楽曲をとてもすばらしく思いました。

小沢健二、岡崎京子原作「リバーズ・エッジ」で初の映画主題歌(コメントあり) - 音楽ナタリーより引用

エンディングでこの曲が流れた時、一瞬「あれ?なにこの違和感www」でしたが、気が付くとクセになってました。
変な中毒性がありますね。



終わりに

原作を読んでいたのは随分昔なので記憶が曖昧ですが、実写化は原作に忠実で、その独特の空気感を表現出来ていると思います。
非常にうまく作り込まれているのではないでしようか。

ただ、もうひとつ実写化するにあたって多少の改変があってもよかったのかなあというのも否めませんね。

最後までお読みくださった方、ありがとうございました。






(C)2018映画「リバーズ・エッジ」製作委員会/岡崎京子・宝島社


リバーズ・エッジ

リバーズ・エッジ

リバーズ・エッジ オリジナル復刻版

リバーズ・エッジ オリジナル復刻版

リバーズ・エッジ 愛蔵版

リバーズ・エッジ 愛蔵版