"最悪の奇跡"は何度も起こる(『NOPE ノープ』ネタバレ考察)
目次
初めに
どうも、レクです。
ジョーダン・ピール監督の長編映画とあらば…と久しぶりに考察ブログを書かせていただきました。
ということで、今回は『NOPE ノープ』について語っております。
※この記事はネタバレを含みますので、未鑑賞の方はご注意ください。
作品概要
原題︰Nope
製作年︰2022年
製作国︰アメリカ
配給︰東宝東和
上映時間︰131分
映倫区分︰G
解説
「ゲット・アウト」「アス」で高い評価を受けるジョーダン・ピールの長編監督第3作。広大な田舎町の空に突如現れた不気味な飛行物体をめぐり、謎の解明のため動画撮影を試みる兄妹がたどる運命を描いた。
田舎町で広大な敷地の牧場を経営し、生計を立てているヘイウッド家。ある日、長男OJが家業をサボって町に繰り出す妹エメラルドにうんざりしていたところ、突然空から異物が降り注いでくる。その謎の現象が止んだかと思うと、直前まで会話していた父親が息絶えていた。長男は、父親の不可解な死の直前に、雲に覆われた巨大な飛行物体のようなものを目撃したことを妹に明かす。兄妹はその飛行物体の存在を収めた動画を撮影すればネットでバズるはずだと、飛行物体の撮影に挑むが、そんな彼らに想像を絶する事態が待ち受けていた。
「ゲット・アウト」でもピール監督とタッグを組んだダニエル・カルーヤが兄OJ、「ハスラーズ」のキキ・パーマーが妹エメラルドを演じるほか、「ミナリ」のスティーブン・ユァンが共演。
NOPE ノープ : 作品情報 - 映画.comより引用
感想
まずはTwitterの感想から。
『#NOPE #ノープ』観た。
— レク@めーぶれ(映画トーク配信番組) (@m_o_v_i_e_) 2022年9月4日
ナホム書の引用から見世物の惨劇、「ありえない」ものから"目を背ける(或いは目を向ける、人目に晒される)"。
加えて、映画を撮る構図から"観ること"と"目に見えないもの"に対する強いメッセージを感じる。
差別意識の無自覚さを可視化させるJ・ピールの演出力あってのもの。 pic.twitter.com/sUqXA9h4ZJ
『ゲット・アウト』や『アス』と比較すると少しパンチが弱く感じましたが、鑑賞中は楽しく観ることができました。
考察
本作『NOPE ノープ』がジョーダン・ピールの長編監督3作目ということで、まずはジョーダン・ピール監督の作家性について過去2作の言及とともに考察に入っていこうと思います。
・ジョーダン・ピール監督の作家性
『ゲット・アウト』でアカデミー賞脚本賞を受賞した彼のフィルモグラフィーから見てもそれは明らか。
ジョーダン・ピールの作家性とはズバリ
人種差別や偏見をテーマとした創作物を介して、その顕在意識を利用し我々観客の潜在的な差別意識を炙り出す。
これだと思います。
『ゲット・アウト』では、人間の意識の奥底にある偏見や差別意識を呼び起こす秀逸な脚本力。
『アス』では、娯楽の中でアファーマティブ・アクションから表面化する偏見や差別意識と黒人の歴史を結びつけるメッセージ性の強さ。
では、本作『NOPE ノープ』ではどうか。
簡単に纏めると・・・
無自覚さによる身近な差別意識と視線の攻撃性を可視化した演出力。
昨今、特に差別意識について言及されてきている社会情勢の中で、ジョーダン・ピール監督は流石だなと唸らせる新たなホラー演出で我々観客の持つ差別意識を可視化させる。
『ゲット・アウト』ではサスペンスの枠組みで、『アス』ではスリラーの枠組みで表面化してきた差別意識を、本作『NOPE』ではサイエンス・フィクションの枠組みでやり遂げています。
尚且つスケールは大きく、映画愛を感じさせる描写も多々ありました。
・聖書の引用
冒頭で引用される1節。
旧約聖書のナホム書3章6節
「わたしは汚らわしい物を、あなたの上に投げかけて、あなたをはずかしめ、あなたを見ものとする」
この汚らわしいものとは傲慢な人間に対する神の審判、癒えない傷の象徴でもある。
癒えない傷=見世物の惨劇
つまりは、シットコム『ゴーディ 家に帰る』で人間たちが支配下に置いていたチンパンジーの暴走。
ドラマ撮影のある日、ゴーディ役のチンパンジーが風船の破裂音に驚いてその場にいた人間を襲い始めた事件。
その惨劇の場で靴が直立する"最悪の奇跡"。
これこそ、傲慢な人間に対する神の審判である。
当時、子役として活躍していたジュープは子役時代に出演した西部劇を再現したジュピター・パークを経営。
UAP(未確認航空現象)の存在に気付いた彼は、それを見世物にしてショーを開催する。
彼は過去に暴走したチンパンジーを見ていたはずなのに、大人になっても同じことを繰り返してしまう。
そんな傲慢な人間を飲み込む神の審判がUAPであるGジャン。
そして
Gジャンの起こした"最悪の奇跡"によってOJが父親を亡くしてしまう。
ナホム書3章19節
「あなたの傷は、いやされない。あなたの打ち傷は、いやしがたい。あなたのうわさを聞く者はみな、あなたに向かって手をたたく。だれもかれも、あなたに絶えずいじめられていたからだ。」
傷であれば癒えるはずですが、神は審判として癒えない傷を与えられます。
そしてその姿を見て「手をたたく」者たちがいます。
これはあざ笑って、喜んでいる姿です。
理由は、「だれもかれも、あなたに絶えずいじめられていたからだ。」であります。
序盤でもCM撮影の際に撮影スタッフの行動が原因で馬が暴れてしまうシーンがあったと思いますが、これもまたゴーディやGジャンと繋がる視線や人間の支配が絡んだ描写となっていますね。
OJとエム、ヘイウッド兄妹がGジャンを撮影して一攫千金を狙おうとしたこともまた、人間の支配下に動物を置くことの警鐘とも取れる。
ドキュメンタリー映画監督がフィルム撮影でGジャンを捉えようとする点も然り。
ハリウッドの映画業界でも常に搾取されてきた犠牲者は有色人種及び動物たちである。
ジョーダン・ピール監督は昔も今も、人間の本質というものは何も変わっていないということが言いたいのだろうか。
本作『NOPE』では主に動物視点で章立てられています。
ひとつはOJの飼っている馬たち。
チンパンジーのゴーディ。
そしてUAPのGジャン。
旧約聖書において馬の登場は129回にも及びます。
新約聖書においては17回。
そして、その殆どが戦争に関わること。
例えば
出エジプト記14章23節
「エジプトびとは追ってきて、パロのすべての馬と戦車と騎兵とは、彼らのあとについて海の中にはいった。」
ユダヤ人を追いつめたのは馬に乗った騎兵です。
また、黙示録6章では白い馬、赤い馬、黒い馬、青白い馬の4頭が登場し、神様の裁きとそれがもたらす戦争を意味しています。
馬は古来より戦争のための機動力として使われてきた戦いの道具なんです。
GジャンというUAPに立ち向かう主人公OJがラッキーという馬に跨り対峙するシーンが印象的です。
本作『NOPE』自体が西部劇的な要素を帯びていることと、それを黒人のカウボーイでやってのけたこともまた、ハリウッド映画を介した黒人差別という構造の批判になっていると思います。
・原題『NOPE』の意味とGジャンの存在
否定の返事をする時に言う「NO」の代わりに使われるスラングでもあって、元々は「NO」を強調させるために「NOPE」と言ったのが始まりということもあって、強い否定を示す言葉である。
「NOPE」(ありえない)という意味から
あのUAP(未確認航空現象)であるGジャンも、そんなことはないと言い切れる差別意識の無自覚さ(マイクロアグレッション)のメタファーとも考えられます。
マイクロアグレッションとは、1970年にアメリカの精神医学者であるチェスター・ピアスによって提唱された意図的か否かに関わらず言動に現れる偏見や差別に基づく見下しや侮辱、否定的な態度のことを指します。
また、マイクロアグレッションはジェンダー、性的指向、人種など様々な場面で表面化してくるマジョリティ視点の無自覚さにあると思っていて。
問題なのは、場合によっては善意という形をとって晒される攻撃性が伝わってくることもあるということ。
例えば、在日韓国人の方に対する「日本語が上手いですね」などの言葉にあたる。
特に、劇中ではマイクロインサルト(小さな侮辱)による無意識な差別が目立つように思う。
恐らくは、アジア系アメリカ人のジュープもこういった差別を子役の頃から受けていたかもしれない。
ここで面白いのが、電気屋の店員とドキュメンタリー映画監督の白人男性が2名がヘイウッド兄妹側に付くこと。
この2人は"Gジャンを視認したこと=差別意識に気づいた"とも受け取れます。
他にも、ハリウッドで唯一、黒人の調教師が経営している牧場。
有色人種であるOJと馬の調教の技量を比較される。
序盤にエムが語ったエドワード・マイブリッジの疾走する馬の連続撮影もそうです。
連続写真を見たトーマス・エジソンは大いに触発され、後に映写機キネトスコープを発明。
これがシネマトグラフに繋がり、"映画"が誕生することになる。
乗馬していた黒人には注目されなかったとありましたが、本作『NOPE』ではその乗馬していた無名の黒人の子孫がOJとエム、ヘイウッド兄妹ということになってます。
このような差別意識に晒されてきた者たちにとって視線を合わせることによる攻撃性は差別意識そのものと言える。
大空のもと、たくさんの雲の中に紛れたGジャンを目に見えない(無自覚の)差別意識とした場合
視認、知覚することで意識し始めるのもまた差別意識そのもの。
Gジャンの弱点でもあるレインボーフラッグ。
これは1978年に「サンフランシスコ・ゲイ・フリーダム・デイ・パレード」で使われ始めたLGBTの尊厳と、社会運動のシンボルとして作られた旗とリンクすることから、やはり差別意識そのものの象徴と考えられる。
こうした特定したり認識したりすることが難しくなってきている差別と偏見を視認、知覚すること。
加えて、それほど否定したくなるもの(「NOPE」)から目を背ける(或いは目を向ける、更には人目に晒される)という構図は目に見えない差別意識に対する強いメッセージとして感じ取りました。
そう、OJやエムがGジャンと対峙すること。
そして、ドキュメンタリー映画監督による映画撮影すること。
この見る(撮る)という攻撃性のある行動自体の意味がここで裏返る。
ジョーダン・ピール監督が本作『NOPE』をサイエンス・フィクションで描いた理由がここにあります。
謂わば『未知なる遭遇』。
これこそ、目を背けないこと。
つまり"視認、知覚する=差別意識の認識"という構図に展開されていくわけですね。
終わりに
サクッと語ってきましたジョーダン・ピール監督長編3作目『NOPE』。
如何でしたか?
個人的には『ゲット・アウト』、『アス』の過去2作を超えてくるものではありませんでしたが、娯楽に振り切りながらもコメディアンらしくしっかりとジョーダン・ピールの作家性は反映された作品に仕上がっていたかなあと思います。
演出力は申し分ないですが、もう少しホラー色は強めても良かったのではないかと思うくらいには物足りなさもありますが。
最後までお読みいただいた方、ありがとうございました。
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