小羊の悲鳴は止まない

好きな映画を好きな時に好きなように語りたい。

映画「パターソン」から読み取るいい映画とは何か?(ネタバレなし考察)

目次




初めに

こんばんは、レクと申します。

えー、今更ながらやっと観ることができた映画「パターソン」について。
ネタバレは一切ございません。

例の如く、もう既に幾つもの考察がされているであろう作品なので、あらすじ等は割愛させていただきますね。

今回はタイトル通り「パターソン」から読み取るいい映画とは何か?語っていきたいと思います。



いい映画とは?

先ず、最初に言っておきたいことは
これは作品の善し悪しを決める"いい"ではありません。
よって、他作品の批判でも否定でもなければ、白黒つけるということでもないことをご理解くださいませ。

あくまでも個人的観点から"いい映画"とは何か?について語らせていただいてます。


早速本題に入りますが、皆さんにとって"いい映画"とはどういったものだと思いますか?



興行成績?
高評価?

自分は自分の目で見たものしか信じません(笑)
たとえどれだけ周りが評価しようとも自分が思うところとのギャップというものは必ずあると思います。

そういった客観的視点ではなくあくまで主観で考えたいい映画とは。


自分の人生に影響を与えてくれた映画。
なんて大層なことは言えません。
しかし、好きで好きで堪らない映画。
それは勿論、自分とってのいい映画と言えます。

自分で言うところの映画「羊たちの沈黙」がそれです。
脚本、演出、音楽、演技、思い入れ、全てを加味した上でオールタイム・ベストです。



しかし、その"いい"とはまた違った"いい映画"ってありませんか?



例えば
「泣ける」「全米が泣いた」「感動の超大作」などの謳い文句で落とす所謂感動モノの映画。


マイケル・○○監督のような派手な爆破(笑)シーンのあるようなアクション。


緑の仮面を被って超人的な動きで笑わせるようなコメディシーン。


などがほとんどないにも関わらず、鑑賞後に「あー、いい映画だった」って思える映画。


そうです。
それが自分は「パターソン」でした。



冒頭にも書いてますが、これはあくまでも個人的な意見です。

勿論、派手なアクションがないといい映画とは言えない!
泣けない映画はいい映画ではない!
と仰られる方もおられるかもしれません。

しかし、その意見も個人的な意見であり、"いい映画"だと感じる基準は人それぞれ異なったものだと思います。




今年の劇場鑑賞した映画の中に
彼らが本気で編むときは、
という作品があります。

この作品も非常に素晴らしく、観終わった後
「あーいい映画だったな」
が率直な感想でした。



また、鑑賞後の余韻の半端ない映画。

今年劇場鑑賞した中では圧倒的に
沈黙-サイレンス-」でした。

今年初めて複数回鑑賞した作品です。
これも間違いなく自分にとってのいい映画です。



そして、今年劇場鑑賞
暫定ベスト1の「ウィッチ」。

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自分の好む作品は概ね派手な描写よりも、心理描写がしっかりと作り込まれた作品なんです。

こちらの作品もまた、自分にとってのいい映画です。



中にはクスッと笑える描写や目を見張る映像、心にグッとくる感動などはあるでしょう。

でもそれを全面に押し出していない。
なのにそれを鑑賞者側に伝わるように自然と描かれている

特筆すべき目立った描写はないかもしれないけど、全体的な雰囲気が良いなど。

自分が"いい映画"だと感じるポイントはそこなのかなあと思います。



総評

では、映画「パターソン」は何が"いい映画"なのか?
簡単に総評としてネタバレなしで纏めました。


バスの運転手パターソンの何気ない一週間。
しかし彼にとっては毎日が、新しいんです。
些細な変化に見える小さな幸せは面白いというよりも心地良い。

目立った派手な演出もなく、悪く言うと「退屈」なんでしょうが、そこに映し出される映像から読み取れる情報は決して「退屈」なものではないんです。

そう、本作品はただ単に何気ない日常を切り取った映画ではない
何気なく流れていく日常を"詩"という別の表現方法で切り取った映画なのだと。


詩とは言葉であり、この言葉で語られた以上の何かを得ることが出来る。

これから我々がおくる日常も、ただ時が流れていくまま何気なく過ごすよりも、意識的に切り取ることで大切な何かを感じられるのではないだろうか。


表面的な見せ方ではなく、内面的な見せ方が上手い。
作中で語られるものよりも感じるものの方が多い
不思議な魅力がこの作品にはある。

そのような点が「いい映画だなあ」と思わせたのかもしれない。

観ている時はいい映画がまだ何かは定かではなかったというか考えたこともなかったのですが、この映画を観ていて、こういうことを言うんだなあとしみじみ感じてました(笑)



終わりに

今回は映画「パターソン」から"いい映画"とは何か?について語らせていただきましたが、正直なところ非常に曖昧な部分は多いです。


ジャンル等によらず、自分が思う"いい映画"というのはふとした瞬間に観たくなる。
何度も観てしまう。
そして、観返す度に好きになる。
新しい発見がある。

そんな作品は人生に寄り添う一作に成り得るのではないでしょうか。


映画はあくまでも娯楽です。
しかし、その娯楽性を超える何かがある時、自分の中で傑作だと思えるわけです。

自分にとっての傑作を見つけていきたいものですね。



ここまでお読みくださった方、ありがとうございました。

映画館での座席選びにこだわりはありますか?

目次


初めに

こんばんは、レクと申します。

ここ数週間、まともに映画館に行けてない身分でこんな事を話題に挙げるのもなんなんですが、皆さんは映画館での席選びはどうされてますか?


ど真ん中?
通路側?
最前列?
後方?

お気に入りの鑑賞ポイントはあるでしょう。


今回はそんな映画館での座席選びについて語っていこうかと思っております。


自分の選ぶ座席

わたくし、座席は専ら後方の通路側なんです。



大体がスクリーン向かって左側。

気分で右端の時もありますが。


理由は
腰痛持ちで鑑賞中にモゾモゾ動くことが多く、姿勢も安定しない為に周りに迷惑が掛からないように、です(笑)

あと、足を組む時に右足が上に、自然と左側に重心が偏るので、左から観ることに慣れているんですよね。


なので、京都大阪近辺の映画館でスクリーン向かって左後ろの方の座席でモゾモゾしてる不審者を見掛けたらレクの野郎だと思ってください(笑)



しかし、例えば
友人や恋人と映画館で映画を観よう!
となった場合は…悩みますよね?

友人または恋人には出来るだけ良い環境で楽しんでもらいたい。

とは言っても両隣りに人が座るのはあまり好ましくないので、混み合う時間は避けたいものです。
しかし、デートとなるとそうは言ってられません(笑)


自分の思う良い環境とは
無理なく観れる体勢で、尚且つ音響やスクリーンの見やすさなどを考慮するという感じです。

前後列は座高の高さとスクリーンの高さなどで無理な姿勢(特に前屈みや見上げる形)にならないような体勢で観られるように気をつけます。


ではどこがいいのか?


劇場スタッフのオススメ座席

劇場スタッフのオススメ座席もやはり、ど真ん中だそうです。
スクリーンの左右両端を結んだ正三角形ができる位置が理想とされてます。


理由としては音響。
前後左右のスピーカー位置を考えると、ど真ん中が最も臨場感を味わえる座席だそうです。



またメリットとしては
スクリーン全体を見渡せるので視野の移動も少なくて済むと思います。


ただ、真ん中の席は団体客やカップルが多く、マナーの質も悪い気がします。
密集しているので、両隣りが埋まることも有り得ます。

これでは良い環境とは言えないでしょう。


どこが人気でどこが不人気?

最も人気のある座席はどこなのか?

人気なのが中心部後方座席。
しかし、先程も記述した通り、劇場の広さや作りによっては前屈みになってしまうなど腰を痛める可能性もあります。

猫背の方にとってはいいのかもしれませんが(笑)


逆に、人気のない座席は?
やはり前方と左右両端ですね。

最前列では劇場の広さやスクリーンの場所にもよるんですが、見上げる形になったり、字幕が左右に移動する映画では視野を大きく広げなければならない為に疲れます(笑)


また舞台の上にスクリーンがある劇場などではかえって見にくかったりします。



一方、メリットは何と言っても大スクリーンを独り占めできる視野ですね。
前に何も障害物がないのは映画に集中できるという利点が大きいと思います。


おすぎとは - タレントデータベース Weblio辞書

映画評論家である、おすぎさんは最前列のど真ん中でないとダメらしいです(笑)

映画評論家の町山智浩さんも最前列で鑑賞されるそうです。



両端の座席だと、音響も勿論ですがスクリーンに対して垂直でなくなるというデメリットが大きいです。

特に3D。
IMAXなどでは到底オススメは出来ない座席ですね。

とは言っても自分は両端の座席で音響に不満を感じたことはありません。
そんなソムリエ的な耳は持ち合わせてませんから。


数少ないメリットとしては、席を立ちやすい。
トイレが近いとか、エンドロール見ずに退席する方は割と好まれる座席だと思います。




個人的には
邦画には字幕がないので、スクリーンを独り占めできる前方が。
字幕のある洋画は後方でスクリーン全体を見渡せる位置。
IMAXなどの臨場感を味わう映画は前方寄り。
これらが一番ベストなポジションだと思います。


つまり、観る映画によって良い座席の場所は変わるんです!



外部環境の影響

どれだけ自分に合った最高の座席が確保できたとしても、周りの客層で折角の良い映画、楽しい時間が台無し…ということも。

自分も多々苦い経験をしてます。


金曜日、週末、祝日はもちろんの事
映画の日、レディースデーなどは安くて行きやすくても避けたいところ。

時間帯も夕方はできるだけ避けたい。


エンドロールでスマホを見る。
私語が多い。
雑音がうるさい。
座席を蹴られる。

などなど様々な嫌がらせとも取れる外部環境に悩まされたこともあります。

そうです。
これらは全て、映画が始まる前に流されるマナームービーで注意喚起されている事なんですよ。


自分はそういった煩わしさが面倒臭いので、人の少ない時間帯を狙うことが多いです。
例えば朝一番の上映であったりレイトショーであったり。

そういった考慮もまた、良い環境で観るためには必要なことなのかもしれません。


良い子のみんな!マナーは守ろう!



終わりに

今回は映画の内容ではなく、映画を観るにあたっての内容について語らせていただきました。


どの座席が正解か。
どの座席がオススメか。
それは自分に合った良い席で観られるのが一番なので、言及しません。

当人はあまりオススメ出来ない端っこの座席で観る奴ですし(笑)


自分にとって最高に楽しいひと時を得るためにも、お気に入りの座席を確保しましょう!

しょうもない記事ですが、最後までお読みくださった方、ありがとうございました。

焚刑と鉄槌(「ジェーン・ドウの解剖」ネタバレ考察)

目次


初めに

こんにちは、レクと申します。

先日購入した「ジェーン・ドウの解剖」について語りたいように語ってます。

今回、あらすじ等は省かせていただきますね。
面倒臭いとかではないです(笑)


ネタバレ有りなので、未鑑賞の方はご注意ください。


ジェーン・ドウと解剖

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原題:The Autopsy of Jane Doe
製作国:イギリス
製作年:2016年



まず、タイトルにある「ジェーン・ドウ」と「解剖」について。


ジェーン・ドウとは主に訴訟などで匿名希望もしくは本名不明の女性を意味する言葉ですね。

男性はジョン・ドウ
ジョンドウ起訴という言葉があるくらいメジャーです。

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こちらの作品で犯人の名前としても認知度は高いと思います。


身元不明の遺体に対して使われる名前。
日本でいう「名無しの権兵衛」ですね(笑)



解剖される目的の一つに身元が分かる手掛かりを見つけること。
死因だけでなく、傷の有無や形から自殺か他殺か。
歯型や持病などから、かかりつけの病院などを割り出して捜査に繋げていく流れが一般的ですね。

江戸時代には腑分けと言われ、内臓の構造を調べることが解剖とされていました。



解剖は大きく

  1. 病理解剖
  2. 司法解剖
  3. 行政解剖

の3つに分けられます。

  1. 病理解剖は病院で死亡した患者の死因を調べる場合に専門の医師によって行われる解剖。
  2. 司法解剖は犯罪に関わる遺体に法医学者が施す解剖。
  3. 行政解剖は病院で亡くならず、犯罪の関与もない死体に対して監察医が施す解剖。

今作における検死解剖は一家惨殺のあった家屋の地下から見つかった遺体なので、犯罪に関与するであろう遺体、つまり司法解剖にあたります。


解剖のメイキング映像を載せておきます。

松竹チャンネル/SHOCHIKUch - YouTubeより



死体の謎

死体の不自然な点。
両手足首の骨折。
歯や舌が抜かれている。
肺は内側から火傷。
くびれた胴。

次第に判明していく死体の秘密はミステリー要素とホラー要素が上手く使われた演出になっています。


ちなみに、昔ながらの習慣で、遺体安置所に運び込まれた遺体の足首には鈴をつけることになっているそうですね。

この鈴がまた良い雰囲気を醸し出すんですよ!



死体から見つかる聖書の一説『Leviticus 20:27』

男または女で、口寄せ、または占いをする者は、必ず殺されなければならない。すなわち、石で撃ち殺さなければならない。その血は彼らに帰するであろう
レビ記 20:27 (Japanese Bible)より引用

レビ記20章27節。

口寄せとは、未来のことを知ろうとすること。
つまり神、キリストを介することなく霊の世界と交わることを意味し、占いやオカルト、超能力といった類の悪霊によるものを指します。

詳しくはレビ記の19章辺りに記されていますので、興味のある方は調べてみてください。



この20章では死刑に関する規定が記載されてます。

このことから、17世紀にニューイングランドで行われたセイラム魔女裁判で犠牲になった人の遺体ではないかと作中でも推測されます。



魔女についてはこちらで散々語ったので割愛させていただきますが。



所謂、魔女狩り
大半は無実の人間と言われていますが、この死体は本物の魔女だったのでは?と思わせる部分ですね。

当時の魔女狩りの処刑法としてはヨーロッパ大陸では焚刑が多く、イギリスでは絞首刑や溺死刑などもあったそうです。


セイラム魔女裁判

現在のアメリカ合衆国ニューイングランド地方のマサチューセッツ州セイラム村(現在のダンバース)で1692年3月1日にはじまる一連の裁判をいう。
200名近い村人が魔女として告発され、19名が処刑され、1名が拷問中に圧死、5名が獄死した。無実とされる人々が次々と告発され、裁判にかけられたその経緯は、集団心理の暴走の例として引用されることが多い。
Wikipediaより引用


両手足首の骨折は縛られたことによるもの。
歯や舌が抜かれていたのは拷問。
焼けた肺は火炙りにされた際に負ったものと考えられる。


このシーンも魔女の焚刑をイメージさせます。



くびれた胴はコルセットを巻いていたということ。
コルセットの歴史って14世紀の後半から20世紀初頭までものすごーく長いんで、時代までは判別できませんが。

また、体内から出てきた歯ですが、呪いの儀式として体の一部が使われることがあります。
特に骨や歯は強力らしく、無ければ髪の毛と爪などが使用されたようです。



歯にまつわる呪いを挙げると
ハリーポッターシリーズでの呪文で

デンソージオ(Densaugeo)(歯呪い)
第4巻でドラコが使用。ドラコはハリーにかけようとしたが、ハリーの「鼻呪い」の光線とぶつかりハーマイオニーにかかってしまい、ハーマイオニーの歯がリスの前歯のように伸びた。
Wikipediaより引用

がありますね(笑)



魔女に与える鉄槌

魔女狩りで最も有名な文献は「マレウス・マレフィカルム」ですね。


15世紀に入ると、魔女と妖術に関する書物が一種のブームとなる。たとえばニコラ・ジャキエ(英語版)の『異端の魔女の鞭』(Flagellum Haereticorum Fascinariorum, 1450年)やウルリヒ・モリトール(英語版)の『魔女と女予言者について』(De lamiis et phitonicis mulieribus, 1489年)などがあり、特に有名なものとしてドミニコ会の異端審問官であったハインリヒ・クラーマー(英語版)によって書かれた『魔女に与える鉄槌(マレウス・マレフィカルム)』(1487年)がある。
Wikipediaより引用


魔女狩りについて調べていたところ、面白い文献に目が留まりました。


フランシスコ・マリア・グァッゾの『コンペンディウム・マレフィカルム』(1608)からの抜粋。

昨今、魔女が屍骸を掘り返して人を殺傷することに用いることが慣習となっている。
とりわけ死罪や絞首刑に処せられた人間の屍骸が用いられる。
魔女はかくもおぞましき材料から魔力を更新するのみならず、処刑に際して用いられた道具すなわちロープや鎖や杭や鉄製品も重用する。
事実、この種の物品に固有の魔力が宿るという信仰が広く流布している。
http://archive.is/20121220012217/www7.ocn.ne.jp/~elfindog/archive.htmより引用


注目すべきはこの冒頭。

魔女が屍骸を掘り返して人を殺傷することに用いることが慣習となっている。


そうです。
死体が魔女でトミーがその妖術により死体と同じような苦しみを受けた。
と本作では見せていますが、実際は
死体に掛けられた魔女の妖術でトミーはその死体と同じ苦しみを受けた。
とも考えられるのではないか?


つまり、ジェーン・ドウの死体が魔女という説とは別に、魔女が死体に人を殺傷する妖術を施した説を提唱出来ないだろうか?

見る限りですが、この考察を提唱している方は他に居ないので、自分はこの説を推していきたいと思います(笑)



総評

多少のグロ耐性は必要かもしれませんが、ホラー映画が好きな方には迷わずオススメできる作品。

オカルトな部分と密室内、解剖の描写、心理的にも視覚的にも恐怖心を煽る演出は見事だと思います。
また、医学的な解剖によって立証されてしまう心霊現象に打ちひしがれる、エンターテインメント性の高いホラー作品。


終わりに

ジェーン・ドウの死体役を演じられたモデル、オルウェン・ケリーさん。
すきっ歯がチャームポイントのナイスバディ美白美人!


Heeeya bank holiday weekend ⚘ Photoby @samjacksonphoto

Olwen Catherine Kellyさん(@olwencatherinekelly)がシェアした投稿 -

死体役に適任な透き通るような肌ですね!

ご馳走様でした(笑)



あと、ブライアン・コックス演じる検死官トミーがまた良い味出してるんですよ!
ブライアン・コックスといえばレクター博士のイメージが強いですね!

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最後まで読んでくださった方、ありがとうございました。



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偏愛映画その2「ランダム 存在の確率」(ネタバレあり感想)

目次




初めに

こんばんは、レクと申します。

皆さんお待ちかね
偏愛映画パート2!

え?待ってない?すみません(笑)

今回の愛すべき映画は「ランダム 存在の確率」
ネタバレありで語らせていただいてます



あらすじ

『ランダム 存在の確率』
原題:Coherence
製作年:2013年
製作国:アメリ
上映時間:88分


あらすじ

彗星が接近した夜に集まった若者たちに起こる奇妙な現象を巧みな脚本で描き、シッチェス映画祭で脚本賞と審査員賞を受賞したSFスリラー。ミラー彗星が地球に最も近づく晩、8人の男女がホームパーティを開いていた。彼らが彗星の話題で盛り上がっていると、停電が発生し部屋の中が真っ暗になってしまう。外の様子を見に行った8人は、自分たちと全く同じ人々が、全く同じ家でパーティを開いているという信じがたい光景を目撃する。
ランダム 存在の確率 : 作品情報 - 映画.comより引用


予告編




魅力ポイント その1

SFというジャンルにおいて、代表されるのはスペース・オペラサイバーパンク、ロボットや超能力、時間など。

そんなSF映画の中でも低予算でストーリーにのみ注視作品。


今作の特徴としては目の前にもう一人の自分が存在する
どちらかと言えば「時間SF」にありがちな設定を「ハードコアSF」に扱った内容の作品だと思うのですが、ひと味違ったややこしさや違和感などを味わうことができます。


目の前にもう一人の自分が存在する
例えば、過去や未来にタイムトラベルし、過去や未来の自分と遭遇する。
ここには必ずタイムパラドックスが生じます。
今作はタイムトラベルしている訳では無いので、そういった矛盾がなくなると言ったメリットもあるかもしれませんね。



魅力ポイント その2

"シュレーディンガーの猫"
を題材として描かれる映画。


シュレーディンガーの猫とは

蓋のある箱を用意し、この中に一匹の猫を入れます。
箱の中には猫のほかに放射性原子とそれが分裂したかどうかを検出する装置と毒ガスが入っており、原子が分裂すると検出器が作動して毒ガスが出るような仕組みになっています。
もちろん毒ガスが出ればその猫は死にます。
このとき、原子が分裂する確率は50%です。

さて、この箱の中の猫はどうなっているでしょう?
普通に考えれば、箱の中に入っている猫は「生きているか死んでいるかのどちらか」となります。

しかし、量子論では箱の中身が観測されるまで、箱に入っている猫は蓋が開けられるまでは「生きている状態と死んでいる状態が同時に存在している。」と考えられるのです。



参考までに。
汚い字ですみません。


左図のように、箱が閉じられた状態では箱の中の猫は生と死が重なった状態です。(赤色の部分)

箱が開けられると右図のように生きてるか死んでるかのどちらか一方へと収束します。


今作の設定では二つの結果が重なった状態。
つまり、生きた猫と死んだ猫が同時に存在する状態ということになります。

右図の開封までの赤い線の部分が彗星の接近中。
つまり、作中で流れる時間だと思ってもらえればわかりやすいかと思います。



魅力ポイント その3

考察のし甲斐がある何度も観返したくなる脚本と演出。


舞台は一つの家屋とその周辺なんですが、この閉鎖的空間での行動の一つ一つがまた無数の選択肢を生むんです。
8人の登場人物それぞれがどの世界線の人間なのか。
推測できません(笑)

無限に分岐する世界線
細かい伏線、すべて回収仕切れてない部分もありますが、一つ一つの伏線回収も観ていて楽しい。



また、演者は完璧な台本は渡されず、その都度各々にメモが渡されて演じていたそうです。

これが、小難しい脚本の中でパニックを起こしたり口論になるシーンなどで最も演出が活かされてます。


実際、エムには「絶対に外に出すな」というメモが。
ケヴィンには「外に様子を見に行く」というメモが渡され、互いに口論するシーンはリアルな口論だったと言うわけです。

他にも内容を全て知らされずに演技させていたので、リアルな反応が良いエッセンスになってるんですよ。


何度も観返して気付く点なんですが、噛み合わない会話の内容も、さも他の世界線から来た人間ではないのか?と思わせる演出に見えてしまい、役者自身の驚きや疑問もまたリアルなものなので、何が真実で何が真実ではないのか分からなくなってきます。



総評

所謂、密室推理劇なんですがこの映画の面白いところは魅力ポイントでも語りましたが、"シュレーディンガーの猫"を映画にしてしまったこと。

平行世界の混在、"シュレーディンガーの猫"の思考実験を映像化したまるでパズルのように知的好奇心を刺激して止まない作品だ。
扱う題材と小難しい脚本と伏線、膨大な台詞に万人受けするような作品ではないが、これSFスリラーの傑作ではないか?


声を大にして言いたい。

こういう映画、大好物です!


「あなたの脳はついてこられるか?」

このキャッチフレーズにつられて観ましたが、物質依存と空間依存、無数の想像や憶測が展開の可能性を広げ、非常に綺麗に整理された脚本が素晴らしく総じて高水準の秀逸な映画でした。


作中で挙げられる映画スライディング・ドア

一瞬の差で分岐する二つの現実が描かれる。
こちらもなかなか面白い作品です。
興味のある方は一度ご覧になってみては如何でしょうか?



余談 その1

お先に申し上げておきますが、超余談になります。
今作にはほとんど関係ない話です(笑)



今いる世界線に他の世界線の同一人物が複数存在する

少年コミックで代表される作品「Dragon Ball」。

DRAGON BALL 全42巻・全巻セット (ジャンプコミックス)

DRAGON BALL 全42巻・全巻セット (ジャンプコミックス)

その作品内でもこの事象が生じています。
ドラゴンボール超の設定は考慮していません。

ただ単にDB人造人間編を語りたいだけなんですが(笑)


ご存知の通り、ベジータの息子であるトランクスは未来からタイムマシンに乗って悟空たちのいる時間軸へとタイムトラベルしてきます。


アニメ「Dragon Ball Z」より


しかし、実際はトランクスだけがタイムトラベルしてたわけじゃないんですよね。
そうです。人造人間編でのラスボス的存在、セルです。


漫画「Dragon Ball」より



簡単に図にして纏めました。

ト…トランクス
悟…悟空たちZ戦士
人…人造人間17、18号
セ…セル

世界線A…悟空たちの現在。
世界線B…トランクスのいた未来。
世界線C…セルのいた未来。

  1. 世界線Bの悟空Bは心臓病で死亡。Z戦士も戦死。
  2. 世界線BからトランクスBが世界線Aへと来る。
  3. その一年前、世界線Cで人造人間17、18号Cを倒したトランクスCを倒し、タイムマシンを奪ってセルCが世界線Aに来ていた。
  4. 世界線AのセルAは未熟な段階で処分される。
  5. 世界線Aの人造人間17、18号AはセルCに吸収され、完全体となったセルCは悟空Aたちによって倒される。(悟空は死亡)
  6. セルCから解放された人造人間17、18号Aが善化。
  7. 世界線Aで修行したトランクスBが未来(世界線Bの10年後)へ戻って、世界線Bの人造人間17、18号BとセルBを倒す。


恐らく世界線Cのセルが世界線Aへと来たことが原因で世界線Aの歴史が変わってしまったとトランクスも話していました。
人造人間19、20、16号の存在が1番顕著に現れた点ではないだろうか。

そうです、これが「バタフライ・エフェクト」です。

この作品は有名ですね!

バタフライ・エフェクトとは
ある場所で蝶が羽ばたくと、地球の反対側で竜巻が起こる。
初期条件の僅かな違いが、将来の結果に大きな差を生み出す、という意味のカオス理論の一つ。

少しの選択肢の違いで人生ってのは大きく分岐する。
その都度付きまとうのが後悔であり、回避はできない。
だからこそ、後悔のない人生というより、失敗や後悔も含めて自分の人生だと言えるような人生を送りたいものです。


3つの世界線が絡み合いながら、トランクスとセルの双方は今作「ランダム 存在の確率」のように一つの世界線に違う世界線の同一人物が複数存在しているんです。


と、物凄く脱線してしまってますが、無理矢理繋げました(笑)

過去や未来へタイムトラベルすることを題材とした時間SFではもう一人の自分と遭遇するという設定が使われることがあります。
パラレルワールドという共通点があるので、こういった内容が好みの方は楽しめるのではないかなあと思います。



余談 その2

今作「ランダム 存在の確率」では彗星が原因で不可解な現象が起こるという内容でした。
他にも彗星を扱った内容の作品はいくつかあります。



映画「空気の無くなる日」より

1910年に実際に起こったハレー彗星の接近によるパニックを題材に描かれた作品。

このように地球に衝突するかもしれないというパニック映画は幾つも存在します。


また

話題となった「君の名は。」では、1200年ぶりに地球に接近するという架空の彗星「ティアマト彗星」をめぐる不思議な出来事が描かれてましたね。



同様に、彗星ではありませんが天体が原因で不可解な現象が起こるSF作品を一つオススメしておきます。

オーロラの彼方へ [DVD]

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ある夜にオーロラが齎した親子を繋ぐ奇跡。
父親を亡くしたあの日からの親子2人に無かった思い出を作ってくれる。
失われた父親との時間を一気に埋めてくれる。
そんな心温まるタイムリープSF映画です。



終わりに

SF作品は、当たり前ですが非現実的な話が多い。
寧ろ現実味がないからこそ憧れるものだと思う。
だからこそ、非日常の中に日常的な人間味を出すことでよりリアルに描いていると思います。

もう一度言います。

こういう映画、大好物です!


この監督の次回作はパブロフの犬を映画化して欲しい(笑)

最後までお読みいただいた方、ありがとうございました。

「ユリゴコロ」と心に寄り添うもの(ネタバレ考察)

目次




初めに

おはようございます、レクと申します。
今回は沼田まほかるの同名ミステリー小説の実写化、熊澤尚人監督作「ユリゴコロ」について語っています。

ちなみに原作小説は未読です。
ネタバレを含みますので、未鑑賞の方はご注意ください。



作品紹介


製作年:2017年
製作国:日本
配給:東映、日活
上映時間:128分
映倫区分:PG12



あらすじ

亮介は余命わずかな父の書斎で1冊のノートを見つける。「ユリゴコロ」と書かれたそのノートには、ある殺人者の記憶が綴られていた。その内容が事実か創作か、そして自分の家族とどんな関係があるのか、亮介は様々な疑念を抱きながらも強烈にそのノートに惹きつけられていく。
「人間の死」を心の拠り所にして生きる悲しき殺人者の宿命と葛藤を、過去と現在を交錯させながら描く。
ユリゴコロ : 作品情報 - 映画.comより引用


キャスト

映画『ユリゴコロ』オフィシャルサイトより

謎に包まれた殺人者・美紗子役を吉高、彼女と運命的な出会いをする洋介役を松山ケンイチ、ノートを発見しその秘密に迫る亮介役を松坂桃李がそれぞれ演じる。



予告編




美紗子のユリゴコロ

作中で語られた「ユリゴコロ」とは
『心が安全な場所にある』という安心感。



ここからは美紗子の過去を時系列で見ていきます。



① 幼少期の美紗子は喜びを感じることはなかったが、ある遊びにそれに似た感情を持ち、夢中となる。
それは井戸の蓋に開いた穴に生き物を投げ入れるというもの。
そして、友達(と呼べる関係ではなかった)少女が足を滑らせて池で溺れ死ぬ光景を目の当たりにする。



②中学生時代、妹の帽子を取ろうと排水溝に入る少年を手伝うために重い鉄板を持つ青年を見かけ、手伝うフリをしながら鉄板を叩きつけて少年を殺害する。


③調理の専門学校へと進んだ美紗子はスーパーで万引きしようとするみつ子と出会う。
美紗子はラーメンことジョーに絡まれて二度目の殺人を犯す。



自傷行為を我慢出来ないみつ子を見た美紗子は三度目の殺害、みつ子を殺す。


⑤みつ子というユリゴコロを失くした美紗子は一人暮らしをしながら調理の職に就くが、退職して娼婦の仕事を始める。
調理の元職場の男と偶然出会い、調理場でその男を鉄鍋で殴打、四度目の殺人を犯す。



⑥金の尽きた美紗子は娼婦として洋介という男性と出会う。
妊娠していることがわかり、洋介と結婚。
男の子を出産。


⑦幸せな家庭を築いていた美紗子の前に現れたのは宅配の田中。
佐藤シェフが殺害された日に電話を貰っていたと脅され、ラブホテルへ行くも五度目の殺人の標的となり毒殺される。





幼少期の美紗子は親に買ってもらったミルク人形を逆さにし、肛門からミルクを入れて口から出すというサイコチックな一面を見せてくれます(笑)

井戸に放り込むのはカタツムリやヤモリ、ミミズといった小さな生き物が対象。
子供の頃はまだ善し悪しの判断もままならず、そういった行動に出る無邪気さってのはありますよね。

美紗子の心の中で人の死に対する関心が喜びに近い感覚を覚える。
更にいうなら殺人衝動ユリゴコロを感じるようになったと思われます。

逆さ吊りにしたミルク人形や井戸の穴へと放り込む生き物は溺死する少女のメタファーとして描かれたわけですね。



幼少期に覚えてしまったユリゴコロ(殺人衝動)がついに実行され、美紗子の心を満たしたといったところでしょうか。



みつ子自身、自傷行為ユリゴコロを持っていた?
吉高さんかみトリスハイボールを選ばなかったので残念です(笑)

自傷行為は○○二ーと一緒
はい、名言いただきました!

お互いに切り合うことで混ざり合う二人の血。
美紗子は次第にみつ子でないとユリゴコロを感じなくなります。
二度目の殺害は男嫌いのみつ子を守る為の行為。
その時、自分の名前を「みつ子」と偽ったのも、みつ子にユリゴコロを持っていたから。



みつ子が自傷行為をしなければ人を殺さなくて済む。
みつ子=ユリゴコロが手に入ると思っていた。
結果、自傷行為をしたみつ子を殺すことになりました。



料理する側から料理される側、謂わば肉の解体と同じと語られた娼婦の仕事。

これは男を嫌いになるため。
みつ子になれる=ユリゴコロが手に入る
ということでしょう。

美紗子は結局、殺人でしかユリゴコロを得ることはできないのか?



優しくしてくれる洋介に少しずつユリゴコロを覚える美紗子の心の中ではある考えが巡ります。
「いつ洋介を殺すのだろう」
みつ子同様に洋介も殺してしまうのではないか?と不安が過ぎる。

映画「蛇にピアス」で脱いだのに今作では見せない吉高さん(笑)

出産した男の子が亮介であったわけですが、この時の美紗子は洋介と亮介に他愛ない愛、ユリゴコロを感じています。



美紗子にとってユリゴコロは洋介と亮介に囲まれた幸せな家庭。
それを壊されることを恐れた為に殺人を犯してしまってます。

違和感に気付いた洋介との間に小さなヒビが入るが、今までの美紗子なら洋介を殺していただろう。
しかし、愛情を得た美紗子は殺人を犯すことなく一部始終をノートに書き綴っています。



①~⑦を見ると、当初は人が死ぬことをユリゴコロとしていた美紗子が人の愛に触れ、次第に愛する人へとユリゴコロを持つようになったことがわかります。

本当の意味で美紗子は安心できる場所を見つけたんです。




亮介のユリゴコロ


亮介のユリゴコロは言うまでまもなく愛する人である千絵。
そしてその愛する人と二人で建てた料理店。



千絵の隠していた事実を知り、焦りからくる苛立ちや怒りを露わにする姿や、ムカデを何度も何度も踏みにじる姿は美紗子との親子関係、殺人鬼の血が流れているんだと示唆させるような演出でもあります。


親子の対面で亮介が美紗子に声を荒らげて言った台詞。
「俺にもユリゴコロがあるんだ!」

これは塩見を殺すことで千絵を救い、自分の幸せを、安心できる場所を取り戻すという決意の表れだったのだと思います。


また、間もなく逮捕されるであろう美紗子にあと何日保つかわからない洋介が入院している病院を教えたのも、両親に最後のユリゴコロを与えてあげたということでしょう。
ラストの洋介の家を庭から見るシーンがそれを物語っていますね。



親子を繋ぐもの

自分が最も親子の繋がりを感じたのはオムライスでした。

亮介は父親から教わったと言っていましたが、調理の専門学校を卒業した美紗子が洋介に作ってあげたオムライスだったんですね。
ここ、一番ぐっときたところかもしれません(笑)


親と子の関係は何も血縁だけではない。
それは洋介の亮介に対する愛情からもわかります。
自分の子ではない子供を我が子のように育てたことから明らかです。

そして、殺人鬼の母を殺せなかった亮介には殺人鬼の血が流れていない。
殺人鬼と殺人鬼の息子ではなく、あくまでも純粋に母と子の関係であるということでもあるのではないでしょうか。

美紗子は亮介が愛した人である千絵を救うためにヤクザの事務所に乗り込み、大量殺人を犯しましたが、美紗子は自ら殺人を犯すことで亮介を殺人鬼にしたくなかったんでしょう。
これもまた母親の愛情なのではないでしょうか。


ひっつき虫が意味するもの

ひっつき虫とは?


オナモミ(葈耳、巻耳、学名:Xanthium strumarium)
キク科オナモミ属の一年草。果実に多数の棘(とげ)があるのでよく知られている。また同属のオオオナモミやイガオナモミなども果実が同じような形をしており、一般に混同されている。
Wikipediaより引用


過去編から何度も出てくるひっつき虫


これが意味するものとは一体何なのだろうか?


過去に登場するひっつき虫は恐らく、恐怖や不安の象徴

洋介と初めて夜の営みをするシーンでも無数のひっつき虫が現れます。
これも美紗子が心の中で罪悪感や不安を抱えていたということなのかもしれません。

田中殺害時に現場から見つかったひっつき虫もまた、洋介にバレたくないという思い、家族を守る為に犯した殺人への不安感の表れと考えています。

幼少期の亮介がわざと付けたひっつき虫を美紗子が取り除くシーンがありましたね。
これは亮介にとって不安を取り除く母親の存在が如何に大切なのかを強調するシーンだったのでしょう。


そうです。
恐怖や不安を取り除いてくれる存在=ユリゴコロ
美紗子にとってのユリゴコロはかけがえのない家族なのです。



では現代でのひっつき虫が意味するものは?

ずばり、母親の存在…でしょう。

また、家族を守るために殺人を犯そうとする我が子の姿を過去の自分と重ねたのでしょう。
そんな亮介を守ろうとした母親の愛情でもあります。


いつも心に寄り添うもの。

場合によっては、鉤によって傷つけてしまう。
ヒトや動物にくっつくことで生息地域を広めることができる、いわゆる適応である。

恐怖の象徴がいつしか愛情へと変わる。
まるで美紗子の人生そのもののようではありませんか?
それがひっつき虫の意味するものだと自分は感じました。



終わりに

ユリゴコロ
過去と現代を繋ぐ一冊のノート。
タイトルからは想像出来ないほど衝撃の内容が書かれていました。

この手のミステリーやサスペンス映画はどこか視覚と脚本、演出が感情と結び付かない作品も多い。
所謂、感情移入できないというやつです。
モラルハザードを無意識で回避しようとする本能的なものなのかわかりませんが、単に第三者目線で見てしまうこともしばしば。

今作においては、その第三者目線でありながらもどこか感情に訴えかける内容だったと思います。
何か一部分でも、自分の心を刺激する所があるといった印象を受けました。

それが何かはわかりません。
しかし、これは単なる殺人鬼の記録ではなく、宿命と贖罪、そして家族の在り方を問う話なのです。


最後までお読みくださった方、ありがとうございました。




映画『ユリゴコロ』オフィシャルサイトより

映画「ウィッチ」の惨劇は一週間の出来事!?(ネタバレ考察)

目次




初めに

こんばんは、レクと申します。
今回は先日観てきました映画「ウィッチ」について語ろうかと思っております。

ネタバレを含みますので、未鑑賞の方はご注意ください。



あらすじと予告


(C)2015 Witch Movie,LLC.All Right Reserved.


あらすじ

1630年、ニューイングランド。ウィリアム(ラルフ・アイネソン)とキャサリン(ケイト・ディッキー)の夫婦は、敬けんなキリスト教生活を送るために5人の子どもたちと森の近くにある荒地へとやって来た。しかし、赤ん坊のサムが何者かに連れ去られ、行方不明となってしまう。家族が悲しみに沈む中、父ウィリアムは、娘のトマシン(アニヤ・テイラー=ジョイ)が魔女ではないかとの疑いを抱き、疑心暗鬼となった家族は、狂気の淵へと転がり落ちていく。
ウィッチ : 作品情報 - 映画.comより


予告編




登場する動物と魔女

日本ではあまり馴染みのない「イースター」という行事があることをご存知でしょうか?

このイースターにはタマゴとウサギが深く関わっています
と言っても今作においてイースターはあまり関係ないのですが、キリスト教における各々の役割として把握しておいた方がいいかもしれません。


タマゴは生命のシンボルとされ、キリスト復活を祝うのに相応しいとされています。
トマシンが鶏小屋からタマゴを取り出した際に誤って落としてしまったシーンがありましたが、これは死を連想させる不吉な暗示ではないかと考えています。


同じくウサギも生命に関わることとされ、1年に何度も出産することから豊穣のシンボルとされています。

また、それ以前には元々、ウサギは穢れたものとされていました。

レビ記11章の一節
「野うさぎ、これは反芻するけれどもひづめが割れていないから、あなたがたにはけがれたものである。」

ウサギは月のシンボルとして扱われることが多いが、今作のように山のシンボルとしても扱われることがあります。
因みに、日本でもウサギに関する風習がある。
ウサギを山の神と同一視あるいは山の神の使いや乗り物とする伝承も日本各地で多く見られます。
福井県三方郡ではウサギは山の神の使いとされ山の神の祭日に山に入ることの戒めとともに伝わっていますね。


では、魔女との関係性は?

よくウサギをモチーフとした魔女を見かけませんか?
お守りの一種に「ラビット・フット」というものがあります。


ラビット・フット
欧州では、中世以降、キリスト教の狂気的な異教排除(魔女裁判・異端審問)の嵐の中、キリスト教以前の欧州古来の春の女神と結びつくウサギもその影響をまぬがれなかった。ラビッツ・フットに関しても、ウサギは魔女(つまり、キリスト教でない信仰を持つ男女、あるいは土着信仰の神々)に属するから、ウサギの足を切り取ったものを持っているのは魔女を狩り殺した証(自らは異端教徒でなく、権力とキリスト教に従順である証)であるからだいう話が広まっている。
Wikipediaより引用


ウィルとケイレブが狩りに出掛けた際、ウサギを狩り損ねていますね。
これは魔女狩りの失敗を暗示し、魔女の存在を明らかにした、と示唆されると考えました。


また、ウサギ以外にも不吉な動物もあります。

キリストはどんな動物にも擬態しないしどんな動物も使役しない。そこで、キリストの神ではない信仰と関わりの深い動物と交流するのは悪魔の証になるとして、さまざまな生物がそのように異界と交流を持つと意味づけられることになり、結果として誰かを魔女とする理由となった。空を飛ぶ哺乳類であるコウモリなどもそうであるし、人間のように年を取ると髭が生える山羊、足が生えたり尻尾が消えたりして水陸自在に生きるカエルも同様であり、孔雀などもオスのあの尾羽が目のようで不吉であるなどとされた。
Wikipediaより引用


このように山羊もキリスト教では不吉なものとされています。

新約聖書(マタイによる福音書)では、ヤギを悪しきものの象徴として扱うくだりがある。ヨーロッパのキリスト教文化においては、ヤギには悪魔の象徴としてのイメージが強い。
また、中世では、悪魔の化身としてのヤギに乗って空を飛ぶ魔女の版画などもある。
Wikipediaより引用


旧約聖書の時代にはヨーロッパで様々な宗教が混在しており、その中には豊穣祈願の為に「生け贄」を捧げる儀式があったようです。
その生け贄には山羊がよく用いられた事が多かった事が始まりです。

キリスト教ユダヤ教などでは「生け贄」を必要とする儀式は心底嫌う儀式であり、そこから中世にまで「生け贄=山羊」のイメージが定着しました。
悪魔の召喚儀式には生け贄として黒い山羊(当時は全身黒い山羊はかなり珍しく、悪魔の力を持っていると思われた)を選ぶようになった。

元々「黒い動物」は不吉であり、黒猫を飼っているだけで魔女にされた老婆もいたそうです。

つまり、黒うさぎ、黒山羊、カラスは全て魔女の存在を示す存在であるということがわかっていただけると思います。



魔女の存在

童話や御伽噺のようにフィクションで語られる映画「ウィッチ」では、魔女の存在は"在る"とされています。
更に一本踏み込むと、魔女は存在するのではないか?と思わせるような構成となっています。

では、この物語の中で、本当に魔女は存在したのか?
存在を否定してしまうと今後の話が破綻してしまいますので、ここは肯定した前提で話を進めさせていただきます(笑)

魔女(まじょ、英: witch、仏: sorcière、独: Hexe)
古いヨーロッパの俗信で、超自然的な力で人畜に害を及ぼすとされた人間、または妖術を行使する者のことを指す。

魔女の概念をなす要素のひとつに、ラテン語で「マレフィキウム」(悪行)と呼ばれた加害魔法の概念があるとされる。呪術的な手段によって他者を害することは、古代ローマ時代から刑罰の対象であった。中世ヨーロッパでもこのマレフィキウムに対する考え方は存続した。

しかし中世晩期の15世紀になると、それまでの単なる悪い呪術師とは別様の、「悪魔と契約を結んで得た力をもって災いをなす存在」という概念が生まれた。魔女とは悪魔に従属する人間であり、悪霊(デーモン)との契約および性的交わりによって、超自然的な魔力や人を害する軟膏を授かった者とされた。
Wikipediaより引用


悪霊(デーモン)との契約および性的交わりによって、超自然的な魔力や人を害する軟膏を授かった者。
悪魔とは、上記に記述した通り悪魔の象徴である黒山羊のことですね。

そして
契約および性的交わり
つまり契約を交わす際に性的な交わりがあったと仮定しています。いろんな意味で(笑)

まず、母ケイトが語った「月のもの」。
これはトマシンが月経の時期に来たということ。
そして黒山羊との契約時に全裸になる必要性。
このことからも性的な交わりがあったと考えたわけですが。


レビ記19章の一節
「女に漏出があって、その漏出物がからだの血であるならば、彼女は七日間、月のさわりの状態になる。だれでも彼女に触れる者は、夕方まで汚れる。」

つまり月経のことです。
キリスト教も月経をタブーとしています。
ここでもキリスト教で不吉なものとされる描写をさりげなく散りばめられています。


これでトマシンは魔女として生きていくこととなったわけですが。
ラストシーンの全裸の女性(魔女たち)のファイヤーダンス。
これはサバトと呼ばれる魔女達の集会です。


サバトに集う悪魔と魔女たち(ヨーハン・ヤーコプ・ヴィックの年代記 en:Wickiana より)

サバト (Sabbath、Sabbat)
ヨーロッパで信じられていた魔女あるいは悪魔崇拝の集会。魔宴、魔女の夜宴・夜会ともいう。ヨーロッパでは土曜の夜に魔女が集会を行うと信じられ、中世から17世紀ごろまでサバトに参加した罪を告発されて裁判にかけられた無数の人々の記録が残っている。
Wikipediaより引用

ワルプルギスの夜」の方が馴染みのある言葉かもしれません(笑)


アニメ「魔法少女まどか☆マギカ」より



一週間の出来事!?

さて、タイトルの本題へと入りますが、自分が映画「ウィッチ」を観た上で思ったことがこれですね。

もしかしたら、この惨劇って一週間の出来事なのではないのか?


まず、映画「ウィッチ」での大まかな時系列で確認しましょう。


惨劇のはじまりは教会から街を追放された一家が森の近くで住むことになるところでした。
ここから、悪夢のような一週間が始まります。


1.赤ちゃんのサムが突如として消えてしまう。

※ここから一週間の惨劇が始まったと仮定しています。
狼の仕業なのか?魔女の仕業なのか?
家族で議論されます。


2.父ウィルとケイレブが森へ出掛ける。
ここで黒ウサギと出会います。

ウィルが母ケイトの銀のコップを黙って売ったことも明かされます。


3.家族で集会。

セリフにあったと思うのですが、サムが消息を絶ってまだ2日しか経っていない夜です。
カトリックでは故人の死後3日目に追悼ミサが行われること。パンを割く礼拝(ミサ)からこの曜日が日曜日だと仮定できます。

つまり、1.がキリストが十字架に架けられた日(受難日)である金曜日。
スイスでは子どもを殺す儀式がサバトで行われていた例もあり、攫われた翌土曜日にその儀式が執り行われたとも考えられます。


4.川でトマシンが双子に魔女だと嘘をつく。
これが翌日の月曜日。
そうです、魔女は月曜日に嘘をつくんです(笑)

その夜、トマシンを奉公に出すとウィルとケイトが話す。


5.奉公の話を聞いていたケイレブとトマシンは森へ向かうが、ケイレブが行方不明となる。

火曜日。


6.トマシンだけが無事帰宅。
ケイレブが居なくなったことでケイトは精神的に追い詰められる。

その日の夜、ケイレブが帰ってくる。
水曜日。


7.ケイレブが魔女の呪いで死亡。

逃げ出すトマシンへウィルは魔女の疑いをかける。
双子まで魔女だと疑われ、山羊小屋に監禁。
その晩、山羊の乳を飲む老婆に遭遇。

木曜日。


8.山羊小屋は半壊。
横たわる2匹の山羊は魔女の呪いで山羊へと変えられた双子なのか?
単に連れ去られたのか?

ウィルは黒山羊フィリップスに殺害される。

ケイトもトマシンを襲うが逆襲され死亡。
トマシンが黒山羊フィリップスと悪魔の契約を行う。
金曜日(受難日)。


9.森へと入ったトマシンはサバトの現場を目撃。


サバトに赴く魔女たち』(ルイス・リカルド・ファレロ、1878年

サバトは土曜日の夜に行われる。


一度しか観れてないので時系列が合ってるのか怪しい上に、ものすごく無理矢理感は否めませんが(苦笑)
一週間というごく短い期間で一家崩壊に追いやられた。

魔女にとって日曜日は嫌な日なんです(笑)




原題について


原題「THE VVITCH」
何故「W」の表記が「VV」なのか。

理由として、当時は「W」の文字は使われておらず、「VV」と記したからだそうです。

英語名ダブリュー(英語: double U)は「二重のU」の意味だが、ロマンス系の言語などでは「二重のV」の名で呼んでいる。 その名のとおり、古英語で使われはじめた二重音字「vv」または「uu」に由来する文字である。
Wikipediaより引用


しかし、それだけの意味ではないように思います。
「W」に注目させる意図があったのではないか?
この映画「ウィッチ」には「W」から始まる単語がいくつかある気がするんですよね。

William(父の名前)
Witch(魔女)
Worship(礼拝)
Walpurgisnacht(ワルプルギスの夜)
そして、自分が今回考察に至った
Week(週)

また、Wは、ラテン文字(アルファベット)の 23 番目の文字で、西洋では 23 は 13 と同様に凶兆を表す数字である。
因みに、 23 の二十進法は 13 です。


「vvitch」の「w」を取り除くと「itch」が残ります。
「itch」には痒い。むずむずする。の他にもこんな意味があります。

強く落ちつかない欲求

正に悪魔との契約でトマシンが望んだものもこの欲求だったのではないだろうか。

単なるこじ付けですが、これも一つの考察として軽く流しておいてください(笑)



終わりに

映画「ウィッチ」は魔女狩りを描いた映画で基になっているのは、1692年にアメリカのニューイングランド地方のマサチューセッツ州セイラム村で起きた「セイラム魔女裁判」。
しかし、史実をドキュメンタリーとしてではなく、ダークファンタジーとして描いた点は非常に良かったと思います。

魔女狩りの本質をテーマとして描かれた童話や御伽噺。
そんな陰湿な雰囲気が漂う森で月夜が照らし出すのは人の心の闇。

こういう閉鎖的空間での精神的描写、特に負の感情の増幅(今作においては主に猜疑心)が堪らなく好きなんです。


ここまでお読みくださった方、ありがとうございました。

偏愛映画「キューブ■レッド」(ネタバレ有)

目次




初めに

こんばんは、レクと申します。

今回はですねー
評価は決して高くない。
周りの評判もあまり良くない。
でもめっちゃ好きなんです!
という作品「キューブ■レッド」をご紹介します。


初めに言っておきますが、これはオススメではありません、紹介です。

あくまでも個人的な
偏愛映画です!

鑑賞後に「面白くなかった!」と文句を言われても、自分は好きな映画なんでどうしようもありません(笑)


魅力ポイントはその3とその4はネタバレ有りで語っています
未鑑賞の方はスクロールするなどして、見ないようにご注意ください。

興味のある方は最後までお付き合いくださいませ。



あらすじ

キューブ■レッド [DVD]

キューブ■レッド [DVD]

  • 発売日: 2008/10/29
  • メディア: DVD

『キューブ■レッド』
原題:La habitacion de Fermat
製作年:2007年
製作国:スペイン
上映時間:88分


あらすじ

ある日、数学者たちに「フェルマー」と名乗る人物から問題が書かれた手紙が届く。期限までに問題を回答することができた4人が選ばれ、とある湖畔の館に集まる。すると、突然用意された携帯情報端末(PDA)に問題が送られてくる。指定された制限を過ぎると四方の壁が迫ってくるという事態に見舞われる。迫ってくる壁を止めるには、PDAに送られてきた問題を制限時間内に解かなければならない。極限の状態で問題に挑む4人。しかし、一見無関係と思える4人が何故この館に招待されたのか、そして招待主の目的が一体何なのか、ストーリーが進むに連れて真相が段々と明らかになる。
Wikipediaより引用


初めての鑑賞時は完全にタイトルで観た映画でした。
CUBEシリーズかと思いきや、"QUBE"

騙されたぜ!!!

CUBEキューブ(字幕版)

CUBEキューブ(字幕版)

  • 発売日: 2014/09/02
  • メディア: Prime Video

CUREシリーズとは関係ありません(笑)


内容はシチュエーションスリラーとミステリーを合わせたような作品。
グロさやホラー要素はなく、観る側を引き込んでしまうミステリアスな魅力があります。

ちゃっかりDVD買っちゃってます(笑)



魅力ポイント その1

パーティーに招待された登場人物たちの偽名が有名な数学者や科学者たち。

フェルマー


ピエール・ド・フェルマー(Pierre de Fermat)
1607年末または1608年初頭 - 1665年1月12日
フランスの数学者。「数論の父」とも呼ばれる。ただし、職業は弁護士であり、数学は余暇に行ったものである。
Wikipediaより引用


パスカル


ブレーズ・パスカル(Blaise Pascal)
1623年6月19日 - 1662年8月19日
フランスの哲学者、自然哲学者、物理学者、思想家、数学者、キリスト教神学者である。
Wikipediaより引用


ヒルベルト


ダフィット・ヒルベルト(David Hilbert)
1862年1月23日 - 1943年2月14日
ドイツの数学者。「現代数学の父」と呼ばれる。名はダヴィット,ダヴィド、ダーフィットなどとも表記される。
Wikipediaより引用


ガロア


エヴァリスト・ガロア(Évariste Galois)
1811年10月25日 - 1832年5月31日
フランスの数学者および革命家である。フランス語の原音に忠実に「ガロワ」と表記されることもある。
Wikipediaより引用


オリヴァ

オリヴァ・サブーコ(Oliva sabuco)
1562 -
科学者。
※Wikipediaに記載なし



魅力ポイント その2

日本語吹替は豪華な声優キャスト。

敬称略
フェルマー(糸 博)
ヒルベルト(坂口芳貞)
パスカル(池田秀一)
ガロア(花輪英司)
オリヴァ(岡寛恵)



魅力ポイント その3

作中で出題される問題。

解答時間は1分。
時間が来れば答えが出るまでの間、四方の壁が迫ってくる。
そしてそれと同時に次々と明かされていく登場人物の関係と犯人の目的。

その問題と解答を紹介していきます。



1問目
「スイーツ店に中身の見えない箱が3つ届いた。
1箱はミント。もう一つはアニシード。
残りの1箱は両方のミックス。
箱には ミント アニシード ミックス の表示してあって、3箱すべての表示が間違っている。
3つの箱の中身を確認するために、スイーツをどの箱からいくつ取り出せばすべての中身が確かめられるか?」


2問目
「次の暗号を解け。
0000000000000001111111110001111111111100111111111110011000100011001100010001100111110111110011110001111000111111111000001010101000000110101100000011111110000000000000000」


3問目
「完全に密閉された部屋の中に電球が一つだけ取り付けられている。
部屋の外には3つのスイッチがあるが、電球が点くのは1つだけ。
ドアが閉じている間は何度でもスイッチを押せるが、ドアが開いている場合はスイッチは1度しか押せない。
何回で電球が点くスイッチがわかるか?」


4問目
「4分と7分が計れる砂時計がある。
この2つを使って9分を計る方法は?」


5問目
「生徒に3人の娘の歳を聞かれ、掛け算で36になり、足し算で家の番地になると先生は答えた。
更に質問されて先生は次のように答えた。
長女はピアノを弾く。
娘達の年齢は?」


6問目
「嘘の国の住人は必ず嘘をつく。
真実の国の住人は必ず真実を言う。
他所の国から来た男が部屋に閉じ込められ、ドアは2つあって出口は一つだけ。
一つのドアには嘘の国の門番が立ち、もう一つには真実の国の門番。
閉じ込められた男は外に出る為、門番に一つだけ質問することが出来る。
しかし、門番の出身地は男には分からない。
質問を考えよ。」


7問目
「ある母親の年齢は彼女の息子より21歳年下。
6年後に息子の歳を5倍すると、母親の年齢になる。
父親は何をしている?」



魅力ポイント その4

各々の人間関係。


汚い字で申し訳ございません。
大体こんな構図。

ヒルベルトは「ゴールドバッハの予想」の証明を先越されたガロアに敵対心を持ち、自殺まで考えるほど絶望し、今回の犯行を思いつく。
ガロアの情報を聞き出す為にオリヴァに近づいた。
そして、パスカルの事故の件でフェルマーが復讐し、他が巻き込まれたかのように見立てる計画でした。

完全なる逆恨み!

偉人に準えて付けられた偽名は、その偉人が亡くなった年齢と一致させる為。
如何にも数学者らしい。



そして、何よりも面白かった(と言ったら不謹慎ですが)のが、赤枠のフェルマーとパスカルの関係。
パスカルがフェルマーの娘を車で轢いてしまった経緯です。


数ヶ月前、パスカルは発明した人形の特許を売った。
記念パーティーの会場に電話が掛かってきた。
あの日は大雨でタクシーが拾えなくて、重役が遅れると。
パスカルは迎えに行く為に重役の自宅へ向かう。
その道中、車内の悪臭に気づいた。


犬のフンだった

この時点で爆笑ですよね(笑)


こんな匂いの中に重役は乗せられない。
大雨で窓も開けられない。
仕方なく、靴を脱いでグローブボックスに入れた。
顔を上げたら…目の前に女の子が。
信号も横断歩道もない道をこっちを見ずに渡ってた。
急ブレーキを踏んでも間に合わないタイミングだったが、その上…躊躇った。

「ペダルに付いた犬のフンで、素足が汚れる」

そう思って、咄嗟に踏めなかった。
ブレーキをかけた。
だけど一瞬、躊躇したせいで完全に遅くなってしまった。
女の子を跳ねた。
救急車を呼んだけど、到着する前に現場から逃げた。
翌日、警察に出頭。
何度も謝罪しに行ったが会ってくれなかった。


犬のフンを踏んで事故とは何とも不運な。
この弱みをヒルベルトに利用されたんですね。



総評

ストーリーはオーソドックスな展開で少し先が読めてしまったのが残念です。
幾つかの伏線も敷かれてますが、どこか薄っぺらさも感じてしまう。

しかし、死への恐怖、焦り、危機感、緊迫感などの心理的状況から、出題される問題への難易度も上がる。
そして、その心理描写があるからこそ、ストーリーは単純なものでよかった気がします。

また、心理描写だけが見せ場ではなくカメラワークやBGMもまた良い雰囲気を出してます。


グロさはなく、苦手な方も安心。
ただ、視覚的な描写を期待して観た方は肩透かしを食らうでしょうね。
精神的に追い詰められる描写的がメインとなってますし。

個人的に色んな意味で、ものすっごく好きな系統の映画なんですよ!



余談

この作品でも持ち出された「ゴールドバッハの予想」とは何か。
簡単に説明しておきましょう。


1742年にゴールドバッハが論じた加法的整数論のひとつ。

「4以上の全ての偶数は、二つの素数の和で表すことができる。
6以上の全ての偶数は、二つの奇素数の和で表すことができる。」

これがゴールドバッハの予想です。

例えば
16=3+13=5+11
56=3+53=13+43=19+37

もっと大きな数字でいきましょうか。
自分の誕生月日は11月18日なんで1118で。

1118=5+1113=67+1051=79+1039=97+1021=109+1009
こんな感じです。


ですが、未だに数学的証明には至っておりません。
2012年現在、4×10^18までの全ての偶数について成り立つことが、コンピュータによって確かめられている。

詳しくはこちら。
ゴールドバッハの予想 - Wikipedia


確かに、3以上の素数は全てが奇数なので
「素数+素数=偶数」ということの証明は至極簡単です。

ですが、「素数+素数」で必ず全ての偶数を表せる証明ではありません。
「素数+素数=偶数」=「偶数=素数+素数」ではないのです。

数学でやった事象A=事象Bであっても事象B≠事象Aの場合がある。
必ずしもA=BはB=Aになるとは限らないというアレです。

例を挙げるなら洋画=映画ですが、映画=洋画かと言われたら違いますよね?


よって、素数の和で全ての偶数を表しきれるか。
が論点になるわけですが。

逆に表しきれない証明も出来ないわけで、それを証明してもゴールドバッハの予想を証明したことにはならない。

そうです、悪魔の証明なんですよ。



悪魔の存在を証明するためには悪魔を1匹でも連れて来ればいいが、存在しないことを証明するには全世界全てを隈なく探さないといけない。
この二つの証明には難易度の大きな違いが生まれます。

ですが、存在しないことを証明しても存在することの証明にはなりませんよね?
こういうのを悪魔の証明といいます。
例に悪魔を出しましたが、宇宙人や幽霊なども然り。

まぁこういった議論の場合は積極的可能性を論じる方。
つまり「ある」と主張する側がその証明責任を負うのが一般的。


でもこの悪魔の証明って本当に怖くて、痴漢の冤罪なんかはこれそのものですよね。

痴漢されたと訴える側の女性を世間一般は心情的にも擁護してしまいます。
痴漢された証拠を提示されなければ男性側は証拠不十分で不起訴ですが、もし少しでも目撃証言等(嘘であっても)があれば本来は証明責任のない男性側がやっていない、無実であると証明しなければならない。

痴漢をしていない証拠を物証することは不可能に近い。
結局のところ、目撃者の証言しかないのだ。
たとえ不起訴であっても「あいつ痴漢した」疑惑で外歩けないでしょうしね。

あ、話が逸れてました!


えー…もし、ゴールドバッハの予想を数理的証明出来たのなら、数学で世界最高の賞であるフィールズ賞を獲得出来るだろうなあ。



終わりに


「キューブ■レッド」の魅力を好き勝手に語りましたが、改めてこの作品が好きなんだと思いましたね(笑)


最後までお読みいただいた方、ありがとうございました。

以下、問題の解答と解説。
※ネタバレ










1問目解答
パスカル「ミックスの箱から1個取り出せばいい」

解説
"箱の表示は間違っている"がポイント。
ミックスではないからミントが入っていればミント。
ミントの箱はミックスにはなり得ない、なぜならアニシードの箱がアニシードになってしまうから。
この場合、アニシードの箱がミックスでミントの箱がアニシード。
ミックスの箱の中身がアニシードだったらアニシード。
アニシードの箱がミントで、ミントの箱がミックス。



2問目解答
オリヴァ「髑髏」

解説
169個の0と1の数字を13✕13で並べると髑髏マークが浮かび上がる。



3問目解答
オリヴァ「2回」

解説
電球の温度。
スイッチ1を入れておいて暫くしたら切る。
その後スイッチ2を入れてドアを開ける。
電球が点いたら2が正解。
電球が消えてるけど熱ければ1が正解。
電球が消えていて冷たかったら3が正解。



4問目解答解説
オリヴァ「2つの砂時計を同時にスタート。
4分計の砂が落ちきったら逆さまにする。
これで4分経過。
それから3分後に7分計の砂が落ちきるからこれを逆さまにする。
4分計の砂が再び落ちきったら合計8分。
この時、7分計は1分経過してるから逆さまにすれば9分が計れる。」



5問目解答
ガロア「9歳長女と2歳の双子」

解説
ガロア曰く、定番の問題らしい(笑)



6問目解答
パスカル「どちらかの門番に聞けばいい。
相手がどっちのドアを教えるか?と」

解説
門番がどちらの出身でも間違ったドアを指差す。



7問目解答
ヒルベルト「父親は夫婦の営み中」

解説
母親が21歳の時、息子はマイナス3/4歳。
つまり9ヶ月で子作り中。





真実と事実(「三度目の殺人」ネタバレ考察)

目次




初めに

こんにちは、レクと申します。
今回は先日観に行った「三度目の殺人」について話していこうかと思っております。

この先、ネタバレを前提に書いてますので、未鑑賞の方はご注意ください。


あらすじと予告

あらすじ

そして父になる」の是枝裕和監督と福山雅治が再タッグを組み、是枝監督のオリジナル脚本で描いた法廷心理ドラマ。勝つことにこだわる弁護士・重盛は、殺人の前科がある男・三隅の弁護を仕方なく担当することに。解雇された工場の社長を殺害して死体に火をつけた容疑で起訴されている三隅は犯行を自供しており、このままだと死刑は免れない。しかし三隅の動機はいまいち釈然とせず、重盛は面会を重ねるたびに、本当に彼が殺したのか確信が持てなくなっていく。是枝監督作には初参加となる役所広司が殺人犯・三隅役で福山と初共演を果たし、「海街diary」の広瀬すずが物語の鍵を握る被害者の娘役を演じる。
三度目の殺人 : 作品情報 - 映画.comより引用


予告編





キャスト


重盛(福山雅治)
裁判で勝つためには、真実は二の次と割り切る弁護士。



三隅(役所広司)
得体の知れない不気味な容疑者。



咲江(広瀬すず)
被害者の娘。



他、豪華キャスト



司法制度への糾弾

今作「三度目の殺人」は現行の司法制度に警鐘を鳴らす作品であると同時に罪の重さや不条理さ、矛盾点や疑問点を浮き彫りにする。

司法経済という言葉が出てきましたが、人ひとりの命が懸かっている裁判であってもこのようなことが度々行われている現状。
確かに、自白していた容疑者が一転、供述を翻しても信憑性に欠けます。
しかし、その決断を下すのが裁判であり、内内の問題だけで有耶無耶にすることは非常に恐ろしくもあり、機械的だと思いましたね。

たとえば無実の罪で死刑宣告されたとするなら
死刑判決を下した者は殺人犯ではないのか?



罪の重さと不条理さ

当初、三隅は強殺(強盗殺人)の容疑で捕まっています。
そして自供し、起訴されました。
重盛は死刑を免れるために強殺ではなく怨恨による殺害へとシフトチェンジしていきます。

強盗殺人よりも怨恨による殺人の方が罪が軽くなるのか?
同じく人ひとりを殺害しているのにも関わらず、なぜ罪の重さは変わってしまうのか?

この辺の説明は作中でもされましたが整理しておきたいと思います。

殺人罪(さつじんざい)
人を殺すことによって成立する犯罪である。
他の重罪を伴う殺人 強盗や強姦、放火等の重罪を伴う殺人は、単純な殺人よりも加重されることがある。例えば、日本では強盗犯人が殺人を犯した場合、殺人罪(刑法199条)ではなく、強盗殺人罪(刑法240条)が成立する。また、殺人の故意がない場合も、各種の結果的加重犯の規定が存在し、死亡という事実によって刑が加重される。

強盗致死傷罪(ごうとうちししょうざい)
刑法240条で定められた罪。「強盗が、人を負傷させたときは無期又は六年以上の懲役に処し、死亡させたときは死刑又は無期懲役に処する。」と規定されている。236条の強盗罪の加重類型である。未遂も処罰される(243条)。

第199条
人を殺した者は、死刑又は無期若しくは5年以上の懲役に処する。

第240条
強盗が、人を負傷させたときは無期又は6年以上の懲役に処し、死亡させたときは死刑又は無期懲役に処する。

Wikipediaより

同じく人を殺めた罪ですが、そもそも殺人罪と強盗殺人罪は別の罪とされ、処罰も重いようです。

なぜ罪の重さが違うのか?
それは犯罪に至る経緯や心情が関係しています。
金銭目当てなどによる強盗殺人罪は身勝手な犯行だとされ、情状酌量の余地はない。
一方、怨恨などによる殺人罪は殺めるに至った動機等を考慮して刑罰は決められるから。

先程から自分が使っている「罪の重さ」というのはどうやら語弊がありますね。
刑罰の重さ」と言うべきでしょう。

人を殺めた罪の重さというのはどれも同じです。
しかし、刑罰は裁判官、裁判員、弁護士、検察、証人、被告、この事件に関わる様々な人たちの発言と判断により決まってしまいます。

人の命の重さに違いはありますか?
同じ命を奪っても刑が軽くなることがあるというのは何とも不条理だと思いませんか?



三度目の殺人とは


接見室での反射越しに重なる三隅と重盛の構図が印象的でしたね。
これは嘘と真実、欺瞞と啓発の対比を示唆するものだろう。

二転三転する三隅の供述に重盛は苛立ちの感情を露わにするシーンもありました。

しかし、ガラス越しに手を合わせるシーンでは2人の顔が重なります。
三隅は重盛と心を通わせた瞬間だと思われますね。
現に重盛に娘がいることを言い当てています。
なぜそこまで推測できたか?
詳しくはわかりませんが、人の親だからこそわかることもあるんじゃないでしょうか?



終盤、初めは対比として描かれていた2人の心理が重なっていく事が幾つかの描写でわかってくるんです。


三隅の親子の回想シーンに重盛が入り込む

このシーンで幾つか2人の真意がわかってきます。
重盛は離婚前で娘との今後の微妙な関係を三隅と実娘の疎遠な関係と重ねている。
三隅は咲江のことを実の娘の姿と重ねていること。(娘役に広瀬すずを起用)


接見室でガラス越しに重なり合う2人の距離

上記で対比を示唆すると述べた画像と見比べてもらうと一目瞭然だと思いますが、2人の距離はかなり近づいていることがわかります。
これは物理的にではなく、心理的に近づいたことを悟らせる演出だと思います。

また、ガラスを挟んで物理的に近い映像だけではなく、ガラスに移り込む姿を重ね合わせることにより、より2人の心理が近づいていることを物語っているのではないでしょうか?


だから重盛は三隅の意を汲んで、三隅の否認を受け入れたのだと思われます。
娘と重ね合わせた咲江を守るために。
裁判であのような発言をさせないために。
そして、三隅自身の意思を尊重するために。
この死刑判決を受けて、三隅は過去二度の殺人と自分自身を殺す三度目の殺人」を見事成し遂げたわけです。



カナリアが意味するものは?


いわゆる炭鉱のカナリアは、炭鉱においてしばしば発生するメタンや一酸化炭素といった窒息ガスや毒ガス早期発見のための警報として使用された。本種はつねにさえずっているので、異常発生に先駆けまずは鳴き声が止む。つまり危険の察知を目と耳で確認できる所が重宝され、毒ガス検知に用いられた。
Wikipediaより引用

三隅はアパートでカナリアを殺したという描写がありましたね。
5匹殺して1匹を逃がしています。

理由として三隅自身が命の取捨選択できる立場にあると自負していたからではないかと考えています。
殺人を犯した自分は生きているのに真っ当に生きた妻は亡くなったと重盛に話すシーンもあったと思います。
命の不条理さを訴える一方で、生かすも殺すも誰かの意図として可能なのではないか?と考えたのかもしれません。

なので、タイトル「三度目の殺人」も自分の意思で自分自身を死刑にし、その命を絶つことで達成される
二転三転する供述も、咲江を救うためについた嘘(事実かどうかは定かではない)もまた自分の命を自分で取捨選択できる立場であるということを実証したのではないか。


そして、危険を察知するカナリアは司法制度への声にならない警鐘のメタファーでもあると考えられます。

また逃がした1匹は作中である咲江のメタファーではないか?
法廷を去る際にカナリアを掴むような手つきを咲江に見せていました。
これは圧迫された家庭環境からの解放と裁判で唯一真実を述べようとした咲江を逃がしたカナリアと重ねているのではないかと思われます。



真実と事実は別物?

三度目の殺人」を観終わって、三隅の罪の真相はあの供述通りだと思いましたか?

二転三転する供述に振り回されながらも導き出した答えは美しい話でした。
これが真実かどうか、それは本人にしかわかりません。
ここで問題になってくるのは「他人を救うための自己犠牲は有り得るのか?

少なくとも三隅は咲江を自分の娘と重ねたことは事実でしょう。(だと思いたい)
この関係性を聞いた時、この美しい話とは別の真実が頭を過ぎってしまった…。
見方によって様々な解釈が持てる、実に考えさせられる映画です。


その頭を過ぎったこととはズバリ
三隅と咲江は共犯説。




広瀬すず役所広司が殺害現場で重なる映像。


金糸雀と死体の十文字 埋葬と火葬。


これらの共通点から本当は咲江と三隅が共犯もしくは共謀で殺害し、死体隠蔽をしたのではないか?
それを隠蔽するために三隅は当初、金銭目的で犯行に及んだと供述していたのではないか?

自分の殺人の罪を全て被ってくれた三隅へのせめてもの罪滅ぼしとして、咲江は三隅の罪を軽くする為に性的暴行の発言をすると言い出したのではないか?(もしくは性的暴行が真実で殺害動機である可能性もあり)

んー、有り得なくもないが、頭に過ぎっただけで立証は難しい。
結末を見る限りではこの流れはかなり苦しい(笑)


ただただ疑問に思うことがあるんですが
三隅は命の不条理さを訴えることと死刑判決で自分自身を殺害することを目的としていたと思うんですよ。
となると
誤った死刑判決、無実の人が死刑宣告を受けることが殺人と同等の意味があるという司法へのメッセージと、その命を奪うことの理不尽さや不条理さを伝えたかったのだろうと推測するわけです。

つまり三隅が今回の殺人罪を全て背負い込んで死刑判決を受けたことは誤ちではないのかと思ってしまったわけですよ。


どちらにしても、三隅が咲江を自分の娘の姿と重ね合わせていたことで、法廷での性的暴行の発言を辞めさせるために自分は殺してないと供述を翻した。
結果これが信憑性に欠けるとして死刑に繋がったことは事実であり、また三隅が死刑に処されるという事実は覆すことは出来ません。
真実はどうであり、下された判決は事実なのです。



器の意味について

三隅は自分のことを器だと語りましたが、やるべき事を終えた三隅はもはやただの器になってしまったということでしょうか?
そこに至るまでの過程で、その器は娘と重ねる咲江への愛情で満たされていたのかもしれません。

役所広司さん演じる三隅は見る人によって、善人にも悪人にも、無実の罪に問われている人にも殺人犯にも見えてしまう。
そんな姿に自分はまるで三隅という人間の器に人間性という中身が入れ替えられていたような印象を受けました。

同じ容姿でも、中身が違えば見た目も印象も変わる。

宣伝コピー
「その獣は、にんげんの目をしていました。」

正しくこれでしたね。
どれが真実なのかわからない、この作品そのものを表した言葉なのかもしれません。



終わりに

「誰を裁くのかは誰が決めるのか?」

この台詞にこの作品の全てが詰め込まれていたような気がします。

聖書にも【人を裁くな】とあります。
『人を裁くな。あなたがたも裁かれないようにするためである。
あなたがたは、自分の裁く裁きで裁かれ、自分の量る秤で量り与えられる。』

殺人犯に死刑判決を出した裁判官も殺人犯なのではないか?と言わんばかりの一説ですね。

作中には十字架が多用されています。
殺害現場、カナリアの墓、雪の中の姿勢、十字路…などなど。
自分はキリスト教について詳しくないので省きますが(笑)
この辺りを掘り下げてみても面白いと思いますよ。


モヤモヤした終わり方や鑑賞者側に委ね想像させるこの作品は如何様にも受け取れて面白いですね。
作品内容は決して明るいものではありませんが、少しでも多くの方に観てもらいたい作品です。

ここまでお読みいただいた方、ありがとうございました。




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「散歩する侵略者」ネタバレ考察

目次




初めに

こんにちは、レクと申します。
先日観に行った「散歩する侵略者」について話していこうかと思っております。

黒沢清監督が劇作家、前川知大氏率いる劇団「イキウメ」の人気舞台「散歩する侵略者」を映画化したもので、キャストもそれぞれが映画初共演ということで新鮮な顔合わせとなってますね。

この先、ネタバレありきで書いてますので、未鑑賞の方はご注意ください。


あらすじと予告

あらすじ

数日間の行方不明の後、不仲だった夫がまるで別人のようになって帰ってきた。
急に穏やかで優しくなった夫に戸惑う
加瀬鳴海。
夫・真治は会社を辞め、毎日散歩に出かけていく。一体何をしているのか…?
その頃、町では一家惨殺事件が発生し、
奇妙な現象が頻発する。
ジャーナリストの桜井は取材中、天野という謎の若者に出会い、二人は事件の鍵を握る女子高校生・立花あきらの行方を探し始める。
やがて町は静かに不穏な世界へと姿を変え、事態は思わぬ方向へと動く。
「地球を侵略しに来た」真治から衝撃の告白を受ける鳴海。
当たり前の日常は、ある日突然終わりを告げる。


予告編





キャスト


加瀬鳴海(長澤まさみ)
夫の異変に戸惑いながらも夫婦の再生のために奔走する主人公。



加瀬真治(松田龍平)
侵略者に乗っ取られた夫。



桜井(長谷川博己)
一家惨殺事件の取材中に侵略者と出会うジャーナリスト。



天野(高杉真宙)
桜井が密着取材を申し入れる若き侵略者。



立花あきら(恒松祐里)
一家惨殺事件を起こした若き侵略者。



他、豪華キャスト。



人類と侵略者

侵略者の目的

侵略者である宇宙人たちは会話をした相手からその『概念』を奪っていく。
そして奪われた人からは、その『概念』が永遠に失われてしまう。
では何故、宇宙人は『概念』を集めるのか?

地球侵略、と言っても目的は人類の絶滅。
人類と戦うためには人間という生き物を理解しなければならない。

その為に送り込まれたのが真治、天野、立花の3人です。
それぞれが得た『概念』を持ち寄り、人間という生き物を理解した上で侵略を始める。
実に手の込んだ侵略です。

恐らくその真意は、人類は地球にとって滅ぼすべき生き物なのか?を知りたかったのだと思います。



概念とは?

皆さん、『概念』って何だと思われますか?

物事の抽象的な一般的考え。
一般的な包括的表現。

恐らくこれが一般的な答えだと思います。
これが概念の『概念』。


よく、「固定概念にとらわれるな」なんて言ったりもしますよね。
我々人類は『概念』によって思考や行動の幅が狭められたり、制限されたりしているのではないか?

「家族」という『概念』を奪われた鳴海の妹は親からの期待に縛られることなく自由になった。

「自分」と「他人」の『概念』を奪われた学歴コンプレックスだった刑事は自分と他人を比較することを止めた。

「所有」という『概念』を奪われた丸尾は引きこもりから一転、開放的になった。

「仕事」という『概念』を奪われた鳴海の職場の社長は仕事に追われることなく遊びだした。

今まで縛られていた『概念』が無くなることで、どこか清々しくもあり幸せになったようにも見えてしまう皮肉さ。

しかし、愛や憎しみと言った感情の『概念』というのはひとりひとり違うものだと思いませんか?
それを『概念』と呼ぶこと自体が間違っているのかもしれない。
でもそれ自体が概念の『概念』なわけで、人によって愛のカタチは違うと思うんです。



真治と鳴海

真治は鳴海の妹から「家族」の『概念』を奪い、鳴海の職場の社長から「仕事」の『概念』を奪い、夫婦生活を知る。
鳴海はそんな真治の姿に、鳴海の中で徐々に愛が大きくなっていく。

この夫婦の"愛の再構築"と"愛の逃避行"が堪らなく好き。


人間の、鳴海の愛に触れ、そして愛を奪うことなく与えられて初めて人間とは何か?を知り、人間らしさを得た。

結果的に真治は鳴海から「愛」の『概念』を奪ったが、これを"奪った"と言いたくない(笑)
鳴海自らが差し出したもので、真治を愛していたからこそそこにあったものだから。

語ることは出来ても言葉では言い表せない"愛"という『概念』を理解することが一番難しく、それを得ることが出来たのは唯一の夫婦関係である真治に乗り移った宇宙人であり、また一から自分を見つめ直した姿に少しずつ芽生えた愛情を受け取れたものまた彼である。


鳴海の愛の『概念』を得た真治はその後、笑顔を見せるようになったのにお気づきになられましたか?
それまでは無表情だった真治に少し笑顔が見れるんですよ。
ここに最も人間らしさを感じました。

経緯はわかりませんが、他の2人の宇宙人は結果、若い子供に乗り移ったが、最後の1人が妻を持つ真治に乗り移ったことが良かったということか。

「愛」を知った真治は感情の欠落した鳴海を一生見守っていくことだろう。
それが、真治の鳴海に対する掛け替えのない愛の『概念』なんだと思います。



天野と立花


両親から『概念』を奪い桜井をガイドにした天野と、ガイドもなく一家惨殺事件を起こし隔離されていた立花とでは対照的でしたね。
侵略者にも個性や性別などの個体差はあるのだろうか?

真治は元々、人間が大人で落ち着いた性格だったように思う。
それに比べて天野と立花は子どもという印象が強い。

たとえ乗っ取ったとしても、その人間の記憶や性格は元のままなのだろう。


立花が隔離されていた病室で、アンジャッシュ児島との会話の中に「自分」と「他人」いう言葉が出てきました。

「自分」と「他人」の『概念』を得た2人の侵略者はより、その対照的な性格に分かれたようにも思います。


それは兎も角、この隔離されていた部屋でのアクションシーンで何故か、ジョン・カーペンター監督作「ゼイリブが頭によぎりました(笑)

ゼイリブとは

ゼイリブ 通常版 [Blu-ray]

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ジョン・カーペンター監督の消費社会や格差問題に重きを置いた社会風刺SF映画
一つのサングラスから写し出される人間に紛れ込んだエイリアンの恐怖を描く。


よくよく考えたら人間の姿を借りたエイリアンという共通点もありますね。

しかし、一番印象的なのはサングラスをかけろ嫌だの不毛なプロレスタイム(笑)

これぞ無駄な名シーンなわけで、立花とアンジャッシュ児島の絡みも「自分」ってなんだ?「自分は自分だ」のやり取りが不毛なプロレスタイムに見えてしまったんでしょう(笑)



桜井は人類と侵略者、どっちの味方?

ジャーナリストの桜井はあくまで人間側と主張しながらも、侵略者の行動に不信感や恐怖心を抱きつつも協力的な姿勢を取ります。

初めは半信半疑、寧ろ子供のお遊びに付き合うような軽い気持ちで天野と行動を共にしていましたが、『概念』を奪うところを間近で見てその存在を信じるようになります。

鳴海と真治に侵略者を引き合せるなと苛立ちを露わにしながら説得にも行っています。
一度は断ったサンプルにも自ら志願します。
これもまた自分が生き残りたいがための行動。
また、宇宙人に侵略されていると公言までします。

その心は自分が生き残るため侵略者側にどんどん傾いていき、最終的には天野に乗り移った侵略者を自分に憑依させることまで提案します。

人類の味方でも、侵略者の味方でもなく、彼は彼自身の味方だったんだと思います。
桜井という人間は一番人間臭かったというか、人類の身勝手さや傲慢さを表現していたのでしょうか?



もう1人の侵略者の存在!?

概念を奪った宇宙人はより人間らしく、概念を奪われた人間は宇宙人のように。

真治、天野、立花の3人は人間という生き物を知るために『概念』を集める使命がある。
そして、発信機で仲間に通信して侵略を開始する。



『概念』を奪うシーンは同監督作「CURE キュア」を彷彿とさせる人間の心理に語りかける暗示のようです。


映画「CURE」より


真治が奪った『概念』は恐らく天野や立花よりも少ない。
「家族」「仕事」「所有」「愛」
一方、天野と立花は『概念』をどれくらい奪ったのかわかりません。


鳴海と真治が結婚式で使用した賛美歌が聞こえてきて教会へと入ったシーン。
真治が牧師から「愛」の『概念』を奪えなかったと聞いた時、最初は「あー牧師は既に概念を奪われてんのかな?」とか思ってました。

しかし、天野や立花は牧師の「愛」の『概念』を奪った様子はない。

幾つかの疑問が浮かんできませんか?
たった3人の侵略者に対して、『概念』を失った精神疾患の患者の数が多すぎること。
病院でのあの異常な数の患者。

推測されるのが、この3人以外にも別の侵略者がいるのではないか?

そうです、牧師さんの登場です。

東出昌大スマイル!!!


ここで衝撃的な画像を見つけてしまいました。


©️2017「散歩する侵略者」スピンオフ プロジェクト パートナーズ

9月18日からWOWOWプライムで放送されるドラマ『予兆 散歩する侵略者』のワンシーン。


倒れる患者たちの真ん中を歩くのは東出昌大ではありませんか!!!

ドラマ版での東出昌大さんは外科医らしいですが、『概念』取り放題なわけですね。
確かに他の使命を与えられた侵略者が居てもおかしくはないし、たった3人の侵略者というのも少ない気もします。
あくまでアプローチは『概念』を奪うことのようですが。
これを見ちゃうと、東出昌大ならやりそうって思ってしまいます(笑)


また、体内に入り込むという点で、染谷将太寄生獣のイメージが浮かんでしまいますね!

寄生獣 Blu-ray 豪華版

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ラストの解釈は?

小説ではラストは異なった終わり方になっているそうで、小説は未読故に読んでみようと思います。
今回は映画のラストについての個人的な解釈をさせていただきます。



あの隕石シーンから2ヶ月後、宇宙人は地球侵略をやめた?
ということは人類は絶滅する必要が無いと宇宙人が理解したのか?

これは人間の「愛」という『概念』がそうさせたのかもしれない。という想像ができますね。


しかし、どうやってその「愛」という『概念』が宇宙人たちに伝わったのか?
真治が仲間に伝えることは出来ないはず。
仮に通信が可能だったとしても、真治は鳴海のことしか考えていなかったからわざわざ侵略者に『概念』を伝えるのかも疑問だ。

そう考えると、侵略者たちは真治らと同じように人間を乗っ取り、その中でそれぞれ愛の概念を知り、真治と同じように人間として生きているんじゃないか?


つまり侵略をやめたのではなく、人間と共存するカタチを選んだ。

と考えられないだろうか。


だとしたら、あの2ヶ月前の隕石に宇宙人が乗っていたのかもしれない。
なんてことも考えられたり。



最後に

とまあ小難しい『概念』やSFらしい宇宙人の侵略などが全面に出てしまいましたが、人間の姿をして非人間的な行動をするちょっとクスッと笑える演出もあったり、鳴海と真治のラブストーリーも魅力的で、シリアスだけに留まらないところがいいですね。

宇宙人が地球侵略の為に集めた様々な『概念』。
これこそまさに我々人間が見つめ直すべき、大切にすべきものなのではないでしょうか。



ここまで読んでいただいた方、ありがとうございました。

©️2017「散歩する侵略者」製作委員会

「Xの文字」と「癒し(CURE)」の関係性とは?

目次




初めに

こんにちは、レクと申します。

9/9に公開された役所広司さん出演の「三度目の殺人」と黒沢清監督作「散歩する侵略者」を記念して(?)

今回は自分が"邦画トップクラスのサスペンス映画"だと謳っている役所広司さん主演、黒沢清監督作「CURE キュア」を個人的な見解も交えつつ掘り下げていこうかと思っております。

ネタバレしかないので、まだ観ておられない方は注意してください。



CURE キュア


キャスト
高部賢一:役所広司
間宮邦彦:萩原聖人
佐久間真:うじきつよし

1997年公開映画。
1997年日本インターネット映画大賞日本映画作品賞受賞作。
本作で監督の黒沢清は世界に名を広めた。
主演の役所広司は、この作品で第10回東京国際映画祭最優秀男優賞を受賞。



あらすじ

不気味な殺人事件が発生した。被害者は鈍器で殴打後、首から胸にかけてX字型に切り裂かれていたのである。犯人は現場で逮捕されたが、なぜ被害者を殺害したのか、その理由を覚えていなかった。そして酷似した事件が次々と発生していった。これらの事件を追うことになった刑事の高部は、精神を病んでいる妻との生活と、進展しない捜査に翻弄されて疲弊してゆく。やがて、加害者たちが犯行直前に出会ったとされる男の存在が判明する。男の名は間宮邦彦。記憶障害を患っており、人に問いかけ続けるその言動は謎めいていた。そんな間宮の態度が高部をさらに追いつめていく。しかし、間宮と関わっていく中で高部の心は密かに癒されていく。
Wikipediaより引用


冒頭でも言いましたが、恐らく自分が観てきた邦画サスペンスの中でもトップクラスの秀作

日常生活の中で起こる非日常的な出来事が上手く溶け込んでいます。
ラストがスッキリしない終わり方で、一度観ただけではその全容は見えてこないかと思われます。
というより自分も全容は見えてません(笑)
全てを語らず謎を多く残すこの作品は色々解釈できるので楽しいですよね。



まずタイトルのCUREについてですが
CUREとは"癒し"という意味合いを持ちます。

犯人の間宮は自分の記憶の有無に関わらず催眠暗示によって人に殺害をさせる殺人教唆の罪を問われます。
彼の催眠方法は女性内科医のシーンで明らかになりますが、単なる殺害を促す暗示ではなく、人の心(主にマイナス面)に語りかけるというもの。

更に言えば心理学、主にカウンセリングなどで用いられる"補償行為"に働きかけるものだと思います。
補償行為とは何かを補おうとする。埋め合わそうとする行為

自分やその周りの環境の中の弱みや欠点を補う為に何かを犠牲にするということ。
つまり、間宮は話を聞き、相手の心に入り込み、その鬱憤、ストレスを晴らすことで疲れた心を"癒す"といったところでしょうか。


初めてご覧になられた方は驚いたであろうラストシーンについて。

犯人間宮の催眠方法は上記に述べた通りです。
ではその催眠が主人公高部にどう影響したのか。

刑事として真面目に働く一歩で、精神病患者の妻を抱えながらこの連続殺人事件の不可解さに苛立ちを募らせます。
間宮の身柄を確保し、取り調べをした時にも苛立ちを隠せずにいました。

しかし、間宮と独房で会話を終えた後、高部は落ち着いていませんでしたか?

親友の佐久間が自殺しても顔色一つ変えず、冷静でした。
仕事と家庭に悩みを持ち、食事も手をつけられなかった中盤のファミレスのシーンと、完食しコーヒーまでいただいたラストのファミレスのシーンにも同じことが言えます。


間宮と話す前は感情的だった彼が、間宮と会話した後、つまり暗示に掛かった後では非常に理性的です。
この描写が特に素晴らしいという印象でした。
前半を思い返すと一見、悩みから解放され"癒された"ようにも見えてしまいます。


ラストの少し前のワンカット、病院で妻が首をX字に斬られて運ばれるシーンが写ります。

直接的な描写はありませんが、恐らくは高部の犯行でしょう。



そしてファミレスのシーンで食事を完食し、タバコに火を付け、コーヒーを受け取る。
高部の横顔から接客したウエイトレスへとピントが合う。

このカメラワークで高部とウエイトレスが単なる客と店員の関係でないことを示唆させ、高部がウエイトレス催眠を掛けたであろうということが憶測できます。

尚且つ、記憶障害の間宮と違い記憶のある高部がより優れた催眠術士となったと推測されます(ウエイトレスとの会話が暗示なのか?)。


ウエイトレスが包丁を手に取った後にエンドクレジットへ入るこの大胆なカット割りは、鑑賞者側が辛うじて理解できる瞬間に強制的に終わらせることで、鑑賞者側の想像に委ねる黒沢清監督の手腕を最も見せつけられた点ではないだろうか。


なぜ高部が間宮の後を継ぎ、犯罪に手を染めたのか、詳しくは謎です。
間宮の「本当の声を聞けるのは高部だけ」という会話の内容から高部はこちら側の人間だと感じ取った描写がありました。


間宮を射殺した後に聞いた蓄音機が鍵ですね。

これもあくまで個人の想像でしかありませんが、後程記述します。



メスメリズムとは

間宮の部屋の参考文献にメスマーの名前がありました。


フランツ・アントン・メスメル(メスマー)(独: Franz Anton Mesmer, 仏: Frédéric-Antoine Mesmer,1734年5月23日 - 1815年3月5日)

ドイツの医師。動物磁気 (magnétisme animal, en:Animal magnetism) と呼ばれるものの提唱者。メスメルは動物磁気と呼んだが、他の人たちはそれをメスメリズム (mesmerism) と呼んだ。メスメルの概念と実践の発展が、1842年のジェイムズ・ブレイド(James Braid, 1795年 - 1860年)による催眠術の開発をもたらした。メスメルの名前は英: mesmerize(催眠術をかける)の由来となった。
Wikipediaより引用


グラス・ハーモニカという楽器をご存知でしょうか?

メスメルが実際に治療で使用した楽器です。

1777年、18歳の盲目の音楽家マリア・テレジア・フォン・パラディスの治療を行った。しかし、彼が療法に用いていた神秘の音色をもつ楽器「グラス・ハーモニカ」は、人の気を狂わせ、死霊を呼び起こし、奏する者や聴く者を死に至らしめる恐怖の楽器と恐れられていたものであった。実際にコンサートの客席で幼児が亡くなった事例が起きたことから、グラス・ハーモニカには正式に禁止令が発令されていた。それにもかかわらず、グラス・ハーモニカを療法に長年使用してきた彼は、禁止令に反してその使用をやめようとせず、マリア・テレジア・フォン・パラディスにその音色を使った療法を施したばかりか、視力の取り戻しをかなえられず、後の彼女の精神に悪影響を与えたと言われるスキャンダルが起き、禁止令に反した罰として、メスメルはウィーン追放を命じられてしまった。
Wikipediaより引用


ここで思い出してもらいたいのが、高部が間宮を射殺した後、最初に聞く音は、廃屋の病院に置かれた蓄音機


上記のように音と催眠は何らかの関係性が示唆されています。
声、言葉もその音の一つとして捉えるなら当たらずとも遠からずだと思います。

少なくとも作中にはこの蓄音機以外にもボイラーや洗濯機など様々なシーンで音が散りばめられています。
この蓄音機から発せられる声?雑音?で高部は催眠に掛けられたと見て間違いはないでしょう。

蓄音機から聞こえてきた聞き取れない声の主は恐らく伯楽陶二郎ではないかと予想されます。



メスマーと同じく、間宮の部屋にあった参考文献『邪教』。
そこに記載されていた名前がこの伯楽陶二郎です。

「動物磁気(メスメリズム)」
動物から発せられる自然エネルギーの一つとしてその存在をメスマーが提唱し、そのバランスを整えることが"癒す"ことだと仮定したもの。
その過程が"催眠"の存在を証明したとされる。
そのメスメリズムを日本に広めた人物が伯楽陶二郎である。

小説ではこの人物についてこのような記載がある。

 伯楽陶二郎は明治時代に実在した精神医療グループ「気流の会」のリーダー。
「気流の会」は明治政府の弾圧を受け解散に追い込まれ、警察の摘発を受け全員逮捕されたが伯楽は行方を眩ませた。
それから1年後の1898年、富山県在住の村川スズが自分の息子の首筋を十文字に切り裂く事件が起きた。

『邪教』の研究を進める中で、間宮はメスメリズムに取り憑かれ、この事件に辿り着き、催眠を受け継がれたのでないかと推測されます。



X字と猿のモチーフ


「CURE」のジャケットに写っているこの猿のモチーフの置物。


作中にも登場します。

腕と足を交差し、X字になっていることがわかりますね。

他にも暗示を掛けた場所や遺体にX字が刻まれています。


「CURE」とは「癒し」。
悩みや鬱憤などから救い解放すること。
つまり、そんな負の感情を切り離すという意味合いでX字が刻まれているのだろう。

X字を螺旋、DNAなど二重螺旋構造の交差点とする考察もありますが、可能性はあると思います。


世界保健機関を始め世界各国の医療機関で用いられている、医の紋章である「アスクレーピオスの杖」は本来ヘビが1匹の意匠。しかし、2匹の蛇が巻きつく杖のシンボルが「medical caduceus」という名で、欧米の医療機関の標章として、また、軍隊では医療部隊章として、広く用いられている。
Wikipediaより引用

癒しを医療とするならば、2匹のヘビが巻き付く杖「アスクレーピオスの杖」を連想させ、医療を象徴するものと捉えることも出来る。



そうやって猿のモチーフを見てみると、何とも杖っぽいではないか?(笑)


そして、この「アスクレーピオスの杖」と酷似した杖がギリシア神話に存在する。


アスクレピオスの杖」はヘルメースの持っている杖「ケリュケイオン」(ラテン語カドゥケウスカードゥーケウス)とデザインがよく似ているが、両者はまったく別のものである(前者はヘビが1匹であるのに対し、後者はヘビが2匹で杖の上に翼が付いている)。ただ、二者の混同は欧米においてもしばしば見られる。
Wikipediaより引用

この「ケリュケイオンの杖」を持っているヘルメースはトートと呼ばれる古代エジプトの神と同一視されているんです。


トート(ギリシャ語:Θωθ)
古代エジプトの知恵を司る神。古代エジプトでの発音は完全には解明されていないがジェフティ(エジプト語:ḏḥwty)と呼ばれる。聖獣はトキとヒヒ。
Wikipediaより引用

無理矢理ではありますが、X字と猿のモチーフが繋がりました(笑)
これらの複合型を「CURE」の象徴としているんでしょうか?


もう一つのX字の意味も考えてみました。
「X」ってどういう時に使いますかね?

例えば、数学で使われる代数「x」もそうです。
サスペンスで使われる容疑者に当てるアルファベットも「X」。

精神とは目に見えない、わからないものです。
作中で精神科医の佐久間も「人の心は誰にもわからない」と語っています。
催眠術に掛かった加害者も何故、殺人を犯したのかわからないんです。

そんな不特定なものを表す最も適した文字が「X」なのではないかと思います。



終わりに

長々と「CURE」について書いてきましたが、役所広司さんの演技力も黒沢清監督の手腕も素晴らしいですね!



黒沢清監督

憎悪は催眠で覚醒する。

このキャッチコピーも秀逸。



ここまで読んでくださった方、ありがとうございました。



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役所広司さん出演「三度目の殺人



黒沢清監督作「散歩する侵略者

『新 感染 ファイナル・エクスプレス』におけるゾンビの定義とは?

目次




初めに

こんばんは、レクと申します。
今回は韓国では珍しいゾンビ映画『新 感染 ファイナル・エクスプレス』鑑賞記念にゾンビの定義とは何か?について語っていこうと思っております。



映画「新 感染 ファイナル・エクスプレス」予告編より
原題:부산행
英題:TRAIN TO BUSAN


今作の内容に触れる部分は主にゾンビの話です。
直接ストーリー等のネタバレに触れることはありませんが、念の為に未鑑賞の方は注意をお願いします。



「釜山行き」(原題)に込められた監督の想い?

釜山はKTXの終点である。
韓国人にとって最も代表的な終着駅である釜山駅を、ゾンビを題材に終末へと向かってゆくストーリーと重ね合わせたもの。
登場人物それぞれの人生にも終わりがある。
そうした人生の比喩にもなるのではないか?



(C)2016 NEXT ENTERTAINMENT WORLD & REDPETER FILM. All Rights


今作「新 感染 ファイナル・エクスプレス」(以下「新感染」)でヨン・サンホ監督がゾンビ映画を作るに至った経緯ですが、彼は元々はアニメーション監督を希望していたそうです。
長編アニメ映画『豚の王』でデビューし、更に長編アニメ映画『ソウル・ステーション/パンデミック』を撮った際に具体的な実写映画の提案をもらって『新感染』に至ったそうです。

前日譚にあたる『ソウル・ステーション/パンデミック』と『新感染』はもともと「ホームレスとゾンビ」という題材で撮る予定だったそうで、発展を遂げる釜山周辺に乗り遅れたホームレスがゾンビに喩えられています。

ゾンビは人間の延長線上の存在だという彼のゾンビ観はこの時点である程度固まっていたのでしょう。



ゾンビの定義とは何か?

さて、いよいよ本題に入っていこうと思いますが、先ず「新感染」におけるゾンビの特徴を纏めてみましょう。



映画「新 感染 ファイナル・エクスプレス」より

  1. 動きが速い
  2. 明暗によって視力が変わる
  3. 知能が低い
  4. ゾンビ化するのが早い

簡単に纏めるとこんな所でしょうか。
近年に見るゾンビと然程違いはないように思えます。




ジョージ・A・ロメロ監督作「ナイト・オブ・ザ・リビングデッド

"ゾンビ"を決定づけた作品は故ジョージ・A・ロメロ監督作『ナイト・オブ・ザ・リビングデッド』。
ゾンビとは生きる屍。つまり死後硬直はあり、肉体は腐るし派手な動きをすれば壊れるというのが、そもそものゾンビの定義でした。



さて、ここ何年かでゾンビという定義が大きく変わってきています。
「ゾンビは走る!」
これに代表される作品が『28日後…』や『28週後…』ですね。


映画「28日後…」より


映画「28週後…」より


ドーン・オブ・ザ・デッド』を作ったザック・スナイダー監督も「発病したばかりのゾンビは新鮮で、まだ腐っていないので動ける」と主張していました(笑)

今までのノロノロと動くゾンビの概念をぶっ潰した全力疾走で駆け回るゾンビたち。
確かに襲われる恐怖心を煽るためには良い演出と言えますが。



PHOTO: GETTY IMAGESより

そんな中、ゾンビ映画の巨匠 故ジョージ・A・ロメロ監督は生前に公式でこう語っていました。
「決して足の速いゾンビを作ろうとは思わない、ゾンビが走ったら足折れるだろ」



新旧ゾンビ対決!



はい。
近年は新たに感染系というゾンビ?が流通しており、パンデミックで代表されるのが『バイオハザード』シリーズ。
自分の大好きな『REC/レック』シリーズもある種の感染系ですね。
ウイルス感染によりゾンビ化するという新たなジャンルで、以前のゾンビの定義を覆したんです。

今作、「新感染」もタイトル通り、感染系のジャンルに属するゾンビ映画と言えます(笑)

自分はゾンビはノロノロだからこそ、その人間の心理描写が描けると思うんです。
じわじわと追い詰められていく時間にゾンビ化した愛する人や友人達への想いを馳せるものだと。


近年でその新旧のゾンビの概念をしっかりと受け止めたゾンビ映画が公開されていたのをご存知ですか?


スティーヴ・バーカー監督作『ゾンビ・サファリパーク』

どうせコメディなんだろ?と思わせるタイトルこそB級臭のする作品ですが、ゾンビの定義としては素晴らしいんです。

従来のゾンビはノロノロな動きが特徴でしたが、近来のゾンビは動きが俊敏で邪道とは言われる一方、そんな作品が増えてきているのも事実です。
そのノロノロゾンビと走るゾンビがコラボレーションしたのがこの「ゾンビ・サファリパーク」

その違いは"鮮度"という何ともゾンビらしさを活かした設定。

ゾンビになりたては速く動ける
を確立させた作品だと思います。



結論

「新感染」におけるゾンビの定義は?ですが、もう監督がゾンビって言えばゾンビじゃないですかね(投げやり)
散々、ゾンビとは?について語ってきましたが、投げやりですみません(笑)

「新感染」でヨン・サンホ監督が最も気にした点もゾンビの動きについてでした。
「哭声 コクソン」でゾンビの動きを担当された方を「新感染」でも振り付けとして起用したそうです。

ひとつは自分が愛していた人が別の存在に替わってしまうという恐怖。
もうひとつは、自分も別の存在になって愛する人を食うかもしれないという恐怖。
それらを見た目で感じてもらうために、動きはやっぱりすごく大事になってくる。

とも語られています。


「新感染」では近年のゾンビの設定を活かしつつも、人間の延長線上の存在として演出されている事がわかります。

韓国で2016年は『哭声 コクソン』と『新感染 ファイナル・エクスプレス』の大ヒットで、ゾンビ一色だったそうで。
韓国のゾンビブームに乗っかって、今後も良作な韓国産ゾンビ映画が作られるかもしれませんね。



終わりに

纏まり無くてすみません。

「新感染」でのゾンビにはそこまで目新しさは無かったように思います。
人体破壊描写や臓物むしゃむしゃなゾンビを全面に押し出した作品ではなかったですね。
どちらかと言うとゾンビ映画を媒体として登場人物の心理の変化や感動に重きを置かれた控えめな演出です。


上記にも記載しましたが、終点「釜山行き」を人生の終着駅として終末を比喩し、また折り返す駅でもある終点は新たな命の出発点のような気もします。
主人公の子どもに対する愛情や妊婦を庇うホームレス、子どもの存在をテーマとしている部分もあるかと思います。


ここまで読んでくださった方、ありがとうございました。


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今更だけど愛して止まない『羊たちの沈黙』の素晴らしさを伝えたい

目次





初めに

こんばんは、レクと申します。
今回はタイトル通り
【今更だけど愛して止まない『羊たちの沈黙』の素晴らしさを伝えたい】
をテーマに感想を交えつつ語らせていただきます。

羊たちの沈黙』の記事が続いてしまって申し訳ないんですが、これは初めに語りたい内容の一つでした。
お許しください(笑)

有名な作品ですので、至る所で様々な方が感想を挙げられておられます。
先程も申し上げましたが、今更なのであらすじや登場人物、細かい設定等は省かせて頂くと共に、ネタバレありきで進めていきます。
興味のある方はお付き合いいただけましたら幸いです。



観たキッカケは不純な動機?

皆さん、初めての映画を観る時ってどういった理由で選ばれますか?
好きな監督や俳優陣、ジャンル、パッケージ、他人からのオススメ、高評価…etc.
その時の状況によって様々だと思います。

では、自分がこの『羊たちの沈黙』を観ようと思った理由は何か?


ジョディ・フォスターの可愛さ。

はい、これ一択でしたねー。
男ってそういう生き物。うんうん。


映画「羊たちの沈黙」より

こんな美女と毎日電話したい。


FBIアカデミー訓練生のクラリスを演じた若きジョディ・フォスターは女優業のトップを取ってやるぞ!くらいの必死な演技が好きです。
化物級のアンソニー・ホプキンス相手に根性が座ってます(笑)

当時、クラリス役の名前に挙がっていたのはミシェル・ファイファーだったんですよね。
しかし彼女がオファーを断った為、監督のジョナサン・デミメグ・ライアンやジーナ・デイビスを候補に考えていたらしい。
監督は最後までジョディ・フォスターの起用に後ろ向きでしたが、配給会社からの要請もあり彼女をクラリス役に決定したという裏話があります。


つまり、もしかしたらクラリスジョディ・フォスターではなかったかもしれないし、自分がここまで『羊たちの沈黙』を好きになる事はなかったかもしれない。ということです。



神がかった演技


映画「羊たちの沈黙」より


今作において最も印象的なのはアンソニー・ホプキンス演じるハンニバル・レクター博士の怪演だろう。
僅か約16分(12分説あり)の出演でアカデミー主演男優賞を受賞。
誰もが認めるこの演技は正に神がかったものだと言えるかもしれません。

そして、この作品を観てアンソニー・ホプキンスを好きになったのも事実です。

しかし、この作品の凄い所は最も印象的であるアンソニー・ホプキンス演じるハンニバル・レクターは脇役だということ。
あくまでレクター博士は事件解決への手助けであって、クラリスの抱えるバッファロー・ビル事件の本筋とは別なんです。



演技だけが見せ場ではない

タイトル『羊たちの沈黙』。
羊の意味とは?
原題で『the silence of the lambs』
lambとは本来、羊ではなく小羊のこと。

これももう様々な考察がされているので言及することはないんですが
この作品のあらゆる事象を小羊に準え喩えられているんですよ。

  1. バッファロー・ビル事件
  2. 事件の被害者
  3. クラリスの過去のトラウマ
  4. クラリスの今後のFBIとしての人生


今作における本筋、バッファロー・ビル事件。
連続猟奇殺人鬼バッファロー・ビルの手口は殺してから皮を剥ぐというもの。

小羊たちも、殺されてから皮を剥がれ、皮細工の材料になります。
暴力事件の被害者のことを小羊と言ったりもしますね。
被害者キャサリンバッファロー・ビルを前に身動きがとれない小羊です。
そして助け出されなければ、殺されて皮を剥がれる運命でした。


クラリスレクター博士に、幼少期に預けられていた牧場での体験を話すシーン。
叔父はラム肉のために屠殺をしていただけですが、幼いクラリスには訳もなく子羊たちが殺されていたように見えたのだろう。
助けたいのに助けられなかった事実がトラウマとなっています。

つまり、バッファロー・ビルから被害者たちを救いたいのに救えないという焦りが過去のトラウマと繋がるんですね。



事件解決後のレクター博士の電話の問いかけで。
「小羊は鳴き止んだかね?」にも深い意味があると解釈しています。
一見、バッファロー・ビル事件を解決したクラリスは過去のトラウマと向き合えたように思える。
ここで、クラリスのトラウマ克服おめでとうと考えておられる方も多いですが、自分はもう一歩踏み込んだ先があると思っています。


何故なら、レクター博士の言葉は先を見通した狂気を含意したヒントだからです。

自分の解釈として、バッファロー・ビル事件を解決してもクラリスの中の小羊の悲鳴が止むことはない。
人間の記憶、特に嫌な記憶というものは消えることはないのです。
FBIの仕事を続ける限り、クラリスは新たな小羊に出会います。
そしてまた殺された小羊は永遠にクラリスの記憶に残ります。
クラリスのFBI捜査官としての人生は小羊の悲鳴の中で歩んでいくことになるのです。


羊たちの沈黙』とは犯人と被害者の関係性を表しつつ、クラリスのトラウマを抉り、今後の生き方をも示唆する、これ以上ない言葉なんです。
ここまで徹底された脚本とタイトルの関係性。
素晴らしくないですか?(笑)




蛾が意味するもの


この蛾の背中に見える髑髏は芸術家サルバドール・ダリの女体で作られた髑髏なのはご存知でしたか?



フランスの写真家フィリップ・ハルスマンによる1951年の作品「In Voluptas Mors」より


女体で作られた髑髏は被害者の死体を示唆するもの。
ポスターデザインの口元にある蛾はバッファロー・ビルが飼っていたメンガタスズメという蛾の成虫で、この蛾はDeath's-head Hawkmothと呼ばれ、現れると不幸を呼ぶとされるもの。

バッファロー・ビル事件でも死体の口にこの蛾のサナギが押し込められていたことが重要な手掛かりとなっていましたが、ポスターの意味する蛾は性同一性障害であるバッファロー・ビルが被害者の皮を剥いで着飾ること、変身を隠喩し、口元へ配置することで沈黙を表しています。

素晴らしく芸術性の高いポスターデザイン。
秀逸すぎる!



インスパイアされた作品

犯罪心理捜査官 [DVD]

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マイケル・コーン監督が『羊たちの沈黙』にインスパイアされた作品。
羊たちの沈黙のようなサイコサスペンスが好きな方にはオススメの映画です。
劣化版なところは否めませんが、個人的には好きな映画です。
羊たちの沈黙』と見比べてみてもなかなか面白いと思います。

こちらのポスターデザインの蛾は『羊たちの沈黙』で使用されたメンガタスズメではなく、恐らくはオオクジャクサンという種類の蛾だと思われます。

オオクジャクサンは芸術家ヴィンセント・ヴァン・ゴッホが弟のテオに宛てた手紙の中で描かれた「死人の頭 (la tête de mort)」という蛾の素描で有名です。
古くからこの蛾は死と結びつけられており、古代エジプトの棺の中には、この蛾とおぼしき蛾がそのふたの上に描かれたものがあると言います。
このポスターデザインも言うまでもなく『羊たちの沈黙』のオマージュであり、蛾は死を齎す不幸の象徴として表現されています。



伝わりますか?

ここまでつらつらと『羊たちの沈黙』について語ってきましたが、伝わりましたでしょうか?
結局、素晴らしさを伝えたいと言いながら作品に対する愛情を語っただけみたいになってしまいましたが(笑)

過去にご覧になったことがある方も今一度、ご覧になってみてください。
きっと他にも気付く点は沢山あるかと思いますよ?


ここまでお付き合いくださった方、ありがとうございました。

羊たちの沈黙〈上〉 (新潮文庫)

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羊たちの沈黙〈下〉 (新潮文庫)

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映画を好きになったキッカケの作品はありますか?

目次

 

 

 

  • 御挨拶

はじめまして、レクと申します。

この度は、当ブログにお越しいただき、誠にありがとうございます。


初めての投稿ということで、色々不慣れな点もあるかと思いますが何卒よろしくお願い申し上げます。

簡単な自己紹介をさせていただきますと、京都在住で京都や大阪の映画館に出没する一般人です。

まず、ブログ立ち上げの経緯ですが「好きな映画を好きな時に好きなだけ語っちゃおう」という軽い気持ちと自分の好きな映画を自分目線で発信していけたらなあという気持ちとフィフティーフィフティーで立ち上げました。

特に深い意味はありません(笑)

 

勿論、映画の感想は随時追加していく予定ですが、それ以外にも映画に関する内容や映画についての戯言なども扱っていこうと思っております。

 

 

  • 本題

ということで、前置きが長くなりましたが本題に入っていきます。

えー、いきなり突拍子もなく自分の好きな映画の感想や考察をダラダラと書き綴っても面白くないので、自分の好みを少しでも知っていただく為と映画好きをアピール(笑)する為にも

"映画を好きになったキッカケの作品"

についてお話したいと思います。

 

当ブログタイトル【小羊の悲鳴は止まない】トマス・ハリス原作、故ジョナサン・デミ監督作品『羊たちの沈黙』でアンソニー・ホプキンス演じるハンニバル・レクタージョディ・フォスター演じるクラリススターリングに語る「小羊は鳴き止んだかね?」という台詞が由縁です。

戯言を零し続けるって意味もあるんですが(笑)

レクター博士クラリスを結びつけるクラリスの過去のトラウマ、バッファロー・ビル事件とクラリスの今後のFBI人生。

全てがタイトルの羊に準えて喩えられています。

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そうなんです。

お察しの通り、自分が映画を好きになったキッカケの作品の一つが羊たちの沈黙なんです。

内容については追々記事にすると思いますが、この作品が自分に与えた影響力は大きい。

と言っても、映画自体は少年時代から観ていました。

当然、素晴らしい映画の数々にも出会ってきましたが、本格的にハマった映画はこの『羊たちの沈黙』でした。

 

ハンニバル・レクター
頭脳明晰な天才人喰い精神科医
彼の凄いところはその猟奇的な殺害方法でもカニバル精神でもない。
心の中を見透かされたような恐怖と底知れぬ狂気だと思います。

 

そんなレクター博士を演じたアンソニー・ホプキンス
幅広い演技力で人を惹きつける魅力がある。
どの役をやっても固定イメージが付かないほど演じ分けるところが凄い。
そんな彼の名言。
「演技というものは絵空事であって、その要素はすべてシナリオの中にある」
とことん役を追求することで有名なロバート・デニーロとは対極の彼らしさを感じますね。

 

そしてクラリスを演じたジョディ・フォスター
子役から活躍し、フランス語も話せ、端正な顔立ちとえらの絶妙なバランスが素敵。
知力、演技力共に類い稀なる才能。
同じ役は二度とやらないという拘りと同性愛者をカミングアウトする度胸、自分の芯をしっかりと持った方です。

 

 

f:id:tsotl_7:20170903054728j:image

 映画「羊たちの沈黙」より

 

忘れもしないあの日…初めて観た時の余韻は今でも鮮明で。
狂気を含んだ圧倒的な威圧感や不安を煽る演出、レクター博士の魅力は勿論のこと、クラリスの可愛さもまたこの作品の魅力を活かすことに一役買っています。

 

配役、脚本、演出、どれをとっても素晴らしい。

しかし、単にその作品の出来や内容だけではなく、観た時の環境や心情、様々な要因が合わさって好きが形成されると自分は思っています

羊たちの沈黙』は自分とってそれだけ思い入れのある作品であり、今でも大好きな作品の一つなんです。

 

 

  • 実は私、

今でこそホラー映画は大が付くほどに好物なのですが、高校生くらいまではホラーが苦手でした。

勝手な偏見からそのジャンルを避けていたこともありました。

所謂食わず嫌い。

そんな時、怖いもの見たさで観た作品がこちら。

エクソシスト ディレクターズカット版 & オリジナル劇場版(2枚組) [Blu-ray]エクソシスト ディレクターズカット版 & オリジナル劇場版(2枚組) [Blu-ray]

 

70年代を代表するホラーの金字塔ですね。

当時としては斬新な特殊メイクとワイヤーなどを使用したギミック。

ブリッジして階段を降りてくる姿は衝撃的でした。

f:id:tsotl_7:20170902223716j:image

当時はよく真似をしようとしたものです(笑)

 ε=ε=ε=ε=┏(┏ 。A。)┓

 

 

Cult Classics Series 7 The Exorcist

Cult Classics Series 7 The Exorcist "Regan (Spider - Walk)"

 

 

 これ高すぎぃ!!!

 

 

リーガンに取り憑いた悪魔パズズ - Wikipediaが下品のなんの。

ある程度耐性が出来てしまうと、ホラー映画特有の過剰演出が楽しくなってくるんですけどね(笑)

 

 

  • 終わりに

何をキッカケにどう転ぶかはわかりませんが、

自分にとって大切な 作品というものはいつまでも色褪せずに思い出として残っているものなんですよね。

 

ということで、自分が映画を好きになったキッカケでした。 

皆さんは映画を好きになったキッカケの作品はありますか?

 

ここまで読んでくださった方、ありがとうございました。