小羊の悲鳴は止まない

好きな映画を好きな時に好きなように語りたい。

Xmasは映画を観よう!

目次




初めに

こんにちは、レクと申します。

今回はいつもの映画評、考察ではなく久しぶりに作品紹介させていただこうかなって思ってます。
12月に入り、街の明かりも灯り始めてきましたね。
そう、12月で最もメジャーなイベントであるクリスマスまであと一週間です!

クリスマス(英: Christmas)
イエス・キリストの降誕(誕生)を祝う祭である(降誕を記念する日)。毎年12月25日に祝われるが、正教会のうちユリウス暦を使用するものは、グレゴリオ暦の1月7日に該当する日にクリスマスを祝う。ただし、キリスト教で最も重要な祭と位置づけられるのはクリスマスではなく、復活祭である。
Wikipediaより引用

恋人同士でイチャイチャする日ではないんですよ!
キリストを祝えぃ!!!


と、本音が溢れてしまいましたが、
さてさて、皆さんクリスマスのご予定はございますか?
ご家族揃ってゆっくりと映画を観ませんか?
独り身の方は家でゆっくり映画でも観ませんか?(笑)

独りで過ごすクリスマスも映画があれば寂しくない!


ということで、早速ご紹介していきますね。



Xmas映画5選

Xmas映画といえば皆さんはどの作品を思い浮かべますか?

挙げたらキリがないんですが
ダイ・ハード
グレムリン
ホーム・アローン
シザーハンズ
ナイトメアー・ビフォア・クリスマス
など、所謂ド定番な作品は避けたいと思います。

あくまで「当管理人であるレクがXmasに観たくなるオススメ映画ってこんなんなんだー」程度に受け止めてくださると幸いです(笑)






1、「キャロル」

トップバッターを飾るのは映画「キャロル」です。


(C)NUMBER 9 FILMS (CAROL) LIMITED / CHANNEL FOUR TELEVISION CORPORATION 2014 ALL RIGHTS RESERVED.

作品解説

ブルージャスミン」のケイト・ブランシェットと「ドラゴン・タトゥーの女」のルーニー・マーラが共演し、1950年代ニューヨークを舞台に女同士の美しい恋を描いた恋愛ドラマ。「太陽がいっぱい」などで知られるアメリカの女性作家パトリシア・ハイスミスが52年に発表したベストセラー小説「ザ・プライス・オブ・ソルト」を、「エデンより彼方に」のトッド・ヘインズ監督が映画化した。52年、冬。ジャーナリストを夢見てマンハッタンにやって来たテレーズは、クリスマスシーズンのデパートで玩具販売員のアルバイトをしていた。彼女にはリチャードという恋人がいたが、なかなか結婚に踏み切れずにいる。ある日テレーズは、デパートに娘へのプレゼントを探しに来たエレガントでミステリアスな女性キャロルにひと目で心を奪われてしまう。それ以来、2人は会うようになり、テレーズはキャロルが夫と離婚訴訟中であることを知る。生まれて初めて本当の恋をしていると実感するテレーズは、キャロルから車での小旅行に誘われ、ともに旅立つが……。テレーズ役のマーラが第68回カンヌ国際映画祭女優賞を受賞した。
キャロル : 作品情報 - 映画.comより引用

予告編


心を満たすものは何か?
自分らしく生きることがテーマでもあるが、自分は何方かと言えば愛情によって揺るがされる心模様がテーマのように感じました。

映し出される映像は繊細で、その映像の些細な演出の中に垣間見える彼女たちの憂いや戸惑い、歓びや哀しみの感情を添えてくれる。
カメラワークと彼女らの演技、作中の音楽も相俟って冬の美しい景色とこの世界観の素晴らしさを肌で感じます。
そして普遍的なラブストーリーを50年代に不道徳とされた同性愛という視点から描き出し、愛の形と人生の歩み方を芸術的且つ甘美に演出しています。





2、「クランプス 魔物の儀式」

愛くるしいキャラクターが魅力のファンタジーホラーを。


(C)2015 Universal Studios. All Rights Reserved.

作品解説

ヨーロッパ中部で語り継がれる伝説の魔物「クランプス」をモチーフに描いたサスペンスホラー。クリスマスイブの夜。両親や姉と一緒に暮らす少年マックスの家に、母の妹一家がやって来た。サンタへの手紙を意地悪な従兄弟に取りあげられて皆の前で読まれてしまったマックスは、怒ってその手紙を破り捨ててしまう。翌朝、豪雪で家に閉じ込められた彼らは、どこからか不審な物音が聞こえてくることに気づく。外の様子を確かめに行ったマックスの姉が戻らなくなり、さらに従兄弟も突然姿を消すなど不可解な出来事が相次ぐ中、祖母オミが衝撃的な真実を語りはじめる。「ジャングル・ブック」「ロード・オブ・ザ・リング」シリーズのWETAデジタルがVFXを手がけ、恐ろしいクリーチャーたちをリアルに表現。「シェフ 三ツ星フードトラック始めました」の子役エムジェイ・アンソニーが主人公マックスを演じ、「LIFE!」のアダム・スコット、「シックス・センス」のトニ・コレットらが脇を固める。監督・脚本は「X-MEN2」「スーパーマン リターンズ」の脚本を手がけたマイケル・ドハティ。
クランプス 魔物の儀式 : 作品情報 - 映画.comより引用

予告編


ヨーロッパ中部で語り継がれる伝説の魔物"クランプス"をモチーフに描いたダークファンタジーホラー。
ホラー色よりもファンタジー色の方が強く、クリスマスシーズンにまた観たくなるようなそんな作品。

元々、"クランプス"は夢魔に似た生物とされ、その語源は鉤爪を意味する単語"Krampen"だそうです。
キャッチコピーにもあるように、日本の風習で言うところの"なまはげ"のようなもので、悪い子を正す役割を担っています。
クリスマスにサンタクロースを信じない悪い子には是非クランプスを(笑)





3、「イースタン・プロミス

少し変わり種なサスペンスもの(笑)


(C)2007 Focus Features LLC. All Rights Reserved.

作品解説

ヒストリー・オブ・バイオレンス」のビゴ・モーテンセンデビッド・クローネンバーグ監督が、ロンドンを根城に暗躍するロシアンマフィアの犯罪を描いたサスペンスドラマ。病院で助産婦をしているアンナ(ワッツ)は、駆け込み出産をして死んでしまった少女が持っていたロシア語の日記を手がかりに少女の身元を探し始める。だが、彼女が辿り着いたのはロシアンマフィアによる人身売買、売春の実態だった……。共演にナオミ・ワッツ、バンサン・カッセル、アーミン・ミューラー=スタール
イースタン・プロミス : 作品情報 - 映画.comより引用

予告編


東欧組織による人身売買とロンドンを起点とした裏社会を巡る闇。
哀れな少女の希望と絶望、突きつけられる悲惨な現実。
痛みを感じるからこそ生きている実感を得る。
正直、クローネンバーグらしい血なまぐさい描写は Xmasに相応しいかと聞かれたらノーです(笑)

では何故、Xmas映画なのか?
この作品はキリスト教を象徴するものが多々
登場します。
クリスマスに生まれた少女クリスティーナを守るのは主人公ニコライと助産師アンナ。
ニコライはサンタクロースのモデルとも言われる聖ニコラウスを。
アンナは聖母マリアの母、聖アンナを表しています。
また、赤子殺しも幼児虐殺(新約聖書の『マタイによる福音書』2章16節~18節)を連想させます。
ダークなクリスマスを過ごしたいあなたにオススメです(笑)





4、「サンタクロースになった少年」

最もクリスマスらしい家族向け作品。


©2000-2014 ONLY HEARTS CO.LTD. ALL RIGHTS RESERVED .

作品解説

サンタクロース誕生秘話を描いたフィンランド製ハートウォーミングドラマ。ラップランドの小さな寒村。幼い少年ニコラスは、事故で両親や妹を亡くしてしまう。身寄りのないニコラスを助けるため、村の人々は1年ごとに交代で彼の面倒をみることに。ニコラスは毎年クリスマスに新しい家族のもとへ移り、イブの晩、それまで世話になった家の子どもたちに手作りのおもちゃを贈るのが習慣となる。しかしある年、村を飢饉が襲い、ニコラスは頑固者の家具職人イサッキのもとに引き取られる。その後もニコラスは厳しい修行の合間に玩具をつくり、村の子どもたちにクリスマスプレゼントを贈り続ける。
サンタクロースになった少年 : 作品情報 - 映画.comより引用

予告編


これぞXmasという作品。
凍てつく寒さの白銀世界で物悲しくも心温まる優しい物語。

御伽噺のようではありますが、ファンタジー色はほとんど無くヒューマンドラマとして描かれるサンタクロースの誕生秘話(笑)
サンタクロースの謎に迫るドキュメンタリー映画として観るのも一興。
恐らく観る年代でこの映画の感じる部分は異なると思います。

誰かが幸せを感じる時、それは誰かが与えてくれたもの
もし無償の愛が存在するとするならば、それはきっと誰しもが心に抱く感情の一つなのかもしれません。





5、「スモーク」

最後を飾るのはこちら。
先日、劇場で観たばかりなのですが、最もオススメしたい作品です。


(C)1995 Miramax/N.D.F./Euro Space

作品概要

ニューヨーク、ブルックリンの小さな煙草屋を舞台に繰り広げられる人間模様を、それぞれの真実と嘘、現在と過去を交錯させながら描いた群像ドラマ。現代アメリカを代表する作家ポール・オースターの短編「オーギー・レンのクリスマス・ストーリー」を原作にオースター自らが脚本を手がけ、「ジョイ・ラック・クラブ」のウェイン・ワン監督がメガホンをとった。ブルックリンの片隅で煙草屋を営むオーギーは10年以上にわたり、毎日同じ場所で同じ時刻に写真を撮影している。煙草屋の常連客である作家ポールは、数年前に妻を亡くして以来、スランプに陥っていた。ある日、ポールは路上で車にひかれそうになったところをラシードという少年に助けられ、彼を2晩ほど自宅に泊めてあげることに。その数日後、ポールの前にラシードの叔母だという女性が現われ……。店主オーギー役を「レザボア・ドッグス」のハーベイ・カイテル、常連客ポール役を「蜘蛛女のキス」のウィリアム・ハートがそれぞれ好演。第45回ベルリン国際映画祭銀熊賞(審査員特別賞)を受賞し、日本でもロングランヒットを記録した。2016年12月、デジタルリマスター版でリバイバル公開。
スモーク : 作品情報 - 映画.comより引用

予告編


作家ポール・オースターの短編「オーギー・レンのクリスマス・ストーリー」を基に作られた傑作。

日常は煙のように気に止めなければ一瞬で過ぎ去り、消えてしまうもの。
よく見ればひとつひとつ形状が異なるように、同じ日常にみえても毎日は違った1日である。
また、タバコは癒しのひと時に成りうる有害なもの。
同じように嘘というのは時に人を傷つける一方で、人を助ける優しい嘘もあると思います。

会話こそ最も身近に存在するドラマであり、登場人物たちの語る物語はどれも心を掴んで離さない。
しかし心を掴まれる物語は観る人によって異なるはず。
観れば観るほど、味わい深い作品です。




終わりに

趣味の合う方はお友達になれそうです(笑)

恐らく、自分はクリスマスは仕事でしょうが、帰宅したら独り寂しくこの作品のいずれかを観ようと思っております。

最後までお読みいただいた方、ありがとうございました。


関連作品

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オチを知っていても楽しめるのか?(「オリエント急行殺人事件」ネタバレ考察)

目次



初めに

どうも、レクと申します。

今回は映画「オリエント急行殺人事件」を交えながら、色々と語っていこうかと思っております。

ネタバレ含みますので、未鑑賞の方はご注意ください。



作品概要


原題:Murder on the Orient Express
製作年:2017年
製作国:アメリカ
配給:20世紀フォックス映画
上映時間:114分


解説

1974年にも映画化されたアガサ・クリスティの名作ミステリーをケネス・ブラナーの製作・監督・主演、ジョニー・デップ、ミシェル・ファイファーら豪華キャストの共演で新たに映画化。トルコ発フランス行きの寝台列車オリエント急行で、富豪ラチェットが刺殺された。教授、執事、伯爵、伯爵夫人、秘書、家庭教師、宣教師、未亡人、セールスマン、メイド、医者、公爵夫人という目的地以外は共通点のない乗客たちと車掌をあわせた13人が、殺人事件の容疑者となってしまう。そして、この列車に乗り合わせていた世界一の探偵エルキュール・ポアロは、列車内という動く密室で起こった事件の解決に挑む。主人公の名探偵ポアロ役をブラナー、事件の被害者ラチェット役をデップ、未亡人役をファイファーが演じるほか、教授役にウィレム・デフォー、家庭教師役にデイジー・リドリー、公爵夫人役にジュディ・デンチ、宣教師役にペネロペ・クルスが配されている。
オリエント急行殺人事件 : 作品情報 - 映画.comより引用


予告編



リメイクの意義

これはあくまで個人的な意見です。

リメイクやリブートなど、新たに作られる作品が多々あります。
よく勘違いされるのがリメイクとリブート。
まずはリメイクとリブートの違いについて。


リメイク
元となる作品の設定を一から作り直す。その他には作品によっても異なるが、基本的なリメイク作品は元となった作品と似たように作られる。元となる作品の設定を一から作り直すという点はリブート・リ・イマジネーションとも似ている。
映画の場合「リメイク」とは、以前に作られた映画を元に作られた作品であり、原作が同じである、あるいは多少参照したといった作品は指さない。全作品のリメイク権を取っているものや、原案としてリメイク元の作品が挙げられているものはリメイク映画と言える。

リブート
再起動。フィクション作品において、シリーズにおける連続性を捨て、新たに一から仕切り直すことを意味する。
リメイクとリブートは設定を一から作り直した作品という点は似ているが、リメイクは作品によって多少異なるものの基本的に元の作品と大体同じような展開・結末となるのが原則であり、元の作品の制約を受けずに独自のストーリーを構築できるリブート作品とはそこが違う。


つまり、リメイクに求められるものとは
目新しさ、思い切った改変などを目的に新しい作品の一つとして作られること。
ではなく、最も重要なことはオリジナル、リメイク共に賑わうことにあるんじゃないでしょうか?

リメイクされることにより、再び古い作品が話題となる。
オリジナルを知らない世代に楽しまれ、そしてオリジナルに興味を持ってもらえる。
オリジナルを知っている世代の方はリメイクされたことにより、新鮮な気持ちでリメイクを心待ちにする。

古参も新参もその両方が楽しめるのがベストだと思っています。



善と悪

さてさて、本題に入る前に少しばかりリメイク作品「オリエント急行殺人事件」について語っていこうと思います。


本作品における最大のテーマは善と悪

オリエント急行に乗る前にポアロは
人は善と悪の二種類しかいないと語りました。
オリエント急行殺人事件はポアロにとっても人生観、価値観を変えた大きな事件の一つなんですよね。


気になったのはシンメトリーを気にするような一面を持つポアロ。

当の本人はネクタイ歪んでるよおおおお!!!

タマゴの高さを気にしたり、両足でうんこ踏むくらいなのにこれじゃダメ!



はい、どうしても言いたかっただけです。

結末は乗客全員が犯人。
死んだはずの人間が実は生きてて真犯人だったの真逆パターン(笑)

ポアロはこうも語っていました。
人を殺めることはいかなる場合も許されない。と。
しかし、結果としてポアロは彼らに罪を問うことは出来ませんでした。


なぜならポアロはラチェットの
顔が嫌い
だったからです。


というのは冗談で、彼らの心情を汲んだのでした。
めでたし、めでたし。

って全然めでたくない!

殺人を許さない絶対正義の信念を信じて止まないポアロ自身の持つ正義の価値観を揺るがすこの事件は、よりポアロの人物像を浮き彫りにします。

ポアロの正義感を覆す殺人事件。
この辺りをもう少し掘り下げるとより良かったようにも思えます。



今回、最も興味深かったのはある事件への関与。
そう、アームストロング誘拐事件です。

この誘拐事件の基になった事件をご存知でしょうか?


誘拐された子供についての情報を求めるポスター

リンドバーグ愛児誘拐事件
1932年にアメリカ合衆国で起こった誘拐殺人事件。捜査によって犯人が特定されたものの冤罪説もある。
この事件をきっかけに、複数州にまたがる誘拐犯行は連邦犯罪であり、自治体警察ではなく連邦捜査局管轄と定める「リンドバーグ法」が成立した。



「オリエント急行殺人事件」の誘拐事件は本事件を参考にしているとされています。

今回、ポアロはアームストロング家より依頼されていたという設定になっています。
また加害者たちはアームストロング家と様々な形で関わり、共犯として殺人を実行しました。

つまり、このさり気ない関係性が、いやこの関係性こそが加害者たちとポアロを繋ぐ重要な部分となっているわけです。
善と悪、罪と罰、ポアロの中で罪悪感というものが少なからずあったのでしょう。

この部分があるからこそ、決して無関係ではないポアロが彼らの殺人を許してしまった理由により一層深みを出したと思うのです。
簡単に言えば神の赦しを乞うってことです。

ポアロの推理は何もかも見通す神の眼のような存在として映し出されると同時に、ポアロはこの事件の真相を神に裁きを委ねるという矛盾した対比が生まれる。
そこにポアロ自身の苦悩と葛藤を表しているのでしょう。



本題

それでは本題に入っていきます。
オチを知っていても楽しめるのか?

映画とは娯楽です。
人生の限られた時間を費やし、真っ暗な部屋に好んで約2時間軟禁される。

楽しまなきゃ損じゃないのか?


自分は基本的に、どんな映画でも楽しもうとするスタンスで映画を観ます。
一般的にクソ映画だと批判されていたとしても、敢えてその映画に飛びつき、そしてダメだったなーとか言いつつも楽しんでます。


本作品「オリエント急行殺人事件」は皆さんがご存知の通り、1974年に公開された作品のリメイクです。
豪華キャストなのはオリジナルもリメイクも変わりありません。

本作品において、オチにばかり目が行きがちですが、原作アガサ・クリスティの描くポアロ像の特徴でもある作中の会話劇も魅力のひとつです。

勿論、ミステリーという分類において、オチは重要な要素であることに違いはないのですが。


それではここで、オチが分かってしまう。
もしくは知っている状態である今作をどう楽しむのか?

ここに焦点を当てて考えてみましょう。



鑑賞前に考えたこと。
オチを知らない体で、周りのオリジナルを観ていない方と一緒に驚いてみせる。

そう、これは鍛え抜かれていない自分自身の演技力が試される高度な映画鑑賞方法ではないのか?

なんて馬鹿なことにも挑戦してみました。



結果。

あえなく撃沈。

なんというか、周りの反応が薄い薄い。
この人達…オリジナルを観ているな?(笑)





というわけで、内容でどう楽しむかに焦点をズラして考えていきます(笑)


・オチが途中で分かってしまう

どんでん返しなどの謳い文句で展開されるミステリーやサスペンスで割とあると思うんですよね、途中でオチに気付いてしまうこと。

オチが弱い。ミステリー要素が薄い。
そんな時、残念な気持ちになることもあるかと思います。
でもそれまでの過程を楽しめませんか?

例えば犯人の使ったトリック。
登場人物の人となりの描写。
容疑者の証言と犯人を特定するヒント。
そして、推理ショー。

オチが全てではないと自分は思っているので、どんでん返しだと言われた方が逆に純粋に観れない気がするんですよ。


好きなサスペンス映画の中に「アイデンティティー」という作品があります。

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この作品の凄いところは作中でオチのネタばらしをしちゃうんですよね。
それでも鑑賞者側が納得してしまう。
それほど脚本がしっかりと作られているんです。

そう、オチが分かっても面白い作品は面白いんです(笑)

当たり前のことしか言ってない。




・オチを知っている

では、オチを知っている場合はどう楽しめばいいのか?
まずキャストで楽しむ(笑)

キャスト
ケネス・ブラナー…エルキュール・ポアロ
ジョニー・デップ…エドワード・ラチェット
ミシェル・ファイファー…キャロライン・ハバード
ジュディ・デンチ…ドラゴミロフ公爵夫人
ペネロペ・クルス…ピラール・エストラバドス
デイジー・リドリー…メアリ・デブナム
ウィレム・デフォー…ゲアハルト・ハードマン
ジョシュ・ギャッド…ヘクター・マックィーン
デレク・ジャコビ…エドワード・マスターマン
レスリー・オドム・Jr.…ドクター・アーバスノット
マーワン・ケンザリ…ピエール・ミシェル
オリビア・コールマン…ヒルデガルデ・シュミット
ルーシー・ボーイントン…エレナ・アンドレニ伯爵夫人
マヌエル・ガルシア=ルルフォ…マルケス
セルゲイ・ポルーニン…ルドルフ・アンドレニ伯爵
トム・ベイトマン…ブーク

キャスト目当てで観ても楽しめるくらいの豪華さ。
そんな豪華なキャストの表情一つ一つ、演技力は言うまでもない。
そこを楽しむのも楽しみ方の一つだと思います。



次に映像とセットの素晴らしさ。
このご時世、CG技術の発達で金をかければ何でも作れてしまう訳ですが、そうは言っても映像美を見せられるだけでもその世界観に浸れるというのも否定はしません。
今作では小道具に至るまで拘りがあり、こういった細部まで気にすることで見えてくるヒントみたいなものが映像に散りばめられています。



またカメラワーク一つ一つにしても、ただ登場人物を映し出すのではない。
映し方一つで登場人物の心理状態や人物同士の関係性、その場の状況に至るまで語られることがあります。

例えば、自分が感じた部分では
ワンカットで映し出す登場人物それぞれの表情にはその場をリアルタイムに描き、緊迫感や緊張感がひしひしと伝わってくる。

頭上からの視点では普段見ることのない視点ということでその場を俯瞰的に見ることが出来る。
これはまるで天から下界を見ている神の視点のようで、ここもテーマと繋がってきますね。
また上から見ることで列車内の構造を瞬時に把握することが出来る。

ラストの最後の晩餐と言われる映像もポアロ自身の神学的思想の部分、そして事件の終焉を示唆させる。などなど。
挙げれば他にもまだまだありそうですが、こんな感じです。



そして、最後は会話劇。
そうです。先程も申し上げましたが、原作アガサ・クリスティの描くポアロ像が魅力のひとつです。
それはポアロ自身の推理ショーも同様。

ミステリー作品の中でも、犯人を謎として解き明かしていく形と、犯人が予め分かっていて推理する形の2パターンありますよね?
その後者は例えば「刑事コロンボ」シリーズや「古畑任三郎」シリーズのようなスタイルです。
こちらは主に犯人の謎解きがメインではなく、探偵や刑事の謎を解く推理ショーがメインなんです。

ちなみに、「古畑任三郎」シリーズの三谷幸喜氏も野村萬斎さん主演でオリエント急行殺人事件を作られています。


本作品「オリエント急行殺人事件」は当然前者です。
しかし、オチを知っている状態では後者にしかなり得ないんです。
つまりは犯人も犯行に至った経緯も知った上で今作を鑑賞しています。

恐らくオリジナルを初めて観た時は謎解き(犯人は誰なのか?)に夢中で翻弄され、その全容は掴めずなかなか意識できませんでした。

また、登場人物の多さもネックで、初見では全てを一気に把握することは難しいと思います。
容疑者12人もいるわけですから(笑)

今回、ポアロを演じたケネス・ブラナーのおかしな顔。
表情と演技。
ポアロの人となり。
そして、推理ショー。
答えを知っていたからこそ、見えてきた景色。
リメイクと言えど初見で推理の過程全てを堪能することが出来たんです。



終わりに

ということで、結論。
オチを知っていてもそれなりに楽しめました(笑)
オリジナルとの間に越えられない壁があるのは仕方ないことで、この手の作品、特にリメイクに求めるのは酷というもの。

しかし、何度観ても楽しめるものは素晴らしいと思います。
何度か観ることによって新たに見えてくる部分は必ずあります。

楽しめたのは勿論、この作品「オリエント急行殺人事件」の持つ作品力であると共に
利己的ではありますが、その楽しみ方を模索した自分への恩恵でもあるのではないかと思っております。


楽しもうと思えば、どんな作品でもとことん楽しめるんですよ。

多分(笑)



次はエジプトで事件が待ってますね!
リメイクが決定している「ナイル殺人事件」も楽しみです。

ここまでお読みくださった方、ありがとうございました。


関連作品

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(C)2017Twentieth Century Fox Film Corporation

等価交換で得られたものは…(「鋼の錬金術師」ネタバレ感想)

目次




初めに

こんにちは、レクと申します。

今回は酷評の嵐で前評判から気になってた映画「鋼の錬金術師」について語らせていただきます。

この記事はネタバレを含みます。
ご注意ください。



作品概要


製作年:2017年
製作国:日本
配給:ワーナー・ブラザース映画
上映時間:133分
映倫区分:G


解説

2001~10年に「月刊少年ガンガン」で連載され、テレビアニメ版も大ヒットを記録した荒川弘の人気コミック「鋼の錬金術師」を実写映画化。物質の構成や形状を変化させて新たなものに作り変える「錬金術」が存在する世界。幼い兄弟エドワードとアルフォンスは、死んだ母を生き返らせたい一心で錬金術最大の禁忌である人体錬成を行なうが失敗し、その代償としてエドワードは身体の一部を、アルフォンスは身体全てを失い鎧に魂を定着させた姿になってしまう。数年後、国家錬金術師の資格を得たエドワードは、失った身体を取り戻すため、絶大な力を持つという「賢者の石」を探す旅に出る。主人公エドワード役を実写版「暗殺教室」シリーズにも主演した「Hey! Say! JUMP」の山田涼介が務め、ヒロインのウィンリィ役を本田翼、エドワードたちの良き理解者である若き士官マスタング役をディーン・フジオカがそれぞれ演じる。監督は「ピンポン」の曽利文彦
鋼の錬金術師 : 作品情報 - 映画.comより引用


予告編



感想

なんだこれwww



実写化する意味

畜生ォ…感想を書く意欲を持っていかれた…!


あまり批判的なことは言いたくないのですが、端的に言わせてもらって、褒められる出来ではなかったです。

ここからは鋼の錬金術師」は実写化する意味はあったのか?について少し自論を述べたいと思います。


鋼の錬金術師全27巻 完結セット (ガンガンコミックス)

鋼の錬金術師全27巻 完結セット (ガンガンコミックス)

原作コミックスは全27巻。


鋼の錬金術師」の実写化である今作の終着点は色欲のホムンクルスであるラストとの決着です。


確かに、ヒューズの死は原作においても衝撃的な場面であり、私自身も涙しました。
が、あくまでも物語の一端であり、原作「鋼の錬金術師」の壮大な物語を映画という2時間の枠で収めることはほぼ不可能に近い。
そんな中でこの終着点の選択は正直、失敗だと思います。



そもそも一つの作品として完成している漫画やアニメを実写化する意味はあるのか?

実写化する一つの理由は、原作未読の方にも認知してもらう。
つまり、再度話題になるということが最も大きな目的だと思ってます。
また、原作ファンを映画館に取り込むという目的も同時にあると思います。

そして、映画化やリメイク、リブートされたものは原作やオリジナルとは別物として一つの作品として観たいんですよね。
勿論、それらの比較対象にはしますが、あくまでも一つの作品なんですから。



今回の実写化は果たしてその役割を担う出来だったのか。

確かに等価交換、0巻錬成の為の映画でした。
そういう意味で、映画館に取り込むという点で成功と言えるでしょう。
また、低評価ではありますが話題になっていることも成功と言えますね。

あとは原作未読の方が『原作は面白い』という評判で原作をお読みくださることを願うばかりです(笑)




今回の実写化において、個人的に評価できる点は映像(VFX)のみ。

静止画である漫画では表現に限界のある錬成が上手く表現されていたこと。


弟アルへの拘りも映像でしっかりと語られたように思います。

あとは色欲の松雪泰子さんの妖艶さ、おっぱい。


ストーリーに関しては、ある程度終着点を決めているので流れは理解できる。

ただ、これはあくまでも原作を知っているから言えることであり、原作を知らなければ何故そうなったのか分からない展開もあったと思います。
今作は原作の一端を切り取った内容となっている為に、ごく平凡なストーリーと成り下がったと言えます。

テンポが悪い。演技、編集が下手くそなのは置いておいて…。


もう一度言います。
鋼の錬金術師」は原作コミックス全27巻で一つのストーリー
なんです!


映像に力を入れた分、物語を映画として一つの作品で完成させていないので、そのストーリーに薄っぺらささえ感じてしまうんですよね…。
要は全部が中途半端な出来になってしまっているんです。
これでは実写化しなくてもよかったのでは?とさえ思ってしまうんですよ。



結論。

実写化に意味のないことはない。と仰られる方もおられるのかもしれません。
現に映画「鋼の錬金術師」をご覧になって「鋼の錬金術師」のファンになる方もおられるかもしれませんし。

ただ、自分は実写化した意味はあったが、実写化する必要はなかったと思います。

※これはあくまでも個人的な意見です。



それに加えて、皆さんがツッコミを入れている
日本人が演じちゃダメだろ問題

鋼の錬金術師」の原作者である荒川弘先生の作品「銀の匙」も実写化されていますが、こちらは日本ベースであり実写化もしやすい題材です。

この点に関しても、日本で実写化するに相応しい題材でないことは明白であり、実写化する必要はなかったのではないか?という結論に結びついてしまうんですよ。


たとえ曽利監督が本当に原作ファンだったとしても、その作品愛が膨らみすぎてマイナス方向へ向かっちゃったのかなー、と書きながら今になって考えるようになりました。

実写化映画の悪いところを詰め込んだ様な映画ですね(笑)



終わりに

この映画で得られた等価交換は0巻と排泄欲でした。


慌てて映画館に来たこともあってずっと鑑賞中、トイレに行きたかったんですよ。

上映中に中抜けはしないポリシーなので耐えましたけど。

そういう意味で苦痛な2時間でした(苦笑)


とは言え、個人的には楽しめはしましたよ。
原作が好きなだけに残念な出来ではありましたが、冒頭でも記載した通りVFXによる錬成に関しての映像で見せる躍動感とアルの出来が目立っていたのかなあと。

もう一度書いておきますが、映画を観て面白かったと感じた方も、つまらないと感じた方も、原作を読んでみたいと思ってくださることを願うばかりです(笑)


劇場版「鋼の錬金術師」二作も置いておきます。
この二作なら「シャンバラを征く者」がオススメ。


最後までお読みくださった方、ありがとうございました。



(C)2017 荒川弘SQUARE ENIX (C)2017 映画「鋼の錬金術師」製作委員会

ナビエ・ストークス方程式と愛(「ギフテッド」ネタバレ考察)

目次


初めに

おはようございます、レクと申します。
私情により久しぶりの更新になってしまいましたが、今回は映画「ギフテッド」について語っていきたいと思っています。

最後までお付き合いくだされば幸いです。

また、ネタバレを含みます
未鑑賞の方はご注意ください。



作品概要


原題:Gifted
製作年:2017年
製作国:アメリカ
配給:20世紀フォックス映画
上映時間:101分
映倫区分:G


解説

・アメリカ」「アベンジャーズ」シリーズのクリス・エバンスが幼い姪に愛情を注ぐ独身男を演じ、「(500)日のサマー」「アメイジングスパイダーマン」のマーク・ウェブ監督がメガホンをとったファミリードラマ。生まれて間もなく母親を亡くした7歳のメアリーは、独身の叔父フランクとフロリダの小さな町でささやかながら幸せな毎日を送っていた。しかし、メアリーに天才的な特別な才能が明らかになることで、静かな日々が揺らぎ始める。メアリーの特別扱いを頑なに拒むフランクのもとに、フランクの母エブリンが現れ、孫のメアリーに英才教育を施すため2人を引き離そうと画策する。母の画策に抵抗を続けるフランクには、亡き姉から託されたある秘密があった。
gifted ギフテッド : 作品情報 - 映画.comより引用


予告編



総評

子供の才能を伸ばすことが本当にその子の人生における幸せなのか?
親権争いは所詮大人のエゴであり、子供の意見は尊重されない。
そこに親子ではなくても親子のように愛情を築き上げた二人の物語を被せることで深みあるものへ昇華している。
幸せを願わずにはいられない傑作。



この映画で凄く印象的なのがメアリーとフランクの関係と対比するようにイブリンや里親の存在があるということ。

ピアノが最もそれを象徴するアイテムですね。
フランクにはお金がありません。
勿論、メアリーにピアノを買ってあげることも出来ません。
そんなやり取りの描写と対比するようにイブリンの家や里親の家でピアノが映し出されるんです。
映画の中の演出の一つとしてサラっと見せて気づかせることが素晴らしいと思いましたね。



また愛猫フレッドも重要な役割を担っています。
ゴミ箱から拾われた片目の猫。
片目のことを隻眼や独眼と言ったりしますよね?
隻眼は社会的に見れば身体障害ですが、日本の障害者認定制度では片目失明というだけでは視覚障害者認定はされません。
北欧神話の神オーディンが隻眼なのは、知恵を得るために片目をミーミルの泉に捧げたから、という面白い話もあります。

母親が亡くなり、父親に育児放棄されたメアリーは社会的に見れば弱者です。
しかし、そのおかげでフランクとの生活を得られ、最終的には数学を学びつつ同年代の友達も作ることが出来た。

メアリーが学校でフレッドを自慢していたシーンがありましたが、このフレッドはメアリー自身を表すものなのではないだろうか?

猫アレルギーのイブリンはフレッドを里親募集に出してしまいます。
そして再びフランクの元へと引き取られました。
これもまたメアリーがイブリンの元を離れ、フランクの元へと帰ることと同意に描かれてました。



他にも作中に散りばめられたアイテムが幾つもあるかと思います。
総評にはフランクとメアリーにのみスポットをあてて纏めてみました。

なので、ここからは違った視点から映画「ギフテッド」を見ていこうと思います。



ナビエ・ストークス方程式と愛

では、早速本題に入っていきます。

先ず"ナビエ・ストークス方程式"から説明していきますが私自身、理系ではありますが流体力学は習っておりません。
そして正直な話、説明していては何度日が暮れるか分かりません。
なので、簡単な説明になってしまうことをお許しください(笑)

ナビエ・ストークス方程式
流体の運動を記述する2階非線型偏微分方程式であり、流体力学で用いられる。アンリ・ナビエとジョージ・ガブリエル・ストークスによって導かれた。NS方程式とも略される。ニュートン力学における運動の第2法則に相当し、運動量の流れの保存則を表す。


これがナビエ・ストークス方程式である。
速度場のラグランジュ微分の第二項は対流項(移流項)と呼ばれる。対流項はベクトル解析の公式により

と変形することができる。



クロード・ルイ・マリー・アンリ・ナヴィエ
国立土木学校の機械工学の教授を務め、後にエコール・ポリテクニークの教授を務めた。1826年に材料力学の教科書を出版している。ガリレオ・ガリレイの梁の強度に関する論文の間違いを訂正している。
1822年に、粘性流体の運動方程式に関する論文をフランス科学アカデミーに提出した。1845年にジョージ・ガブリエル・ストークスが一般式を導いたのでナビエ-ストークスの式と呼ばれる。


ジョージ・ガブリエル・ストーク
アイルランドの数学者、物理学者である。 流体力学、光学、数学などの分野で重要な貢献をした。

Wikipediaより引用


粘度やポテンシャルによって答えは異なり、複雑故に解を求めることは非常に困難です。

簡単に言うなら
流しそうめんの要領で縦半分に割った配水管にパチンコ玉を転がすだけなら、パチンコ玉の質量は決まっています。
あとは押し出す力の大きさ。重力加速度、摩擦力等条件から簡単に計算できます。

では、もし流すものが水ならどうか。
固体であるパチンコ玉と違い、液体である水は流動性を持っています。
言い換えるなら、パチンコ玉は一つの固体の動きを計算すればいいだけですが、水は水素と酸素から構成される無数の分子一つ一つの動きを計算しなければならないということです。

頭が痛くなる問題ですよね?
それを数式で表すことの難しさはこれでご理解いただけるかと思います。



一方、愛とは何か?

「人間が抱く「愛」の感情は、必ずしも対象を限定しておらず、その範囲は広大である。「 - を愛する」という動詞の表現はかなり広く用いられている。
Wikipediaより引用

最もわかりやすいものがキリスト教ではないだろうか?

・ストルゲー
キリスト教では家族愛。

・エロス
キリスト教では性愛。

・フィーリア
キリスト教では隣人愛。友愛。

アガペー
キリスト教では真の愛。
新約聖書において神の本質が愛であり、特にイエス・キリストを通して愛が示されている。


キリスト教における「愛」は大まかに4つに分けられます。
しかし、これだけで愛の全てが語られるわけではありません。
「愛」というものは曖昧なもので形は一つではありません。
対象を限定せず、立場や状況によってその姿は如何様にも変化します。

注ぐ容器によって形を変える液体のように、愛は実に流体的だと思いませんか?


解を求めることが難解な「ナビエ・ストークス方程式」。
これが答えだと明確な言葉で表現出来ない「」。
ナビエ・ストークス方程式に関わった人々の様々な愛の形を映画「ギフテッド」で見せられたような気がします。

流体力学を解くためにナビエ・ストークス方程式は必要不可欠です。
でも、人の幸せに愛の方程式なんてないんですよ。

ちょっと何言ってるか分からない(笑)



タイトルに隠された愛

メアリーはフランクと愛猫フレッド。そして隣人のロバータとの暮らしを求めます。
数学への好奇心はあるが、それよりも家族として生活してきた今の環境を愛していたんです。


そんなメアリーを育てたフランク。
ダイアンの遺言を守るためなんてのは口実で、実はメアリーが可愛くて可愛くて仕方ないんですね(笑)
ロバータも同じくそうです。
自分の子どものように愛情を注いできたメアリーに対する愛は親子の愛と同等、いやそれ以上に固い絆で結ばれていたのかもしれません。


メアリー祖母であるイブリンは一見、横暴とも取れる行動で、作中でも明らかになりましたが、イブリンはダイアンにしたことと同じようなことをメアリーにもしています。
ダイアンの初恋を邪魔したように、メアリーとフランクの仲を裂こうとします。
しかし、これもまた人類の大きな進歩のための貢献であり、メアリーの才能を活かすことが彼女の幸せだと信じて止まない愛情なんですよ。

そんな辛い経験をしたダイアンはきっと自分の子どもにはこんな辛い思いはさせたくないと思ったことでしょう。
メアリーに普通の生活をしてほしいと願ったのもそこにあると思います。
特別な才能があったとしても、メアリーはメアリーとして生きて欲しかった。
これは紛れもなく母親の愛情ですね。



そして、このタイトル「ギフテッド」は間違いなくメアリーのことを指します。
彼女は7歳にして一般的な知識を超えた高度な知識を得ていましたよね。

ギフテッド
先天的に、平均よりも、顕著に高度な知的能力を持っている人のこと。または、先天的に、平均よりも、顕著に高度な知的能力を指す。
Wikipediaより引用

しかし、この作品を観終わった後に見るこのタイトルはそんな高度な知的能力を指す言葉ではないと思うんですよ。


メアリーを取り巻く周りの人たちが、それぞれの形でメアリーに愛情を与えた。
才能」ではなく「恩恵」。
ギフテッド」とはそういう意味じゃないのだろうか?
そう思えてならないのです。



終わりに

自分自身、あからさまな感動映画はあまり好みではありません。
所謂「全米が泣いた」「感動の超大作」
みたいなやつです。

それを前面に押し付けず、映像、演出の中で感動を誘うものがやはり好きですね。
自分自身、胸を張ってオススメだと言える作品です。
いや、本当に素晴らしかった。



あと、メアリーを演じた子役のマッケンナ・グレイス。
彼女はキュートで且つ演技力も表現力も高い、今後も期待できる役者さんですね!



最後までお読みくださった方、ありがとうございました。



(C)2017 Twentieth Century Fox

愛の形の多様性(「彼女がその名を知らない鳥たち」ネタバレ考察)

目次




初めに

こんばんは、レクと申します。
今回は先日観てきた映画から「彼女がその名を知らない鳥たち」について語っていこうと思います。

ネタバレを含みますので、未鑑賞の方はご注意ください。



作品概要


製作年:2017年
製作国:日本
配給:クロックワークス
上映時間:123分
映倫区分:R15+


・あらすじ

沼田まほかるの人気ミステリー小説を蒼井優阿部サダヲ主演、「凶悪」「日本で一番悪い奴ら」の白石和彌監督で映画化。下品で貧相、金も地位もない15歳上の男・陣治と暮らす十和子は、8年前に別れた黒崎のことを忘れられずにいた。陣治に激しい嫌悪の念を抱きながらも、陣治の稼ぎのみで働きもせずに毎日を送っていた十和子は、黒崎に似た面影を持つ妻子ある水島と関係を持つ。ある日、十和子は家に訪ねてきた刑事から、黒崎が行方不明であることを告げられる。「十和子が幸せならそれでいい」と、日に何度も十和子に電話をかけ、さらには彼女を尾行するなど、異様なまでの執着を見せる陣治。黒崎の失踪に陣治が関係しているのではないかとの疑いを持った十和子は、その危険が水島にまでおよぶのではとないかと戦慄する。
彼女がその名を知らない鳥たち : 作品情報 - 映画.comから引用

・予告編



騙されて騙される

原作小説はイヤミスと言われていますが、自分が受けた印象では意外な結末の純愛映画でした。
愛と憎しみは表裏一体…なんて言葉もありますが、まさにその言葉そのものなんですよね。

何より素晴らしいのが二段階落ちで騙されるこの脚本。


・一段階目

陣治(阿部サダヲさん)は十和子(蒼井優さん)のためなら何でもすると言うのが普段からの口癖のようでした。
十和子に近付いた男、水島(松坂桃李さん)への嫌がらせから、かつて十和子の恋人であった黒崎(竹野内豊さん)が消息不明になっている事への関与を疑い始めます。


それまでの陣治のあからさまに怪しいストーカーとも取れる行動や不気味な演技、発言から観客側も
陣治が黒崎を殺したんじゃないのか?と疑念や不信感を抱くはず。

そして、十和子が購入したナイフ。
水島との関係を続けたい十和子は水島が陣治に何かされる前に陣治を殺すつもりなのか?
その前にもう一度最後に水島に会っておきたいと電話をする十和子。

そして、水島が襲われるシーンから全てが明らかになる。



・二段階目

水島を背後から襲う十和子。
過去のフラッシュバックと共に十和子の記憶も蘇ります。

陣治の台詞
「あんまりなことしたら、恐ろしいことになるで」
は陣治が十和子を手に入れるために水島を殺してしまうということを示唆させながらも、真相は十和子が水島を殺してしまうという注意喚起だったわけです。

陣治は十和子が黒崎を殺して記憶を失くしたことをラッキーだと語っているように、もし殺人がバレたとしても彼自身が十和子の罪を全て被るつもりだったのでしょう。
「十和子のためなら何でもする」
この献身的な愛は陣治を投身自殺させるまでに至ります。


十和子は陣治を刺すと思わせながら、水島を刺した
そして、黒崎を殺した犯人は陣治だと思わせておきながら、真犯人は十和子だった。



その水島を刺すシーンまでの十和子が黒崎、水島に対する愛情は、そのシーンの後には黒崎、水島への憎しみに変わっているんです。


そして、そのシーンまでの陣治に対する疑念や不信感は、そのシーンの後にはいつの間にか十和子への愛情に変わっているんですから。



この騙されて騙される脚本が凄いんです。
尚且つ、十和子の黒崎、水島に対する心境の変化と、十和子の陣治に対する心境の変化との対比が素晴らしく、この心境の変化が我々観客側にも干渉する。

自分が共感度ゼロなのに心に突き刺さるものがあると感じたのはここなのかもしれない。



愛の形

キャッチフレーズである
「あなたはこれを愛と呼べるか」

このラストは、あなたの恋愛観を変える

非常に的を射た言葉ですね。
これは意外な結末の純愛映画と語りましたが、今作における最大のテーマは共感を得るラブストーリーではなく、愛の形の多様性を訴えるものだと思うんですよ。


恋愛観というものは人それぞれにあり、愛の形や愛情表現の方法は異なるはず。

しかし、人は愛を求めるためにそこに理想を思い描き、比較し選別する。
そんな自分のエゴを押し付けることなく、献身すること…言い換えるなら無償の奉仕の精神が陣治が抱く愛するという感情なのではないでしょうか。



原作著者である沼田まほかる先生。
以前にも記事を挙げました「ユリゴコロ」の著者でもあります。

こちらも愛の形の多様性を訴える作品だと思います。



タイトルの意味

では、このタイトル「彼女がその名を知らない鳥たち」とは一体どういう意味なのか?


彼女は十和子のことですね。
鳥たちとは恐らく十和子の周りの男たちのことでしょう。
その名を知らない、これは本編を見る限りでは心に気付いていないという事のように思えてなりません。

陣治は見た目は不潔で見窄らしい人間ですが、中身は純粋で綺麗な人でした。
一方で黒崎や水島はどうでしょう?
見た目は小綺麗でイケメン。しかし、中身はというと…。

このタイトルは十和子目線から見た男たちのことを意味していると思われます。



また、作中で鳥が登場するのはラストのワンシーンだけなんですよね。
陣治が飛び降りた瞬間に羽ばたく無数の鳥たち。

陣治が投身自殺した理由は十和子が全てを思い出したその嫌な記憶全てを持っていく。
そして、いつまでも十和子の傍に居たいと願う想いの辿り着いた先が、十和子の子供に生まれ変わるということ。

これも全く共感出来ない行動ですが、これが陣治にとって十和子に対する決して美しいとは言えない究極の愛の形

その時に羽ばたく無数の鳥たちは解放、つまり魂の浄化と生まれ変わりを意味するものだと考えています。



この羽ばたいた無数の鳥たちは恐らくムクドリでしょう。

ムクドリ
繁殖期は春から夏で、番いで分散し、木の洞や人家の軒先などの穴に巣を作る。両親ともに子育てを行い、とくに育雛期には両親が揃って出掛け、食糧を探して仲良さそうに歩き回る様子が観察される。
Wikipediaより引用

仲睦まじいおしどり夫婦な反面、糞害や鳴き声などの不潔さや煩わしさもあります。
陣治そのものですね(笑)



ちなみに、最初に流れたピアノ曲
ブラームスパガニーニの主題による変奏曲」

ヨハネス・ブラームスJohannes Brahms
19世紀ドイツの作曲家、ピアニスト、指揮者である。J.S.バッハ(Bach)、ベートーヴェン(Beethoven)と共に、ドイツ音楽における「三大B」とも称される。

パガニーニの主題による変奏曲
作品35は、ヨハネス・ブラームスピアノ曲1862年から1863年にかけて作曲され、1865年11月に作曲者自身によりチューリヒにおいて初演された。
Wikipediaより引用

1862年ブラームスは生活の本拠をウィーンに移し、そこで出会った名ピアニスト、カール・タウジヒの技巧に、完全に魅了された。
彼はブラームスと正反対と言えるくらいに性格が違っていたが二人は意気投合し、この曲を作曲したといいます。

陣治と十和子も全く正反対と言える性格でしたが、この何年間かで二人が奏でた愛の終止符は誰にも作り出せない唯一無二のものではないでしょうか。



終わりに

散々愛だの何だのと語ってきましたが、自分はこの作品を純愛映画として捉えています。

しかし、観る人にとってはイヤミスなのかなあと。
ラストの陣治の投身自殺も、取り方によっては恩着せがましい呪いのようにも思えます。
残りの人生を使って少しずつ返さないとならない借りを十和子は受けたのですから。

ラストの解釈も愛と憎しみと同じように表裏一体なんですよね。
沼田まほかる先生の作品、好みだということが判明したので今後ファンになりそうです(笑)


最後までお読みくださった方、ありがとうございました。


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心を抉るのは愛か復讐か(「ノクターナル・アニマルズ」ネタバレ考察)

目次




初めに

こんばんは、レクと申します。
念願の映画「ノクターナル・アニマルズ」を観てきました。

当記事はネタバレを含みます。
未鑑賞の方はご注意ください。



作品概要


原題:Nocturnal Animals
製作年:2016年
製作国:アメリカ
配給:ビターズ・エンド、パルコ
上映時間:116分
映倫区分:PG12


あらすじ

世界的ファッションデザイナーのトム・フォードが、2009年の「シングルマン」以来7年ぶりに手がけた映画監督第2作。米作家オースティン・ライトが1993年に発表した小説「ミステリ原稿」を映画化したサスペンスドラマで、エイミー・アダムスジェイク・ギレンホールマイケル・シャノンアーロン・テイラー=ジョンソンら豪華キャストが出演。アートディーラーとして成功を収めているものの、夫との関係がうまくいかないスーザン。ある日、そんな彼女のもとに、元夫のエドワードから謎めいた小説の原稿が送られてくる。原稿を読んだスーザンは、そこに書かれた不穏な物語に次第に不安を覚えていくが……。エイミー・アダムスが主人公スーザンに扮し、元夫役をジェイク・ギレンホールが演じる。
ノクターナル・アニマルズ : 作品情報 - 映画.comより引用

予告編



虚構と現実

本作の肝はスーザンの元へと届けられた一冊の小説。
元夫であるエドワードが書き上げ、スーザンへと捧げられたものです。

そこに書かれていた内容は暴力的且つ静寂で淡々としているが故に扇情的なもので、読むものを惹き付ける何かがある。


この話は現実なのか?それとも虚構なのか?
何故このような小説が送られてきたのか?
エドワードの真意は何なのか?

スーザンの現在とエドワードとの過去、それらと重ねるように映し出された小説の映像。
それはスーザンの心を抉り取るように、そして鑑賞者側は小説内容の世界へと吸い寄せられる。



小説の物語は現実と重ねて書き綴られたものだと推測されますよね?
小説の登場人物から一つずつ確認していきます。


・トニー
トニーはエドワードと同じくジェイク・ギレンホールが演じているので、トニー=エドワードです。

エドワードが"弱い"と表現され、揶揄されたことからも弱者の立場であるトニーとエドワードを結びつけているのは確かです。


・妻と娘
レイたちによって死へと追いやられたトニーの妻と娘。
彼女らは堕胎し無惨に殺されたエドワードとの子ですね。

小説と現実が重なる映像は幾つかありますが、妻と娘の死体がスーザンの娘の姿と重なった映像からも子供だと考えられます。

また、赤ちゃんを映し出すスマホ映像でレイが突然現れてスマホを落としてしまうシーン。
レイは殺人犯であり、スーザンを表す。
赤ちゃんが写ったスマホを落として割ってしまったことは堕胎の暗喩でしょう。
壁に飾られた「REVENGE」も明喩として復讐を意味します。


・レイ他2人の実行犯
夜の獣たちである三人。
彼らを比喩するのはスーザンだと考えられます。

過去の話からスーザンはエドワードへ酷い仕打ちをした事実があるので、トニーへの仕打ちを考えると間違いないでしょう。
そして車内でハットンに「堕胎したことは気づかれない」と言われたこともスーザンを意味するレイたちの犯罪行為がバレていないことと繋がります。


・ボビー
警官のボビーは肺癌で余命を余儀なくされながらも、トニーと共に犯人逮捕のために協力します。

ボビーはトニーにとっては希望のようなもの。
つまり現実でいうところのスーザンに対する愛ではないか?
ボビーは死ぬ運命にある。
すなわちそれは愛の終止符を意味する。
そして、ボビーが最後に取った違法行為はトニーの復讐への手助け。
つまり愛が憎しみへと、復讐へと変わったことを仄めかす描写ではないか?



小説でレイたちに対して語られる台詞はどれも復讐を示唆させるもの。
レイたちはスーザンを差すので復讐心剥き出しなのが手に取るようにわかる。

しかし、よくよく考えてみれば冒頭からこの小説が復讐を意味することは明白だったんですよ。

スーザンが小包を開けようとした際に、エドワードが贈った小説で指を切ってしまいましたよね?
この事からもこの小説はスーザンへ向けた攻撃的な凶器なんですよね。



タイトルの意味

映画のタイトル「ノクターナル・アニマルズ
夜の獣たちと訳されています。


夜の獣

エドワードがスーザンを形容してましたよね?
つまり夜行性動物を意味する言葉であり、不眠症のスーザンを指す言葉でもあります。


夜行性動物の代表的なものと言えばフクロウです。

フクロウ
ギリシャ神話において、フクロウは女神アテーナーの象徴であるとされる。知恵の女神アテーナーの象徴であることから転じて知恵の象徴とされることも多い。
一方東洋では、フクロウは成長した雛が母鳥を食べるという言い伝えがあり、転じて「親不孝者」の象徴とされている。



紀元前1世紀の「アンティオコス」と署名された大理石の複製品。

アテーナー
知恵、芸術、工芸、戦略を司るギリシア神話の女神で、オリュンポス十二神の一柱である。アルテミス、ヘスティアーと同じく処女神である。

ホメーロスは女神を、グラウコーピス・アテーネー(glaukopis Athene)と呼ぶが、この定型修飾称号の「グラウコーピス」は、「輝く瞳を持った者」「灰色・青い瞳を持った者」というのが本来の意味と考えられるが、これを、梟(グラウクス)と関連付け、「梟の貌を持った者」というような解釈も行われていた。
Wikipediaより抜粋引用

まさにスーザンの人物像そのものではないだろうか。



では、何故
単数形のAnimalではなく複数形のAnimals
なのか?

それはスーザンのあらゆる部分を意味しているのではないか?
美しくも醜いその内面は複雑で知的な幾つものを覗かせる。


冒頭のデブのおばさんが踊るシーンからも、上辺だけで判断することの稚拙さを皮肉に語っているように思えます。



ラストの解釈

ラストでは20年ぶりの再会の連絡を取り、待ち合わせするもスーザンの前にエドワードは現れませんでした。
このモヤモヤとする中途半端な終わり方の解釈をしていきます。



一つの解釈として
現実でエドワードはもうこの世にはいない。

小説でトニーが最期に腹を撃って死んだことからも推測できます。


エドワードはこう語っていました。
「失えば二度と戻らない。」

これはエドワードとのを指し示すものであり、またこの世を去ったエドワードを示唆するものでしょう。
なので、あのエドワードが現れないラストが描かれたと思います。

ではスーザンへ返事を送ったのは誰なのか?
あのメールはエドワードに対する申し訳ない気持ちと愛の再確認によって、小説で心を抉り取られたスーザンが見た妄想ではないかと考えました。

虚構である小説が与えた絶望がスーザンの現実に干渉し、心を動かしたのではないか?


そうです、エドワードはスーザンに小説を送り付けたのには理由がある。

自分(エドワード)の才能は優れている。それを見抜けなかったスーザンへの積年の思いと、そんな自分を捨てたスーザンへの単なる復讐ではない。
スーザンに自分への愛を再確認させ、後悔に苛まれる残りの人生を送らせる、絶望させることにあるんだと思います。

もうスーザンはエドワードのことを忘れられない。
しかし、失ったものは二度と戻らないんです。


終わりに

ただ小説を読むだけの話が、ここまでのミステリーに成り得るのか。
小説が現実と記憶を交錯させ、惑わせていく。
自分はとんでもないものを観させられたのかもしれない。

ここまでお読みくださった方、ありがとうございました。




(C) Universal Pictures

鹿の角アタックでゲット・アウト(「ゲット・アウト」ネタバレ考察)

目次




初めに

こんにちは、レクと申します。
今回は先日鑑賞してきました映画「ゲット・アウト」について語っていこうと思っております。

タイトルはふざけてますが、至って真面目です。

ネタバレがございますので未鑑賞の方はご注意ください。



作品概要


原題:Get Out
製作年:2017年
製作国:アメリカ
配給:東宝東和
上映時間:104分
映倫区分:G


解説

「パラノーマル・アクティビティ」「インシディアス」「ヴィジット」など人気ホラー作品を手がけるジェイソン・ブラムが製作し、アメリカのお笑いコンビ「キー&ピール」のジョーダン・ピールが初メガホンをとったホラー。アフリカ系アメリカ人の写真家クリスは、白人の彼女ローズの実家へ招待される。過剰なまでの歓迎を受けたクリスは、ローズの実家に黒人の使用人がいることに妙な違和感を覚えていた。その翌日、亡くなったローズの祖父を讃えるパーティに出席したクリスは、参加者がなぜか白人ばかりで気が滅入っていた。そんな中、黒人の若者を発見したクリスは思わず彼にカメラを向ける。しかし、フラッシュがたかれたのと同時に若者は鼻から血を流し、態度を急変させて「出て行け!」とクリスに襲いかかってくる。
ゲット・アウト : 作品情報 - 映画.comより引用


予告編



今作品の魅力

自分はあまり予備知識等を入れずにまっさらな状態で映画と向き合いたいので、基本的に予告やあらすじすら見ないことが多いです。
特にこの手の作品は出来るだけ予備知識をシャットアウトして観た方が楽しめると思うので、今作でも予備知識なく映画館へ赴いたわけですが…。

正解でした。


まず、この作品の凄いところは人種差別や偏見を逆手に取った点です。
そこが評価出来るところであり、この作品の肝でもあります。
それを最も顕著に表したのが、冒頭シーンと本作の核心部分の2つ。

そしてそのミスリードに繋がるヒントがアーミテージ一家の周りで至る所に散りばめられていました。



・冒頭シーン

ホラー映画の定番といえば、夜道を歩いている女性やか弱そうな白人が襲われる展開。
これは自分の勝手な先入観からくるものです。
今作では冒頭シーンで黒人男性が夜道を歩いていて襲われるという逆の展開に少々驚きが。

そして、気付かぬうちに食い入るように観ている自分がいました。
初っ端からこの作品の妙に魅了されていたのだと思います。
先入観の裏をかく監督の策に見事にハマってしまったわけで、だからこそよりこの作品を楽しめたのかもしれません。



・各所に散りばめられたヒント

恋人ローズとローズの実家であるアーミテージ家へと向かう道中、鹿を跳ねてしまいます。
この鹿はクリスの母親を暗喩しています。
また、雄鹿(buck)は黒人男性の差別用語としても使われる言葉です。

警察にクリスが身分証掲示を求められるシーンでも、一見ローズが人種差別反対派でクリスを庇ったように見えます。
しかし、実際にはクリスの身元がバレるのを恐れて予防線を張ったものだと考えられます。


黒人メイドのジョージーナが必要以上に鏡や窓を見ているのは、祖母が若さを手に入れたことを暗に意味していますし、クリスが夜な夜な喫煙しようと庭へ出た所を激走してくる黒人使用人のウォルターも祖父が元陸上選手であり中身が入れ替わったことを臭わす演出となっています。


親戚一同を交えたパーティーでは、白人たちがクリスに様々な会話をします。
ゴルフのフォームを見せて欲しいとか、黒人のセッ〇スは凄そうだとかこれからの時代は白ではなく黒だとか。
これは一見、皮肉ともとれる偏見発言に見えますが、裏を返せば彼らやその身内が黒人の肉体を手に入れた後のことを想像し、胸膨らませている異常な光景なんです。



クリスが部屋に戻り、携帯の充電器が抜かれていることをジョージーナに問い質すシーン。
クリスが「パーティーの招待客が白人ばかりだから、僕はいらいらしているんだ」と行った途端、ジョージーナは狂ったように「No, No, No...」と繰り返し、涙を流しながら笑い出しました。
これはジョージーナの中で眠る本当のジョージーナが黒人はいると訴えた後、祖母に意識が戻る演出ではないかなと思いました。



また、白人家族の中にいた黒人アンドリューにフラッシュ撮影した際に襲われたシーンでは、作中唯一「GET OUT」という台詞が発せられます。
タイトル「ゲット・アウト」は白人至上主義者が黒人に対しての「出ていけ」なのか?と思わせつつ、実際は白人家族に洗脳された黒人たちの黒人に対するここは危険だから「出ていけ」という意味だったんですね。



クリスを景品のように扱うビンゴ大会。
これはほとんど直接的な描写になるんですが、ここには黒人の奴隷制度が頭を過ぎるシーンとなっています。
実際、クリスの体を景品とした競りなんですけど。


終盤のクリスが捕らわれていたソファーの綿。
耳栓として使ってましたが、これはかつて黒人奴隷の労働搾取、綿花プランテーションが頭を過ぎります。
黒人奴隷の歴史をも示唆する細かな演出です。


その部屋に飾られた鹿の剥製。
鹿を毛嫌いしていたディーンは皮肉にもその鹿の角でクリスに殺されます。
まさかの鹿の角アタック。

角だけ持ってくればいいのにと思ったのは自分だけではないはず(笑)



クリスが逃亡する為に乗り込んだ白い車。
そうです、冒頭で黒人を誘拐したあの犯人の車。
その犯人はジェレミーなんですよね。
車内の助手席に置いてある甲冑の兜。
これは白人至上主義団体クー・クラックス・クラン(略称kkk)を暗喩するものと考えられます。



・本作の核心部分

ビンゴ大会のように、白人至上主義者は黒人を卑下し、奴隷のように扱う。
これはイメージとしてどこか頭の中にある偏見です。
それを逆手に取った核心部分。

白人至上主義ではなく、白人が憧れた黒人の肉体、フィジカルを手に入れたいと願うもの。


母ミシーの催眠術は洗脳目的ではなく、あくまでも黒人が暴れたり抵抗出来ないように、傷つけず拘束するひとつの手段。

ミシーがクリスに禁煙を促したのも、白人の脳をクリスの体に移植した時に体が不健康にならない為。
弟ジェレミーが強さを確認しようとしたものより強い肉体を求めていた為。

そうです、全ては
クリスの体目的(笑)


体目的と言うとエロスな雰囲気が出ちゃいますが、クリスの友人ロッドが声を荒らげていた「性の奴隷」ではなく文字通り、物理的に体を手に入れること。
神経医である父による手術で、脳と神経系を移植し、黒人の体を白人が乗っ取るという恐ろしいものでしたね。



脳移植と催眠術

さて、脚本についての考察は至る所でされていると思いますので、自分は脳移植と催眠術について考えてみようと思います。


・脳移植

現在、脳移植は実験段階で実際に人では行われていませんが、父ディーンは脳神経外科医であり、祖父と祖母の脳移植に成功しています。


ここでひとつの疑問が。
例えば脳を移植した場合、ドナーの意識をレシピエントの体に繋ぐわけで、レシピエントの記憶は失われてしまうのではないのか?ということです。

いや、この場合、肉体の方がドナーで脳みその方がレシピエントになるのか?(笑)


単純に考えるなら、脳みそを取り除かれたレシピエントは記憶を失うと考えるのが自然だ。
しかし、劇中では眠らされたような状態でレシピエントの意識は存在している。


ここで考えられるのが記憶転移
臓器移植に伴ってドナーの記憶の一部がレシピエントに移る現象のこと。

臓器一つでもドナーの記憶が残っているなら、体ごと移植した場合はより記憶が残っていると考えるのが自然ではないでしょうか。
人間の体のメカニズムはまだまだ謎が多いですね(笑)



・催眠術


‪催眠術は治療として使われる。‬
‪映画「CURE キュア」でも登場した‬メスメリズムの治療から発展した科学的技術をヒプノシス(催眠)といいます。


催眠術に掛けられた際、過去のトラウマに触れてより相手に親身になり心に触れるという手法は一般的なやり口です。

その前提には

  1. 催眠術に掛かりやすい人を選ぶこと。
  2. 何度か催眠術に掛け、常に掛かりやすい状態にする必要性。

この2つがあります。


また、催眠術に掛かりやすい人の特徴は

  1. 素直な人
  2. 騙されやすい人
  3. 精神的な疾患のある人
  4. 家族の問題で悩みを抱えている人


クリスは格好の餌食なんですよね。
それを狙ってローズはクリスに近づいた可能性も示唆されます。



そして、ミシーの催眠術にはティーカップとスプーンが使用されていましたよね?

催眠術は道具は特に必要ないのですが、きっかけや合図、関連付けという意味では強く印象付けることが出来るものなんです。
糸を通した五円玉なんかもそうですね。


クリスがローズの家に招かれ、庭でティータイムをするシーン。
そこでジョージーナの様子がおかしくなったのもその催眠術(ティースプーンの音)を聞いて体が固まってしまったものと考えられる。

そう、この瞬間からクリスは知らぬ間にこのティースプーンの催眠術(事前準備)を掛けられていたんです。


そして夜、直接的にクリスは催眠術(本番)に掛けられます。
床に沈められ、気が付いた時には朝でした。
夢オチかと思われたそれも、禁煙が出来ていることで真実だと気付かされる。

ミシーはその催眠に陥った動けない状態を「沈んだ地」と呼んでいますが、目的はあくまでも先程も記述した通り、相手を傷つけず拘束する為のひとつの手段に過ぎません。

では、「沈んだ地」とは何なのか?



顕在意識と潜在意識という言葉を聞いたことはありますか?

顕在意識とは、簡単に説明すると決意や判断と言った選択する意識できる思考の領域のことですね。

潜在意識とは、その逆で意識できない思考の領域。
言わば日常生活で感じたこと、イメージや思考などの過去の記憶の貯蔵庫。
例えば、明るい場所よりも暗い場所の方がちょっぴり怖かったりしませんか?
後天的な記憶ではなく先天的に備わった記憶が集まる場所です。


この二つはよく海に浮かんだ氷山として挙げられるのですが、水面に見えている氷山の一角が顕在意識
水面下で隠れている部分が潜在意識として喩えられています。
それくらいに大きく、潜在意識は全体の9割を占めるとも言われています。



作中の「沈んだ地」では
背景はとてつもなく広く暗闇に包まれ、ふわりと浮かんだ様子は無重力の宇宙空間を想像させ、またテレビ画面を見ているかのような視点で視界が映し出される。

この空間は恐らく頭は起きているけども体は眠っている状態を表すもの。
体は動かせないけども脳は動いている、つまり金縛りをイメージするとわかりやすいと思います。
金縛りは医学的には睡眠麻痺と言われ、心霊現象ではなく脳科学できちんと解明された現象なんです。


オカルトの話で言うと、幽体離脱(体外離脱)した際に俯瞰的に自分自身を見ているなんて話を聞いたこともありませんか?
この幽体離脱も金縛りの際に起こると言われています。

テレビ画面のように見える視野も、まるでカメラで映し出した映像を俯瞰的に見ているような。
映画で喩えるなら、POV形式映画の映像をテレビ画面で見ている感覚に近いものなのではないかと。


この空間こそがその水面下に沈んだ地、潜在意識の中なのではないか?
レシピエントはその沈んだ地で眠らされた状態であると考えました。


分析心理学の世界ではその個人の潜在意識の中に誰しもが抱く共通の意識(集合的無意識)という存在が提唱されています。

下図参照

字が汚くてすみません。


つまりこの集合的無意識という沈んだ地の奥底こそが他人と他人を繋ぐ唯一の場所。
ここへ沈められて、初めて他人と他人が交差するのではないかとも思うわけです。

その為の催眠術とするなら、単なる拘束の為のひとつの手段とは言えない恐怖が潜んでいるわけですよ。



終わりに

映画「ゲット・アウト」は人の意識の奥底にある偏見を呼び起こす、そんな作品なのでしょうか。

狂気と笑いが紙一重であることを理解した演出は単なるホラー映画よりも恐ろしいものです。
作中で主人公が騙されると同時に、観客側も騙されてしまう。

非常に上手くミスリードされた、黒人に対する偏見や差別を頭にチラつかせながらもその演出には裏が隠されている非常に秀逸な脚本となっています。



「だから行くなって言っただろ」

映画館には行きましょう(笑)
ここまでお読みくださった方、ありがとうございました。




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下水道から浮き上がる恐怖(「IT/イット "それ"が見えたら、終わり。」ネタバレ考察)

目次




初めに

こんばんは、レクと申します。
映画「IT/イット "それ"が見えたら、終わり。」について語っていこうかと思います。

ネタバレがございますので、未鑑賞の方はご注意ください。
但し、今回はオリジナルとの比較ではなく、あくまでも今作に触れる内容となっております。


作品概要


原題:It
製作年:2017年
製作国:アメリ
配給:ワーナー・ブラザース映画
上映時間:135分
映倫区分:R15+


あらすじ

静かな田舎町で児童失踪事件が相次いで起きていた。内気な少年ビルの弟が、ある大雨の日に外出し、おびただしい血痕を残して姿を消した。自分を責め、悲しみにくれるビルの前に現れた「それ」を目撃して以来、ビルは「それ」の恐怖にとり憑かれてしまう。不良少年たちからイジメの標的にされている子どもたちも、自分の部屋、学校、町の中など何かに恐怖を感じるたびに「それ」に遭遇していた。「それ」の秘密を共有することとなったビルと仲間たちは、勇気を振り絞り、「それ」と立ち向かうことを決意するが……。
IT イット “それ”が見えたら、終わり。 : 作品情報 - 映画.comより引用


予告編



総評

今回はまず総評として評価をしたいと思います。

端的に、ホラーとしての評価は個人的には低めです。
しかし、恐怖を媒体に少年少女たちが手を取り合って立ち向かう青春冒険活劇として観ると非常に盛り上がる作品かと。

オリジナルのペニーワイズと比べると見劣りするのは仕方ないかもしれませんが、そこを子供たちで十二分にカバーされている。
そして、ホラーという枠に収まらない総じてひとつの作品としての完成度は高いものだと思います。


ただ、不安もあります。
オリジナル版での最も盛り上がる部分を今作前編で出し切っているからです。

つまりは、後半の尻つぼみが後編となり得る可能性もあり、勿論脚色等でエンタメへと改変するであろう後編に課題も残る。

そういった意味でも、後編は気になっています。



ピエロと風船

さて、早速本題へと入っていきますが、タイトルの考察に入る前にペニーワイズの特徴である踊るピエロと赤い風船について考えてみます。


ペニーワイズ
ボサボサの赤髪に赤い鼻といった道化師の出で立ちをした悪魔。対象を威嚇・捕食する際は鋭い牙を剥き出す。古来よりデリーに27年周期で現れ、その都度事故や天災に見せかけては住人を襲っていた。捕食対象は子供であり、相手が恐怖と感じる物の姿に変化する。物体を動かす・幻覚を見せる・神出鬼没など超常的な能力を持ち、殆どの大人には視認する事が出来ない。基本的には多感で夢を持つ子供のみに見え、恐怖を与えるほどに美味になる事から様々な幻術で対象を追い詰める。
Wikipediaより引用

道化師
滑稽な格好、行動、言動などをして他人を楽しませる者の総称。大道芸やサーカスのクラウン (clown) 、中世ヨーロッパの宮廷道化師 (jester)、歌舞伎の道化方、幇間など、世界各地にさまざまな形がある。
「クラウン」は派手な衣装と化粧をし、サーカスなどに登場するコメディアンである。日本では「ピエロ」と呼ばれることも多いが、ピエロはクラウンの一種である。
Wikipediaより抜粋引用


道化師やクラウンよりもピエロの方が日本人としては馴染みがありますね。

クラウンとピエロの細かい違いはメイクに涙マークがあるか否か。
涙のマークは馬鹿にされながら観客を笑わせているがそこには悲しみを持つという意味を表現したものとされています。

そうです。
ペニーワイズは涙のメイクがないんです!

つまり正式にはピエロではなくクラウンですね(笑)



ところで皆さん、○○恐怖症ってお持ちですか?
例えば、高所恐怖症や先端恐怖症などなど。

実際にある恐怖症の中にピエロ恐怖症というものがあります。
文字通り、ピエロに恐怖を抱くもの。
作中ではリッチーがそれでしたね。


そして、風船恐怖症というものもあるのをご存知でしたか?

パンパンに膨らんだ風船は、いつ破裂するか予断を許さないことから、破裂への恐怖感に襲われる心理状態を言います。
そのことから、いつ起こるかわからない予想できないことが不安を掻き立て、風船が破裂する時のような恐怖感を抱くようになる。


そして、赤色にも理由があります。
赤い色というのはプラスのイメージが多いと思います。
情熱的であるとかエネルギッシュであるとか。
しかし、全ての色はプラスのイメージと同時にマイナスのイメージを持つもの。

赤い色の持つマイナスイメージとは
危険攻撃暴力圧迫などなど。


よって、赤い風船は危険で攻撃的な不安を掻き立てるものを表していると考えられます。

ちなみにオリジナルの方では風船は複数色ありました。


子供たちにとってピエロと赤い風船はトラウマのようなもの。
言うまでもなく、恐怖の具現化なんですね。



下水道から浮かび上がる恐怖

さて、作中でも語られた通り、ペニーワイズの住処はデリーの町中に広がる下水道の合流地点にある井戸でした。


恐怖の根源であるペニーワイズが何故、下水道を住処とするのか?

下水道のイメージは汚い水が流れているといったものだと思います。
町中の汚れを落とし溜まっていく雨水や汚染物などが集まる場所。
それと同時に町中の行方不明の子供たちの恐怖が沈み、混ざり合う場所なんです。



一方で、何度も劇中で登場した台詞「浮かぶ」という言葉。

初めは上記で記述させていただいた赤い風船、つまり不安感を表す言葉と捉えていました。
しかし、その「浮かぶ」という言葉は物理的な意味でしたね(笑)


ペニーワイズの見せる"恐怖"に駆られた時、下水道に沈んだ子供たちはなぜ浮かび上がるのか?


井戸から下水道へと足を踏み入れたビルたちが目にしたのは、宙に浮かぶべバリーの姿でした。

物理学の観点から見ると、空中に止まるには引力と斥力が均衡した状態です。
ここで言う引力は重力、斥力は浮力。

人は普段、地に足を付けて生活をしています。
人間が初めて空を飛んだのはアメリカ出身の動力飛行機の発明者、ライト兄弟による有人動力飛行です。
飛行機が宙に浮くのは揚力というまた別のものなのですが、空中で静止することはできません。

重力に逆らって、ジェット噴射などの動力を使い静止することは可能ですが。


オカルト的な話になるのですが、例えば霊体はどうでしょう?
幽体離脱した際に、自分の魂は宙に浮いているといった描写がされませんか?

そう、宙に浮かぶというのはへ近づいたことを暗に意味してるのではないか?
生と死の狭間にいる状態と言った方がわかり易いかと思います。


言わば、生殺しです(笑)
鑑賞中に「さっさと食べればいいのに」なんて思った方はおられませんか?
何度も食べるチャンスがありながらも子供たちを食べることなく焦らします。

理由としては子供たちに恐怖を与え続け、美味しく実るのを待っていたんですね。



ペニーワイズの正体は?

上記にピエロと赤い風船は恐怖の具現化だと記述しました。
ペニーワイズは道化師の風貌をしています。
滑稽な格好、行動、言動などをして、他人を楽しませる(子供たちに恐怖を与える)者なんです。

もっと掘り下げていくと、オリジナルのネタバレ(リメイクでいう、チャプター2のネタバレ)になってしまうであろう内容に触れてしまうので伏せますが、その存在は原作者であるスティーヴン・キングにとっても特別なものなんです。

彼は1947年生まれであり、その少年時代を過ごしたアメリカでは想像を絶する時代でした。
いじめが横行したり、人種差別から人が殺されたり、その事実そのものが揉み消されたり。
そんな経験を基に作られた悪の権化がペニーワイズなんですよね。

つまりは子供たちだけが立ち向かうことの出来る青春時代、思春期の敵、なんです。


大人たちには見えない存在というのも、大人は頼りにできない。
そして頼りにならないということを意味します。

下水道で一旦はペニーワイズを退けたビルたち。
恐怖を乗り越え大人の階段を登り始めた彼らはもうペニーワイズの標的ではなくなるということ。
また27年後にペニーワイズが現れた時、再会すると誓った彼らは負け犬なんかじゃなく勝ち組であり、立派な大人の仲間入りなのだ。

そしてその彼らの誓いは、頼りにならない大人たちからの脱却という意味でのある種のカタルシスのようなものがそこにはある。



終わりに

エディの右腕ギプスに書かれた文字。
「LOSER」が修正されて「LOVER」となっていましたね。

「LOSER」(負け犬)がV(勝利)を収めて「LOVER」(大切な人)を手にする。

文字通り、今作はホラーの枠を超えた青春冒険活劇である。


と無理矢理まとめてみました(笑)

今作のように昔の作品が何かしらのリメイクや続編をとして製作されて話題になること自体は素晴らしいことだと思います。
もしオリジナルをご覧になられてない方がおられましたら是非!


最後までお読みいただいた方、ありがとうございました。





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アイデンティティと愛(「ブレードランナー2049」ネタバレ考察 その2)


目次




初めに

こんにちは、レクと申します。

今回は先日鑑賞を終え、ブログにも書かせてもらった「ブレードランナー2049」の補足記事となります。

↓前回の記事


本日、二回目の鑑賞で新たに気付いたこと。
そして、前回の表題とはまた違った観点からの考察をしていこうと思い、書かせていただきました。

前回の記事と同様に前作「ブレードランナー」と今作「ブレードランナー2049」のネタバレを含みます。
未鑑賞の方はご注意ください。



評価は初見で決まらない

映画に限らず、複数回鑑賞することで見えてくる細かな描写、複数回鑑賞することで感じることなど新しい発見があると思います。
そして、再評価されることが重要な要素になってくると思っています。

何故なら、好きな映画は何回も観たくなるものです。
皆さんも思い入れのある映画たちは何度も何度も観てきたと思います。



前作「ブレードランナー」は今でこそSF映画の金字塔と称される作品です。
しかし、公開当初から評価されてきたわけではありません。

公開当時に「デッカードは実はレプリカントなのか?」と思った方はほとんどおられなかったと思います。
ビデオで繰り返し鑑賞することで、その脚本にを感じた方もおられたと思いますが。

その気付かれないように隠された妙が上手く脚本に組み込まれていたことで、様々な考察がじわりじわりと議論されるようになり、作品の深みのようなものが認識されていったんですよね。


ディレクターズ・カット版の発売で更に新たなシーンが追加され、デッカードについての議論が盛り上がりを見せました。
ファイナル・カット版の発売、DVDBOXの特典映像による今まで未公開だったシーンで、益々盛り上がりを見せたんですよ。


例えば、
ユニコーンの夢。
デッカードの目が赤くなる。
レプリカントは写真に固執する性質がある。
・男女ペアで存在する。
といった設定ですね。

そうです、初めから全てこれらの撮影がされていたということ。
そして、カットされていたシーンで見えてくるテーマのようなものが明らかになったわけです。

脚本は数え切れないほど書き直されている為、実際にデッカードレプリカントとして描いたものもあったそうです。


このように、何度も観たくなる。
そして、様々な考察が出来るということが今も名作と語られる「ブレードランナー」の素晴らしい点だと思うわけです。

ブレードランナー2049」も何度も鑑賞したくなる。
そして、様々な考察が出来るという要素もまた、前作を引き継ぐ形になっていると、改めて感じました。



アイデンティティ

本題に入ります。
前回は一つの表題を掘り下げる形で考察させていただきましたが、今回はそれとはまた違った観点から考察したいと思います。

今回のテーマは「アイデンティティと愛」について。


まず、アイデンティティについてですが
アイデンティティとは個物や個人がさまざまな変化や差異に抗して、その連続性、統一性、不変性、独自性を保ち続けること。
レプリカントにとってのアイデンティティとは何なのでしょうか?


フレイサ率いるレプリカント地下組織の敵は人間、概ねウォレス社とウォレスでしょう。
大停電を引き起こし、データを消去することで自らの身を守ります。

彼らの戦いは奴隷というポジションからの解放であり、アイデンティティの確立が目的。
そのアイデンティティを象徴するのが、デッカードとレイチェルの奇跡の娘アナというわけです。

Kが自分自身を奇跡の子だと勘違いしたように、他のレプリカントたちもまた同じように期待し、願っている。
ブレードランナー」にはレプリカント自我の芽生えが根底のテーマとしてあるように思えてならないのです。



異なる愛の形

ここで言う愛とは相手のことを理解し、受け入れること。
また、自分を晒け出して相手に受け入れてもらえること。

今作「ブレードランナー2049」では大きく分けて4つの異なる愛がありました。

  1. Kとジョイ
  2. Kとマリエット
  3. ウォレスとラブ
  4. デッカードとアナ


・Kとジョイ

Kとジョイについては、前回でも少し語らせてもらいましたが、前作「ブレードランナー」におけるデッカードとレイチェルの関係を彷彿とさせるものがあったと思います。
女性アンドロイドに恋をしてしまうところですね。

デッカードは人間であり、レイチェルはレプリカントであること。
一方、Kはレプリカントであり、ジョイはホログラムであること。


人間ではないレプリカントから更に非人間的な存在である人工知能への恋。
そのジョイがKに「あなたは特別」と諭したように、K自身もジョイのことを特別な存在としています。
これは未来の愛の形であり、自分とは別の存在を愛することの重要性を説くものだと思う。

これはまさに自我の芽生えであり、自分固有の生き方や価値観の獲得、つまりレプリカントであるKがアイデンティティを得た瞬間なのではないだろうか。



・Kとマリエット

娼婦であるマリエットも登場シーンはすくないですが、今作を引き立てる重要な女性だと思っています。

人間というポジションではありますが、前作「ブレードランナー」に登場したレプリカント、プリスを彷彿とさせる雰囲気。

実際に演じたマッケンジー・デイヴィスはプリスのコスプレでオーディションに臨んだそうです。


彼女はジョイと同期して3Pをするほど、Kに片想いなわけですが(笑)
これもまた未来の愛の形と言えるのではないだろうか。


また、彼女はジョイに対して
「大したことない」
と揶揄うシーンがありましたね。

単に好きな男を巡る女性同士の張り合いかとも思いましたが、ここも何かしらの解釈が出来ると思います。

大したことないは言い換えれば平凡だということ。
人であるマリエットはKが恋する人工知能ジョイには他とは違う何か特別なものがあるのではないか?と思ったはずです。


ブレードランナー2049」で登場する女性の名前は実に興味深いんですよ。

ジョイ=悦び
マリエット=あやつり人形(マリオネット?)
ラブ=愛

女性をセックス・オブジェクトとして描くことに批判的な意見もありますが、必要不可欠な存在であったことは誰が見ても明らかだと思います。



・ウォレスとラブ

ウォレスとラブの関係については愛という言葉が相応しいか分かりませんが、何か特別な感情はありますね。

ウォレスの右腕にして、唯一名を貰ったネクサス9型、"天使"
その名前からも愛を連想させる。
ラブの綴りはLOVEではなくLUVですが。


ラブの涙については皆さん様々な考察をされてますが、特に印象的だったウォレス社で新たな女性レプリカントが産まれた際に流した涙。
そこら辺を絡めつつラブのLOVEについて考えてみました(笑)

レプリカントが涙を流す。
前作「ブレードランナー」では自分の正体を知らされたレイチェルが流した涙のみであるが、今作はレプリカントが流す涙が非常に印象的だ。


"天使"という立ち位置にあるラブにとって、ウォレスは"神"という立ち位置。
つまり新生レプリカントが作る、言わば新たな未来の創造主というポジションである。

ウォレスの台詞
「全ての文明は使い捨ての労働力によって建設されてきた」
ウォレスのレプリカントに対する考えを象徴する言葉ですね。


彼女はそんな彼の最も近しい存在でありたいと願っているはずです。

しかし、ウォレスはレプリカントであるレイチェルが子を産んだという貴重な実験材料から、レプリカントの母胎という新たなるステージを求めます。
つまり、ラブの立場からするとその存在は自分の存在を脅かすものなんですよね。

そんな状況下で、彼女自身はウォレスの為に完璧な存在になろうとしている。
その一方で、自分の存在価値やアイデンティティを探して葛藤しているのではないか?

自分が思うに、その時の涙とはそんな気持ちと行動のギャップから出る自然な反応なのかなあと。


人生で自分も何度か経験したことがあるんですが、嬉しさや悲しさ、悔しさや怒りなどの感情的な涙ではなく、不意に流れる自然な涙というものがあるんです。

ちなみに、嬉し涙や悲しみの涙は副交感神経が働いて薄い水っぽい涙が出ます。
一方、悔し涙や怒った時の涙は交感神経が働き塩辛くしょっぱい涙が出ます。

この時流した涙はラブの心が流した涙なのかもしれません。

ということにしておいてください(笑)
レプリカントにも自我の芽生えが、しっかりと心があるんです。



デッカードとアナ

前回の記事にも少し書かせていただきましたが、デッカードとアナ・ステラインの親子にも愛がありました。

「誰かを愛するためには時には他人にならないといけない。」
デッカードの台詞が全てを物語ってますね。
デッカードは少なくとも娘であるアナに普通の人間として暮らして欲しかったんだと思います。


ここでもレプリカントの涙が印象的でした。
そうです、"奇跡の子"であるアナの流した涙です。

自分の中に残る幼少期の記憶「木彫りの馬」が作られた記憶なのかを確かめるべく、Kはアナ・ステライン博士のもとへと足を運びました。
そこで流した涙のわけとは?


その時見た「木彫りの馬」の記憶はアナにもあり、自分がデッカードとレイチェルの娘であることを知った涙ではないだろうか?
前作「ブレードランナー」でレイチェルが自分の存在を知って流した涙のオマージュ?


「これは誰かの実際の記憶よ。そう、実際に起こったこと。」
アナが涙を流しながら語ったこの台詞からもこの事に気付いてしまったと推測できますね。


レプリカントにはない過去の記憶を作ってきたアナにとって、自分の過去を呼び起こすきっかけになった。
つまり、父親という存在、を身近に感じた瞬間でもあったのではないだろうか?
ラブの涙とは対照的にこちらは様々な感情が入り交じった涙だったのではないかと思います。



最後に

ラストシークエンスについても補足を。

フレイサがKに言った台詞
「正しいことのために死ぬのは私たちができる最も人間的なこと」

デッカードを殺すように命じられたKは命を懸けてデッカードを助け、そして娘アナと引き合わせました。

それはKが正しいと思うことのために命を懸けた、レプリカントに出来る最も人間的なこと
つまり、レプリカントであるKの自分の意志なんです。

レプリカントとして人間的で在りたいと願う自我の芽生えなんですよ。



最後まで読んでくださった方、ありがとうございました。

木彫りの馬とユニコーン(「ブレードランナー2049」ネタバレ考察 その1)

目次




初めに

こんにちは、レクと申します。

今作は解釈の仕方によって様々な考察が出来得る非常に深い作品となってます。

なので書くことは山ほどあるのですが、タイトルの通り、前作との関係も交えつつ、一つの事柄についてとことん追求していこうかと思い、書かせていただきました。

過去作「ブレードランナー」含むネタバレがございますので、未鑑賞の方はご注意ください。


作品概要


原題:Blade Runner 2049
製作年:2017年
製作国:アメリカ
配給:ソニー・ピクチャーズエンタテインメント
上映時間:163分
映倫区分:PG12


解説

リドリー・スコット監督がフィリップ・K・ディックの小説をもとに生み出した1982年公開の傑作SF「ブレードランナー」から、35年の時を経て生み出された続編。スコット監督は製作総指揮を務め、「メッセージ」「ボーダーライン」などで注目を集めるカナダ出身の俊英ドゥニ・ビルヌーブ監督が新たにメガホンをとる。脚本は、前作も手がけたハンプトン・ファンチャーと、「LOGAN ローガン」「エイリアン コヴェナント」のマイケル・グリーン。前作から30年後の2049年の世界を舞台に、ブレードランナーの主人公“K”が、新たに起こった世界の危機を解決するため、30年前に行方不明となったブレードランナーのリック・デッカードを捜す物語が描かれる。前作の主人公デッカードを演じたハリソン・フォードが同役で出演し、「ラ・ラ・ランド」のライアン・ゴズリングデッカードを捜す“K”を演じる。
ブレードランナー 2049 : 作品情報 - 映画.comより引用


予告編





前作との関係性

前作「ブレードランナー」から35年の月日を経て公開された続編「ブレードランナー2049」。

製作が決定した当初は嬉しさも反面、大丈夫か?なんて心配すらしていましたが、杞憂でした。
むしろ、今作を観ることでよりブレードランナーの世界観を掘り下げることに成功しています。


前作「ブレードランナー」では高層ビルが立ち並ぶ景観の中に猥雑でアジア的な日本風景が織り交ぜられた近未来の街並みが印象的でした。

これはリドリー・スコット監督が来日した際に訪れた新宿歌舞伎町の様子をヒントにしたとされていますが、今作でもドゥニ・ヴィルヌーヴ監督にしっかりとその世界観が受け継がれており、今だから出来る技術でその映像はブラッシュアップされています。


今作は紛れもなくドゥニ・ヴィルヌーヴ監督の作品です。
それを決定付けるのがです。

現代のロサンゼルスでは暖かい気候で、冬でも雪が降ることはありません。
なぜ雪を降らせたのか?
ブレードランナー2049の世界である2049年には更に荒廃し、気候も激変していると思われます。
前作ブレードランナー(2019年)では雨の気候しかありませんでした。
しかし、それが理由ではなく、ドゥニの出身地カナダのように雪を降らせたそうです。

そう、物語の中にほんの少しだけ監督の思い描く現実を練り込むことで、その世界観に真実味が出るんですよ。


また、Kとデッカードにも共通点があります。
無表情であまり感情を表に出さない。
そして、女性アンドロイドに恋をし、失ってしまうところまでそっくりです。

但し、デッカードレプリカント、Kは実態のないホログラムと多少の違いはありますが。

レプリカントとは生物学における細胞複製(replication)が由来の造語。

人とレプリカントの違いとは?
双方の乖離が少なくなればなるほど見えてくる双方の人間性
そこに人の本質は見え隠れするのではなかろうか。
とても考えさせられる映画だ。


紛れもなく前作「ブレードランナー」の続編であり、またその世界観をグッと深めてくれる作品となっていると思います。



木彫りの馬とユニコーン

前作「ブレードランナー」と今作「ブレードランナー2049」の関係性は上記にも語らせていただきましたが、木彫りの馬とユニコーンにもその関係性はあるのではないだろうか?

主人公である捜査官Kの過去の記憶(データ)には幼少期の木彫りの馬が登場します。
作中でも重要なキーアイテムであると同時に、隠された意味について考えてみました。



・木彫りの馬に関する大まかな流れ

Kには幼少期に孤児院で数人の子供たちに取られそうになった大切な木彫りの馬の玩具(以下、木馬と記載)を竈に隠すシーンが過去の記憶としてあります。
この馬に刻まれた数字「6.10.21」

これは冒頭でKがサッパーを取り締まった際に立ち寄った枯れた木に掘られた数字と同じでした。


Kの産まれた日も21年6月10日。
ここで木の下に埋められていた出産時に死亡した女性レプリカントの骨が母親かもしれないと、単独で捜査することになる訳です。


ここでの木馬は過去とを繋ぐ記憶の断片なんです。

ハリソン・フォード演じるリック・デッカードの隠れていた建物内に木彫りの動物が幾つかありましたね。

これもまた、デッカードの過去を繋ぐものなのかもしれません。
レイチェルの写真もありますし。


ではその木馬にはどんな意味が隠されているのか?
それを紐解くにあたって、まず前作の夢の中に現れたユニコーンについて考えてみます。



ブレードランナーの世界でのユニコーンとは

前作「ブレードランナー」での夢の中のユニコーン
ユニコーンとは後に記載しますが、馬に似た生き物の頭に1本の角が生えた伝説の生き物です。

夢の中以外にも、ユニコーンの折り紙も登場しました。

ガフがデッカードに送り付けた揶揄いの3つの折り紙の最後ですね。
ユニコーンは昔から処女性と純潔の象徴であり、また伝説では処女だけがユニコーンを捕まえられるとの言い伝えがある。
これはレイチェルの置かれた状況を表すもの。
そして死に絶えたユニコーンと生まれながらに限られた寿命を持つレイチェルと重ね合わせた。
という解釈。


では何故、デッカードユニコーンの夢を見たのか?
そもそも、デッカードは人間なのか?レプリカントなのか?
当時は移植された夢であり、デッカードレプリカントだと個人的解釈に至ったわけですが…。
その争点は今作で人間だという答えが出されたようにも思えます。

まあ反論する気はないですよ。
おじいちゃんになって生きてましたし(笑)
ただ100%そうだとも言い切れないんですよね。


この先、デッカードは人間であると想定して話を進めますが。
ブレードランナーユニコーンは切っても切れない縁なんです(笑)



ブレードランナー2049の世界でのユニコーンとは

では、今作「ブレードランナー2049」のユニコーンとは何か?


ドメニコ・ザンピエーリ(1581 – 1641) 「処女と一角獣」 フレスコ画、1604 – 1605年、ファルネーゼ宮、ローマ。

ユニコーン
一角獣(いっかくじゅう)とも呼ばれ、額の中央に一本の角が生えた馬に似た伝説の生き物である。
非常に獰猛であるが人間の力で殺すことが可能な生物で、処女の懐に抱かれておとなしくなるという。角には蛇などの毒で汚された水を清める力があるという。
Wikipediaより引用


人間の力で殺すことが可能な生物。
これは前作でレイチェルの隠喩としても使われたようにレプリカントを匂わせる部分ではありますね。


処女の懐に抱かれておとなしくなる。
これは恐らく無菌病で隔離された施設を指し、アナ・ステライン博士はその中で誰にも追われることなく自由を手に入れたと考えられます。


ユニコーンの角には水を清める力がある。
一方、アナ・ステラインにはレプリカントに記憶を作り、存在しない過去を作ります。
この記憶は作り物であるレプリカントにとって清めの水、癒しとなるのではないか?


以上を踏まえ、今作におけるユニコーンは後に判明する人とレプリカントの間に産まれた奇跡の子アナ・ステラインだと仮定出来ます。
前作でのデッカードの夢に出たユニコーンは奇跡の具現化と仮定するなら、その奇跡とはまさしく人とレプリカントとの間に産まれた子だからです。

つまり、デッカードユニコーンの夢を見たことは奇跡を起こす予兆、示唆するものだったのかもしれません。
そして、ユニコーンと隠喩されたレイチェルもまた、レプリカントでありながら子を産める母体を持つ特別な存在だったのでしょう。



・木彫りの馬とユニコーン

ブレードランナー2049」の世界でユニコーンをアナ・ステラインとするなら、木馬は捜査官Kのメタファーとも取れるんですよ。

この世界で馬の存在は恐らく絶滅種でしょう。
しかし、伝説の生き物ユニコーンと比較しても分かるようにありふれた生き物です。
ユニコーンを奇跡の象徴とするなら、木馬は作られたごく平凡なもの。

ここで、Kは人間(デッカード)とレプリカント(レイチェル)との間に産まれた子供ではないことが分かります。
どこにでもありふれた平凡なレプリカントなのです。


何故その記憶がKに埋め込まれたのか。
二人の間に産まれた奇跡的な存在である娘、アナ・ステラインの存在を隠すために作られた、言わば紛い物(スキナー)に過ぎない。
つまり、身代わりに過ぎないということです。

ここは作中からも読み取ることができます。
ここからもう少し、ユニコーンと木馬について掘り下げたいと思います。



そもそもユニコーンとはノアの方舟に乗らなかった生き物とされています。

ユニコーンは飼い馴らしのきかない、たいへん凶暴な、無敵の、それゆえに自らの力を過信する傲慢な野獣だった。ユダヤ神話系の話が残る東欧の民話には高慢な性格のユニコーンが出てくる。その一つのポーランド民話ではユニコーンは大洪水以前の動物とされている。


『洪水』(ミケランジェロ・ブオナローティ画、システィーナ礼拝堂蔵)

ノアの方舟
旧約聖書の『創世記』(6章-9章)に登場する、大洪水にまつわる、ノアの方舟物語の事。または、その物語中の主人公ノアとその家族、多種の動物を乗せた方舟自体を指す。

Wikipediaより引用

このノアの方舟の大洪水ブレードランナーの世界で起こった大停電として見る事は出来ないだろうか。

ユニコーンは大洪水の前に生きていた伝説の生き物。
そして大停電前に人とレプリカントの間に産まれた奇跡の子。
大停電により大半のデータが失われ、その奇跡の子のデータも残っていない。
現代から姿を消したユニコーンのように。


Kは自分がデッカードとレイチェルの子だと勘違いしてしまったように、どのレプリカントも同じ立場ならば、もしかしたら自分も誰かから産まれた子なのではないか?という期待や憧れは持ったと思います。

Kを含むレプリカントたち(言わば馬)にとって、アナ・ステライン(ユニコーン)は憧れの存在であると同時に手の届かない存在であることがわかります。

また、馬で考えると、ウォレス社で作られたレプリカントの産まれ方って馬の出産に見えませんでした?


というのは置いといて(笑)

前作「ブレードランナー」ではユニコーンレプリカント(レイチェル)として喩えてるのに対し、今作「ブレードランナー2049」では馬をレプリカント(K)と喩えてると考えるとこの対比は面白い。

だとするなら、前作でデッカードレプリカントと思わせといて、今作で実は人間でしたってのもまた対比とされるので、より解釈の多様性が生まれますね。



デッカードは何故、木馬を子に託したのか?

デッカードは本当は木彫りの馬ではなく、ユニコーンを彫ろうとした説」も考えてはみましたが、様々な観点から却下(笑)

言及するなら
デッカードは敢えてユニコーンを彫らなかったのではないだろうか?

上記で申し上げた通り、木馬は平凡を意味します。
デッカードが娘との関わりを断ったのも、娘に対する愛情です。

それはこの台詞からもわかります。
「誰かを愛するためには時には他人にならないといけない。」

デッカードは少なくとも娘であるアナ・ステラインに普通の人間として暮らして欲しかったんだと思います。


そう、ユニコーンではなく馬として。
そんな親と子の愛情と願いが籠った贈り物だったのかもしれませんね。


ラストの解釈

本題からは少し離れますが、ラストの解釈について少し語ろうと思います。


デッカードに娘の所へと案内したあと、静かに横たわったKは静かに息を引き取ります。
ここで頭を過ぎるのがそう、前作「ブレードランナー」でのロイ・バッティの最期。

その時に流れたBGMと同じなんですよね。


このことからも、Kが死んだことはほぼ間違いないでしょう。
ロイと同じくデッカードの命を救い、奇跡の存在ではなく、平凡な存在として幕を閉じました。
ユニコーンではなく馬として。


ロイはデッカードを助けたことでより人間味のある存在へと昇華したと思います。
一方、Kはどうか。

デッカードを殺すように命じられながらも命を救った。
少なからずKにも人間性というものが芽生えたのだと思います。
最後の心理テストで引っかかったのもその裏付けではないでしょうか?
またデッカードを娘と引き合せる際に唯一見せた笑顔もそう。

自分自身を奇跡の子と思い込んだ末路は決して清々しいものではありません。
しかし、あくまでもレプリカントとして、人の心を持って生涯を終わらせることが出来たのではないでしょうか。



終わりに

本当にこの作品は様々な解釈が出来るので、他の方の感想や考察も気になるところではありますが、何よりもドゥニ・ヴィルヌーヴ監督の手腕に驚かされましたね。

ハリソン・フォードもインタビューで語っていましたが、完璧な脚本と綺麗な続編。
違和感もなく、これしかない正解を作り上げた。
今年の劇場鑑賞作「メッセージ」でもドゥニの手腕を見せつけられましたが、もう脱帽ですよ。

生憎、メッセージはブログ設立前に鑑賞したのでこちらには感想等は述べてませんが(笑)


当記事とは別の観点から考察してみました。



個人的には本編を観てから補足のように扱った方がいいと思う「ブレードランナー2049」の前日譚も貼っておきますね。


ブレードランナー ブラックアウト 2022」

「2036:ネクサス・ドーン」

「2048:ノーウェア・トゥ・ラン」


最後までお読みいただいた方、ありがとうございました。



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毒を以て毒を制す(「女神の見えざる手」ネタバレ考察)

目次




初めに

おはようございます、レクと申します。
今回は映画「女神の見えざる手」のネタバレ考察になります。

未鑑賞の方はご注意ください。



作品情報


原題:Miss Sloane
製作年:2016年
製作国:フランス、アメリカ
上映時間:132分


あらすじ

天才的な戦略を駆使して政治を影で動かすロビイストの知られざる実態に迫った社会派サスペンス。大手ロビー会社の花形ロビイストとして活躍してきたエリザベス・スローンは、銃の所持を支持する仕事を断り、銃規制派の小さな会社に移籍する。卓越したアイデアと大胆な決断力で難局を乗り越え、勝利を目前にした矢先、彼女の赤裸々なプライベートが露呈してしまう。さらに、予想外の事件によって事態はますます悪化していく。
女神の見えざる手 : 作品情報 - 映画.comより引用

キャスト

ジェシカ・チャステインマーク・ストロング、ググ・バサ=ロー、アリソン・ピル、マイケル・スタールバーグ、ジェイク・レイシー、デヴィッド・ウィルソン・バーンズ、チャック・シャマタ、サム・ウォーターストンジョン・リスゴー


予告編



予備知識として

ストーリー自体は銃規制強化法案の論争になるのですが、会話のスピードと展開が早く、情報量が多くて内容は少々複雑、というか収集するのに疲れます(笑)
なので予備知識はそれなりに必要なのかもしれません。



ロビイストと政治

ロビー活動(ロビーかつどう、lobbying)とは、特定の主張を有する個人または団体が政府の政策に影響を及ぼすことを目的として行う私的な政治活動である。議会の議員、政府の構成員、公務員などが対象となる。ロビー活動を行う私的人物・集団はロビイスト(lobbyist)と称される。
Wikipediaより引用

本作においては銃規制法案を可決させるべく、政治家などに働きかけて、政治的に動かす。

もともとロビー活動という言葉は議員が院外者と控え室(ロビー)で面会することから出来た言葉ですね。

イギリスの弁護士だったジョナサン・ペレラが初めて書いた映画の脚本。
それが本作「女神の見えざる手」です。
着想したのは不正行為で逮捕された男性ロビイストのインタビューからである。
ロビイストの仕事は政治と諜報活動が合わさったものだ。彼らがどうやって影響力を行使するのか。合法ぎりぎりのラインで、どんなストーリーが生まれるのかに興味があふれた』と彼女は語っています。



・銃規制法と米国憲法修正第2条

憲法修正第2条とは

規律ある民兵は、自由な国家の安全にとって必要であるから、人民が武器を保有し、また携帯する権利は、これを侵してはならない。
Wikipediaより引用

銃の保持が安全とされるアメリカ。
裏を返せば銃が使用される犯罪が多いということになる。


銃規制法案の核となるものはバックグラウンド・チェックと呼ばれるものです。
簡単に説明すると、銃の購入者は過去に犯罪歴や精神病歴があるか否かのチェックを義務付ける制度のこと。
つまり、既に登録された銃の保持者には何の制限もない。

たとえこの法案が通ったとしても、犯罪歴や精神病歴のない登録された銃所持者が犯罪を犯さないとも限らない。
逆に銃の保持を許された民間人が犯罪を犯さないとも限らない。

結局は憲法修正第2条の銃を所持する権利を認める法律を改正する他にアメリカの安全を得る手はないのだ。



本作の魅力

正直なところ、日本で平凡に暮らす我々にとっては分からない世界です。
そんな業界の一部をのぞき込めるような、良くも悪くもアメリカの政治の実態が見えてくる。
銃規制法案という物議を醸す題材もまた知らぬ間に惹き込まれた部分だろう。


そして、何と言っても魅力的なのはアンチヒーローとも言えるジェシカ・チャステイン演じるエリザベス・スローン。


では、エリザベス・スローンとはどのような人物なのか?

一言で言うと
目的のためなら手段を選ばないドS。


彼女はただの敏腕ロビイストではない。
部下を道具のように扱い、時には法律違反をも犯す。
それは全て勝利を手にするため。
その勝利に取り憑かれた冷酷で辣腕ロビイストである彼女は敵にも味方にもしたくない人物。

一方で、冷静で仕事のことしか考えない彼女の裏側には常に目的達成のための情熱のようなものを感じる。
時に感情的に見せる姿すらも彼女にとっては策の一つに過ぎない。
そして、キツい不眠剤を飲んでまで眠る時間すら惜しんで仕事をするストイックさ。


彼女にプライベートという言葉は似合わない。
仕事以外の食事は全て中華料理店で同じメニューで済まし、性欲はエスコート・サービスで満たす。
機械的と言ってもいい彼女の生活スタイルは常人には理解し難い部分だろう。
そんな共感できない主人公だからこそ見えてくる彼女の姿。

その上、彼女には好感度という言葉も似合わない。
愛想を振りまくわけでもなければ、女の武器を使うこともない。
作中でもセリフにありましたが、まるで男のように弱みや隙を全く見せない強い女である。

利用できるものは全て利用するミス・スローンの人となり、異常とも言える生き方を映した物語には何か魅力を感じてしまう。


まさしくジェシカ・チャステインが本領発揮した作品と言えますね。
女性の権利や政府に対する講義など力強く訴えるジェシカ・チャステイン自身の精神力や姿勢が演じた役に説得力を含ませる。

また内面の感情が動作で表現しなくても伝わってくる。
彼女の才能は本当に素晴らしいものです。
はまり役なのは誰もが納得せざるを得ないのではないだろうか。



「毒」で正す

ミス・スローンは規定違反の疑いで聴聞会への出席を求められましたが
そこで弁護士から憲法第5条を行使して黙秘することを助言されます。


憲法修正第5条とは

何人も、大陪審の告発または起訴によらなければ、死刑を科せられる罪その他の破廉恥罪につき責を負わされることはない。ただし、陸海軍、または戦時、もしくは公共の危険に際して現に軍務に服している民兵において生じた事件については、この限りではない。
何人も、同一の犯罪について重ねて生命身体の危険にさらされることはない。
何人も、刑事事件において自己に不利な証人となることを強制されることはなく、また法の適正な手続きによらずに、生命、自由または財産を奪われることはない。
何人も、正当な補償なしに、私有財産を公共の用のために徴収されることはない。
Wikipediaより引用

しかし、彼女はこれを放棄して発言します。
何故なら自身のキャリアよりも目的を達成するため。

エリザベス・スローンの目的とは?
意見がぶつかり合ってクビの危機に瀕した彼女はその大企業から小さな会社へ移る。
銃規制法案支持という絶対劣勢の立場である。
仕事に生き、キャリアを積み重ねてきた彼女にとっての目的とは何か?
勝利への執念と劣勢の立場からの逆転劇という刺激。
この新たなる挑戦は彼女にとって最も魅力あるものだったのだろう。

自分の腕に自信がある。
それもあるだろうが、部下だけでなく自分までも犠牲にして勝利を掴み取る執念には驚かされる。



アメリカの政治と現状は?

アメリカ政治は国民が政策の決定に直接関わっていると思われている。
しかし、実際の議員選挙投票率は30%ほど。
つまり、議員は投票者ではなく資金を恵んでくれる人の意見に耳を傾ける傾向があるということ。
つまり、法案の善し悪しではなく、議員存続の為にお金でしか動かないということです。

現実、アメリカで登録された銃の所持者の数は増えている。
NRA(全米ライフル協会)などの力のある団体の影響力が大きい。
大金を投じて銃の所持や販売規制に関する法案を尽く潰されている。



作中でミス・スローンは民主主義の寄生虫と揶揄されてましたが、金でしか動かない議員たちを寄生虫と力強く批判しました。

毒と言っても様々な種類があります。
毒の総称、poisonではなく、この場合は昆虫を含む動物が噛んだり刺したりすることによって注入する毒、venomの方がイメージしやすいかもしれませんね。


油汚れは油で落とすとも言いますが本作は
毒を以て毒を制す。

毒とはミス・スローンの行動のその手段とアメリカの現状であり、またこれらは互いに対となるもの。
そして「女神の見えざる手」とはその毒を盛ること。


毒を盛るのに相手に気付かれてはいけない。
そして相手よりも先に手を打つ必要がある。
つまり見返りや賞賛、仲間、全てを投げ打ってでも優先すべき誰にも理解されない勝利への執念が生んだ行動力。


ロビイストという特殊な職業に就く1人の女性がここまでの影響力を持つことはある種アメリカ政界にとって 毒となる存在なのだ。


終わりに

本作は相手の裏をかく女性ロビイストが主人公の人間ドラマであり社会派サスペンス映画でもある作品です。
ミス・スローンの策略は敵陣営はもちろんのこと、鑑賞者側までも欺く、サスペンスとしても非常に上質なものだと思います。

そして、行き過ぎたロビー活動への警鐘を鳴らす社会風刺な側面もあると思われます。


意志の強い芯のしっかりした女性像を描いた映画
たとえば

マーガレット・サッチャー 鉄の女の涙

でのマーガレット・サッチャーにも引けを取らないくらい印象的でした。


法律の改正。
近年、日本でも議論を呼んでいますが「女神の見えざる手」は国境を越えたリアリティのあるものとなっています。
興味のある方はこの機会に是非劇場へ足を運んでみましょう。

上映舘数は少なめですが(笑)



ここまでお読みいただいた方、ありがとうございました。


(C)2016 EUROPACORP – FRANCE 2 CINEMA

ロレーン・ブロートンの素性とは?(「アトミック・ブロンド」ネタバレ考察)

目次




初めに

こんにちは、レクと申します。

先日観てきました、話題の「アトミック・ブロンド」について語っています。

ネタバレがございますので、未鑑賞の方はご注意ください。



概要


原題:Atomic Blonde
製作年:2017年
製作国:アメリカ
上映時間:115分
映倫区分:R15+


解説

マッドマックス 怒りのデス・ロード」や「ワイルド・スピード ICE BREAK」など近年はアクション映画でも活躍の幅を広げているシャーリーズ・セロンが、MI6の女スパイを演じた主演作。アントニー・ジョンソンによる人気グラフィックノベルを映画化したアクションスリラーで、「ジョン・ウィック」シリーズのプロデューサーや「デッドプール」続編の監督も務めるデビッド・リーチがメガホンをとった。冷戦末期、ベルリンの壁崩壊直前の1989年。西側に極秘情報を流そうとしていたMI6の捜査官が殺され、最高機密の極秘リストが紛失してしまう。リストの奪還と、裏切り者の二重スパイを見つけ出すよう命じられたMI6の諜報員ロレーン・ブロートンは、各国のスパイを相手にリストをめぐる争奪戦を繰り広げる。共演に「X-MEN」「ウォンテッド」のジェームズ・マカボイ、「キングスマン」「ザ・マミー 呪われた砂漠の王女」のソフィア・ブテラ
アトミック・ブロンド : 作品情報 - 映画.comより引用


予告編



時代背景

本作の舞台は1989年の冷戦末期のベルリン。
11月9日にはあの有名なベルリンの壁崩壊。
そして1991年にはソ連が崩壊。
ドイツやソ連にとっては歴史的な時代だったと言えます。


ベルリンの壁崩壊
ポーランド民主化ハンガリーの改革が進み、東欧の社会主義国民主化の動きに混乱が続いていた最中の1989年11月9日に、それまで東ドイツ市民の大量出国の事態にさらされていた東ドイツ政府が、その対応策として旅行及び国外移住の大幅な規制緩和政令を「事実上の旅行自由化」と受け取れる表現で発表したことで、この日の夜にベルリンの壁にベルリン市民が殺到し混乱の中で国境検問所が開放され、それまで28年間、東西ベルリンが遮断されてきた東西分断の歴史に終止符が打たれたことである。東西ベルリン市民が歓呼して壁によじ登り、やがて東ドイツは西ドイツに吸収される形でドイツが統一されて東欧革命を象徴する事件となった。略称として壁崩壊(ドイツ語: Mauerfall)ともいう。
Wikipediaより引用



MI6(秘密情報部)

007で有名だとは思いますがイギリスの情報機関です。
そこで女諜報員として暗躍するシャーリーズ・セロン扮するロレーン・ブロートン。


実際に女スパイが活躍した事実が残っています。

「シンシア」というコードネームを持つベティ・パックは、イギリスの情報機関であるMI6の女性スパイとして活躍。
ニートラップで標的に接触してピロートークで情報を盗み出すというまさに女版ジェームズ・ボンドとも言える彼女は、第二次世界大戦時に数十年間知られていなかったフランス、イタリアの海軍の暗号を入手するなどの多大なる実績を挙げたそうです。

自分も女スパイのイメージとしてはハニートラップでした。
B地区出てる割にはお色気で…って諜報活動ではなくアクションが主なんですね(笑)


CIA(中央情報局)

この名前はよく耳にすると思います。
アメリカの諜報機関であり、公式に認める組織でもあります。

女スパイ繋がりでいうと映画「ソルト」。

アンジェリーナ・ジョリー扮するCIAエージェントが二重スパイの容疑にかけられるという話。


KGB(ソ連国家保安委員会)

こちらはあまり馴染みのない組織ですね。
アメリカのCIAに対抗する為に設立された工作組織で、今は存在していません。

映画「裏切りのサーカス」では
英国諜報組織の中枢に20年も潜入しているソ連の二重スパイを捜すため、引退生活から呼び戻されたスパイが敵味方の区別もつかない中で真相に迫る姿が描かれています。

裏切りのサーカス コレクターズ・エディション [Blu-ray]

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こちらは東西冷戦を時代背景とした映画でもあります。



この三つの組織と諜報員のリストを巡る紛争に巻き込まれていくわけですが、ある程度は当時の時代背景は頭に入れておいた方がいいと思います。

また、スパイ映画ということで、誰を信じればいいのか?
誰が味方で誰が敵なのかも分からない、裏を返せば誰も信じられない状況で命をかけて任務を遂行する。
そんな孤独な世界が広がっています。



本作の魅力

シャーリーズ・セロン姐さんは昔から好きですが、更に好きになる作品でした。
勿論、彼女の美しさや仕事に対する姿勢もそうですが、苦労した下積み時代の話や過去の家族のことを知った時に応援しようと思ったんですよね。

何より姐さんのB地区が3回もポロリなんて。←正確な回数とは言ってない


と、それは置いといて

本作は様々な魅力の詰まった映画だと思います。

シャーリーズ・セロンの華麗さと妖艶さ。
長回しのアクションで血塗ろバテバテになる泥臭い姿。
タバコの吸い方やお酒の飲み方。
立ち振る舞い一つにしても、全てが様になっています。

何よりも、音楽と映像の使い方が非常に上手い。



結論

では、ロレーンという人物は一体何者なのか?


冒頭からロレーンはウォッカのロックを飲んでました。

ロシアの酒、ストリチナヤ。

ストリチナヤ ウオッカ 40度 750ml

ストリチナヤ ウオッカ 40度 750ml

これはソ連、つまりKGBの二重スパイを示唆させる伏線だったのでしょうか?(笑)


しかし、終盤にはパーシヴァルから回収したリストの存在を隠し、ロレーンはCIA諜報員として帰還します。
パーシヴァルが「サッチェル」だとして殺したロレーンですが、パーシヴァルがリストを見て気付いたように実際はロレーン自身でした。

ロレーンはリストを消すことで自身が「サッチェル」であることを闇に葬り、CIAの三重スパイとして自身の身を隠したことになります。


結局、彼女はMI6、KGB、CIAの全てと繋がっていたことになります。
裏を返せば、彼女は全ての諜報、工作機関にも所属していないのではないだろうか?


アトミックとは「原子の」という意味がありますよね。
原子とはこれ以上分解されないものです。
つまり、分離できないもの。
彼女はどこにも所属せず、初めから独りだったのではないでしょうか?

彼女の髪の色、ブロンドもまた何色にも染まります。
作中でも様々なネオン色、証明により染まっていますよね?
彼女の服が定まっていないことも、変装する度に服の色を変えていたことも、勿論スパイとしての変装なのでしょうが、それ以上に全てはそこに繋がっていくのではないでしょうか?



ここまでお読みくださった方、ありがとうございました。

映画「パターソン」から読み取るいい映画とは何か?(ネタバレなし考察)

目次




初めに

こんばんは、レクと申します。

えー、今更ながらやっと観ることができた映画「パターソン」について。
ネタバレは一切ございません。

例の如く、もう既に幾つもの考察がされているであろう作品なので、あらすじ等は割愛させていただきますね。

今回はタイトル通り「パターソン」から読み取るいい映画とは何か?語っていきたいと思います。



いい映画とは?

先ず、最初に言っておきたいことは
これは作品の善し悪しを決める"いい"ではありません。
よって、他作品の批判でも否定でもなければ、白黒つけるということでもないことをご理解くださいませ。

あくまでも個人的観点から"いい映画"とは何か?について語らせていただいてます。


早速本題に入りますが、皆さんにとって"いい映画"とはどういったものだと思いますか?



興行成績?
高評価?

自分は自分の目で見たものしか信じません(笑)
たとえどれだけ周りが評価しようとも自分が思うところとのギャップというものは必ずあると思います。

そういった客観的視点ではなくあくまで主観で考えたいい映画とは。


自分の人生に影響を与えてくれた映画。
なんて大層なことは言えません。
しかし、好きで好きで堪らない映画。
それは勿論、自分とってのいい映画と言えます。

自分で言うところの映画「羊たちの沈黙」がそれです。
脚本、演出、音楽、演技、思い入れ、全てを加味した上でオールタイム・ベストです。



しかし、その"いい"とはまた違った"いい映画"ってありませんか?



例えば
「泣ける」「全米が泣いた」「感動の超大作」などの謳い文句で落とす所謂感動モノの映画。


マイケル・○○監督のような派手な爆破(笑)シーンのあるようなアクション。


緑の仮面を被って超人的な動きで笑わせるようなコメディシーン。


などがほとんどないにも関わらず、鑑賞後に「あー、いい映画だった」って思える映画。


そうです。
それが自分は「パターソン」でした。



冒頭にも書いてますが、これはあくまでも個人的な意見です。

勿論、派手なアクションがないといい映画とは言えない!
泣けない映画はいい映画ではない!
と仰られる方もおられるかもしれません。

しかし、その意見も個人的な意見であり、"いい映画"だと感じる基準は人それぞれ異なったものだと思います。




今年の劇場鑑賞した映画の中に
彼らが本気で編むときは、
という作品があります。

この作品も非常に素晴らしく、観終わった後
「あーいい映画だったな」
が率直な感想でした。



また、鑑賞後の余韻の半端ない映画。

今年劇場鑑賞した中では圧倒的に
沈黙-サイレンス-」でした。

今年初めて複数回鑑賞した作品です。
これも間違いなく自分にとってのいい映画です。



そして、今年劇場鑑賞
暫定ベスト1の「ウィッチ」。

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自分の好む作品は概ね派手な描写よりも、心理描写がしっかりと作り込まれた作品なんです。

こちらの作品もまた、自分にとってのいい映画です。



中にはクスッと笑える描写や目を見張る映像、心にグッとくる感動などはあるでしょう。

でもそれを全面に押し出していない。
なのにそれを鑑賞者側に伝わるように自然と描かれている

特筆すべき目立った描写はないかもしれないけど、全体的な雰囲気が良いなど。

自分が"いい映画"だと感じるポイントはそこなのかなあと思います。



総評

では、映画「パターソン」は何が"いい映画"なのか?
簡単に総評としてネタバレなしで纏めました。


バスの運転手パターソンの何気ない一週間。
しかし彼にとっては毎日が、新しいんです。
些細な変化に見える小さな幸せは面白いというよりも心地良い。

目立った派手な演出もなく、悪く言うと「退屈」なんでしょうが、そこに映し出される映像から読み取れる情報は決して「退屈」なものではないんです。

そう、本作品はただ単に何気ない日常を切り取った映画ではない
何気なく流れていく日常を"詩"という別の表現方法で切り取った映画なのだと。


詩とは言葉であり、この言葉で語られた以上の何かを得ることが出来る。

これから我々がおくる日常も、ただ時が流れていくまま何気なく過ごすよりも、意識的に切り取ることで大切な何かを感じられるのではないだろうか。


表面的な見せ方ではなく、内面的な見せ方が上手い。
作中で語られるものよりも感じるものの方が多い
不思議な魅力がこの作品にはある。

そのような点が「いい映画だなあ」と思わせたのかもしれない。

観ている時はいい映画がまだ何かは定かではなかったというか考えたこともなかったのですが、この映画を観ていて、こういうことを言うんだなあとしみじみ感じてました(笑)



終わりに

今回は映画「パターソン」から"いい映画"とは何か?について語らせていただきましたが、正直なところ非常に曖昧な部分は多いです。


ジャンル等によらず、自分が思う"いい映画"というのはふとした瞬間に観たくなる。
何度も観てしまう。
そして、観返す度に好きになる。
新しい発見がある。

そんな作品は人生に寄り添う一作に成り得るのではないでしょうか。


映画はあくまでも娯楽です。
しかし、その娯楽性を超える何かがある時、自分の中で傑作だと思えるわけです。

自分にとっての傑作を見つけていきたいものですね。



ここまでお読みくださった方、ありがとうございました。

映画館での座席選びにこだわりはありますか?

目次


初めに

こんばんは、レクと申します。

ここ数週間、まともに映画館に行けてない身分でこんな事を話題に挙げるのもなんなんですが、皆さんは映画館での席選びはどうされてますか?


ど真ん中?
通路側?
最前列?
後方?

お気に入りの鑑賞ポイントはあるでしょう。


今回はそんな映画館での座席選びについて語っていこうかと思っております。


自分の選ぶ座席

わたくし、座席は専ら後方の通路側なんです。



大体がスクリーン向かって左側。

気分で右端の時もありますが。


理由は
腰痛持ちで鑑賞中にモゾモゾ動くことが多く、姿勢も安定しない為に周りに迷惑が掛からないように、です(笑)

あと、足を組む時に右足が上に、自然と左側に重心が偏るので、左から観ることに慣れているんですよね。


なので、京都大阪近辺の映画館でスクリーン向かって左後ろの方の座席でモゾモゾしてる不審者を見掛けたらレクの野郎だと思ってください(笑)



しかし、例えば
友人や恋人と映画館で映画を観よう!
となった場合は…悩みますよね?

友人または恋人には出来るだけ良い環境で楽しんでもらいたい。

とは言っても両隣りに人が座るのはあまり好ましくないので、混み合う時間は避けたいものです。
しかし、デートとなるとそうは言ってられません(笑)


自分の思う良い環境とは
無理なく観れる体勢で、尚且つ音響やスクリーンの見やすさなどを考慮するという感じです。

前後列は座高の高さとスクリーンの高さなどで無理な姿勢(特に前屈みや見上げる形)にならないような体勢で観られるように気をつけます。


ではどこがいいのか?


劇場スタッフのオススメ座席

劇場スタッフのオススメ座席もやはり、ど真ん中だそうです。
スクリーンの左右両端を結んだ正三角形ができる位置が理想とされてます。


理由としては音響。
前後左右のスピーカー位置を考えると、ど真ん中が最も臨場感を味わえる座席だそうです。



またメリットとしては
スクリーン全体を見渡せるので視野の移動も少なくて済むと思います。


ただ、真ん中の席は団体客やカップルが多く、マナーの質も悪い気がします。
密集しているので、両隣りが埋まることも有り得ます。

これでは良い環境とは言えないでしょう。


どこが人気でどこが不人気?

最も人気のある座席はどこなのか?

人気なのが中心部後方座席。
しかし、先程も記述した通り、劇場の広さや作りによっては前屈みになってしまうなど腰を痛める可能性もあります。

猫背の方にとってはいいのかもしれませんが(笑)


逆に、人気のない座席は?
やはり前方と左右両端ですね。

最前列では劇場の広さやスクリーンの場所にもよるんですが、見上げる形になったり、字幕が左右に移動する映画では視野を大きく広げなければならない為に疲れます(笑)


また舞台の上にスクリーンがある劇場などではかえって見にくかったりします。



一方、メリットは何と言っても大スクリーンを独り占めできる視野ですね。
前に何も障害物がないのは映画に集中できるという利点が大きいと思います。


おすぎとは - タレントデータベース Weblio辞書

映画評論家である、おすぎさんは最前列のど真ん中でないとダメらしいです(笑)

映画評論家の町山智浩さんも最前列で鑑賞されるそうです。



両端の座席だと、音響も勿論ですがスクリーンに対して垂直でなくなるというデメリットが大きいです。

特に3D。
IMAXなどでは到底オススメは出来ない座席ですね。

とは言っても自分は両端の座席で音響に不満を感じたことはありません。
そんなソムリエ的な耳は持ち合わせてませんから。


数少ないメリットとしては、席を立ちやすい。
トイレが近いとか、エンドロール見ずに退席する方は割と好まれる座席だと思います。




個人的には
邦画には字幕がないので、スクリーンを独り占めできる前方が。
字幕のある洋画は後方でスクリーン全体を見渡せる位置。
IMAXなどの臨場感を味わう映画は前方寄り。
これらが一番ベストなポジションだと思います。


つまり、観る映画によって良い座席の場所は変わるんです!



外部環境の影響

どれだけ自分に合った最高の座席が確保できたとしても、周りの客層で折角の良い映画、楽しい時間が台無し…ということも。

自分も多々苦い経験をしてます。


金曜日、週末、祝日はもちろんの事
映画の日、レディースデーなどは安くて行きやすくても避けたいところ。

時間帯も夕方はできるだけ避けたい。


エンドロールでスマホを見る。
私語が多い。
雑音がうるさい。
座席を蹴られる。

などなど様々な嫌がらせとも取れる外部環境に悩まされたこともあります。

そうです。
これらは全て、映画が始まる前に流されるマナームービーで注意喚起されている事なんですよ。


自分はそういった煩わしさが面倒臭いので、人の少ない時間帯を狙うことが多いです。
例えば朝一番の上映であったりレイトショーであったり。

そういった考慮もまた、良い環境で観るためには必要なことなのかもしれません。


良い子のみんな!マナーは守ろう!



終わりに

今回は映画の内容ではなく、映画を観るにあたっての内容について語らせていただきました。


どの座席が正解か。
どの座席がオススメか。
それは自分に合った良い席で観られるのが一番なので、言及しません。

当人はあまりオススメ出来ない端っこの座席で観る奴ですし(笑)


自分にとって最高に楽しいひと時を得るためにも、お気に入りの座席を確保しましょう!

しょうもない記事ですが、最後までお読みくださった方、ありがとうございました。

焚刑と鉄槌(「ジェーン・ドウの解剖」ネタバレ考察)

目次


初めに

こんにちは、レクと申します。

先日購入した「ジェーン・ドウの解剖」について語りたいように語ってます。

今回、あらすじ等は省かせていただきますね。
面倒臭いとかではないです(笑)


ネタバレ有りなので、未鑑賞の方はご注意ください。


ジェーン・ドウと解剖

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原題:The Autopsy of Jane Doe
製作国:イギリス
製作年:2016年



まず、タイトルにある「ジェーン・ドウ」と「解剖」について。


ジェーン・ドウとは主に訴訟などで匿名希望もしくは本名不明の女性を意味する言葉ですね。

男性はジョン・ドウ
ジョンドウ起訴という言葉があるくらいメジャーです。

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こちらの作品で犯人の名前としても認知度は高いと思います。


身元不明の遺体に対して使われる名前。
日本でいう「名無しの権兵衛」ですね(笑)



解剖される目的の一つに身元が分かる手掛かりを見つけること。
死因だけでなく、傷の有無や形から自殺か他殺か。
歯型や持病などから、かかりつけの病院などを割り出して捜査に繋げていく流れが一般的ですね。

江戸時代には腑分けと言われ、内臓の構造を調べることが解剖とされていました。



解剖は大きく

  1. 病理解剖
  2. 司法解剖
  3. 行政解剖

の3つに分けられます。

  1. 病理解剖は病院で死亡した患者の死因を調べる場合に専門の医師によって行われる解剖。
  2. 司法解剖は犯罪に関わる遺体に法医学者が施す解剖。
  3. 行政解剖は病院で亡くならず、犯罪の関与もない死体に対して監察医が施す解剖。

今作における検死解剖は一家惨殺のあった家屋の地下から見つかった遺体なので、犯罪に関与するであろう遺体、つまり司法解剖にあたります。


解剖のメイキング映像を載せておきます。

松竹チャンネル/SHOCHIKUch - YouTubeより



死体の謎

死体の不自然な点。
両手足首の骨折。
歯や舌が抜かれている。
肺は内側から火傷。
くびれた胴。

次第に判明していく死体の秘密はミステリー要素とホラー要素が上手く使われた演出になっています。


ちなみに、昔ながらの習慣で、遺体安置所に運び込まれた遺体の足首には鈴をつけることになっているそうですね。

この鈴がまた良い雰囲気を醸し出すんですよ!



死体から見つかる聖書の一説『Leviticus 20:27』

男または女で、口寄せ、または占いをする者は、必ず殺されなければならない。すなわち、石で撃ち殺さなければならない。その血は彼らに帰するであろう
レビ記 20:27 (Japanese Bible)より引用

レビ記20章27節。

口寄せとは、未来のことを知ろうとすること。
つまり神、キリストを介することなく霊の世界と交わることを意味し、占いやオカルト、超能力といった類の悪霊によるものを指します。

詳しくはレビ記の19章辺りに記されていますので、興味のある方は調べてみてください。



この20章では死刑に関する規定が記載されてます。

このことから、17世紀にニューイングランドで行われたセイラム魔女裁判で犠牲になった人の遺体ではないかと作中でも推測されます。



魔女についてはこちらで散々語ったので割愛させていただきますが。



所謂、魔女狩り
大半は無実の人間と言われていますが、この死体は本物の魔女だったのでは?と思わせる部分ですね。

当時の魔女狩りの処刑法としてはヨーロッパ大陸では焚刑が多く、イギリスでは絞首刑や溺死刑などもあったそうです。


セイラム魔女裁判

現在のアメリカ合衆国ニューイングランド地方のマサチューセッツ州セイラム村(現在のダンバース)で1692年3月1日にはじまる一連の裁判をいう。
200名近い村人が魔女として告発され、19名が処刑され、1名が拷問中に圧死、5名が獄死した。無実とされる人々が次々と告発され、裁判にかけられたその経緯は、集団心理の暴走の例として引用されることが多い。
Wikipediaより引用


両手足首の骨折は縛られたことによるもの。
歯や舌が抜かれていたのは拷問。
焼けた肺は火炙りにされた際に負ったものと考えられる。


このシーンも魔女の焚刑をイメージさせます。



くびれた胴はコルセットを巻いていたということ。
コルセットの歴史って14世紀の後半から20世紀初頭までものすごーく長いんで、時代までは判別できませんが。

また、体内から出てきた歯ですが、呪いの儀式として体の一部が使われることがあります。
特に骨や歯は強力らしく、無ければ髪の毛と爪などが使用されたようです。



歯にまつわる呪いを挙げると
ハリーポッターシリーズでの呪文で

デンソージオ(Densaugeo)(歯呪い)
第4巻でドラコが使用。ドラコはハリーにかけようとしたが、ハリーの「鼻呪い」の光線とぶつかりハーマイオニーにかかってしまい、ハーマイオニーの歯がリスの前歯のように伸びた。
Wikipediaより引用

がありますね(笑)



魔女に与える鉄槌

魔女狩りで最も有名な文献は「マレウス・マレフィカルム」ですね。


15世紀に入ると、魔女と妖術に関する書物が一種のブームとなる。たとえばニコラ・ジャキエ(英語版)の『異端の魔女の鞭』(Flagellum Haereticorum Fascinariorum, 1450年)やウルリヒ・モリトール(英語版)の『魔女と女予言者について』(De lamiis et phitonicis mulieribus, 1489年)などがあり、特に有名なものとしてドミニコ会の異端審問官であったハインリヒ・クラーマー(英語版)によって書かれた『魔女に与える鉄槌(マレウス・マレフィカルム)』(1487年)がある。
Wikipediaより引用


魔女狩りについて調べていたところ、面白い文献に目が留まりました。


フランシスコ・マリア・グァッゾの『コンペンディウム・マレフィカルム』(1608)からの抜粋。

昨今、魔女が屍骸を掘り返して人を殺傷することに用いることが慣習となっている。
とりわけ死罪や絞首刑に処せられた人間の屍骸が用いられる。
魔女はかくもおぞましき材料から魔力を更新するのみならず、処刑に際して用いられた道具すなわちロープや鎖や杭や鉄製品も重用する。
事実、この種の物品に固有の魔力が宿るという信仰が広く流布している。
http://archive.is/20121220012217/www7.ocn.ne.jp/~elfindog/archive.htmより引用


注目すべきはこの冒頭。

魔女が屍骸を掘り返して人を殺傷することに用いることが慣習となっている。


そうです。
死体が魔女でトミーがその妖術により死体と同じような苦しみを受けた。
と本作では見せていますが、実際は
死体に掛けられた魔女の妖術でトミーはその死体と同じ苦しみを受けた。
とも考えられるのではないか?


つまり、ジェーン・ドウの死体が魔女という説とは別に、魔女が死体に人を殺傷する妖術を施した説を提唱出来ないだろうか?

見る限りですが、この考察を提唱している方は他に居ないので、自分はこの説を推していきたいと思います(笑)



総評

多少のグロ耐性は必要かもしれませんが、ホラー映画が好きな方には迷わずオススメできる作品。

オカルトな部分と密室内、解剖の描写、心理的にも視覚的にも恐怖心を煽る演出は見事だと思います。
また、医学的な解剖によって立証されてしまう心霊現象に打ちひしがれる、エンターテインメント性の高いホラー作品。


終わりに

ジェーン・ドウの死体役を演じられたモデル、オルウェン・ケリーさん。
すきっ歯がチャームポイントのナイスバディ美白美人!


Heeeya bank holiday weekend ⚘ Photoby @samjacksonphoto

Olwen Catherine Kellyさん(@olwencatherinekelly)がシェアした投稿 -

死体役に適任な透き通るような肌ですね!

ご馳走様でした(笑)



あと、ブライアン・コックス演じる検死官トミーがまた良い味出してるんですよ!
ブライアン・コックスといえばレクター博士のイメージが強いですね!

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最後まで読んでくださった方、ありがとうございました。



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