小羊の悲鳴は止まない

好きな映画を好きな時に好きなように語りたい。

弁論術で魅せる肉体のコミュニケーション(映画「娼年」ネタバレ考察)

目次




初めに

こんにちは、レクと申します。
今回は先日鑑賞した「娼年」について語っています。

昼間から下ネタ全開の記事を投稿することをお許しください(笑)
この記事はネタバレを含みます。
未鑑賞の方はご注意ください。



作品概要


製作年:2018年
製作国:日本
配給:ファントム・フィルム
上映時間:119分
映倫区分:R18+


解説

「娼夫」として生きる男を主人公に性の極限を描いた石田衣良の同名小説を、2015年に上演した舞台版が大きな反響を呼んだ監督・三浦大輔×主演・松坂桃李のコンビで映画化。大学での生活も退屈し、バイトに明け暮れ無気力な毎日を送っているリョウ。ホストクラブで働く中学の同級生シンヤがリョウのバイト先のバーに連れてきたホストクラブの客、御堂静香。彼女は秘密の会員制ボーイズクラブ「パッション」のオーナーで、恋愛や女性に興味がないというリョウに「情熱の試験」を受けさせ、リョウは静香の店で働くこととなる。「娼夫」という仕事に最初は戸惑うリョウだったが、女性たちひとりひとりが秘めている欲望の奥深さに気づき、そこにやりがいを見つけていく。リョウは彼を買った女性たちの欲望を引き出し、そして彼女たちは自分自身を解放していった。
娼年 : 作品情報 - 映画.comより引用



予告編




パイドロス

先ずはTwitterの投稿から。




こちらでも記載したように、「娼年」と「パイドロス」の関係性について考えていきます。

なんだかパイドロスって、いやらしい言葉に聞こえてきませんか?


パイドロス(古希: Φαῖδρος、英: Phaedrus)
プラトンの中期対話篇の1つであり、そこに登場する人物の名称。副題は「美について」。

前半は「恋」(エロース)についての3つの挿入話にその記述の大部分が割かれ、対話の大部分は後半に展開される。
表面的な議題としては、「恋」と「弁論術」が出てくるが、最終的にそれらは「哲学(者)」という隠れた主題に回収・統合されることになる。

パイドロス - Wikipediaより引用



パイドロス」はソクラテスパイドロスと出くわす場面から話が始まるんですよ。
恋(エロース)の話について2人はイリソス川に入って川沿いを歩き、プラタナスの木陰に腰を下ろし、語らい合う。
その語らい合いと2人がそこを立ち去るまでが描かれています。


パイドロス」は弁論術として描かれ、この作品は「娼年」での領のセックスに反映するものです。

では、弁論術とは何か?
アリストテレスによって書かれた著作があります。
その中の説得に着目してみましょう。

三種の説得手段

本書では、説得のあり方について、以下の3つの側面から考察されている。

logos(ロゴス、言論) - 理屈による説得
pathos(パトス、感情)- 聞き手の感情への訴えかけによる説得
ethos(エートス、人柄)- 話し手の人柄による説得
上記した通り、アリストテレスはこの3つの内、logos(言論)を中心に据え、最も多くの記述を費やしているが、pathos(感情)やethos(人柄)の側面についても、それなりの記述を費やし、説明している。

弁論術 (アリストテレス) - Wikipediaより引用


恋愛映画、特に性描写を写す映画にとって、セックスは重要なコミュニケーションのひとつでもあるが、愛情の可視化として描かれることが多い気がします。
それはあくまでも男と女の関係性を深める為の手段であり、過程でもあり、愛の再確認でもある。



一方で、本作「娼年」におけるセックスは弁論術として見せるものです。

肉体を交えるコミュニケーションが会話や対話として描かれているんですよ。

言論、感情、人柄、この三種の説得手段を併せ持つセックス。
ここに単なる肉体のコミュニケーションに留まらない心理描写が生まれるわけです。

それがあるからこそ、セックスシーン以外のシーンでもその心理描写が活きてくるわけですね。



人と人との関係性を築くには、先ず会話をしなければ始まりません。
劇中も冒頭からベッドシーンで幕を開けますよね?

これは「娼年」がセックスについて語る映画であることを観客に明示しているんです。





また、この作品は性欲の淵に見える甘美な人間の多様性をも見事に演出しています。

己が性欲を満たすために、対価を払う女性たち。
女性の性への欲望を可視化し、その欲を受け止める娼夫。
どちらが欠けても成り立たないこの関係性もまた、性描写をまるで対話のように映し出す。



放尿を見られることに快楽をおぼえる女性。

特殊なシチュエーションでしか興奮しない夫婦。

出産後セックスレスの主婦。

手を触れるだけで絶頂できるご年配。


セックスという枠に留まらない彼女らの欲望の形は人間の多様性を描くとともに、性欲や羞恥心までも赤裸々に語っているかのようだ。

それに加えて、様々な女性たちのセックスを美として描きながらも女性が抱く欲望や心に負った傷をも優しく包み込む姿は、娼夫という汚れたイメージをも美として描き出しているようです。


本作、舞台「娼年」からも主演を引き継いだ松坂桃李さんの努力と覚悟、決意の現れともとれる。
体を張った演技は素直に賞賛できます。



心身の成長

さてさて、ここまでは真面目にこの作品「娼年」について語ってきました。

ここからは超個人的視点から見た「娼年」の批評になります。
※「娼年」を貶すものではなく、あくまでも批評であると共に、下ネタ全開なので閲覧の際はご注意ください






















松坂と共演の女性キャストたちが体当たりでセックスシーンに挑んでおり、松坂本人も「映画『娼年』で、7、8年分の濡れ場をやった感じです」と語るほどだ。
松坂と三浦は舞台版『娼年』でもタッグを組んでおり、その濡れ場経験から松坂は『彼女がその名を知らない鳥たち』で白石和彌監督やキャスト陣から濡れ場の“先生”と呼ばれていたという。そのことについて松坂は、「濡れ場のプロフェッショナルとして、副業を見つけたかな(笑)。濡れ場監督とか。出演するのではなく、アクション監督のように監修が必要なところで呼ばれるみたいな。殺陣師? いや、濡れ場師!!」と振り返る。

松坂桃李、R18映画『娼年』セックスシーンについて明かす 「7、8年分の濡れ場をやった感じです」(リアルサウンド) - Yahoo!ニュースより引用


それを踏まえた上でこの作品を観て思ったこと。

エロ坂桃李のセックス下手すぎだろwww

松坂桃李さんのファンの方、すみません。

これだけはどうしても言いたかったんです!
あースッキリ!!



勿論、領は『女性はつまらない』『セックスなんて手順が決まった面倒な運動』と語ったように、冒頭はセックスは作業と言わんばかりの単調なセックスしかしない大学生として描かれています。

しかし、「娼年」は娼夫という仕事を通して、領がセックスの腕前と共に精神的にも成長していく物語なんですよ!
つまり、冒頭に比べて終盤のエロ坂桃李のセックスは上手くないといけないんです。



咲良との二度の試験的なセックス
これは領が娼夫としても精神的にも成長した証として描かれなければいけなかったもの

それにしては精神的にも成長したはずのセックス(会話)が下手。
キスの仕方、愛撫、挿入に体位、どれをとってもぎこちなく雑である。


他のセックスにも勿論言えることなんですが、この二度目の試験的なセックスは何とかならなかったのかと。
各々のセックスシーン(放尿シーン含む)は大袈裟な演技も相俟って全て爆笑してしまいました。



体を張って撮影に望んだのは重々承知しています。
なので、冒頭でもその点に関しては賞賛しています。
しかし、もう少し官能的なセックスがあると期待していた分、この点に関しては非常に不満が募る。



また、別視点からどこが自分にとって下手なセックスに見えてしまったのかを考えてみました。
その結果、エロ坂桃李の演技ではなく、演出に難があったのか?と。

娼年」は舞台としても実写化されているわけですが、例えば舞台の場合、目の前でセックスシーンの一部始終を見せられるわけです。
座席から舞台への一定の距離、同視線で見続けることが出来るわけです。
そこにはリアリティと共にその空気感も伝わってくることでしょう。

一方、映画は観客の視線はカメラワークによるもの。
観客視点を担うカメラが這うように口元や繋がる体、臀部の痙攣までを映し出す。
そして俯瞰的に見せる映像が状況を映し出す。

舞台とは違い、その空気感が感じられなかった点が"官能的"なものではなく、アダルトビデオの企画モノを観ているような"笑い"を齎してしまったのではないだろうかと推測できる。



一番笑ったのは西岡イク馬さんの射精ですね。
あのシーンは面白すぎる。

ケツは和太鼓

とは言っても笑いながら勃起はしてましたよ?

え?わざわざ言わなくてもいい?
失礼しました(笑)


ただ保身ではなく、セックスという描きにくいコミュニケーションをスクリーンに描いた試みは評価したいです。




ちなみに自分が最も興奮したセックスは、領が娼夫デビューしたお客さんとの激しいセックスでしたね。

あの日見たフェ〇で喘ぐ男性を僕達はまだ知らない。



皆さんはどのセックスが一番興奮しましたか?

フォロワーさんにお伺いしたところ、同級生とのセックスだという答えが返ってきました。

様々な感情が入り乱れていたということで…分かります、分かりますよ?

ただ、娼夫を汚らわしい仕事だと蔑んだ挙句、愛故に結局自分でそこに足を踏み入れた粗暴さ。
そしてそんな相手をも受け入れちゃう領くんの人の良さに興奮どころの話ではなくなっちゃったんですよね。

あと、現体位から別体位へと移る過程が雑でしたね(笑)


このセックスは冒頭から語る「娼年」のテーマ性やストーリーとしては最も適合したシーンではあるんですよ。

領への想いを寄せながらも実らぬ恋、それをセックスという会話で愛の再確認をしたわけで、改めて領のことが好きだと感じるも娼夫としての領を受け入れることができない自分への葛藤。

心理描写としても素晴らしいものがありましたよ。





二度目の試験的なセックスについても書いておきましょうか。
皆さんはこの二度目の咲良とのセックスシーンをどう捉えましたか?


個人的見解では、自分の母親に対する(性的な愛も含む)感情を静香さんに抱いた領が咲良と交わることで、静香と間接的に行ったセックスだと思います。

「母親に褒めてもらいたい。」
そう思ったことは一度はあるはず。

好意は熱烈な愛情に変わり、やがて盲信的な忠誠心を築く。

そう、娼夫としての成長を見せることで静香に認めてもらうこと。
そして母親に対する愛情をぶつけた間接的なセックスだったのだろうと思うわけです。



領自身、交わってきたお客さんに母親像を重ねていたようにも見えました。
このシーンなんかは正にそうですよね。

だからこそ、相手の気持ちを汲み取り癒すことが出来たと。
そんな年上に囲まれる生活の中で、最もその母親像を重ね心惹かれた人物が静香でした。

静香の口から語られた真相、それは静香自身も娼婦だったこと。
そして領の母親も娼婦だったということ。

雇用と労働という関係は静香と領を繋ぐもの。
娼婦の職業は母親と領を繋げるもの。

このシーンは娼夫という職業、セックスを通して静香に抱いた感情、母と子の繋がりを明確にした場面だと感じざるを得ないんですよ。



終わりに

最後にこれだけは言いたい。

総じて前戯が足りんのじゃ!!!

手に触れるだけで昇天できるくらいの芸を身につけないといけませんね、修行します。

・・・ふぅ。



というわけで(?)
最後までお読みいただいた方、ありがとうございました。




(C)石田衣良集英社 2017映画「娼年」製作委員会