小羊の悲鳴は止まない

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愛と赦し、報復と贖罪の揺らぎ(『白い牛のバラッド』ネタバレ考察)

目次




初めに

どうも、レクです。
今回は楽しみにしていた『白い牛のバラッド』について語っています。
前情報なしに観ましたが、凄い映画でした!

※この記事はネタバレを含みますので、未鑑賞の方はご注意ください。



作品概要

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原題︰Ghasideyeh gave sefid
製作年︰2020年
製作国︰イラン・フランス合作
配給︰ロングライド
上映時間︰105分
映倫区分︰G


解説

イランの厳罰的な法制度を背景に、冤罪による死刑で夫を失ったシングルマザーの姿を通し、社会の不条理と人間の闇をあぶり出したサスペンスドラマ。テヘランの牛乳工場に勤めるシングルマザーのミナ。夫ババクは殺人罪で逮捕され、1年ほど前に死刑に処された。深い喪失感を抱え続ける彼女は、聴覚障害で口のきけない愛娘ビタを心の拠りどころにしている。ある日、裁判所に呼び出されたミナは、夫の事件の真犯人が他にいたことを知らされる。理不尽な現実を受け入れられず、謝罪を求めて繰り返し裁判所に足を運ぶミナだったが、夫に死刑を宣告した担当判事に会うことさえかなわない。そんな折、ミナのもとに夫の友人だったという中年男性レザが訪ねてくる。親切な彼に心を開き、家族のように親密な関係を築いていくミナだったが……。マリヤム・モガッダムとベタシュ・サナイハが監督を務め、モガッダムが脚本・主演も兼任した。2021年・第71回ベルリン国際映画祭コンペティション部門出品。
白い牛のバラッド : 作品情報 - 映画.comより引用





感想

第71回ベルリン国際映画祭コンペティション部門に出品された『Ballad of a White Cow』(英題)。

ベルリン国際映画祭ではあのアスガー・ファルハディの傑作と並ぶと称された一方で、イラン政府の検閲により正式な上映許可が下りず、自国では3回しか上映されていないそうです。

そんな問題作が、『白い牛のバラッド』という邦題で2022年2月18日についに日本で公開されました。



イランは死刑執行数が中国に次いで世界第2位の国。

それを受けて本作『白い牛のバラッド』はイランの懲罰的な法制度を背景に、シングルマザーの生きづらさや理不尽さに直面する女性の姿を描いています。



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愛する夫を死刑で失い、聾唖の娘を育てながら生活を送るシングルマザーのミナ(マリヤム・モガッダム)。
死刑から1年後に夫の無実が明かされ、失意の先にある哀しみに襲われる。

賠償金よりも判事に謝罪を求めるミラの前に、夫の友人を名乗る男レザ(アリレザ・サニファル)が現れる。
ミナは親切にしてくれるレザと親しくなっていき、関係を築いていくが…。

凄まじい境遇に置かれたシングルマザーであるミナの複雑な感情を、また打ちひしがれる弱さだけでなく生き抜く強さを演じきったマリヤム・モガッダム。
彼女は主演だけでなく、監督・脚本にも携わっておられます。



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特筆すべきは聾唖の娘ビタ役を演じたプールラウフィ。
彼女自身コーダであり、両親が聾唖者で日常的に手話を使っているそうです。
コーダ(CODA)とはChildren of Deaf Adult/s、聾唖者を親に持つ子どものことですね。

本作『白い牛のバラッド』では学校に居場所がなく、家で映画を見る繊細な役どころを演じています。
心情の籠った手話による語りは、何百人もの子役オーディションから選ばれたことも納得です。



ということで、Twitterに上げた感想を。



亡くなった夫の友人と名乗る男レザの正体は概ね予想がつくと思います。
そう、実は冤罪で死刑判決を下した判事のひとりでした。

レザは贖罪のためミラに近づき、善意を向けていきます。
それに応えるようにミラは親切な人だと好感を持ち始め、善意をもって返します。

夫を死に追いやった敵だとも知らず…。



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この一過性の善意と贖罪の板挟みとなる痛ましさは見ていられない。
レザが判事と明かされた段階でこの事実を知っているのはレザと観客だけ。
つまり、序盤の冤罪で夫を亡くしたミラの視点から中盤は償うためにミラへと近づいたレザ視点にいつしか切り替わっているんです。

また、贖罪を善意と誤認して想いを寄せてしまう姿も見ていられない。
即ち、序盤から中盤にかけてもミラの視点を継続して描いていることもその後の展開に深みを齎します。



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不穏な空気が流れる中で、報いを受けるべき相手に制裁が下される。
夫を亡くしたミラのように、息子を亡くすレザ。
そして、すべての事実を知ったミラによる復讐の炎はレザへと向かっていく。

慈悲や赦し、愛を持ってしても報復という熱量には勝てないのだ。
その後の虚無感が何とも言えない静寂の空気に包まれ、圧倒的な余韻を残して終わる。


めちゃくちゃ面白いがな!!!
と心の中で叫びましたね。
勿論、こういう映画が好みというのもあるんですが。

決して派手な映画でもなく、エンタメ性も少ない。
好みが分かれそうな映画ではあると思いますが、個人的には素晴らしい映画でした。



考察

ここからは考察に入っていこうと思います。

本作『白い牛のバラッド』は監督の訴えたいこと、伝えたいことがメタファーとして劇中に込められています。


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一番に注目するのはタイトルにも使われている"白い牛"でしょう。
宗教的に見る牛は生け贄として神に捧げられるものです。
本作『白い牛のバラッド』において

「宗教的な儀式における牛は、通常、生け贄とされています。本作における白い牛は、死を宣告された無実の人間のメタファーです。」

とベタシュ・サナイハ監督も明言しています。


加えて、娘のビタを聾唖設定にしたことについてベタシュ・サナイハ監督は

「イランの女性を象徴するメタファーです。未だイラン人女性は声を発することができない、意見を言ったとしても誰にも聞いてもらえない、その状況を彼女に込めました」

とも語っています。



正に劇中のミラはこれに当てはまります。
女性というだけで、未亡人というだけで、男たちにあしらわれて訴えを聞き入れてもらえない。

そんな時、親切に寄り添ってくれる男の存在は大きいものではあるはず。

親切にしてくれる頼れる男が夫の敵と知った時、裏切られたという悲しみだったのか、騙されていたという怒りなのか、様々な感情が入り乱れた無言の食卓の空気の重さは凄かったですね。





イスラム教の聖典"コーラン"は全部で114のスーラ(章)からなり、1章の「開扉章」から114章の「人間章」まで、食卓・信者・勝利 と内容に応じた名称を持ちます。

本作『白い牛のバラッド』では"コーラン"に記された114のスーラ(章)の中の2章「雄牛章」に因んだもの。
もとは古代の寓話に由来しているそうで。

2-178.信仰する者よ、あなたがたには殺害に対する報復が定められた。自由人には自由人、奴隷には奴隷、婦人には婦人と。だがかれ(加害者)に、(被害者の)兄弟から軽減の申し出があった場合は、(加害者は)誠意をもって丁重に弁償しなさい。これはあなたがたへの主からの(報復の)緩和であり、慈悲である。それで今後これに違反する者は、痛ましい懲罰を受けるであろう。


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"白い牛"が死を宣告された無実の人間のメタファー、そして「雄牛章」のメタファーとされた中で、温めた牛乳を薦める妻の姿は今を思い返せば、あれは恐怖でしかない。

この繰り返される牛の描写に関しても、ベタシュ・サナイハ監督は

「このメタファーはタイトルの由来というだけではありません。例えば、ミナが見る牛の夢やミルクなど、脚本の中で繰り返し出てくるテーマです。ペルシャの文化や文学、特に詩においては、メタファーやダブルミーニングは非常に強い存在感を持っているので、自分たちの映画にもそういった複層的な解釈を取り入れるようにしています」

とこだわりを語っています。





イランは死刑執行数が世界第2位の国であることは感想でも記述しました。

イスラム法における刑罰は、同害報復刑(キサース)、固定刑(ハッド)、裁量刑(タァズィール)の3つに分けられます。

・同害報復刑(キサース)

加害者が成人で被害者と同等の身分である場合、被害者ないし相続人が同程度の報復をする。
被害者の同意を得れば金銭支払いで済ます場合もあります。

反政府的な抗議活動者や少数民族を弾圧するための行使としてイランでは未成年でも死刑になります。

所謂、ハンムラビ法典の「目には目を」ですね。
2016年には4歳の少女の顔に石灰をかけて視力を奪い、有罪判決を受けた男性にに対して、両目を失明させる刑が執行されています。
本来、ハンムラビ法典は行き過ぎた懲罰の厳罰化を避けるために同等の報復を受けさせるというものでもあるのですが。

一方で、犯罪被害者は加害者からの賠償金と引き換えに刑罰を免除することもできる。
これは日本でいうところの示談金のようなものです。


・固定刑(ハッド)

姦通、中傷、飲酒をした場合は定められた回数の鞭打ち。
窃盗をした場合は手足の切断。
追い剥ぎをした場合は死刑、もしくは手足の切断、あるいは追放。
背教者は死刑です。
と犯罪に対して具体的な処罰が定められています。

窃盗で手足の切断はエグすぎますね。
姦通の罪を犯した者にこそ、生殖器を切断するなどの処罰がないという。


・裁量刑(タァズィール)

イスラム法に具体的な刑罰が定められていない犯罪に対して、裁判官の裁量によって科す刑罰。

文書偽造、詐欺、恐喝、偽証など現代的な犯罪の場合に適用されているそうです。



これらイスラム法をシャリーアと言います。

シャリーアとは「水辺に至る道」という意味を持ち、"コーラン"と預言者ムハンマドの言行(スンナ)を法源とする法律のことを指します。
シャリーアは大きく、儀礼的規範(イバーダート)と法的規範(ムアーマラート)の2つに分けられます。


・儀礼的規範(イバーダート)

イスラム教の信仰に関わる部分。
宗教的行為、五行に関わるものです。

①信仰告白(シャハーダ)
②礼拝(サラート)
③断食(サウム)
④喜捨(ザカート)
⑤巡礼(ハッジ)


・法的規範(ムアーマラート)

世俗的生活に関わる部分。
婚姻、相続、契約、訴訟、非ムスリムの権利義務、刑罰、戦争など、イスラム社会における相互の権利や義務に関わる規範です。
我々の考える民法や刑法に当たる事柄が規定されています。

①義務(ワージブ)
②推奨(マンドゥーブ)
③許可(ハラル)
④忌避(マクルーフ)
⑤禁止(ハラム)





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イスラム圏にとって宗教とは、内的生活だけではなく個人から家族、社会や国家に至るまであらゆる営みを規定する法となっています。

世代を超えて受け継がれる宗教、毎日繰り返されるルーティンの中で、シャリーアに基づく生活がおくられている当たり前の環境で生まれ育った人たちにとっては、同害報復刑("夫を死に追いやった判事の死")という報復は当たり前のことなんですね。


本作『白い牛のバラッド』は全体を通して"愛と赦し""報復と贖罪"の揺らぎの物語だということが見て取れるわけですが、この揺らぎすらも宗教的思想、神の前では無慈悲であるというメッセージ性も受け取ることができるのです。


終わりに

償いと赦しの難しさ、そして愛と報復を天秤にかける女性の強かさを描いた素晴らしい作品でした。

時に我々が理解し難い行動であっても、本人にとってはそれが当然のことである場合があるんですよね。
今回は日本であまり馴染みのない宗教観、価値観を通してそれが見えた気がしました。



最後までお読みいただいた方、ありがとうございました。



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映画『白い牛のバラッド』公式サイト