小羊の悲鳴は止まない

好きな映画を好きな時に好きなように語りたい。

世界は変えられる(「HELLO WORLD」ネタバレ考察)

目次




初めに

こんばんは、レクと申します。
やっと原作小説を読み終えたこともあって、今回はアニメ映画「HELLO WORLD」について語っています。

この映画のタイトルが意味すること、そして自分が気になったことを中心に考察しています。
※この記事はネタバレを含みますので、未鑑賞の方はご注意ください。



作品概要


製作年:2019年
製作国:日本
配給:東宝
上映時間:98分


解説

人気アニメ「ソードアート・オンライン」シリーズの伊藤智彦監督が、近未来の京都を舞台に描いたオリジナルのSF青春ラブストーリー。2027年、京都。内気な男子高校生・直実の前に、10年後の自分だという人物・ナオミが現れる。ナオミによると、直実はクラスメイトの瑠璃と結ばれるが、その後彼女は事故で命を落としてしまうのだという。直実は瑠璃を救うため、大人になった自分自身とバディを組んで未来を変えようと奔走する。しかしその中で、瑠璃に迫る運命やナオミの真の目的、そしてこの現実世界に隠された秘密を知り……。「君の膵臓をたべたい」の北村匠海が主人公・直実の声で声優に初挑戦。10年後からやって来たナオミの声を松坂桃李、ヒロイン・瑠璃の声を浜辺美波がそれぞれ演じる。「正解するカド」の野崎まどが脚本、「けいおん!」の堀口悠紀子がキャラクターデザインを担当。
HELLO WORLD : 作品情報 - 映画.comより引用

予告編



SF的視点


近未来、京都。
2020年に始動したPluura、京斗大学、京都市三者による共同事業計画【クロニクル京都】。
京都の地理情報をより詳細に、より正確に記録する。
さらに時間的変遷をも追い続け、あらゆる時代のあらゆる情報を記録に残す。
という試み。
その記録データを保存する装置が量子記憶装置"ALLTARE"(アルタラ)です。



堅書直実。
2027年、京都に住む内気な高校生。


カタガキナオミ。
10年後の堅書直実だと名乗る男。


一行瑠璃。
堅書直実と同じクラスで同じ図書委員。




カタガキナオミが知る未来では、堅書直実は一行瑠璃と結ばれるが、その後彼女は落雷による事故で命を落としてしまうのだという。



ということで、早速本題に入っていきますが、簡単にこの物語の世界は大きく分けて4つあります。
ここから先の考察はこの4つの世界を中心に掘り下げていっています。


・1つ目の世界は、2027年、物語の主軸である堅書直実がいる世界A
ここでは堅書直実が一行瑠璃と出会い、初デートの宇治川の花火大会前の時間軸(正しくはALLTAREによって記録された過去のデータ)である。

・2つ目の世界は、2037年、リアル世界でもあるカタガキナオミの世界B
ここでは初デートの花火大会で落雷により一行瑠璃が脳死となっている。
ここで、カタガキナオミは一行瑠璃の意識を取り戻すべく、脳死している一行瑠璃の脳に意識データを送り込むことを目的にALLTAREに保管されている過去のデータ(世界A)に自分のアバターを送り込んだ。

・3つ目の世界は、キャッチコピーでもある"この物語はラスト1秒でひっくり返る"世界C
ここでは、実は脳死になっていたのはカタガキナオミであり、一行瑠璃が脳死状態である世界Bはカタガキナオミの意識世界であったことが明かされる。
ラストの月のシーンです。
これは原作小説のエピローグでも綴られています。

・4つ目の世界は、堅書直実が世界Bから一行瑠璃を取り戻した世界A'
京都駅の階段に作った量子トンネルを潜り、量子構造を世界Aに変換(一行瑠璃が年齢を遡る)して新たに再構築したであろう新しい世界("HELLO WORLD")である。



単純に考えれば、現実世界Cでの、カタガキナオミの意識世界Bの中で、ALLTAREによってデータ保存されている世界Aがある(三重構造世界)と仮定できる。

図①


しかし、この物語での4つの世界の構図は実はこうなっているのではないかと考える。

図②


正しくは世界A世界Bが重なり合う部分、繋がり部分もあると思います。

何故、図②のような構図になっているのか?
こう考えるポイントは3つ。


・1つ目は、世界Bカタガキナオミの意識世界前提であること。

意識世界とは言わば夢の中のようなもので、その夢の中のALLTAREによってデータ保存されたデータ世界Aという三重構造ではリアル世界Cから独立した新世界HELLO WORLD(世界A')は作り出せないから。

イメージするなら、映画「インセプション」みたいなもんです。
簡単に言えば夢からは記憶(意識)しか盗めないし、植え付けることしか出来ない。
つまりは、夢は現実にはならない(夢は現実に干渉出来ない)という夢のない話ですね(笑)


現実の世界Cの中に、ALLTAREによってデータ保存された世界Aと、カタガキナオミの意識世界Bが別々で存在し、現実の世界Cの中でデータ世界Aと意識世界B間をカタガキナオミという意識が移動した。
と仮定すれば、その移動はリアルの世界C内で起こったこととして説明できる。

つまり、世界Bの中にある世界Aとすれば、世界Aは夢の中での世界となる(図①)が、
世界Cの中にある世界Aとすることで、世界Aが現実にあった世界の記録という位置付けになる(図②)からだ。



・2つ目は、ALLTAREの存在。
堅書直実のデータ世界Aとカタガキナオミの意識世界Bの双方に存在し、共に修復プログラムの影響をそれぞれ独立して受けていること。

カタガキナオミの意識世界Bの中にある堅書直実のデータ世界Aという構図(図①)であるならば、世界Bで修復プログラムを作動させれば世界Aにも影響が出るはずで、世界Aでの修復プログラムによる修正は不要。



・3つ目は、後述している神学的視点で記載してます。




この映画の上手いところは、世界Aが現実世界だと堅書直実が認識していたこと。
そしてカタガキナオミによって、世界Aはデータに記憶されたものであり世界Bが現実世界だと観客に認識させること。

そして、ラスト1秒にひっくり返させる。
観客が認識していた現実世界(世界B)は実はカタガキナオミの意識世界であり、世界Cというカラス(未来の一行瑠璃)しか知らない現実世界があったこと。

この二重構造と思わせておいてからのどんでん返しの三段オチ、そしてその構造世界から逸脱する新たな世界の創造。
この壮大なSF世界観は想像するだけでも楽しい。



ラストで明かされる真相を少し説明しておくと
全ては直実を治療するための蘇生プログラムだったんです。

宇治川の花火大会での落雷事故で脳死になったのは一行瑠璃ではなく、堅書直実の方だったんですね。

世界Bでカタガキナオミが脳死の一行瑠璃に行った行動のように、世界Cでは一行瑠璃が脳死のカタガキナオミの治療にあたっていた。

ただ、その治療が難航していた理由が、カタガキナオミの精神状態。
原作小説でも「貴方は大切な人のために動いた。貴方の精神は今、ようやく『器』と同調したんです」と語られるように、世界Bでカタガキナオミは堅書直実と出会うことでやっと本来の自分を取り戻した。
世界Bでカタガキナオミが消えていくシーンは、修復システムによる消去でも、堅書直実の手袋の効果でもない。
一行瑠璃のように意識データが世界Cへ転送されたということでしょう。



量子力学的視点

量子力学の観点から見た死生観は、脳(物質)の次に意識が作られるのではなく、意識から脳(物質)が作られる。
つまり、肉体(物質)が死んでも意識まで消滅する必要はなく、死後(意識)の世界が認められると仮定される。
即ち、死後の世界とは意識の世界ということになる



例えば、映画「21グラム」の題材にもなったマサチューセッツ州の医師であったダンカン・マクドゥーガル博士による実験。

6人の末期患者を対象に死の前後の体重の変化を調べ、人間の"魂の重さ"は4分の3オンス、つまり"21グラム"であると結論づけた。
ちなみに同じように15匹の犬を計測した実験も行なっており、犬の場合は人間と違って死後に"21グラム"が失われていないと結論づけられている。

また、十数人の末期患者の死に立会い、実際に死の瞬間を撮影。
博士によれば、死の瞬間の人間の頭部には"星間エーテル"にも似た光が取り巻いている。
この光が肉体から離れていく"21グラム"の魂だという。
ちなみに星間エーテル(interstellar ether)とは中世の物理学の概念である"エーテル理論"に基づく天界を構成する物質で、現代の科学では否定されている。

この"21グラム"がその意識とも考えられるのではないだろうか。



さて、今作において世界AはALLTAREによって保存されたデータであるとカタガキナオミから説明を受ける。

データとはつまり意識であり、故に一行瑠璃の意識データのみが世界Bへと移動したことになる。
(厳密には世界Aの一行瑠璃の意識データが世界Cの一行瑠璃の脳内に収められたことにより脳死から目覚めた。)



ここで設定上、ひとつの矛盾が出てくる。

何故、世界Aに意識データとして存在する堅書直実が世界Bへ実体として移動出来たのか?

世界間を移動することが出来るのは意識データのみであることは、カタガキナオミの繰り返した実験によって明らか。
故に、カタガキナオミは自身の意識をデータ化したアバターとして世界Bから世界Aへと移動している。



手袋(創造手)であっても人体のような複雑な物質は作り出せない。
ここで考えられる仮説が、カタガキナオミとの特訓である。

初めは鉄や銅などの金属、水、紙などの身近な物から始まった生成も、最終的には小型の太陽系を創るまでにその精度を上げていく。



現実、このような実験が行われています。

1951年にカルビンは二酸化炭素と鉄(II)を溶かした水に加速器からのヘリウムイオンを照射したところ、生成物中にギ酸やホルムアルデヒドといった有機物を検出した。
1953年にはミラーがメタン、アンモニア、水素、水の混合気体中で火花放電を行い、酢酸、尿素などに加えてグリシン、アラニンなどのアミノ酸の生成に成功している。
つまり、アミノ酸という生命に直結する有機物であっても無生物的に生成することが可能なのだ。


また、海外ドラマ「ブレイキング・バッド」では
『人体を構成するすべての要素を足しても、0.119958%足りない』と言及されています。

水素(H) 63%
酸素(O) 26%
炭素(C) 9%
窒素(N) 1.25%
カルシウム(Ca) 0.25%
鉄(Fe) 0.00004%
塩素(Cl) 0.2%
硫黄(S) 0.050002%
ナトリウム(Na) 0.04%
リン(P) 0.19%
合計 99.980042%

実際に人体を構成している化学物質は全部で29種類で、「ブレイキング・バッド」で計算したのはわずか10種類。
他の19種類は天文学的に量が少ないものの存在し、全部足すとしっかりと100%になるようです。


小型の太陽系恒星を生成することができればアミノ酸の生成や人体を構成している元素など容易く作り出すことができ、自分自身の肉体を生成することも理論上は可能。



もうひとつの仮説が、一行瑠璃を世界Bから世界Aへと戻す際に行った量子構造の再構築の逆パターン。

修復プログラムによって消去されていく世界Aの中で、堅書直実が飛び込んだ穴。
ここで手袋によって量子構造の再構築をし、世界Bでの肉体を手に入れた説。

原作にこう記述がある。

身体が小さな粒になって、世界と自分の境界が曖昧になった。身体の中を、力が、物が、人が
濁流のように通り過ぎていく。
その流れの果てで。
僕は。
僕と混じり合う。

HELLO WORLD (集英社文庫)

HELLO WORLD (集英社文庫)


これが量子の再構築と考えられる。



また、キャッチコピー「この物語(セカイ)は、ラスト1秒でひっくり返る」。
この物語の構造、量子力学から見ると、意識世界(世界B)での1秒と現実世界(世界C)の1秒は、同じ1秒であっても違う長さである。

「夢の中での5分は現実世界の1時間に相当する」
映画「インセプション」の有名なルールです。

一方で、スイスのバーン大学の研究によると、夢の世界では現実よりも50パーセントも遅く時間が流れていると明らかになったそうです。

諸説ありますが、この映画「HELLO WORLD」鑑賞中のラスト1秒は物語上の1秒ではない。
この不確かな時間感覚はこの映画を紐解くためには必要な感覚だと思います。



神学的視点

キリスト教では創造主である神がこの宇宙を創ったとされる。
しかし、無神論者である僕のいち個人の意見としては人間が神(という存在)を創ったと考えている。

何故このような考えを述べたか、というと
この考え方の構造がこの物語の構造そのものだから、である。

では早速、その解釈を書いていこう。



この考えをこの物語に当てはめると
神→ALLTARE
人間→堅書直実

であり、その神を創ったのが
人間→カタガキナオミ(他プロジェクトチーム)
という構図となる。
※これはあくまでも物語序盤での設定であり、世界A世界B間での話。


ALLTAREの語源は劇中では定かではないが、ALL(全ての)TARE(重量)として考えるなら、中核を担う全世界のデータベースであることの造語だろう。

また、TAREには聖書では(厄介な)雑草好ましくないものという意味を持つ言葉であり、具体的には新約聖書"毒麦"と記述がある。



マタイの福音書13章24節
また、ほかの譬を彼らに示して言われた、「天国は、良い種を自分の畑にまいておいた人のようなものである。

マタイの福音書13章25節
人々が眠っている間に敵がきて、麦の中に毒麦をまいて立ち去った。

マタイの福音書13章30節
収穫まで、両方とも育つままにしておけ。収穫の時になったら、刈る者に、まず毒麦を集めて束にして焼き、麦の方は集めて倉に入れてくれ、と言いつけよう』」。


このマタイの福音書13章の解釈として
"良い種をまく者"は人の子、すなわちイエス・キリストである。
"畑"は世界であり、"良い種"とは御国の子どもたち、すなわち真のキリストの弟子たち。
"毒麦"は悪い者の子どもたち、すなわち偽のキリストの弟子たち。
"収穫"はこの世の終わり、審判の時を意味する。
"刈り手"は黙示録にあるように、終わりの時に世界の審判に携わる御使い。

この"畑"はキャッチコピー"この物語はラスト1秒でひっくり返る"と明かされたカタガキナオミが脳死となったリアル世界Cとするなら、"麦"が堅書直実のいる世界A、"毒麦"が一行瑠璃が脳死となったカタガキナオミの世界Bとも取れる。(図②)


よって、2人が師弟関係であることからも"良い種をまく者"はカタガキナオミ、"良い種"は堅書直実。
堅書直実を利用し、誘導したことから、"悪い種"は世界Aの堅書直実のもとへとやって来た世界Bのカタガキナオミのアバター
"収穫"はALLTARE、"刈り手"は修復システム。

"畑"の中にある"麦"と"毒麦"の区別が付かないのように、リアルの世界Cでデータ化された世界Aとカタガキナオミの意識世界Bの区別ははっきりとは分からない。



2つの世界の融合体である因果律特異点となった一行瑠璃。
そして、その世界と別の世界の2人が同じ世界に存在する因果律特異点となった堅書直実。

この世界Bで重複する2人が紡いだ新しき世界("HELLO WORLD")が、マタイの福音書13章24節の"天国"であり、堅書直実のいたデータ世界Aから分岐し、独立したパラレルワールド(世界A')であると考えられる。

つまりは、過去が改変され、新たな現実が創り出されたことを意味する



従って、この「HELLO WORLD」は旧約聖書でのアダムとイブを模したものでもあると考えられる。
データ社会での神をALLTAREとするなら、堅書直実と一行瑠璃はアダムとイブ。

アダムとイブは神から創られ、禁断の果実に手にするという禁忌を犯した罪で楽園を追放されます。
世界Bでの堅書直実と一行瑠璃は保存されたデータ、つまりALLTAREが創り出した記憶であり、2人は決められた世界を捻じ曲げてデータそのもの(変えられない過去)を変えてしまうという禁忌を犯す。
結果、楽園(世界A)から追放(解放)され、新たな1ページを捲る(世界A')こととなるのです。



さて、ここで映画版ではあまり語られなかった三本足のカラスの存在についても触れておこう。

モデルは八咫烏(ヤタガラス)と呼ばれる神の使いです。


熊野本宮大社 八咫烏の像

八咫烏(やたがらす、やたのからす)は、日本神話において神武東征(じんむとうせい)の際、高皇産霊尊タカミムスビ)によって神武天皇のもとに遣わされ、熊野国から大和国への道案内をしたとされるカラス(烏)であり神。一般的に三本足のカラスとして知られ古くよりその姿絵が伝わっている。

中国神話では三足烏は太陽に棲むといわれる。陰陽五行説に基づき、二は陰で、三が陽であり、二本足より三本足の方が太陽を象徴するのに適しているとも、また、朝日、昼の光、夕日を表す足であるともいわれる。中国では前漢時代(紀元前3世紀)から三足烏が書物に登場し、王の墓からの出土品にも描かれている。三脚の特色を持つ三脚巴やその派生の三つ巴は非常に広範に見られる意匠である。

八咫烏 - Wikipediaより引用



原作小説では、カラスの存在について幾つか言及されています。
原作において、このカラスは世界Cの一行瑠璃が世界Bのカタガキナオミを、更には世界Aの堅書直実を助けるために送られたもの。
世界Bから送られたカタガキナオミのアバターのように、世界Cから送られた一行瑠璃のアバターのようなものなのでしょう。
このことからも、この世界が上記に記載している図②の構図であることを意味します。

また三本足が朝昼夕の光を表すことから、一日の終わり、そして新たな一日の幕開けを暗示するものであるとも考えられます。



終わりに

如何でしたでしょうか。
自分で言うのもなんですが、原作を読み終えたということもあって時間が掛かった割には穴だらけの考察になってしまいましたね(笑)

しかし、この映画「HELLO WORLD」は‪既視感のある設定は多く手放しで褒められるものでもはないが、それに伴う考察の余地が広く鑑賞後も楽しめる意欲作。‬
良い映画だったと思います。
所謂"セカイ系SF"って面白いですね!



最後までお読みくださった方、ありがとうございました!



(C)2019「HELLO WORLD」製作委員会