小羊の悲鳴は止まない

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現代社会に切り込む聖書(「幸福なラザロ」ネタバレ考察)

目次




初めに

こんにちは、レクと申します。
今回は『幸福なラザロ』について語っています。

この映画を深く語ろうとすればネタバレを避けることはできません。
したがって、この記事はネタバレを含みます。
未鑑賞の方はご注意ください。



作品概要


原題:Lazzaro felice
製作年:2018年
製作国:イタリア
配給:キノフィルムズ
上映時間:127分
映倫区分:G


解説

カンヌ国際映画祭グランプリ受賞作「夏をゆく人々」などで世界から注目されるイタリアの女性監督アリーチェ・ロルバケルが、死からよみがえったとされる聖人ラザロと同じ名を持ち、何も望まず、目立たず、シンプルに生きる、無垢な魂を抱いたひとりの青年の姿を描いたドラマ。「夏をゆく人々」に続き、2018年・第71回カンヌ国際映画祭コンペティション部門に出品され、脚本賞を受賞した。20世紀後半、社会と隔絶したイタリア中部の小さな村で、純朴な青年ラザロと村人たちは領主の侯爵夫人から小作制度の廃止も知らされず、昔のままタダ働きをさせられていた。ところが夫人の息子タンクレディが起こした誘拐騒ぎを発端に、夫人の搾取の実態が村人たちに知られることとなる。これをきっかけに村人たちは外の世界へと出て行くのだが、ラザロだけは村に留まり……。
幸福なラザロ : 作品情報 - 映画.comより引用

予告編



時代背景

今作『幸福なラザロ』は20世紀後半のイタリア中部にある小さな村が舞台。

貧しい生活の中で働き者の純朴なラザロと村人たちは、小作制度の廃止を隠蔽する侯爵夫人に騙され、社会から隔離された生活を強いられていました。
ある日、侯爵夫人の息子タンクレディ狂言誘拐騒ぎを起こし、この事件をきっかけに村人たちは外の世界に出ていく。



このあらすじは監督アリーチェ・ロルバケル自身が"小説より奇"な事実から着想を得たと語っています。

「何よりもイタリアで80年代にやっと中世――労働を奴隷制度と見なす考え方が終わったことで生まれた大きな可能性について語りたかったの。それは政治の力で労働が人類にとって重要なものであることを再認識するチャンスだったから。ところが奴隷制を続ける選択がなされた。肌の色が変わり、出身地も変わって、以前の農民たちとは違うけれど、奴隷であることに変わりはない」
カンヌ脚本賞「幸福なラザロ」A・ロルバケル、インスピレーションの源は“小説より奇な”事実 : 映画ニュース - 映画.comより引用


イタリアでは、1964年から1982年という18年もの時間をかけて廃止になったメッザドリアという小作人制度がありました。
メッザ(半分)という言葉からも分かる通り地主に収穫の半分を納めるというものです。

小作制度(こさくせいど)とは、農民が生産手段としての土地をもたず、その土地の所有者や占有者から土地の使用権を得て農作物の生産に従事する制度。小作制度は土地の性格あるいは所有権や占有権の性格の差異によって多様な様相をもつ。
小作制度 - Wikipediaより引用


1982年に封建的な小作制度が廃止されても尚、労働環境は改善されず、搾取も隷属状態も改善されない。
それどころか、貧困問題は一層過酷になっている。
農民たちは自由を手に入れたが、特権階級は搾取のターゲットを貧しい外国人たちに変え、更に搾り取ろうとしていました。



これは嘘のようで本当にあった出来事。
容赦のない現実の不条理を描き出すため、アリーチェ監督が選んだ主人公がラザロなのです。

目を見張るほどの善人であり、純粋故に人を疑うことを知らない。
扱き使われる村人のためでも、自己中心的な侯爵夫人の息子のためでも、望みを聞いて回る。
隷属関係にある下僕のようにも、はたまた人々を助ける聖人のようにも映る。
そんなラザロの姿が静かに淡々と、それでいて清く淑やかに慎ましく物語を引っ張っていく。



第一部

ラザロくんは二度死ぬ!



いきなり核心をつくネタバレをぶち込みました。

そう、ラザロくんは劇中で二度死んじゃうんです。
あらすじに書かれたストーリーは第一部に過ぎません。
一度目の死からの復活で物語は第二部へと入ります。

色々あってラザロくんは一度死んでから、時を経て再び目覚めるんですよね。



まず、ラザロくんは新約聖書に聖人ラザロがモデルなのは言うまでもないですね。


ラザリ(ラザロ)の復活のイコン(15世紀ロシア)

ラザロはユダヤ人の男性で、イエスの友人。日本ハリストス正教会ではラザリと転写される。ユダヤ名エリエゼルがギリシア語化した名と推測される。

正教会非カルケドン派カトリック教会・聖公会で聖人。記念日は6月21日。エルサレム郊外のベタニアに暮らし、マリアとマルタの弟で共にイエスと親しかった。イエスは彼らの家を訪れている(『ルカによる福音書』10:38-42)。

また『ヨハネによる福音書』11章によれば、イエスによっていったん死より甦らされた。ラザロが病気と聞いてベタニアにやってきたイエスと一行は、ラザロが葬られてすでに4日経っていることを知る。イエスは、ラザロの死を悲しんで涙を流す。イエスが墓の前に立ち、「ラザロ、出てきなさい」というと、死んだはずのラザロが布にまかれて出てきた。このラザロの蘇生を見た人々はイエスを信じ、ユダヤ人の指導者たちはいかにしてイエスを殺すか計画しはじめた。カイアファと他の大祭司はラザロも殺そうと相談した。(ヨハネ12:10)

ラザロ - Wikipediaより引用


ラザロ蘇生の奇跡は、人類の罪をキリストが贖罪し、生に立ち返らせることの予兆とされています。

このラザロ蘇生はメタファーやメッセージ性として多くの文学に用いられています。
例えば、ドストエフスキーの『罪と罰』でも、主人公である殺人犯ラスコールニコフが自白を決意する際にラザロの死と復活について娼婦ソーニャに請うて朗読させる場面があります。


また、ラザロという言葉は医学用語としても用いられます。

ラザロ徴候(ラザロちょうこう、英語: Lazarus sign, Lazarus phenomenon)は脳死とされる患者が自発的に手や足を動かす動作のことである。1984年にA・H・ロッパーによって脳神経科学誌の『Neurology』に報告され、ラザロ徴候と名づけられた。名前は新約聖書でイエスによってよみがえったとされるユダヤ人のラザロに由来する。
ラザロ徴候 - Wikipediaより引用


ラザロ徴候を題材としたSFホラー映画も作られていますね。



ちなみに、新約聖書旧約聖書に対して、新しい契約という意味がある27の文書からなるキリストの正典です。

旧約聖書ユダヤ教の正典であり、モーゼとの契約について記されたもの。
新約聖書はキリストの誕生後の神の啓示を記したもの。
マタイ・マルコ・ルカ・ヨハネの四福音書でイエスの行動と説教を伝え、ペテロ・パウロなどの活動を伝える「使徒行伝」があり、パウロの手紙といわれる13の書簡が続く。
最後に「ヨハネの黙示録」ではローマ帝国の迫害下にある信者に対し、忍耐と希望を呼びかけ、終末での神の審判への期待を記している。



劇中の冒頭で、村人たちが宴を繰り広げている夜、一人で鶏小屋の見張りをするラザロの姿がひとつ。
侯爵夫人に搾取される村人たちからも搾取されるラザロくんという構図は言わば食物連鎖の底辺に位置する。

もうひとつは高熱に魘された夜
村人たちはラザロの頭をご利益があるかのように順番に撫でていく。
足元もおぼつかない様子で高所から転落する一度目の死は、侯爵夫人と村人の隷属関係の崩壊を意味し、小作人たちは救済される。





ここで、劇中に一貫して登場する"狼"について考えていきます。

小作人たちにとって、家畜は財産のようなものです。
そんな大切な家畜、主に羊や鶏を殺すものとして狼は恐れられている存在。
隔離された社会の外部からやってきてその集落を撹乱させる存在です。

羊や鶏を見張るラザロは村人からも搾取される立場。
しかし、そんなラザロこそがその集落を守り、支える役割を担っていたのだろう。



小作人である村人たちを搾取する側の立場であるタンクレディと搾取される側のラザロが兄弟という形で友好的な関係を築き、"狼の遠吠え"を真似たシーン。
これは集落が内部から崩れることを予兆するもの。

結果、デ・ルーナ侯爵夫人を頂点とする食物連鎖は、タンクレディ狂言誘拐によって崩壊することとなった。



新約聖書には"羊の皮をかぶった狼"という言葉が登場します。

にせ預言者たちに気をつけなさい。彼らは羊のなりをしてやって来るが、うちは貪欲な狼です。(新約聖書 マタイの福音書 7章 15節)

意味としては「親切そうにふるまっていながら、内心ではよからぬことを考えている人物」となります。
ちなみに"羊"という動物は聖書の中では、象徴的な意味を持つ動物。
それは時にイエス・キリストを象徴する時もあれば、人間を象徴することもあります。

つまり"羊の皮をかぶった狼"とは侯爵夫人やニコラのように小作人を搾取する側を指す。
村人たちが侯爵夫人のことを"毒ヘビ"と表現していたこの言葉がそれと同等の意味を持つ。

新約聖書にてパウロが毒蛇に噛まれる話がありますが、旧約聖書から一貫して毒蛇は悪の象徴であると考えられます。

旧約聖書においても創世記3章にて、蛇はアダムとエバをそそのかし、神様が食べてはいけないと言われていた木の実を食べさせてしまいます。
これが人間の罪の始まりでした。

村人にとって、侯爵夫人は悪の存在というわけです。



少し話が逸れましたが、狼の話に戻します。
ラザロくんの一度目の死から、再び目覚めたシーンで、狼がラザロの匂いを嗅いでいました。

狼は善人の匂いを嗅ぎ分けられるのか?



イタリアオオカミという品種がいるのはご存知でしょうか?


メスはオスに比べて1割ほど小さい。 オスの平均体重は、24~40kg、体長100~140cmで体毛は黒や灰色、茶色をしている。

イタリアオオカミは、1800年代半ばまでは、シチリア島を含め、イタリア半島の広範囲に及んでいたが、 1940年代にはシチリア島から姿を消した。 1960年から1970年の間に400頭以上のイタリアオオカミが殺害された。

イタリアオオカミ - Wikipediaより引用


劇中に登場した狼もイタリアオオカミです。
狼はイタリアにとって象徴的な動物なんですね。

ラザロには両親はいません。
いつ、どこで生まれたのかも知りません。
狼と育った可能性も。
そして一度目の死で、狼がローマの魂を運んできた、とも考えられます。

ローマに伝わる伝説にも、狼に育てられた双子の話があり、ローマの街には狼の銅像も建っています。
狼に育てられた双子ロムルスとレムスは羊飼い夫婦ファウストゥルスとラレンティアに発見され、二人のもとでたくましい青年に成長し、羊飼いをしていたという話もあります。
この兄ロムルスという名前が、後に"ローマ"の名前の由来となったそうです。



第二部

一度目の死からの復活、時を経て目覚めたラザロはひとり過去に取り残されたかのように彷徨い歩く。

第一部ではたばこ農園と自然の風景を中心に、実話に準えたストーリーで村人たちをリアリズムに捉えていました。


時を経て第二部へと入り、舞台が隔離された村から北イタリアの大都市へ転ずると、ラザロの聖人像は一層色濃くなります。


アントニアやタンクレディと再会したラザロが訪れた教会のシーン。
まるで神がラザロを祝福していたかのように、彼が去った後の教会から音楽が逃げてしまいます。
聖歌はラザロを追って空を舞うのです。

その時、ラザロが流した一筋の涙は観ている我々観客の心を浄化するように美しく、清らかで。。。



兄弟と信じ込み、タンクレディとの再会を喜んだのも束の間、ラザロはその裏切りにより悲しみに暮れます。

タンクレディに招待される直前、タンクレディとラザロは再び"狼の遠吠え"をします。
これは二人の関係を崩壊させることを予兆していたのか?

ラザロは尚、兄弟であるタンクレディを救うべく、差し押さえられた財産を取り戻すために銀行へ向かいます。
辛くもタンクレディとの絆でもあった武器"パチンコ"を銃と間違えられ、怒り狂った市民の暴力によってラザロは動かなくなりました。

二度目の死を迎えたラザロの元を離れ、車道を走る狼は、"聖人"ラザロの清き魂を古都ローマへ連れ帰ったのか。





新約聖書にラザロはもう一人登場します。

金持ちとラザロはイエス・キリストのたとえ話(ルカによる福音書16章19~31節)に登場する対照的な人物である。

16:19 ある金持がいた。彼は紫の衣や細布を着て、毎日ぜいたくに遊び暮していた。20 ところが、ラザロという貧しい人が全身でき物でおおわれて、この金持の玄関の前にすわり、21 その食卓から落ちるもので飢えをしのごうと望んでいた。その上、犬がきて彼のでき物をなめていた。22 この貧しい人がついに死に、御使たちに連れられてアブラハムのふところに送られた。金持も死んで葬られた。23 そして黄泉にいて苦しみながら、目をあげると、アブラハムとそのふところにいるラザロとが、はるかに見えた。24 そこで声をあげて言った、『父、アブラハムよ、わたしをあわれんでください。ラザロをおつかわしになって、その指先を水でぬらし、わたしの舌を冷やさせてください。わたしはこの火炎の中で苦しみもだえています』。25 アブラハムが言った、『子よ、思い出すがよい。あなたは生前よいものを受け、ラザロの方は悪いものを受けた。しかし今ここでは、彼は慰められ、あなたは苦しみもだえている。26 そればかりか、わたしたちとあなたがたとの間には大きな淵がおいてあって、こちらからあなたがたの方へ渡ろうと思ってもできないし、そちらからわたしたちの方へ越えて来ることもできない』。

金持ちとラザロ - Wikipediaより引用


この話に登場するラザロは聖人ラザロとは別人です。

ラザロという名前はヘブル名ではエルアザル(神はわが助け)という意味。
貧しい病人のラザロに対し同情心を持たなかった、ある金持ちの死後の世界での末路について語られる。
そして、イエスが教えを語り、悔い改めを促しても彼らは一向に耳を傾けないだろうと言う意味が込められている。



ラザロの一度目の死からの復活、第一部は"聖人ラザロ"。
そして、復活してからラストの二度目の死までの第二部は"金持ちとラザロ"に登場するラザロとの共通点が非常に多いんです。



終わりに

第一部では過去に実際にあった事実を基に"聖人"ラザロの復活を。
そして第二部では第一部で描いた小作制度が残す傷跡、現代社会を見据える"聖人"視点で映しながら、貧困層が抱える問題を描いた寓話、いや聖書である。


独特な世界観や空気感、それを押し付けがましくなく、すっと心に染み渡るように優しく、そして心の澱を掬ってくれるように慎ましく現代の"聖人"を作り上げたアリーチェ・ロルバケル監督の手腕を見せつけられました。
過去作を観ると共に、新作を追いかけていこうと思いましたね。

ということで『幸福なラザロ』、なんとも言えない余韻に包まれる素晴らしい映画でした。



最後までお読みいただいた方、ありがとうございました。




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