小羊の悲鳴は止まない

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ギリシア神話から読み解く映画「ロブスター」ネタバレ考察

目次




初めに

こんにちは、レクと申します。
今回は『ロブスター』について語っています。
久しぶりに新作ではない映画の考察記事になります。

この記事はネタバレを含みます。
ご注意ください。



作品概要


原題:The Lobster
製作年:2015年
製作国:アイルランド・イギリス・ギリシャ・フランス・オランダ・アメリカ合作
配給:ファインフィルムズ
上映時間:118分
映倫区分:R15+


解説

アカデミー外国語映画賞ノミネート作「籠の中の乙女」で注目を集めたギリシャのヨルゴス・ランティモス監督が、コリン・ファレル、レイチェル・ワイズら豪華キャストを迎えて手がけた、自身初の英語作品。2015年・第68回カンヌ国際映画祭で審査員賞を受賞。独身者は身柄を確保されてホテルに送り込まれ、そこで45日以内にパートナーを見つけなければ、動物に変えられて森に放たれるという近未来。独り身のデビッドもホテルへと送られるが、そこで狂気の日常を目の当たりにし、ほどなくして独り者たちが隠れ住む森へと逃げ出す。デビッドはそこで恋に落ちるが、それは独り者たちのルールに違反する行為だった。
ロブスター : 作品情報 - 映画.comより引用




ギリシア神話から読み解く

まずはTwitterにあげた感想から。



ということで、自分が感じたギリシア神話との共通点についてサクッと語っていきます。



テイレシアースは盲目の予言者として知られるが、盲目となった理由は諸説あります。

一説では、テイレシアースがキュレーネー山中で交尾している蛇を殺したことで女性になってしまう。
9年もの間、女性として暮らした後、再び交尾している蛇を見つけて殺すと男性の姿に戻ります。

ある日、ゼウスとヘーラーが、男女の性感の差について言い争いになったとき、両性を経験しているテイレシアースの意見を求める。
テイレシアースは「快感を10倍に分けており、男を1とすれば、女はその9倍快感が大きい」と答え、ヘーラーは怒ってテイレシアースを盲目にします。
ゼウスはその代償に、テイレシアースに予言の力と長寿を与えました。



本作『ロブスター』の動物に変えられるというシュールな設定もこのギリシア神話の"変身物語"からの着想を得たのではないかという個人的見解です。

この"変身物語"でテイレシアースは蛇の交尾を見つけ、殺したことで女性となってしまった。
そして、再び同じ行動をして男性に戻った
ことから、物語冒頭のバイ・セクシャルに繋がる。
主人公デビッドがテイレシアースに準えられた事を示すものではないのか?と考えたわけです。


また、盲目の代償として予言の力と長寿を与えた。
予言の力についてだが、テイレシアースがナルキッソスを占って「己を知らないままでいれば、長生きできるであろう」と予言する場面がある。
ナルキッソスは動物ではなく水仙という花に変えられてしまうのだが、ナルキッソスはナルシストの語源であり、自分自身を知るとは人を愛すること、今作では盲目の女性を愛する自分の姿。
愛を知らなければロブスターとなり長寿を得ることになる。
この物語の大筋とナルキッソスを占ったテイレシアースの予言の共通点です。



"オイディプース王の悲劇"に出てくる、かの有名なスピンクスの謎かけ。


オイディプスとスフィンクス

テーバイの地に向かったオイディプース。
そこではスピンクス(スフィンクス)という怪物に悩まされていました。
「一つの声をもちながら、朝には四つ足、昼には二本足、夜には三つ足で歩くものは何か。その生き物は全ての生き物の中で最も姿を変える」

テーバイに来たオイディプースはこの謎を解き、スピンクスに言います。
「答えは人間である。何となれば人間は幼年期には四つ足で歩き、青年期には二本足で歩き、老いては杖をついて三つ足で歩くからである」


余談ですが、もうひとつの解釈として
スピンクスの謎かけの答えは「オイディプース」であるとも言われています。
初めは立派な人間(二つ足)
母と交わるという獣の行いを犯し(四つ足)
最後は盲目となって杖をついて(三つ足)
つまり、朝・昼・夜という時系列は、青年期・壮年期・老年期となるということ。
この解釈は蜷川幸雄演出の『オイディプス王』(2002年、野村萬斎主演)でも演じられています。


これも彼らの行動と一致する。
人間として生きていく道を選んだ二人。
厳密には近親相姦ではないが、森での禁じられた行為(異性間交遊)として描かれていると思ってもらえれば。



ちなみに、テイレシアースとオイディプースの共通点でもあるテーバイについても言及しておきます。

テーバイは、ギリシャ神話で重要な役割を果たす土地。
神話によれば、テーバイの創建者はカドモスで、父を殺し母を妻としたオイディプースの悲劇の舞台です。

オイディプースには2人の男子と2人の女子がいました。
オイディプースの2人の男子は王位をめぐって争い、テーバイ攻めをする。
その攻略に失敗し、反逆者として埋葬が禁止された。

今作に当てはめるなら、テーバイは例のホテルを指し、逃亡した独身者は反逆者を指す。
誰も埋めてはくれない、自分の墓を掘れという設定は反逆者は埋葬が禁止されたことに基づくと考えられる。



愛とは何か?

あくまでもギリシア神話はこの物語の大筋の話を準えるだけであって、その根底にあるメッセージはTwitterの感想にも記述した通り、"愛とは何か?"なんですよ。


ホテルのルールとして45日以内にパートナーを見つけなければ動物になる。
極端な話、好きでもない異性に好かれる為に偽りの共通点を探すわけです。
その嘘に綻びが出ればカップルにはなれず動物となってしまう。

だから、それが嫌で独身者のままであろうとする逃亡者が森へと逃げ出す。

面白いのが、その逃亡者たちレジスタンスを麻酔銃で眠らせて捉えれば、一人あたり一日のホテル滞在期間が延長されるというもの。

ホテル滞在者は動物にされまいと必死であり、独身者は格好の餌食。
つまり、まだ動物になっていない逃亡者は既に動物のように狩られる立場にあるということです。

ホテルでも規則に縛られ、レジスタンスでも規則に縛られる。
いずれにしても待っていたのがファシズムの抑圧なわけです。



ここで、レジスタンス側としてデビッドは近視の女性と恋に落ちて逃避行するわけですが、もっと早くに出会っていれば…といった人の運命論的観点が皮肉が見え隠れする。


デビッドが思いを寄せる女性に近づいた男に必要以上に近視かどうか迫るシーンでも、近視であることが二人の共通点、運命の相手である条件、運命の出会いであると信じていたから。


そんな近視の女性はレジスタンスのリーダーに騙されて失明する。
近視ではなくなった女性との共通点がなくなったデビッドが取った行動がラストシーンです。

ラストで足の不自由な男が鼻血の偽装を行ったように、彼も盲目となったか否かについては、個人的見解では否であると考えています。

様々な解釈が出来る故、盲目を選んだ視点もあり。
盲目になることを選んだと解釈するなら、盲目の預言者であるテイレシアースに繋がり、盲目の人が杖をついて歩く姿からオイディプースの三本足(この物語の終盤を指す)にも繋がる解釈が可能です。

エンドロールに流れる波の音からも、彼は盲目となるという決断が出来ず、ロブスターになった説の方が濃厚ですね。
エンドロールに入る間際の彼を待ち続ける彼女の長回しからもそれは推測できる。



「せめて生まれ代わることができるのなら、人間なんて厭だ。しかし、牛や馬ならまた人間にひどい目にあわされる。どうしても生まれ代わらなければならないのなら、私は貝になりたい。なぜなら、深い海の底の岩にへばりついている貝は、何の心配もない。兵隊にとられることもない。」

元陸軍中尉・加藤哲太郎の獄中手記『狂える戦犯死刑囚』の遺書部分をもとに創作されたドラマ『私は貝になりたい』。
その遺書の一文です。

これと似たような内容の詩があります。

I should have been a pair of ragged claws
Scuttling across the floors of silent seas.
(カニかなんかの一対のボロ爪になって、しいんとした海の底を急いで渡ってたほうがよかったね。)
The Love Song of J. Alfred Prufrock by T. S. Eliotより引用


『The Love Song of J. Alfred Prufrock』
J・アルフレッド・プルーフロックの恋歌というトマス・スターンズ エリオットの処女詩集。


まさに今作でのデビッドの想いそのもの。
愛から逃れるために、人間ではいたくなくなった。
ロブスター(カニ)のように海の底で静かに生きようと。

デビッドは盲目になることを避け、視力の代わりに彼女の愛を失ったのでしょうか。



終わりに

ということで、簡単にギリシア神話から見た『ロブスター』の考察と補足をしましたが、様々な解釈が出来る面白い映画でしたね。


久しぶりに旧作映画で考察したいと思える作品に出会いました。
ヨルゴス・ランティモス監督作、実は『女王陛下のお気に入り』が初鑑賞作であり、『ロブスター』は彼の作品の二作目なんです。



『聖なる鹿殺し』は劇場鑑賞を逃してしまって、まだ鑑賞出来ていません。
また機会がありましたら、ブログに起こすかもしれません。

その際は、よろしくお願いします(笑)





【追記】

『聖なる鹿殺し』、『籠の中の乙女』鑑賞しました。
考察ブログはこちらから。





最後までお読みいただいた方、ありがとうございました。



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