小羊の悲鳴は止まない

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癒やしと恐怖の不協和音(「ミッドサマー」ネタバレ考察)

目次




初めに

おはようございます、レクと申します。
今回は公開日初日にフォロワーさんとご一緒させていただいて観てきた『ミッドサマー』について語っていきます。


その前にこれだけは言わせてください。

Twitterで『ミッドサマー』がトレンド入りって異常事態だろwww

コホン、失礼しました。
それでは早速続きを書いてきいます。


この記事はネタバレを含みます。
未鑑賞の方はご注意ください。



作品概要


原題︰Midsommar
製作年︰2019年
製作国︰アメリカ
配給︰ファントム・フィルム
上映時間︰147分
映倫区分︰R15+


解説

長編デビュー作「ヘレディタリー 継承」が高い評価を集めたアリ・アスター監督の第2作。不慮の事故により家族を失ったダニーは、大学で民俗学を研究する恋人や友人たち5人でスウェーデンを訪れた。彼らの目的は奥地の村で開催される「90年に一度の祝祭」への参加だった。太陽が沈むことがないその村は、美しい花々が咲き誇り、やさしい住人たちが陽気に歌い踊る、楽園としか形容できない幸福な場のように思えた。しかし、そんな幸せな雰囲気に満ちた村に不穏な空気が漂い始め、妄想やトラウマ、不安、そして恐怖により、ダニーの心は次第にかき乱されていく。ダニー役を「ファイティング・ファミリー」のフローレンス・ピューが演じるほか、「トランスフォーマー ロストエイジ」のジャック・レイナー、「パターソン」のウィリアム・ジャクソン・ハーパー、「レヴェナント 蘇えりし者」のウィル・ポールターらが顔をそろえる。
ミッドサマー : 作品情報 - 映画.comより引用




逆転の発想と対比

先ずはTwitterの感想から。



こんなツイートを載せるなって話ですが、このようなネタに走ったのには理由があるんです。

それは僕の感想がネタバレなし140字では語れなかったこと。
ずっと矛盾点や違和感が気になって非常に感想に困ったからなんですよね。
ということで、簡単な感想から書いていきます。




今作『ミッドサマー』アリ・アスター監督の長編デビュー作『へレディタリー 継承』と同じく家族にトラウマを持つ主人公が擬似家族による集団を形成することである種の救済措置として機能している。



今回のテーマの一つである疑似家族を成り立たせる為の失恋は同時に縁切りの意味も兼ねているのだろう。
そして、もう一つのテーマが逆転の発想と対比。


青空が広がる自然、日が暮れない白夜。
ホラー映画の定石を覆すきらびやかで明るい世界で描き出す不可解さは、一周回って笑いをも巻き起こす。

ダニーの冒頭とラストでの表情。
閉鎖的な村と我々の住む世界。
輪廻転生と祖先の宿る木。
血の継承と近親相姦。
崖の儀式での悲嘆と狂喜の反応。
クリスチャンと村人の寄り添い方。

これらを視覚的に表したのが、天地を返すカメラワーク。



そして意味有りげに英語からスウェーデン語へと表記を変える『サマー』。


今作『ミッドサマー』はホラー映画ではなく、コメディ映画です。
しかし、コメディとして見るとホラー的な要素が見えてきます。

この逆転の発想と対比は今作『ミッドサマー』の随所で見られ、整合性のない意図的に作られた不協和音が奏でる祝祭が恐怖を癒しへと変える。



ここで、アリ・アスター監督のコメントを読んでみましょう。

「ホラーじゃないって言っているのは、ホラー映画だったら見ないという人もいることを残念に思うからなんだ。そういう人にも楽しんでもらえると思うし、そもそも、ホラー映画というラベルがこの作品に合っていないと僕は思う。確かに、劇中では恐ろしいことも起こるけれど、ほとんどの映画で恐ろしいことって起きるよね。僕にとっては、ホラーというよりダークコメディだし、カタルシスを感じる物語。心動かされる作品であってほしいしと同時に、ざわざわした気持ちになってほしい。ホラーが苦手な人が感じて困るざわざわではないと思うよ」
「ミッドサマー」はホラー映画じゃない? 真意をアリ・アスター監督が明かす : 映画ニュース - 映画.comより引用


本当にそうなんですかね!?
アリ・アスター監督にとってのダークコメディは我々にとってのホラーなんじゃないのか?
などと深読みしていたら、ちょっと恐ろしいものが見えてきたんですよ。



数字の9


今作『ミッドサマー』でメインとなる儀式。

"ミッドサマー"とは文字通り夏の真ん中、"夏至"を意味することが劇中で明かされます。


この儀式は定期的に行われるが、大規模な夏至祭は90年周期で行われる祝祭が9日間続く特別なものであること。
ラストで明かされたその祝祭の生贄が内外合わせて9人であること。

そして"ミッドサマー(夏至)"のもう一つの意味
人生を四季に当てはめた時に
0-18歳は春
18-36歳は夏
36-54歳は秋
54-72歳は冬

主人公ダニーは大学院の博士号卒業前に誕生日を迎えたことから27歳であることがわかる。
18-36歳のちょうど中間地点の年齢。
18歳に9を足した数字であり、36歳から9を引いた数字でもある。


つまり、ダニーこそが『ミッドサマー』であり、予め女王になるように作為的にこの閉鎖的な村に招かれた可能性を推察できます。



このように、絵や台詞から"9"という数字に深い意味があるかのように意識付けてくるんですよ。
そこで"9"という数字が持つ意味を色々考えてみました。


・宗教における9

一般的に日本では9は「苦」とされあまりいいイメージはありません。
しかし、本来は縁起の良いものとされています。

僕の住む京都にある上賀茂神社では毎年9月9日の"重陽の日"に開催されている神事"烏相撲"という行事があるんです。
9月9日は奇数の最高の数である9が2つも並んでいることで最も縁起のよい日と考えられていて、"烏相撲"の神事により悪霊退治が執り行われています。
これは上賀茂神社の御祭神である賀茂建角命(かもたけつぬみのみこと)が八咫烏となり桓武天皇の東征のときに先導したことに由来する神事です。
神社仏閣が並ぶ日本ではある意味で儀式とされるような験担ぎや催し物があるのです。


中国では奇数は幸運数、偶数は忌数と考えることから9は幸運数となっています。
また中国語で9は"久"という漢字の読みと同じく"ジュー"と発音し、永遠を表すことからも幸運と考えられています。


新約聖書〈マルコによる福音書〉15章25節によれば
イエスを十字架につけたのは、朝の九時ごろであった。
とされる。



・タロットカードにおける9

大アルカナにおける9番目のカードには"隠者の絵"が描かれています。
このカードは真実の探求を意味し、隠された真実を探求することで、確信に向かって進むことを表しています。
このカードの正位置は、深慮、忠告を受ける、崩壊などを表しています。


また、小アルカナには杖、聖杯、剣、金貨という4種類があります。

杖の9は、9本の杖の間に立つ男性の姿が描かれていて、吉報という意味があります。
このカードの正位置は、前兆などの意味があります。

聖杯の9は、9つのカップの下に座る男性の姿が描かれていて、願望達成を表しています。
このカードの正位置は、願いが叶うことを意味しています。

剣の9は、9本の剣の横でベッドに座って心配をしている女性が描かれていて、不安や大きな悲しみを示しています。
このカードの正位置は、不幸、失望を意味しています。

金貨の9は、8つのコインの前で手に取りを乗せて佇む女性の姿が描かれていて、チャンスの到来を意味しています。
このカードの正位置は、良家に嫁ぐ、希望の実現などを表します。



・エンジェルナンバーにおける9

0-9の中で一番大きい数字である9は別れ、終焉、解放などを意味します。
同時に新しい始まり、前進、癒しという意味を示すことになります。



これらはあくまで"9"という数字の意味を並べただけですが、今作『ミッドサマー』と重なる部分は多いと思います。

これらの意味を踏まえた上で次の目次に進んでください。



ルーン文字


今作『ミッドサマー』ではルーン文字による儀式が描かれていましたね。


ルーン文字(ルーンもじ)は、ゲルマン人がゲルマン諸語の表記に用いた古い文字体系であり、音素文字の一種である。

ルーン文字は「呪術や儀式に用いられた神秘的な文字」と紹介されることもあるが、実際には日常の目的で使われており、ルーン文字で記された書簡や荷札なども多数残されている。呪術にも用いられていたが、それが盛んに行われるようになったのは、むしろラテン文字が普及しルーン文字が古めかしくいかにも神秘的に感じられるようになった時代に入ってからである。

ルーン文字 - Wikipediaより引用


今作のメインともなる祝祭の聖典にはルーン文字で感情を示す16の言葉が刻まれていました。
これは儀式によってすべての感情を解放するといった意味合いではないかと考えています。

共に笑い、泣き、怒ってくれる。
孤独な時に支えになる。
それがひとつの家族の在り方。

家族を失い、悲嘆の感情しかないダニーの他の感情を解放する為に、ひとつの家族となる為に行われた祝祭。



さて、ここでWikipediaのこの部分に着目していただきたい。

呪術にも用いられていたが、それが盛んに行われるようになったのは、むしろラテン文字が普及しルーン文字が古めかしくいかにも神秘的に感じられるようになった時代に入ってからである。


ルーン文字が呪術として用いられたのはラテン文字が普及してから。
このことから上記の数字の9が持つ意味も色々と活きてきます。

昔からある伝統、血などの受け継がれる歴史の前では今を生きる人間はごく小さな存在でしかない。
ある種の宗教やまじないや占いごとに身を委ねることから、自身の救済の道が開けることもある。



そんな人間の感情の弱さを逆手に取ったのが今作『ミッドサマー』ではないか?

つまり、結論から言えば
この大掛かりな祝祭自体がルーン文字や9という数字の持つ意味をそれらしく用いてそれっぽい儀式として見せ、説得力を持たせるための偽装工作。



そう考え出すと村のしきたりは二つの矛盾がありましたね?

一つは上記にも書きました

"輪廻転生と祖先の宿る木"です。


0-72歳で人生の四季を表し、72歳を過ぎれば崖の儀式によって自ら命を絶つ。
四季のように巡る輪廻転生とするなら、祖先は赤子となって生まれ変わるはずで、祖先が木に宿るわけがないんです。

また、90年に一度ではなく、72歳を迎えた村人が出る度にこの祝祭を行っていたとも考えられます。


もう一つの矛盾点が

"血の継承と近親相姦"です。


昔からよくある血にまつわる呪いやおまじない、そして儀式、後継ぎなどがあります。
村のしきたりで近親相姦はないとされつつ、その後すぐに近親相姦でできた奇形の子が登場する。
これも村人の近親相姦により子を授かった事態を神の子のように崇め儀式の一つとして組み込んだ後付けでは?

また、クリスチャンの飲むジュースだけ色が違ったり、食べ物に毛が入っていたことから、女性器の血による惚れ薬は実際に試されている。
この村に血にまつわる呪術は実際にあるのかもしれない。
いや、それすらも偽装工作のひとつなんです。



真っ先に矛盾点や粗が気になったわけですが、アリ・アスター監督はあえてこのような一貫性のない粗を見せることで、この村の儀式やしきたり自体が形骸化されたものであることを観客に勘づかせているのではないだろうか。

これらの点から少しずつ見えてくるもの、村の儀式には恐るべき真実が隠されていたんです。(個人的見解)



祝祭の真相


では、何故長年続く伝統の儀式のように祝祭を偽装工作する必要があったのか?


早速答えを言いますが
祝祭の目的は村の繁栄の為に優秀な"種"を持つ男性を外部からスカウトしてくること。

華やかで明るい雰囲気も途中で外部の人間が途中で逃げ出さないようにする為。


そう考えると上記で記載した

ダニーこそが『ミッドサマー』であり、予め女王になるように作為的にこの閉鎖的な村に招かれた可能性を推察できます。

この件に関してまた矛盾が生じる。

目的が優秀な"種"を持つ男性であるなら女性は不要なはず。
ここで出した結論が以下の通りです。


優秀な"種"を持つ男性とはつまりモテる男であることが一つの条件とも取れないか?
とするなら、交際相手が必ずいるという前提条件を満たしている必要がある。

優秀な"種"として狙われたクリスチャンを誘った村のスカウトマンのペレ。
そこにダニーがついてくることも、ダニーの精神状態を知っていたペレにならわかるはずだ。

優秀な"種"を持つ男を種付け馬としてスカウトし、その交際相手は村の一員として村に迎え入れる(子を産ませるため)。
そして、種付け馬の役目を終えた男性は生贄とされ、その現場を目撃させ悲しみに打ちひしがれる女性は共に涙してくれる村人たちと疑似家族のような関係を築くこととなる。



このことから更に推察すると

村での近親相姦を避けるべく取られた対策が村の外部からの種付け馬と子を産む為の体をスカウトしてくること。

これこそが、本来の祝祭の目的なのだと考えました。


家族を失い悲嘆に打ちひしがれるダニーが祝祭を経て感情の解放、狂喜を手にする失恋と自由の物語。
その裏側には村の存亡を賭けた意図的で計画的な子孫繁栄の物語。

カルト集団への批判を描きつつ、またその批判者を丸め込んでしまう恐ろしさも同時に見せているのです。

これが、冒頭でも語った逆転の発想、対比による不協和音。
僕個人がずっと違和感を抱いていて、なかなか感想を書けなかった理由です。


この物語は恋に関する物語でもなければ単なる異文化交流の話でもない。
ホラー映画でもなければ、単なるダークコメディ映画でもない。
全ては二面性を持つ人間の欲と感情の物語



『へレディタリー 継承』の感想等でも思いましたが
その映画の本質がどうとか深くまで読んでいるかとかそういう話ではなく、基本的に人間は表か裏のどちらかしか見ていないんだということ。
例えば視覚的なものに騙されて精神的なものが見れなかったり、非現実的な恐怖にばかりに囚われて現実が見えなかったり。

今作『ミッドサマー』では、異文化交流や華やかな祝祭、癒やし効果、視覚的にわかるグロ描写、過激な性描写。
表面ばかりに目がいっているような気がしなくもない。

だからこそより一層、今作『ミッドサマー』において常に表と裏を見ているアリ・アスター監督の恐ろしさを感じました。
今作の主人公ダニー(Dani Ardor)はアリ・アスター監督(Ari Aster)の自己投影であり、内と外の両側から『ミッドサマー』を捉えている。

とはいえ、個人的には『へレディタリー 継承』の方が『ミッドサマー』より好きなんですけどね(笑)



終わりに

如何でしたか?
これは、あくまでも個人的見解に基づく個人的解釈ですが
TwitterのTLでセラピー的な感じで絶賛が並ぶ『ミッドサマー』に違和感しか感じなかったので、その違和感とは何なのだろうか?とこの物語の真相を自分なりに掘り下げてみました。

僕の考察が当たらずとも遠からずだとアリ・アスター監督は本当に恐ろしくセンスのある監督ですよ。
観客を魅了し、核心を隠したまま洗脳に近い効果を観客に与えてるんですから。

これって、ホルガの村人と観光客の関係と同じですよね?
それを知った今、今作『ミッドサマー』を笑いながら「癒やしだ」などと言ってる姿を見るのって怖くないですか?


最後までお読みくださった方、ありがとうございました。

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