小羊の悲鳴は止まない

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犬の目に映る社会の縮図(「ドッグマン」ネタバレあり感想)

目次




初めに

こんばんは、レクと申します。
久しぶりの更新ですみません。
映画は観ていたのですが、なかなか記事にしようという気になれずにダラダラと過ごしていました(笑)

ということで、今後もマイペースに更新来ていきますので、よろしくお願いいたします。
えー、今回は「ドッグマン」について語っています。
ミニシアター案件にしては結構お客さんも入っていた印象ですね。

※この記事はネタバレを含みます、未鑑賞の方はご注意ください。



作品概要


原題:Dogman
製作年:2018年
製作国:イタリア・フランス合作
配給:キノフィルムズ
上映時間:103分
映倫区分:PG12


解説

ゴモラ」などで知られるイタリアの鬼才マッテオ・ガローネ監督が、1980年代にイタリアで起こった実在の殺人事件をモチーフに描いた不条理ドラマ。イタリアのさびれた海辺の町。娘と犬を愛する温厚で小心者の男マルチェロは、「ドッグマン」という犬のトリミングサロンを経営している。気のおけない仲間たちと食事やサッカーを楽しむマルチェロだったが、その一方で暴力的な友人シモーネに利用され、従属的な関係から抜け出せずにいた。そんなある日、シモーネから持ちかけられた儲け話を断りきれず片棒を担ぐ羽目になったマルチェロは、その代償として仲間たちの信用とサロンの顧客を失ってしまう。娘とも自由に会えなくなったマルチェロは、平穏だった日常を取り戻すべくある行動に出る。主演のマルチェロ・フォンテが第71回カンヌ国際映画祭で主演男優賞を獲得したほか、イタリア版アカデミー賞と言われるダビッド・ディ・ドナテッロ賞で作品賞・監督賞など9部門を受賞した。
ドッグマン : 作品情報 - 映画.comより引用

予告編



ドッグマン

ナポリで実際にあった出来事を基に犯罪社会の実相をドキュメンタリータッチに描いた『ゴモラ』で注目を集めたマッテオ・ガローネ監督が今回手掛けたのも実話ベースの『ドッグマン』。


マッテオ・ガローネ(Matteo Garrone, 1968年10月15日 - )は、イタリアの映画監督、映画プロデューサー、脚本家である。

ゴモラ』により、ヨーロッパ映画賞ダヴィッド・ディ・ドナテッロ賞カンヌ国際映画祭審査員特別グランプリを受賞した。
2012年には『リアリティー』が第65回カンヌ国際映画祭コンペティション部門で上映され、2度目となる審査員特別グランプリ受賞を果たした。

マッテオ・ガローネ - Wikipediaより引用



平穏に暮らしていた犬を愛する男が、なぜ殺人を犯さなければいけなかったのか?
その命題に誰にでも起こりそうな人間関係を当て、その人間関係の中での葛藤や不満、不信感が彼を絶望の淵に立たせています。

この映画はノンフィクションでもドキュメンタリーでもなく、現実に起きた陰湿な事件から着想を得た不条理な物語を社会の縮図として魅せる寓話である。


トリマーの観点から見た物語

ペットの躾は大きく2つに分けることができます。
それは課題行動問題行動

課題行動とは、人間と生活を共にする上でどうしても必要となる行動のことです。
例えば、お手やお座り、食事等による待てなど。

問題行動とは、飼い主が犬にやってほしくない行動のことです。
例えば、無駄吠えや噛み癖など。

こちらの問題行動が厄介なのは、習慣づいてしまった容認できない問題のある行動なので、修正が難しいこと。



犬という生き物は人に従順な生き物であり、愛情を持って接すればそれだけ愛を持って応えてくれる。
冒頭で、トリミングサロン『ドッグマン』を営む主人公マルチェロが今にも噛みつきそうな獰猛な犬に対して諦めず愛情を持って接すると犬もそれに応えています。
これは人と人との関係でも言えることで。
実際、飼い犬に吠えられたり、噛みつかれたりと全然言うことを聞かない状態も見受けられますが、これは犬が人間よりも上だという上下関係の認識と言われています。

この物語の主軸が問題行動を持つ相手をどう落ち着かせるか、"躾の話"だということが見て取れる。
この"躾"が物語の効果的な仕組みとなっているんです。



所謂「俺のモノは俺のモノ、お前のモノも俺のモノ」といったジャイアニズム精神を持つシモーネの暴力的支配であり、マルチェロはそのお零れを貰う立場。
しかし、その対価は真っ当なものではなく、マルチェロは周りに被害が及ばないようにシモーネに従う。
またマルチェロ自身もシモーネからのお零れに悪い気がしていない。
そんな2人の関係には愛はなく、いつ破綻してもおかしくないアンバランスさを含む。

『ドッグマン』におけるマルチェロとその友人シモーネの関係はその曖昧な上下関係にあり、搾取する側とされる側の服属的な関係はある種の共依存と損得勘定が窺える。
つまり、犬を愛するマルチェロがまるで飼い主に尻尾を振る飼い犬のように描かれているんです。



ある晩、強盗に入った家でシモーネに冷凍庫に入れられた犬を救うシーンでもマルチェロは犬に対する愛情を見せる。
凍った犬同様にシモーネの心も解きほぐせるものではなく、外部との関係を上下関係、隷属関係でしか見ていないシモーネの心は固く閉ざされたまま。
言葉の通じるはずの人間が言葉の通じない犬よりも厄介であることを示す。


搾取され続ける日々の中で、大きな転機がやってくる。
犬が飼い主に噛みつく瞬間だ。
『ドッグマン』の隣に店を構える金の交換所にシモーネが強盗に入る。
ここで、マルチェロはシモーネを庇い一年の投獄。
出所後、豪華なバイクに乗るシモーネの姿を見たマルチェロは見返りのない搾取に苛立ちを隠せないでいる。


娘との旅行のシーンを見てもそうだ。
娘を愛するマルチェロが海中での息苦しさのあまり娘の手を離してひとり海面へと上がる描写は、そんな閉塞的な立場にある心理描写を的確に表現している。



警察も友人も頼れないマルチェロが取った行動は冒頭でのトリミングサロンでの出来事と重なる。
狂犬シモーネを麻薬という餌で釣り、手なずけようとすること。

そう、ここで凶暴な犬であるシモーネを躾けるマルチェロという冒頭の2人の関係とは逆の構図となるわけです。

どんな犬でも手なずけコンテストで入賞するほどの腕を持つマルチェロのトリマーという職業との対比が面白い。



犬の観点から見た物語

この物語を終始見ていたのはマルチェロの飼い犬たち。

犬は嗅覚、聴覚ともに人間より敏感な器官を持っていますが、実は人間より視力は低いと言われています。
犬の目に映っている世界は、私たち人間が見ている世界と全く別物なんです。

犬の視力は平均して0.2~0.3程度。
一方で、犬は狩りをしてきた生き物なので広い視野を持っています。
人間が見渡せる視野が180度なのに対し、犬の視野は250~270度と広範囲の視野を見渡すことができ、優れた動体視力を持っているので静止している物体よりも動きのある物体を捉えることが得意です。
また、犬はもともと夜行性の動物なので暗闇の中での認識力は高く、人間の約5倍は見えていると言われています。



そんな飼い犬たちの目に映るシモーネに飼われる犬のようなマルチェロの姿はどう見えたのだろうか。
トリミングサロン『ドッグマン』でシモーネを檻に入れ、縛り上げ、復讐を遂げたマルチェロの姿はどこか動物虐待問題を仄めかしているようにも見える。


周りの友人の信頼を損ないシモーネをも失ったマルチェロは、家畜が野生化するという共同生活からの逸脱、人間でいうところの同調圧力や仲間意識から離れる孤立の選択であり、動物的退化の皮肉を示す。
現に、犬は分子系統学的研究では1万5千年以上前にオオカミから分化したと推定されているように、マルチェロもシモーネに飼われる犬から野生の一匹狼へと状況が変化している。

加えて言うと、マルチェロの人生は他人事ではない社会の縮図として不条理に描き出しており、それを終始眺めていたのが飼い犬たちであるという第三者目線での人間たちの滑稽さも浮き彫りとなる。



どれだけ暴力で支配できても、幸せは手に入らない。
そして、暴力で解決しようとしても、幸せは手に入らない。
生き残ったものが勝者で、暴力に屈する弱者が負け犬であるとする価値観が根強い中、その価値観に縛られない逆説的な応援と皮肉
弱い犬ほどよく吠える、負け犬の遠吠えという意味を改めて突きつけるものだ。



終わりに

よく感想に挙げられている"ジャイアンのび太"もしくは"ジャイアンスネ夫"的な構図ではありますが、それはあくまでも触りだけです。

小さな町での人間関係、トリマーという職業、人間と犬、それらを巧みに扱った小さな世界を垣間見た気がしますね。



最後までお読みいただいた方、ありがとうございました。


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