小羊の悲鳴は止まない

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ギリシア神話から読み解く映画「籠の中の乙女」ネタバレ考察

目次




初めに

どうも、レクです。
映画館に行けないのでブログ更新の頻度も落ちてしまいましたが、今回は旧作の考察となります。

『ロブスター』、『聖なる鹿殺し』に続いてヨルゴス・ランティモス監督作『籠の中の乙女』について語っています。

ヨルゴス・ランティモス監督作品4作目の鑑賞となる今作『籠の中の乙女』。
考察記事を書かせていただいた2作とはまた異なった奇妙さ、変な映画でしたね(笑)

この記事はネタバレを含みます。
未鑑賞の方はご注意ください。



作品概要


原題︰Dogtooth
製作年︰2009年
製作国︰ギリシャ
配給︰彩プロ
上映時間︰96分
映倫区分︰R18+


解説

2009年・第62回カンヌ国際映画祭「ある視点」部門でグランプリを受賞し、10年・第83回米アカデミー賞では、ギリシャ映画として史上5本目となる外国映画賞にノミネートされたサスペンスドラマ。妄執にとりつかれた両親と純真無垢な子どもたちを主人公に、極限の人間心理を描く。ギリシャ郊外に暮らすある裕福な一家は、外の汚らわしい世界から守るためと、子どもたちを家の中から一歩も出さずに育ててきた。厳格で奇妙なルールの下、子どもたちは何も知らずに成長していくが、ある日、年頃の長男のために父親が外の世界からクリスティーヌという女性を連れてきたことから、家庭の中に思わぬ波紋が広がっていく。
籠の中の乙女 : 作品情報 - 映画.comより引用


ギリシア神話から読み解く

『ロブスター』、『聖なる鹿殺し』同様に、今作『籠の中の乙女』もギリシア神話との関係性から語っていこうと思います。






今作『籠の中の乙女』の原題は『DOGTOOTH(犬歯)』





劇中でも、厳格な父親によって犬歯が生えかわらなければ外に出てはいけないとされ、飼い犬のように厳しく躾けられた兄姉妹の姿が映し出されます。

他にも犬に纏わる話があるのですが、それは後述しています。



紀元前5~4世紀の古代ギリシアは元々、小さな独立国家でした。
『籠の中の乙女』では家族が住む豪邸が舞台であり、そここそがその独立国家、閉鎖的空間なのです。
そこでは父親が法律、この暮らしが当たり前であり、すべてなのです。


『ロブスター』ではカップルにならなければ動物に変えられてしまう施設。
『聖なる鹿殺し』では郊外の豪邸。
『女王陛下のお気に入り』では貴族の住む宮廷。

このように閉鎖的空間はヨルゴス・ランティモスの後の作品でも使われていますね。

また、これら3作もある規則によって主人公が縛られているのも今作『籠の中の乙女』との共通項ではないでしょうか?





『女王陛下のお気に入り』に関してはギリシア神話を絡めた考察をしていないので割愛させていただきますが、僕自身ヨルゴス・ランティモス作品をおよそ遡る形で観てきまして、ここで今作『籠の中の乙女』はギリシア神話と後の2作『ロブスター』、『聖なる鹿殺し』を繋ぐものを見出せたと思います。

あくまでも僕個人の見解ですが。



『ロブスター』ではテイレシアースの予言とオイディプース王の悲劇について主に語りましたが、オウィディウスの"変身物語"についての言及もしています。
その"変身物語"には女神アルテミスの裸を目撃したことから鹿に姿を変えられてしまうという話があります。

そうです、鹿といえば『聖なる鹿殺し』。
『聖なる鹿殺し』の考察では主に"イピゲネイアの悲劇"について語りましたが、そこでもアルテミスと鹿の話はさせていただきました。



今作『籠の中の乙女』ではその『ロブスター』、『聖なる鹿殺し』と繋がるオウィディウスの"変身物語"から"アクタイオーン"を絡めて考察をさせていただきます。

アクタイオーンは女神アルテミスの裸を見てしまったことで鹿に姿を変えられます。
その後に犬に噛まれています。

出ましたよ、犬。
実はこの犬たちは猟師アクタイオーンの飼う猟犬なんですよ。
アクタイオーンは女神の逆鱗に触れ、飼い犬に噛み殺されちゃうんです。


「飼い犬に手を噛まれる」とはこのことで。
日頃から可愛がっていて面倒を見ていた者から酷い害を受けたり裏切られることを意味する諺なのですが、本来は抵抗するための牙である犬歯が反抗の抑止力となっている矛盾点は今作『籠の中の乙女』でも皮肉となっています。

また、アルテミスの裸を見てしまったことは男性の抑えきれない性欲を象徴しているとも取れる。
今作『籠の中の乙女』でも性欲が唯一の外界との接触であり、それをきっかけに崩壊するきっかけでもある。

犬を使って狩る者が犬によって狩られるという悲劇。





『ロブスター』ではオイディプース王の悲劇。
『聖なる鹿殺し』ではイピゲネイアの悲劇。
今作『籠の中の乙女』ではアクタイオーンの悲劇。

まさにこれら3作は"ギリシア神話の悲劇を用いた三部作"と言っても過言ではない。


また、これら3作には他にも共通項があります。

『籠の中の乙女』は飼い慣らされた不自由さを模す犬。
『ロブスター』は選択の余地を奪われた先に待つ動物。
この映画における犬もまた兄の選んだ不自由さの表れ。
『聖なる鹿殺し』は命の不自由さを象徴する生贄。

付け加えるなら『女王陛下のお気に入り』では権力争いに縛られ身動きの取れない兎といったところでしょうか。


『籠の中の乙女』では外界を知らないという視覚的な制限。
『ロブスター』は神話(オイディプース王の悲劇)による物理的な視覚の去勢。
『聖なる鹿殺し』では目隠しによる実刑。

『女王陛下のお気に入り』では愛の所在を探る盲目の女王。


こう見ると、如何に今作『籠の中の乙女』がヨルゴス・ランティモスの作家性の原型であるかがわかっていただけると思います。





さて、『籠の中の乙女』の話に戻りますが
犬に纏わる描写がいくつかありましたね?


外の世界には猫という怪物がいるから危ないぞと血糊を付けたり、犬のように吠える練習をしたり。

冒頭の兄が体罰を受けるシーンもそうである。
まるで犬が主人の合図を待つように、モンダミンを口に含んで吐き出せないという「待て」が視覚的に演出されている。



『ロブスター』の考察で言及した"変身物語"のオウィディウスは他にも"恋の技法"を著作。
その冒頭にはこんな記述があります。

ピュリラの子(キュロン)は少年のアキレスを琴の達人に仕立てあげた。
そしてそのはげしい気性を、おだやかな(琴の)技術によって抑えつけてしまった。
[中略]
(アキレスの)手も、師の命があれば、すなおに鞭の前に差し出したではないか。
『恋の技法』より引用


古代ギリシアでも体罰は行われており、まるで犬の獰猛さを抑えつけられた飼い犬として躾けられているこの家族のように厳しいものでした。



近親相姦についても、ギリシア神話では多く登場します。

最も有名なものが『ロブスター』の考察でも言及した"オイディプース王の悲劇"
母親への愛から父親を敵対する、フロイトが提唱した"エディプス・コンプレックス"の語源にもなっています。

よくよく考えてみたら、この"エディプス・コンプレックス"は『聖なる鹿殺し』に通ずるところがありますね。
『聖なる鹿殺し』考察段階では全く気が付きませんでした(笑)





子どもたちの身体的発育が青春期に入ったことで外界との唯一の接触の兆しが見えた中、映画という外界を知ってしまった長女に激昂した父親が選択した行動は内界での性欲処理としての女性の提供。

今作『籠の中の乙女』での近親相姦は母親と息子という関係ではなく、長女と長男という関係。

『聖なる鹿殺し』の考察でも言及した"アウリスのイピゲネイア"同様、我が子を生贄に捧げたとも取れる。


また、おかしな話なのですが
ギリシア神話の主神たる全知全能の存在であり、人類と神々双方の秩序を守護、支配する神々の王であるゼウスは姉弟の近親相姦によって産まれた子。
そして、ゼウス自身も姉であるヘーラーと兄弟姉妹婚、多数の子を作っています。



井の中の蛙

ということで、ギリシア神話の考察を踏まえた上で余談と感想を語っていきます。


まず、この映画を観終わった後に出た感想がこれでした。

"井の中の蛙大海を知らず、されど空の深さを知る"



基本的には、"井の中の蛙大海を知らず"で使われることの多い諺。

「狭い世界に生きていて、広い世界のことを知らない」といった意味なのですが、それには続きがあります。

"されど空の深さを知る"
つまり、「狭い世界でなにか一つのことを突き詰めれば、その世界の深いところまで知ることができる」ということ。



今作『籠の中の乙女』は、僻地の豪邸という狭い世界で外界のことを何も知らない兄姉妹のおかしな生活を、定点カメラから観客である我々が覗き見る感覚の映画でした。

狭い世界にいるからこそ知ることができる世界。
そんな彼女らの世界を見ていたからこそ見えてくるこの家族のおかしな点。

あくまでもこの映画は犬歯をへし折って外の世界へと足を踏み出す女性の話なのですが、そこに付随する人生論なんですよね。




長男も長女も次女も「家を出るのは、犬歯が抜けた時」という両親の教えを信じている。

外界へ出ることの禁止に恐怖というメタファーを被せたこの"犬歯"をへし折った長女。
父の車のトランクに隠れて明朝に父が出勤する。

念願の外界。
しかし、その後に彼女の姿が一切映し出されない


外界に対する好奇心と恐怖心の葛藤か。
車のトランクだけがアップで切り取られるが、何も起こらない構図を見せて終幕する。





今作『籠の中の乙女』はドイツ映画『白いリボン』に似ている。

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概要を説明しておくと
第二次世界大戦前のドイツ、キリスト教によって厳しく育てられた子供たちがいる村が舞台。
その村において"普通"でないものを排除してモラルから逸脱していく…といったお話。

簡単に言ってしまえば、ナチスの体制と重なる映画なのですが
今作『籠の中の乙女』も同じように舞台である豪邸が世界、両親が全てであり、この生活が"普通"だとして育てられています。

謂わばアメリカのキリスト教原理主義が行っているホームスクールに近い。
外からの情報が我が子に悪影響を及ぼさない為の隔離なのですが、その異常さは隔離されている当の本人にとっては当たり前であり、外の世界が異常なのです。




外界の悪影響といえば正しく劇中で長女が観た映画。
そのハリウッド映画を観て影響を受けたことが窺える細かな演出もあります。


プールでの長女の台詞は『ジョーズ』の引用。
口を歪ませて行なうシャドーボクシングは『ロッキー』、ギリシャの民族音楽に乗せて踊るシーンは『フラッシュダンス』のオマージュ。

外からの影響力、映画の影響力、そして長女の父親に対する反乱の意志。
これらをそのワンシーンワンシーンの一瞬で分からせるヨルゴス・ランティモスの巧さ。




外に出たくても出られない。

犬歯をへし折ったその度胸も、外界への好奇心も、幼少から躾けられた教育(洗脳)の前では全く歯が立たないのだ。


ヨルゴス・ランティモス監督はインタビューでこう語っています。

「私が描きたかったのは、人の心を操作しようとすること、自分の意のままに何かを信じ込ませようとすることが、相手をどこまで極端に走らせてしまうかということです。
とても危険なことですよ。」


つまり、淡々と映し出されていたおかしな生活ではなく、このラストシーンこそが"純粋培養"の本当の恐怖なのではないだろうか?



終わりに

如何でしたか?

ずっと観なければならないと思いつつ先延ばしとなってました『籠の中の乙女』。
率直に割と好みな映画ではありましたね。

ただ、『ロブスター』や『聖なる鹿殺し』と比べるとインパクトに欠ける点はありますがヨルゴス・ランティモスの作家性と共通項を得られたことは自分の中でも大きな収穫となってます。




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