小羊の悲鳴は止まない

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残酷な人形のテール(『ほんとうのピノッキオ』ネタバレ考察)

目次




初めに

どうも、レクです。

久しぶりに行った某ミニシアター、上映開始早々に後ろの席のおじいさんがいびきをかき始めてどうなることかと思いましたが、挫けぬ心で観てきました!

ということで、今回は『ほんとうのピノッキオ』について語っております。

※この記事はネタバレを含みますので、未鑑賞の方はご注意ください。



作品概要

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原題︰Pinocchio
製作年︰2019年
製作国︰イタリア
配給︰ハピネットファントム・スタジオ
上映時間︰124分
映倫区分︰G


解説

ディズニーの名作アニメ「ピノキオ」でも有名な児童文学「ピノッキオの冒険」を、「ゴモラ」「ドッグマン」などで知られるイタリアの鬼才マッテオ・ガローネ監督が、美しくも残酷に映画化したダークファンタジー。ジェペット爺さんの家を飛び出したピノッキオが繰り広げる奇想天外な冒険を、社会風刺や示唆に富んだ物語として描く。貧しい木工職人のジェペット爺さんが丸太から作った人形が、命を吹き込まれたようにしゃべり始める。ピノッキオと名付けられた、そのやんちゃな人形は、ジェペットのもとを飛び出し、導かれるように森の奥深くへと分け入っていく。「人間になりたい」と願うピノッキオは、道中で出会ったターコイズブルーの髪を持つ心優しい妖精の言いつけも、おしゃべりコオロギの忠告にも耳を貸さず、ひたすら命がけの冒険を続けるが……。2021年・第93回アカデミー賞で衣装デザイン賞、メイクアップ&スタイリング賞の2部門にノミネートされている。
ほんとうのピノッキオ : 作品情報 - 映画.comより引用





感想

本作『ほんとうのピノッキオ』の監督はマッテオ・ガローネ。

『ドッグマン』の監督ということで観に行ったと言っても過言ではない。

『ドッグマン』のアプローチ、社会の縮図から価値観に縛られない逆説的な応援と皮肉を描いた点を僕自身が高く評価しているということもあります。



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では、本作『ほんとうのピノッキオ』はどうだったか?

端的に面白かったですね!
上映中にも数回、笑いが起きるほど独特な間や笑いのセンスを感じました。

原作にこれだけ忠実なピノッキオの映画はこれまで作られてこなかったのではないかと思います。ピノッキオの本当の物語を発見してもらい、観客を驚かせることができると思ったし、昔は存在しなかった特殊視覚効果を使って今までにない新しい映像を楽しんでもらえるのではないかと思いました。本当に木でできた操り人形を主役に据えた実写が作れるのではないかと考えたのです。実際、特殊効果や映像には随分と手をかけました。
「観客を驚かせることができる」マッテオ・ガローネ監督、キャラクター造形、映像表現にこだわった「ほんとうのピノッキオ」に自信 : 映画ニュース - 映画.comより引用

と監督も語るように、ディズニーの映画『ピノキオ』しか知らない人は驚く描写もいくつかあります。


それより驚いたのが、本作『ほんとうのピノッキオ』のジェペット役ロベルト・ベニーニが監督として2003年公開作『ピノキオ』を既に撮っていたこと。

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この起用はここに繋がってるのかと思うと、微笑ましくもあります。

様々な作品に影響を与えた児童文学作品をマッテオ・ガローネ監督はどう表現するのか?
ここがやはり今回の評価のポイントのひとつとなります。


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ファンタジーとしての世界観の構築、そこにユーモアを交えながら社会的な背景を匂わせる秀逸な作りは好みでした。



考察

ここからは考察に入っていきます。


ピノキオと聞いて一番に連想するのは、やはりディズニーでしょう。
ディズニーの映画が良くも悪くもイメージを定着させている。
それだけディズニーの影響力が大きいということでもあるのですが…。


ピノキオの原作は『ピノッキオの冒険』。
イタリアの作家・カルロ・コッローディの児童文学作品です。

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Enrico Mazzantiによる1883年の挿絵

これに影響された作品は多く、例えば王道少年漫画『ONE PIECE』などはウソップというキャラだけでなく、ラブーンの件など。
童話をモチーフとすることで親しみやすさが付与されていると感じます。

また、個人的に好きな映画でもあるスティーヴン・スピルバーグ監督『A.I.』もこの『ピノッキオの冒険』が下敷きにあると思っています。



さて、早速内容に触れていきます。

正直、ディズニーの映画はあまり好みではないので『ピノキオ』の印象は何かと聞かれたら

・人形の子どもが人間の子どもになりたいと願う。
・嘘をつくと鼻が伸びる。
・キツネとネコに騙される。
・クジラに飲み込まれる。

思い浮かんだのはこの程度です。

ディズニーの映画『ピノキオ』には残酷描写が描かれていないという批判をよく目にします。
ひとつの理由として、88分という時間制約の中で、アニメの特性を使って分かりやすい内容が求められたであろうと予想できる。
また、老若男女問わず楽しめる明るく愉快な物語にする必要性もあっただろう。

その結果、原作よりもディズニーの映画の方が認知されることとなり、良い意味でも悪い意味でもイメージを確立してしまった。



実際に原作『ピノッキオの冒険』では残酷描写が描かれ、過酷さや苦悩、それらを経験して、子どもから自立して大人になっていく姿を描いています。

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原作の残酷描写でいえば、コオロギ殺しがあります。

ピノキオは怒って飛び上がり、長椅子からハンマーを手に取るとありったけの力を込めてそれを物言うコオロギに投げつけます。
最後に弱々しく鳴くと、コオロギは壁から落ちて死んでしまいます。

児童文学書としてはなかなか攻めた内容。
ディズニーの映画『ピノキオ』では、冒頭から物語の進行役としておしゃべりなコオロギを登場させ、当然このコオロギ殺しが描かれなかったことが最大の問題点である。

これにより、ピノキオと小動物たち、そしてピノキオの行動を見守る後見役コオロギが世の真理を伝える役目が省かれてしまっています。
本作『ほんとうのピノッキオ』では殺しはしませんが、真理を述べ助言するコオロギに対して、ピノッキオは反抗し、ハンマーを投げつけてコオロギを泣かせてしまうというシーンが挿入されていました。


また、原作では
悪さをしたピノッキオが警官に捕らえられ、野次馬の証言により保釈。
代わりにジェペットが捕まってしまう。
という理不尽な描写もあります。

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本作『ほんとうのピノッキオ』では、ピノッキオがキツネとネコに金貨を騙し取られたことから裁判所に赴きます。
そして、金貨を盗まれたことを証言し、無罪で投獄されそうになったところ、嘘をついて保釈されます。


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他にも、金貨の木の生える奇跡の野原でネコとキツネによって樫の木に首吊りにされる描写や、ロバに変えられてサーカスで芸をさせられるピノッキオを悲しげな表情で見つめる青髪の妖精など。
物語の節々の印象的なシーンがディズニーの映画ではカットされています。

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そこをしっかりと描き込み、動く木片から作られた人形ピノッキオの冒険とそれに付随するピノッキオの成長によって見られる人間形成に厚みを持たせることに成功しています。



ジェペットは一張羅を売り捌いてでも息子ピノッキオの教科書を買って学校へ通わせようとする。
ピノッキオはそのお金で買ってもらった教科書を売って、人形劇を見る。
コオロギの忠告を振り切り、反抗する。
はたまた、貰った金貨をキツネとネコに騙し取られる。
無罪で投獄される不条理さや教鞭で叩かれる仕打ち。
ロバに変えられて殺されそうになる。
労働で得る賃金や報酬。

子どもというのは好奇心や探究心、失敗や間違い、困難や叱責されることなど、物や人に触れること、それらを繰り返しながら成長していくものである。


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人形劇の団長に燃やされそうになった人形を庇おうとする。
サメの腹の中でジェペットと再会し、背負って必死に助けようとする。
弱ったジェペットのために労働を厭わず、ジェペットの面倒を見る。
これらはピノッキオの成長した姿であると同時に、人形から人間らしさが開花したことを意味する。

この人形から人間へと変わっていく過程において、様々なメッセージが読み取れます。



原作者カルロ・コッローディは1826〜1890年。
ヨーロッパの列強とイタリアの不遇の時代。
現代の社会とではその時代が大きくかけ離れてしまい、当然ながら社会背景も変化しています。
それに加えて、我々日本人にとっては国や言語、風習や文化なども異なっています。

そんな『ピノッキオの冒険』を忠実に映画化した本作『ほんとうのピノッキオ』を受けて、我々日本人がどう読み解けるのか?
冒頭でも記述しましたが、様々な作品に影響を与えた児童文学作品をマッテオ・ガローネ監督はどう表現するのか?

この映画を語る上では、この点についても語っておかなければならないと思います。


ディズニーの映画『ピノキオ』では分かりやすい内容が求められたことから勧善懲悪となっている。
つまりは、ネコとキツネが悪役に徹して強調されているということ。

それに対して、原作『ピノッキオの冒頭』及び本作『ほんとうのピノッキオ』では、ネコとキツネはあくまでもキッカケにすぎず、他人からの指示ではなくピノッキオ自身の選択によって行動した結果であること。
つまり、自らの過ちによる失敗ということが強調されている。

だからこそ、ピノッキオは「もう騙されない」とネコとキツネに啖呵を切ることで、成長した姿を見せることができるのである。


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また、ピノッキオ自身の選択という点で重要なものは、父親であるジェペットから逃げ出すこと。
様々な困難を経験した後、父親であるジェペットのもとへと帰ることになったピノッキオにとって、逃亡で手にした自由の中身はどうだったのか?

ここにこの物語の核がある気がしてならない。

命の尊厳、教えと人間らしさ、善悪の区別、欲と渇望。
これからの社会を作っていくのは今の子どもたちなのだ。

そんな社会の縮図を見せてくれたような気がしますね。



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舞台がファンタジーの世界であっても、現実世界であっても、根底にある人間というものは同じ。
フィクションを介してリアルを描く、童話の奥深くに眠るテーマを掘り起こした傑作。

『ドッグマン』然り『ほんとうのピノッキオ』然り。
こういった作品が今後も生み出されることで、創作の必要性を改めて感じさせられる。
自分が娯楽である映画に求めている部分もきっと、ここに通じているのだと思いました。



終わりに

ということで、ディズニーの映画や原作を絡めて少し語りましたが、本作『ほんとうのピノッキオ』はダークファンタジーとしての楽しさだけでなく、ピノッキオの成長や人間として大切なものに気づかせてくれる素晴らしい作品でした。

『ドッグマン』に続き『ほんとうのピノッキオ』と好きな映画が続いているので、マッテオ・ガローネ監督の作品は今後も追いかけていきたいと思いましたね!

最後までお読みいただいた方、ありがとうございました。



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