残酷且つ優しさに溢れる物語(『林檎とポラロイド』ネタバレ考察)
目次
初めに
どうも、レクです。
今回はブログに書こう書こうと思いつつ書くことさえ忘れて早2週間が経とうとしている僕が、記憶と記録をテーマに描かれた『林檎とポラロイド』について語っていこうと思います(笑)
※この記事はネタバレを含みますので、未鑑賞の方はご注意ください。
作品概要
原題︰Mila
製作年︰2020年
製作国︰ギリシャ・ポーランド・スロベニア合作
配給︰ビターズ・エンド
上映時間︰90分
映倫区分︰G
解説
ギリシャの新鋭クリストス・ニクが長編初メガホンをとり、記憶喪失を引き起こす奇病が蔓延する世界を舞台に描いたドラマ。ある日突然記憶を失った男は、治療のための回復プログラム「新しい自分」に参加する。彼は毎日送られてくるカセットテープに吹き込まれた内容をもとに、自転車に乗る、仮装パーティで友だちをつくる、ホラー映画を観るなど様々なミッションをこなしていく。そんな中、男は同じく回復プログラムに参加する女と出会い、親しくなっていく。男が新しい日常に慣れてきた頃、彼はそれまで忘れていた、以前住んでいた番地をふと口にする。新しい思い出を作るためのミッションによって、男の過去が徐々にひも解かれていくが……。ケイト・ブランシェットが絶賛し、製作総指揮に名を連ねた。
林檎とポラロイド : 作品情報 - 映画.comより引用
感想
端的に、めちゃくちゃ好きだ!
第77回ヴェネチア国際映画祭オリゾンティ部門オープニング作品として選出されたクリストス・ニク監督デビュー作。
リチャード・リンクレイター監督作品『6才のボクが、大人になるまで。』、ヨルゴス・ランティモス監督作品『女王陛下のお気に入り』の助監督を務めたクリストス・ニク。
そこで培われた才能とユーモアなセンスを本作『林檎とポラロイド』では遺憾なく発揮しています。
次回作は本作同様にケイト・ブランシェットがプロデューサーとして携わり、キャリー・マリガン主演で製作が決定しています。
早くもハリウッド・デビューを果たす注目すべき監督。
本作『林檎とポラロイド』は
奇病の蔓延によって記憶を失くす人たちが続出する世界で、記憶を失くした主人公の男が病院から薦められた「新しい自分」プログラムに参加する。
自転車に乗れ、ホラー映画を見ろ、仮装パーティで友達を作れ、など毎日出される病院からの課題をこなしていく。
記憶喪失の主人公がこの治療を通して、自身を見つめ直していく物語となっています。
もう一度言いますが、この日常生活にクリストス・ニク監督のユーモアが溢れる演出が実に見事に溶け込んでるんですよね。
注射を嫌う主人公があからさまに注射を嫌がる姿がめちゃくちゃ可愛くて、そこからもう彼の虜ですよ(笑)
主人公が好む果実、林檎の演出にしてもそう。
住まいを与えられた主人公がテーブルに用意されたミカンには手を付けず林檎ばかりを食べたり。
果物屋で袋いっぱいの林檎を買いだめしたり。
また課題を与えられて記録するためのポラロイドカメラもいい。
過ごした日々の記録、新しい人生を切り取る一枚一枚にも飄々とした可笑しさが垣間見える。
こういった演出や語り口のひとつひとつに表情が緩む人も多いのでしょうか。
また暫くして観返したくなる、そんな映画でした。
次回作も楽しみな監督のひとりとなりましたね。
考察
さて、ここからは考察に入っていこうと思います。
記憶喪失を引き起こす奇病の蔓延により、主人公のように記憶を失い、病院からプログラムを施されて課題をこなしポラロイドカメラを持ち歩く人々が他にも描かれています。
この物語は実にレトロなんですよね。
病院からの指示はすべてカセットテープ。
課題をこなした証明はポラロイドカメラ。
そして課題の一つ、映画鑑賞はリバイバル上映。
流れる独特な空気感もとても心地よくて。
この昔のアイテムこそ、過去を懐かしむ現代の我々の記憶そのものを表しているんだと思います。
そして、課題の終盤では余命幾ばくかの病人に寄り添い、亡くなったら葬式に出て親族に近づけというとんでもない課題が与えられます。
この終盤の課題後、主人公はかつての自宅に帰ってきました。
自宅に残っていた林檎を食べます。
主人公は大切な妻を亡くしており、その妻の墓を訪れて花を添えます。
ここでふたつの見方ができるわけです。
ひとつは、「新しい自分」プログラムによって記憶が戻ってしまった男が、自身の抱える悲しみを受け入れた"喪失からの再生"。
現代の憂い対するアンチテーゼとも受け取れる。
もうひとつが、元々記憶喪失ではなかった男が忘れようともがいた結果、忘れようとすることで自身の悲しみを受け取れた"喪失による再生"。
僕は鑑賞中に
「本当に主人公の男は記憶を失っていたのか?」
という疑問を持ちました。
結論として、個人の答えとしては「記憶を失っていなかった」です。
なので、考察もそちら側で進めていきます。
考察を進める上で面白いと思ったのが、クリストス・ニク監督は主演のアリス・セルヴェタリスに、撮影に入る前にミシェル・ゴンドリー監督作品『エターナル・サンシャイン』とピーター・ウィアー監督作品『トゥルーマン・ショー』を観るように言ったということ。
ともにジム・キャリー主演作で、クリストス・ニク監督が好きな俳優であることもあるのかもしれませんが、この2作は確かに本作『林檎とポラロイド』と深く関わっている気がします。
ミシェル・ゴンドリー監督と「マルコヴィッチの穴」の脚本家チャーリー・カウフマンが、2001年製作の「ヒューマンネイチュア」に続いてタッグを組んだ奇想天外なラブストーリー。互いの存在を忘れるために記憶除去手術を受けたカップルの恋の行方を巧みな構成と独創的な映像表現で描き、2005年・第77回アカデミー賞で脚本賞を受賞した。バレンタイン直前にケンカ別れしたジョエルとクレメンタイン。ある日ジョエルは、クレメンタインが自分についての記憶をすべて消してしまったという手紙を受け取る。ショックを受けたジョエルは手紙の差出人ラクーナ社を訪れ、自らも彼女についての記憶を消すことを決意する。ジョエルを「トゥルーマン・ショー」のジム・キャリー、クレメンタインを「タイタニック」のケイト・ウィンスレットが演じ、「スパイダーマン」シリーズのキルステン・ダンスト、「ロード・オブ・ザ・リング」シリーズのイライジャ・ウッド、「ユー・キャン・カウント・オン・ミー」のマーク・ラファロが共演。
エターナル・サンシャイン : 作品情報 - 映画.com
『エターナル・サンシャイン』は消したい過去ほどその人にとって重要なものなのかもしれないというメッセージ性。
忘れようとすることで蘇ってくる記憶の数々、そこから本当の自分の気持ちに気付かされる。
設定は違えど、伝えたいことは本作『林檎とポラロイド』と合致しているように思う。
人生のすべてをテレビのリアリティショーで生中継されていた男を描いたコメディドラマ。離島の町シーヘブンで生まれ育った男トゥルーマン。保険会社で働きながら、しっかり者の妻メリルと平穏な毎日を送る彼には、本人だけが知らない驚きの事実があった。実はトゥルーマンは生まれた時から毎日24時間すべてをテレビ番組「トゥルーマン・ショー」で生中継されており、彼が暮らす町は巨大なセット、住人も妻や親友に至るまで全員が俳優なのだ。自分が生きる世界に違和感を抱き始めた彼は、真実を突き止めようと奔走するが……。主人公トゥルーマンをジム・キャリー、番組プロデューサーをエド・ハリスが演じ、第56回ゴールデングローブ賞で主演男優賞と助演男優賞をそれぞれ受賞。「刑事ジョン・ブック 目撃者」のピーター・ウィアーが監督を務め、「ガタカ」のアンドリュー・ニコルが脚本を手がけた。
トゥルーマン・ショー : 作品情報 - 映画.com
『トゥルーマン・ショー』からは偽りの世界で生きていくということの難しさや滑稽さ、そして仮想現実からの脱却。
また、SNSの普及に伴う現代社会への皮肉。
記憶せずとも記憶媒体を使って安易に保存することができる現代で、レトロな世界観を構築し、記憶というものを題材とした点はやはり評価したい。
さて、本作『林檎とポラロイド』の内容に戻りますが
初めて林檎を買いに来た時の主人公のセリフを思い出してください。
どこに住んでるのかと聞かれた主人公は、病院から提供された住所の番地を言い間違えます。
これは自分の自宅をこの段階で覚えていて、言い間違えたのではないか?
また、果物屋のオヤジに林檎は記憶力の保持に効くと聞いて、袋いっぱいに入れていた林檎を取り出し、手を付けなかったミカンを購入して帰ります。
記憶喪失になった人間が、記憶力を保つことをわざわざ避ける必要はありません。
他にも、病院から酒を飲んで女性を誘いワンナイトラブをしろという課題を出された日だけ、酔っていて写真を撮り忘れたと言います。
これは撮り忘れたのではなく、課題をこなさなかったから。
主人公は映画館でホラー映画を観るという課題を与えられた時、同じように課題をこなす記憶喪失の女性と出会っていました。
この女性との交流を通して、主人公は女性に奥手であるような描写が刷り込まれていたので、単に主人公がワンナイトラブを拒んだとも見れますが、実際には失くした妻のことを覚えていて罪悪感からそういった行為ができなかったとも見ることができます。
以上のことから、主人公は詐病だったのではないかと考えられるんです。
初めから記憶なんて失っていなかった。
そう、冒頭に自宅で自宅の壁に頭を打ち付ける姿。
そして流れるニュース。
妻を失くして絶望していた主人公が目にした、病院が実施している「新しい自分」プログラム。
記憶喪失で病院に運ばれましたが、バスで記憶を失うシーンの前に男は花を買っています。
これが終盤の墓参りで供えられていた花束。
つまり、主人公の男が葛藤する時間、墓参りから墓参りという悲しみに囚われた時間の中での出来事に集約されているんですよね。
妻を亡くしたという受け入れ難い現実から逃げるために、世界で蔓延する奇病、記憶喪失になってしまったように振る舞ったのではないか?と。
人は悲しいぐらい忘れてゆく生きものと某アーティストも歌うように記憶とは改竄がされるものです。
一方で、人間は忘れようとするほど深く記憶に残ってしまう生き物です。
これは心理学ではアイロニック・プロセス・セオリーと呼ばれています。
心理学では有名なシロクマ実験というものがあります。
3つのグループに分けてシロクマの映像を流し、それぞれに次のようなお願いをしました。
Aグループ:「シロクマのことを覚えておいてください」
Bグループ:「シロクマのことを考えても考えなくてもいいです」
Cグループ:「シロクマのことは絶対に考えないでください」
その後に調査したところ、白熊の映像を鮮明に覚えていたのはCグループの人たち。
「覚えていてください」と言われた人よりも、「考えないでください」と言われたCグループの方が覚えているという結果が出たんですね。
忘れるということは、思考を統制しようとすること。
それが却って反復し、記憶に深く刻まれてしまうんです。
皮肉理論と呼ばれているくらい皮肉ですよね(笑)
皆さんは、上書きしたい過去の出来事はありますか?
忘れてしまいたいほど悲しい出来事はありますか?
本作『林檎とポラロイド』は、林檎という"記憶"の象徴とポラロイドという"記録"の象徴をキーアイテムとした"喪失からの再生"と"喪失による再生"を描いている。
含みを持たせて細部まで明かさない構成と、記憶喪失の奇病が蔓延する世界観に人生を立て直すプログラム。
妻を失い、すべてを忘れようとした。
それでも人の死に触れ、大切な妻を忘れられずにいる。
今でも林檎が好きで、その味も忘れることができない。
記憶と記録、塗り替えようと試みても上書きできない、どれだけ忘れたくても忘れられない、大切な記憶を鮮明に呼び起こす残酷且つ優しさに溢れる素晴らしい物語なんです。
もし自分が何かを失い孤独になった時、その孤独に耐えられなくなってすべてを忘れてしまいたいと願った時、この映画の価値を再認識できると思うんです。
終わりに
あくまでも個人的な解釈のひとつとして楽しんでもらえればなと思います。
映画というものは何が正しいか?ではなく、どう感じたか?の方が重要だと考えているので。
最後までお読みいただいた方、ありがとうございました!
(C)Boo Productions and Lava Films (C) Bartosz Swiniarski