小羊の悲鳴は止まない

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暴かれたのは偽りか真実か(『ザ・バットマン』ネタバレ考察)

目次




初めに

どうも、レクです。
今回は書くつもりがなかったのですが、とても面白かったので『ザ・バットマン』について話していこうと思います。


※この記事はネタバレを含みますので、未鑑賞の方はご注意ください。



作品概要

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原題︰The Batman
製作年︰2022年
製作国︰アメリカ
配給︰ワーナー・ブラザース映画
上映時間︰176分
映倫区分︰G


解説

クリストファー・ノーランが手がけた「ダークナイト」トリロジーなどで知られる人気キャラクターのバットマンを主役に描くサスペンスアクション。青年ブルース・ウェインがバットマンになろうとしていく姿と、社会に蔓延する嘘を暴いていく知能犯リドラーによってブルースの人間としての本性がむき出しにされていく様を描く。両親を殺された過去を持つ青年ブルースは復讐を誓い、夜になると黒いマスクで素顔を隠し、犯罪者を見つけては力でねじ伏せ、悪と敵対する「バットマン」になろうとしている。ある日、権力者が標的になった連続殺人事件が発生。史上最狂の知能犯リドラーが犯人として名乗りを上げる。リドラーは犯行の際、必ず「なぞなぞ」を残し、警察や優秀な探偵でもあるブルースを挑発する。やがて政府の陰謀やブルースの過去、彼の父親が犯した罪が暴かれていくが……。「TENET テネット」のロバート・パティンソンが新たにブルース・ウェイン/バットマンを演じ、「猿の惑星:新世紀(ライジング)」「猿の惑星:聖戦記(グレート・ウォー)」のマット・リーブス監督がメガホンをとった。
THE BATMAN ザ・バットマン : 作品情報 - 映画.comより引用



考察

今回は早速考察に入っていきます。


本作『ザ・バットマン』はロマン・ポランスキー監督作品『チャイナタウン』の影響を受けていると言われていますね。

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チャイナタウン : 作品情報 - 映画.com

『チャイナタウン』といえばジャック・ニコルソン。
彼はティム・バートン版『バットマン』でジョーカーを演じています。

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バットマン : フォトギャラリー 画像(2) - 映画.com


『チャイナタウン』では浮気調査をきっかけに探偵がある事件に巻き込まれていくという物語。
アルフレッド・ヒッチコック監督作品『めまい』のように、調査を進めていくことで、真実を知っていく過程で、探偵が調査対象の謎めいた女性に魅了されていきます。



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本作『ザ・バットマン』では、ブルース・ウェインが探偵役バットマンとしてキャットウーマンに関心を示しつつ、社会の嘘を暴いていく知能犯リドラーの残す謎に飲み込まれていく。

この"怠け者の街"『チャイナタウン』のハードボイルドものフィルム・ノワールという大枠を"犯罪者の街"ゴッサム・シティという独自の世界観に見事に溶け込ませています。

暴漢によって両親を殺されたブルース・ウェインが復讐を誓い、犯罪者たちを制圧していくバットマンというダークヒーロー像から再びブルース・ウェインへと顧みる話となっているんですよ。



厳密に繋がりはないのですが、DCEUのトッド・フィリップス監督作品『ジョーカー』から、時系列的にはその後日談の位置づけになります。

このジョーカーと同じように、本作のリドラーもまた住人たちを扇動し、先導する一つのキッカケに過ぎないんですね。

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防波堤を崩し街を混乱させたのも、次期市長の演説が行われる予定であった会場に国民たちを集め、そこで彼らにとっての正義の制裁を自らの手ではなくゴッサム・シティの住人の手によって行わせること。

本作『ザ・バットマン』のテーマ
誰しもの中にある善悪とその是非
が見えてくるわけです。



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リドラーの掲示する"なぞなぞ"とは、偽りで覆い隠した真実を明かすこと。
つまりは、社会の嘘を暴くことで真相を公にすること。
これはリドラーなりの社会を正す"英雄的行為"とも取れるわけです。

その一つが、"ブルース・ウェインの父親が過去に犯した罪を暴くこと"
リドラーという存在はそのバットマンの悪の心を揺さぶる役割を担っています。

そして、同じく過去の復讐に囚われていたバットマンが、真実を知ることによって善悪の境界線に立たされる。
バットマン自身のアイデンティティが揺さぶられることで見えてくるバットマンのヒロイズムへと深く繋がっていくわけです。

トッド・フィリップス監督作品『ジョーカー』の記事でも書いていますが
もしかしたら、ブルース・ウェインが両親を殺された復讐心に駆られて、バットマンというダークヒーローではなくヴィランという悪に染まった可能性も考えられる。




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また、本作『ザ・バットマン』の主演ロバート・パティンソン繋がりで言えば『TENET テネット』の記事でも考察しましたが

クリストファー・ノーラン監督作品『ダークナイト』三部作でも言及している通り、"バットマンを善悪の境界線に立たせることでバットマン自身の正義を超法規的な暴力として描くことによるリアリティの追求"を目的に作られています。

本作『ザ・バットマン』のテーマが
誰しもの中にある善悪とその是非
だと個人的に思うところも、このノーラン監督作品『ダークナイト』で描かれたヒロイズムに対する類似点を感じたからなんですよね。



今一度、書き上げますが
ノーラン監督作品『ダークナイト』ではこのバットマンのヒロイズムを完璧な形で劇中で掲示していると思っています。
これは『ダークナイト』とほぼ同時期(2008年)に公開されたジョン・ファブロー監督作品『アイアンマン』と比較するとわかりやすい。

アイアンマンの場合、恐らく英雄的行為がたとえ法を犯す超法規的な暴力であっても劇中で肯定されてしまう。
ひとつの大きな要因はトニー・スタークという人物の認知とアイアンマンが絶対的ヒーローとなるから。
正義のために必要であり、だからこそ正当化され、それがなければ正義が悪に打ち負かされてしまうという保守的とも取れる形を取らざるを得ない。
MCUに関しては『アベンジャーズ エイジ・オブ・ウルトロン』を経てソコヴィア協定からのヒーローの対立を描いた『シビル・ウォー/キャプテン・アメリカ』でその辺りに言及される形にはなっていますが。

『ダークナイト』ではバットマンを誰もが認める英雄ではなく闇の騎士とすることで、バットマン自身の公衆での評価や認識が180度変わってしまう。
こう描くことでゴッサムシティの住人たちは、再びバットマンが現れた時にそのバットマンの行動が正義か悪か、英雄的行為か犯罪行為かの区別ができなくなる。
その善悪の二面性を同時に我々観客にも認めさせることになるんです。


本作『ザ・バットマン』で描かれた通り
ニュースでヒーロー扱いとされたバットマンを善、アーカム収容所に囚われたリドラーを悪とした単純な二元論の物語ではない。
"ヒーローとヴィランは表裏一体である"ということが言えるわけです。





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ここで、バットマンの容姿についても考えていきます。


コスプレ野郎と揶揄されていますが、そもそもマスクを被るという行為自体には自らにフィクションを課せるという意味があります。
バットマンがコウモリの姿を偽るのも、敵にも幼少期に受けたコウモリの恐怖心を体験させるためであり、黒を好む理由は身を隠すためとは別に自分の恐怖心を包むため。

「恐怖は武器」「私は"復讐"だ。」
本作『ザ・バットマン』のこの冒頭のセリフ。
そして、親の遺体を発見した市長の息子の姿を自身の幼少期と重ねること。

この2点から、ブルース・ウェインという真実をバットマンという偽りのマスクで覆うことで、"復讐"という名のダークヒーロー像を作り上げたバットマンの成り立ちを映像として描かず、2年間バットマンとして活動してきた経緯を端的に示しているのが凄い。



マスクが自身の真実ないしアイデンティティを覆い隠すこと。
例えば、MCUでジョン・ワッツ監督作品『スパイダーマン ファー・フロム・ホーム』では、ピーター・パーカーが新米ヒーローからひとりのヒーローとして自覚を持ち始める物語だと思っていて。

スパイダーマンはマスクというフィクションでピーター・パーカーというアイデンティティを偽ります。
直接的なネタバレは避けますが、あることによって正体がバレてしまい、『ダークナイト』と同じように善悪の境界線に立たされるわけです。
ここが最もこの作品を評価している点なのですが、アイアンマンの重責と国民の目を同時に背負うわけですね。


『スパイダーマン ノー・ウェイ・ホーム』ではその前作の答えを見事に観客に掲示して見せています。

そう、再びマスクというフィクションで自らのアイデンティティを覆い隠すことで、"親愛なる隣人"スパイダーマンの存在価値を改めて認識させることに成功しているんです。
最高でしょ、この流れ。





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と話が逸れたので戻しますが
ヒーローという偽りで作り上げたアイデンティティは、ブルース・ウェインという人物のアイデンティティを覆い隠す(住人たちにとっての)真実なんです。

面会時にリドラーも語っています。
バットマンの姿こそ本物なんだと。

ブルース・ウェインとしてのアイデンティティを顧みたからこそ、バットマンとしての存在価値を見出した。
だからこそ、ブルース・ウェインはマスクを被った偽りのバットマンを、本作のラストで本物のヒーローの姿として住人を先導する姿を見せたんだと思います。

これはノーラン監督作品『ダークナイト ライジング』での劇中のセリフ。
ブルース・ウェイン「誰でもバットマンになれる、マスクを被れば。」
に集約されるんです。



終わりに

というわけで、ヒロイズムの視点から見た本作『ザ・バットマン』は、個人的にヒロイズムに関してほぼ完璧だと言わざるを得ない『ダークナイト』と甲乙つけ難い作品になっていたと思います。

最後までお読みいただいた方、ありがとうございました。



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