運ばれるもの(『運び屋』ネタバレ感想)
目次
初めに
こんにちは、レクと申します。
今回は3月8日に全国公開された『運び屋』について(とは言ってもいつものような掘り下げた考察ではなく、イーストウッドの過去作を交えながら)語っています。
待ちに待ったイーストウッド監督最新作。
そして『人生の特等席』から7年振りの主演、自身の監督作では『グラン・トリノ』から10年振りということで、ずっと楽しみにしていました!
というわけで、最後までお目通しいただけたら幸いです。
この記事はネタバレを含みます。
未鑑賞の方はご注意ください。
作品概要
原題:The Mule
製作年:2018年
製作国:アメリカ
配給:ワーナー・ブラザース映画
上映時間:116分
映倫区分:G
解説
巨匠クリント・イーストウッドが自身の監督作では10年ぶりに銀幕復帰を果たして主演を務め、87歳の老人がひとりで大量のコカインを運んでいたという実際の報道記事をもとに、長年にわたり麻薬の運び屋をしていた孤独な老人の姿を描いたドラマ。家族をないがしろに仕事一筋で生きてきたアール・ストーンだったが、いまは金もなく、孤独な90歳の老人になっていた。商売に失敗して自宅も差し押さえられて途方に暮れていたとき、車の運転さえすればいいという仕事を持ちかけられたアールは、簡単な仕事だと思って依頼を引き受けたが、実はその仕事は、メキシコの麻薬カルテルの「運び屋」だった。脚本は「グラン・トリノ」のニック・シェンク。イーストウッドは「人生の特等席」以来6年ぶり、自身の監督作では「グラン・トリノ」以来10年ぶりに俳優として出演も果たした。共演は、アールを追い込んでいく麻薬捜査官役で「アメリカン・スナイパー」のブラッドリー・クーパーのほか、ローレンス・フィッシュバーン、アンディ・ガルシアら実力派が集結。イーストウッドの実娘アリソン・イーストウッドも出演している。
運び屋 : 作品情報 - 映画.comより引用
予告編
前置き
まず、前置きとして、クリント・イーストウッドの映画について語っていきたいのですが、ちょっと長いのである程度焦点を絞って語ろうと思います。
#クリント・イーストウッド監督作ベスト10
— レク (@m_o_v_i_e_) 2019年3月8日
グラン・トリノ
パーフェクト ワールド
アメリカン・スナイパー
ミリオンダラー・ベイビー
ミスティック・リバー
ハドソン川の奇跡
15時17分、パリ行き
チェンジリング
ジャージー・ボーイズ
許されざる者 pic.twitter.com/i38ReSybQO
これはTwitterに上げたイーストウッド監督作ベスト10です。
多少前後入れ替わりはあるかもしれませんが、大体こんな感じです。
ご覧の通り、自分は概ねイーストウッド監督作はゼロ年代以降に好みが偏ります。
まあここに『運び屋』(19年)が入るんですが。
『ミスティック・リバー』(03年)
『ミリオンダラー・ベイビー』(04年)
『チェンジリング』(08年)
といったゼロ年代の作品は明確なテーマを基に人の心の影を、心を抉るような骨太ドラマを描いた作品が多い。
映画的には正統派、分かりやすく、そして心に留まる、それ故に傑作なのです。
また、21世紀以降の作品はイーストウッド監督にとっても転機であったと思います。
『硫黄島からの手紙』(06年)
『父親たちの星条旗』(06年)
から、イーストウッドは実話を基に数々の作品を残しています。
『インビクタス/負けざる者たち』(09年)では、黒人初の南アフリカ大統領ネルソン・マンデラを。
『J・エドガー』(11年)では、FBI長官ジョン・エドガー・フーバーを。
『ジャージー・ボーイズ』(14年)では、伝説のグループ、ザ・フォーシーズンズを。
そして
『アメリカン・スナイパー』(14年)
『ハドソン川の奇跡』(16年)
『15時17分、パリ行き』(18年)
戦争の恐怖、航空機事故、銃乱射事件。
それらの実話を基に、ヒロイズムと奇跡を描いています。
実際にあった出来事は観客がどれだけその知識が共有されているか、がひとつの問題。
当然、その出来事には様々な要因やその背景があり、それを劇中でどの程度、どの分量で上手く見せられるのか、教えられるのかが重要であると考えています。
その点、イーストウッド監督は良い意味での割り切り、潔さがあるんです。
劇中で見せる部分は見せる。
端折る部分は切る、もしくは淡々とあっさり流してしまう。
そして訴えたいこと、残したいメッセージを的確に伝えてくる。
つまり、裏を返せば、"イーストウッド監督が見せる映像には全て意味がある"ということ。
ここがわたくし個人の好みと合致するが故にクリント・イーストウッドが最高峰の映画監督と称する所以です。
過去の作品に遡って見てみると、イーストウッドのその映画がイーストウッド自身の人生と重なる部分が多い。
例えば、『ガントレット』(77年)、『許されざる者』(92年)、『ブラッド・ワーク』(02年)など出演、監督作の多数に見られる死と再生。
敬虔なキリスト教徒でもあるイーストウッドの"イエス・キリストの復活"とも受け取れる。
更に踏み込んだ話をするならば、監督作ではないにしろ一昨年に『The Beguiled/ビガイルド 欲望のめざめ』(17年)としてリメイクされた『白い肌の異常な夜』(71年)や、『タイトロープ』(84年)などで女性に虐げられる姿も晒け出す。
イーストウッド初監督作の『恐怖のメロディ』(71年)を鑑賞された方なら御察しだと思いますが、イーストウッドはプライベートでも女好きで有名で、プレイボーイそのもの(笑)
『ブラッド・ワーク』等でお爺ちゃんになってもラブシーンを撮るなど、割とこの手のセクシャリティがなんの躊躇いもなく盛り込まれている作品も多い。
こうした何気ない描写ひとつひとつも、後から見てみれば意味を持つ。
これもイーストウッドの映画人生の楽しみ方ではないでしょうか。
さて、冒頭でも語りましたが、そんな長期に渡るイーストウッドの映画人生の中でも、21世紀以降のイーストウッド監督作はガラリと毛色が変わった"転機"なんです。
そのきっかけがこの作品。
『許されざる者』(92年)
「許されざる者」
— レク (@m_o_v_i_e_) 2019年3月9日
"許されざる者"とは誰なのか?
イーストウッドが一貫してテーマとする"善悪の境界線"、"正義の在り方"、そして"観客へ委ねる手法"を確立した作品と言える。
また、西部劇の集大成でありながら、それを否定する作りは監督としての"新境地開拓"のメタファーだ。#1日1本オススメ映画 pic.twitter.com/74aI1hk577
『グラン・トリノ』(08年)
「グラン・トリノ」
— レク (@m_o_v_i_e_) 2018年5月31日
人生の選択と生き様。
彼の魂の集大成、俳優と監督を経て辿り着いた最高到達点。
観客に贈られる彼の映画の全てが詰まっている。
どんな言葉でも形容し難い、込み上げてくる感動を越える"何か"を噛み締めてもらいたい。
是非ご自分の目で観て感じてください。#1日1本オススメ映画 pic.twitter.com/kXhai7bY52
この二作を繋ぐものは、クリント・イーストウッドの自己投影、集大成だということ。
『グラン・トリノ』と今作『運び屋』を観る前に、ある程度過去のイーストウッド出演作及び監督作を観ておくことをオススメします。
『許されざる者』では、これまで悪党を殺しまくってきたガンマンが「もう暴力の時代じゃない」と銃を置く物語。
イーストウッドの俳優時代を支えた西部劇を否定するような構成は『夕陽のガンマン』(65年)などを経た俳優イーストウッドの精神的遺作なのだ。
そして『グラン・トリノ』は、『許されざる者』から監督イーストウッドとしての新境地開拓してきた自身の映画の答え、集大成であるとともに『ダーティハリー』(71年)などの現代劇からの脱却、更なる挑戦である。
では、今作『運び屋』(19年)とはイーストウッドにとって一体どのような立ち位置による作品なのだろうか。
本題
前置きが長くなりましたが、ここからが本題です(笑)
『運び屋』は2014年6月にニューヨーク・タイムズ・マガジンに掲載された『シナロア・カルテルの90歳の運び屋』に着想を得て作られています。
今作の主人公アールは、デイリリーというユリの一種の栽培で有名な人物であり、一度に13億円相当のドラッグを運んだレオ・シャープという実在の人物がモデルです。
主にイーストウッド監督作には形骸的な家族をテーマとする作品が作られている。
『グラン・トリノ』に関してもそうだ。
妻を亡くし、息子とは不仲。
そんな中で隣に越してきた少年と"擬似家族"のような関係を築いていく。
今作でも『グラン・トリノ』と同様に不仲な家族を描きつつ、麻薬組織の一員として彼らとの関係を築いていく。
まるで家族との関係性の代わりのように。
故にこの劇中の言葉が胸に響く。
"時間がすべて"。
今まで生きてきた90年という歳月の中で、デイリリーの栽培、仕事を優先し家族を蔑ろにした結果、その失った時間を金で埋め合わせようとする姿。
そして、時間はお金で買えないという普遍的なテーマから、時間が家族との愛を育むものとして、気付かせてくれのが皮肉にも妻の病であること。
それらの人生をデイリリーという花に準え落とし込んだイーストウッドの自己投影。
劇中にも語られますが、デイリリーは1日に数時間しか花を咲かせない。
その注目されるひと時のために人生を捧げ、有名になり、賞を貰うアール。
イーストウッド自身も、俳優、監督として数々の賞を貰い脚光を浴びる一方で家庭問題を抱えていた。
前置きでも語ったセクシャリティな部分はしっかりと今作にも反映されています。
イーストウッド自身、こう語っています。
俳優として60余年のキャリアを誇るイーストウッドは「若い時はたくさん役を演じ、なかには社会的価値のあるものも、アクション満載の娯楽作品だけのこともある。いろいろな機会がある。でもある段階に達したら、少し自分に負荷を課す作品を探すことも必要だ。言えなかったことが言えるような作品を選ぶこともね」と作品選びの重要性を説く。
さらに、「学ぶことに年齢は関係ない。年を取っても学べる。そうしながら、人に教えることもできる」と本作で描かれるテーマについて触れ、「私はいつも異なるタイプの物語に興味がある。西部劇でも、現代劇でも、どんな作品でも、私はずっと新しいもの、脳を刺激するものを探そうとしてきたし、この作品もそうだ」と創作のポリシーを明かす。
イーストウッド「学ぶことに年齢は関係ない」 創作のポリシー語るインタビュー映像 : 映画ニュース - 映画.comより引用
イーストウッド自身が師と仰ぐドン・シーゲル監督。
ドン・シーゲルがイリノイ州出身ということで、イーストウッドがドン・シーゲルを目指すように劇中でもテキサス州からイリノイ州に向かうアールの姿が描かれています。(考えすぎかもしれませんが)。
『白い肌の異常な夜』(71年)や『ダーティハリー』(71年)など俳優イーストウッドとして育ててもらったことはお金では買えない有意義な時間。
次はイーストウッドがブラッドリー・クーパーに与えたいと思ったのかもしれない。
『アリー/スター誕生』(18年)でも、当初はイーストウッドが監督を務める予定でした。
クーパーが監督を務め、レディー・ガガを起用したことに苦言を呈しながらも、完成度の高さに前言撤回するなど、師弟愛を感じさせる。
『運び屋』劇中でも、追われるアールとその背を追うベイツという構図がまさにそれ。
ブラッドリー・クーパー演じる麻薬取締局の捜査官ベイツに声を掛けるイーストウッド演じるアール。
この師弟コンビの会話シーンが最も印象的だ。
90歳という年齢だからこそ、思ったことを口にしただけであってもその会話ひとつひとつの言葉にも重みが含まれる。
役だけでなく、監督としてまるでイーストウッドからクーパーへ意志や想いが運ばれていくような…そう想って観ると、ますます映画人生の教えのようにも見えてくるんですよ。
『運び屋』はイーストウッドの"集大成"ではなく、あくまでそれは『グラン・トリノ』。
『運び屋』はその集大成『グラン・トリノ』を経て、次に進んだイーストウッドの"映画人生の継受"。
映画におけるアールが自身の投影ではなく、映画『運び屋』そのものが自身の映画人生の投影なんだと思います。
『許されざる者』、『グラン・トリノ』を経て、イーストウッドが、今作で我々に訴えるメッセージはイーストウッドにとって"映画は人生そのもの"であるということ。
『運び屋』はまさにイーストウッドの人生観、映画人生を示したもの、そしてそんな人生を次世代へ継受する作品なのです。
イーストウッドにとっての映画とは、仕事ではなく家族と過ごすような愛を育む時間であると今になって気付かされた。
何に時間を使うのか。
時間は有限であり不可逆的だからこそ、その使い方次第で価値のあるものにも、無価値なものにもなり得るということ。
これは映画業界へ遺したものであり、師弟関係にあるクーパーへの遺産でもある。
また、ラストの裁判のシーンにイーストウッドの意志が強く反映されているように思う。
逮捕、起訴され、弁護士の弁論中にアールは自ら「自業自得」「有罪」という言葉を発する。
これは素直に受け取ると、アール自身の人生への最終宣告、つまり身柄を拘束されその引導を渡す相手がベイツであることから、やはりイーストウッドからクーパーへの継受なのだろう。
その上で「老いたりしない」と語り、ラストにデイリリーを栽培する姿は「イーストウッド監督としてもまだやっていくぞ」という意気込みなのだろうか。
「年を取っても学べる。そうしながら、人に教えることもできる」
と語るイーストウッドのこれからに注目だ。
終わりに
結局、本題より前置きの方が長くなってしまいましたが、如何でしたでしょうか?
自分で書きながら、イーストウッド出演作、監督作をまた改めて観直していきたいと思いました(笑)
何れにせよ、改めて今後もクリント・イーストウッド監督作及びブラッドリー・クーパー監督作を観ていきたい。
そう思える充実した最高のひと時でした。
最後までお読みいただいた方、ありがとうございました。
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