小羊の悲鳴は止まない

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抽象と象徴(「パラサイト 半地下の家族」ネタバレ考察)

目次




初めに

おはようございます、レクと申します。
1月は仕事が忙しくてなかなか映画館に行けずフラストレーションが溜まりっぱなしでしたが、念願の『パラサイト 半地下の家族』観てきました。
日頃の鬱積を振り払うように素晴らしい映画でしたね!

この映画はポン・ジュノ監督よりネタバレ禁止令が轢かれている作品でもあります。
よって、この記事の内容はSNS等に引用、ネタバレの内容に触れる部分の言及は避けるようお願いいたします。

ということで、核心に触れるラストには触れず、その他の部分をやる気満々で考察していこうと思います(笑)



作品概要


原題︰Parasite
製作年︰2019年
製作国︰韓国
配給︰ビターズ・エンド
上映時間︰132分
映倫区分︰PG12


解説

「殺人の追憶」「グエムル 漢江の怪物」「スノーピアサー」の監督ポン・ジュノと主演ソン・ガンホが4度目のタッグを組み、2019年・第72回カンヌ国際映画祭で韓国映画初となるパルムドールを受賞した作品。キム一家は家族全員が失業中で、その日暮らしの貧しい生活を送っていた。そんなある日、長男ギウがIT企業のCEOであるパク氏の豪邸へ家庭教師の面接を受けに行くことに。そして妹ギジョンも、兄に続いて豪邸に足を踏み入れる。正反対の2つの家族の出会いは、想像を超える悲喜劇へと猛スピードで加速していく……。共演に「最後まで行く」のイ・ソンギュン、「後宮の秘密」のチョ・ヨジョン、「新感染 ファイナル・エクスプレス」のチェ・ウシク。
パラサイト 半地下の家族 : 作品情報 - 映画.comより引用




ポン・ジュノ監督の作家性

先ずは今作『パラサイト 半地下の家族』で監督を務めたポン・ジュノについて語っていきます。


ポン・ジュノ(韓: 봉준호、英: Bong Joon-Ho、1969年9月14日 - )は、韓国の映画監督、脚本家。慶尚北道大邱市(現・大邱広域市)出身。母方の祖父は小説家の朴泰遠。韓国のいわゆる386世代の一人である。
ポン・ジュノ - Wikipediaより引用


ポン・ジュノ監督の才能をひしひしと見せつけられたのはなんと言っても『殺人の追憶』ではないだろうか。

ポン・ジュノらしいユーモアさが凝縮されたデビュー作『ほえる犬は噛まない』や観客の想像力を刺激する『母なる証明』も好きな映画です。



さて、これらポン・ジュノ監督作に共通するものは何か?と考えた時に見えてくるのは
社会問題を提起し、それでいてあくまでも娯楽の中で捉える圧倒的センス。
これだと思います。

映画という娯楽性を損なわず、ユーモアさを交えながら社会風刺を練り込み、そして日常が非日常へと切り替わるポイントを持ち前の演出力で描き切る。


また、4度目のタッグとなるポン・ジュノ監督と主演を務めたソン・ガンホは無二の盟友ということで、互いの才能を信頼し合っています。

『パラサイト 半地下の家族』互いの才能を信頼し合う二人!ポン・ジュノ監督&ソン・ガンホインタビュー - シネマトゥデイ



富裕層と貧困層の格差

早速本題へと入っていきましょう。

冒頭にも記述した通り、この作品ですね『パラサイト 半地下の家族』は富裕層と貧困層の格差がテーマとしてあります。

それを匂わす演出の数々。
例えばピザ屋と内職、酔っ払いと家族、高台にある一等地と半地下、二階建ての高級住宅地。
上下の対比や格差をさり気なく、それでいてしっかりと画として見せているんです。

ポン・ジュノ監督の過去作『スノーピアサー』でもひとつの列車に富裕層と貧困層が同乗し、富裕層のいる先頭車両を目指すといった底辺から頂点へと抗う姿が描かれましたね。

昨今、このような貧富の格差をテーマとした映画、例えば是枝裕和監督作『万引き家族』や片山慎三監督作『岬の兄妹』など日本でも数多く作られており、映画だけでなく現実を生きる我々国民も目を背けるわけにはいかない問題へと発展しています。


この貧富の差の広がりは韓国においては社会情勢が大きな要因。
中でも最も有名であり大きな原因の一つ、1997年の韓国を襲った国家破産の危機(IMF経済危機)。

『タクシー運転手』

『1987、ある闘いの真実』

『工作 黒金星と呼ばれた男』

民主化三部作でも描かれたように、韓国は民主化によって国家的に大きな転機を迎えます。
そして経済成長を遂げ経済先進国への仲間入りを果たし、国民の85%以上が自らを中間層と考えていた時代。

2019年に日本でも公開された『国家が破産する日』

こちらでも政府側と国民側での意識的格差が対比として描かれています。


こうして生まれた社会的な階級の中で、半地下の住人がその貧困層から抜け出すべくある計画に移す物語。
今作『パラサイト 半地下の家族』のテーマでもある貧困層が富裕層へ抱く羨望や憤怒はジョーダン・ピール監督作『アス』にも通じる部分がある。

『パラサイト 半地下の家族』と『アス』の比較は『アス』のネタバレになるので割愛しますが、良い意味でポン・ジュノ監督とジョーダン・ピール監督の作家性の比較にもなる映画だと思います。



サブタイトル『半地下の家族』。
特に、鑑賞後には貧困層の住人と金持ちとの暮らしの対比が明らかとなり、半地下という地下であり地上でもある曖昧な立場がより一層引き立てられる仕様になっていますね。
それ故に上へと登ろうとし、下へと落ちていく。

地下ではなく、半地下という貧困層がよりリアリティを感じさせ、物語に説得力を持たせているのもポン・ジュノ監督の巧さではないでしょうか。


また、パク家の父ドンイクの「運転手(キム家の父ギテク)は一線を越えない。越えているのは臭いだけだ。」といった台詞には貧困層の住人が必ずしも悪ではなく、善でもないことを示しています。
具体的な部分は濁しますが、その一線を越えてしまったのがラスト(核心に触れるネタバレはしていません)ですね。
この衝撃が人間の本質は変わらないことの皮肉を痛烈に描いています。



抽象と象徴

今作『パラサイト 半地下の家族』には抽象的でありながら何かを象徴する隠喩がいくつも登場します。



"山水景石"


友人ミニョクから金運と学業運をもたらす石としてキム家長男ギウにプレゼントされました。
山水景石とは本来、自然の山や川のような風景を思わせる石のことで、非常に抽象的な産物。

しかし、ギウはこの石を見て象徴的だと語ります。
母チュンスクが食べ物が良かったと語るように、本来はその場で価値のあるものを欲するのが人間です。
つまり、ギウにとってこの山水景石は価値のあるものであると感じたんです。


山水景石は大理石のように実用性もなければ、金塊のように光輝くこともありません。
自然体そのものの形が価値として認められ、金持ちに買われるのが一般的。

物語冒頭でもあったように、貧困層はピザ屋の内職において報酬を更に切り詰められる実用性のなさ、まともな職に就いて働くこともままならない生活。
そんなキム一家が金持ちであるパク一家に雇われる。

まさにこの山水景石が隠喩するものこそが己の価値やプライド。
故にギウはこの石を大切に手放さず抱いて眠り、地下室で落とした時には転落の予兆を思わせ、時には武器として振りかざしぶん殴られる。
貧困層の憤怒の象徴なのです。

結果、その憤怒がキム家の父ギテクの事の顛末に繋がる。
この映画の鑑賞後、山水景石は重しとなって貧困層の意地やプライドを一身に浴び、心にのしかかってきました。



"自画像"


この絵はパク家の母ヨンギョ曰く息子ダソンの自画像であると劇中で語られました。
しかし、その真相は幽霊ではないかと思います。
幽霊とは勿論、彼(核心に触れるネタバレは避けているのでこれ以上は言及しません)のことです。
ギウが初めてこの絵を見た時に「チンパンジー?」と尋ねるシーンがあります。
仮にこの絵が幽霊だとするなら、これは半地下の住人であるギウが幽霊を見下していることの暗喩ではないだろうか?
そして、その絵の背景に描かれたテントからその後開かれたダソンの誕生日パーティーの悲劇の予兆ではないか?


キム家の長女ギジョンがダソンの家庭教師となり、そこで描いたダソンの絵も芝生に立ち、額から血を流す幽霊の姿にも見える。



"臭い"


臭い(くさい)ではなく、臭い(におい)です。
厳密に言うと臭い(におい)は臭い(くさい)のでしょうが、半地下での生活が馴染んだ貧困層のキム一家にとってはこの臭いは嗅ぎ分けることができない非常に抽象的なもの。


反対に、富裕層であるパク一家はその臭いを嗅ぎとる。
実際、パク家の息子ダソンはキム一家が同じ臭いであることを察知します。
パク家の父ドンイクと母ヨンギョも運転手となったキム家の父ギテクの臭いに鼻を曲げています。

これは富裕層と貧困層、二つの家族の違いを明確化したもの。
臭いとは貧困層を示す決定打。
洗剤や柔軟剤を別々に洗濯しても地下の臭いだから意味がないと語られたように、根本的な解決は貧困層を抜け出して生活を変えるしかないのです。

しかし、パク一家がキャンプへと出掛けた際のキム一家の狼狽が見て取れるように、染み付いた習慣、人間性の本質はなかなか改善されるものではありません。
貧困層特有の臭いをぬぐい去るには韓国において貧困から抜け出すことと同意なほど難しいものなのです。

また、ダソンが既にその貧困層の臭いを嗅ぎ分けていたことが問題であり、格差社会における差別は親から子へ受け継がれてしまうもの。
幼い子どもでさえも、家庭環境によりその偏見を持って臭いを嗅ぎ分けることができてしまっているんです。



"窓"


半地下の窓はいつでも中が覗ける状態であり、排ガスや雨水、放尿などの社会的な汚物を遮るものもありません。
一方で、豪邸の窓は庭が眺望できる見通しの良さ、しかし外壁に守られており中を覗くことはできない。

窓は近年、どの家にも当たり前のように設置されている一般的なもの。
本来は採光や通風、眺望といった目的の為に取り付けられるものです。

「窓際」という慣用句があるように、職に就かずフラフラと過ごす状態を揶揄する言葉としても用いられ、それぞれの家族の窓の目的と用途の対比は貧富の差を明確に象徴しています。

また、
ガラスによって向こうが透けて見えること、地上から地下へと行けば行くほど窓というものは無くなっていくこと。
これこそが、貧困層が富裕層を見る目と富裕層が貧困層を見る目、富裕層の視界と貧困層の視界の違いを表しています。



"高低差"


今作『パラサイト 半地下の家族』において、貧富の差が最も分かりやすい隠喩は階段です。


高台は高級住宅地が並び、標高の低い地では貧困層が住まう。
また、小さな部分で見るとパク一家の住む二階建ての家、リビングのソファーとテーブルの下などなど。
高低差が貧富の差であるという安易な推測もできますが、もう一つ重要なことがあります。



それは階下もしくは階上に向かって会話がされないこと。
言い換えるなら会話シーンはすべて平行、同じ階でのみ行われています。
これは貧困層であるキム一家が富裕層であるパク一家と同等の立場にまで登ってきていること。
タイトルを借りるのなら、キム一家という寄生虫が宿主であるパク一家に寄生している状態を表しているのではないでしょうか。


また、Wi-Fiやモールス信号、無線機といった連絡ツールも高低差や壁を越えて貧富の差を埋める役割を担っています。



"コスプレ"


パク一家へパラサイトするために仮装するキム一家というひとつのコスプレ。
これは先程から何度も語ってきました容姿ではマトモであっても中身が変わらない人間の本質の皮肉の象徴であり、臭い然りキャンプ中の狼狽然り。


またコスプレはキム一家だけでなく、パク一家にもいくつがあります。
一つは息子ダソンのインディアンの衣装。
歴史的に複雑でデリケートな問題に子供ながらの純粋さで形骸化されたアイテムとして登場する。
これは富裕層にとって下々のものには無関心だといったメッセージが込められているように思う。

同時にパク家の父ドンイクと母ヨンギョのソファでのラブシーンでも、拾ったパンツを履けば興奮するといった貧困層のコスプレ。
結局は日常生活における刺激、富裕層の娯楽に過ぎないんです。


そんな富裕層の娯楽に無理矢理付き合わされる貧困層の構図はマクロ的に見る社会階級の格差へと繋がり、計画という名の無計画がラストへと向かう運命の歯車を回し始める。



終わりに

ということで、ポン・ジュノ監督の意向を組んで核心的なラストについては言及を避けての考察となりましたが、いかがでしたか?

韓国映画好きの僕としても、今作『パラサイト 半地下の家族』は今年を代表する一作であると思えるし、ベスト級なのは間違いない。

貧富の差、それだけに留まらない韓国の闇を描き出したポン・ジュノ監督に尊敬の念を贈るとともに、ソン・ガンホの存在感と演技力を見せつけられたなというのが率直な感想です。


最後までお読みいただいた方、ありがとうございました。




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