哲学的に見る"手"(「失くした体」ネタバレ考察)
目次
初めに
こんばんは、レクと申します。
今年初の更新ということで・・・
あけましておめでとうございます。
本年もよろしくお願いします。(遅)
今年も不定期ながら更新していきます。
今後ともよろしくお願いいたします。
さて、いつもならブログ初めは劇場鑑賞作を書きたいところではありますが、今回はNetflixオリジナル映画『失くした体』について書いています。
劇場公開されている映画館もいくつかありますが、私は自宅にて鑑賞いたしました。
何故、この映画を選んだのか?も踏まえて語っていこうと思います。
作品概要
原題︰J'ai perdu mon corps
製作年︰2019年
製作国︰フランス
配給︰Netflix
上映時間︰81分
映倫区分︰G
解説
2019年・第72回カンヌ国際映画祭批評家週間でグランプリを受賞し、世界最大のアニメ映画祭である第43回アヌシー国際アニメーション映画祭でも最高賞のクリスタル賞と観客賞をダブル受賞したフランス製長編アニメーション。「アメリ」の脚本家としても知られるギョーム・ローランの小説「Happy Hand」を原作に、これまで主に短編作品を発表してきたジェレミー・クラパン監督が自身初の長編作品として手がけた。パリのとある医療施設から、切断された手が逃げ出す。再び自身の身体とつながりたい手は、身体の持ち主である孤独な青年ナウフェルを捜して、ネズミやハトに追いかけられながらも街をさまよう。手は、何かに触れるたびに記憶がよみがえっていき、ナウフェルの幼少期や、思いを寄せる図書館司書ガブリエルとの思い出が明らかになっていく。Netflixで2019年11月29日から配信。日本では配信に先立つ11月22日から、一部劇場にて公開。
失くした体 : 作品情報 - 映画.comより引用
哲学的に見る"手"
解説にもある通り、『アメリ』の脚本家としても知られるギョーム・ローランの小説『Happy Hand』が原作です。
81分という時間の中で、凝縮されたメッセージに惚れました。
この映画の主人公でもある"手"。
そこに含まれる意味や隠喩、様々なものがあります。
例えば、日本語の言い回しでも「一手に担う」など、仕事における責任を意味する言葉などで用いられる。
また、その「一手」は将棋などで駒を動かすことを意味し、「自分の手の内を明かさない」や「相手の手を読む」など、勝負事における手持ちの駒や札及び戦略について"手"という単語を用います。
"手"を意味するフランス語"main"は、カードゲーム用語の手札や持ち札、親やディーラーを意味します。
加えて、美術用語にもなっている"マニエール(manière)"は手法や方法を意味し、元々は古典ラテン語の"manus(手)"に由来します。
この映画を鑑賞した後、単なるアニメーション映画ではなく哲学を感じたんです。
鑑賞後の感想はこちら。
「失くした体」観た。
— レク (@m_o_v_i_e_) 2020年1月8日
体を求めて街を彷徨う手首とその主の人生を描くフランスのアニメ映画。
作品への没入感、喪失という視点から幻肢痛のように見せる心の痛みや切なさ、そしてその穴を埋めてくれる愛の存在。
"手"が含意する"物質と記憶"、フランスの哲学者ベルクソンの二源泉に落とし込んだ傑作。 pic.twitter.com/6cD6OdyETQ
フランスの哲学者ベルクソンの"手"はそのような 戦略的な"手"と近い思想を持っているんですよ。
アンリ=ルイ・ベルクソン(Henri-Louis Bergson 1859年10月18日 - 1941年1月4日)は、フランスの哲学者。出身はパリ。
中でも彼の著作、『Matière et Mémoire (1896)』『Les deux sources de la morale et de la religion (1932)』
『物質と記憶』『道徳と宗教の二源泉』が頭をよぎったんです。
そこを交えて、サクッと考察を進めていきます。
まずは『物質と記憶』から。
物質と記憶
ギリシャの哲学者アリストテレスは可感的かつ形相が質料と不可分に結合した個物こそが基本的実在(第一実体)"であり、それらに適応される概念を"第二実体(個物形相説)"とした。
さまざまな物体の特性を決定づけているのは、"温"と"冷"の対立する性質の組み合わせである。
今作『失われた体』では身体に繋がれていない独立した個体として"手"の存在があり、冷蔵庫にて保管されていた。
一方で、切り離された体は恋という熱を持つ。
この映画の質感はまさに"温"と冷"である。
ドイツの哲学者イマヌエル・カントの物への認識できない存在を考えること自体が不可能であるという話になりがちだが、これは現実的ではない。
ベルクソンはアリストテレスの『場所論』やハイデガーの『存在と時間』を踏まえて時間を等質的な環境と見なすカントの過ちを糾弾しています。
要するに、近代の哲学者たちが緊密に結びつけていた場所と精神の広がりを分け隔てて考えいる常識を覆した問い掛けの提起がベルクソンの『物質と記憶』と言ってもいい。
また、フランスの哲学者クァンタン・メイヤスーの『有限性の後で』で提唱された
「思考不可能なものは思考できない。
しかし私は、思考不可能なものが存在することは不可能ではない、とは思考できるのである。」
といったポスト・カント哲学への反旗、思弁的実在論も今作『失われた体』のテーマにあると感じる。
話を戻そう。
ベルクソンの『物質と記憶』において
「物質の知覚と物質そのものの間にあるのは、単に程度の差異であって、本性の差異ではない。
純粋知覚と物質は、部分と全体の関係にあるからだ。
これはつまり、物質はわれわれが現にそこに見て取っているのとは別の種類の力を及ぼしたりはしない、ということである。」
が提唱されています。
対象との距離が十分にあれば、その対象のことを知覚したとしても感じられない。
しかし、その対象との距離が近づけば自ずとその対象を感じたりするようになる。
つまりは、人は対象を知覚することから感覚で捉えるようになる。
つまり、『失われた体』における対象とは"手"であり、遠く離れた状態から始まるこの物語では
感覚は身体の内部に描かれるが、知覚はその"手"の中に描かれるのだ。
二源泉
さて、次に『道徳と宗教の二源泉』から見た『失われた体』について考察を進めていきます。
ベルクソンの最後の著作『二源泉』。
ここには、人類の目指す"閉ざされた社会から開かれた社会へ"が述べられている。
勿論、そんな簡単な命題では語り尽くせない内容なので自分はそこまで深くは語れませんが。
道徳と宗教には2つの源泉がある。
第一の道徳は静止、抑制であり
第二の道徳は運動、衝動である。
『失われた体』の劇中にも登場する蝿や蟻。
主に冒頭でも語られたように、蝿には知性がない。
本能に従って行動する生き物だ。
人間は蝿や蟻と違って知性を持っており、社会の中でなければ生きていけないにも関わらず人間はその束縛に素直に従わない。
道徳教育によって植えつけられる責務に従わせることによって成り立つ社会なのだ。
しかし、この第一の源泉からうまれる道徳責務は、家庭にはじまり、集落、そして国家まではその統一的な力が及ぶものと考えられる。
それと対を成すものが第二の源泉である。
第二の道徳は、国家社会の限界を超えた道徳、つまりは人類愛である。
そこには個の人間がいて、その個人の創造の情動がある、魂が感動で揺さぶられる。
それに接した人たちはその人を通して情動を揺さぶられる。
『失われた体』の主人公のナウフェルもそうだ。
裕福な家庭に生まれながら、交通事故が原因で両親を失ってしまう。
宇宙飛行士やピアニストになるという夢を失い、自分が原因で両親を失った罪悪感を背負いながらピザの配達人として貧しい生活をを強いられる。
そんなある日の配達でガブリエルという女性に出会い、好意を抱く。
そして彼女の叔父である大工の見習として働くことに。
第一の源泉のように閉塞的な静止した人生からの解放、そのきっかけは情動を揺さぶる恋であり、第二の源泉である。
また、もう一人の主人公"手"においても
医療施設という閉鎖空間から外の世界へと飛び出し、そして触れるものから記憶を呼び覚ましていく。
これも第一の源泉から第二の源泉を辿っている。
抑圧への抵抗、それは憧れが齎すものなのかもしれない。
余談として、宗教的観点から見た蝿と蟻にも意味があります。
蝿は聖書では主に悪魔であるベルセブブを指します。
また、旧約聖書の《イザヤ書》のように死を連想させるものでもあります。
イザヤ書7章18節
「その日、主はエジプトの川々の源にいる、はえを招き、アッスリヤの地にいる蜂を呼ばれる。」
蟻は勤勉性を意味し、旧約聖書の《箴言》にも登場します。
箴言6章6節
「怠け者よ、ありのところへ行ってみろ。その道を見て智恵を得ろ」
イソップ物語『アリとキリギリス』の蟻の扱いにも近い。
終わりに
というわけで、新年一発目のブログ初めということで簡単に考察を進めてきましたが今回、何故『失われた体』でブログを書こうと思ったかと言いますと、映画として興味深い点があったのは勿論なのですが
今年はブログの更新も頻繁に行っていこうという決意表明でもあります。
理想は鑑賞作すべてなのでしょうが、流石にそこまで来ると義務感等が出てしまって続かないと思われるので、それこそ第一の源泉、閉ざされた社会になってしまいます(笑)
したがって、新作旧作問わず好きな映画についてはなるべくブログで語っていこう!くらいの気持ちでやっていけたらなと思っております。
それじゃ今までと何も変わらないとか言わないで!
最後までお読みいただいた方、ありがとうございました。
今後とも当ブログをよろしくお願いいたします。
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