小羊の悲鳴は止まない

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存在論から見た「ア・ゴースト・ ストーリー」ネタバレ考察

目次




初めに

こんばんは、レクと申します。
今回は久しぶりの旧作の考察となります。
2018/11/27に劇場鑑賞した「A GHOST STORYア・ゴースト・ストーリー」です。

何故今更?ということですが、それは後述でお話します。


この記事はネタバレを含みます。
未鑑賞の方はご注意ください。



作品概要


原題︰A Ghost Story
製作年︰2017年
製作国︰アメリカ
配給︰パルコ
上映時間︰92分
映倫区分︰G


解説

「マンチェスター・バイ・ザ・シー」のケイシー・アフレックと「キャロル」のルーニー・マーラの共演で、幽霊となった男が残された妻を見守る切ない姿を描いたファンタジードラマ。田舎町の一軒家で若い夫婦が幸せに暮らしてたが、ある日夫が交通事故に遭い、突然の死を迎える。病院で夫の死体を確認した妻は、遺体にシーツを被せて病院をあとにする。しかし、死んだはずの夫はシーツを被った状態の幽霊となり、妻が待つ自宅へと戻ってきてしまう。アフレックがシーツ姿の幽霊となってさまよい続ける夫役を、マーラがその妻役を演じる。デビッド・ロウリー監督がメガホンを取り、「セインツ 約束の果て」の監督&主演コンビが再結集した。
A GHOST STORY ア・ゴースト・ストーリー : 作品情報 - 映画.comより引用





考察の前に

まずは僕が観た感想から。


さて、何故今になってこの作品の考察を始めたのか?
それは単純な理由です。
2020/02/22に行われるオフ会に僕が参加させていただいたからです(笑)


蓮城さん(‪@renzy0u)
なつをさん(‪@Cr_Ha_Quesse)
じぇれさん(‪@kasa919JI)
【蓮なつシネマ談話andじぇれ シーツ映画上映会】

僕自身、初鑑賞時も良い映画だなあとは思っていたものの、年間ベストには入れず。
しかしながら、今では鑑賞後にじわじわとくるこの映画の魅力に取り憑かれている一人です。

参加するにあたり、自分の考えを纏めておこうという目的もあって改めて考察をしてみました。



幽霊を描いた映画

早速、本題に入っていきます。

今作『A GHOST STORY ア・ゴースト・ストーリー(以下ア・ゴースト・ストーリー)』はあらすじに記載された通り、交通事故で死亡した男が幽霊となって最愛の妻を見守るという何とも切なく悲しい物語なんですよね。


僕のオールタイムベスト10にも入っている『マンチェスター・バイ・ザ・シー』のケイシー・アフレックが上映の大半でシーツを被ったままという斬新さ(笑)


また、未亡人となったルーニー・マーラの哀しみに暮れ無気力になっていく様子もその儚げな美しさも最高なんです。

この構図はシュール過ぎますが(笑)



過去の映画でも、幽霊を主人公とした映画は多々あります。
中でも有名作として『ゴースト/ニューヨークの幻』があります。


この映画も、主人公が最愛の人を見守る優しく切ない物語となっています。
他にも『幽霊と未亡人』や『オールウェイズ』などなど。


幽霊となった人間が現世で未練または恋、もしくは恋人を見守るという構図はある意味で使い古されたものです。

では今作『ア・ゴースト・ストーリー』の魅力とは一体何なのか?
観た人ならわかっていただけると思います。


そう、幽霊の視点から描いた死後の世界を通して見る現在の演出
これが素晴らしいんです!


言いたいことはまだまだあるのですが、今回はそこに絞って考察を進めていきます。



存在と時間

この映画を鑑賞した際、生者と死者を描く上で当然あるべきことを上手く可視化しているなといった視覚的感動があったんですよね。

それが"時間"の概念です。


我々が生きているうちには、当然一秒、一分、一時間、一日、一年と時間によって縛られています。
逆を言えば、その時間という概念があるからこそ人生は有限であり、一分一秒を生きていると"生"を実感する。


では死者の場合はどうなのか?
時間は止まったままなのか?
それとも我々生者と同じように流れるのか?

上記で挙げた『ゴースト/ニューヨークの幻』をはじめ幽霊の出てくる映画は基本的にはその場に囚われ、しかし生者と同じ時間を過ごす。

今作『ア・ゴースト・ストーリー』では、その死者から見た現在、その時間の概念をも映像化してしまっているから凄いんです。



そこで連想したのがドイツの哲学者ハイデガーの『存在と時間』です。


マルティン・ハイデッガー(Martin Heidegger、1889年9月26日 - 1976年5月26日)

1927年の主著『存在と時間』で存在論的解釈学により伝統的な形而上学の解体を試み、「存在の問い(die Seinsfrage)」を新しく打ち立てる事にその努力が向けられた。

マルティン・ハイデッガー - Wikipediaより引用


『存在と時間』の巻頭言はプラトンの対話篇『ソフィステス』の引用から始まります。

「『ある』という言葉でもってわれわれが一体なにを思い描いているのか、という問いの答えを、今日われわれは持っているだろうか? われわれはいままでその答えを持っていると思い込んでいたのに、いまではまったく心もとなくなっている。」

存在の問い。
その何であるかを問われて答えられない存在そのものを"存在"。
その他の何であるかを答えられる個別に存在しているものを"存在者"とした時、存在者と存在を区別した上で存在の意味についての問い、つまりは「存在者が存在するという意味はどういうことなのか?」を明らかにしようとしました。



・"存在"とはどういうものなのか?

我々の身の回りには有形無形問わず様々な存在者に囲まれています。
例えば、友人知人であったり、スマホであったり、テレビであったり、紙やペン、動物に植物、自然もそう。
それら存在者の総体としての世界の内に自分は存在しています。

そんな切っても切れない環境と自分の在り方を"世界-内-存在"といい、今ここに在る自分のことを"現存在"といいます。
存在者の中でも「自分はなぜ在るのか?」と自問できるのが存在者、つまり"現存在"です。



・なぜ在るのか?

例えば、お箸の意味は"ご飯を食べるため"。
食事という目的のためにお箸は意味を成します。
ご飯を食べるためにお箸を使わない人にとっては、お箸に"ご飯を食べるため"といった意味を持たせません。

人間は、仕事をするため、ご飯を食べるため、好きなことをするため、様々な目的がそこには付随します。
それらはすべて"生きるため"なんです。

この目的とは言い換えれば"未来"であり、自分(現存在)が持つ目的(未来)が取り囲む存在者を意味付ける。
これが自分の"世界"観なのです。



・存在から見た今作

劇中の台詞「小説家は物語を書き、作曲家は曲を作る」も現存在が存在者を意味付けるものとして語られています。

そこに在るものとしてそこに在ることを問えるもの、それは存在しているということ(現存在)。
しかし、そこに在っても在るものとして認識されない(問えない)のであれば、それは存在しないということにもなる。
また、過去にそこに在ったものが未来になければ、それは存在しないということになる。


これらを『ア・ゴースト・ストーリー』に当てはめると、ケイシー・アフレック演じる幽霊Cがこれに該当するんです。

勿論、ルーニー・マーラ演じるMは生者であり人間であるため、現存在の位置付けとなります。

Cの存在は自分を認識されない虚無の"世界"。
そして未来にも語り継がれない過去のもの。
しかし、自身には"妻Mを見守る"という目的があり、それは自身を問える、つまりは現存在にも当てはまる。


今作『ア・ゴースト・ストーリー』の幽霊の描写は、存在すると存在しないの絶妙な境界線で"存在"している幽霊の"世界"観を見事に描き出すことに成功しているんです。




・時間の概念とは?

ハイデガーは時間においても「過去、現在、未来」という三つの時間が均質的に、尚且つ無限に続いて存在するというものであるとした上で
根源的な時間とはそれ自体で存在するものではなく、現在から過去や未来を開示して時間というものを生み出す働きのようなものだと主張しています。

一般的に考えられている時間の概念は直線的です。
未だ来ない"未来"は今である"現在"になり、やがて現在は過ぎ去り"過去"になる。
これは"未来、現在、過去"が均質な関係として成り立っています。

ハイデガーの場合、未来、現在、過去の代わりに、"将来、現成化、既在"を立てます。
"既在"とは、過ぎ去った過去ではなく、今までの自分はどうあったかというものです。
言い換えるなら"現在にある過去"。
自分は今まで「何者であったか」という問いが"既在"の認識によって、"将来"の「何者であるか」を決定づけるんです。



・時間の終わり

では、時間に終わりは来るのでしょうか?
繰り返される時計の針、一定の速度で進む時間。
その終わりを告げるものこそが"死"です。

"世界-内-存在"の現存在が消滅してしまうこと。
"将来"を"死"として覚悟し生きることが、ハイデガーの言う本来的在り方なんです。

その自身の死と向き合うこと(将来)が、人生を生きるということであり、そのために今何をすべきか(現成化)を問うことが現存在、つまり存在することなのです。




・時間から見た今作

これらを今作『ア・ゴースト・ストーリー』に当てはめると、Cは死してやっと本来的在り方に辿り着けたと言える。

自身の"世界"観ないしMや生者の"世界"観から切り離され、時が止まったCにとって"将来"はない。
つまりは、Mとともに歩む時間の流れとは別の次元へと移ったことになる。
だからこそ、今までの自分がどうであったか(既在)を問い、傍観者としてその場に留まることしか出来ず他者の"世界"観を俯瞰することしかできないのだ。



・存在と時間から見た今作

幽霊となったCが現世に存在する理由はMが壁に残した手紙を読むという目的(現成化)。
その中で家が取り壊されその目的を成せないことで時系列が未来へと移行する。
Cにとって手紙を読みたかったこと(既在)が将来(夢や願い)になることで、時系列が円環的となり未来と過去が繋がり時間軸が移動している。

これこそが、今作『ア・ゴースト・ストーリー』での時間跳躍の演出に該当するのではないだろうか?


過去に移ることで、なぜここに居るのか?という問いを思い出させてくれるのが過去の少女が残したメモ。
なぜ自分は家にこだわるのか?という問いがCの感情を円環的に繋げる。
そして、過去に自分たちの住む家が建てられることで、手紙を読むという目的が達成されることとなる。


隣人の幽霊が家での待ち人を待つという目的(現成化)と将来を達成できず消えてしまったように、幽霊であるCは手紙を読むという目的(現成化)が達成され、存在する意味を失い消えた(成仏した)と考えられるのではないだろうか。



終わりに

余談ですが、この映画はシュールでありながら結構シリアスに描かれてますよね?

実は「手を触れようとしてすり抜ける」や「シーツがドアに挟まれる」などの遊び心も撮影時には試されたらしく、結局「この映画には合わない」と撮り直したそうです。


マジでグッジョブ!(笑)

多分、そういうコミカルな描写があったらこの映画をそこまで好きにはなってなかったと思いますね。


ということで、今回は"存在と時間"について考察をしてみました。
実際は理性的に観る映画ではないと思うので、こんな考察は忘れて皆さんもっと感情的に『ア・ゴースト・ストーリー』を楽しみましょう!

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最後までお読みくださった方、ありがとうございました。




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