恐怖のシナジー効果(『オールド』ネタバレ考察)
目次
初めに
どうも、レクです。
今回はM・ナイト・シャマラン監督最新作『オールド』についてシャマランの過去作も交えながら語っております。
当記事はいくつかのシャマラン監督過去作も含め、ネタバレが含まれます。
未鑑賞の方はご注意ください。
作品概要
原題︰Old
製作年︰2021年
製作国︰アメリカ
配給︰東宝東和
上映時間︰108分
映倫区分︰G
解説
「シックス・センス」「スプリット」のM・ナイト・シャマラン監督が、異常なスピードで時間が流れ、急速に年老いていくという不可解な現象に見舞われた一家の恐怖とサバイバルを描いたスリラー。人里離れた美しいビーチに、バカンスを過ごすためやってきた複数の家族。それぞれが楽しいひと時を過ごしていたが、そのうちのひとりの母親が、姿が見えなくなった息子を探しはじめた。ビーチにいるほかの家族にも、息子の行方を尋ねる母親。そんな彼女の前に、「僕はここにいるよ」と息子が姿を現す。しかし、6歳の少年だった息子は、少し目を離したすきに青年へと急成長していた。やがて彼らは、それぞれが急速に年老いていくことに気づく。ビーチにいた人々はすぐにその場を離れようとするが、なぜか意識を失ってしまうなど脱出することができず……。主人公一家の父親役をガエル・ガルシア・ベルナルが演じ、「ファントム・スレッド」のビッキー・クリーブス、「ジョジョ・ラビット」のトーマシン・マッケンジー、「ジュマンジ」シリーズのアレックス・ウルフらが共演する。
オールド : 作品情報 - 映画.comより引用
感想
時間経過というものは不可視なもの。
その不可視なものが可視化される恐怖。
子供たちの成長、朽ちていく大人たちの老いをスリラーへと溶け込ませる演出力は流石だ。
そして、家族の崩壊と再生へ仕向ける舞台設定。
時間は有限であるからこそ執着し、或いは諦観することでその価値を見出すドラマ性。
スリラーに拘り続けたM・ナイト・シャマラン監督が我々に放つ映像体験と言えよう。
しかし、急速な成長を見せる本作と比べて過去作『ヴィジット』からツイスト映画としての成長が見られなかった。
これはあくまでもツイスト映画として、である。
詳しくは下記の"考察"で言及しています。
考察
先日、Twitterでツイートしましたが、M・ナイト・シャマラン作品はどんでん返しが主体ではない。
『シックス・センス』のイメージでM・ナイト・シャマランはラストの展開、どんでん返しを期待される監督とされていますが、個人的には彼の作品の本質はどんでん返しではない。
— レク (@m_o_v_i_e_) 2021年8月27日
"裏の裏を返して表を見せる"手法。
人が持つ恐怖の多様性を描くのが上手く、それを彼の独自の世界観で魅せているんですよ。 pic.twitter.com/oWZF2lsrJZ
つまり、ラストの展開に期待しすぎると肩透かしを食らう可能性があるんです。
『シックス・センス』で成功を収めたM・ナイト・シャマラン。
そのイメージが常に付き纏っていることが一つの要因ですね。
もう一つの要因は、この"シャマラン独自の世界観からスリラー要素を媒体に捻った切り口で語ること"にあると思います。
一般的にはツイスト映画(観客が観てきたものをひっくり返して驚きのエンディングを迎える映画)と呼ばれていますが
自分はどんでん返しが主体ではなく、"裏の裏を返して表を見せる"手法だと表現しています。
これがシャマラン節だと思っています。
さて、ここで先ずは代表される作品を簡単に振り返ってみます。
『シックス・センス』(1999)
死者の姿が見える少年と彼を担当する小児精神科医の交流を衝撃的な展開で描き、M・ナイト・シャマラン監督の出世作となったサスペンススリラー。これまで多くの子どもたちを救ってきた小児精神科医マルコム。ある夜、10年前に担当した患者ビンセントがマルコムの自宅を襲撃し、彼を銃撃した後に自ら命を絶つ。完治したはずのビンセントを救えなかったことは、マルコムの心に大きな影を落とした。1年後、マルコムは8歳の少年コールのカウンセリングを担当することに。コールは誰にも言えない秘密を抱えており、周囲に心を閉ざしていた。2人は交流を続けるうちに心を通わせていき、ついにコールはマルコムに秘密を打ち明ける。なんとコールは、死者の姿が見えるというのだった。精神科医マルコムをブルース・ウィリスが演じ、少年コール役を務めたハーレイ・ジョエル・オスメントはアカデミー助演男優賞にノミネートされ、天才子役として名をはせた。
シックス・センス : 作品情報 - 映画.com
この映画がシャマランを評価する一番有名な作品ではないでしょうか。
最早ネタバレが常識化してしまっているこの映画の結末と真相。
主人公マルコムは映画のほぼ全編にわたって死んでいたという衝撃的事実が明かされる。
持論に当てはめるなら
死者から見た映画の本筋(裏側)
死者は元々死んでいる(裏の裏側=表側)
つまり、死者が死人であることを我々観客が"騙された"形(裏側)で物語が進行するんです。
この構成は一度結末、真実を知れば新たな視点(表側)から再度この映画を見直し、この映画に隠された"騙し"を検証することができる。
『アンブレイカブル』(2000)
フィラデルフィアで起こった悲惨な列車衝突事故。131人の乗員・乗客が死亡したこの事故で、デビッドはただ1人、傷ひとつ負わず奇跡的に死を免れた。「なぜ、俺だけが?」 やがてイライジャと名乗る男が現れ、デビッドこそが不滅の肉体を持つ者“アンブレイカブル”であり、弱き者を守る使命を帯びたヒーローだと告げる。
アンブレイカブル : 作品情報 - 映画.com
恐らく『シックス・センス』の次に有名な作品ではないだろうか。
こちらはシャマラン・ユニバース化された『スプリット』(2017)、『ミスター・ガラス』(2019)も絡めて話をします。
『アンブレイカブル』では新たなヒーローの誕生を望む虚弱体質で悪意のない(ように見える)イライジャこそが、実は人殺しの悪人だという事実が明かされる。
これは、ヒーローを求める者は悪人ではないという先入観を利用したもの。
ここで、改めてデイヴィッドが自身のヒーロー性に気付かされるんです。
『スプリット』では人が内包する特異性を解離性同一性障害として描き、この作品内で生まれた新たなヴィランに対して『アンブレイカブル』がクロスオーバーし、『ミスター・ガラス』へと繋げる。
このやり方はズルいですよね(笑)
単作だと思わせておいて、実は『アンブレイカブル』の世界と繋がっていたなんて。
そして『ミスター・ガラス』。
ヒーローとヴィラン、不死身と虚弱、相反する存在の誕生を描いた『アンブレイカブル』とそれを破壊する怪物ヴィランを産んだ『スプリット』が一つになる。
『アンブレイカブル』のヒロイズムに対抗する『スプリット』のアンチヒロイズム。
ヴィランはヒーローと対峙するもの。
正義は必ず勝つ。
そんな常識すらも覆し、フィクションとされるアメコミを全肯定することで、特異性及びマイノリティを我々に認めさせる映画でもあります。
『サイン』(2002)
妻の事故死により信仰を失った元牧師グラハムが2人の子供と弟メリルと暮らす農場で、怪現象が発生。とうもろこし畑に一夜にして巨大な図形=ミステリー・サークルが出現したのだ。いったい誰の仕業なのか。監督は「シックス・センス」、「アンブレイカブル」のシャマラン。ミステリー・サークルは「X-ファイル」でもおなじみの実在の怪現象。直径20メートルにも及ぶ巨大な幾何学図形が畑などに出現するもので原因は不明。
サイン : 作品情報 - 映画.com
妻の死後に起こった不可解な出来事、ミステリー・サークルが出現する。
このミステリー・サークルは宇宙人が次に襲う家を記した"サイン"だった。
これから何か予期せぬことが起こるのではないか?といった不安に駆られる人間目線と、予め襲うことを決めていた宇宙人目線。
この作品も表から見れば至極真っ当なものだが、裏から見せることによってそのスリラー要素を演出しています。
『ヴィレッジ』(2004)
「サイン」のM・ナイト・シャマラン監督の最新作。1897年、米ペンシルバニアの小さな村。村の周囲を取り囲む森には恐ろしい存在がいるため、村人が森に入ることはタブーとされていた。だが、村で皮を剥いだ動物の死骸が発見され、誰かがタブーを破ったのではないかという疑惑が持ち上がる。ロン・ハワード監督の実娘ブライス・ダラス・ハワードがヒロイン役。撮影はコーエン兄弟監督作の常連ロジャー・ディーキンスが担当。
ヴィレッジ : 作品情報 - 映画.com
この作品に関しても、『シックス・センス』同様に結末の近くで新しい情報を導入し、ある事実を明かす。
この真実の開示によって、観客が今まで観てきたものに対して解釈し直し、何に騙されていたのかを確認することになる。
また、サスペンススリラーと見せかけたラブロマンスという点でも、自分は見事に騙されました。
『ヴィジット』(2015)
「シックス・センス」「サイン」のM・ナイト・シャマラン監督が、「パラノーマル・アクティビティ」「インシディアス」といった人気ホラー作品を手がけるプロデューサーのジェイソン・ブラムと初タッグを組んだスリラー。休暇を利用して祖父母の待つペンシルバニア州メインビルへとやってきた姉妹は、優しい祖父と料理上手な祖母に迎えられ、田舎町での穏やかな1週間を過ごすことに。祖父母からは、完璧な時間を過ごすためにも「楽しい時間を過ごすこと」「好きなものは遠慮なく食べること」「夜9時半以降は部屋から絶対に出ないこと」という3つの約束を守るように言い渡される。しかし、夜9時半を過ぎると家の中には異様な気配が漂い、不気味な物音が響き渡る。恐怖を覚えた2人は、開けてはいけないと言われた部屋のドアを開けてしまうが……。
ヴィジット : 作品情報 - 映画.com
子供たちを介して見るPOV視点。
祖父母の顔を知らない子供たちという設定が、祖父母はサイコパスであるという真実を隠し、観客は子供視点だからこそ騙されるという構成。
その虚偽を覆うベールが祖父母の家で守らなければならない約束であり、その約束を破ることで祖父母の隠された真実が暴かれる。
怖さよりも笑いが勝ってしまったが、子供のいる親の気持ちになって観るとこの作品での恐怖度も増すのではないでしょうか。
では本題に入っていきたいのですが
先ずはじめに疑問となる"なぜあのビーチだけ時間の流れが速いのか?"です。
これは視点の違いではないかと考える。
例えば、コイルに磁石を近づけるとする。
すると、そこでは発電が起こります。
コイルの視点で見ると磁石が近づいてきてマクスウェル方程式によって電場が生じる。
この電場によってコイルの電子が運動を始めて電流が流れる。
一方、磁石の視点では近づいてきたのはコイルである。
磁場は変化せず、ローレンツ力によってコイルの電子が移動した。
コイル視点では変化があったのに対して、磁石視点では変化はない(変化したのはコイル側)。
このように視点によって事象に差が生じること、この考え方は相対性理論にも結びつくのですが、上記に当てはめると
磁場を帯びたビーチ傍の岩場が磁石視点、閉鎖空間であるビーチに送られた彼らがコイル視点と考えられる。
尚且つ、それを遠くから見るシャマラン演じる監視者視点で見るとビーチに隔離された人たちの時間の経過速度は速く見える。
と、もっともらしい感じで適当に結論付けましたが、当たらずとも遠からず?こんな見解はサクッと流してください(笑)
では、過去作を絡めつつ、本作『オールド』(2021)の話に入っていきましょう。
過去作を振り返ると、初期作の『シックス・センス』、『アンブレイカブル』、『サイン』で幽霊、ヒーロー、宇宙人、と子供が好奇心を持ったような題材を選んでいることがわかる。
それらをスリラー要素を介して、フィクションの肯定として解き伏せて見せている。
そして中期、『ヴィレッジ』と『ヴィジット』によってフィクションからリアルへ、"見えない恐怖への対峙と可視化"へと昇華していることがわかる。
『ヴィレッジ』では盲目の少女が見えない恐怖に怯えながら村に隠された真実に触れていく。
『ヴィジット』では無知な子供が見えない恐怖に晒され、約束を破ることで見える恐怖に襲われることになる。
本作『オールド』は、この"見えない恐怖への対峙と可視化"を突き詰めたものとなっていると感じた。
何が起こっているのかわからない目に見えない恐怖。
そして体に起こる異変、朽ちていく老化や迫りくる死、目に見えないものを可視化することで見えてくる時間に対する恐怖心。
老いといっても見た目の変化、記憶力、視力、聴力の衰えなど。
また、時間経過は切り傷の治癒、病の進行、出産、老衰、死体の分解まで。
様々なアプローチから登場人物たちを追い込んでいく。
そこに抜け出せないビーチという舞台設定が畳み掛ける。
物語が進行していくことで引き起こされる恐怖のシナジー効果。
これは『ヴィジット』でも使われたものと同じで、わからない恐怖と知った上で感じる恐怖の相乗効果ですね。
さて、先程"短評"で「ツイスト映画としては『ヴィジット』から成長していない。」と語りました。
要はラストのタネ明かしは全く違えど、やっていることは『オールド』も『ヴィジット』も全く同じなんですよ。
持論に当てはめるなら
隔離された者が見ている視点(裏側)
それをある目的で監禁、監視する側の視点(裏の裏側=表側)
自らある閉鎖空間へと赴き、そこで隔離された者が恐怖に苛まれ、真実が明らかになった時にその閉鎖空間が意図的に作られたものだと知る。
ツイスト映画としてはほとんど成長してないんですよ、シャマラン監督は。
ただ、ただですよ。
本作『オールド』に関してこれだけは言いたい。
『ヴィジット』より断然面白い!
『ヴィジット』は恐怖体験による子供たちの成長を描いているのだが、本作『オールド』はそんな子供たちの成長を正に"目に見えるもの"として描いちゃってるんですよね!
あんな老けた6歳と11歳を見たら、おじさんも困っちゃうよ。
それに加え、父と母の夫婦愛を描くことでドラマ面でも厚みが増しているんです。
序盤にガエル・ガルシア・ベルナル演じる父とビッキー・クリープス演じる母がホテルで夫婦喧嘩をするシーンがありました。
そこで、「あなたはいつも未来ばかり見ている。私は今しかないのに。」という台詞が挿入されます。
この二人が終盤では、老いて未来が閉ざされたことで"今"という時間を大切にしようとするんです。
ちょっと感動しちゃったよね…。
終わりに
ということで
一般的な評価はあまり高くないですが、個人的にはなかなか面白かったです。
というか、シャマランは良い意味でも悪い意味でもスリラーに拘ったシャマランらしさを貫いてるんだなあと改めて思いました。
シャマラン好きにはたまらん!(これが言いたかっただけ)
ありがとうございました。