小羊の悲鳴は止まない

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受け継がれた輝き(「シャイニング」「ドクター・スリープ」ネタバレ考察)

目次




初めに

こんにちは、レクと申します。
今回は2019/11/29に公開されました『ドクター・スリープ』に絡めて、映画版とTVドラマ版『シャイニング』を再鑑賞し、自身の考えを整理する目的のもとで書き出しました。

ちなみに、先日発売された北米公開版『シャイニング』は未鑑賞です。
『シャイニング』に関しましては、数多くの考察がされている作品でもありますので、改まった考察というよりも個人的な纏めのようなものだと思ってください。

この記事はネタバレを含みます。
未鑑賞の方はご注意ください。



原作と映像化

スティーヴン・キングの原作小説『シャイニング』は元々『ダークシャイン』または『ザ・シャイン』というタイトルで書かれています。
これは、ジョン・レノンの詩「私たちは皆輝く、月や星や太陽のように」から着想を得たものです。

一方で、キューブリックは著者が最終的に選んだ『シャイニング』のタイトルとしています。
"スタンリー・キューブリックの『シャイニング』"
とされるのは、映画と小説を区別されるためと考えられます。


キューブリックがこの原作を作るきっかけとなったのは、本人の志向の変化もある。
ワーナー・ブラザーズキューブリックに『エクソシスト』の話を持ち掛けたそうで、その時に語ったのが
「観客が夜、夢に見てしまうくらいに恐ろしいエピソードを盛り込んだ世界一怖い映画を作ってみたい。」
でした。

しかし、キューブリック版『シャイニング』はそのような特別な欲望があって作ったのではないと主張しています。
現に、彼はキングの文体を弱いと一蹴し、ダイアン・ジョンソンを共同作業の相手に選んでいます。

キューブリックは、小説を映画サイズに刈り込み、ホテルのミステリーと、家族の心理的力学で捉えた恐怖の観念に話を絞り込んでいます。


逆に、原作者スティーヴン・キングキューブリック版『シャイニング』を批判しているのは有名な話ですね。
「長い間キューブリックを賞賛してきたが、深く失望した。」
とまで言わせてしまう。

その内容として
「閉所恐怖症的な恐ろしさ満載で怖いところもあるけれど、あとは平板上だ。」
「頭でっかちで感受性が乏しい。」
ジャック・ニコルソンはいい俳優だけど、あの作品での起用は大間違いだった。彼のその前の当たり役『カッコーの巣の上で』で、観客はそれを見て、どうしたって最初のシーンから彼を狂人だと思ってしまう。(中略) もし最初から奴が狂人なら、彼が狂気に陥るという悲劇全体が、そもそも意味をなさないからね。」

なかなかに厳しい意見だ(笑)


また、先日発売された北米公開版『シャイニング』では、冒頭に超自然的能力"シャイニング"についての説明が追加されているようで、コンチネンタル版『シャイニング』の119分よりも24分長い時間となっています。
尺の都合上、登場人物たちの背景をカットすることでジャックが正常から異常へと切り替わる過程も唐突に映り、苦しくもキングの指摘通りの結果となっている所は否めない。


キューブリック版『シャイニング』を再鑑賞して感じたことですが確かに、キューブリックのジャックは早い段階でウェンディとの関係が悪化。
狂気に蝕まれてからは躊躇わずに暴力行為に及び、料理長のハロランを殺害。
家庭内暴力においても過去にダニーに怪我を負わせたことだけで、小説執筆への焦りとアルコール依存による精神的疲労がその狂気の中心にあるように見える。

恐らく、キングは超自然的な存在が齎す恐怖が人に影響を与えることで悲劇が起こるということをメインに考えており
キューブリックは超常現象は家族内悲劇を引き起こした人の内面にある暴力性への傾倒として捉えているように思う。


つまりは、悲劇の犠牲者(ウェンディとダニー)視点から狂人(ジャック)視点に物語の主軸がシフトしてしまっていることが、原作と映画の最も大きな違いであろう。

あくまでも主人公はダニーであり、だからこそ続編『ドクター・スリープ』に繋がるのである。


他にも、妻のウェンディは原作では自立した強い女性であり、キューブリック版『シャイニング』のように夫に依存した受動的な女性像ではない。

息子のダニーに関しても、原作では超自然的能力"シャイニング"を使って切り抜けるが、キューブリック版『シャイニング』では機転を利かせて切り抜ける。
もう一つの人格トニーの描写も全く異なる。

そして本来はキーパーソンでもあるハロラン。
彼もダニーと同じく超自然的能力"シャイニング"を持ち、ダニーとテレパシーで交信できる。
先程も記述しましたが、ハロランは狂気に蝕まれたジャックによってホテルに戻ってきて早々に殺害される。
原作において本来ハロランはこの物語においてのデウス・エクス・マキナ的役割を担う重要な人物です。

デウス・エクス・マキナdeus ex machina、羅: deus ex māchinā デウス・エクス・マーキナー)とは演出技法の一つである。
古代ギリシアの演劇において、劇の内容が錯綜してもつれた糸のように解決困難な局面に陥った時、絶対的な力を持つ存在(神)が現れ、混乱した状況に一石を投じて解決に導き、物語を収束させるという手法を指した。悲劇にしばしば登場し、特に盛期以降の悲劇で多く用いられる。
デウス・エクス・マキナ - Wikipediaより引用


このように登場人物たちの描き方の相違が、ラストの違いにも関係してきます。
これらの点からも、キューブリック版『シャイニング』は物語としても登場人物たちの描き込みにしても不完全であり、故にその不可解さも不気味さへとリンクしている部分もあるのではないかと考えられますね。



その点、TVドラマ版である"ミック・ギャリス版『シャイニング』"はキングが脚本に携わったこともあり、原作の世界観やテーマに沿うものとなっています。
1997年に『シャイニング』刊行20周年記念で、キング自身が最映像化するチャンスを掴む。

ギャリス版『シャイニング』は91分を3回に分けて放送されました。
それをひとつに繋げて再編集し、DVD化されたので268分という長編となっています。


ここで面白いのが、意地のようにキューブリック版『シャイニング』の演出を避けて作られていること。
例えば、迷路やタイプライターの演出、ラストシーンなど。

逆に、クライマックスシーンのジャックが破った扉から覗き込むシーンや部屋に追いやられたウェンディが窓から出られない状況などはキューブリック版『シャイニング』のオマージュだと認めています。

ギャリス曰く、キューブリックの影がつきまとったと。
『シャイニング』を最映像化することの重責をしっかりと理解した上で自分らしく、時に映画をリスペクトして作り上げている。


その甲斐もあってか、キューブリック版『シャイニング』で描ききれなかった登場人物たちの背景をより深く、そしてより原作寄りに作り上げたのが今作で、ホテルに行くまでの家庭問題がしっかりと描かれています。

何よりも、超自然的能力"シャイニング"に焦点を当て、登場人物たちをより小説通りの性格へと立ち戻らせています。

言い換えれば、キングが見せたかった『シャイニング』のテーマはキューブリック版ではなくギャリス版に詰まっているということです。



キューブリックの『無気味なもの』という論文の中で
「無気味なものというのは、日常生活よりは芸術においてこそ、より力強く経験される唯一の感情だ。」
と述べています。

一方、ギャリスは原作者キングと似た境遇で育っています。
キングは母子家庭、ギャリスは12歳で両親が離婚。
そこで出会ったのがファンタジーである。

この点が、キューブリック版『シャイニング』ギャリス版『シャイニング』の決定的な相違点であり、キングの創り出す世界観とキューブリックの描いた世界観の不一致がキングの不満を生み、ギャリスの不可解な現象に対する思想とキングの求める世界観の合致がキングが評価するところなのだろう。



映画版『シャイニング』の考察


原題:The Shining
製作年:1980年
製作国:アメリ
配給:ワーナー・ブラザース映画
上映時間:119分

解説

スティーブン・キングの小説をスタンリー・キューブリック監督が映画化した名作ホラー。冬の間は豪雪で閉鎖されるホテルの管理人職を得た小説家志望のジャック・トランスは、妻のウェンディーと心霊能力のある息子ダニーとともにホテルへやってくる。そのホテルでは、かつて精神に異常をきたした管理人が家族を惨殺するという事件が起きており、当初は何も気にしていなかったジャックも、次第に邪悪な意思に飲みこまれていく。主演のジャック・ニコルソンがみせる狂気に満ちた怪演は見どころ。高い評価を受けた作品だが、内容が原作とかけ離れたためキングがキューブリック監督を批判したことでも知られる。
シャイニング : 作品情報 - 映画.comより引用


さて、ここからはキューブリック版『シャイニング』を再鑑賞をして改めて気付いた点、また再確認出来た点などを考察していきます。


キューブリック版『シャイニング』は以下のようにキャプションで分けられています。
【面接】【閉鎖の日】【一カ月後】【火曜日】【木曜日】【土曜日】【月曜日】【水曜日】【午前八時】【午後四時】。




また、映像も冒頭の山々の空撮からホテル、更にはそのホテルから内部にある迷路へ。

物語が進行していく毎に時空間がどんどん縮小化されていく。

そうすることで、劇中のテンポが加速していき、それがジャックの狂人化の速度をも効果的に映し出しています。


山々の風景は、登場人物たちが迷い、社会から隔離される場所を。
数ヶ月管理することとなるホテルは、雪に覆われ、閉鎖的に追い詰められる様子を。
そして、主要な登場人物3人は孤立によって狂っていく立場を。

この死への通過儀礼的な旅が迷路を舞台に収束する。



この迷路は重要な役割を担う。
劇中で、迷路の縮尺レプリカを眺めるジャック視点からウェンディとダニーが迷路の中心部で遊んでいる様子を映すシーンがあります。
これは謂わば神の視点であり、これが冒頭の山々の空撮とも繋がって、キューブリック版『シャイニング』"二重性"を顕著に表しています。


迷宮から想起させるものはギリシア神話テセウスミノタウロスの物語です。


ミーノータウロスを退治するテーセウス

ミーノータウロスが幽閉されているラビュリントスは、名工ダイダロスによって築かれた脱出不可能と言われる迷宮であった。しかし、ミーノース王の娘アリアドネーがテーセウスに恋をしてしまい、彼女はテーセウスを助けるため、彼に赤い麻糸の鞠と短剣をこっそり手渡した。テーセウスはアリアドネーからもらった毬の麻糸の端を入口の扉に結び付け、糸を少しずつ伸ばしながら、他の生贄たちと共に迷宮の奥へと進んでいった。そして一行はついにミーノータウロスと遭遇した。皆がその恐ろしい姿を見て震える中、テーセウスはひとり勇敢にミーノータウロスと対峙し、アリアドネーからもらった短剣で見事これを討ち果たした。その後、テーセウスの一行は糸を逆にたどって、無事にラビリントスの外へ脱出する事ができた。テーセウスはアリアドネーを妻にすると約束し、ミーノース王の追手から逃れてアテーナイへ戻るために、アリアドネーと共に急いでクレータ島から出港した。

テーセウス - Wikipediaより引用


このミノタウロスが幽閉されていた迷宮は実は単純な図面であったとされています。
現代でいうラビリンスとは異なったイメージですね。


クノッソスの迷宮図(クレタ型迷宮)

ギリシア神話ではミーノータウロスが閉じこめられた場所とされている。クレタ島のクノッソスの迷宮が世界最古のものと思われる。この迷宮の紋章である、両刃の斧(labrys)が、ラビリンス(Labyrinth)の語源となったとする説がある。迷宮の設計図はクノッソスの貨幣の意匠にもなったが、実は分岐のない極く単純な迷路であった。

迷宮 - Wikipediaより引用


何故このような単純なものであるのか?
それはミノタウロスを迷宮に閉じ込めていたのではなく、迷宮によって隠されて守られていたんです。
つまり、キューブリック版『シャイニング』のラストシークエンスでダニーがジャックから逃げ隠れる場所ということがわかります。



また二重性といえば、現実と虚構、正気と狂気、肉体と霊体などなど、作品自体に内包するテーマにも添います。


過去の管理人と1921年の執事のグレイディ。


過去の管理人チャールズ・グレイディの娘(双子)。

そして

冬期の管理人と1921年の写真に写るジャック。


ダニーともう一人の人格トニー。

過去と現代、グレイディとトランス、親と子の関係性も二重性によって描かれます。


また

料理長ハロランとダニーの超自然的能力"シャイニング"

トニーについてはギャリス版『シャイニング』を観た方が理解が深まるだろう。
ハロランが初めてダニーと疎通した超自然的な力"シャイニング"のテレパシーのようなもの。
これらは続編『ドクター・スリープ』にも繋がる重要な要素の一つだ。



グレイディとトランスに関しては、輪廻転生が考えられていますね。
この写真に映るジャックは厳密に言えばジャックではない。
執事にトランス様と呼ばれていたことから、恐らくはジャックの先祖であり、過去の管理人グレイディと幽霊として現ホテル内に登場した執事のグレイディも同様の関係にある。

つまり、1921年の執事グレイディと写真に映るトランスが
過去の管理人グレイディと現在の管理人ジャック・トランスの二人をこのホテルに引き寄せたのだ。


しかし、個人的にはこの輪廻転生説はあまり有力視していません。
むしろこの写真に映っているジャックはジャック本人ではないか?
ホテルに取り憑かれたジャックが幽霊と同化し、写真にその姿が収められた(過去から存在するホテルの怨念に魂を飲み込まれた)とも考えられる。

一家惨殺した過去の管理人グレイディも今回のジャックと同様にそのホテルの怨念に取り憑かれたとするなら説明が付く。
ホテルの悪霊たちは超自然的能力"シャイニング"を目的としている。
つまり、生まれ変わりだから 再びホテルに呼びつけた ではジャックとグレイディが同じ奇行に出たことの説明に矛盾が生じるのだ。


そう、幽霊と同化、魂を飲み込む…これが続編『ドクター・スリープ』の彼らに繋がるのです。


仮にジャックが幽霊と同化したとするなら、先程のトイレでグレイディと話すジャックの姿を虚構と現実で描くシーンが挿入されますが、トイレにたくさんある鏡のどこにもこのジャックの姿が映し出されていないのがそう思わせる描写です。



ということで、更に大切な二重性についての描写が"鏡"です。

鏡には人の心を映し出す、あるいは人の真実を暴き出すといった迷信が含意されます。



最も印象的な鏡の演出は2つあります。



ひとつはジャックが237号室の室内で裸の美女と抱き合うシーン。
そこで鏡に映る腐った老婆の姿を見る。
美女と老婆の二重性はある種の理想と現実、虚構と現実を可視化するものとなっている。

ちなみに、237号室は原作では217号室です。
このホテル外観のモデルとなっているティンバーレイク・ロッジの217号室に泊まる客がいなくなることを恐れて、存在しない部屋番号に変更するよう要請し、キューブリックが237号室に変えています。


もうひとつは『ドクター・スリープ』にも登場した"REDRUM"の文字だ。


ダニーは「REDRUM」と呟きながら、ナイフを手に取り、ウェンディの口紅で扉に「REDRUM」と文字を書く。
この扉に刻んだ文字が鏡に映り"MURDER"となる。

後述していますが、このシーンの演出は明らかにギャリス版『シャイニング』の方が秀でていると思う。
それに加えて、ギャリス版『シャイニング』の方では言及しませんが、あちらでも鏡が効果的に使われています。







ドラマ版『シャイニング』の考察


原題:The Shining
製作年:1997年
製作国:アメリ
配給:ワーナー・ホーム・ビデオ
上映時間:268分

解説

『シャイニング』(The Shining)は、1997年に制作されたアメリカのテレビドラマ。スティーヴン・キングの同名小説の2度目の映像化になる。
キングはスタンリー・キューブリック版の『シャイニング』について、ジャック・ニコルソンによるジャック・トランスの造型や、物語の中核になるはずの「かがやき」の存在が希薄になり、単なる怨霊ホラーになっていた点に不満を持っていた。そこで、自分の理想を実現すべく、キング自身の脚本による再映像化が進められた。『シャイニング』のドラマ化の権利を持っていたのはキューブリックであったが、キングが映画に関する非難をやめることを条件として製作を許諾した。1997年にABCで放映された。
シャイニング (テレビドラマ) - Wikipediaより引用


さて、ここからはギャリス版『シャイニング』を再鑑賞をして改めて気付いた点、また再確認出来た点などを考察していきます。


ジャック・トランスはアルコール依存症でその欲に葛藤する様、そして息子のダニーを傷つけたことによる罪悪感を抱く。
これは原作者スティーヴン・キング自身のアルコール依存症を克服した経験が投影されています。
キングの小説において自己投影は定番ですね。

ジャックと同様にキングも執筆に頭を抱えていた時期でもあります。
『キャリー』『呪われた町』を書き上げ、その次のアイデアが浮かばず苦しんでいたと語っています。


また、キューブリックではホテルがジャックを狂気に陥れた描写はあるものの、仕事のプレッシャーに耐え切れず自ら発狂したとも受け取れるが、ギャリス版ではホテルの超自然的な力がジャックを狂気へと誘う描写がしっかりと描かれている。

厳密に言えばキューブリック版『シャイニング』ではトイレの会話シーンで一応描かれるのですが、ギャリス版『シャイニング』でのジャックの虚構と現実が映し出されるダンスフロアシーンなど。

キューブリック版『シャイニング』では明確化されていない部分
妻のウェンディも息子のダニーもジャックが発狂したのはホテルのせいであると分かっている点もギャリス版『シャイニング』の大きな特徴のひとつだ。



時間がたっぷり用意されたことで、鑑賞者が登場人物たちへの理解度を深めることもできる。
キューブリック版『シャイニング』は登場人物たちが別世界の人間のようで感情移入できないのだ。

加えて、もうひとつ重要な特徴として、超自然的能力"シャイニング"の必要性もきっちりと描かれています。


これは原作でも言えることですが
ジャックが狂ってしまった原因はホテルの超自然的な存在による操作であるといったオカルト的な要素が強い。
そしてジャックがホテルで行う家庭内暴力は、過去の過ちでもあるアルコール依存症からくる家庭内暴力と重なるように描かれる。
つまり、解決策はダニーやハロランが持つ超自然的能力"シャイニング"が鍵となるんです。



ダニーのもう一つの人格トニーの存在は、劇中では道案内役、そしてラストシークエンスの容姿から自身の未来の姿だと明かされます。
この点もキューブリック版『シャイニング』では言及されていません。
(映画では原作からかけ離れた 口の中に住む男の子。)

これもダニーの持つ超自然的能力"シャイニング"の警告、未来予知のひとつですね。

ギャリス版『シャイニング』では、217号室の女性の手首の流血、そしてダニーとハロランのやり取りでダニーの"シャイニング"の強さでハロランが鼻血を流すシーンの2つで赤を象徴的に使用し、何かを予感させている。

「予兆がテーマであり、トランス一家の危険を警告する雰囲気をそれとなく漂わせたかった」
とギャリス自身も語っています。


キューブリック版『シャイニング』ではホテルに来て早々に殺されたハロランは、ギャリス版『シャイニング』では気を失っていただけ。
原作ではジャックに殺されずに生き残るんです。

そういう意味では、キューブリック版『シャイニング』しか観ておらず、原作も読んでいない方にとっては驚きの展開も待っています。



また、タイトル『シャイニング』(輝き)から、ギャリス版『シャイニング』では明かりについても考慮されています。

ダニーが寝静まった夜、暖炉を前に話し合うジャックとウェンディ。
ウェンディの顔には柔らかく暖かな暖炉の明かりが灯るが、ジャックは静かで冷たい月明かりが照らす。
そんなジャックの背後には暖かな暖炉が見える。

ジャックが幽霊によって理性をなくし始めていることと人間味のあるウェンディとの対比でもあり、二人の関係性も明白になる。
また、最後に二人で寝室へと向かう時にはジャックの立ち位置が変わり、顔は暖炉の暖かな明かりに灯される。

このシーンはエピソード2の中で最も考え抜かれた大好きなシーンだ。
ホテルの照明、217号室の浴槽、家族の会話など、他にも明かりを効果的に使っているシーンはある。



ギャリス版『シャイニング』はジャックがホテルの過去を遡ることで、なぜこのホテルに幽霊がいるのか?が次第に明らかとなる。

3部に分かれている今作でエピソード1はスローテンポ。
エピソード2でこのホテルの不気味さが徐々に明るみとなり、エピソード3でクライマックスを迎える。
つまり、エピソード2が転機であり、エピソード1と3を繋ぐ重要な場面でもある。
個人的に一番面白いのは勿論エピソード3だが、エピソード2が最も好きな理由もここかもしれない。

そして、このエピソード2で出現する幽霊たちが狙っているのがダニーの能力"シャイニング"であり、この話は『ドクター・スリープ』で描かれた設定のひとつ。



映像化するにあたり、幽霊という本来可視化することが出来ないものを映すということが課題となってくる。
小説では自由に幽霊を描くこともできるし、読み手の想像力で補完される。
しかし、映画となると現実の世界ですべてを表現しなければならない。

「その部屋に入っちゃダメだ!」


そう、その表現が最も顕著に現れる場所が、過去に事件のあった217号室なのだ。


一度目、ダニーが217号室に入ろうとして躊躇うが
その後でジャックに迫られる。
ここでジャックは頭痛により頭痛薬アスピリンを飲む。
「こんなに頭が痛いのは昔…随分久しぶりだ。」
この台詞から、飲酒でダニーに暴力を奮った過去を想起させる。
また、アスピリンには常習性があり、これもアルコール依存と重なる。
この時点で地下室で新聞を読んだジャックは幽霊に取り憑かれてしまっていて、残る理性と内に秘めた暴力の狭間にいることも汲み取れる。


エピソード3のクライマックスでもスティーヴン・ウェバーは素晴らしい演技を見せています。
悪魔に取り憑かれたような殺人狂と息子を愛する繊細な父親のジャック一人二役を見事に演じきっている。


キューブリック版『シャイニング』にはない父子の和解と父の贖罪は二人の関係性及び続編『ドクター・スリープ』にも大きく関わってくる重要な問題です。

『ドクター・スリープ』は主にキューブリック版『シャイニング』の人物像を引き継いだ形となっており、このギャリス版『シャイニング』の人物像で描ければまた違ったものとなっていただろう。



原作及びキューブリック版『シャイニング』にも登場する"REDRUM"の文字もこのエピソード2で初めて登場する。
これはキング原作『キャリー』でいうところのプロムの血。

キューブリック版『シャイニング』との決定的な違いはダニー本人が書くか、壁に文字が浮き上がるか。
ギャリス版『シャイニング』は原作寄りで、よりオカルトの方向で演出されています。


ダニーは子供だから浮き上がる文字"REDRUM"の意味がわからず母ウェンディに尋ねる。
ここも意味があって、例えばはじめから"MURDER"という言葉の意味を子供に尋ねられたら母親は警戒心を強めてしまう。
ホラーとは不意を付くから恐怖が増すものであると思っていて、まさにこれが体現された瞬間です。

間接的、つまり鏡に写った文字を見た時に初めて、その本当の意味に気付き恐怖するのだ。



『ドクター・スリープ』の考察


原題︰Doctor Sleep
製作年︰2019年
製作国︰アメリ
配給︰ワーナー・ブラザース映画
上映時間︰152分
映倫区分︰PG12

解説

スタンリー・キューブリック監督がスティーブン・キングの小説を原作に描いた傑作ホラー「シャイニング」の40年後を描いた続編。雪山のホテルでの惨劇を生き残り大人へと成長したダニーを主人公に、新たな恐怖を描く。40年前、狂った父親に殺されかけるという壮絶な体験を生き延びたダニーは、トラウマを抱え、大人になったいまも人を避けるように孤独に生きていた。そんな彼の周囲で児童ばかりを狙った不可解な連続殺人事件が発生し、あわせて不思議な力をもった謎の少女アブラが現れる。その力で事件を目撃してしまったというアブラとともに、ダニーは事件を追うが、その中で40年前の惨劇が起きたホテルへとたどり着く。大人になったダニーを演じるのはユアン・マクレガー。監督・脚本は「オキュラス 怨霊鏡」「ソムニア 悪夢の少年」やキング原作のNetflix映画「ジェラルドのゲーム」といった作品を手がけてきたマイク・フラナガン
ドクター・スリープ : 作品情報 - 映画.comより引用

さて、ここからは『ドクター・スリープ』についての考察に入っていきます。
が、作品そのものの考察ではなくキューブリック及びギャリス版を基に『シャイニング』に関連付けて考察を進めていきたいと思います。



"シャイニング"の能力を持つ子供たちを狙った邪悪集団トゥルー・ノット。


ダニーと同じく"シャイニング"を持つ少女アブラが彼女らに狙われることから、ダニーとその過去のトラウマである忌まわしきホテルと対峙することとなる。

ダニーはハロランの助言により、ホテルの幽霊たちを頭の中の箱に閉じ込めていた。
恐らくこのハロランはトニー同様にダニーの"シャイニング"の能力のひとつでしょう。
幽霊たちからの接触を立つことでダニーは自らの能力を幽霊たちに見つからないように隠して生きてきたことがわかる。



超自然的能力"シャイニング"を隠してきたダニーはハロランとのテレパシーのようなものではなく、ダニーの住む家の黒板を媒体として行われていました。


キューブリック版『シャイニング』でダニーが扉に書いた文字"REDRUM"
鏡に映され反転することで初めてその意味を知るのですが、今作『ドクター・スリープ』ではそれが逆説的に演出されている。


予告編にもあるこのシーン。
超自然的能力"シャイニング"を持つアブラとの意思疎通の場所であり、その黒板に書かれた"MURDER"の文字をダニーは鏡越しに"REDRUM"と見る。


これはダニーの過去の記憶を呼び覚ますことの暗示であり、尚且つ再びあのホテルへ足を運ぶこととなる予兆でもあるのだ。



また、ダニーが再びホテルへと足を運ぶことはキューブリック版『シャイニング』でジャックやグレイディが過去によって引き寄せられたことをオマージュしています。


ジャック同様にアルコール依存症で人生を失敗したダニー。
ホテルのバーでジャックそっくりのバーテンダーに酒を勧められるシーンは『シャイニング』でグレイディに酒を勧められたジャックの姿と重なる。


また、このローズを迎え撃つダニーの姿はキューブリック版『シャイニング』のオノを手に取るジャックのオマージュ。


バケモンにはバケモンをぶつけんだよ!

どこかで聞いた台詞ですが、全く別の映画なので深くは掘り下げないでください(笑)


原作やギャリス版『シャイニング』で描かれた父子の和解と父の贖罪
それらが描かれていなかったキューブリック版『シャイニング』の人物像を引き継ぐ『ドクター・スリープ』でこのホテルのバーでダニーが不満をぶつけることとなる。


言い換えれば、ジャックとダニーの親子関係はキューブリック版『シャイニング』であるからこそ、ダニーのアル中設定及びこのシーンが活きてくるわけです。

しかし、それが却ってキューブリック版『シャイニング』の話を小さくしている、矮小化とも受け取れてしまう。

また、幽霊と魂の関係性を明確化することで、ある意味でのキューブリック版『シャイニング』よりもギャリス版『シャイニング』を、更にはキング原作『シャイニング』を引き立てることにも繋がっている。




"氷"で終わるキューブリック版『シャイニング』
"炎"で終わる原作『シャイニング』ギャリス版『シャイニング』、そして続編『ドクター・スリープ』


原作及びギャリス版『シャイニング』のラストと同じように爆破で終わらせるために『ドクター・スリープ』では雪の迷路で決着をつけなかったんです。


要は爆破という炎で収束するこの物語はキューブリック版『シャイニング』の尻拭いをしっかりしてるんですよ!


つまり、『ドクター・スリープ』は主にキューブリック版『シャイニング』を意識しながらも超自然的能力"シャイニング"に関する事柄とラストはギャリス版『シャイニング』の要素を使い、原作へのリスペクトも感じる良い所取りに仕上げた素晴らしい出来ではないだろうか。


キューブリックがもしこの『ドクター・スリープ』を観ていたら、もしかしたら自身の作品を否定されたと憤慨していたかもしれない(笑)

それでも、キューブリックとキングの双方の意志を受け継ぎ、ひとつの答えを出した今作の監督を努めたマイク・フラナガンの手腕を認めざるを得ない輝きを放つ力作と言えます。



終わりに

如何でしたか?

同じ原作のものでもこれだけ多岐にわたる相違点と共通点があり、好みも分かれるって面白いですね。
そしてその両作のファンを納得させるよう作られた続編の姿勢が素晴らしい。

長々と語ってきましたが最後までお読みいただいた方、ありがとうございました。




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