小羊の悲鳴は止まない

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現実逃避が持つ力(「ゴーストランドの惨劇」ネタバレ感想)

目次




初めに

どうも、レクです。
皆様、如何お過ごしでしょうか?
私は元気です。


ということで、新作映画でブログを書こうと思える作品があまりなく、そもそもブログを書くこと自体のモチベーションも上がらなくて更新が停滞してましたが
久しぶりの映画の駄文企画、第四弾です。

今回は公開から暫く経っても未だにちょくちょくTLにも感想が流れてくるパスカル・ロジェ監督作『ゴーストランドの惨劇』について語っております。

よろしくお願いいたします。


この記事にはネタバレが含まれます。
未鑑賞の方はご注意ください。




作品概要

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原題︰Incident in a Ghostland
製作年︰2018年
製作国︰フランス・カナダ合作
配給︰アルバトロス・フィルム
上映時間︰91分
映倫区分︰R15+



解説

「マーターズ」の鬼才パスカル・ロジェが6年ぶりにメガホンをとり、絶望的な惨劇に巻き込まれた姉妹の運命を、全編に伏線と罠を張り巡らせながら描いたホラー。人里離れた叔母の家を相続し、そこへ移り住むことになったシングルマザーのポリーンと双子の娘。奔放で現代的な姉ベラとラブクラフトを崇拝する内向的な妹ベスは、双子でありながら正反対の性格だった。新居へ越してきた日の夜、2人の暴漢が家に押し入ってくる。母は娘たちを守るため必死に反撃し、姉妹の目の前で暴漢たちをメッタ刺しにしてしまう。事件から16年後、ベスは小説家として成功したが、ベラは精神を病んで現在もあの家で母と暮らしていた。久々に実家に帰って来たベスに対し、地下室に閉じこもるベラは衝撃の言葉をつぶやく。出演はテレビドラマ「ティーン・ウルフ」のクリスタル・リード、「ブリムストーン」のエミリア・ジョーンズ。
ゴーストランドの惨劇 : 作品情報 - 映画.comより引用




感想

暴漢に襲われトラウマを抱えた姉妹に焦点を当てた『マーターズ』で知られるパスカル・ロジェが贈る悪夢。
『マーターズ』ではグロやゴア描写といった視覚的な部分で話題になることが多いが、その本質は心理描写である。

一線を超えた人の欲望。
その恐ろしさや不条理さ、そこに別の嫌悪感を抱くもの。
昨今では、劇中のある仕掛けによって恐怖が増幅されるようなホラー映画が多く作られています。



本作『ゴーストランドの惨劇』はというと
物語の核はその転調における心理描写の起伏の差。

人は幸せであればあるほどその落差は大きく、また不幸であればあるほど幸せを思い描く気持ちが強くなる。
非日常でのそんな普遍的な感情を現実逃避という形で心を抉る巧みな演出。

そして、その現実逃避への問題提起の答えを劇中でしっかりと示す計算された脚本。
虐げられる絶望と生に縋りつく希望の対比を斜め上から切り込む絶妙なバランスで描かれる。



視覚的な部分でいうなら、グロやゴア描写は大したことはなく、人形大好き変態暴漢に恐怖と戦慄が走る。
また、魔女の方が不気味ではありますが
この2人の関係が劇中では明かされず、観客の想像による補完しか出来ないことがこの作品がもう一歩足りない点ではあると思う。

なぜならば、ここまでの連続監禁殺人鬼の背景にある狂った価値観を見せるほどに彼女らの身を案じ、観客が自らの感情で恐怖心を煽るものだと個人的に思うからである。

この映画はパスカル・ロジェ監督の考える『マーターズ』で描かれた"人の欲望"のその先にあるものとは何か?の答えを示した映画でもあり、その物足りなさは彼の作家性を鈍らせるまでには至らず。
高水準なサスペンススリラー、そして人間ドラマとして描けているのが凄い。



ただ、この殺人鬼の背景を描かなかったことにも意図があることが後になって分かってくる。
それは創作物(妄想)としての物語だから。
観客の想像を以て問題提起するパスカル・ロジェ監督の技巧。



ということで、詳細は下記にて。




駄文

さて、ここからは鑑賞した方の解釈が大きく割れるこの物語の個人的な解釈を語っています。
一意見としてお読みいただければ幸いです。



もう一度書きますが、劇中で示される現実逃避への問題提起の答えとは『マーターズ』で描かれた"人の欲望"のその先にあるものの答え

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作品の冒頭と劇中にはラヴクラフトが登場します。
これは何を意味するのか考えていました。

ラヴクラフトは死後に知名度が上がったこと、そして幻想小説家の先駆者として知られており、有名な作品に『クトゥルフ神話』がある。
彼は幻想や妄想を"実在"するかのように、超自然的恐怖として小説に記す。

初めはラヴクラフト自身がパスカル・ロジェ監督の投影かとも考えたが、少し違う気がしました。
ラヴクラフトはあくまでも現実逃避の中での主人公とは別の創作者、ということは主人公がパスカル・ロジェ監督自身の投影であり、「こうなりたい」という主人公の願望と監督の「こうでありたい」という理想の可視化なのではないか?と考える。



現に主人公はラヴクラフトに憧れて現実逃避の世界で小説を執筆している点からも妥当な見解かと。

よって、この映画のタイトル『ゴーストランドの惨劇』が主人公が現実逃避の中で作り出した小説であることとそこに登場するラヴクラフトの作家性から"創作物(現実逃避)の中の創作物(小説)が現実に干渉する"という複数構造の上に成り立つ認識構造の可視化を描いていると思う。



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著者の作り出したものなのか、はたまた読み手の想像が生み出したものなのか。
人の感情=欲望や願望=創作物とするとこの物語を認識する世界が変わって見えてきます。





これが『マーターズ』、死後の世界は素晴らしい世界なのか?それとも虚無の世界なのか?の答えでもあり、この答えはある意味で現実逃避を肯定的に描きつつもその闇を映して突き落とすパスカル・ロジェ監督の思想の答えではないだろうか。

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結論として
死の境地を越えた先にある素晴らしい世界とは "人の欲望=現実逃避=創作物" が見せるリアリズムであると解釈できる。




現実逃避という言葉自体にはあまり良いイメージはないですよね?
現実を受け入れられない、逃げることといったマイナスなイメージしかありません。

しかし、人間は生きる上で、現実逃避をすることで生きられることもあるのではないでしょうか?

例えば、小説を読んだり映画鑑賞をしたり、食事やドライブなどを含む娯楽はそうですよね?
日頃の仕事のストレスなどから解放され、リフレッシュできたり。
一時でも好きなことをすることで嫌なことを忘れられる時間を自らが作ること。



現実逃避(妄想)できることは、ある意味で創作が持つ力のひとつでもある。

本作『ゴーストランドの惨劇』においては
「助かった」と思い込んだままの精神が、さも現実であるかのように見せられている(現実逃避の世界から帰って来られていない)
という解釈が自分の中ではしっくりくるんですよね。



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創作物が如何に現実に作用するか?
だからこそ、その創作物(現実逃避)が現実に勝つ。
言い換えるなら、現実で主人公が助かっていようがなかろうが、現実逃避の中では「助かった」と思いこんでいる主人公にとって現実的に救われていることになるんです。



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現実逃避の中の妄想で小説を執筆する。
この小説のタイトルが『ゴーストランドの惨劇』。
悲劇を創作物と置き換えることで、その現実を乗り越えること。
これをすべて物語ったのが、ラストの主人公の台詞なのだと思います。




終わりに

ということで、考察よりも気軽に書ける駄文シリーズは今後も続けていこう。

「好きな映画を好きな時に好きなように語りたい。」
をモットーに不定期更新していきますので、今後ともよろしくお願いします。

ありがとうございました。



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