小羊の悲鳴は止まない

好きな映画を好きな時に好きなように語りたい。

見えないものにこそ本質がある(「透明人間」ネタバレ考察)

目次




初めに

お久しぶりでございます。
どうも、レクです。

いやー本当にお久しぶりですね(笑)
コロナの影響もありますが、映画鑑賞の本数自体は減ってはいません。
が、なかなかブログを書く気力が湧かなくて停滞していました。
申し訳ございません。

また書きたいと思える映画を鑑賞した際にはマイペースにアップしていきますので、今後ともよろしくお願いいたします。



さて、今回はリー・ワネル監督脚本『透明人間』について僕なりのひとつの解釈を語っています。

この記事にはネタバレが含まれています。
未鑑賞の方はご注意ください。




作品概要

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原題︰The Invisible Man
製作年︰2020年
製作国︰アメリカ
配給︰東宝東和
上映時間︰122分
映倫区分︰PG12



解説

「ソウ」シリーズの脚本家リー・ワネルが監督・脚本を手がけ、透明人間の恐怖をサスペンスフルに描いたサイコスリラー。富豪の天才科学者エイドリアンに束縛される生活を送るセシリアは、ある夜、計画的に脱出を図る。悲しみに暮れるエイドリアンは手首を切って自殺し、莫大な財産の一部を彼女に残す。しかし、セシリアは彼の死を疑っていた。やがて彼女の周囲で不可解な出来事が次々と起こり、命まで脅かされるように。見えない何かに襲われていることを証明しようとするセシリアだったが……。主演は、テレビドラマ「ハンドメイズ・テイル 侍女の物語」のエリザベス・モス。
透明人間 : 作品情報 - 映画.comより引用




本題

ということで、まずはTwitterに上げた感想から。




えー、今作『透明人間』はとても考察の余地がある、解釈の幅が広い作品だと思います。

なので、様々な考察が可能だと思うのですが、僕が今から考察する部分はほんの一部。
いつも(と言っても久しぶりの考察記事)のように簡単に掘り下げていこうと思います。



ラストのセシリアの表情の意図は?

ここが論点になるのですが、僕個人のひとつの解釈を単刀直入に言います。

すべてはセシリアの妄想からの計画的犯行なんだよ!!!

です。


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透明人間として現れる前の夫エイドリアンからのDVシーンは一切なく、またセシリア自身の夫に対する恐怖心は本物であったことから、夫からの暴力行為はセシリアの妄想で、逃亡に成功したが突然現れた透明人間の恐怖に怯えるもその透明人間を利用して夫を殺す計画を立てたと考えたわけです。





なぜそのような結論に僕が至ったのか?
そのためには、今作『透明人間』で監督、脚本を手がけたリー・ワネルについて少し語らなければなりません。



リー・ワネルといえば脚本家として有名な作品は多々あります。
まずは『ソウ』と同じくジェームズ・ワン監督とタッグを組んだ『デッド・サイレンス』から話していきますね。

『デッド・サイレンス』はある夫婦のもとに送り主不明の腹話術人形が届けられ、舌を切り取られた妻の死体が発見される。
そこからその夫が事件に巻き込まれていき、誰が何の為にこんなことをするのか…といった謎に迫っていくホラー映画。

この映画は『ソウ』ほどのどんでん返しがあるわけではないんですが、今作『透明人間』と通ずるところがありまして。
『デッド・サイレンス』の明確なネタバレは避けて言いますが、犯人の正体は謎のまま様々な怪奇現象が起こるんですよ。
で、実は真犯人なんていなくて個人への恨みのような負の感情に囚われた呪いが殺人をしていくって感じなんです。

『透明人間』においても、透明人間の犯人は正直なところ誰でもよくて、セシリアが夫に対する負の感情の蓄積(妄想を含む)から殺人に至ったと考えられるんですよね。



次に、リー・ワネルが脚本だけでなく監督として手がけた『アップグレード』についても今作『透明人間』と重なる点がありました。

『アップグレード』は妻を殺され全身麻痺となった男が最先端技術を駆使して復讐する話なんですが
今作『透明人間』も最先端技術を駆使した復讐劇という点で共通しているのかなあと。

ただ、今作『透明人間』は復讐劇ではなく妄想からの計画的犯行であると考えると、復讐劇の枠内で描いたAIと人間の共存やその世界観を利用してオチにした『アップグレード』のアプローチとは逆。

復讐劇の枠から出た夫婦間の関係性、『透明人間』ならではの世界観を利用したオチなんだと思えてくる。

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リー・ワネルが脚本担当した代表作『ソウ』に関して言うとワンシチュエーションを活かしたホラー演出、『インシディアス』のようなジャンプスケアのタイミングと使い分けの巧さ、『狼の死刑宣告』のように目の前で家族を殺される憎しみと復讐心。

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また、リー・ワネルは『ソウ』と同じように、タネ明かしのタネを劇中で予め見せておきながら観客を騙すのが巧いフェアな監督なんです。

そうなんです。(『ソウ』だけに)
彼は劇中で真実しか映してないんです、アンフェアなことは一切せずに観客を見事に騙してるんですよ!



今作『透明人間』では、そのタネ明かしのタネ、結論に至ったのには色々と理由があるのですが、具体的に掲示されたものが薬。

先程から言う"妄想"はここがキーポイントではないかと思います。
セシリアが避妊薬として飲んでいた薬ビンの中身は夫によってジアゼパムと入れ替えられていました。
所謂、精神安定剤や睡眠薬のようなものです。

しかし、この薬には鬱病を悪化させる副作用があるんですよね。


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セシリアが鬱病を患っていたとしたら、夫の暴力が仮になくても夫から逃げ出し追い詰められたような姿を見せられてもなんら不思議ではない。




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他にわかりやすいシーンで言うとこのシーン。

セシリアが精神病院に収監された時に透明人間も一緒についてくる。
で、警察官やらをなぎ倒すんですが、その時セシリアは座ったまま後ろにいるとか注意するだけなんですよね。

これは脱走の機会を窺ったとも取れるのですが、セシリアは透明人間の存在を可視化して、夫が透明人間であることを周りに信じ込ませようとしたのではないだろうか。

ここからセシリアの透明人間を利用した計画的犯行を匂わせてくるんですよ。




ということで、解釈が大きく分かれる部分をいくつか見ていくと


①劇中の抑圧や恐怖は現実か虚構か。

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夫からの暴力と束縛、そんな抑圧から逃げ出したセシリアが透明人間となった夫にストーカーされる恐怖。

これがこの物語の核となる部分ですよね?

でも、実は
夫からの暴力や束縛はなく、セシリアは鬱病によってそう思い込んでいる。
不安により逃げ出したセシリアを連れ戻すために夫は透明人間となって近づく(直接会えばセシリアが発狂するから)が、透明人間によって追い詰められるシーンすべてが真実ではなくセシリアの妄想を交えたものとして描かれている。


とも解釈できます。

ちなみに、夫が犯人だと確信するラストシーンの「サプライズじゃない」のセリフ。
これも透明人間による蹂躙が一部セシリアの妄想だと仮定すると犯人が夫でなくとも、犯人を夫だと思い込んでいるセシリアが「サプライズ」というセリフを聞いたとしても矛盾はないかと。




②透明人間の正体は?

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ここで、透明人間の正体が夫であるか夫の兄であるかがまた論点になります。

夫が犯人の場合、兄に罪をなすりつけて自分はセシリアと復縁できると考えるが、信じてもらえず殺される。

夫が犯人の場合、無実の夫が犯人だという思い込みで殺される。


セシリアの妹エミリーが目の前で殺されたことから、夫からの暴力を受けていたとした場合には透明人間の正体は夫である可能性は高い。
しかし、夫が暴行していたこと自体がセシリアの妄想だったとした場合、透明人間の正体は夫の兄である可能性が高い。

仮に犯人が夫ではなく兄であった場合、①の夫がセシリアを連れ戻すために透明人間となったということ自体が否定されてしまうのですが、行方を眩ませたセシリアを探し出せずに透明人間となった兄に監禁されていたとすれば辻褄は合います。


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また、前半の透明人間は夫であり、中盤以降の透明人間は夫を監禁して入れ替わった兄である可能性も考えられる。
なぜなら突然透明人間が暴力的になったからだ(笑)

いずれにしてもセシリアは夫が透明人間の犯人だと思い込んでいるので、セシリア視点のこの物語においてラストシークエンスの結末になんら違いはなく、犯人が誰であろうとセシリアにとっては然程問題はない。


とはいえ個人的には、上記に書いた『ソウ』から見たリー・ワネルの特徴からも、透明人間の正体は夫の兄であり、"『ソウ』の犯人は初めからそこにいた!"と同様に"初めから犯人は兄だった!"ので、そこにどんでん返し(兄が犯人?いや、真犯人は夫だ!的なもの)はないと思っています。

リー・ワネルは劇中に真実を映すので。




③ラストの表情は?

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この記事の結論に戻ります。
Twitterに上げた感想にも書いてますが

「心身ともに追い詰められる支配と暴力、そこから生じる精神的な崩壊は不可視の恐怖により強調される。」

つまり、劇中で掲示するリー・ワネル監督のタネ明かしを、"透明人間の不可視なものによって可視化される恐怖"をフィルターのように覆い隠し、我々観客を騙しているんです。

「この物語はセシリアが受けた抑圧への抵抗と復讐劇だぞ」と思わせんばかりに。


リー・ワネルが我々観客にネタばらしして、この物語自体が"セシリアの妄想からの計画的犯行"なんだと示したのがラストのセシリアの浮かべた表情なんです。

あの笑みは抑圧からの解放による被害者女性の"安堵の笑み"なんかじゃない。
計画的犯行を終えて満足した妄想女の"したり顔"なわけですよ。





『透明人間』は目に見えないものにこそ本質があって、セシリアの妄想と劇中で実際に起きている現実の交錯として観客がそれを"事実"だと誤認させられている構成になっていると思うんですよね。

「見えるのは、殺意だけ。」

このキャッチコピーは実は透明人間のことではなく、主人公セシリアのことを指す言葉だとさえ深読みしてしまうほどリー・ワネルの騙しに騙されて何が真実か全然見えてこない凄い映画なんです(笑)




終わりに

如何でしたか?

普通に考えれば夫の暴力や束縛から逃れた被害者女性の復讐劇なんですが、こういった解釈もできるんじゃないかな?ということでダラダラとひねくれた考察を並べました(笑)

今作『透明人間』はそんなに深読みせずに純粋に透明人間に襲われる恐怖とラストのスカッとする感覚を持って鑑賞を終える方が楽しいんでしょうが、鑑賞後のひとつの楽しみ方として色々と考察してみるのも面白いです。

というわけで久しぶりのブログ更新となりましたが、最後までお読みくださった方、ありがとうございました!



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