小羊の悲鳴は止まない

好きな映画を好きな時に好きなように語りたい。

魔女の存在と意思(「サスペリア(2018)」ネタバレを 考察)

目次




初めに

こんにちは、レクと申します。

公開日初日に鑑賞してきました1月25日公開の『サスペリア(2018)』について語っています。

今回もいつもながら、こじつけと自論で展開しております。
興味のある方は最後までお付き合い頂けたら幸いです。

この記事はオリジナル版、リメイク版ともにネタバレを含みます。
ご注意ください。




作品概要


原題:Suspiria
製作年:2018年
製作国:イタリア・アメリカ合作
配給:ギャガ
上映時間:152分
映倫区分:R15+


・解説

映画史に名を刻むダリオ・アルジェントの傑作ホラーを、「君の名前で僕を呼んで」のルカ・グァダニーノ監督が大胆にアレンジし、オリジナル版とは異なる視点から新たに描いた。1977年、ベルリンの世界的舞踊団「マルコス・ダンス・カンパニー」に入団するため、米ボストンからやってきたスージー・バニヨンは、オーディションでカリスマ振付師マダム・ブランの目に留まり、すぐに大きな役を得る。しかし、マダム直々のレッスンを受ける彼女の周囲では不可解な出来事が続発し、ダンサーたちが次々と謎の失踪を遂げていく。一方、患者だった若きダンサーが姿をくらまし、その行方を捜していた心理療法士のクレンペラー博士が、舞踊団の闇に近づいていくが……。「フィフティ・シェイズ」シリーズのダコタ・ジョンソンほか、ティルダ・スウィントンクロエ・グレース・モレッツら豪華女優陣が共演。イギリスの世界的ロックバンド「レディオヘッド」のトム・ヨークが映画音楽を初めて担当した。撮影はグァダニーノ監督の前作「君の名前で僕を呼んで」に続き、「ブンミおじさんの森」などで知られるタイ出身のサヨムプー・ムックディープロム。

サスペリア : 作品情報 - 映画.comより引用



・予告編






オリジナル版『サスペリア(1977)』

今回、『サスペリア(1977)』のリメイクということで、正直なところ期待と不安、フィフティーフィフティーだったわけですよ。



君の名前で僕を呼んで』のルカ・グァダニーノ監督に決定!と初めて聞いた時には
「おいおいおいおい!」
と。


いや、監督がどうこうというよりも、リメイクするのかという方に驚きが。
リメイクすることは、古い映画への認知、古参新参共に楽しめるという点では賛成なんですがね。



何を隠そう、当管理人レクはですね…
サスペリア大好きマン!!!
なんですよ(笑)



キャッチコピー
「決してひとりでは見ないでください」
インパクトを与えた作品でもあります。



特別ダリオ・アルジェント監督のファンというわけでもないのですが、魔女三部作の中でもそりゃあもう『サスペリア(1977)』は至高です。

続編の『インフェルノ』、『サスペリア・テルザ 最後の魔女』はまあ置いておいて、『サスペリア(1977)』はずっと色褪せない傑作だと思ってます。



ということで『サスペリア(1977)』から語らなければ本作の話には入れないので、少し前置きが長くなりますが語ります、すみません。
語りたいだけなので、オリジナル版の話なんか要らないんだよという方は飛ばしていただいて結構です(笑)

正直な話、リメイクと言いつつオリジナル版の鑑賞は必須ではありません。

なぜなら、オリジナル版『サスペリア(1977)』とは異なる視点から描いたものとのことで、基本的に予備知識がなくてもひとつの作品としてしっかりと成り立っています。

むしろ、過去の有名作を40年以上経った今リメイクするということについて、改変は大正解だと思います。
同じストーリーを準えるだけではオリジナル版を鑑賞した方にとっては面白味に欠けちゃいますからね。


しかし、しかしですよ?
オリジナルを観ていれば「おっ!」となる箇所は幾つかあります。
そして、この魔女三部作の一作目『サスペリア』においては特に魔女の存在をしっかりと把握することで見えてくるものがあるんじゃないかと思っております。





Twitterの"1日1本オススメ映画"というタグでも『サスペリア(1977)』をオススメしています。



もしオリジナル版をご鑑賞なさるならこちら、HDリマスター パーフェクト・コレクションがオススメです!


ここで記載したダリオ・アルジェント魔女三部作の魔女とは何か?という話をしておきましょうか。
一応、リメイク版でも言及はされますが、魔女三部作ではより詳しく言及されています。


魔女三部作では一作目『サスペリア(1977)』に登場する魔女の正体は続編『インフェルノ』、『サスペリア・テルザ 最後の魔女』で明かされることになります。




要約すると

サスペリア(1977)』に登場した三姉妹の魔女の1人"溜息の母(『インフェルノ』では嘆きの母)"。
続いて『インフェルノ』に登場した魔女"暗黒の母(『インフェルノ』では暗闇の母)"。
サスペリア・テルザ 最後の魔女』では魔女"涙の母"。

インフェルノ』にて。
近所の骨董屋で"3人の母"という本を見つけます。
その本の著者はバレリという人物で、数世紀前の建築家。
その"3人の母"(魔女)のためにそれぞれフライブルク、ローマ、ニューヨークで家を建てたことが明かされる。

サスペリア・テルザ 最後の魔女』にて。
1000年以上前に3人の姉妹が黒海の近くで姿を現し、世界中を放浪して行く先々の村や町で死や破壊、混沌をもたらした。
やがて3人は安住の地を求め溜息の母はフライブルクに、暗黒の母はニューヨークに、涙の母はローマにそれぞれが移り住んだとされる。

サスペリア(1977)』の舞台がドイツ。
インフェルノ』の舞台がアメリカ。
サスペリア・テルザ 最後の魔女』の舞台がイタリアというわけです。




さて、ここからは魔女について少し話を進めましょう。
魔女の正体について魔女三部作から得た情報を元に独自に探っていきます。


ここで言う"3人の母"とは、クトゥルフ神話ニャルラトホテプ(Nyarlathotep)の産み落とした百万の恵まれたもののうちの三体。

マーテル・ススピリオルム(Mater Suspiriorum, 嘆息の聖母)、マーテル・テネブラルム(Mater Tenebrarum, 闇の聖母)、マーテル・ラクリマルム(Mater Lachrymarum, 涙の聖母)。


H・Pラヴクラフトの作品『魔女の家の夢』で「黒い男」として現れたナイアーラトテップ

ナイアーラトテップ (Nyarlathotep) は、クトゥルフ神話などに登場する架空の神。日本語では他にナイアーラソテップ、ナイアルラトホテップニャルラトホテプ、ニャルラトテップなどとも表記される。

ナイアーラトテップ - Wikipediaより引用



この嘆きの聖母たちは、ギリシア神話におけるゴルゴン三姉妹のモデルとも言われています。

また、1839年歴史学者フランツ・ヨーゼフ・モーネが唱えた説によると、魔女宗教とはかつて黒海沿岸にいたゲルマン人ヘカテー崇拝と接したことで生まれた地下宗教であるとのこと。


ヘカテーウィリアム・ブレイク/画、1795年)

ヘカテー古代ギリシャ語: Ἑκάτη, Hekátē)は、ギリシア神話の女神である。
ヘカテー」は、古代ギリシア語で太陽神アポローンの別名であるヘカトス(Ἑκατός, Hekatós「遠くにまで力の及ぶ者」、または「遠くへ矢を射る者」。陽光の比喩)の女性形であるとも、古代ギリシア語で「意思」を意味するとも言われている。

「死の女神」、「女魔術師の保護者」、「霊の先導者」、「ラミアーの母」、「死者達の王女」、「無敵の女王」等の別名で呼ばれた。


3面3体の姿をしたヘカテーの像(キアラモンティ美術館所蔵)

中世においては魔術の女神として魔女と関連付けられた。
また、シェイクスピアによって書かれた戯曲『マクベス』に登場するヘカテーは、マクベスに予言を行った3人の魔女たちの支配者として描かれている。

過去、現在、未来という時の三相を表している。

ヘカテー - Wikipediaより引用


このことからも3人の魔女の基となったのはクトゥルフ神話の3人の魔女、死の女神と称されるヘカテーの混合の宗教、悪魔崇拝であろうと考えられます。



当時はアーティスティックでショッキングな前衛的なホラー映画。
女性の身に降りかかる畏怖や狂気を孕んだ夢か現実かも分からないような恐怖体験。
美しい死体に刺激的な色彩、そして何よりも
「わけがわからない」んです。


イタリアンホラーによくある事なんですが、とっ散らかってて全てを理解なんて出来ないんですよね。

伏線か?と思ったら回収されずにそのままであったり、構えれば構えるほどこの映画の不可解さに取り込まれていく感覚…そうなんです、簡単にリメイクしても納得のいく作品が出来るような代物ではない作品なんですよ(笑)

ここがリメイクと聞いて不安になった大きな要因。


あくまでこれはオリジナル版の情報から抜き取ったものに過ぎません。
オリジナル版を既に鑑賞されている方は、このオリジナル版をどう解釈するかによってリメイク版の解釈、また評価も変わってくるのではないでしょうか?



今回、リメイクという名目でそんな名作を、持ち前の丁寧さとセンスで「再構築」したルカ・グァダニーノ監督。
君の名前で僕を呼んで』で知名度、認知度も高くその名を知らしめた監督が作る新しい『サスペリア』。

今作は
ダリオ・アルジェントではなくルカ・グァダニーノの『サスペリア』劇場の開演なんです。



リメイク版『サスペリア(2018)』

さて、ここからはリメイク版『サスペリア(2018)』の話に入っていこうと思います。

先ずなんと言っても目玉はキャスト。



1977年公開のオリジナル版のヒロインを演じたジェシカ・ハーパーが41年の歳月を経て同名タイトル作品に出演!
リメイク版では心理療法クレンペラー博士の妻アンケ役を演じています。

ここで小さな感動が(笑)



公開前に1人3役を演じていることが明かされたティルダ・スウィントン

その中でも特殊メイクで演じた心理療法士クレンペラ―博士が凄い。
ルッツ・エバースドルフ名義で本編クレジットされている82歳の男性。

なんたって、あるカットで股間が露わになるんだもの。




さてさて、オリジナル版『サスペリア(1977)』とリメイク版『サスペリア(2018)』を比較すると、一番に目に見えるのは色調の違い。



サスペリア(1977)』


サスペリア(2018)』



オリジナル版には序盤からの視覚的演出がありますが、リメイク版では序盤は落ち着いた印象。
これは演出にも同じように反映されています。

オリジナル版の方でも話しましたが、『サスペリア』の舞台はドイツ。
リメイク版『サスペリア(2018)』ではオリジナル版と同じ年代でもある1977年当時のドイツの背景を共に描き、何か起こりそうな不穏な空気を演出しています。




少し、当時のドイツがどのような状況であったのか、引用しておきます。

ドイツの秋(ドイツのあき、Deutscher Herbst)は、1977年後半の西ドイツ(当時)で起こった、一連のテロ事件の通称。

ドイツ赤軍(Rote Armee Fraktion、RAF)は、この年の9月にドイツ経営者連盟会長ハンス=マルティン・シュライヤー(Hanns-Martin Schleyer)を誘拐し、10月にはパレスチナ解放人民戦線PFLP)とともにルフトハンザ機をハイジャックした。ハイジャック機には特殊部隊が突入し、RAF幹部は獄中で相次ぎ自殺し、シュライヤーは遺体で発見されるという衝撃的な結末を迎えたこれらの事件は、マスコミで連日連夜大きく報じられた。戦後最大のテロ事件と政治的危機により西ドイツ社会は恐怖に震えた。

ドイツの秋 - Wikipediaより引用

ドイツ赤軍(ドイツせきぐん、ドイツ語: Rote Armee Fraktion, RAF)は、1968年結成のドイツ連邦共和国(西ドイツ)における最も活動的な極左民兵組織、テロリスト集団。バーダー・マインホフ・グルッペ(ドイツ語: Baader-Meinhof-Gruppe)との名称も使用した。ドイツ語名の直訳は「赤軍派」だが、日本では「ドイツ赤軍」または「西ドイツ赤軍」の呼称が一般的である。

1977年の後半にはブリギッテ・モーンハウプトとクリスティアン・クラーを新たな指導者として、相次いで事件を起こし西ドイツを震撼させた。

1977年9月5日には西ドイツ経営者連盟会長ハンス=マルティン・シュライヤーが誘拐された。1977年10月にはルフトハンザ航空181便ハイジャック事件を起こすが、ソマリアモガディシュに着陸したところを西ドイツ政府によって派遣された特殊部隊GSG-9によって急襲された。結果、ハイジャック犯3名を射殺、1名を逮捕、乗客人質全員を救出され、ハイジャックの失敗を知ったバーダーらは獄中で自殺。10月19日、ドイツ赤軍は誘拐した会長を殺害、遺体はフランスで発見された。

ドイツ赤軍 - Wikipediaより引用


直接的に本筋とは関わりはありませんが、1968年にアンドレアス・バーダー、ウルリケ・マインホフ、グドルン・エンスリンは極左地下組織「バーダー・マインホフ・グルッペ」(後にドイツ赤軍と改称)を結成。

ドイツ赤軍の指導者でもあるウルリケ・マインホフはテロリストの母と称されることもしばしば。
ある意味で魔女のような存在と言えます(こじつけ)。



この不穏な空気が、リメイク版ではテーマ性を盛り立て、良い感じに活きてくるんですよね。

当時のドイツの時代背景と並行して舞踊団で巻き起こる不可解な出来事。
まるでナチズムのように抑圧に苛まれる人々を舞踊団という小さな枠組みの中で投影したように、尚且つ夢か現実かわからないオリジナル版とは違い、よりリアルに生々しく映し出すことで露わとなる救済(ここについては後述しています)。

舞踊団の一員が「マルコス!」と掛け声を上げていたのも、ナチス政権のような抑圧的独裁政権を彷彿とさせます。





ラストシークエンスで地下の真っ赤に染まる部屋。
これはオリジナル版のように刺激的な色彩を見せて来なかったリメイク版が、溜めに溜めた鬱憤を晴らすような破壊力のあるインパクトを与えてくれます。

赤を基調とした映像と同化するように鮮血の紅が混ざり合う芸術性。
目が釘付けになること間違いなし。


魔女達の集会(サバト)については映画『ウィッチ』で語っています。


また、悪魔崇拝は映画『ヘレディタリー/継承』にも通ずるものがあります。







地下での集会サバトに入る直前
弟子達との会食はレオナルド・ダ・ヴィンチの描いた「最後の晩餐」的な構図。
マダム・ブランとスージーが互いに見合うシーンはこの後、何か大変なことがあるな…と思わせる。

勿論、ここで言うイエスはマザー・マルコスのこと、そしてユダはスージーです。

ちなみに人数も数えましたが、この会食で腰掛けた人数は12人、使徒の数と一致します。


作者レオナルド・ダ・ヴィンチ

『最後の晩餐』(さいごのばんさん、英: The Last Supper伊: L'Ultima Cena)は、キリスト教の聖書に登場するイエス・キリストの最後の晩餐の情景を描いた絵画。ヨハネによる福音書13章21節より、12弟子の中の一人が私を裏切る、とキリストが予言した時の情景である。

最後の晩餐 (レオナルド) - Wikipediaより引用

そしてサバトで、周りを踊る女性達の中心にあったサラとパトリシアを含む三位一体像

これこそが上記で挙げた3人の母のモデル"ヘカテー"を彷彿とさせ、魔女誕生の儀式、クライマックス感をヒシヒシと感じられる仕様になっています。




オリジナル版のストーリーの大筋を準えてはいますが、ほぼ別物と言ってもいい内容、特に結末が大きく改変されています。

サスペリア(1977)』ではマルコスが嘆きの母という設定でしたが、『サスペリア(2018)』ではなんとスージーが嘆きの母という設定に。

冒頭の
「母はあらゆる者の代わりにはなれるが、何者も母の代わりにはなれない」
という言葉は正にこれ。


マザー・マルコスも、マダム・ブランも、嘆きの母の可能性として候補に挙がっていました。
マルコスを魔女の1人だと思い込んでいた舞踊団のメンバー(と我々観客)。
彼女の器となるダンサーを探し求めていたところ、ついに相応しい人物スージーが現れたぜ!

と思い込ませておいてのコレですよ。
嘆きの母になる者は実は初めから決まっていたということですよ。



そして、先程記述しましたが

まるでナチズムのように抑圧に苛まれる人々を舞踊団という小さな枠組みの中で投影したように、尚且つ夢か現実かわからないオリジナル版とは違い、よりリアルに生々しく映し出すことで露わとなる救済。

スージーはあの地下儀式により3人の母の1人、嘆きの母として新たに誕生しました。

そこで行われたのが望みを叶えること
また、その後にクレンペラ―博士の自宅を訪れ、記憶を消したこと



上記で"3人の母"は"ヘカテー"説を説きましたが、ヘカテーの持つ特徴に「死の女神」と「遠くにまで力の及ぶ者。遠くへ矢を射る者。陽光の比喩。」、また古代ギリシア語で「意思」を意味するとも言われている。

三相は過去、現在、未来を表し、クレンペラー博士の妻アンケの行く末を知っていたのも頷ける。

ラストカットのスージーの微笑みも、きっと未来を見据えたもの。
残りの2人の魔女も復活させてしまうのだろうか…。



ホロコーストで迫害されてきたユダヤ人と魔女狩りで虐げられてきた魔女。
その2つの接点が見えてくる。

望むものに死を、そして苦悩の忘却。
スージー意思で行った抑圧的な環境からの解放と悲哀に満ちた人生からの解放
一見、舞踊団の魔女たちへの復讐、見方によっては虐げられてきた者たちへの救済と受け取れませんか?



「おいおいおいおい!」と。

やりやがったな!と。
僕好みの展開じゃないか!と。

ルカ・グァダニーノ監督、リメイク決定と聞いた時に不安を抱いてごめんなさい!と。



不明瞭で畏怖する対象となる魔女を説明的に丁寧に描いたことで、リメイク版単品でもひとつの作品として成立しています。

オリジナル版『サスペリア(1977)』で描いた"魔女の存在"から、更に踏み込んだ新たな"魔女の存在と解釈"

リメイクの存在意義についても確実のものとしたリメイク版『サスペリア(2018)』。


こりゃあとんでもないものを見せられたと思うわけですよ!



良くも悪くもダリオ・アルジェントルカ・グァダニーノ、2人の監督によってオリジナル版とリメイク版で異なる視点から映画が作られた。という事実が素晴らしい‬!




終わりに

長々と失礼しました。
オリジナル版『サスペリア(1977)』についてはもう少し語ることはあったのですが、だいぶ端折らせていただきました。
あくまでもリメイク版『サスペリア(2018)』に必要な部分のみ記述したつもりです。


少し…いや、かなり独断と偏見を交えながら語ってきた新旧『サスペリア』。
如何でしたか?

芸術性に富んだオリジナル版『サスペリア(1977)』
社会性を取り込んだリメイク版『サスペリア(2018)』
どちらも素晴らしい映画であり、割と好みな内容で安心しました。


とはいえ、今年は1月から凄い作品が出てきますね!
後半に失速しないか心配になってしまう程です(笑)



また不定期に、ブログ案件の映画に出会うまでは書きませんが、今後ともよろしくお願いいたします。

最後までお読みくださった方、ありがとうございました。




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歴史を作る全ての女性に対する賛美(「バハールの涙」ネタバレなし感想)

目次




初めに

こんばんは、レクと申します。
今年初の更新ということで・・・

あけましておめでとうございます。
本年もよろしくお願いします。(遅)

今年も不定期ながら更新していきます。



さて、今日は「バハールの涙」について語っています。

この記事は物語の核心に迫るネタバレはありません。
いつものような考察記事ではなく、前情報として知っておいた方がいい事と当管理人が感じたこと、思ったことをそのまま綴っています。



作品概要


原題:Les filles du soleil
製作年:2018年
製作国:フランス・ベルギー・ジョージア・スイス合作
配給:コムストック・グループ、ツイン
上映時間:111分
映倫区分:G


・解説

「パターソン」のゴルシフテ・ファラハニが、捕虜となった息子の救出のためISと戦うこととなったクルド人女性を演じるドラマ。「青い欲動」のエバ・ウッソン監督が、自らクルド人自治区に入り、女性戦闘員たちの取材にあたって描いた。弁護士のババールは夫と息子と幸せな生活を送っていたが、ある日クルド人自治区の町でISの襲撃を受ける。襲撃により、男性は皆殺しとなり、バハールの息子は人質としてISの手に渡ってしまう。その悲劇から数カ月後、バハールはクルド人女性武装部隊「太陽の女たち」のリーダーとして戦いの最前線にいた。そんなバハールの姿を、同じく小さな娘と離れ、戦地で取材を続ける片眼の戦場記者マチルドの目を通して映し出していく。2018年・第71回カンヌ国際映画祭コンペティション部門出品作品。

バハールの涙 : 作品情報 - 映画.comより引用



・予告編




予備知識として

ISはヤズディ教徒を虐殺するためにイラク北部を侵攻。
約50万人のヤズディ教徒が他国へ脱出、逃げ遅れた男性は殺害され、多くの女性と子ども達が拉致された。

この出来事は事実である。


この映画の出来事はそんな悲劇を基に着想を得て作られたもので、エヴァ・ウッソン監督自身も逃げ出してきた女性たちの証言を得るためにクルド人自治区の前線と難民キャンプへ足を運んでいます。



ゴルシフテ・ファラハニが演じた主人公バハールは、監督がそこで出会った彼女たちの証言から作り上げられたもの。

2018年にノーベル平和賞を受賞し、自らも性暴力や虐待の被害者として世界に訴えたシンジャル出身ヤズディ教徒のナーディヤ・ムラードを想起させる。


ナーディーヤ・ムラード・バーシー・ターハー(Nadia Murad Basee Taha)
ヤズィーディー教徒の人権活動家。1993年、イラクのスィンジャール(英語版)近くにあるヤズィーディー教徒のコミュニティ、コジョ村(アラビア語: كوجو)生まれ。ノーベル平和賞候補に名前が挙がり[4][5]、2016年9月16日に人身取引に関する国連親善大使に就任した。

ナーディーヤ・ムラード - Wikipediaより引用


エマニュエル・ベルコが演じた女性記者マチルダのモデルは戦地で片目を失った隻眼のジャーナリストのメリー・コルヴィンと、文豪アーネスト・ヘミングウェイの3番目の妻で従軍記者として1936年から活動したマーサ・ゲルホーンとのことです。

メリー・コルヴィン(Marie Catherine Colvin)
1956年、アメリカ合衆国ニューヨーク州ロングアイランドに生まれる。エール大学を卒業後、UPI通信を経て、1986年にサンデー・タイムズに移籍。レバノン内戦や第1次湾岸戦争チェチェン紛争東ティモール紛争など世界中の戦場や紛争地などの危険な取材を重ねる中、2001年のスリランカ内戦の取材時に左目を失明。その後、心的外傷後ストレス障害PTSD)を負いながらも現場復帰し、その際に付けるようになった黒い眼帯は彼女のトレードマークとなった。

2012年2月22日、シリア内戦が起きていたシリアのホムスにて、反政府勢力側の取材中に政府軍の砲弾を受けて死亡。56歳。
2018年、彼女の生涯を描いた映画『ア・プライベート・ウォー』が制作され、ロザムンド・パイクがコルヴィンを演じた。

メリー・コルヴィン - Wikipediaより引用

『私が愛したヘミングウェイ』(原題:Hemingway & Gellhorn)は、2012年、HBO制作のアメリカ合衆国のテレビ映画。

20世紀のアメリカ合衆国を代表する文豪アーネスト・ヘミングウェイと彼の3番目の妻となった戦時特派員マーサ・ゲルホーン(英語版)との恋愛をスペイン内戦や第二次世界大戦を背景に描いた作品。ヘミングウェイクライヴ・オーウェン、ゲルホーンをニコール・キッドマンが演じた。

私が愛したヘミングウェイ - Wikipediaより引用


女性監督でもあるエヴァ・ウッソンはこの映画を製作し戦場をリアルに描くことにあたって、このように語っています。

シナリオを書いているときから映画の完成までのすべてのプロセスにおいて、さまざまな人たちにアドバイスを求めました。フランス人の戦場ジャーナリストのグザヴィエ・ムンズはそのひとりで、私は1年にわたって彼から話を聞きました。また、クルド人の元兵士のサムからは、武器の種類や扱い方から、兵士たちが夜寝るときに銃をどこに置くかといったことまで、戦場にまつわるすべてを教わりました。
映画の冒頭に3人の戦場ジャーナリストが出てきますが、そのひとりをグザヴィエ自身が演じています。撮影の初日、彼はサムに言いました。「なんだかちょっと胸騒ぎがする。この撮影現場にいるとまるでクルディスタンにいるような気分になってしまう」と。サムは、「君もか。僕はいま、無意識に地雷を探していた」と答えたそうです。実際に戦地にいた彼らがそんなふうに反応したことに私は凄く驚いたと同時に、安堵もしました。現実に即した形で戦場を表現するのにひとまず成功したわけですから。

https://www.vice.com/jp/article/zmaby5/les-filles-du-soleilより引用




感想

捕虜となった女性たち。
"女性という表現が真実ではない"という言葉が包含する重み。

この映画は決して強い女性を描いたものではない。
バハールを中心に何故戦わざるをえない状況に陥ったか、を過去と現在で壮絶に描いている。


人としての尊厳を奪われ、それでも生き抜くために、家族のために戦うことを選択せざるを得なかった女性戦闘員の意志。
真実を伝え続けるべく、観客に代わって戦場の最前線に立ち、数々の悲劇を見てきた女性ジャーナリストの意志。

「バハールの涙」は普遍的なもので、悲劇に抗い戦い続ける母への讃歌、歴史を作る全ての女性に対する賛美、そして我々観客に真実を届ける映画です。



また、淡々とした時間の流れが、緊迫した状況と過酷な環境を克明に表し、息づかいや鼓動にも似た音が不安を煽る演出。

この映画を観ていて、戦場で自分の弱さを感じるのは何故か?ということを理解することが重要であるようにも映る。
何故ならば、弱さを知ることで強くなれる、強くなろうとすることが出来るからだ。

それを表現されたのが、立場は違えど似たような境遇にあった女性ジャーナリストのマチルダと女性戦闘部隊リーダーのバハール。

強さと弱さの両方を表現することがこの映画で最も重要な点だったと思う。



人が信じたいのは夢や希望。悲劇から必死に目を背けたがる。

人は他人に無関心だからこそ、真実を語り訴え続ける必要がある。


人は楽しい夢や未来への希望は何度でも観たいと思うが、真実はワンクリックで消される。

たとえ関心がないわけではなくとも、安全な国日本で暮らす我々は、このような悲惨な出来事でさえもニュースで流れる映像くらいしか受け取らない。

だからこそ、こういう映画を観るべきではないのだろうか。
もし、この映画の内包する何かしらのメッセージが伝わったとしたら、それは自由を手にするために悲劇に抗う女性たちが何かを残せたということになるのではないか?

感情移入出来なくてもいい。
共感出来なくてもいい。
お金を払い劇場で観ることに、このような悲劇に目を向けることに意味があると思う。



バハールの流した涙が彼女の抱えた背景を見せる。
是非、劇場で"バハールの涙"の意味を感じてもらいたい。



終わりに

と、ここまで感じたままにダラダラと書き綴ったわけですが、言葉で語るよりも実際に観て感じてほしいというのが本音です。

正直、簡単に纏めたら母への讃歌と女性賛美の映画なんですが、込められた想いに鑑賞後は何も言えない状態でした。
どんな言葉ですら安っぽくなってしまうんじゃないかって。

全てが劇中で語られています。
何度も言いますが、劇場で観て、感じてほしい映画です。
是非、劇場で!




(C)2018 - Maneki Films - Wild Bunch - Arches Films - Gapbusters - 20 Steps Productions - RTBF (Television belge)

2018年劇場鑑賞邦画ベスト10


目次




初めに

こんばんは、レクと申します。
恐らく、今年最後のブログ更新となりますので、まずは挨拶から。

年の瀬も押し詰まってまいりましたね、皆さんいかがお過ごしでしょうか?
皆様方のお力添えにより今年もブログを続けられましたことを厚く御礼を申し上げます。

来年もマイペースではありますが、更新していきますのでよろしくお願い申し上げます。


では昨年に続き、今年劇場鑑賞した作品の中から邦画に絞ったベスト10をサクッと紹介していきます。



次点5作

まずは残念ながらベスト10に入らなかったけど、これも外せないと思う作品を5作品、ご紹介させていただきます。


教誨師

(C)「教誨師」members

感想


ギャングース

(C)2018「ギャングース」FILM PARTNERS (C)肥谷圭介鈴木大介講談社

感想


四月の永い夢

(C)WIT STUDIO / Tokyo New Cinema

感想


恋は雨上がりのように

(C)2018映画「恋は雨上がりのように」製作委員会 (C)2014 眉月じゅん小学館

感想


愛しのアイリーン

(C)2018「愛しのアイリーン」フィルムパートナーズ(VAP/スターサンズ/朝日新聞社

感想


番外編


ここで、ベスト10に入る前に今年一番笑った映画をご紹介しておきます。
とはいえ残念ながら邦画15位にはランクインせず…(笑)

番外編「娼年

(C)石田衣良集英社 2017映画「娼年」製作委員会

感想




10位〜4位

では本題に入っていきます。
まずは10位から4位まで一気に。

10位「日日是好日

(C)2018「日日是好日」製作委員会

解説

エッセイスト森下典子が約25年にわたり通った茶道教室での日々をつづり人気を集めたエッセイ「日日是好日 『お茶』が教えてくれた15のしあわせ」を、黒木華主演、樹木希林多部未華子の共演で映画化。「本当にやりたいこと」を見つけられず大学生活を送っていた20歳の典子は、タダモノではないと噂の「武田のおばさん」が茶道教室の先生であることを聞かされる。母からお茶を習うことを勧められた典子は気のない返事をしていたが、お茶を習うことに乗り気になったいとこの美智子に誘われるがまま、流されるように茶道教室に通い出す。見たことも聞いたこともない「決まりごと」だらけのお茶の世界に触れた典子は、それから20数年にわたり武田先生の下に通うこととなり、就職、失恋、大切な人の死などを経験し、お茶や人生における大事なことに気がついていく。主人公の典子役を黒木、いとこの美智子役を多部がそれぞれ演じ、本作公開前の2018年9月に他界した樹木が武田先生役を演じた。監督は「さよなら渓谷」「まほろ駅前多田便利軒」などの大森立嗣。
日日是好日 : 作品情報 - 映画.comより引用

感想



9位「人魚の眠る家

(C)2018「人魚の眠る家」 製作委員会

解説

人気作家・東野圭吾の同名ベストセラーを映画化し、篠原涼子西島秀俊が夫婦役で映画初共演を果たしたヒューマンミステリー。「明日の記憶」の堤幸彦監督がメガホンをとり、愛する娘の悲劇に直面し、究極の選択を迫られた両親の苦悩を描き出す。2人の子どもを持つ播磨薫子と夫・和昌は現在別居中で、娘の小学校受験が終わったら離婚することになっていた。そんなある日、娘の瑞穂がプールで溺れ、意識不明の状態に陥ってしまう。回復の見込みがないと診断され、深く眠り続ける娘を前に、薫子と和昌はある決断を下すが、そのことが次第に運命の歯車を狂わせていく。
人魚の眠る家 : 作品情報 - 映画.comより引用

感想



8位「栞」

(C)映画「栞」製作委員会

解説

大分県を舞台に、理学療法士の青年が様々な境遇の患者たちや周囲の人々と向き合いながら成長していく姿を描いた人間ドラマ。理学療法士として献身的に患者のサポートに取り組んでいる真面目な青年・高野雅哉。ある日、彼が働く病院に、疎遠になっていた父・稔が入院してくる。徐々に弱っていく父の姿を目の当たりにする一方で、担当している患者の病状が悪化するなど、理学療法士として出来ることに限界を感じ無力感に苛まれる雅哉。そんな折、ラグビーの試合中に怪我をした患者を新たに担当することになった雅哉は、その患者の懸命な姿に心を動かされ、仕事への情熱を取り戻していく。主人公・雅哉役に三浦貴大。自身も理学療法士の経歴を持つ榊原有佑監督がオリジナルストーリーで描く。
栞 : 作品情報 - 映画.comより引用

感想



7位「オー・ルーシー!

(C)Oh Lucy,LLC

解説

第67回カンヌ国際映画祭シネフォンダシオン部門(学生部門)で上映された平柳敦子監督による桃井かおり主演の同名短編映画を、寺島しのぶを主演に迎え、平柳監督自身が長編作品として再映画化。近い将来やってくる「退職」と、いずれ訪れる「死」をただ待つだけの毎日を送る43歳の独身OL節子。ひょんなことから通うことになった英会話教室の授業で節子は、教室内では金髪のカツラをかぶり「ルーシー」というキャラになりきることを強いられた。アメリカ人講師ジョンによるこの風変わりな授業によって節子の眠っていた感情が解き放たれ、節子はジョンに恋をする。そんな幸せな時間も長くは続かず、ジョンは節子の姪の美花ともに日本を去ってしまう。主人公の節子を寺島が演じ、南果歩忽那汐里役所広司らが出演するほか、「パール・ハーバー」「ブラックホーク・ダウン」のジョシュ・ハートネットが参加。
オー・ルーシー! : 作品情報 - 映画.comより引用

感想



6位「孤狼の血

(C)2018「孤狼の血」製作委員会

解説

広島の架空都市・呉原を舞台に描き、「警察小説×『仁義なき戦い』」と評された柚月裕子の同名小説を役所広司松坂桃李江口洋介らの出演で映画化。「凶悪」「日本で一番悪い奴ら」の白石和彌監督がメガホンをとった。昭和63年、暴力団対策法成立直前の広島・呉原で地場の暴力団・尾谷組と新たに進出してきた広島の巨大組織・五十子会系の加古村組の抗争がくすぶり始める中、加古村組関連の金融会社社員が失踪する。所轄署に配属となった新人刑事・日岡秀一は、暴力団との癒着を噂されるベテラン刑事・大上章吾とともに事件の捜査にあたるが、この失踪事件を契機に尾谷組と加古村組の抗争が激化していく。ベテランのマル暴刑事・大上役を役所、日岡刑事役を松坂、尾谷組の若頭役を江口が演じるほか、真木よう子中村獅童ピエール瀧竹野内豊石橋蓮司ら豪華キャスト陣が脇を固める。
孤狼の血 : 作品情報 - 映画.comより引用

感想


5位「8年越しの花嫁 奇跡の実話」

(C)2017映画「8年越しの花嫁」製作委員会

解説

YouTube動画をきっかけに話題となり、「8年越しの花嫁 キミの目が覚めたなら」のタイトルで書籍化もされた実話を、佐藤健&土屋太鳳の主演で映画化。結婚を約束し幸せの絶頂にいた20代のカップル・尚志と麻衣。しかし結婚式の3カ月前、麻衣が原因不明の病に倒れ昏睡状態に陥ってしまう。尚志はそれから毎朝、出勤前に病院に通って麻衣の回復を祈り続ける。数年後、麻衣は少しずつ意識を取り戻すが、記憶障害により尚志に関する記憶を失っていた。2人の思い出の場所に連れて行っても麻衣は尚志を思い出せず、尚志は自分の存在が麻衣の負担になっているのではと考え別れを決意するが……。「64 ロクヨン」の瀬々敬久監督がメガホンをとり、「いま、会いにゆきます」の岡田惠和が脚本を担当。
8年越しの花嫁 奇跡の実話 : 作品情報 - 映画.comより引用

感想


4位「ちはやふる 結び」

(C)2018 映画「ちはやふる」製作委員会 (C)末次由紀講談社

解説

末次由紀の大ヒットコミックを広瀬すず主演で実写映画化した「ちはやふる 上の句」「ちはやふる 下の句」の続編。瑞沢高校競技かるた部の1年生・綾瀬千早がクイーン・若宮詩暢と壮絶な戦いを繰り広げた全国大会から2年が経った。3年生になった千早たちは個性派揃いの新入生たちに振り回されながらも、高校生活最後の全国大会に向けて動き出す。一方、藤岡東高校に通う新は全国大会で千早たちと戦うため、かるた部創設に奔走していた。そんな中、瑞沢かるた部で思いがけないトラブルが起こる。広瀬すず野村周平新田真剣佑ら前作のキャストやスタッフが再結集するほか、新たなキャストとして、瑞沢かるた部の新入生・花野菫役をNHK連続テレビ小説あまちゃん」の優希美青、筑波秋博役を「ミックス。」の佐野勇人、映画オリジナルキャラクターとなる千早のライバル・我妻伊織役を「3月のライオン」の清原果耶、史上最強の名人・周防久志役を「斉木楠雄のΨ難」の賀来賢人がそれぞれ演じる。
ちはやふる 結び : 作品情報 - 映画.comより引用

感想




ベスト3

ここからは邦画ベスト3です。


3位「勝手にふるえてろ

(C)2017映画「勝手にふるえてろ」製作委員会

解説

芥川賞作家・綿矢りさによる同名小説の映画化で、恋愛経験のない主人公のOLが2つの恋に悩み暴走する様を、松岡茉優の映画初主演で描くコメディ。OLのヨシカは同期の「ニ」からの突然の告白に「人生で初めて告られた!」とテンションがあがるが、「ニ」との関係にいまいち乗り切れず、中学時代から同級生の「イチ」への思いもいまだに引きずり続けていた。一方的な脳内の片思いとリアルな恋愛の同時進行に、恋愛ド素人のヨシカは「私には彼氏が2人いる」と彼女なりに頭を悩ませていた。そんな中で「一目でいいから、今のイチに会って前のめりに死んでいこう」という奇妙な動機から、ありえない嘘をついて同窓会を計画。やがてヨシカとイチの再会の日が訪れるが……。監督は「でーれーガールズ」の大九明子。2017年・第30回東京国際映画祭コンペティション部門に出品され、観客賞を受賞した。
勝手にふるえてろ : 作品情報 - 映画.comより引用

予告編

感想



2位「斬、」

(C)SHINYA TSUKAMOTO/KAIJYU THEATER

解説

「野火」「六月の蛇」の塚本晋也監督が、池松壮亮蒼井優を迎えて描いた自身初の時代劇。250年にわたって続いてきた平和が、開国か否かで大きく揺れ動いた江戸時代末期。江戸近郊の農村を舞台に、時代の波に翻弄される浪人の男と周囲の人々の姿を通し、生と死の問題に迫る。文武両道で才気あふれる主人公の浪人を池松、隣人である農家の娘を蒼井が演じ、「野火」の中村達也、オーディションで抜擢された新人・前田隆成らが共演。「沈黙 サイレンス」など俳優としても活躍する塚本監督自身も出演する。2018年・第75回ベネチア国際映画祭コンペティション部門出品。
斬、 : 作品情報 - 映画.comより引用

予告編

感想



1位「犬猿

(C)2018「犬猿」製作委員会

解説

「ヒメアノ~ル」の吉田恵輔が4年ぶりにオリジナル脚本でメガホンをとり、見た目も性格も正反対な兄弟と姉妹を主人公に描いた人間ドラマ。印刷会社の営業マンとして働く真面目な青年・金山和成は、乱暴でトラブルばかり起こす兄・卓司の存在を恐れていた。そんな和成に思いを寄せる幾野由利亜は、容姿は悪いが仕事ができ、家業の印刷工場をテキパキと切り盛りしている。一方、由利亜の妹・真子は美人だけど要領が悪く、印刷工場を手伝いながら芸能活動に励んでいる。そんな相性の悪い2組の兄弟姉妹が、それまで互いに対して抱えてきた複雑な感情をついに爆発させ……。和成役を「東京喰種 トーキョーグール」の窪田正孝、卓司役を「百円の恋」の新井浩文、由利亜役をお笑いコンビ「ニッチェ」の江上敬子、真子役を「闇金ウシジマくん Part3」の筧美和子がそれぞれ演じる。
犬猿 : 作品情報 - 映画.comより引用

予告編

感想



終わりに

もし、ご覧になられていない作品が御座いましたら是非。

ちなみに、今年の劇場鑑賞ベスト10はこちらになります。


いくつか劇場鑑賞を逃して悔しい思いをした作品はあれど、特に観る予定もなくフラッとその時に観た映画が素晴らしかった、なんてこともありまして…やはり先入観や固定概念は捨てて先ずは観てみることが重要なのかなと思う一年でした。


来年も自分にとって素晴らしいと思える作品に出会えることを。
そして、皆さんにとっての傑作を見つけられることを願っています。



最後までお読みくださった方、ありがとうございました。
改めまして、今年最後のご挨拶として。

時節柄、何かとご多忙のことと存じますが、皆様くれぐれもご自愛ください。
良いお年を!

受け継がれる悪夢(「ヘレディタリー/継承」ネタバレ考察)

目次




初めに

こんばんは、レクと申します。
久しぶりの更新となってしまい、すみません。


今回はホラー好きの間でも好評な「ヘレディタリー/継承」について少し語っています。

最近ご無沙汰でしたが、当管理人はホラー映画が大好物です。
もうこれは無理してでも観たい!という勢いだけで観た映画ですが、大満足。
TOHOの1ヶ月フリーパスを使ってタダで観ちゃったもんだからお得感がハンパないです(笑)

というわけで、久しぶりにブログに書きたいと思える映画となり、鑑賞後の興奮覚めやらぬままに書き殴った次第です。


この記事はネタバレを含みます。
未鑑賞の方はご注意ください。
鑑賞後にお読みいただけたら嬉しいです。



作品概要


原題:Hereditary
製作年:2018年
製作国:アメリ
配給:ファントム・フィルム
上映時間:127分
映倫区分:PG12


・解説

家長である祖母の死をきっかけに、さまざまな恐怖に見舞われる一家を描いたホラー。祖母エレンが亡くなったグラハム家。過去のある出来事により、母に対して愛憎交じりの感情を持ってた娘のアニーも、夫、2人の子どもたちとともに淡々と葬儀を執り行った。祖母が亡くなった喪失感を乗り越えようとするグラハム家に奇妙な出来事が頻発。最悪な事態に陥った一家は修復不能なまでに崩壊してしまうが、亡くなったエレンの遺品が収められた箱に「私を憎まないで」と書かれたメモが挟まれていた。「シックス・センス」「リトル・ミス・サンシャイン」のトニ・コレットがアニー役を演じるほか、夫役をガブリエル・バーン、息子役をアレックス・ウルフ、娘役をミリー・シャピロが演じる。監督、脚本は本作で長編監督デビューを果たしたアリ・アスター
ヘレディタリー 継承 : 作品情報 - 映画.comより引用


・予告編




悪夢の元凶

まずはTwitterに上げた感想から。




まず、ラストに明かされた元凶、悪魔ペイモンについて語らなければなりません。


ゴエティア』に記載されているパイモンのシジル

パイモンまたはペイモン(Paymon, Paimon)は、ヨーロッパの伝承あるいは悪魔学に登場する悪魔の1体。悪魔や精霊に関して記述した文献や、魔術に関して記したグリモワールと呼ばれる書物などにその名が見られる。

現れる際には、王冠を被り女性の顔をした男性の姿を取り、ひとこぶ駱駝に駕しているとされる。
召喚者に地位を与え、人々を召喚者の意思に従わせる力も持つ。

パイモン - Wikipediaより引用



グラハム家はこの悪魔によって絶望の悪夢を体験することになります。

祖母エレンのペンダントにもこのペイモンのシジルがデザインされていたことから察することができます。



冒頭で妹のチャーリーが鳩の首を切断し、絵を描いていたシーンを思い出してください。
その絵には鳩の生首に王冠が描かれています。
この時点で既に悪魔ペイモンの影響を受けていることが分かります。

その他の不可解な行動も。


チャーリーはケーキを食べて呼吸困難に陥り、病院へと運ばれる途中で電柱に頭部をぶつけて死亡しました。
恐らくチョコレートケーキにナッツが入っていた為にアナフィラキシーショックを起こしたと考えられます。


ここから少し余談に入ります。
クリスマスツリーはキリスト教以前の異教時代で魔除けとして常緑樹を家の内外に飾ったという習慣が起源です。
クリスマスツリーの装飾にもそれぞれ意味があり、例えばリンゴはアダムとイヴを想起させ、楽園の木を。
ナッツは神の計り知れぬ御心を表します。

また、リンゴやナッツは古代ケルト人にとってとても重要な果実です。
寒くて長い冬を乗り越えるにはナッツやドングリは保存食として最適なものであり、中でもヘーゼルナッツは神聖なものとして崇められていました。
言語学的にリンゴを意味するポーモーナという果実と果樹を司る女神と古代ケルト人にとって大事な果実を結びついていったという話もあります。

ナッツには魔除けの力があり、ただのアレルギーだとは思いますが、ペイモンが避けていたということも考えられるのではないでしょうか。



またアニーの話から、祖母エレンから息子であるピーターを遠ざけたとあります。
その理由はアニーの兄チャールズ。
彼は16歳で自殺しており、彼の遺書には「母が自分の中に何かを入れようとした」とされています。
この時にはペイモンはエレンを使ってチャールズを我が肉体として使おうとしていたことが分かります。

ピーターの代わりにチャーリーがエレンに関わることで、そしてエレンが亡くなったことでペイモンの魔の手がチャーリーへと継承されたことになります。

チャーリーはエレンが「男の子なら良かった」と語っていたことも話します。
チャーリーとは本来、男の子に付ける名前であり、このことからもエレンがペイモンの召喚に強い拘りがあったことを窺い知ることができます。


つまり、エレンの死後、チャーリーへ。
チャーリーの死後、アニーへ。
最終的にアニーを使って、ピーターをペイモンの宿主としてラストシークエンスへ。
という流れだと考えられますね。



ペイモンは"女性の顔をした男性の姿"
肉体はピーター、顔は家族のうちの女性の誰かでないといけないんですね。
従って、祖母、母、妹と一族の女性全員が首を落として亡くなる必要があったのです。


"召喚者に地位を与え、人々を召喚者の意思に従わせる力も持つ。"
とあるように、召喚とは例の降霊術、従わせる力とはラストシーンで神を崇めるように取り囲む人々を指します。
ジョーンが「降霊術は家族一緒に」と注意喚起したことも、ピーターを降霊術に参加させてピーターを召喚者とさせる為だと考えられます。



と、Twitterの感想でも書いたように
ラストを知ってしまえばラストにつながるプロットは至極単純なんです。

そこに家族の在り方や状況、精神状態などを重ねることで単純ではない恐怖が演出されてるんですよ。



音と光の演出

悪魔ペイモンとラストシークエンスについては簡単にまとめました。
ここからは細かな演出について着目していきたいと思います。


まず印象的なものが"音"です。
そうです、チャーリーの「コッ」という舌鳴らしです。
非常に不快感の募る不気味な音ですよね。

鑑賞後に家に帰って、突然後ろから、暗い部屋の隅から、「コッ」と聞こえてきたらチビること間違いなしです(笑)


チャーリーは赤子の頃から泣かない子だったそうで、生まれた時にも鳴き声をあげなかったとあります。
仮にそれが意味のある台詞と捉えるなら、チャーリーは生まれながらにペイモンに操作されていた可能性が高い。
チャーリー=ペイモンとした場合、"女性の顔をした男性の姿"が当てはまらないので、あくまでもペイモンに唆されている生贄のようなものだと思って間違いないでしょう。

元々音を発さない子供だったとしたら、舌鳴らしはペイモンに唆されてからの癖ではないかと考えられる。
劇中でも舌鳴らしを初めて行ったのは祖母エレンの葬式だったように思います。



では本来、舌を鳴らすとはどのような状況で行うのでしょうか?

1軽蔑・不満の気持ちを表す動作。「不服そうに―・す」
2賛美する気持ちを表す動作。特に、おいしい物を食べて、満足した気持ちを表す動作。「ごちそうに―・す」
舌を鳴らす(シタヲナラス)とは - コトバンクより引用


相反する二つの意味があります。
つまりはペイモンの感情や心情の現れではないかと。

また、ペイモンの名前の由来はヘブライ語の"POMN"(「チリンチリン」という音)だそうで、ヘブライ語では音節はすべて子音で始まり「コッ」(k)という音も子音です。



次に印象的なのが"光"の演出ですね。

光の演出が可視化されたのは恐らく降霊術後。
皆さんもお分かりだと思いますが、ジョーンに教えて貰った降霊術は地獄の門を開くこと。
チャーリーではなくペイモンの召喚だったというわけですね。

ということはジョーンもまたエレン同様に悪魔崇拝によりペイモンに唆されていたということになります。
アニーが二度目に彼女の家を訪れた際の部屋の中の儀式、学校でピーターに声をかける姿などからも察することが出来ます。



ここで斬新なのが、悪魔であるペイモンを光として見せたことです。
分かりやすい描写はピーターが窓から転落した際に光が体へと取り込まれるシーン。
ここでペイモンがピーターに完全に憑依したことが明確に啓示されています。


一般的なイメージとして、悪魔といえば闇を連想すると思います。
実はですね、ペイモンは悪魔でありながら、天使の一面も併せ持つんですよ。

イギリスで発見されたグリモワールゴエティア』によると、パイモンは序列9番の地獄の王である。一部は天使からなり一部は能天使からなる200の軍を率いており、ルシファーに対して他の王よりも忠実とされる。彼自身は主天使の地位にあったという。

イギリスの文筆家・政治家レジナルド・スコットが記した『妖術の開示(原題:The Discoverie of Witchcraft)』1655年版では、パイモン、バティン、バルマを呼び出し、その恩恵を受ける方法が書かれている。この書によれば、パイモンは空の軍勢に属し、座天使の位階の16位にあるという。Corban およびマルバスの配下にあるという。

パイモン - Wikipediaより引用

主天使とは神学に基づく天使のヒエラルキーにおいて、第四位に数えられる天使の総称。
座天使とは神学に基づく天使のヒエラルキーにおいて、第三位に数えられる上級天使の総称。


また、ペイモンを智天使とされる文献もあります。

『悪魔の偽王国』(あくまのぎおうこく、あくまのにせおうこく、Pseudomonarchia Daemonum)はヨハン・ヴァイヤーの主著『悪魔による眩惑について』(De praestigiis daemonum)の1577年の第五版に付された補遺である。原題は「デーモン(悪霊)の偽君主国」の意であり、地獄の悪霊たちを神聖ローマ帝国の封建体制を思わせる位階秩序をもつものとして記述している。
悪魔の偽王国 - Wikipediaより引用



このようにペイモンは悪魔でありながら、一部天使であるという光と闇の二面性があるんですよね。
"闇"とは対称的なもの"光"を悪魔として演出したアリ・アスター監督のこのセンスが素晴らしい。


そう、この映画の最大の魅力がこの演出力にあると思います。
ストーリー自体はそこまで目新しいものでもなく、ラストも衝撃と言えば衝撃で後味の悪さもあるのですが、ホラー映画を見慣れた方ならばそこまで驚きはないと思います。

それよりもホラー映画としての散りばめられた伏線と回収、恐怖心の煽り方、家族の精神面の描き方、これらの演出力が他のホラー映画作品と比べても一線を画していると感じました。



もう一度言います。

アリ・アスター監督のセンスが素晴らしい。

これが長編初監督作品というから驚きだ。



タイトルの意味

さて、ここで改めて考えてみましょう。
タイトル「ヘレディタリー/継承」とはどういうことなのか。

原題『Hereditary』
直訳すると「遺伝的な」「代々の」「親譲りの」となります。

このタイトルとラストに向けたプロットからも、祖母であるエレンの悪魔崇拝によるペイモンの継承。



もうひとつが、遺伝的な脳の病気ではないか?です。

父は重度の鬱病で餓死。
兄は統合失調症で自殺。
エレンは解離性同一性障害
そしてアニー自身も夢遊病


ここで新たな解釈として
劇中のオカルト的な現象は遺伝的な脳の病気が引き起こした精神の崩壊が見せた幻覚ではないか説です。


アニーの仕事でもあるミニチュアの製作。
冒頭でそのミニチュアの家にカメラが寄っていって物語が始まりました。

そう、我々が観ていた劇中でのオカルト体験は全てアニーがミニチュアの家の中で想像した架空の出来事ではないだろうか。


祖母の死、娘の死、夫の死、これらは全て現実に起こったこと。
チャーリーの死をきっかけに、アニーの精神が壊れてエレンの幽霊を見るなどの幻覚に囚われる。
もしくは夢遊病時の夢オチ。


ピーターは妹を過失事故とはいえ殺してしまい、そのショックや責任感、罪悪感から幻覚を。
夫スティーブもそんなアニーやピーターに囲まれて精神的ストレスに。
精神安定剤を飲んでる描写からも精神的に病んでいたことは明らかです。



あくまでも、もうひとつの解釈の仕方として
主軸はエレンが始めた悪魔崇拝が家族崩壊へと繋がるというものであり、その脚色されたオカルト的な演出は精神異常からくる幻覚。
というのも考えられるのではないだろうか。



終わりに

ということで、端的にめちゃくちゃ好みでした。
「シャイニング」や「ローズマリーの赤ちゃん」などが挙げられていますが、過去の傑作と言われるホラー映画を踏襲しつつ、しっかりと監督の作品として作り上げられた秀作。



そして、アニー役のトニ・コレットの顔芸は一見の価値ありです(笑)



久しぶりに考察をしたので鑑賞後の補足なものになりましたが、楽しかったです。
いつもながら乱文ですみません。

最後までお読みいただいた方、ありがとうございました。



(C)2018 Hereditary Film Productions, LLC

「生きるとは何か」を深く問いかける(「教誨師」ネタバレ考察)

目次




初めに

こんにちは、レクと申します。
今日は大杉漣さんプロデュースの「教誨師」を観てきました。

今作は上映時間の大半が拘置所の密室、主に会話劇である為、少し考察を交えつつ、感じたまま、受け取ったままを吐き出していこうと思っております。

どうしても核心に迫る部分についての言及が多くなるためネタバレを含みます。
未鑑賞の方はご注意ください。



作品概要


製作年:2018年
製作国:日本
配給:マーメイドフィルム、コピアポア・フィルム
上映時間:114分
映倫区分:G


・解説

2018年2月に急逝した俳優・大杉漣の最後の主演作にして初プロデュース作で、6人の死刑囚と対話する教誨師の男を主人公に描いた人間ドラマ。受刑者の道徳心の育成や心の救済につとめ、彼らが改心できるよう導く教誨師。死刑囚専門の教誨師である牧師・佐伯は、独房で孤独に過ごす死刑囚にとって良き理解者であり、格好の話し相手だ。佐伯は彼らに寄り添いながらも、自分の言葉が本当に届いているのか、そして死刑囚が心安らかに死ねるよう導くのは正しいことなのか苦悩していた。そんな葛藤を通し、佐伯もまた自らの忘れたい過去と向き合うことになる。死刑囚役に光石研烏丸せつこ古舘寛治。「ランニング・オン・エンプティ」の佐向大が監督・脚本を手がけた。
教誨師 : 作品情報 - 映画.comより引用



・予告編




教誨師と死刑囚

先ず、主人公である教誨師と死刑囚についてお話しておかなければなりません。


教誨(きょうかい)とは、第1義には、教えさとすことをいう。同義語として教戒(きょうかい)があるが、こちらは、教え戒めることをいう。両者の違いは「誨(意:知らない者を教えさとす)」と「戒(意:いましめ。さとし)」の違いである。また、これらから転じて第2義には、受刑者に対し、徳性(道徳をわきまえた正しい品性。道徳心。道義心)の育成を目的として教育することをいう。

受刑者に対して教誨・教戒を行う者は、教誨師教戒師(きょうかいし)という。

教誨 - Wikipediaより引用


死刑囚(しけいしゅう)は、死刑の判決が確定した囚人に対する呼称である。死刑が執行されるまでその身柄は刑事施設に拘束される。また死刑は自らの生命と引換に罪を償う生命刑とされることから、執行されるとその称は「元死刑囚」となる[1]。刑事施設法などの日本の法令では死刑確定者と呼ばれる。

21世紀初頭現在、国連総会で採択された自由権規約第2選択議定書(死刑廃止議定書)の影響もあり、死刑廃止国も多いため死刑囚が現在も存在する国は限られてきている。

死刑囚 - Wikipediaより引用



作中にも語られた通り、EU加盟国は死刑廃止国が条件であり、欧州諸国はベラルーシを除き死刑は廃止されています。

本国における死刑囚に対する刑の執行は法務大臣の命令によらなければならないとされ、法律上は特別な理由のない限り、死刑判決が確定してから6か月以内に死刑が執行されなければならない。

また、作中冒頭でも記載された通り
死刑判決を受けた者(死刑囚)の執行に至るまでの身柄拘束は刑の執行ではないとして、通常刑務所ではなく拘置所に置かれる。



今作は死刑囚と対話する日本の教誨師を主人公としたドラマ映画であり、大杉漣さんが教誨師を演じています。
6人の死刑囚がバラバラに登場し、教誨師である佐伯(大杉漣)が対話をしつつ、各々の死刑囚に合わせて罪の意識に問いかける。
形式上はそうなのだが、単なる死刑囚の救済、そんな綺麗事で終わる話ではないのだ。
教誨師としての葛藤や苦悩。
死刑囚の生きる意味や訴えたいこと。
このふたつに接点を持たせること、人と人が交わる難しさを描く。


なんと言っても序盤から終盤にかけての6人の死刑囚たちの演技、人物描写が素晴らしい。
ひとりひとりに与えられた教誨の時間は短く、出演時間も断片的だ。
それでも一回目の登場から各死刑囚がどのような人物なのかを大まかに把握することが出来る。

勿論、大杉漣さんも主人公ながら聞き役として徹し、素晴らしい演技です。


また、拘置所の静謐に満ちた独特な雰囲気も肌で感じることが出来る。
無音に響き渡る足音、扉の開閉の音、椅子の軋む音、対話、雨音に至るまで、無駄なBGMを排除したからこそ味わえる臨場感。

死刑囚相手という張り詰めた空気感、会話からのみ与えられる情報の少なさに、各死刑囚たちがどのような経緯で殺人を犯し、死刑囚として収監されたのか?
そして死刑執行は6人の中の誰なのか?(予想はつきますが)
その推理サスペンスとしての側面、面白さもある。

そんな観客の推理と並行するように教誨師の佐伯が彼らと対話したことで相手がどのような人間なのかが明らかとなっていく。



登場人物の整理

本題に入る前に6人の死刑囚と教誨師佐伯がどのような人物なのかを当管理人の目線で簡単に紹介したいと思います。

これを踏まえた上で次の考察に入ります。




ストーカー規制法により相手と家族を殺めた鈴木死刑囚
彼はずっと押し黙ったままだったが、佐伯の語りに少しずつ心を開いていく。
鈴木自身、ストーカーだとは気付かず妄想を描いて心の安寧を手にする。




酒好きのヤクザ組長、吉田死刑囚
佐伯と最も親しく映る一方で、佐伯以外には態度が変わる。
悪びれることもなく、他に犯した罪を佐伯に伝える。
刑の執行について人一倍に敏感だった所も印象的だ。




よく喋る関西のオバチャン、野口死刑囚
マシンガントークは観ているこちらも思わず笑ってしまうほどで一見明るい。
しかし、リストカットの跡があったり、虚言癖があったり、自分の話を邪魔されるとキレだす。
精神的に不安定であり、自身の罪の意識よりも周りが周りがと他人のせいにする傾向が見られる。




家族のことを思う気弱で心優しい小川死刑囚
死刑囚たちの中で唯一、犯行についての詳細が明かされた人物。
その経緯には哀れみの感情すら覚えてしまう。
裁判のやり直しを助言する佐伯に対して、諦めを見せる姿に胸が痛くなりました。




ホームレスの進藤死刑囚
字が読み書き出来ず、連帯保証人になっても他人を心配するお人好しのおじいちゃん。
死刑囚の中で最も明確に佐伯に救済された人物でもあると思う。
キリスト教に入りたいと願い、佐伯に字を教えてもらう。




博識で人を見下す高宮死刑囚
この作品で最重要人物である彼は他の死刑囚とは違う。
彼は常に社会をより良いものにしたいという理想を持っています。
一方で話すことは正論ではあるが、屁理屈でもあり、表情や態度に至るまで全てが不快。
佐伯も怖いと表現したように、理性的であるが故の人間らしさが見えない人物。




佐伯
教誨師としての彼は聞き役であり、死刑囚との対話、救済が求められるが、彼自身もその教誨師という立場に苦悩する。
それは過去の出来事があるからだ。
兄が人を殺めていること、その原因が自分にあること。
迷いが決心に変わる瞬間、意外な素顔など牧師ではない彼の姿との対比が実に人間味溢れる。



このように、会話劇にも関わらず、全てが全て説明的にならずに断片的な部分のみを見せることによってその人物の人となりを想像で保管するようになっています。
例えば、こんな酷いことをしたんだから死刑になっても当たり前じゃないか。なんて先入観や固定概念を抜きに、二人の対話から読み取る情報で自分自身が判断する仕様になっている事が素晴らしいんですよ。



さて、ここでこの作品の核心に迫る部分について言及していこうと思います。

・この作品のメッセージとは?
・ラストに残されたメッセージの意味とは?

この2点に絞って考えていきます。



無知の知

・この作品のメッセージとは?

刑の執行対象者は高宮でした。
これは概ね予想のつくものではありましたが、そこに至るまでの過程がこの作品のメッセージそのものなんですよね。



作中の二人の対話について着目します。

佐伯「どんな命でも生きる権利がある、奪われていい命など無い」
高宮「牛や豚は良いのにイルカは殺してはダメな理由は?」
佐伯「イルカは知能が高いから…」
(中略)
高宮「どんな人間でも殺してはいけないと言うのに死刑があるのは?」

この言葉に反論出来ず沈黙してしまう佐伯。
この時の表情はとても印象的だと思います。

このシーンこそがこの作品の核心部分であり
今作は"生と死"、そして"罪とは何か?"がテーマなのは明白で、死刑囚は生きる意味があるのか?という難しい問題を教誨師を通して観客が考えるものとなっています。



教科書通りの牧師の言葉では高宮の心を動かすことは出来ない。
高宮から返ってきた言葉が佐伯の考え方を変えることとなる。

上記にも佐伯は高宮のことを「あなたを知らないことが恐ろしい」と表現しています。
「生きることと死ぬこと」
これも同じで、知らないことは怖いのだと説く。


その根底にあるのは哲学でしばし用いられる
"無知の知"である。

「無知であることを知っていること」が重要であるということ。
要するに「自分が如何にわかっていないかを自覚せよ」ということです。

これは自分自身だけでなく、相手に対してもそう。
無知を自覚することで新しい何かが見えてくる。

佐伯自身も死刑囚たちと対話することで少しずつ人となりを知っていくこととなる。
しかし、「知る」とは「理解すること」ではない。
「空いた穴を一緒に見つめる」と表現されたように、相手が犯した罪、心情の変化に寄り添うことなのです。


その結果、「どうして空いたのか?誰が空けた穴なのか?」などはどうでも良くて「空いた穴を一緒に見つめる」こと、つまり寄り添うことを選んだ佐伯は教誨師としては失格、今までの形を崩した対応を見せ、高宮を変えることとなったわけです。

この対応が「ああ、高宮が死刑の執行対象者なんだな」と気付かされる部分ではあるのですが。


死刑囚との対話を通して、佐伯は「何もできない」という教誨師としての絶望感を抱いたのだと思います。
それでも「自分にできることは何か?」を見つめ直し、彼らに寄り添うことしかないという答えを出したのではないか?

これまで冷静で上から目線だった高宮が執行直前に弱々しく怯えていた姿はしっかりと脳裏に刻まれている。
執行時、黒いマスクを被せられた時に漏らした言葉
「あれ?」
この時、彼は一体何を思ったのだろうか?



キリストの言葉

・ラストに残されたメッセージの意味は?

佐伯に字を教えられ、脳梗塞か何かの病で倒れた進藤が佐伯に洗礼を受けた後に涙ながらに渡したグラビアアイドルの写真。
ここに書かれていたメッセージは

あなたがたのうち、
だれがわたしに
つみがあると
せめうるのか

これはヨハネ福音書8章46節。
(参考:John / ヨハネによる福音書-8 : 聖書日本語 - 新約聖書)

聖書では、キリストが神の子であることを疑い悪霊に取り憑かれているんだと言う人々に投げかけた言葉です。

この言葉の続きはこうだ。
「わたしは真理を語っているのに、なぜあなたがたは、わたしを信じないのか。
神からきた者は神の言葉に聞き従うが、あなたがたが聞き従わないのは、神からきた者でないからである。」

進藤が覚えた平仮名で佐伯に何を伝えたかったのだろうか?
進藤は唯一、明白に救済された死刑囚であり、可能性として罪なき罪の贖い、冤罪だったということも有り得るのではないだろうか?



終わりに

言葉というものは他人に物事を伝えるコミュニケーションにおいて最適な手段で、とても大きな力を持っている。
しかし、この作品のように時にはそのコミュニケーション機能が全く果たせないこと、すれ違うことで蟠りができることだってあります。

教誨師と死刑囚の対話を通して表現された言葉の難しさを受けて、色々自分なりに考えてほしい。


また、大杉漣さんを劇場で拝めてよかったです。
惜しい人を亡くしたと改めて痛感しました。
是非、劇場に足を運んでもらいたい作品です。


最後までお読みくださった方、ありがとうございました。




(C)「教誨師」members

現実と虚構の水面下で見えるもの(「アンダー・ザ・シルバーレイク」ネタバレ考察)

目次




初めに

こんばんは、レクと申します。
今日は楽しみにしていた『アンダー・ザ・シルバーレイク』を観てきました。

一度鑑賞した後で纏まらないようならもう一度観ようと思ってましたが、一先ず無理矢理にでも纏めてみました。

とは言っても、これだ!という答えが出せた訳ではなく、それこそこの映画に含まれるテーマのひとつでもあるかと思います。
相も変わらず、こじつけて考察していますので、あくまでも個人の解釈であるということを念頭にお読みいただけると幸いです。


この記事はネタバレを含みます。
未鑑賞の方はご注意ください。



作品概要


原題:Under the Silver Lake
製作年:2018年
製作国:アメリ
配給:ギャガ
上映時間:140分
映倫区分:R15+



・解説

「イット・フォローズ」で世界的に注目を集めたデビッド・ロバート・ミッチェル監督が、「ハクソー・リッジ」「沈黙 サイレンス」のアンドリュー・ガーフィールド主演で描いたサスペンススリラー。セレブやアーティストたちが暮らすロサンゼルスの街シルバーレイク。ゲームや都市伝説を愛するオタク青年サムは、隣に住む美女サラに恋をするが、彼女は突然失踪してしまう。サラの行方を捜すうちに、いつしかサムは街の裏側に潜む陰謀に巻き込まれていく。「私たちは誰かに操られているのではないか」という現代人の恐れや好奇心を、幻想的な映像と斬新なアイデアで描き出す。サラ役に「マッドマックス 怒りのデス・ロード」のライリー・キーオ。
アンダー・ザ・シルバーレイク : 作品情報 - 映画.comより引用



・予告編






本作のテーマ

監督のデビュー作『アメリカン・スリープオーバー』が流れるシーン。
登場する女性が劇中に登場する娼婦として作り替えられているのが印象的である。

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これは表立った舞台に立つ人間の裏の顔を暴くというメッセージのようで、監督自身の作品をネタにする辺りが、この映画にも裏があるんだぞと言わんばかりの挑発的演出にも映る。



劇中で聞こえた懐かしの電子音。
そう、1983年に発売された大人気ゲーム「マリオブラザーズ」のBGMです。

土管に入り、下へと潜っていくマリオはまるでこの先のサムを示唆するようでもある。

下、例えばアンダーグラウンドといったように"下"という言葉には表面下に潜む闇を暫し表す言葉として用いられる。
タイトル、そして劇中にも登場する「シルバーレイクの下」という言葉は物理的な意味ではなく、 我々の住む現実世界の根底を支配している闇、現実と虚構の狭間をテーマに混沌とした深層心理を描いた作品であると思います。


さて、このテーマを基にここで『アンダー・ザ・シルバーレイク』を象徴する都市伝説や陰謀について掘り下げていきましょう。



犬殺し

まずは"犬殺し"から考えていきましょう。

冒頭にも登場したカフェの窓ガラスに書かれた「BEWARE THE DOG KILLER(犬殺しに気をつけろ)」の警告文。
資産家の失踪事件とサムが見た夢、そして彼女の失踪と事件を繋ぐキーワードとなっています。

劇中ではシルバーレイクの都市伝説としても使われる"犬殺し"。
しかし、本来は別の意味があることをご存知でしょうか?



当管理人は三国志が好きなんです。(唐突)


三国志とは魏呉蜀の対立を描いた中国の後漢末期から三国時代にかけて群雄割拠していた時代(180年頃〜280年頃)の興亡史。
この三国時代の蜀の初代皇帝、劉備は有名ですよね?

彼の先祖に当たる人物、劉邦
項羽と劉邦」でも有名ですが、劉邦は秦の始皇帝の死後、項羽とともに戦い天下を手に入れた漢王朝の初代皇帝です。

その劉邦の沛時代からの配下である樊噲の仕事は"犬殺し(狗屠)"
本作『アンダー・ザ・シルバーレイク』における"犬殺し"とは少し違ったものなんですよね。

この時代、中国で犬は食用でした。
貧しい人々が食料とする為、野良犬として生きてはいけない。
飼い主を失った犬がどんなに惨めか。
その為に産まれた子犬を食料として処理する"狗屠"という職業があったんです。

古代中国では飼い主がいなくなり住む家も失った犬は、すぐ誰かに食べられてしまう運命が待っているという現実。
アンダー・ザ・シルバーレイク』を観ていて劇中のサム自身と重なる部分があるなと考えてました。


また、サラが失踪する前夜にサムが見た夢を思い出してもらいたい。
夜道にサラの飼っていた犬が殺され、彼女の姿をした女性が男性の腸に食らいつく姿。
劇中の"犬殺し"もただ犬だけではなく、人をも、そして食料として屠る者だという明白な描写なんです。


サムが見たサラや女性達が犬のように吠える幻想も、後に出てくるセブンスの娘の台詞「犬を殺せるなら人も殺せる」を連想させるように犬と人の境界線を曖昧にし、"犬殺し"に対するサムの抱いた恐怖心の可視化なのだと思います。
尾行されている(と思い込んでいた)のも恐怖心の表れかと。


劇中の台詞「犬は無条件に愛情をくれる」から考えると"犬"は夢のメタファーとなる。
つまり、"犬殺し"は後に人々をも飲み込んでしまう現実の恐ろしさを指すものと解釈しましたが、作中では畏怖するものの象徴として描かれていますね。



ついでに後半に登場したコヨーテについても記述しておきます。

コヨーテはイヌ科イヌ属に属する哺乳類。


米インディアン(カド族)の昔話コヨーテとお人好しのオポッサム

アメリカインディアンのほとんどの部族が、コヨーテをトリックスターとして崇めている。彼らにとって、大文字で「Coyote」と書くとコヨーテ神の意味を持っている。彼らの伝承で、コヨーテによって人間社会にもたらされたものはタバコ、太陽、死、雷をはじめとして、あらゆるものに及んでいる。
コヨーテ - Wikipediaより引用


劇中でも語られたように、コヨーテは聖なる生き物と称されています。
ここは後ほど少し絡めてお話します。



フクロウのキス

フクロウって、実際にキスするんですね。

ギリシャ神話において、フクロウは女神アテーナーの象徴であるとされる。知恵の女神アテーナーの象徴であることから転じて知恵の象徴とされることも多い。

東洋では、フクロウは成長した雛が母鳥を食べるという言い伝えがあり、転じて「親不孝者」の象徴とされている。
「梟雄」という古くからの言葉も、親殺しを下克上の例えから転じたものに由来する。

フクロウ - Wikipediaより引用


フクロウはかつて、アメリカの先住民に死の象徴として捉えられていたという話もあるみたいです。
アンダー・ザ・シルバーレイク』の都市伝説では街の裏組織にとって都合の悪い者を秘密裏に始末しているというもの。


フクロウは音を立てずに獲物に飛び掛かることから「森の忍者」と称されることがありますが、劇中でも足音を立てずに背後から忍び寄る全裸のフクロウ女が登場しました。

同人作家の自殺の件からも、恐らくはこのフクロウ女は自殺のメタファーであると考えられます。
もしかするとサムもあと一歩で自殺していたのかもしれません。


また、フリーメイソンイルミナティのシンボルもフクロウです。
フクロウがアメリカのドル紙幣に刻まれているというのは劇中にも挙げられています。


イルミナティのシンボル①「フクロウ」より引用。





実際に話として存在する都市伝説を映画という創作物の中で使用する。
こういった演出もまた、この映画のテーマにもある現実と虚構に沿ったものではないでしょうか?




3という数字

次に気になったのが"3"の数字です。
失踪者セブンスは3人の娼婦と焼死したとニュースに流れました。
そのうちの一人がサラだとサムは気付いたわけですが。

サラの持っていた人形も3体。
サラを探してサムが後を追った女性も3人組。
そしてパーティー会場で見たバンド「イエスとドラキュラの花嫁たち」も女性3人。
シューティングスターの娼婦も3人。

特に構図として、人形を除いて全て男性1人に対して女性3人なんですよね。
ある意味、玩具としては男根1に女性3でしたが(笑)



パーティー会場入口付近で女性が「3、3、三位一体」と歌っていたのは覚えてますでしょうか?


1210年頃に描かれた『三位一体の盾』の図式。

三位一体は、キリスト教において「父」と「子(キリスト)」と「聖霊聖神)」が「一体(唯一の神)」であるとする教え。
三位一体 - Wikipediaより引用


カトリック教会では「老人の姿の父、キリスト、火の姿で表される聖霊」の図像も広く用いられている。
正教会においては、「三つが一つであり、一つが三つというのは理解を超えていること」とし、三位一体についても「理解する」対象ではなく「信じる」対象としての神秘であると強調される。

つまり、父はソングライターの老人、子は人気バンドを含むアーティストたち、聖霊は上記にも記載した通り聖なる生き物と称されたコヨーテ。
バンドの曲から暗号を解読し、コヨーテに導かれ、ソングライターと出会う。

そしてポップカルチャーの裏側、闇、アンダーグラウンドな世界も理解するのではなく信じる対象として強調するものと考えられる。
非常に妄信に描き出した宗教的な図式であることがわかる。



敬意と隠喩

アンダー・ザ・シルバーレイク』は言うまでもなく様々な映画作品のオマージュとメタファーが散りばめられていますね。

前から姿を消した美女を追い求める様は『めまい』を。
双眼鏡で覗く様は『裏窓』を彷彿とさせる。


劇中にはヒッチコックの墓も登場し、デヴィッド・ロバート・ミッチェル監督のアルフレッド・ヒッチコックへ対する執着の畏怖とも取れる敬意が感じられる。



サムの白昼夢のような妄想でサラが失踪してから再びプールに姿を表すシーンではサラがマリリン・モンローの遺作『女房は生きていた』と同じポーズをとる。

これは死んだはずの女性が再び目の前に現れるという虚構世界そのもの
サラ自身が持っていた3体の人形のひとつがマリリン・モンローという細かい演出も良い。



メタファーと言えば、サムが大切にしていた雑誌「PLAYBOY」のカバーと後半のシルバーレイク貯水池での演出。

監督デヴィッド・ロバート・ミッチェルの言葉を借りるなら

いつも水にインスパイアされているんだ。
水辺の光景や音は観客を映画の中に招き込むと思っている。
水は物理的なものでもあるけれど、同時に全てを超越するものでもあるんだ。
アメリカン・スリープオーバー』のパンフレットより引用


今作同様に、彼の過去作『イット・フォローズ』でも血に染まりゆくプールの描写がありましたが


澱みないものが穢れていく様、そして形のないものの変容性、シルバーレイクという水面下から虚構が現実を飲み込んでいく様を描き出している。



サムの母親から送られてきた『第七天国』のVHSにあるジャネット・ゲイナーの「うつむかないで、上を向いて」という台詞。
これは
シルバーレイクの下へと足を踏み入れたサムが形のない答えを探して現実と虚構の狭間で現実を、上を向く展開、構図を端的に表現したものとなっている。


また、"犬殺し"と"フクロウ"の二点から少しずつ見えてくるものがあるんですよ。
それが、サムの見た妄想が現実世界でも見え始めること。

犬殺しでは単なる悪夢だったが、フクロウでは虚構が現実に干渉している。
つまりはサム自身の現実逃避の進行の現れ。
何が現実で何が虚構か分からなくなる、作り上げた妄想が真実を曇らせ、その世界観に引きずり込まれる。
デヴィッド・リンチ監督作『マルホランド・ドライブ』に近いものもあるのだろう。

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ただ、『マルホランド・ドライブ』と違うところは、サムの妄想から物語が始まっていること。
カート・コバーンは絶望して自分の命を絶っているが、サムは命ではなく(恐らくは音楽の)夢を絶ったと考えられる。

そんな彼を妄信させたのが隣人のサラ。
彼女と出会うことで、サムの現実逃避に拍車が掛かる。
「イエスとドラキュラの花嫁たち」の曲「回る歯」のように。

サムが目にしたものを妄想として現実世界で見せたのも、この映画のテーマである現実と虚構の狭間を可視化する為だと分かる。



総評

ポップカルチャーへの熱量と情報量の多さ。
現実と虚構の狭間で我々観客が掻き立てられる探究心は、まるで暗号を探す主人公と重なるように混沌とした深層心理、ネオ・ノワールの世界へと嵌っていく。

作中に散りばめられたオマージュやメタファー、その伏線をしっかりと回収しつつ芸術的に魅せるデヴィッド・ロバート・ミッチェル監督の才能と腕に惚れてしまった。
過去作『イット・フォローズ』は性と死というテーマの元、愛や青春を交えた希望を主軸に描かれていました。
今作『アンダー・ザ・シルバーレイク』ではその希望を見出すまでの絶望、もがき苦しむ現実逃避が主軸のように思います。

きっとあの排泄物を映した意味の無いシーンにも何か理由があるのでしょう。
便器の中が現実世界を表してて、現実はクソだとでも言いたいのだろうか?

この映画は答えを出すものではなく、探すものだと思う。
理解するよりも信じること、考えるより感じるもの。
それでもこの難解さはどうしても考えたくなる。
何が正解で何が間違いかは分からない。
だからこそ、自分の中でその答えを探し続けていく。
そういうものだと思いました。



終わりに

うーん、上手く纏まらなくてすみません(笑)
もしかしたらもう一度鑑賞しに行くかもしれないし、DVDが発売したら必ず観返します。

その時にまた、追記するかもしれませんが、この辺で許してください。



この手の映画考察は楽しいですね!
ぼちぼち更新も頑張りますので暖かい目で今後も見てやってください。

最後までお読みくださった方、ありがとうございました。



(C)2017 Under the LL Sea, LLC


アメリカンホラーのお手本(「クワイエット・プレイス」ネタバレ感想)

目次


初めに

こんばんは、レクと申します。

えー、暫く更新が滞っておりまして、申し訳ございません。
今回は久しぶりにブログを書きたい!となった作品「クワイエット・プレイス」について(?)語ってます。




原題:A Quiet Place
製作年:2018年
製作国:アメリ
配給:東和ピクチャーズ
上映時間:90分
映倫区分:G



今回はいつものような感想や考察ではない内容となってますので、あらすじ等は省かせていただきます。
久しぶりの更新で面倒臭いとかではない(笑)

ネタバレ有りなので、未鑑賞の方はご注意ください。


ホラーの観点

先ずはTwitterの感想から。



よくTSUTAYAなどのレンタルショップでは大まかにホラー映画と分類されていますが、ホラー映画は更に小分類化できるんですよね。
個人的な観点から製作国各国の特徴を挙げてみます。



日本はじめじめと湿った雰囲気の心霊オカルトものが多い。
リングや呪怨などが代表的な作品ですね。

リング

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呪怨 劇場版

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タイや台湾などアジア映画はJホラーの影響を大きく受けた作品が多数見受けられます。

the EYE (アイ) デラックス版 [DVD]

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心霊写真 [DVD]

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韓国では猟奇殺人もののサスペンス調のものが多い印象ですが、エクソシストもの、心霊オカルトものも多数あり、近年ではゾンビものと幅広いジャンルが楽しめます。

箪笥 [DVD]

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新感染 ファイナル・エクスプレス [Blu-ray]

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フレンチホラーといえばスプラッターが代名詞ですね。

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屋敷女 [DVD]

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北欧ホラーは美しい情景と物悲しいストーリーが印象的。

などなど、挙げればキリがないので早速本題に入ります。

Twitter投稿のリプにも記載しましたが、自分が思うアメリカ的ホラー演出といえば音で驚かせることがテンプレであり、今作の静謐を要するシチュエーションにおいては最も効果的な手法である。



上記に挙げた映画は全てハリウッドリメイクされています。
※「屋敷女」は2018年に日本公開「インサイド」。
※「新感染」は現在進行中。

ザ・リング(字幕版)

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ゲスト (字幕版)

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では、ハリウッドリメイクされたらオリジナルと比べてどうなるのか?
これもあくまでも個人的な観点での主張です。

ストーリーは家族愛へ特化。
モンスターパニック化。
精神的恐怖から視覚的恐怖に。

全てとは言いませんが、良くも悪くもこのパターンに収まるところが多い気がします。



では、今作「クワイエット・プレイス」はどうなのか?





めちゃくちゃアメリカ的!!!



まあそりゃそうですよね。
製作国がアメリカなんですから(笑)



むしろアメリカ的ホラーのお手本!!!




家族愛、モンスターパニック、そのアメリカ的な王道な作りが音を立ててはいけないという単なるアイデアひとつで突き詰めた映画でなく、あくまでもホラー映画として観客を楽しませることを突き詰めたかのようで好感が持てるんですよ。

音を立ててはいけないという精神的な緊迫感と音を立てるとモンスターに襲われるという視覚的な恐怖のバランスが秀逸であり、アメリカ的ホラーの要素を存分に活かした作品だと思います。

個人的には精神的な恐怖が好みではあるが、今作においてはアメリカ的な演出、視覚的な恐怖への満足度が大きい。


観客を楽しませる

さて、では今作がどう観客を楽しませることを突き詰めた映画なのかについて語らねばなりません。

皆さんは、自分を楽しませてくれる映画とはどのような映画だと思いますか?



自分はですね、その世界観に没入させてくれる映画です。

勿論、その世界観に入れなくても素晴らしい作品はたくさんあります。


しかし
鑑賞中に作品中の何かに心を捉えられている状態、鑑賞後に現実に引き戻される尚且つ心に留まり続ける感覚を味わえるもの。

それこそが自分が
「映画を楽しめた」
と感じる大きな要因の一つです。



今作「クワイエット・プレイス」はその観客との一体化という点においてある種のアトラクションのような臨場感を味わえるのです。


まず、退廃した閉鎖的な街並み。
やはり登場人物たちが置かれた状況というものに我々は敏感です。
それはその映画の世界観に入り込もうとするが故。

例えば某ファンタジー映画では魔法学校が舞台であったり、某SF映画では宇宙船で惑星に降り立ったり。
ホラー映画においても、その置かれた状況や街並みというものは非常に重要なものとなってきます。

似たような街並みでパッと思いついた映画がこれです。


廃墟と化した封鎖された異世界のような街で、鳴り響くサイレンを合図に闇と共にクリーチャーが襲いかかる。
映画「サイレントヒル」はゲームが原作のホラー映画であり、その世界観を最も忠実に再現した作品の一つであると思っています。

そうです、世界観に没入することでその恐怖心や登場人物の心情を我々はより密に感じることができるのです。


他の要因として、得体の知れない何かに襲われる恐怖。
例えば、本日一緒に観てきた「MEG ザ・モンスター」はメガロドンという巨大サメに襲われる映画。
アナコンダ」は蛇、「ジュラシックパーク」は恐竜、と明確に何に襲われるのかが分かっている状態です。

今作のように地球上に存在しない得体の知れない何かに襲われる恐怖は上記のように正体の分かっているモンスターに襲われるのとは比較にならないと思います。

近いものを上げるとするなら

ザ・グリード [DVD]

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ミスト (字幕版)

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この辺りでしょうか?





次にその世界観を肌で感じてもらうこと。
冒頭始まって数秒で
「あ、音立てたら即死」というキャッチコピーが脳内に過ぎり、物音を立てるどころか息付く暇さえ無くしてしまう。

裏を返せば
劇場で物音を立ててしまうと周りのお客様からの袋叩きにあって即死
するということです。

というのは冗談ですが、それくらいのマナーの質が求められる、音を立ててはいけないとより一層張り詰めた空気が劇場内を包み込んでしまう。

こんな映画、今までありましたか!?




はい、「ドント・ブリーズ」!!!

ありました(笑)
とはいえ、盲目で聴力が発達した相手という共通点はありますが対人間。
今作のモンスターとは迫力が違います。

冒頭の息子の死がここでもいいアクセントになっているんですよね。
得体の知れないモンスターへの恐怖心とトラウマを早期に観客へと植え付ける。


また、その伏線が妻の妊娠と出産、夫の我が子を守りたいという想いへと繋がっていく。

そうなんです。
上記にも書きましたが
単なるアイデアひとつで突き詰めた映画ではなく、しっかりと盛り上がりポイントへの伏線を敷いた計算され尽くした物語となっているんです。

色々とツッコミどころは満載でしたがそれはご愛嬌(笑)


エミリー・ブラントの魅力

と、今作とホラー映画について語ってきましたが、今作を語るにあたってこの話題は絶対に外せないだろう。


※鼻をほじってるわけではありません。

そう、なんと言ってもエミリー・ブラントの可愛さが僕の中で爆発したのだ。



ここから先、少々変態発言がありますのでご注意ください。










先ず、ここ!
マタニティエミリーを見れること!

音を立ててはいけないという設定の中での子作り。
無音でセッ〇ス…つまりは喘ぎ声を堪えたということで、それはもう興奮材料でしかない!!!


すみません、取り乱しました。



子を持つ母親の気持ちは分かりませんが、我が子を守れず死なせてしまったこと。

その分、新たに宿った命を大切にしたい。
そんな気持ちと、今作の設定やシチュエーションに出産シーンは最高潮に盛り上がったシーンではないか?




バスタブにエミリー。

じゃなくて(笑)
出産に伴う痛みに耐えながら、音を立てて襲われるかもしれない恐怖にも耐える。
二重苦で必死に堪えるエミリーの姿には興(自主規制)


出産祝いの花火やでー!!!



もうここは真面目に語るつもりは毛頭ございませぬ。



最も心を奪われたのは、ほっぺを膨らませる仕草。
生憎、画像は見つかりませんでしたが可愛すぎる。

「なんなんだこの可愛さは!」
と上映中に叫び、即死するところでした。

いや、そもそも可愛さに即死だったんですが。

エミリーがほっぺを膨らますシーンの画像をお持ちの方は僕のTwitterへリプお願いします。




僕はエミリーに抱きしめられる家の柱になりたい(錯乱)



・・・あ、もう話すことはありませんよ?


終わりに

ということで、最終的にエミリーへの気持ち悪い愛を書き殴っただけになりましたが、久しぶりにブログ書けて楽しかったです。
ブログを書きたい!という作品は幾つかあったのですが、なかなか手が付けられず…今作「クワイエット・プレイス」を観てよかったと思います。



ということで、「IT/イット "それ"が見えたら、終わり」の考察も置いておきます。


更新は今後も不定期になりますが、何卒よろしくお願いいたします。






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