小羊の悲鳴は止まない

好きな映画を好きな時に好きなように語りたい。

禁断が産まれる(『LAMB ラム』ネタバレ考察)

目次




初めに

どうも、レクです。
今回は羊ホラーと話題の『LAMB ラム』について語っております。

数々の映画で特殊効果を担当し本作『LAMB ラム』が長編デビューとなる北欧の新たな才能ヴァルディミール・ヨハンソンが監督を務める。
彼はタル・ベーラが設立したサラエボの映画学校で学んでいたとのことで、製作総指揮にタル・ベーラがクレジットされていますね。

製作・配給会社 A24が北米配給権を獲得し、カンヌ国際映画祭で上映されるやいなや観客を騒然とさせた衝撃の話題作ということで、楽しみにしていた映画の一つです。



※この記事はネタバレを含みますので、未鑑賞の方はご注意ください。



作品概要


原題︰Lamb
製作年︰2021年
製作国︰アイスランド・スウェーデン・ポーランド合作
配給︰クロックワークス
上映時間︰106分
映倫区分︰R15+


解説

アイスランドの田舎で暮らす羊飼いの夫婦が、羊から産まれた羊ではない何かを育て、やがて破滅へと導かれていく様を描いたスリラー。「ローグ・ワン スター・ウォーズ・ストーリー」などの特殊効果を担当したバルディミール・ヨハンソンの長編監督デビュー作。
山間に住む羊飼いの夫婦イングヴァルとマリアが羊の出産に立ち会うと、羊ではない何かが産まれてくる。子どもを亡くしていた2人は、その「何か」に「アダ」と名付け育てることにする。アダとの生活は幸せな時間だったが、やがてアダは2人を破滅へと導いていく。
「プロメテウス」「ミレニアム」シリーズのノオミ・ラパスが主人公マリアを演じ、製作総指揮も務めた。アイスランドの作家・詩人として知られ、「ダンサー・イン・ザ・ダーク」の歌劇脚本を手がけたショーンがヨハンソンとともに共同脚本を担当。
LAMB ラム : 作品情報 - 映画.comより引用





考察

ということで、今回はTwitterに感想も上げていないので、いきなり考察に入っていこうと思います。

というか、これ、ネタバレなしで語っても面白さを伝えきれない作品なんですよね。
かと言って、考察したところで面白さが伝わるのかどうかも怪しいですが…。



まず冒頭で、「時間旅行が可能になった」と夫婦で会話するシーンがあります。

夫婦の間には娘がいましたが、何かが原因でその娘を亡くしています。
そんな中で羊から生まれた顔と右腕は羊、それより下は人間の赤子を拾い上げました。
その子に娘と同じアダという名前をつけて可愛がります。


マリアの「過去に戻れたら…」。
誰もが一度は願ったであろう願望。
ここでこのフィクションの世界観をグッとリアルに近づけるわけですね。

「現実的なストーリーの中に、一つの非現実的な要素が存在し、一方で、特にその非現実的要素に触れることをせず、他と同様に現実的にしてしまうような物語」
とヴァルディミール・ヨハンソン監督も語っています。

そう、本作『LAMB ラム』は単に寓話や御伽噺を描いたファンタジー映画ではなく、家族愛という普遍的なものを描いたヒューマンドラマなんです。





・神学的考察

さて、ここからは神学的な考察に入っていきます。
これはあくまで個人的な見解であり、物語に厚みを持たせて僕自身の解釈を納得させるものであることを先に述べておきます。



アダ

クリスマス・イブの夜に生まれたアダ。
マリアに育てられることから言うまでもなく、イエス・キリストがモチーフとなっています。


ルカによる福音書 2:8
さて、この地方で羊飼たちが夜、野宿しながら羊の群れの番をしていた。

2:9
すると主の御使が現れ、主の栄光が彼らをめぐり照したので、彼らは非常に恐れた。

2:10
御使は言った、「恐れるな。見よ、すべての民に与えられる大きな喜びを、あなたがたに伝える。

2:11
きょうダビデの町に、あなたがたのために救主がお生れになった。このかたこそ主なるキリストである。

2:12
あなたがたは、幼な子が布にくるまって飼葉おけの中に寝かしてあるのを見るであろう。それが、あなたがたに与えられるしるしである」。


見ていただければ分かると思いますが
アダが生まれてきた日は、ルカによる福音書の2章8節〜12節に沿って描かれていることがわかります。


ヤン・ファン・エイクによるヘントの祭壇画

また、イエス・キリストは人間の罪を背負う生贄の役割を果たすものとして神の子羊と言われています。


ヨハネによる福音書 1:29
その翌日、ヨハネはイエスが自分の方にこられるのを見て言った、「見よ、世の罪を取り除く神の小羊。

ペテロの第一の手紙 1:19
きずも、しみもない小羊のようなキリストの尊い血によったのである。

そのことから、マリアは何らかの罪を犯して娘アダを殺してしまった可能性も高く、その贖罪としてマリアは神の子羊をアダと名付けて育てようとします。
これはイエス・キリストの復活とも取れます。



マリア

イエス・キリストの母、聖母マリアであることは名前からも明らかですね。


シュテファン・ロッホナー作『薔薇垣の聖母』

美術作品において聖母マリアは青い服を着ることが多く、青色は聖母マリアの象徴の色であるためであるとされています。

本作『LAMB ラム』のポスターでも同じく青色の服を着て我が子を抱くマリアの姿が写っています。

また、このポスターから連想されるのが聖アグネス。
カトリック教会のミサで記念される女性の中で聖母マリアを除いた7人の中の1人で、夫婦、性暴力被害者などの守護聖人でもあります。


Massimo Stanzione作『Saint Agnes』

聖アグネスの名前はラテン語で子羊を意味するagnus(アグヌス、アニュス)と似ていることからしばしば子羊と一緒に描かれることも多い。
ペートゥルとの関係から、家庭を、夫婦を守ろうとする点でもマリアは聖アグネスの側面はあると思います。



ペートゥル

アダをイエス・キリストのメタファーと仮定すると、ペートゥルはイエス・キリストに従った使徒の一人、ペトロでしょう。

キリストがユダヤ側に捕まった際に、女中の「貴方も仲間だろう」という言葉に対し、ペトロが三度「違う」と宣言してしまう『ペトロの否認』という事件を起こしています。


ミケランジェロ・メリージ・ダ・カラヴァッジオ作『聖ペテロの否認』
世界のタグ名画 - 聖ペテロの否認 / ミケランジェロ・メリージ・ダ・カラヴァッジオ %>


神を否定して悔い改めた人物であることから、アダを受け入れられずにいたがその存在を認めていったペートゥルとも重なります。
アダを兄夫婦の子として認められるかどうか。
この物語で唯一、価値観を変えた人物でもあります。



イングヴァル

この名前の由来は北欧神話に登場する神フレイ。
フレイの別名とされるユングヴィが本名で、偶像では巨根を持つ神として形作られ、双子の弟フレイヤと同じく子孫繁栄の願いを反映していると言われています。


ヨハンズ・ゲールツ作


フレイにとって聖獣とされたのが馬。

牡馬の性器のたくましさが豊饒や多産のシンボルとされた例もあり、本作『LAMB ラム』冒頭の馬が雪原で道を誤る描写からも子孫繁栄の願いを失ったという見方もできます。



父羊

パーンは羊飼いと羊の群れを監視する神で牧神、牧羊神、半獣神とも呼ばれる山羊のパーンがモチーフかと思われます。


アンニーバレ・カラッチ作


パーンをモチーフとした一番有名な作品としては


(C) 2006 ESTUDIOS PICASSO, TEQUILA GANG Y ESPERANTO FILMOJ

ギレルモ・デル・トロ監督作品『パンズ・ラビリンス』で主人公を地底の国に導く使者として登場しますね。


家畜の群れが何の前触れもなく逃げ出す現象を牧神パーンと関係付けたことから「パニック」の語源ともなっています。

また、牧神パーンの持つパンの笛から音楽を作り出したという言い伝えもあり、ペートゥルのドラム、マリアの鼻歌やピアノ演奏もこれを想起させるものなのかもしれません。





・父性と母性

母羊に「来るな!」と恫喝し、また我が子を失ってしまうのではないかという恐怖心に駆られたマリアは母羊の脳天を撃ち抜いて射殺。
その死体を埋めてしまいました。

ラストシークエンスでは、ムッキムキの父羊がマリアへの復讐をするようにイングヴァルを射殺。
アダを連れ去ってしまう。
恐らく父羊は母羊の遺体を見つけたのだろう。


娘を亡くし、夫を亡くした妻。
子を攫われ、妻を失くした夫。



マリアは聖アグネスの要素もあると上記で記載しましたが、セント・アグネス・イブ(1月20日 - 21日)に夕食を抜いて眠ると、夢で未来の夫を見るという言い伝えもあります。

本作『LAMB ラム』でマリアが見た夢は羊の群れでしたが…。
なんて深読みもできたりしちゃいますね。



この物語の続きをあなたはどう予想しますか?




終わりに

ということで、あまり物語には触れずキャラクターから考察を進めましたが如何でしたか?

ヴァルディミール・ヨハンソン監督がインタビューで語ってましたが
「いろんな素敵な言葉をいただきましたが、意外だったのが「お肉を食べるのをやめました」と言う方が少なくとも10人はいたことですね。」
とのことで
日本ではあまりポピュラーではないラム肉をいつか有り難くいただこうかと思っております。


最後までお読みいただいた方、ありがとうございました!




(C)2021 GO TO SHEEP, BLACK SPARK FILM &TV, MADANTS, FILM I VAST, CHIMNEY, RABBIT HOLE ALICJA GRAWON-JAKSIK, HELGI JOHANNSSON


沈黙は愛か罪か(『沈黙のパレード』ネタバレ考察)

目次




初めに

どうも、レクです。
今回は待望の「ガリレオ」シリーズ最新作『沈黙のパレード』について語っております。

原作を読み終えるまでは考察ブログを書けないなあと思ってたら、書き終わるまでに少し時間が空いてしまいました。



※この記事はネタバレを含みますので、未鑑賞の方はご注意ください。



作品概要


製作年︰2022年
製作国︰日本
配給︰東宝
上映時間︰130分
映倫区分︰G


解説

東野圭吾のベストセラー小説を原作に、福山雅治演じる天才物理学者・湯川学が難事件を鮮やかに解決していく姿を描く大ヒット作「ガリレオ」シリーズの劇場版第3作。
数年前から行方不明になっていた女子高生が、遺体となって発見された。警視庁捜査一課の刑事・内海によると事件の容疑者は、湯川の大学時代の同期でもある刑事・草薙がかつて担当した少女殺害事件の容疑者で、無罪となった男だった。男は今回も黙秘を貫いて証拠不十分で釈放され、女子高生が住んでいた町に戻って来る。憎悪の空気が町全体を覆う中、夏祭りのパレード当日、さらなる事件が起こる。
キャストには内海役の柴咲コウ、草薙役の北村一輝らおなじみのメンバーが集結。前2作に続いて西谷弘が監督、福田靖が脚本を手がけた。
沈黙のパレード : 作品情報 - 映画.comより引用




キャスト


映画『沈黙のパレード』公式サイト

湯川学(福山雅治)
内海薫(柴咲コウ)
草薙俊平(北村一輝)

並木祐太郎(飯尾和樹)
並木真智子(戸田菜穂)
並木佐織(川床明日香)
並木夏美(出口夏希)

戸島修作(田口浩正)
新倉直紀(椎名桔平)
新倉留美(檀れい)
高垣智也(岡山天音)
宮沢麻耶(吉田羊)

蓮沼寛一(村上淳)
増村栄治(酒向芳)




感想

本作『沈黙のパレード』は「ガリレオ」シリーズの劇場版第3作目ということですが、何を隠そう私レクのオールタイムベストにはその劇場版第1作目『容疑者Xの献身』が入っています。



劇場版第1作目『容疑者Xの献身』も、劇場版第2作目『真夏の方程式』においても、そして本作である劇場版第3作目『沈黙のパレード』にしても、殺人において"愛か罪か"が問われるものとなっております。


Twitterに上げた感想はこちら。



この感想を更に詳しく掘り下げていきます。




考察

さて、早速本題に入っていきましょうか。

今回は、この事件を追うことで見えてくる対比構造が創り出す複雑なパズルについて、原作との相違、個人的な意見を交えつつ考察していこうと思います。



事件の概要としましては

突然行方不明になった町の人気娘・佐織が、数年後に遺体となって発見される。
容疑者はかつて草薙俊平刑事が担当した少女殺害事件で無罪となった蓮沼貫一。
しかし、今回の佐織の事件も証拠不十分で処分保留のまま釈放されてしまう。
更に蓮沼が遺族たちの前に現れたことで町の空気が変わっていく。

そんな中、かつて佐織の歌で町中を熱狂させたパレードの日がやってきた。
パレード当日、起こった復讐劇は誰がどのような手口で成し遂げたのか?





・単独犯と共犯

自白至上主義の日本警察が生み出した黙秘の怪物と殺人事件の自首。

刑事を父親に持つ蓮沼は、自白させたことを自慢気に語る父親の話をよく聞かされていました。
よって、自白が起訴に繋がる→自白しないことで罪に問われない という心臓に毛が生えたような…いや、原作の言葉を借りるなら毛ではなく針金ですか。
そんな日本警察の悪しき風習が生み出した現代のモンスター。
沈黙とは当初、蓮沼のことだとミスリードされる。


しかし、パレード当日、蓮沼が遺体となって発見されました。
蓮沼は本当の意味で沈黙することになりました。

死因は窒息死。
ただ、絞殺や扼殺されたような外傷はなく、溢血点が少ないなどの不審な点から大学教授となった湯川学が捜査に加わる。

溢血点とは、毛細血管の破綻によって生じるアズキ大以下の小出血。
窒息死の診断上、重要な症状とされていて
毛細血管内圧の上昇、低酸素あるいは無酸素状態による毛細血管壁の透過性の亢進などが成因と考えられます。


当初、秘密の小窓(扉の隙間)からヘリウムガスを注入し、室内の酸素濃度を下げるという仮説が持ち上がる。

これは死刑執行に見立てたもので、日本は絞首刑。
アメリカでは電気椅子、薬殺刑、ガス室を使っていた州もある。
絞首刑(窒息死)とガス室の要素を掛け合わせた復讐方法ということでしょう。
また、蓮沼に恐怖を与えるための密室トリックとも考えられます。


「蓮沼がヘリウムガスを吸って高い声を上げながら苦しみ悶えて死ぬとなったら、沈黙とは真逆の何て滑稽な殺害方法なんだろう…」

なんて僕のユーモア性が滲み出た思考を垂れ流していたら、結局使われたものは液体窒素でした(笑)



ちなみに、本作『沈黙のパレード』では流石に言及されることはありませんでしたが、原作では実にユーモアの効いたやり取りがあるんですよ。

それがパレードの演目の曲などの著作権について。
例えばディ◯ニーのアラ◯ンやアル◯スの少女ハ◯ジなど。
菊野市の出し物としては著作権フリーのものを使用するこだわりがあると語られていました。

殺人事件が明らかになったが、犯人を取り押さえられない。
著作権に抵触するのは明らかだが、パレード演目を取り締まれない。

この犯罪に対するグレーゾーンに関してもジワジワと効いてきます。



パレード当日の蓮沼殺害の経緯としましては

パレードでロバート・ルイス・スティーヴンソンの『宝島』をモチーフに菊野市は演目を行いました。
楽曲は新倉直紀作曲のものを使用。
加工食品を扱う会社トジマ屋フーズ社長である戸島修作が液体窒素を用意し、新倉直紀がパレードに使われた金塊の箱に詰め、菊野市の演目によってゴール地点まで運び、それを高垣智也が蓮沼の家の前まで運んで並木祐太郎がその液体窒素を手に蓮沼を自白させるという計画でした。


単独犯ではなく町人ぐるみの共犯ということで捜査が難航するわけですね。
所謂『オリエント急行殺人事件』と似た手口です。
町人たちは沈黙を貫きます。

この沈黙は、並木佐織に対する愛なのか、それとも蓮沼殺害の罪なのか。

ここではじめて、タイトル『沈黙のパレード』の意味を我々は知ることになるんですね。


しかし、計画は崩れます。
並木家が経営する「なみきや」にパレードの最中に来ていた女性客が突然の腹痛を訴えて病院に付き添うというトラブルが起きる。
戸島は中止を提案するが、新倉が祐太郎の代わりを務めると申し出て蓮沼が佐織殺害の自供をしたことを聞いて殺害。
その後、新倉は警察に出頭します。


その前に、高垣や戸島の事情聴取もされていましたが、高垣が取り調べの圧力に負けて本音を吐いてしまうシーンも実はかなり重要なんです。

というのも、原作では高垣には当初から追い詰められたら本当の事を話していいと戸島に言われています。
なぜなら、彼の行動は罪に問われるものではないから。

そう、ここが単独犯と共犯の差ですね。
また、警察の取り調べで自白してしまうが町人たちを逮捕できないということは、かつての日本警察の自白至上主義への皮肉にもなりますね。


蓮沼は沈黙を貫いたのに対して、新倉は自白する。
蓮沼が並木佐織を殺害したことを認めたために殺してしまったと。

警察としては自白された以上はそれがたとえ嘘であってもそれを有耶無耶にはできない。
蓮沼と新倉の沈黙と自白の対比が事件を更にややこしくしていきます。

実は更に貫き通された沈黙が…
ともうひとつ展開があるのですが、これ以上言ってしまうと面白くないので伏せておきますね。



新倉の犯行に関しても原作から簡素化された形で劇場版では描かれています。

秘密の小窓(扉の隙間)から液体窒素(当初はヘリウムガス)を部屋に充満させて窒息死させるという湯川の仮説。
液体化させれば体積は20リットルで済み、運び出すことは可能だと。

この秘密の小窓のことを原作では『ユダの窓』と表現されています。
『ユダの窓』とは、アメリカの本格推理作家ディクスン・カーの代表作で、密室トリックに正面から挑んだ本格推理。
密室にいる人間に何らかの影響を与えることができるという意味合いがあります。

作中によると「監房の扉についておって、看守などが、中の囚人にさとられないようにのぞきこんだり調べたりするための、蓋のついた小さな四角いのぞき窓のこと」

事件発生時、観客は囚人(本作でいうと蓮沼)と同じ視点であり事件の全容は見えない。
しかし、探偵(本作でいうと湯川)の推理によって観客が看守(本作でいうと新倉)と同じ視点を獲得することで、その全容が見えてくる。

この視点の移動、至ってシンプルな構造こそが密室トリックにおいて最も重要なことなんです。



原作ではその後、捜査員が草むらで窒素ボンベを見つけ、そのボンベが入れられていたビニール袋から蓮沼の髪の毛が2本見つかったというもの。

本作『沈黙のパレード』ではヘリウムから液体窒素へと仮説が進み、その中間がバッサリと切られています。


その弊害として、内海と湯川によるこの視点の違いによる意見交換シーンがないということ。
それは刑事と科学者という立場の違い、ないし蓮沼殺害に対する犯人の思惑のヒントが散りばめられていたから。
また、ボンベが見つかったことで捜査が撹乱されるフェイク、且つ「なみきや」の常連客のアリバイ工作にもなっています。

そして、何より内海薫という女性刑事の鋭い視点が冴える場面でもあるんですよね。
これによって事件解決へ、視点が移動することになります。
ここで複雑なパズルのピースを組み立てる湯川の頭の中で「そのピースは過去にしか存在しない」と23年前の本橋優奈ちゃん事件との関係を探ることになっていきます。


劇場版『沈黙のパレード』において、後半のミステリとしての弱さはやはり観客に推理させる伏線と推理を裏切るような展開を取り除いて簡略化されてしまったためでもあると考えられますね。

ただ事件として重要なのは、被害者だけでなくその被害者遺族、及びその周りの人間でさえも被害者になり得るということ。
不幸の連鎖と表現されるように。





・一回性の原則と検察審査会

一回性の原則とは、ひとつの犯罪行為に対して、逮捕・勾留は原則一回のみとするもの。

蓮沼の犯罪行為、本橋優奈ちゃん事件では無罪となっており、並木佐織事件では処分保留に。
つまり、今後決定的な証拠が出てこない限りは蓮沼は逮捕・勾留されることはないということ。


検察審議会とは、処分保留となった加害者及び司法に対する被疑者の最後のあがき。
不服であれば複数回申し出ることも可能です。


法で裁けない犯罪行為に対して、国民が手を下すことは肯定できません。
しかし、明らかに犯人だと思われる加害者を裁けないもどかしさ、被害者の思いというものは理解しようにも当事者でない限りは理解できないと思います。

だからこそ、結果的には「よかったね」で片付いてしまう物語の着地点は色々と勿体無いなあと思ってしまう。
何より、どれだけの悪人であっても蓮沼貫一というひとりの人間の命を奪った罪に問われなかった(直接関与はしていない)共犯者が日々の生活を送る姿に素直に清々しい気持ちになれなかったというか…。
それならば、街全体が罪悪感を抱いたまま、新倉が犯行に至った経緯そのままで突っ走ってほしかった(バレットの件はなくてよい)なんて捻くれた想いまでありました。

が、しかしながら鑑賞後に自身の考えをこうしてまとめていると、やはりアレでよかった…いや、むしろ素晴らしい幕切れなのでは?とさえ思えてきました。


劇場版第1作目『容疑者Xの献身』も、劇場版第2作目『真夏の方程式』も愛と罪、そこには"罪悪感を払拭し罪を償う(背負う)"という裏テーマがあります。

そう、本作『沈黙のパレード』のキーパーソンは間違いなく草薙。
彼が15年前に抱えた罪の意識を、町人たちの普段の生活に戻ったあの姿を見て今やっと漸く贖罪という形で払拭することができるのだから。





・愛と罪

着目したいのは、劇場版第1作目『容疑者Xの献身』との関係性です。
最後に、これを語っておかなければこの物語を深くは理解できないと思います。

少しだけ『容疑者Xの献身』の内容にも触れていますので、ご注意ください。


本作、劇場版第3作目『沈黙のパレード』は湯川学と内海薫のコンビで序盤から動いていきます。
しかし、原作では内海と湯川の再会は中盤以降。
「血も涙もない」で内海と言い争った喫茶店の再会シーンも原作では草薙俊平と湯川のやり取りとなっていて、いつも警察の捜査に無関心、非協力的な湯川が草薙の友人として捜査に協力する流れとなっています。

原作では、草薙に聞いた「なみきや」の話から、湯川はそこの常連客となります。
これも警察の捜査には興味のない湯川が、草薙という友人関係にあるからこそ、自ら動いたとも取れます。


更に、警察側、蓮沼貫一、菊野市の各登場人物にスポットを当て、その人物像、バックグラウンドを描くことで人物相関図を肉付けしています。

この点が冒頭の疾走感の良い編集、メリットとして受け取ることもできますし、回想で一瞬で流れてしまって町人の想いのようなものがあまり観客に伝わらない映像化する上での時間制限のデメリットでもあります。

ただ、原作のようにだらだら流されても映像的に持たない。



町人や草薙よりも出番を増やして、内海がヒロインの立ち位置として進行するというTVドラマシリーズの呪縛を良い意味でも悪い意味でも演出面でメリットとして本作は捉えています。

そのひとつが内海と湯川の出会いのシーン。
シャボン玉を興味深く眺める湯川を微笑ましく内海が見つめる。
TVドラマシリーズを観ている方には「ガリレオのあのコンビが帰ってきた!」と思わせる安心感がハンパない。

これは「ガリレオ」2クール目及び劇場版第2作目『真夏の方程式』で柴咲コウから吉高由里子へとバトンタッチしたあのガッカリさを埋めてくれるものでもある。

また、内海と湯川の掛け合い、やり取りや捜査中に見せる視点の違い、これまで湯川とコンビを組んできた内海という人物だからこそのあのユーモアな空気感がしっかり生きていたと思います。


何度も言うようですが、あくまで『沈黙のパレード』のキーパーソンは草薙俊平。
警察や司法の在り方、善悪の境界線、愛や罪とは何か。
被害者への想いと自身の責任を一身に背負う。

もうひとりのキーパーソンは殺人事件の容疑者であり、復讐劇の被害者でもある蓮沼貫一。
警官を父に持ち黙秘を貫き通す、自白至上主義であった当時の日本警察が生み出したモンスター。


その蓮沼貫一の手によって殺された(であろう)被害者・並木佐織。
「ガリレオ」シリーズを通して福山雅治さんが楽曲を手掛けていますが、本作『沈黙のパレード』の主題歌『ヒトツボシ』。

「舟は かなしみの海を漕ぐ」
なんて歌詞もありますが、並木佐織への想いから漕ぎだした舟は沈黙のパレードで宝島を目指す。

『ヒトツボシ』の歌詞は並木佐織への鎮魂歌だと公言されています。



それが流れるエンディングで劇場版第1作目『容疑者Xの献身』の映像が流れただけでちょっとウルッときましたね。
真実を追究する科学者として、そして真実を知った親友として、あの湯川の姿がとても印象に残ります。



このように、原作とTVドラマシリーズである「ガリレオ」の双方を加味した上で、草薙の親友としての湯川学という人物像へフューチャーした形で本作『沈黙のパレード』は舵を切ったことがよくわかります。

上記の蓮沼殺害のトリックでも語りましたが事件を簡略化しドラマ性を追求したことで、ミステリとしての裏切りは弱いが情感を揺さぶるには十分な材料が揃っています。
上記にも書きましたが、湯川と草薙の関係で見ればとても良い終わり方だったと思います。

とはいえ、やはりミステリ要素の簡素化から結末のインパクトの弱さは否めない。
ラストに全振りして感情をぶつけてきた『容疑者Xの献身』と、冒頭からじわじわと刺激する本作『沈黙のパレード』ではやはり前者に軍配が上がるというのが個人的評価です。

これは
登場人物の多さも関係していて、『容疑者Xの献身』に比べて『沈黙のパレード』では感情移入する対象の数が多く(または登場人物たちの描き込みが少ないため)、その感情移入する度合いも浅くなってしまったように思う。



そう、この物語は被害者・並木佐織とその遺族、及びその周りの人間たちの愛と罪を加害者・蓮沼貫一との対比構造で描きながら、刑事としての責任を負う草薙の葛藤や苦悩を重ね合わせ、更にはその親友を支える湯川学が決断を迫られるという多重構造になっているんです。

個人的に評価している点は、正にここで。
何度も言いますが、その原作改変によるデメリットをメリットに変換しています。
これまで変人だなんだと言われてきた湯川が一番マトモに見えたのも、人間味を感じられたのも、すべては『容疑者Xの献身』から繋がっている…湯川学という人物にスポットを当てて見るとかなりエモーショナルなわけです。


『容疑者Xの献身』はTVドラマシリーズの人気にあやかった初の劇場版として売り出されています。
そして、湯川学と対等に戦える天才数学者・石神という人物像にフューチャーすることで、友人である湯川の人間性が表面化してくるという形になっていました。

最後の選択も石神の選択ではなく、湯川が仮説と検証を重ねて証明し、真実が暴かれることで情感を揺さぶる形となっています。


湯川は『容疑者Xの献身』の事件によって、理屈では説明できない人の感情というものを理解しようとしました。
石神に関して湯川が「殺人を犯すような人間ではない」と言ったのがそれです。

そして、『沈黙のパレード』では当時の湯川自身と比較して人の感情を理解できてしまうからこそ、湯川は感想と理性の間で板挟みとなり葛藤します。



それは被害者の感情と警察官としての職務の間で揺れる草薙も同様です。

『容疑者Xの献身』に登場する石神同様に、草薙もまた湯川と同じ大学の出身です。
『容疑者Xの献身』では理論でしか考えられなかった湯川が石神を通して人の感情を知り、本作『沈黙のパレード』で草薙が過去の自分のようになっては欲しくないと考えます。

劇中でも湯川は「あの時のようにはしたくない」といった言葉を内海に溢していました。

つまり
『容疑者Xの献身』が在るから『沈黙のパレード』が在ると言っても過言ではない
ということです。



湯川は草薙と友人同士の関係性であり、湯川の推理によって事件解決しますが、最後の選択は草薙に委ねられました。
実はこの場面で湯川が草薙にかける言葉は原作にはないものです。

劇場版としてのこの原作改変は
TVドラマシリーズから劇場版第1作目『容疑者Xの献身』の経験を経て人として成長した湯川学という男が、罪の意識を背負った親友・草薙に向けて出した愛の決断。
主要キャラ側から見ても正しく、過去の劇場版を踏襲した愛と罪の物語なんです。



ちなみに、ほとんど触れてきていませんが、劇場版第2作目『真夏の方程式』は劇場版第1作目『容疑者Xの献身』の二番煎じ、何より道徳的に嫌いなので個人的には評価に値しません。

またTVドラマシリーズ2クール目の劇場版として売り出された作品で、本作『沈黙のパレード』のエンドロールで映像は流れるものの本作との関係性は薄いので特に観なくても問題はないです。

が、湯川が科学者だけでなく人間として他人とコミュニケーションを取る姿は本作『沈黙のパレード』にも繋がる部分ではあると思います。
『真夏の方程式』自体も愛と罪をテーマにした切ない物語であることは確かなので、これを機に未鑑賞の方は観てみるのもいいのではないでしょうか。


終わりに

ということで、『容疑者Xの献身』は越えられなかったがひとつの映画としても、TVドラマシリーズものの延長としても楽しめる作品でした。

個人的には
『容疑者Xの献身』、『沈黙のパレード』、『真夏の方程式』
の順番で好きです。

最後までお読みいただいた方、ありがとうございました。




(C)2022「沈黙のパレード」製作委員会


"最悪の奇跡"は何度も起こる(『NOPE ノープ』ネタバレ考察)

目次




初めに

どうも、レクです。
ジョーダン・ピール監督の長編映画とあらば…と久しぶりに考察ブログを書かせていただきました。

ということで、今回は『NOPE ノープ』について語っております。



※この記事はネタバレを含みますので、未鑑賞の方はご注意ください。



作品概要


原題︰Nope
製作年︰2022年
製作国︰アメリカ
配給︰東宝東和
上映時間︰131分
映倫区分︰G


解説

「ゲット・アウト」「アス」で高い評価を受けるジョーダン・ピールの長編監督第3作。広大な田舎町の空に突如現れた不気味な飛行物体をめぐり、謎の解明のため動画撮影を試みる兄妹がたどる運命を描いた。
田舎町で広大な敷地の牧場を経営し、生計を立てているヘイウッド家。ある日、長男OJが家業をサボって町に繰り出す妹エメラルドにうんざりしていたところ、突然空から異物が降り注いでくる。その謎の現象が止んだかと思うと、直前まで会話していた父親が息絶えていた。長男は、父親の不可解な死の直前に、雲に覆われた巨大な飛行物体のようなものを目撃したことを妹に明かす。兄妹はその飛行物体の存在を収めた動画を撮影すればネットでバズるはずだと、飛行物体の撮影に挑むが、そんな彼らに想像を絶する事態が待ち受けていた。
「ゲット・アウト」でもピール監督とタッグを組んだダニエル・カルーヤが兄OJ、「ハスラーズ」のキキ・パーマーが妹エメラルドを演じるほか、「ミナリ」のスティーブン・ユァンが共演。
NOPE ノープ : 作品情報 - 映画.comより引用





感想

まずはTwitterの感想から。



『ゲット・アウト』や『アス』と比較すると少しパンチが弱く感じましたが、鑑賞中は楽しく観ることができました。



考察

本作『NOPE ノープ』がジョーダン・ピールの長編監督3作目ということで、まずはジョーダン・ピール監督の作家性について過去2作の言及とともに考察に入っていこうと思います。



・ジョーダン・ピール監督の作家性

『ゲット・アウト』でアカデミー賞脚本賞を受賞した彼のフィルモグラフィーから見てもそれは明らか。

ジョーダン・ピールの作家性とはズバリ
人種差別や偏見をテーマとした創作物を介して、その顕在意識を利用し我々観客の潜在的な差別意識を炙り出す。

これだと思います。



『ゲット・アウト』では、人間の意識の奥底にある偏見や差別意識を呼び起こす秀逸な脚本力。


『アス』では、娯楽の中でアファーマティブ・アクションから表面化する偏見や差別意識と黒人の歴史を結びつけるメッセージ性の強さ。



では、本作『NOPE ノープ』ではどうか。
簡単に纏めると・・・

無自覚さによる身近な差別意識と視線の攻撃性を可視化した演出力。


昨今、特に差別意識について言及されてきている社会情勢の中で、ジョーダン・ピール監督は流石だなと唸らせる新たなホラー演出で我々観客の持つ差別意識を可視化させる。

『ゲット・アウト』ではサスペンスの枠組みで、『アス』ではスリラーの枠組みで表面化してきた差別意識を、本作『NOPE』ではサイエンス・フィクションの枠組みでやり遂げています。

尚且つスケールは大きく、映画愛を感じさせる描写も多々ありました。



・聖書の引用

冒頭で引用される1節。

旧約聖書のナホム書3章6節
「わたしは汚らわしい物を、あなたの上に投げかけて、あなたをはずかしめ、あなたを見ものとする」

この汚らわしいものとは傲慢な人間に対する神の審判、癒えない傷の象徴でもある。


癒えない傷=見世物の惨劇

つまりは、シットコム『ゴーディ 家に帰る』で人間たちが支配下に置いていたチンパンジーの暴走。
ドラマ撮影のある日、ゴーディ役のチンパンジーが風船の破裂音に驚いてその場にいた人間を襲い始めた事件。

その惨劇の場で靴が直立する"最悪の奇跡"。
これこそ、傲慢な人間に対する神の審判である。



当時、子役として活躍していたジュープは子役時代に出演した西部劇を再現したジュピター・パークを経営。
UAP(未確認航空現象)の存在に気付いた彼は、それを見世物にしてショーを開催する。
彼は過去に暴走したチンパンジーを見ていたはずなのに、大人になっても同じことを繰り返してしまう。

そんな傲慢な人間を飲み込む神の審判がUAPであるGジャン。
そして
Gジャンの起こした"最悪の奇跡"によってOJが父親を亡くしてしまう。


ナホム書3章19節
「あなたの傷は、いやされない。あなたの打ち傷は、いやしがたい。あなたのうわさを聞く者はみな、あなたに向かって手をたたく。だれもかれも、あなたに絶えずいじめられていたからだ。」

傷であれば癒えるはずですが、神は審判として癒えない傷を与えられます。
そしてその姿を見て「手をたたく」者たちがいます。
これはあざ笑って、喜んでいる姿です。
理由は、「だれもかれも、あなたに絶えずいじめられていたからだ。」であります。


序盤でもCM撮影の際に撮影スタッフの行動が原因で馬が暴れてしまうシーンがあったと思いますが、これもまたゴーディやGジャンと繋がる視線や人間の支配が絡んだ描写となっていますね。

OJとエム、ヘイウッド兄妹がGジャンを撮影して一攫千金を狙おうとしたこともまた、人間の支配下に動物を置くことの警鐘とも取れる。
ドキュメンタリー映画監督がフィルム撮影でGジャンを捉えようとする点も然り。

ハリウッドの映画業界でも常に搾取されてきた犠牲者は有色人種及び動物たちである。
ジョーダン・ピール監督は昔も今も、人間の本質というものは何も変わっていないということが言いたいのだろうか。



本作『NOPE』では主に動物視点で章立てられています。

ひとつはOJの飼っている馬たち。
チンパンジーのゴーディ。
そしてUAPのGジャン。


旧約聖書において馬の登場は129回にも及びます。
新約聖書においては17回。
そして、その殆どが戦争に関わること。

例えば

出エジプト記14章23節
「エジプトびとは追ってきて、パロのすべての馬と戦車と騎兵とは、彼らのあとについて海の中にはいった。」

ユダヤ人を追いつめたのは馬に乗った騎兵です。

また、黙示録6章では白い馬、赤い馬、黒い馬、青白い馬の4頭が登場し、神様の裁きとそれがもたらす戦争を意味しています。
馬は古来より戦争のための機動力として使われてきた戦いの道具なんです。

GジャンというUAPに立ち向かう主人公OJがラッキーという馬に跨り対峙するシーンが印象的です。
本作『NOPE』自体が西部劇的な要素を帯びていることと、それを黒人のカウボーイでやってのけたこともまた、ハリウッド映画を介した黒人差別という構造の批判になっていると思います。





・原題『NOPE』の意味とGジャンの存在

否定の返事をする時に言う「NO」の代わりに使われるスラングでもあって、元々は「NO」を強調させるために「NOPE」と言ったのが始まりということもあって、強い否定を示す言葉である。

「NOPE」(ありえない)という意味から
あのUAP(未確認航空現象)であるGジャンも、そんなことはないと言い切れる差別意識の無自覚さ(マイクロアグレッション)のメタファーとも考えられます。

マイクロアグレッションとは、1970年にアメリカの精神医学者であるチェスター・ピアスによって提唱された意図的か否かに関わらず言動に現れる偏見や差別に基づく見下しや侮辱、否定的な態度のことを指します。


また、マイクロアグレッションはジェンダー、性的指向、人種など様々な場面で表面化してくるマジョリティ視点の無自覚さにあると思っていて。

問題なのは、場合によっては善意という形をとって晒される攻撃性が伝わってくることもあるということ。
例えば、在日韓国人の方に対する「日本語が上手いですね」などの言葉にあたる。



特に、劇中ではマイクロインサルト(小さな侮辱)による無意識な差別が目立つように思う。

恐らくは、アジア系アメリカ人のジュープもこういった差別を子役の頃から受けていたかもしれない。

ここで面白いのが、電気屋の店員とドキュメンタリー映画監督の白人男性が2名がヘイウッド兄妹側に付くこと。
この2人は"Gジャンを視認したこと=差別意識に気づいた"とも受け取れます。


他にも、ハリウッドで唯一、黒人の調教師が経営している牧場。
有色人種であるOJと馬の調教の技量を比較される。


序盤にエムが語ったエドワード・マイブリッジの疾走する馬の連続撮影もそうです。

連続写真を見たトーマス・エジソンは大いに触発され、後に映写機キネトスコープを発明。
これがシネマトグラフに繋がり、"映画"が誕生することになる。
乗馬していた黒人には注目されなかったとありましたが、本作『NOPE』ではその乗馬していた無名の黒人の子孫がOJとエム、ヘイウッド兄妹ということになってます。



このような差別意識に晒されてきた者たちにとって視線を合わせることによる攻撃性は差別意識そのものと言える。

大空のもと、たくさんの雲の中に紛れたGジャンを目に見えない(無自覚の)差別意識とした場合
視認、知覚することで意識し始めるのもまた差別意識そのもの。

Gジャンの弱点でもあるレインボーフラッグ。
これは1978年に「サンフランシスコ・ゲイ・フリーダム・デイ・パレード」で使われ始めたLGBTの尊厳と、社会運動のシンボルとして作られた旗とリンクすることから、やはり差別意識そのものの象徴と考えられる。



こうした特定したり認識したりすることが難しくなってきている差別と偏見を視認、知覚すること。
加えて、それほど否定したくなるもの(「NOPE」)から目を背ける(或いは目を向ける、更には人目に晒される)という構図は目に見えない差別意識に対する強いメッセージとして感じ取りました。

そう、OJやエムがGジャンと対峙すること。
そして、ドキュメンタリー映画監督による映画撮影すること。
この見る(撮る)という攻撃性のある行動自体の意味がここで裏返る。

ジョーダン・ピール監督が本作『NOPE』をサイエンス・フィクションで描いた理由がここにあります。
謂わば『未知なる遭遇』。

これこそ、目を背けないこと。
つまり"視認、知覚する=差別意識の認識"という構図に展開されていくわけですね。



終わりに

サクッと語ってきましたジョーダン・ピール監督長編3作目『NOPE』。
如何でしたか?

個人的には『ゲット・アウト』、『アス』の過去2作を超えてくるものではありませんでしたが、娯楽に振り切りながらもコメディアンらしくしっかりとジョーダン・ピールの作家性は反映された作品に仕上がっていたかなあと思います。

演出力は申し分ないですが、もう少しホラー色は強めても良かったのではないかと思うくらいには物足りなさもありますが。



最後までお読みいただいた方、ありがとうございました。





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揺れる渋谷と愛のバクダン(『名探偵コナン ハロウィンの花嫁』ネタバレ感想)

目次




初めに

どうもレクです。
今回は『名探偵コナン ハロウィンの花嫁』について語っています。

映画『ハロウィンの花嫁』の事件の概要及び物語に関するネタバレ、名探偵コナンの原作コミックス、及び前作までの劇場版名探偵コナンのネタバレは含みます。

未読、未鑑賞の方はご注意ください。



作品概要


製作年︰2022年
製作国︰日本
配給︰東宝
上映時間︰110分
映倫区分︰G



解説

青山剛昌原作の大ヒットシリーズ「名探偵コナン」の劇場版25作目。ハロウィンシーズンの東京・渋谷。コナンたち招待客に見守られながら、警視庁の佐藤刑事と高木刑事の結婚式が執り行われていたが、そこに暴漢が乱入。佐藤を守ろうとした高木がケガを負ってしまう。高木は無事だったが、佐藤には、3年前の連続爆破事件で思いを寄せていた松田刑事が殉職してしまった際に見えた死神のイメージが、高木に重なって見えた。一方、同じころ、その連続爆破事件の犯人が脱獄。公安警察の降谷零(安室透)が、同期である松田を葬った因縁の相手でもある相手を追い詰める。しかし、そこへ突然現れた謎の人物によって首輪型の爆弾をつけられてしまう。爆弾解除のため安室と会ったコナンは、今は亡き警察学校時代の同期メンバー達と、正体不明の仮装爆弾犯「プラーミャ」との間で起こった過去の事件の話を聞くが……。降谷零と、すでに殉職している松田陣平、萩原研二、伊達航、諸伏景光の4人を含めた、通称「警察学校組」と呼ばれる5人がストーリーの鍵を握る。
名探偵コナン ハロウィンの花嫁 : 作品情報 - 映画.comより引用




本作を観る前に

前作に続き、劇場版名探偵コナンは原作コミックスの知識が前提の物語となっていることは否定できません。
とはいえ、何十年も続いている原作コミックやアニメの中で数話のエピソードしか出てきていない警察学校組の話は、ある意味で名探偵コナン初心者でも追える物語でもあります。

ただし、24作目『緋色の弾丸』同様、キャラクタームービーとして作られているのは変わらないので、多少の予備知識は必要ではあります。


ということで、僕なりに本作『ハロウィンの花嫁』を十二分に楽しむためのエピソードを纏めてみました。

原作及びアニメファンの方もどの話を復習すればいいのか?の目安になれば幸いです。





警視庁

・佐藤美和子
警視庁刑事部捜査第一課強行犯捜査三係の警部補

元捜査第一課強行犯捜査三係の警部、父の佐藤 正義は物語開始の18年前に逃走する犯人を追跡中にトラックにはねられ殉職。
この事件は「愁思郎事件」と呼ばれている。

4作目『瞳の中の暗殺者』で初登場。

3年前に爆弾事件で殉職した同僚、松田陣平(後述)に想いを寄せていたが同一犯によって起こった事件を解決後、高木渉と急接近して恋人同士へ。
この3年前の事件を描いたのが『揺れる警視庁 1200万人の人質』。
本作『ハロウィンの花嫁』を観る上ではマストの回と言えます。

この時、佐藤刑事は松田刑事の背後や高木刑事の背後に死神を見たと言っています。
これは本作『ハロウィンの花嫁』でも現れる。

伊達航が交通事故で死亡したことで自殺した彼女のナタリー。
その彼女と親しかった老人がナタリーは捨てられたと思い込み、敵討ちのため同じ名前である「わたる」から高木刑事がその相手だと勘違いして拘束した事件を佐藤刑事が解決している。



・高木渉
警視庁刑事部捜査第一課強行犯捜査三係の刑事を務める巡査部長

1年前までは3歳上の先輩.伊達航(後述)とコンビを組んでおり、一課内では2人の名前の読みが同じことから「ワタル・ブラザーズ」と呼ばれていた。
高木刑事が普段使っている黒い手帳は、伊達の遺品。

劇場版では原作初登場エピソード放送後の3作目『世紀末の魔術師』で初登場。
6作目『ベイカー街の亡霊』、19作目『業火の向日葵』、21作目『から紅の恋歌』、23作目『紺青の拳』以外、すべてに登場している。

『本庁の刑事恋物語』シリーズで2歳年上の佐藤美和子刑事との恋愛模様が描かれる。
また、「愁思郎事件」を解決している。



本庁の刑事恋物語 (漫画21巻 アニメ146~147話)
本庁の刑事恋物語2 (漫画23~24巻 アニメ156~157話)
本庁の刑事恋物語3 (漫画27巻 アニメ205~206話)
本庁の刑事恋物語4 (漫画32~33巻 アニメ253~254話)
本庁の刑事恋物語5 (漫画40巻 アニメ358~359話)
本庁の刑事恋物語6 (漫画44巻 アニメ390~391話)
本庁の刑事恋物語7 (漫画50巻 アニメ431~432話)
本庁の刑事恋物語 偽りのウェディング (漫画52巻 アニメ449話)
本庁の刑事恋物語8 左手の薬指 (漫画56巻 アニメ487話)
本庁の刑事恋物語(告白) (漫画82巻 アニメ748話)
本庁の刑事恋物語(真相) (漫画82巻 アニメ749話)

揺れる警視庁 1200万人の人質 (漫画36~37巻 アニメ304話)





警察学校組

・降谷零(安室透) 画像の右から2番目

人物については22作目『ゼロの執行人』に記載。

初登場回は漫画FILE793 「プライベートアイ」
アニメは「ウェディングイブ」でコナンと接触してくる。



・松田陣平 画像の左から2番目
警視庁警備部機動隊爆発物処理班員
警視庁刑事部捜査一課強行犯捜査三係刑事

警備部機動隊爆発物処理班にいたが、7年前に親友の萩原研二が爆発処理中に殉職。
その後、自身も観覧車に仕掛けられた爆弾を解体中に殉職。
本来なら解体できたが、次の暗号を手に入れるために犠牲となる。
死ぬ直前、佐藤刑事にメールで告白する。


20作目『純黒の悪夢』では、降谷零(安室透)の警察学校時代の友人だったことが明かされました。

初登場回は漫画File 366 「丸見え埠頭の惨劇」
アニメでは「揺れる警視庁 1200万人の人質」がマスト。



・萩原研二 画像の右端
警視庁警備部機動隊爆発物処理班員

松田陣平とは同僚で親友。
7年前に発生した、ふたつの場所に爆弾が仕掛けられた爆弾事件で松田と萩原が解体を担当。
松田は成功させるも、萩原は間に合わず殉職。


初登場回は漫画File 1021「遺品」
アニメ「命を賭けた恋愛中継」



・伊達航 画像の真ん中
警視庁刑事部捜査一課強行犯捜査三係刑事

老け顔だが歳は佐藤刑事のひとつ上。
高木刑事の教育係を務め、高木刑事は伊達を尊敬していた。
大切な手帳を落として拾おうとしたところ、居眠り運転の車に轢かれて死亡。

初登場回は漫画File 804「高木刑事からの贈り物」
アニメ「命を賭けた恋愛中継」



・諸伏景光 画像の左端
警視庁公安部警察官
黒の組織のメンバー(スコッチ)

長野県警の警部諸伏高明の実弟。
少年時代に両親を殺害され、東京の親戚に引き取られる。

公安時代、降谷零(安室透)と共に黒の組織へ潜入捜査を行う。
組織内では狙撃手として、同時期にFBIから潜入していた赤井と3人で共に行動していた。
後に正体が露見したことで赤井に追い詰められ、赤井秀一から奪った拳銃で胸ポケットに入った自身の携帯電話ごと心臓を撃ち抜き自殺。
降谷はこの一件に関する誤解が原因で赤井を憎んでいる。
コナンもまだこの事実を知らない。


初登場回は漫画File 937 「消された手がかり」
アニメ「仲の悪いガールズバンド」



原作コミック101巻(現時点で)の中にも登場しますが、基本的にはこの「警察学校編」の上下巻を読んでいれば本作の内容の補完にはなると思います。


ネタバレ感想

さてさて、本作『ハロウィンの花嫁』の重要なポイントを簡単に纏めてみます。


今回の事件は3年前の松田、萩原が殉職した爆破事件の犯人が脱獄したところから始まる。
それを追う安室透が犯人を追い詰めるも脱獄犯が爆死。
黒幕の手によって安室の首に爆弾が付けられた。

この黒幕が世界中で爆破テロ事件を起こしている爆弾魔(通称プラーミャ)らしく、どうやら3年前の松田刑事が殉職する前日、警察学校組が携わった事件(公安により事件は渋谷ガス爆発事故として処理されている)と大きく関わっているようで。


一方で、目暮警部の同期である村中努が脅迫状を受けながら、フランス人の恋人クリスティーヌ・リシャールと結婚することが決まり、警察は警護につく。
高木刑事と佐藤刑事が結婚か!?と思っていたら、警護の予行練習で、「あ、そういうことね」となりました(笑)

そして、警視庁前で外国人が爆死する事件が発生。
巻き込まれた灰原哀、それを庇った毛利小五郎が負傷。
おっちゃんはコナンに麻酔銃で眠らされ続けたことで麻酔に耐性がついてしまって、事故後の麻酔が効かずに痛がるところがハイライト(笑)


その爆死した外国人は、安室の首に爆弾を取り付けたプラーミャを追うロシアの民間組織「ナーダ・ウニチトージティ」の一員であることが判明。
爆弾魔の被害者家族で構成されたナーダ・ウニチトージティのトップがエレニカ・ラブレンチエワ(CV:白石麻衣)。
ロシア人の話す日本語ということで、カタコトの日本語と思えば吹き替えの下手さはあまり気にならず。


3年前、萩原の墓参りで集まった警察学校組の4人。
墓参りの後に起こった爆破事件で、降谷と松田が乗り込み、伊達と諸伏の助太刀もあったがプラーミャを逃してしまう。
降谷の助太刀に入った諸伏の銃弾によってプラーミャは右肩を負傷した。

松田が爆発を止めたという事実がナーダ・ウニチトージティの調べでわかり、千葉刑事を人質に松田の協力を願うが…松田刑事はその後に殉職しているので高木刑事が変装をすることに。
この高木刑事が変装すると松田刑事にそっくりだというのはテレビシリーズを観ているとわかるファンサービスにもなっていますね。

プラーミャは右肩を負傷していたことから、過去に村中努が右肩を負傷して通院していたことが明かされて犯人フラグが立ったんですが、実は真犯人は…という流れでした。





ミステリーとしては犯人に辿り着くための情報が少なくてアンフェアではあるが、トリックは拗らせたものでも力技でもなく勘で大凡の予想はついてしまう。
例えば、ゲストキャラが少ないことやあからさまなフラグを立てるところなど。

そういった点からも謎解きとしてではなく、あくまで『劇場版 名探偵コナン』として面白かったと思います。



前作である24作目『緋色の弾丸』のポストクレジットで次回作は警察学校組の話だと明かされ、キャラムービーとして観客の間口を更に狭めてしまうことになるのでは?と危惧していました。

というのも、これまでの『劇場版 名探偵コナン』は原作を知らなくても映画として楽しめるものとなってました。

しかし、『緋色の弾丸』は特異で、赤井一家のことを知らなければ物語についていけない間口の狭い物語となっていたこともあり、『緋色の不在証明』というTVスペシャルでいいだろという最悪なダイジェストの内容の映画が公開されました。

そういう意味でも、本作『ハロウィンの花嫁』は原作漫画やアニメを観ていなくても、これ一作で成り立っているので従来の『劇場版 名探偵コナン』になっていると言える。

それに加えて、高木刑事と佐藤刑事の関係性や警察学校組のことを踏まえた上で原作漫画やアニメを観ている人にとっても楽しめる物語となっていたのは流石。

物語の導線にキャラの説明を挟むことで、合理的にストーリーを展開していきます。
難しすぎない話なので、子どもたちにも少し優しめの設計になっていることは本作『ハロウィンの花嫁』のメリットだと思います。





過去の劇場版名探偵コナンの記事でも何度も語っている自論"名探偵コナン"とは何たるか。についてですが改めて語りましょう。

原作漫画『名探偵コナン』では新一と蘭、平次と和葉、園子と京極…など様々なラブコメが描かれています(青山剛昌先生がラブコメ大好き)。

極論ですが、自分は『名探偵コナン』はラブコメありき、寧ろラブコメのない『名探偵コナン』は『名探偵コナン』ではないと思ってます。

これ、毎回言ってるんですが
本作『ハロウィンの花嫁』はというと

ラブコメ最高っ!!!


そう考えると21作目『から紅の恋歌』はとんでもないラブコメだったなと改めて痛感しています。
平次と和葉の恋模様を主軸に描きながら、新一と蘭の恋愛模様を進展させる落とし所をつけた素晴らしさ。

直近だと23作目『紺青の拳』でも言えます。
映画としては怪盗キッドが出てくる物語なのでミステリーというよりはアクション過多、評価としても下がってしまうのですが、ラブコメという点においては素晴らしいんですよね。
園子と京極さんの恋模様にキッドという邪魔が入ることで熱が上がる。
そして、その二人とは別に新一と蘭の恋模様を描くことにも成功していました。


この『から紅の恋歌』と『紺青の拳』の脚本家・大倉崇裕さんが本作『ハロウィンの花嫁』を担当されていたことを後から知りました。
『劇場版 名探偵コナン』のラブコメにおいては、大倉崇裕さんの脚本が一番好きかもしれない。



本作『ハロウィンの花嫁』に新一と蘭のラブコメ要素が一切なかったのは不満点の一つではありますが、それ以上に高木刑事と佐藤刑事の色恋沙汰が見れたので良かったです。

特に松田刑事の殉職含め過去の話と絡ませることで、過去から今へ、現在から未来へと歩み進めることを描きやすくなるんですよね。
原作漫画やアニメで、松田刑事が殉職した事件を経て佐藤刑事は松田刑事から送られていた最後のメールを削除するシーンがあったと思います。

これは形として残すのではなく記憶の中にしまっておくことを表していて
高木渉「ダメですよ…忘れちゃ…それが大切な思い出なら、忘れちゃダメです… 人は死んだら、人の思い出の中でしか生きられないんですから」
この名言の体現でもあるんですよね。



また、降谷零(安室透)が警察学校組の言葉を受けて今があるといった描写も素敵で。
同期4人を亡くし、ただひとり残された降谷はしっかりと彼らと共に生き続けているんだと思わされる。

松田刑事の殉職は一先ず置いておいて、こういう過去の交際相手や好きになった人、大切な人のことが忘れられないという経験は誰にでもあると思うんです。


佐藤刑事は当然のこと、高木刑事もそう、村中さんもそう、ナーダ・ウニチトージティのメンバーもそう。

忘れられない経験を普遍的な恋愛や家族愛に落とし込み、尚且つ本作『ハロウィンの花嫁』は過去を忘れられないことを肯定しつつ前に踏み出す勇気をくれる映画でもあるんですよね。




終わりに

現時点では原作コミックスは101巻が発売されています。
前巻100巻ではRUMの正体が判明していよいよ佳境に差し掛かったところで話は少し停滞しましたが。
この警察学校組と関係のある方も登場しているので今後もまだ警察学校組と物語が絡むことはありそうですね。


そして、エンドロール後の次回作のヒントですが
黒ずくめの組織の彼の声が…。

5作目『天国へのカウントダウン』
13作目『漆黒の追跡者』
18作目『異次元の狙撃手』
20作目『純黒の悪夢』
22作目『ゼロの執行人』
24作目『緋色の弾丸』

黒ずくめの組織絡みの映画は過去に6作品あるので、7作品目になりそうですね。

劇場版は怪盗キッド登場の作品と黒ずくめの組織絡みの物語はあまり好みではないことが多いので不安もありますが、来年また観たあとでブログを書くことにします(笑)



最後までお読みくださった方、ありがとうございました。




(C)2022 青山剛昌/名探偵コナン製作委員会


破壊と創造(『TITANE チタン』ネタバレ考察)

目次




初めに

どうも、レクです。
鑑賞してから少し時間が経ってしまいましたが
今回は『RAW 少女のめざめ』で衝撃的な長編デビューを飾ったジュリア・デュクルノー監督の長編2作目『TITANE チタン』について語っています。


※この記事はネタバレを含みますので、未鑑賞の方はご注意ください。



作品概要

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原題︰Titane
製作年︰2021年
製作国︰フランス・ベルギー合作
配給︰ギャガ
上映時間︰108分
映倫区分︰R15+


解説

「RAW 少女のめざめ」で鮮烈なデビューを飾ったフランスのジュリア・デュクルノー監督の長編第2作。頭にチタンを埋め込まれた主人公がたどる数奇な運命を描き、2021年・第74回カンヌ国際映画祭で最高賞のパルムドールに輝いた。幼少時に交通事故に遭い、頭蓋骨にチタンプレートを埋め込まれたアレクシア。それ以来、彼女は車に対して異常なほどの執着心を抱き、危険な衝動に駆られるようになってしまう。自身の犯した罪により行き場を失ったアレクシアは、消防士ヴィンセントと出会う。ヴィンセントは10年前に息子が行方不明となり、現在はひとり孤独に暮らしていた。2人は奇妙な共同生活を始めるが、アレクシアの体には重大な秘密があった。ヴィンセント役に「ティエリー・トグルドーの憂鬱」のバンサン・ランドン。
TITANE チタン : 作品情報 - 映画.comより引用





感想

まずはTwitterに上げた感想から。


本作『TITANE チタン』の監督ジュリア・デュクルノー、長編2作目ということで楽しみにしてましたが、素晴らしいですね!

この映画で、第74回カンヌ国際映画祭でパルムドール賞を受賞。
女性監督作品の受賞は28年ぶり2度目ということで話題にもなっていました。


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自動車事故から性的倒錯を覚える主人公ということに加えてカンヌでパルムドールを獲得したこともあって、カンヌで審査員特別賞を獲得したデヴィッド・クローネンバーグ監督作品『クラッシュ』を彷彿とさせる。といった前情報は入ってました。

しかし、いざフタを開けてみたらびっくり!
クローネンバーグ『クラッシュ』だけではないリスペクトに、ジュリア・デュクルノー監督のクローネンバーグ愛を感じるではありませんか(笑)

ということで、前作『RAW 少女のめざめ』とクローネンバーグ作品に絡めた考察をしていきたいと思います。



考察

ジュリア・デュクルノー監督の長編デビュー作品『RAW 少女のめざめ』は本作『TITANE チタン』とある共通点を持つ。
それは、アレクシア、ジュスティーヌ、アドリアンと登場人物の名前が同じであること。

『RAW 少女のめざめ』の考察はこちら。

4年前の考察記事ということもあって纏まりのない拙い文章となっていることをはじめにお詫び申し上げます。

『RAW 少女のめざめ』の考察記事でも記述しています『不幸の美徳』は本作『TITANE チタン』を紐解く上でも重要であると考えます。

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ジュスティーヌあるいは美徳の不幸の挿絵

『美徳の不幸』 (Les Infortunes de la Vertu)
サド侯爵 (Marquis de Sade) が1787年に著した小説である。のちに大幅な加筆修正が施され、『ジュスティーヌあるいは美徳の不幸』 (Justine ou les Malheurs de la Vertu) 、さらに『新ジュスティーヌ』 (Nouvelle Justine) として出版された。『悪徳の栄え』と対を成す作品である。


宗教的美徳に逆らい、数々の辛酸を嘗め、罪を重ねることにより、自我が芽生える。

アレクシアはジュスティーヌと交わり、それを壊すことで自分というものを創り上げ、自身を認識しようとしているように見えました。


『RAW 少女のめざめ』では主に三大欲求七つの大罪を交えて考察しました。

本作『TITANE チタン』では、その三大欲求のひとつでもある性欲と、キリスト教のを綴ることで、より踏み込んだ作品となっているように感じます。





本作『TITANE チタン』では、ギリシア神話やキリスト教のメタファーが散りばめられています。

例えば、本作のタイトル『TITANE チタン』の語源ともなったギリシア神話に登場する神の名はティーターン
豪華客船タイタニック号の語源でもあるタイタン(巨大な)という意味や、強靭で耐久性のあることから名付けられた元素チタンなどがありますが

ティーターンはギリシア神話における地球最初の子。
つまり、物語を最後まで観ると分かると思いますが、タイトルの『TITANE チタン』とは主人公であるアレクシアのことでも頭に埋め込まれたプレートのことでもなく、頭にプレートを埋め込まれた主人公アレクシアが身篭った子を指す言葉なんですよね。



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また、連続殺人事件を起こして放火までし、逃げ場を失ったアレクシアが行方不明の男性に成りすまし、消防士ヴィンセントの息子として彼に近づく。

火というのは昔から信仰などで使われてきました。
不浄なものを焼き払う意味や、生きる上で必要不可欠である一方で人を死に至らしめる恐ろしい存在でもある。

旧約聖書では火は導くものとされる。
出エジプト記 13章21節
「主は彼らの先を歩まれ、昼も夜も歩めるよう、昼は雲の柱によって彼らを導き、夜は火の柱によって彼らを照らされた。」


本作『TITANE チタン』においては、金属のように冷たく頑丈なアレクシアの心を溶かし、熱を帯びさせる役目も担っているとも考えられます。
これは息子を失ったヴィンセントの息子への愛であり、父親から愛されなかったアレクシアの父親への愛でもある。



キリスト教における愛は大きく分けて3つ。

エロース(Eros)
世間一般では性的なものとして用いられています。
求めたり欲したりするイメージで、自己中心的な愛とされます。

フィリア(Philia)
愛情にあふれた配慮や友情を意味しますが、家族や関係のある人々に対しても友愛は成立します。

アガペー(Agape)
無償の愛。
キリスト教における神が私たちに愛を与えるように見返りを求めないもの。
自分から与えるという点においては、エロースと対照的な愛とも見れます。


本作『TITANE チタン』はこのキリスト教における3つの愛を巡り、アガペーへと辿り着く愛を痛々しいほど感じられる作品だと言えるのではないでしょうか。





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本作『TITANE チタン』の主人公アレクシア。
幼少期の自動車事故によって頭にチタンプレートを埋め込まれ、成長した彼女は自動車と愛を交わす。

この性行為だけに焦点を絞れば、デヴィッド・クローネンバーグの『クラッシュ』を連想するのも無理はない。

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「ザ・フライ」「裸のランチ」などで知られるカナダの鬼才デビッド・クローネンバーグ監督がイギリスのSF作家J・G・バラードの小説を映画化し、第49回カンヌ国際映画祭で審査委員特別賞を受賞した作品。自動車事故をきっかけに倒錯的セックスにのめりこむようになった男女の姿を描き、過激な性描写などで賛否両論を巻き起こした。倦怠期にあったジェームズと妻キャサリンはハイウェイで衝突事故を起こす。やがてジェームズはその事故で夫を亡くしたヘレンと再会。事故の瞬間にエクスタシーを感じ、それを忘れられなかったジェームズはヘレンとセックスをし、さらに自動車事故で性的快感を得た者たちによる集会に参加することに。その指導者的存在の男ボーンはジェームズとキャサリンをさらなる官能の世界に導いていくが……。主人公ジェームズ役に「セックスと嘘とビデオテープ」のジェームズ・スペイダー、ヘレン役に「ピアノ・レッスン」のホリー・ハンター。
クラッシュ(1996) : ポスター画像 - 映画.com

しかし、もっと相応しい映画が同じくデヴィッド・クローネンバーグ監督作品『ラビッド』です。

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オートバイ事故で重症を負った女性ローズは病院で皮膚の移植手術を受ける。やがて彼女の身に異変が。夜な夜な町をさ迷い歩き、わきの下から生えた突起物で抱きついた相手の血を吸っていたのだ。吸われた側にも同じ症状が現れ、被害は拡大。町は感染者であふれていくが……。「グリーンドア」で知られるハードコア女優マリリン・チェンバースを主演にすえたホラー。クローネンバーグ監督が性的なイメージを散りばめながら描く震撼の惨劇。
ラビッド(1977) : 作品情報 - 映画.com


交通事故による皮膚移植手術後に起こる体の異変と連続殺人。
『ラビッド』では、体に異変が生じた女性が、男性たちを次々に殺していく話。
あらすじだけでも概ね類似点は察しがつくと思われます。


そしてもうひとつの作品が『ザ・ブルード 怒りのメタファー』です。

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夫婦間や親子間の亀裂というテーマとともに、驚愕の科学実験が生んだ凄惨な恐怖を描いたデビッド・クローネンバーグ監督のホラー。幼少期に受けた虐待が原因で神経症を患うノラは医師ラグランの診療施設に入院する。しかしノラの夫フランクは彼女を隔離し面会させないラグランに不信感をいだく。一方、ラグランは人間の怒りを実体化する実験を行なっていた。ノラの体にできた腫瘍から異形の群れが現れ、やがて復讐を開始。ノラとフランクの娘キャンディスにも危険が迫る。
ザ・ブルード 怒りのメタファー : 作品情報 - 映画.com


本作『TITANE チタン』でも冒頭からの男性嫌悪の傾向から見ても、父親から虐待を受けていた可能性を示唆しています。

つまり、車に対する性愛も後半に消防士ヴィンセントと疑似家族のような親子愛を求めたのも、すべては幼少期の交通事故と父親から受けた虐待のトラウマからの克服である可能性が高い。



初期のデヴィッド・クローネンバーグ作品のボディホラー、主にグロやキモいと表現されるものに関して、僕個人が思う彼のテーマは虚構を介して現実を知ること
ないし、アイデンティティーを追求していくことでもあって、ホラー的な描写はその表現方法の一つにすぎない。

このデヴィッド・クローネンバーグの初期作品『ラビッド』及び『ザ・ブルード 怒りのメタファー』を本作『TITANE チタン』では監督ジュリア・デュクルノーが一度壊し、性欲という人間の欲求と愛、種の保存から再構築して創ったアレクシアという人間のアイデンティティーを巡る物語となっているように思います。


ただのオマージュ、模倣ではなく、デヴィッド・クローネンバーグ作品のメッセージをしっかりと受け止めた上で、自分なりに咀嚼して自分のものとして消化し、自身の作品に投影することができる。

愛を巡る物語でクローネンバーグ愛を語る。
この映画『TITANE チタン』で見せられたものこそジュリア・デュクルノー監督の手腕だと認めざるを得ない出来ではないだろうか。




終わりに

他にも言いたいことがあった気がしますが、ひとまずはこれにて。
万人受けするような映画ではなく、こういった尖った映画が評価されるのはとても喜ばしいことですね。

最後までお読みいただいた方、ありがとうございました。



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(C)KAZAK PRODUCTIONS - FRAKAS PRODUCTIONS - ARTE FRANCE CINEMA - VOO 2020


残酷且つ優しさに溢れる物語(『林檎とポラロイド』ネタバレ考察)

目次




初めに

どうも、レクです。
今回はブログに書こう書こうと思いつつ書くことさえ忘れて早2週間が経とうとしている僕が、記憶と記録をテーマに描かれた『林檎とポラロイド』について語っていこうと思います(笑)

※この記事はネタバレを含みますので、未鑑賞の方はご注意ください。



作品概要

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原題︰Mila
製作年︰2020年
製作国︰ギリシャ・ポーランド・スロベニア合作
配給︰ビターズ・エンド
上映時間︰90分
映倫区分︰G


解説

ギリシャの新鋭クリストス・ニクが長編初メガホンをとり、記憶喪失を引き起こす奇病が蔓延する世界を舞台に描いたドラマ。ある日突然記憶を失った男は、治療のための回復プログラム「新しい自分」に参加する。彼は毎日送られてくるカセットテープに吹き込まれた内容をもとに、自転車に乗る、仮装パーティで友だちをつくる、ホラー映画を観るなど様々なミッションをこなしていく。そんな中、男は同じく回復プログラムに参加する女と出会い、親しくなっていく。男が新しい日常に慣れてきた頃、彼はそれまで忘れていた、以前住んでいた番地をふと口にする。新しい思い出を作るためのミッションによって、男の過去が徐々にひも解かれていくが……。ケイト・ブランシェットが絶賛し、製作総指揮に名を連ねた。
林檎とポラロイド : 作品情報 - 映画.comより引用





感想

端的に、めちゃくちゃ好きだ!


第77回ヴェネチア国際映画祭オリゾンティ部門オープニング作品として選出されたクリストス・ニク監督デビュー作。

リチャード・リンクレイター監督作品『6才のボクが、大人になるまで。』、ヨルゴス・ランティモス監督作品『女王陛下のお気に入り』の助監督を務めたクリストス・ニク。
そこで培われた才能とユーモアなセンスを本作『林檎とポラロイド』では遺憾なく発揮しています。

次回作は本作同様にケイト・ブランシェットがプロデューサーとして携わり、キャリー・マリガン主演で製作が決定しています。
早くもハリウッド・デビューを果たす注目すべき監督。



本作『林檎とポラロイド』は
奇病の蔓延によって記憶を失くす人たちが続出する世界で、記憶を失くした主人公の男が病院から薦められた「新しい自分」プログラムに参加する。
自転車に乗れ、ホラー映画を見ろ、仮装パーティで友達を作れ、など毎日出される病院からの課題をこなしていく。

記憶喪失の主人公がこの治療を通して、自身を見つめ直していく物語となっています。


もう一度言いますが、この日常生活にクリストス・ニク監督のユーモアが溢れる演出が実に見事に溶け込んでるんですよね。

注射を嫌う主人公があからさまに注射を嫌がる姿がめちゃくちゃ可愛くて、そこからもう彼の虜ですよ(笑)

主人公が好む果実、林檎の演出にしてもそう。
住まいを与えられた主人公がテーブルに用意されたミカンには手を付けず林檎ばかりを食べたり。
果物屋で袋いっぱいの林檎を買いだめしたり。

また課題を与えられて記録するためのポラロイドカメラもいい。
過ごした日々の記録、新しい人生を切り取る一枚一枚にも飄々とした可笑しさが垣間見える。

こういった演出や語り口のひとつひとつに表情が緩む人も多いのでしょうか。
また暫くして観返したくなる、そんな映画でした。

次回作も楽しみな監督のひとりとなりましたね。




考察

さて、ここからは考察に入っていこうと思います。


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記憶喪失を引き起こす奇病の蔓延により、主人公のように記憶を失い、病院からプログラムを施されて課題をこなしポラロイドカメラを持ち歩く人々が他にも描かれています。

この物語は実にレトロなんですよね。
病院からの指示はすべてカセットテープ
課題をこなした証明はポラロイドカメラ
そして課題の一つ、映画鑑賞はリバイバル上映

流れる独特な空気感もとても心地よくて。
この昔のアイテムこそ、過去を懐かしむ現代の我々の記憶そのものを表しているんだと思います。


そして、課題の終盤では余命幾ばくかの病人に寄り添い、亡くなったら葬式に出て親族に近づけというとんでもない課題が与えられます。

この終盤の課題後、主人公はかつての自宅に帰ってきました。
自宅に残っていた林檎を食べます。
主人公は大切な妻を亡くしており、その妻の墓を訪れて花を添えます。



ここでふたつの見方ができるわけです。

ひとつは、「新しい自分」プログラムによって記憶が戻ってしまった男が、自身の抱える悲しみを受け入れた"喪失からの再生"
現代の憂い対するアンチテーゼとも受け取れる。

もうひとつが、元々記憶喪失ではなかった男が忘れようともがいた結果、忘れようとすることで自身の悲しみを受け取れた"喪失による再生"




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僕は鑑賞中に
「本当に主人公の男は記憶を失っていたのか?」
という疑問を持ちました。

結論として、個人の答えとしては「記憶を失っていなかった」です。
なので、考察もそちら側で進めていきます。


考察を進める上で面白いと思ったのが、クリストス・ニク監督は主演のアリス・セルヴェタリスに、撮影に入る前にミシェル・ゴンドリー監督作品『エターナル・サンシャイン』とピーター・ウィアー監督作品『トゥルーマン・ショー』を観るように言ったということ。

ともにジム・キャリー主演作で、クリストス・ニク監督が好きな俳優であることもあるのかもしれませんが、この2作は確かに本作『林檎とポラロイド』と深く関わっている気がします。

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ミシェル・ゴンドリー監督と「マルコヴィッチの穴」の脚本家チャーリー・カウフマンが、2001年製作の「ヒューマンネイチュア」に続いてタッグを組んだ奇想天外なラブストーリー。互いの存在を忘れるために記憶除去手術を受けたカップルの恋の行方を巧みな構成と独創的な映像表現で描き、2005年・第77回アカデミー賞で脚本賞を受賞した。バレンタイン直前にケンカ別れしたジョエルとクレメンタイン。ある日ジョエルは、クレメンタインが自分についての記憶をすべて消してしまったという手紙を受け取る。ショックを受けたジョエルは手紙の差出人ラクーナ社を訪れ、自らも彼女についての記憶を消すことを決意する。ジョエルを「トゥルーマン・ショー」のジム・キャリー、クレメンタインを「タイタニック」のケイト・ウィンスレットが演じ、「スパイダーマン」シリーズのキルステン・ダンスト、「ロード・オブ・ザ・リング」シリーズのイライジャ・ウッド、「ユー・キャン・カウント・オン・ミー」のマーク・ラファロが共演。
エターナル・サンシャイン : 作品情報 - 映画.com

『エターナル・サンシャイン』は消したい過去ほどその人にとって重要なものなのかもしれないというメッセージ性。
忘れようとすることで蘇ってくる記憶の数々、そこから本当の自分の気持ちに気付かされる。

設定は違えど、伝えたいことは本作『林檎とポラロイド』と合致しているように思う。

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人生のすべてをテレビのリアリティショーで生中継されていた男を描いたコメディドラマ。離島の町シーヘブンで生まれ育った男トゥルーマン。保険会社で働きながら、しっかり者の妻メリルと平穏な毎日を送る彼には、本人だけが知らない驚きの事実があった。実はトゥルーマンは生まれた時から毎日24時間すべてをテレビ番組「トゥルーマン・ショー」で生中継されており、彼が暮らす町は巨大なセット、住人も妻や親友に至るまで全員が俳優なのだ。自分が生きる世界に違和感を抱き始めた彼は、真実を突き止めようと奔走するが……。主人公トゥルーマンをジム・キャリー、番組プロデューサーをエド・ハリスが演じ、第56回ゴールデングローブ賞で主演男優賞と助演男優賞をそれぞれ受賞。「刑事ジョン・ブック 目撃者」のピーター・ウィアーが監督を務め、「ガタカ」のアンドリュー・ニコルが脚本を手がけた。
トゥルーマン・ショー : 作品情報 - 映画.com

『トゥルーマン・ショー』からは偽りの世界で生きていくということの難しさや滑稽さ、そして仮想現実からの脱却。
また、SNSの普及に伴う現代社会への皮肉。

記憶せずとも記憶媒体を使って安易に保存することができる現代で、レトロな世界観を構築し、記憶というものを題材とした点はやはり評価したい。




さて、本作『林檎とポラロイド』の内容に戻りますが
初めて林檎を買いに来た時の主人公のセリフを思い出してください。

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どこに住んでるのかと聞かれた主人公は、病院から提供された住所の番地を言い間違えます。
これは自分の自宅をこの段階で覚えていて、言い間違えたのではないか?

また、果物屋のオヤジに林檎は記憶力の保持に効くと聞いて、袋いっぱいに入れていた林檎を取り出し、手を付けなかったミカンを購入して帰ります。

記憶喪失になった人間が、記憶力を保つことをわざわざ避ける必要はありません。

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他にも、病院から酒を飲んで女性を誘いワンナイトラブをしろという課題を出された日だけ、酔っていて写真を撮り忘れたと言います。
これは撮り忘れたのではなく、課題をこなさなかったから。

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主人公は映画館でホラー映画を観るという課題を与えられた時、同じように課題をこなす記憶喪失の女性と出会っていました。

この女性との交流を通して、主人公は女性に奥手であるような描写が刷り込まれていたので、単に主人公がワンナイトラブを拒んだとも見れますが、実際には失くした妻のことを覚えていて罪悪感からそういった行為ができなかったとも見ることができます。



以上のことから、主人公は詐病だったのではないかと考えられるんです。

初めから記憶なんて失っていなかった。
そう、冒頭に自宅で自宅の壁に頭を打ち付ける姿。
そして流れるニュース。
妻を失くして絶望していた主人公が目にした、病院が実施している「新しい自分」プログラム。

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記憶喪失で病院に運ばれましたが、バスで記憶を失うシーンの前に男は花を買っています。
これが終盤の墓参りで供えられていた花束。

つまり、主人公の男が葛藤する時間、墓参りから墓参りという悲しみに囚われた時間の中での出来事に集約されているんですよね。

妻を亡くしたという受け入れ難い現実から逃げるために、世界で蔓延する奇病、記憶喪失になってしまったように振る舞ったのではないか?と。



人は悲しいぐらい忘れてゆく生きものと某アーティストも歌うように記憶とは改竄がされるものです。

一方で、人間は忘れようとするほど深く記憶に残ってしまう生き物です。
これは心理学ではアイロニック・プロセス・セオリーと呼ばれています。


心理学では有名なシロクマ実験というものがあります。

3つのグループに分けてシロクマの映像を流し、それぞれに次のようなお願いをしました。

Aグループ:「シロクマのことを覚えておいてください」
Bグループ:「シロクマのことを考えても考えなくてもいいです」
Cグループ:「シロクマのことは絶対に考えないでください」

その後に調査したところ、白熊の映像を鮮明に覚えていたのはCグループの人たち。

「覚えていてください」と言われた人よりも、「考えないでください」と言われたCグループの方が覚えているという結果が出たんですね。


忘れるということは、思考を統制しようとすること。
それが却って反復し、記憶に深く刻まれてしまうんです。

皮肉理論と呼ばれているくらい皮肉ですよね(笑)





皆さんは、上書きしたい過去の出来事はありますか?
忘れてしまいたいほど悲しい出来事はありますか?

本作『林檎とポラロイド』は、林檎という"記憶"の象徴とポラロイドという"記録"の象徴をキーアイテムとした"喪失からの再生"と"喪失による再生"を描いている。

含みを持たせて細部まで明かさない構成と、記憶喪失の奇病が蔓延する世界観に人生を立て直すプログラム。



妻を失い、すべてを忘れようとした。

それでも人の死に触れ、大切な妻を忘れられずにいる。

今でも林檎が好きで、その味も忘れることができない。



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記憶と記録、塗り替えようと試みても上書きできない、どれだけ忘れたくても忘れられない、大切な記憶を鮮明に呼び起こす残酷且つ優しさに溢れる素晴らしい物語なんです。


もし自分が何かを失い孤独になった時、その孤独に耐えられなくなってすべてを忘れてしまいたいと願った時、この映画の価値を再認識できると思うんです。





終わりに

あくまでも個人的な解釈のひとつとして楽しんでもらえればなと思います。
映画というものは何が正しいか?ではなく、どう感じたか?の方が重要だと考えているので。

最後までお読みいただいた方、ありがとうございました!



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(C)Boo Productions and Lava Films (C) Bartosz Swiniarski


暴かれたのは偽りか真実か(『ザ・バットマン』ネタバレ考察)

目次




初めに

どうも、レクです。
今回は書くつもりがなかったのですが、とても面白かったので『ザ・バットマン』について話していこうと思います。


※この記事はネタバレを含みますので、未鑑賞の方はご注意ください。



作品概要

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原題︰The Batman
製作年︰2022年
製作国︰アメリカ
配給︰ワーナー・ブラザース映画
上映時間︰176分
映倫区分︰G


解説

クリストファー・ノーランが手がけた「ダークナイト」トリロジーなどで知られる人気キャラクターのバットマンを主役に描くサスペンスアクション。青年ブルース・ウェインがバットマンになろうとしていく姿と、社会に蔓延する嘘を暴いていく知能犯リドラーによってブルースの人間としての本性がむき出しにされていく様を描く。両親を殺された過去を持つ青年ブルースは復讐を誓い、夜になると黒いマスクで素顔を隠し、犯罪者を見つけては力でねじ伏せ、悪と敵対する「バットマン」になろうとしている。ある日、権力者が標的になった連続殺人事件が発生。史上最狂の知能犯リドラーが犯人として名乗りを上げる。リドラーは犯行の際、必ず「なぞなぞ」を残し、警察や優秀な探偵でもあるブルースを挑発する。やがて政府の陰謀やブルースの過去、彼の父親が犯した罪が暴かれていくが……。「TENET テネット」のロバート・パティンソンが新たにブルース・ウェイン/バットマンを演じ、「猿の惑星:新世紀(ライジング)」「猿の惑星:聖戦記(グレート・ウォー)」のマット・リーブス監督がメガホンをとった。
THE BATMAN ザ・バットマン : 作品情報 - 映画.comより引用



考察

今回は早速考察に入っていきます。


本作『ザ・バットマン』はロマン・ポランスキー監督作品『チャイナタウン』の影響を受けていると言われていますね。

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チャイナタウン : 作品情報 - 映画.com

『チャイナタウン』といえばジャック・ニコルソン。
彼はティム・バートン版『バットマン』でジョーカーを演じています。

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バットマン : フォトギャラリー 画像(2) - 映画.com


『チャイナタウン』では浮気調査をきっかけに探偵がある事件に巻き込まれていくという物語。
アルフレッド・ヒッチコック監督作品『めまい』のように、調査を進めていくことで、真実を知っていく過程で、探偵が調査対象の謎めいた女性に魅了されていきます。



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本作『ザ・バットマン』では、ブルース・ウェインが探偵役バットマンとしてキャットウーマンに関心を示しつつ、社会の嘘を暴いていく知能犯リドラーの残す謎に飲み込まれていく。

この"怠け者の街"『チャイナタウン』のハードボイルドものフィルム・ノワールという大枠を"犯罪者の街"ゴッサム・シティという独自の世界観に見事に溶け込ませています。

暴漢によって両親を殺されたブルース・ウェインが復讐を誓い、犯罪者たちを制圧していくバットマンというダークヒーロー像から再びブルース・ウェインへと顧みる話となっているんですよ。



厳密に繋がりはないのですが、DCEUのトッド・フィリップス監督作品『ジョーカー』から、時系列的にはその後日談の位置づけになります。

このジョーカーと同じように、本作のリドラーもまた住人たちを扇動し、先導する一つのキッカケに過ぎないんですね。

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防波堤を崩し街を混乱させたのも、次期市長の演説が行われる予定であった会場に国民たちを集め、そこで彼らにとっての正義の制裁を自らの手ではなくゴッサム・シティの住人の手によって行わせること。

本作『ザ・バットマン』のテーマ
誰しもの中にある善悪とその是非
が見えてくるわけです。



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リドラーの掲示する"なぞなぞ"とは、偽りで覆い隠した真実を明かすこと。
つまりは、社会の嘘を暴くことで真相を公にすること。
これはリドラーなりの社会を正す"英雄的行為"とも取れるわけです。

その一つが、"ブルース・ウェインの父親が過去に犯した罪を暴くこと"
リドラーという存在はそのバットマンの悪の心を揺さぶる役割を担っています。

そして、同じく過去の復讐に囚われていたバットマンが、真実を知ることによって善悪の境界線に立たされる。
バットマン自身のアイデンティティが揺さぶられることで見えてくるバットマンのヒロイズムへと深く繋がっていくわけです。

トッド・フィリップス監督作品『ジョーカー』の記事でも書いていますが
もしかしたら、ブルース・ウェインが両親を殺された復讐心に駆られて、バットマンというダークヒーローではなくヴィランという悪に染まった可能性も考えられる。




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また、本作『ザ・バットマン』の主演ロバート・パティンソン繋がりで言えば『TENET テネット』の記事でも考察しましたが

クリストファー・ノーラン監督作品『ダークナイト』三部作でも言及している通り、"バットマンを善悪の境界線に立たせることでバットマン自身の正義を超法規的な暴力として描くことによるリアリティの追求"を目的に作られています。

本作『ザ・バットマン』のテーマが
誰しもの中にある善悪とその是非
だと個人的に思うところも、このノーラン監督作品『ダークナイト』で描かれたヒロイズムに対する類似点を感じたからなんですよね。



今一度、書き上げますが
ノーラン監督作品『ダークナイト』ではこのバットマンのヒロイズムを完璧な形で劇中で掲示していると思っています。
これは『ダークナイト』とほぼ同時期(2008年)に公開されたジョン・ファブロー監督作品『アイアンマン』と比較するとわかりやすい。

アイアンマンの場合、恐らく英雄的行為がたとえ法を犯す超法規的な暴力であっても劇中で肯定されてしまう。
ひとつの大きな要因はトニー・スタークという人物の認知とアイアンマンが絶対的ヒーローとなるから。
正義のために必要であり、だからこそ正当化され、それがなければ正義が悪に打ち負かされてしまうという保守的とも取れる形を取らざるを得ない。
MCUに関しては『アベンジャーズ エイジ・オブ・ウルトロン』を経てソコヴィア協定からのヒーローの対立を描いた『シビル・ウォー/キャプテン・アメリカ』でその辺りに言及される形にはなっていますが。

『ダークナイト』ではバットマンを誰もが認める英雄ではなく闇の騎士とすることで、バットマン自身の公衆での評価や認識が180度変わってしまう。
こう描くことでゴッサムシティの住人たちは、再びバットマンが現れた時にそのバットマンの行動が正義か悪か、英雄的行為か犯罪行為かの区別ができなくなる。
その善悪の二面性を同時に我々観客にも認めさせることになるんです。


本作『ザ・バットマン』で描かれた通り
ニュースでヒーロー扱いとされたバットマンを善、アーカム収容所に囚われたリドラーを悪とした単純な二元論の物語ではない。
"ヒーローとヴィランは表裏一体である"ということが言えるわけです。





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ここで、バットマンの容姿についても考えていきます。


コスプレ野郎と揶揄されていますが、そもそもマスクを被るという行為自体には自らにフィクションを課せるという意味があります。
バットマンがコウモリの姿を偽るのも、敵にも幼少期に受けたコウモリの恐怖心を体験させるためであり、黒を好む理由は身を隠すためとは別に自分の恐怖心を包むため。

「恐怖は武器」「私は"復讐"だ。」
本作『ザ・バットマン』のこの冒頭のセリフ。
そして、親の遺体を発見した市長の息子の姿を自身の幼少期と重ねること。

この2点から、ブルース・ウェインという真実をバットマンという偽りのマスクで覆うことで、"復讐"という名のダークヒーロー像を作り上げたバットマンの成り立ちを映像として描かず、2年間バットマンとして活動してきた経緯を端的に示しているのが凄い。



マスクが自身の真実ないしアイデンティティを覆い隠すこと。
例えば、MCUでジョン・ワッツ監督作品『スパイダーマン ファー・フロム・ホーム』では、ピーター・パーカーが新米ヒーローからひとりのヒーローとして自覚を持ち始める物語だと思っていて。

スパイダーマンはマスクというフィクションでピーター・パーカーというアイデンティティを偽ります。
直接的なネタバレは避けますが、あることによって正体がバレてしまい、『ダークナイト』と同じように善悪の境界線に立たされるわけです。
ここが最もこの作品を評価している点なのですが、アイアンマンの重責と国民の目を同時に背負うわけですね。


『スパイダーマン ノー・ウェイ・ホーム』ではその前作の答えを見事に観客に掲示して見せています。

そう、再びマスクというフィクションで自らのアイデンティティを覆い隠すことで、"親愛なる隣人"スパイダーマンの存在価値を改めて認識させることに成功しているんです。
最高でしょ、この流れ。





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と話が逸れたので戻しますが
ヒーローという偽りで作り上げたアイデンティティは、ブルース・ウェインという人物のアイデンティティを覆い隠す(住人たちにとっての)真実なんです。

面会時にリドラーも語っています。
バットマンの姿こそ本物なんだと。

ブルース・ウェインとしてのアイデンティティを顧みたからこそ、バットマンとしての存在価値を見出した。
だからこそ、ブルース・ウェインはマスクを被った偽りのバットマンを、本作のラストで本物のヒーローの姿として住人を先導する姿を見せたんだと思います。

これはノーラン監督作品『ダークナイト ライジング』での劇中のセリフ。
ブルース・ウェイン「誰でもバットマンになれる、マスクを被れば。」
に集約されるんです。



終わりに

というわけで、ヒロイズムの視点から見た本作『ザ・バットマン』は、個人的にヒロイズムに関してほぼ完璧だと言わざるを得ない『ダークナイト』と甲乙つけ難い作品になっていたと思います。

最後までお読みいただいた方、ありがとうございました。



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愛と赦し、報復と贖罪の揺らぎ(『白い牛のバラッド』ネタバレ考察)

目次




初めに

どうも、レクです。
今回は楽しみにしていた『白い牛のバラッド』について語っています。
前情報なしに観ましたが、凄い映画でした!

※この記事はネタバレを含みますので、未鑑賞の方はご注意ください。



作品概要

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原題︰Ghasideyeh gave sefid
製作年︰2020年
製作国︰イラン・フランス合作
配給︰ロングライド
上映時間︰105分
映倫区分︰G


解説

イランの厳罰的な法制度を背景に、冤罪による死刑で夫を失ったシングルマザーの姿を通し、社会の不条理と人間の闇をあぶり出したサスペンスドラマ。テヘランの牛乳工場に勤めるシングルマザーのミナ。夫ババクは殺人罪で逮捕され、1年ほど前に死刑に処された。深い喪失感を抱え続ける彼女は、聴覚障害で口のきけない愛娘ビタを心の拠りどころにしている。ある日、裁判所に呼び出されたミナは、夫の事件の真犯人が他にいたことを知らされる。理不尽な現実を受け入れられず、謝罪を求めて繰り返し裁判所に足を運ぶミナだったが、夫に死刑を宣告した担当判事に会うことさえかなわない。そんな折、ミナのもとに夫の友人だったという中年男性レザが訪ねてくる。親切な彼に心を開き、家族のように親密な関係を築いていくミナだったが……。マリヤム・モガッダムとベタシュ・サナイハが監督を務め、モガッダムが脚本・主演も兼任した。2021年・第71回ベルリン国際映画祭コンペティション部門出品。
白い牛のバラッド : 作品情報 - 映画.comより引用





感想

第71回ベルリン国際映画祭コンペティション部門に出品された『Ballad of a White Cow』(英題)。

ベルリン国際映画祭ではあのアスガー・ファルハディの傑作と並ぶと称された一方で、イラン政府の検閲により正式な上映許可が下りず、自国では3回しか上映されていないそうです。

そんな問題作が、『白い牛のバラッド』という邦題で2022年2月18日についに日本で公開されました。



イランは死刑執行数が中国に次いで世界第2位の国。

それを受けて本作『白い牛のバラッド』はイランの懲罰的な法制度を背景に、シングルマザーの生きづらさや理不尽さに直面する女性の姿を描いています。



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愛する夫を死刑で失い、聾唖の娘を育てながら生活を送るシングルマザーのミナ(マリヤム・モガッダム)。
死刑から1年後に夫の無実が明かされ、失意の先にある哀しみに襲われる。

賠償金よりも判事に謝罪を求めるミラの前に、夫の友人を名乗る男レザ(アリレザ・サニファル)が現れる。
ミナは親切にしてくれるレザと親しくなっていき、関係を築いていくが…。

凄まじい境遇に置かれたシングルマザーであるミナの複雑な感情を、また打ちひしがれる弱さだけでなく生き抜く強さを演じきったマリヤム・モガッダム。
彼女は主演だけでなく、監督・脚本にも携わっておられます。



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特筆すべきは聾唖の娘ビタ役を演じたプールラウフィ。
彼女自身コーダであり、両親が聾唖者で日常的に手話を使っているそうです。
コーダ(CODA)とはChildren of Deaf Adult/s、聾唖者を親に持つ子どものことですね。

本作『白い牛のバラッド』では学校に居場所がなく、家で映画を見る繊細な役どころを演じています。
心情の籠った手話による語りは、何百人もの子役オーディションから選ばれたことも納得です。



ということで、Twitterに上げた感想を。



亡くなった夫の友人と名乗る男レザの正体は概ね予想がつくと思います。
そう、実は冤罪で死刑判決を下した判事のひとりでした。

レザは贖罪のためミラに近づき、善意を向けていきます。
それに応えるようにミラは親切な人だと好感を持ち始め、善意をもって返します。

夫を死に追いやった敵だとも知らず…。



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この一過性の善意と贖罪の板挟みとなる痛ましさは見ていられない。
レザが判事と明かされた段階でこの事実を知っているのはレザと観客だけ。
つまり、序盤の冤罪で夫を亡くしたミラの視点から中盤は償うためにミラへと近づいたレザ視点にいつしか切り替わっているんです。

また、贖罪を善意と誤認して想いを寄せてしまう姿も見ていられない。
即ち、序盤から中盤にかけてもミラの視点を継続して描いていることもその後の展開に深みを齎します。



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不穏な空気が流れる中で、報いを受けるべき相手に制裁が下される。
夫を亡くしたミラのように、息子を亡くすレザ。
そして、すべての事実を知ったミラによる復讐の炎はレザへと向かっていく。

慈悲や赦し、愛を持ってしても報復という熱量には勝てないのだ。
その後の虚無感が何とも言えない静寂の空気に包まれ、圧倒的な余韻を残して終わる。


めちゃくちゃ面白いがな!!!
と心の中で叫びましたね。
勿論、こういう映画が好みというのもあるんですが。

決して派手な映画でもなく、エンタメ性も少ない。
好みが分かれそうな映画ではあると思いますが、個人的には素晴らしい映画でした。



考察

ここからは考察に入っていこうと思います。

本作『白い牛のバラッド』は監督の訴えたいこと、伝えたいことがメタファーとして劇中に込められています。


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一番に注目するのはタイトルにも使われている"白い牛"でしょう。
宗教的に見る牛は生け贄として神に捧げられるものです。
本作『白い牛のバラッド』において

「宗教的な儀式における牛は、通常、生け贄とされています。本作における白い牛は、死を宣告された無実の人間のメタファーです。」

とベタシュ・サナイハ監督も明言しています。


加えて、娘のビタを聾唖設定にしたことについてベタシュ・サナイハ監督は

「イランの女性を象徴するメタファーです。未だイラン人女性は声を発することができない、意見を言ったとしても誰にも聞いてもらえない、その状況を彼女に込めました」

とも語っています。



正に劇中のミラはこれに当てはまります。
女性というだけで、未亡人というだけで、男たちにあしらわれて訴えを聞き入れてもらえない。

そんな時、親切に寄り添ってくれる男の存在は大きいものではあるはず。

親切にしてくれる頼れる男が夫の敵と知った時、裏切られたという悲しみだったのか、騙されていたという怒りなのか、様々な感情が入り乱れた無言の食卓の空気の重さは凄かったですね。





イスラム教の聖典"コーラン"は全部で114のスーラ(章)からなり、1章の「開扉章」から114章の「人間章」まで、食卓・信者・勝利 と内容に応じた名称を持ちます。

本作『白い牛のバラッド』では"コーラン"に記された114のスーラ(章)の中の2章「雄牛章」に因んだもの。
もとは古代の寓話に由来しているそうで。

2-178.信仰する者よ、あなたがたには殺害に対する報復が定められた。自由人には自由人、奴隷には奴隷、婦人には婦人と。だがかれ(加害者)に、(被害者の)兄弟から軽減の申し出があった場合は、(加害者は)誠意をもって丁重に弁償しなさい。これはあなたがたへの主からの(報復の)緩和であり、慈悲である。それで今後これに違反する者は、痛ましい懲罰を受けるであろう。


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"白い牛"が死を宣告された無実の人間のメタファー、そして「雄牛章」のメタファーとされた中で、温めた牛乳を薦める妻の姿は今を思い返せば、あれは恐怖でしかない。

この繰り返される牛の描写に関しても、ベタシュ・サナイハ監督は

「このメタファーはタイトルの由来というだけではありません。例えば、ミナが見る牛の夢やミルクなど、脚本の中で繰り返し出てくるテーマです。ペルシャの文化や文学、特に詩においては、メタファーやダブルミーニングは非常に強い存在感を持っているので、自分たちの映画にもそういった複層的な解釈を取り入れるようにしています」

とこだわりを語っています。





イランは死刑執行数が世界第2位の国であることは感想でも記述しました。

イスラム法における刑罰は、同害報復刑(キサース)、固定刑(ハッド)、裁量刑(タァズィール)の3つに分けられます。

・同害報復刑(キサース)

加害者が成人で被害者と同等の身分である場合、被害者ないし相続人が同程度の報復をする。
被害者の同意を得れば金銭支払いで済ます場合もあります。

反政府的な抗議活動者や少数民族を弾圧するための行使としてイランでは未成年でも死刑になります。

所謂、ハンムラビ法典の「目には目を」ですね。
2016年には4歳の少女の顔に石灰をかけて視力を奪い、有罪判決を受けた男性にに対して、両目を失明させる刑が執行されています。
本来、ハンムラビ法典は行き過ぎた懲罰の厳罰化を避けるために同等の報復を受けさせるというものでもあるのですが。

一方で、犯罪被害者は加害者からの賠償金と引き換えに刑罰を免除することもできる。
これは日本でいうところの示談金のようなものです。


・固定刑(ハッド)

姦通、中傷、飲酒をした場合は定められた回数の鞭打ち。
窃盗をした場合は手足の切断。
追い剥ぎをした場合は死刑、もしくは手足の切断、あるいは追放。
背教者は死刑です。
と犯罪に対して具体的な処罰が定められています。

窃盗で手足の切断はエグすぎますね。
姦通の罪を犯した者にこそ、生殖器を切断するなどの処罰がないという。


・裁量刑(タァズィール)

イスラム法に具体的な刑罰が定められていない犯罪に対して、裁判官の裁量によって科す刑罰。

文書偽造、詐欺、恐喝、偽証など現代的な犯罪の場合に適用されているそうです。



これらイスラム法をシャリーアと言います。

シャリーアとは「水辺に至る道」という意味を持ち、"コーラン"と預言者ムハンマドの言行(スンナ)を法源とする法律のことを指します。
シャリーアは大きく、儀礼的規範(イバーダート)と法的規範(ムアーマラート)の2つに分けられます。


・儀礼的規範(イバーダート)

イスラム教の信仰に関わる部分。
宗教的行為、五行に関わるものです。

①信仰告白(シャハーダ)
②礼拝(サラート)
③断食(サウム)
④喜捨(ザカート)
⑤巡礼(ハッジ)


・法的規範(ムアーマラート)

世俗的生活に関わる部分。
婚姻、相続、契約、訴訟、非ムスリムの権利義務、刑罰、戦争など、イスラム社会における相互の権利や義務に関わる規範です。
我々の考える民法や刑法に当たる事柄が規定されています。

①義務(ワージブ)
②推奨(マンドゥーブ)
③許可(ハラル)
④忌避(マクルーフ)
⑤禁止(ハラム)





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イスラム圏にとって宗教とは、内的生活だけではなく個人から家族、社会や国家に至るまであらゆる営みを規定する法となっています。

世代を超えて受け継がれる宗教、毎日繰り返されるルーティンの中で、シャリーアに基づく生活がおくられている当たり前の環境で生まれ育った人たちにとっては、同害報復刑("夫を死に追いやった判事の死")という報復は当たり前のことなんですね。


本作『白い牛のバラッド』は全体を通して"愛と赦し""報復と贖罪"の揺らぎの物語だということが見て取れるわけですが、この揺らぎすらも宗教的思想、神の前では無慈悲であるというメッセージ性も受け取ることができるのです。


終わりに

償いと赦しの難しさ、そして愛と報復を天秤にかける女性の強かさを描いた素晴らしい作品でした。

時に我々が理解し難い行動であっても、本人にとってはそれが当然のことである場合があるんですよね。
今回は日本であまり馴染みのない宗教観、価値観を通してそれが見えた気がしました。



最後までお読みいただいた方、ありがとうございました。



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映画『白い牛のバラッド』公式サイト


愛は人を狂わせるのか(『ナイル殺人事件』ネタバレ感想)

目次




初めに

どうも、レクです。
今回は延期されて2022年の公開となったケネス・ブラナー監督によるリメイク『ナイル殺人事件』について語っています。

と言っても、もうオチを知っている方も多くおられる作品となっているので、改変点の善し悪しを個人的な視点で述べているだけなので、トリックに関する考察記事ではなく、あくまでも感想になっております。


※この記事はネタバレを含みますので、未鑑賞の方はご注意ください。



作品概要

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原題︰Death on the Nile
製作年︰2022年
製作国︰アメリカ
配給︰ディズニー
上映時間︰127分
映倫区分︰G


解説

ミステリーの女王アガサ・クリスティによる名作「ナイルに死す」を、同じくクリスティ原作の「オリエント急行殺人事件」を手がけたケネス・ブラナーの監督・製作・主演で映画化。エジプトのナイル川をめぐる豪華客船の中で、美しき大富豪の娘リネットが何者かに殺害される事件が発生。容疑者は彼女の結婚を祝うために集まった乗客全員だった。名探偵エルキュール・ポアロは“灰色の脳細胞”を働かせて事件の真相に迫っていくが、この事件がこれまで数々の難事件を解決してきたポアロの人生をも大きく変えることになる。ベルギー訛りの英語と口ひげがトレードマークの探偵ポアロ役を、前作「オリエント急行殺人事件」同様にブラナーが自ら演じた。そのほか、第一の被害者であるリネット役に「ワンダーウーマン」のガル・ギャドット、その夫サイモン役に「君の名前で僕を呼んで」のアーミー・ハマーなど豪華キャストが集結。
ナイル殺人事件 : 作品情報 - 映画.comより引用





感想

まずはTwitterに上げた感想から。



ということで、素直に言いますが…

勿体ない!!!

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ケネス・ブラナー監督の手掛けるポアロシリーズ。
アガサ・クリスティ原作『ナイルに死す』の映画化『ナイル殺人事件』のリメイク第2弾。

エジプトのナイル川をめぐる豪華客船の船内で起こった連続殺人事件を描いています。



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リネット(ガル・ガドット)とその夫サイモン(アーミー・ハマー)は新婚旅行中。
パーティーを開き招いた客たちの中に紛れ込んだサイモンの元恋人ジャクリーン(エマ・マッキー)。
その姿を見てリネットは帰国すると言い出すところから、舞台は豪華客船に移っていくわけですが、その船にもジャクリーンは乗船してくる。

その夜、サイモンとジャクリーンが口論となりジャクリーンが22口径の銃を発泡、サイモンの右足に被弾(オリジナル版では左膝)する。
サイモンが部屋に運び込まれて治療を受けていた間にリネットがこめかみに22口径の銃を突きつけられて射殺されてしまう。



第一の被害者となったリネットとその夫サイモン、その元恋人ジャクリーンという三角関係の構図、関係性はオリジナル版とほぼ同じ。
そして、リネット殺害のトリックも全く同じ内容でした。

ちなみに第二の被害者ルイーズ(ローズ・レスリー)殺害に関しても、犯人を目撃して口封じのために射殺されたオリジナル版と同じ。


物語に大きく関わるオリジナル版からの改変点は
ポアロ(ケネス・ブラナー)自身の冒頭の回想。
ブーク(トム・ベイトマン)の存在(『オリエント急行殺人事件』から継続して登場)。
ネックレス(オリジナル版では真珠)の盗難事件。
サロメ(ソフィー・オコネドー)が第三の被害者ではなくブークがその役を担ったこと。

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この4点で、これこそが本作『ナイル殺人事件』のテーマでもある"愛"をより強調する形として物語に絡ませています。



細かい点を挙げると、トリックに使われた赤いインクなど幾つかの改変もありましたが。

ほかに、部屋に戻ったポアロが洗面台でコブラに襲われそうになる場面。
推理中のポアロの仮説の映像の挿入。
証拠を出せと言った犯人に対してのポアロのハッタリ(射撃残渣の鑑識)。
真相解明後に犯人に銃を取られてしまうポアロの過失。
などなど、これらをカットしてでも登場人物たちの"愛"についてのドラマを紡いだ点は評価できます。


端的に、オリジナル版へのリスペクトも感じつつ、改変点もいい。
ミステリとしての大枠を崩さずに、主題を"愛"に置いて再構築したプロットはケネス・ブラナーらしい。



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脇のキャラクターの"愛"もしっかりと描かれています。

ブークは母マリー(ジェニファー・ソーンダース)の反対を押し切り、サロメの娘ロザリー(レティーシャ・ライト)と恋に落ちます。
リメイク版では実はブークの母はブークの想い人の身辺調査をポアロに依頼していました。
つまり意図的にポアロはこの事件に関わってしまったことになります。

そして、ポアロは親友と呼ぶブークが第三の被害者となったことで怒りを露わにしながらすべての謎を解いて事件解決シークエンスへと入っていきます。





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ただ、Twitterにも書きましたが、この改変点がポアロの推理ショーよりも愛の所在へとウエイトが置かれたために、ポアロの見せ場が1.5倍速に感じられるほど勇み足になってしまってるんですよ。

オリジナル版からの個人的な感覚ですが、本作『ナイル殺人事件』はトリックとしてはそこまで衝撃的なものではないと思っていて。
だからこそ、傍観者であったポアロが知らず知らずのうちに犯人の思惑によって事件に巻き込まれ、そして盗み聞きと鋭い観察眼、頭脳を駆使して犯人を推理するその過程と事件解決シークエンスを見る…つまりはポアロの推理ショーを楽しむ映画なんですよ。

リメイク版はその事件解決シークエンスに含みも余韻も驚きも何もあったもんじゃない。


いやー分かるんですよ。
ポアロの心情も分かるんですけど、もう怒ってるからか早口すぎて、トリックの真相や犯人は誰なのか?など観客のことなんて目もくれず推理をサラッと言っちゃうわけです。

そりゃオリジナル版が有名で、トリックの真相を知ってる人も大勢いるとは思いますよ?
でも、そこを楽しみに来ている初見の観客も一定数はいるはずで。



前作『オリエント急行殺人事件(2017)』では割としっかりと事件解決シークエンスを描きながら、ポアロ自身の価値観を揺さぶる事件となっていました。


この記事でも語っていますが、リメイクすることで古参も新参も楽しめる仕様になっていることが重要なのでは?と思ってしまうんですよね。

このミステリとドラマのバランスが少し問題だったのではないかと観終えた後で考えてしまったことは否定できません。

したがって、オチを知っていても楽しめた『オリエント急行殺人事件』とは違って、本作『ナイル殺人事件』はオチを知っていたら楽しめるかもしれないけどオチを知らなかったらどうなんだろう?という答えになってしまうんですよね。


とはいえ、「人は愛のためなら何でもする」というメッセージが裏を返せば「愛は人を狂わせるのか?」に転ずる多種多様な愛の形を見せてくれたのでその点に関しては満足しています。





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最後に、本作『ナイル殺人事件』は若かりし頃のポアロから物語が始まります。
冒頭で観る映画を間違えたのかと思うほど『ナイル殺人事件』とは無関係の話。

これは前作『オリエント急行殺人事件(2017)』から続投で脚本を担当したマイケル・グリーンがポアロというキャラクターをどう掘り下げるかという発案から作られたもの。
前作『オリエント急行殺人事件(2017)』では偶数やシンメトリーにこだわる几帳面で神経質なポアロ像を描いていました。

本作『ナイル殺人事件』でも偶数にこだわり、冒頭のシーンはラストシークエンスにも繋がるポアロ自身の"愛"の物語の始まりでもあったわけです。


こういう改変点は嫌いじゃないので、ポアロのキャラクターを掘り下げる過程はケネス・ブラナー監督作品のポアロシリーズを通して完結させてほしいと思います。


終わりに

少し愚痴っぽくなりましたが、こう見えてそこそこ楽しんでます。
次回作は『地中海殺人事件』ですかね。
また文句を言うかもしれませんが、次も楽しみに待っています(笑)



最後までお読みいただいた方、ありがとうございました。



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(C)2022 20th Century Studios. All rights reserved


感情の波に飲み込まれる(『ブルー・バイユー』ネタバレ考察)

目次




初めに

どうも、レクです。
今回は『ブルー・バイユー』について語っています。

第74回カンヌ国際映画祭「ある視点」部門に出品され、8分間に及ぶスタンディングオベーションで喝采を浴びたそうで。
とても素晴らしい視点で描かれた映画なので、出来るだけ多くの方に観てもらいたい映画のひとつですね。


※この記事はネタバレを含みますので、未鑑賞の方はご注意ください。



作品概要

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原題︰Blue Bayou
製作年︰2021年
製作国︰アメリカ
配給︰パルコ
上映時間︰118分
映倫区分︰G


解説

養子としてアメリカにやってきた韓国生まれの青年が、移民政策の法律の隙間に突き落とされ、家族と引き離されそうになりながらも懸命に生きる姿を描いたヒューマンドラマ。「トワイライト」シリーズへの出演などで俳優としても知られる韓国系アメリカ人のジャスティン・チョンが監督・脚本・主演を務め、「リリーのすべて」のアリシア・ビカンダーが主人公を支える妻役で共演した。韓国で生まれ、3歳の時に養子としてアメリカに連れてこられたアントニオは、大人になったいまはシングルマザーのキャシーと結婚して自ら家庭をもち、娘のジェシーも含めた3人で貧しいながらも幸せに暮らしていた。ある時、些細なことで警官とトラブルを起こして逮捕されたアントニオは、その過程で30年以上前の養父母による手続きの不備が発覚。移民局へと連行され、国外追放命令を受けてしまう。下手をすれば強制送還となり、そうなれば二度とアメリカに戻ってくることはできない。アントニオとキャシーは裁判を起こして異議を申し立てをしようとするが、そのためには5000ドルという高額な費用が必要だった。途方に暮れる中、家族と離れたくないアントニオはある決心をする。
ブルー・バイユー : 作品情報 - 映画.comより引用





感想


泣いたよね。


いやー、あれは泣かされますよ。
それに映画館が貸し切りだったということもあって、映画に集中できたというのもかなり大きな要因なんですが。



ということで、早速内容に触れていこうと思います。

まずはTwitterに上げた感想から。



本作『ブルー・バイユー』は現在もアメリカにある法律の穴、不条理さをテーマに描いた社会派ヒューマンドラマ。
そのテーマが国際養子縁組と人種差別なんですね。


現行、移民問題は取り上げられている中で、アメリカ人の両親に引き取られた他国籍の子どもがその家庭でアメリカ人として育てられ大人になった主人公を描いています。
国籍と親子の血縁を跨いだ養子縁組、これが国際養子縁組と呼ばれています。

国際結婚による連れ子や孤児の引き取りなど様々なケースが考えられます。
ちなみに、本作『ブルー・バイユー』の監督、ジャスティン・チョン自身も韓国系アメリカ人で1981年生まれです。



ここに深く関わってくるものが、2000年の児童市民権法Child Citizenship Act of 2000(略してCCA)という法律です。

アメリカ市民の子どもによる市民権の取得に関する1965年の移民および国籍法を改正し、アメリカの選挙で投票した個人を保護するための保護を追加した米国連邦法です。
CCAの下では、アメリカ国外で生まれて出生時に市民権を取得しなかった特定の子どもは、永住者としての入国後に自動的に市民権を取得するか、迅速な帰化の対象となる場合があります。

CCAが連邦議会を通過し、2001年にクリントン大統領が署名して法制化されました。
簡単に言えば、アメリカ国外で生まれた養子の両親のうち少なくとも1人が米国市民である場合、その子どもに自動的に市民権を付与するというもの。


しかし、この法律には穴があったのです。
法案通過当時、適用対象を制定日である"2001年2月27日の基準で満18歳未満に制限"したことで、"すでに成人だった養子はどこにも属すことなく、市民権が与えられていない"ことになるのです。

自動的に市民権が与えられたと誤認したままアメリカで育った成人が、突然「アメリカ人ではありません」と言われるようなもの。

韓国保健福祉部によると、1955年から2015年の間に韓国からアメリカに渡った養子は約11万2000人。
そのうち、約2万人の市民権の取得が把握されていないらしい。





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本作『ブルー・バイユー』では、養子としてアメリカ人夫婦のもとで育った韓国国籍の男性がアメリカで育ち、家庭を持ち、アメリカ国籍の妻とその連れ子とこれから生まれてくる実娘の家族4人で幸せな家庭を築くはずだった。
ところが、私情の縺れから警察官と揉めたことで、彼が市民権を取得していないことが発覚し、強制送還を命じられる。



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白人警官による暴力や移民問題など、人種差別についても描かれています。
この手前の白人警官が妻の元夫というのがまた私情も絡んで面倒臭い。
最終的には妻のことを考えて行動したりもしますが、心のどこかでは排他的な思想が拭えないという側面が見えてくるんですよね。


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ベトナム系移民女性と主人公の邂逅が印象的で、彼女の善意が主人公アントニオの家族と共に過ごしたいという気持ちを強くする。
特に水辺で向き合い会話するシーンはとても美しく幻想的でした。



さて、ここで泣いた泣いたと言っているラストについても触れておこうと思いますが、この物語のあらすじを読んだ時に概ねラストは予想がつきますよね?

大きく分けてハッピーエンドかバッドエンドです。
その想像できるラストがこれまたエモーショナルで、「泣いた」というより「泣かされた」なんですよね。


しかし、しかしですよ。
これを泣ける感動作とするのはまた違う話で…。
現状、市民権を与えられず家族と離れ離れになった人たちがたくさんいるということ。
これは本人の問題でもなく、またその家族との絆でさえ引き裂きかねない問題でもあるんです。

一方で、アメリカでは移民問題は暫し話題に挙げられるが、こうした実情に国民ですら無関心であり、知らない人も多いはず。
そんな苦しみを理解はできないが、感じることはできると思います。


空港で娘に触れようとした時、娘は一歩後ろへと下がります。
これは妹ができたことで赤ちゃん返りをした延長ですね。
韓国に向かう飛行機へと搭乗するために家族と離れていく父親の背を見て漸く気付いたわけです。
父親であるアントニオも娘の声を待っていたかのように振り返り抱き合います。

この時、改めて"家族"なんだと…観客に対して現実の厳しさを突きつけられるんですよ。

この映画を通して、法律の穴によって引き裂かれる家族がいること。
その"声"が届くことを祈ることしか今はできないのかと思うと、実に辛くて、やるせなくて、心を締め付けられるんです。



考察

さて、ここからは考察に入っていきたいと思います。


まずタイトルの『ブルー・バイユー』の意味を考えていきます。
「バイユー(bayou)」とは細くて、ゆっくりと流れる小川を意味します。
加えて、主にルイジアナ州とミシシッピー州の河川や湖に注ぐ、支流や入り江のこと。


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また、劇中で妻役アリシア・ヴィキャンデルが歌う同名楽曲『ブルー・バイユー(Blue Bayou)』(ロイ・オービソンが1963年に発表)からタイトルがつけられているのでしょう。




更に深読みしていくと、本作は水に関する描写がポイントポイントで敷かれていることがわかります。

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アントニオが赤子の頃、実母に川に沈められそうになった記憶。
妹が生まれることを知って赤ちゃん返りする娘とバイクを走らせて向かった先も水辺。
家族で夕日をバックに戯れる姿も水辺。
ベトナム系移民女性と会話するシーンも水辺。
そして、法廷に出向かなければならない時間に警官たちによって暴力を受け、バイクを走らせて突っ込んだ先も水辺でした。


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「バイユー」のように、水も本来は流れていくもの。
しかし、本作『ブルー・バイユー』における水はそこに留まるもの、また深さも表していると思われます。


生活に必要不可欠な水には様々なメタファーがある。
例えば、「感情が溢れる」「言葉が流れる」「金に溺れる」など人にとって密接に関係するものでもあるんですよね。

言葉が停滞し、金に枯渇した時、犯罪に手を染めて感情が沈む。
アントニオの選択の善し悪しで見れば悪だろう。
それでも家族とともに過ごしたいという気持ちは本物であり、そこに悪はないはず。

それでも罪は流されることはない。
心の奥底に滞留し、蓄積され、自身をも飲み込んでしまう。



「ブルー」に関してもマリッジ・ブルーやマタニティ・ブルーなど気持ちの浮き沈みの時に使われるワードでもあります。

精神状態を表す水の映像表現は、もう一度言いますがアントニオが赤子の頃の実母による行動が根源。

物理的だけでなく心理的にも、暗い水の底へと沈んでいくアントニオを掬い上げる救いの手はあるのだろうか。

そんなことを考えながらずっと鑑賞していました。
見事に感情の波に心が飲み込まれてしまったわけです。



即ち、本作のタイトル『ブルー・バイユー』はとても素晴らしいタイトルだと言えるわけです!(笑)



終わりに

ということで、今回は『ブルー・バイユー』について語ってきました。

少なくとも2022年の上半期を語る上では必須な映画ではあると思います。
僕自身の年間ベストに絡むかもしれませんね。



最後までお読みいただいた方、ありがとうございました。



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(C)2021 Focus Features, LLC.

二人で観たあの映画(『ちょっと思い出しただけ』ネタバレ考察)

目次




初めに

どうも、レクです。
今回は松居大悟監督の『ちょっと思い出しただけ』について。
恐らく誰にでも刺さるような普遍的なラブストーリーとなっていますが、この映画の元になったクリープハイプの新曲の更に元となった映画、ジム・ジャームッシュ監督の『ナイト・オン・ザ・プラネット』と絡めながら語っています。


※この記事はネタバレを含みますので、未鑑賞の方はご注意ください。



作品概要

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製作年︰2022年
製作国︰日本
配給︰東京テアトル
上映時間︰115分
映倫区分︰G


解説

「バイプレイヤーズ もしも100人の名脇役が映画をつくったら」「くれなずめ」など意欲的な作品を手がけ続けている松居大悟監督のオリジナル脚本を、池松壮亮と伊藤沙莉の主演で映画化。ロックバンド「クリープハイプ」の尾崎世界観が自身のオールタイムベストに挙げる、ジム・ジャームッシュ監督の代表作のひとつ「ナイト・オン・ザ・プラネット」に着想を得て書き上げた新曲「Night on the Planet」に触発された松居監督が執筆した、初めてのオリジナルのラブストーリー。怪我でダンサーの道を諦めた照生とタクシードライバーの葉を軸に、様々な登場人物たちとの会話を通じて都会の夜に無数に輝く人生の機微を、繊細かつユーモラスに描く。2021年・第34回東京国際映画祭コンペティション部門に出品され、観客賞を受賞。
ちょっと思い出しただけ : 作品情報 - 映画.comより引用





感想

甘酸っぺぇよ!!!

ということで、まずはTwitterに上げた感想から。


怪我でダンサーの夢を諦めた池松壮亮演じる照生とタクシー運転手の伊藤沙莉演じる葉。
2人が別れたその後を現在に、葉が照生の姿を見かけたことから始まる回想。


時計、マスク、髪の長さ、朝のルーティン、道端のお地蔵さん、職業、怪我、猫などを使い、遡っていく時間軸が分かりやすくする演出されていて。
照生の誕生日7月26日を軸に同日の6年間を過去を遡るように振り返っていく。

いや、ここは思い出すと言った方が正しいのかもしれない。



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水族館デートや誕生日プレゼント、ケーキなど具体的な舞台や小道具を使いながら照生の毎年の誕生日1日を振り返る。
それだけでそれまで過ごした日々を観客に想像させ補完させるのも上手い。

幻想的な水族館、捨てることのできないバレッタ、甘酸っぱいイチゴが乗ったショートケーキ、照生が一人で食べるくじらのケーキ。
思い出が積み重なることでエモさを感じる本来の時系列とは逆を辿ることで、あの水族館を模したくじらのケーキを葉が選んだ理由が過去を振り返ることで見えてくる。

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流石に後になってグッときましたよ。
だってはじめは「なんだよこのケーキ」って思ってましたから(笑)



また、特筆すべきはここかなと。
照生と葉のすれ違いは劇中でも描かれていますが、別れのシーンを描かなかったこと

結果は初めからわかっているのに、どんな別れ方をしたのか?なんと言って別れたのか?
誕生日という1日を切り取ることで他にあったであろうエピソードを描けないという設定自体を上手く使ってるんですよね。

現在の二人の関係から過去を観客に想像させ、物語に引き込むといった力は確かにあると思います。



過去にあったことを思い出す。
過去には戻れない、今あるのは現在と未来だけ。
変えようもない後悔があったとしても、過去があっての今の自分であることもまた、変えようのない事実なんです。

特にコロナ禍である現在、マスクをせず"普通の"日常生活を送っていた頃がもう懐かしいと思えるほどで、ラブストーリーではなくとも些細なことをキッカケに過去に思いを馳せることというのはあるのではないだろうか。




考察

この映画を撮った松居大悟監督は、ロックバンド「クリープハイプ」の尾崎世界観のオールタイムベストに挙げる、ジム・ジャームッシュ監督の代表作のひとつ『ナイト・オン・ザ・プラネット』に着想を得て書き上げた新曲「ナイトオンザプラネット」に触発されて本作『ちょっと思い出しただけ』を書き上げたと仰っています。

池松は今作に主演するに際し、ジャームッシュを研究し直したそうで、「すごくポップですよね。内実はすごいことをしているのに、ポップだし気分が良いし、2時間という体感の中で独特なリズムを保ちつつ、素敵なものがたくさん映っている。ジャームッシュのDNAを受け継ぐ映画をやるのならば、少しでもそういう境地に近づきたいと思ったんです」と述懐。そして、「尾崎世界観さんの曲も、青春に決着をつけた楽曲でしたよね。過去にすがったり、懐古する映画はたくさんありますけれど、今作は過去を描きながら『色々あったけど、いまは生きている。でもちょっと思い出しただけ』というのを、どのバランスでやるかは日々考えながら過ごしていました」と明かす。
【特別インタビュー】池松壮亮と伊藤沙莉はいま、誰に何を伝えたいのか? : 映画ニュース - 映画.com


ということで、僕自身もジャームッシュの『ナイト・オン・ザ・プラネット』を再鑑賞してから書き上げようと思い、久しぶりに観ました。

5つの都市を舞台にした物語からなる所謂オムニバス形式の映画なのですが、池松さんの仰る通りポップで独特なリズムのまま2時間突っ走るような作品なんですよね。

ジャームッシュ自身も東京を舞台に撮影したかったと言ってますし、ある意味で本作が原点回帰の側面も担っているのかなあと。



時間経過を観客に示す演出として、照生の部屋にあるデジタルのカレンダー時計のショットが必ず挿入されます。
これは『ナイト・オン・ザ・プラネット』でアナログ時計が映し出されて世界を移動する演出を意図的にオマージュした分かりやすいものとなってますね。

前情報なしだと、曜日だけが変わって日付が変わっていないことに1度目から気付けるかどうかは怪しいところですが(笑)



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劇中でもジャームッシュ監督作品『ナイト・オン・ザ・プラネット』の序盤のシーンが流れます。
それを観ている葉が人生プランをしっかりと持つ女性運転手(ウィノナ・ライダー)に共感するシーンも。

たぶん、葉がタバコを吸い始めたのもこの映画の影響でしょ(笑)
『ルパン三世』次元大介のファンはポールモールを吸っているのと同じですね!


タクシー運転手という共通点と、自分の道を歩む女性像への憧れ。
僕たちも映画を観ながら自分と重なる部分を無意識に探して、共感や感情移入をしていると思います。
また、映画の登場人物に憧れて形だけでも真似てみたりしたこともあったと思います。

ラブストーリーだけでなくこういったワンシーンにおいても普遍的な描写を織り交ぜることで、今度は本作『ちょっと思い出しただけ』を観ている我々観客に共感や感情移入をさせるというメタ的な構図となっていますね。



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場面変わってタクシー車内で、劇中の台詞を真似る微笑ましい二人の姿や、タクシー車内のサンバイザーにラッキーストライクのソフトパックを挟んでいるシーンもあったり。

まさにこれは『ナイト・オン・ザ・プラネット』の真似事で、クリープハイプの尾崎世界観がオールタイムベストに上げていることをリスペクトした松居大悟監督なりの賞賛なのでしょう。


葉が女性ということで、乗車した渋川清彦さん他3人のオジサンに絡まれるシーンなども、『ナイト・オン・ザ・プラネット』でコートジボワール人の運転手が客から揶揄されるシーンと重なる。
『ナイト・オン・ザ・プラネット』では怒って客を降ろしてしまうんですが、本作『ちょっと思い出しただけ』では照生との関係でイライラして騒がしいきゃくに怒ってしまうが冗談だとその場を収める現代的な脚色となってました。

また、怪我した照生を迎えに行った葉がタクシーの助手席に乗せるシーンでは葉がドアを閉めようとして扉に足を挟まれそうになる。
このシーンなんかはまさに『ナイト・オン・ザ・プラネット』の空港からタクシーに乗せるシーンのオマージュ。

葉と照生が初めて出会った日の帰り道、商店街で踊る二人のバックに見える看板「一期一會」はジャームッシュの『ナイト・オン・ザ・プラネット』のテーマのひとつでもある。




このように、同時刻の各国のタクシー運転手のドラマを描いていく『ナイト・オン・ザ・プラネット』に対して、『ちょっと思い出しただけ』では同日の同じ人物(照生と葉)のドラマを描いていくのが面白い。


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クリープハイプの歌詞にも出てきますが
「吹き替えよりも字幕で 二人で観たあの映画
巻き戻せば恥ずかしいことばかりで早送りしたくなる」


字幕の方が集中できると言った照生と観るあの映画『ナイト・オン・ザ・プラネット』。
そんな映画を真似てみたり、振り返れば照れてしまうような二人の何気ない日常。
あの頃に戻りたくても巻き戻せないもどかしさ。

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Twitterに上げた感想でも書きましたが
ふとした瞬間に馳せる想いを、やんわりと感じる胸の痛みを…甘酸っぺえんですよ。


だって、この約2時間の映画の始まりも、"ちょっと思い出しただけ"なのだから。




終わりに

ということで、本作『ちょっと思い出しただけ』は『ナイト・オン・ザ・プラネット』を観ずに、ただ振り返るだけのラブストーリーという点で評価するのは勿体無いと思うので、未鑑賞の方は本作と合わせて鑑賞することをオススメしたい。

そして主題歌、クリープハイプの「ナイトオンザプラネット」も聞きましょう!



最後までお読みいただいた方、ありがとうございました。



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『さがす』ネタバレ感想

目次




初めに

どうも、レクです。
今回はずっと楽しみにしていた片山慎三監督作品『さがす』について語っております。
最後までお読みいただければ幸いです。


※この記事はネタバレを含みますので、未鑑賞の方はご注意ください。



作品概要

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製作年︰2022年
製作国︰日本
配給︰アスミック・エース
上映時間︰123分
映倫区分︰PG12


解説

「岬の兄妹」の片山慎三監督が佐藤二朗を主演に迎え、姿を消した父親と、必死に父を捜す娘の姿を描いたヒューマンサスペンス。大阪の下町に暮らす原田智と中学生の娘・楓。「指名手配中の連続殺人犯見たんや。捕まえたら300万もらえるで」と言う智の言葉を、楓はいつもの冗談だと聞き流していた。しかし、その翌朝、智が忽然と姿を消す。警察からも「大人の失踪は結末が決まっている」と相手にされない中、必死に父親の行方を捜す楓。やがて、とある日雇い現場の作業員に父の名前を見つけた楓だったが、その人物は父とは違う、まったく知らない若い男だった。失意に沈む中、無造作に貼りだされていた連続殺人犯の指名手配チラシが目に入った楓。そこには、日雇い現場で出会った、あの若い男の顔があった。智役を佐藤が、「湯を沸かすほどの熱い愛」「空白」の伊東蒼が楓役を演じるほか、清水尋也、森田望智らが顔をそろえる。
さがす : 作品情報 - 映画.comより引用





感想

片山慎三監督の長編1作目『岬の兄妹』は2019年映画ベスト10にも入れたくらい好きな映画で、本作『さがす』を楽しみにしていた理由のひとつです。

小規模な上映から、より多くの人に観てもらいたいという思いからネタバレなしの感想ブログを書かせていただきました。
結果的に口コミや映画自体の評価によって公開規模が拡大となったこともあって、評価はどうあれ沢山の方に観ていただいたことは嬉しく思っています。


『岬の兄妹』では
貧困とは生活だけの問題なのか?という疑問に対して、社会的弱者からの視点や健常者が無自覚に抱く障がい者への偏見をブラックジョークを交えて描いた作品だと思っていて、少なくとも長編デビュー作において日本の監督の中では美化せずに人間の本質に迫った振り切った演出が光る監督のひとりだという個人的な認識です。

ちなみに、片山慎三監督・短編映画で『あのこは貴族』岨手由貴子・脚本の『そこにいた男』も実際の事件を扱いながらユーモアを交えた愛憎劇を見せてくれたので、割と楽しんだ側の人間です。



少し話が逸れますが
個人的に韓国映画が好きなのですが、その理由のひとつに倫理観が欠如した容赦ないバイオレンス描写。
もうひとつが、鑑賞後に重くのしかかる余韻。

本作『さがす』は邦画らしくも韓国映画のあの独特な重さにも似た雰囲気。
これは西成という関西では馴染みのあの場所も相俟ってのこと。
何より、邦画で映倫PG12なのにあの攻めた描写や鑑賞後に十分にのしかかってくる余韻があります。

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もう一度言います。
これ、映倫PG12なんですよ(笑)





ということで、本題に入っていきます。

本作『さがす』はポン・ジュノ監督作品『母なる証明』や山下敦弘監督作品『マイ・バック・ページ』などで助監督を務めた片山慎三監督の長編2作目となってます。

『岬の兄妹』と同じく社会的弱者や貧困がひとつのテーマにもなっていますね。
また、劇中での連続殺人事件は日本中を震撼させたある事件を組み合わせたような設定で、『そこにいた男』にも通ずるサスペンスフルな作劇の中で逸脱していく日常やそれによって見えてくる人間性というテイストも本作品『さがす』では活かされていたように思います。



更には、時系列をイジることで映画としての面白さ、ないしミステリーという部分で核になる演出であり、それは片山慎三がタランティーノ好きというのも大きく反映しているように見えます。

ある程度、観客を信じて説明的な回想になっていない時系列の使い方。
台詞で語るのではなく映像で語る。
この語りすぎない演出と観客に伝わりやすい演出のバランス感覚こそが片山慎三の目指すものなのでは?と思わされるほど本作『さがす』は研ぎ澄まされていたと感じました。

この演出力こそ、ポン・ジュノ監督へのリスペクトであり、助監督として培われたセンスなんだと思います。


ポン・ジュノ監督作品『パラサイト 半地下の家族』でも語りましたが、映画という娯楽性を損なわず、ユーモアさを交えながら社会風刺を練り込み、そして日常が非日常へと切り替わるポイントを持ち前の演出力で描き切る。


『パラサイト 半地下の家族』に多大な影響を与えた『下女』。
ポン・ジュノ監督が師と仰ぐキム・ギヨン監督。

そんなポン・ジュノ監督の助監督を務めた片山慎三監督。
こうやって受け継がれていくものってあると思うんですよね。



「邦画ながら韓国ノワールのようだ」と評されていたのは他の方の感想等でも目にしていましたが、そんなことよりも僕が評価したいのはキャラ含む役者の魅力と監督の演出力、そしてプロットの面白さです。

企画の段階で片山慎三監督自身が冒頭の娘パートの短いプロットを書き、それを基にその後どう展開していくのかを共同脚本家やプロデューサーと話し合って脚本づくりを始めたそうです。
初稿は親子と殺人犯の対峙の話で終わっていたそうですが、更に熟考してできたのが本作『さがす』の脚本です。

『岬の兄妹』では片山慎三監督が一人で脚本を書かれたそうですが、これとは異なり本作『さがす』は第三者の客観的な意見が取り入れられていることがひとつ特徴ということですね。



本作『さがす』は簡単にまとめると所謂、三幕構成となっています。
時系列の異なる娘、殺人犯、父親とそれぞれの主要キャストの三者の視点で物語が動かされ、我々観客は一体どうなっていくのか?と親子と殺人犯の関係性に釘付けになっていく。
オーソドックスでありながら、ちゃんと観客を巻き込むエンタメ性とスリラー性を際立たせる構成となっているんですよ。



①娘・原田楓の視点
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セットアップでは片山慎三が初稿で書いた父親と娘の日常。
突如、父親が失踪して娘が父親をさがすという目的。
今まであった日常から大きく逸脱して、父親をさがす娘の姿が描かれる。

娘・原田楓役の伊東蒼さんの演技がとてもいいですね。
𠮷田恵輔監督作品『空白』を鑑賞している方なら、娘の疾走、父親の万引きで肝を冷やしたと思います(笑)

父親とふたり暮らしで、ダメな父親を支えるしっかり者の娘というキャラクターを印象付ける。
また、父の名を名乗る殺人犯との出会いでヤバそうな雰囲気を出してくる。
①では、"もしかして父親は殺人犯に殺されてしまったのでは?"という伏線が張られています。



②殺人犯・山内照巳の視点
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3ヶ月前の殺人犯の逃亡劇。
西成での日雇いの事件やツイッターで自殺志願者を探して遺体をクーラーボックスに保管していたあの事件を思い出させますね。

殺人犯はどうして殺人を犯すのか?
という娘ではなく殺人犯のキャラクター・アークを見せ、この②で更に父親の身を案じる構成となっているのも上手い。

そして、殺人犯の性的倒錯と思想のヤバさを描きつつ、この親子の物語と殺人犯がどう関わっているのか?の疑問を散りばめていく。
②のラストカットの殺人犯と父親の接触で、①の冒頭での父親の台詞の矛盾点に気付かせる。

清水尋也さんの初登場シーンもなかなか痺れましたが、リビドーと殺人衝動に芽生えたあの瞬間は最高でしたよ。



③父親・原田智の視点
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①で父をさがす過程で出会った殺人犯が、何故卓球教室に隠れていたのか?
父親と殺人犯の関係性とは?
①のセントラル・クエスチョンと②のレゾリューション。
隠されていた情報を観客に開示し、物語を解決へと導く。

父親が失踪していた時間に何をしていたのか。
父親の感情の起伏と人間性を露わにしていく。
クライマックスでは、①の娘視点のラストシーンに繋がり、物語の全容が明かされていく。

片山慎三監督が抑揚のない演技を求め、それをしっかりと演じた佐藤二朗さんは流石ですね。



④エピローグ
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事件のその後。
そして、娘と父親のピンポン。



こう見ると、ポスター制作の素晴らしさがわかりますね(笑)







また、同じフレームに主要キャスト3人を同時に収めることをせず、3人の関係性をキーアイテムによって浮かび上がらせていくようにプロットを考えたと語っています。

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確かに、スマホや免許証、掲示板、ピンポン玉、紙幣、ベルトなど、娘と父親と殺人犯を繋ぐキーアイテムはターニング・ポイントで必ず出てきていました。


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同情や正義感、幸せや希望。
人間とは何か、生きるとは何か。
様々な感情が交錯する中で起こった殺人事件の真相。
それを察する娘の感情。

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限られた予算と撮影期間で、日本で実際にあった事件を想起させる脚本を積み重ねて、登場人物の思惑を張り巡らせて練られた高水準な映画だと思います。



終わりに

ということで、考察というよりは自分の感じたものを書かせていただきました。
片山慎三監督の次回作にも期待できますね!


最後までお読みいただいた方、ありがとうございました。



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『スパイダーマン ノー・ウェイ・ホーム(NWH)』ネタバレ感想

目次




初めに

どうも、レクです。
今回は『スパイダーマン ノー・ウェイ・ホーム』(以下『NWH』)について語っています。
いつものように感想や考察ということではなく、映画がどうという評価よりも僕個人がこの作品を認めたい!という側面から見た思考の垂れ流しとなっています。

なので、本作『NWH』はもちろんのこと、他のMCU映画や過去のスパイダーマン映画などに関しても少し触れています。
但し、物語に直接関係のあるネタバレは避けています。



※この記事はネタバレを含みますので、未鑑賞の方はご注意ください。




作品概要

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原題︰Spider-Man: No Way Home
製作年︰2021年
製作国︰アメリカ
配給︰ソニー・ピクチャーズエンタテインメント
上映時間︰149分
映倫区分︰G


解説

「スパイダーマン ホームカミング」「スパイダーマン ファー・フロム・ホーム」に続く、マーベル・シネマティック・ユニバース(MCU)に属する「スパイダーマン」シリーズの第3弾。MCU作品の「アベンジャーズ インフィニティ・ウォー」「アベンジャーズ エンドゲーム」でもスパイダーマンと共闘した、ベネディクト・カンバーバッチ演じるドクター・ストレンジが登場する。前作でホログラム技術を武器に操るミステリオを倒したピーターだったが、ミステリオが残した映像をタブロイド紙の「デイリー・ビューグル」が世界に公開したことでミステリオ殺害の容疑がかけられてしまったうえ、正体も暴かれてしまう。マスコミに騒ぎ立てられ、ピーターの生活は一変。身近な大切な人にも危険が及ぶことを恐れたピーターは、共にサノスと闘ったドクター・ストレンジに助力を求め、魔術の力で自分がスパイダーマンだと知られていない世界にしてほしいと頼むが……。サム・ライミ監督版「スパイダーマン」シリーズに登場したグリーン・ゴブリンやドック・オク、マーク・ウェブ監督版「アメイジング・スパイダーマン」シリーズのエレクトロなど、過去のシリーズ作品から悪役たちが時空を超えて登場。それぞれウィレム・デフォー、アルフレッド・モリーナ、ジェイミー・フォックスら当時のキャストが再登板した。
スパイダーマン ノー・ウェイ・ホーム : 作品情報 - 映画.comより引用





ヒロイズムと救済

まず初めにMCU映画は現在の最新作『NWH』まですべて観ています。

また、サム・ライミ監督作品『スパイダーマン』3作。
マーク・ウェブ監督作品『アメイジング・スパイダーマン』2作。
スパイダーマン関連作品では『ヴェノム』、『ヴェノム︰レット・ゼア・ビー・カーネイジ』。
これらの作品もすべて鑑賞しています。

が、配信ドラマは未鑑賞、アメコミ原作にも詳しいわけではありません。
なので、あくまでも個人が思うヒロイズムに関して言及しています。




ということで、Twitterに上げた感想から。



さてさて、本題に入っていきましょう。

早速、MCU好きな方には申し訳ないのですが
MCU映画におけるヒロイズムに僕は当初、懐疑的であったことを話さなければなりません。
それは記念すべき1作目、ジョン・ファブロー監督作品『アイアンマン』。

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アイアンマンの場合、ヒーローという立場から行われる英雄的行為がたとえ法を犯す超法規的暴力であっても劇中で肯定されてしまっています。
これは例えば王道ヒーローであるウルトラマンでも言えることです。

この超法規的暴力が許されてしまうひとつの大きな要因は、トニー・スタークという人物の周知とアイアンマンがMCUの世界では絶対的ヒーローであるから。

正義のためにはその超法規的暴力も必要であり、だからこそ正当化され、それがなければ正義が悪に打ち負かされてしまうという保守的とも取れる形を取らざるを得ない。
このMCU映画のヒロイズムに関して、僕はずっと懐疑的でした。



が、後にルッソ兄弟による『シビル・ウォー/キャプテン・アメリカ』でこのヒロイズムに関して漸く言及される形となります。

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『アベンジャーズ AoU』による被害から出された国連のヒーローを管理下に置く「ソコヴィア協定」。
ここではじめてアイアンマンことトニー・スタークは超法規的暴力について考えを改めていく。


ええ、『シビル・ウォー』は過去のMCU映画の中でもトップクラスに好きな映画となりました(笑)
というか、この『シビル・ウォー』がなければ、MCU映画のヒロイズムに関しては未だに懐疑的なままだったと思うほどの傑作だと思っています。

アイアンマンもキャプテン・アメリカもどちらの言い分も正否はない。
何を優先するのか?
ヒーローも元はひとりの人間であること、だからこそ感情と感情、価値観の違い、正義と正義のぶつかり合いが生じることで、ヒロイズムについて深く考えさせられましたね。





ヒロイズムというものは本来、自分が主体で力を振るうものではなく、また悪をなぎ倒すことでもない。
困っている人に手を貸すこと、必要とする人を助けることなんです。

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本作で描かれる「大それた魔術でどうこうした責任」とか、「グリーン・ゴブリンを野放しにしたからメイおばさんが死ぬことになった」とか、そういう話じゃないんですよ。

"大いなる力には大いなる責任が伴う"というのはヒロイズムを貫くための覚悟だと思うんです。





はい、やっとスパイダーマンの話に入れます。

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ライミ版、ウェブ版はひとまず置いておいてジョン・ワッツ監督作品に絞って話をしますが
ピーター・パーカー(トム・ホランド)がスパイダーマンだということが周囲に知れ渡ったシーン(前作『スパイダーマン ファー・フロム・ホーム』のラスト)から始まります。

ミステリオの動画によって、スパイダーマンが正義のために使った暴力が悪として一般人に知れ渡ることで、正体のバレたピーターの身に危険が及ぶことになります。

ヴィランを倒したヒーローとして賞賛されず、人殺しの汚名を着せられる点では『シビル・ウォー』のアイアンマンとの比較としても見ることができます。



ただ『シビル・ウォー』からスパイダーマンはいきなりヒーロー同士の争いに巻き込まれ、大人たちに振り回されてきました。
ジョン・ワッツ監督作品1作目『スパイダーマン ホームカミング』ではスパイダーマンがアベンジャーズに参戦することを軸に描かれているし、2作目『スパイダーマン ファー・フロム・ホーム』では『アベンジャーズ エンドゲーム』のその後の話でアイアンマンの重荷を背負わせてしまう話でもある。

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本作『NWH』はそんなエンドゲームの呪縛から解き放ち、尚且つ歴代スパイダーマン映画(ライミ版、ウェブ版)の過去の清算をして、更にはスパイダーマンとしてのヒロイズムへと立ち返らせる重要な作品だと思うんです。

この時点で、もう『NWH』は賛なわけですが。





ここで、論点となるのが本作『NWH』でマルチバースによって集結したヴィランたちの扱いだ。
彼らにとって"大いなる力"とは神が与えし"恩恵"と感じ、その力の使い方を誤ったが故に歴代スパイダーマンによって死を以て"大いなる責任"を負っている。

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が、この物語ではそんな彼らを"治療"するとされ、一方的に"大いなる力"を奪う形で救済しています。
これを果たして救いと呼べるのか?は兎も角、ピーターにとって彼らを元の人間に戻すことが救いであると信じたが故の行動であり、それは彼らを否定するのではなく一般的な人間として生きてほしかったということ。

これは今までのスパイダーマンでも成すことのできなかった『NWH』のスパイダーマンならではのヒロイズムであり、それはメイおばさんの意志でもある。


「誰かを助けるいうことは誰かを助けないということ。」
『Fate/stay night』の衛宮切嗣の有名な言葉を引用しましたが、全員を救う誰もが納得する方法なんてものはないんですよ。


そんな道理に動かされたことで、メイおばさんを失ってしまってもピーターはそのヒロイズムを貫こうとしました。
そして、マグワイアとガーフィールドの歴代スパイダーマンがそれに協力する形となったことには意味がある。

感想でも書きましたが、本作『NWH』はMCU映画のツケの清算と過去からの脱却。
つまりは、物語上での過去からの救済をしなくてはならないから。



MJが転落した時に、過去では救えなかった人を救うことで自身の救済にもなったピーター(アンドリュー・ガーフィールド)。
ここは『アメイジング・スパイダーマン』を観ていれば感動的なシーンのひとつだと思う。

また、グリーン・ゴブリンを前にしてメイおばさんを殺された怒りを抑えきれなかったピーター(トム・ホランド)が、同じ過ちを過去に犯していたピーター(トビー・マグワイア)に制止されること。
ここでヒーローも元はひとりの人間である、つまりはヒーローもヴィランも同じであることを掲示するとともに、ピーター(トビー・マグワイア)の救済も担っているとても素晴らしい描写だと思っていて。


簡単に纏めるなら
ヴィランには死からの救済を。
歴代スパイダーマンには喪失からの救済を。

です。

これはマルチバースという力技だからこそ描けるファンサービスであり、過去の清算でもあるのです。





紆余曲折あって、ラストシークエンスでは記憶の改竄によりスパイダーマンの正体が知れ渡っていない世界になりました。
つまり、スパイダーマンは存在しているがピーターがスパイダーマンであることは誰も知らないということ。

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これは『ダークナイト』のバットマンとの比較として見ることができます。
マスクというフィクションで覆い隠すリアルですね。

つまりは、親愛なる隣人になったわけです。
いや、なってしまったと言うべきか。


"大いなる力"を振るいピーター自身が背負った"大いなる責任"と覚悟を描いたのが『NWH』で、ここではじめて「スパイダーマンのピーター・パーカー」ではなく、「ピーター・パーカーがスパイダーマンとなった」と強く感じました。

そうです、「アイアンマンのトニー・スターク」ではなく、「トニー・スタークがアイアンマンなのだ」といったメッセージが込められた『アイアンマン3』と同じテーマを『スパイダーマン NWH』でやってのけたんですよ。

これがもう一つの評価している点です。


スパイダーマン最終章にして始まりの物語。
本作『NWH』はスパイダーマンというヒーローの存在価値を示した作品となっているんです。




終わりに

ということで、内容に触れる考察ではありませんが思うことをある程度は言語化できてスッキリしました。

最後までお読みいただいた方、ありがとうございました!



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(C)2021 CTMG. (C) & TM 2021 MARVEL. All Rights Reserved.


レク的2021年映画ベスト

目次




初めに


どうも、レクです。

年の瀬も押し詰まってまいりましたが皆さんいかがお過ごしでしょうか?
未だにブログを続けられていることは皆様のお力添えがあってのことでございます。

来年もボチボチ更新していきますので、何卒よろしくお願い申し上げます。





さて、本題に入っていく前に2021年の鑑賞作品を振り返ってみます。

2021年の新作鑑賞数は210本。
※自宅鑑賞や配信作も含む

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1月10本
ジョゼと虎と魚たち アニメ版
約束のネバーランド
聖なる犯罪者
さんかく窓の外側は夜
43年後のアイ・ラヴ・ユー
無聲
トリバンガ 〜踊れ艷やかに〜 (Netflix)
風が吹けば
名も無き世界のエンドロール
えんとつ町のプペル

2月15本
KCIA 南山の部長たち
おもいで写眞
花束みたいな恋をした
ヤクザと家族
ムンナー・マイケル
人生は二度とない
ラーンジャナー
ザ・ホワイトタイガー (Netflix)
ジッラ 修羅のシマ
羊飼いと風船
Swallow/スワロウ
すばらしき世界
樹海村
ファーストラヴ
哀愁しんでれら

3月16本
ある人質 生還までの398日
春江水暖 しゅんこうすいだん
プラットフォーム
梨君たまこと牙のゆくえ
みずのきれいな湖に
Grand Bouquet
Wheel Music
あのこは貴族
カポネ
まともじゃないのは君も一緒
トムとジェリー
ミナリ
騙し絵の牙
旅立つ息子へ
ノマドランド
シン・エヴァンゲリオン劇場版𝄇

4月14本
マルコム&マリー (Netflix)
劇場版シグナル 長期未解決事件捜査班
モンスターハンター
砕け散るところを見せてあげる
ザ・スイッチ
名探偵コナン 緋色の弾丸
アンモナイトの目覚め
街の上で
ある用務員
るろうに剣心 最終章 The Final
21ブリッジ
ホムンクルス (Netflix)
マ・レイニーのブラックボトム (Netflix)
チャドウィック・ボーズマン︰あるひとりの表現者 (Netflix)

5月12本
ウィズアウト・リモース (Amazon)
隔たる世界の2人 (Netflix)
キース・ヘリング〜ストリート・アート・ボーイ〜 (試写)
闇はささやく (Netflix)
ファーザー
JUNK HEAD
火花 Theri
最終ラウンド
ゲームオーバー
3
アーミー・オブ・ザ・デッド (Netflix)
ジャスティス・リーグ ザック・スナイダーカット版 (Amazon)

6月20本
名探偵コナン 緋色の不在証明
生と死と夢と (短編)
アオラレ
賭ケグルイ 絶体絶命ロシアンルーレット
ジェントルメン
ふたりだけの宇宙 (短編)
フロッグ
この茫漠たる荒野で (Netflix)
クルエラ
るろうに剣心 最終章 The Beginning
猿楽町で会いましょう
ザ・ファブル 殺さない殺し屋
Mr.ノーバディ
クワイエット・プレイス 破られた沈黙
漁港の肉子ちゃん
Arc アーク
夏への扉 キミのいる未来へ
キャラクター
逃げた女
トリッキー・ワールド (Netflix)

7月20本
まばたかない瞳 バンガロール連続誘拐殺人
マイルストーン (Netflix)
共謀家族 (オンライン試写)
ライトハウス
彼女来来
クローブヒッチ・キラー
ブラック・ウィドウ
東京リベンジャーズ
ファイナル・プラン
竜とそばかすの姫
ジャッリカットゥ
映画大好きポンポさん
孤狼の血 LEVEL2 (先行上映)
プロミシング・ヤング・ウーマン
17歳の瞳に映る世界
The Soul :繋がれる魂 (Netflix)
ブラッド・レッド・スカイ (Netflix)
第8日の夜 (Netflix)
サイコ・ゴアマン
屋敷女 ノーカット完全版

8月18本
返校 言葉が消えた日
ウィッチサマー 未知の怪物
メタモルフォーゼ/変身
シンクロニック
アウシュヴィッツ・レポート
ベルヴィル・ランデブー
オクトパスの神秘:海の賢者は語る (Netflix)
ワイルド・スピード/ジェットブレイク
サマーフィルムにのって
ドント・ブリーズ2
クラシック・ホラー・ストーリー (Netflix)
フリー・ガイ
ザ・スーサイド・スクワッド "極"悪党、集結
美に魅せられて (Netflix)
食われる家族
ベケット (Netflix)
オールド
ドライブ・マイ・カー

9月18本
鳩の撃退法
レリック 遺物
モンタナの目撃者
HOME FIGHT
その日、カレーライスができるまで
僕のヒーローアカデミア ワールド ヒーローズ ミッション
君は永遠にそいつらより若い (試写)
シャン・チー/テン・リングスの伝説
アーカイヴ
レミニセンス
食人雪男
まっぱだか
マスカレード・ナイト
空白
マスター 先生が来る!
はじめの夏
二階のあの子
偽神

10月15本
ジェームズ・ボンドとして (アマプラ)
007/ノー・タイム・トゥ・ダイ
ベイビーわるきゅーれ
草の響き
PITY ある不幸な男
DIVOC-12
護られなかった者たちへ
キャンディマン
DUNEデューン 砂の惑星
MINAMATA ミナマタ
最後の決闘裁判
CUBE 一度入ったら、最後
燃えよ剣
かそけきサンカヨウ
ひらいて

11月32本
ほんとうのピノッキオ
Shari
ミラ:ガール・オン・ザ・トレイン (Netflix)
エターナルズ
スケーターガール
ナイトティース (Netflix)
ラストナイト・イン・ソーホー (試写)
アンテベラム
ハロウィン KILLS
マリグナント 狂暴な悪夢
アンコントロール
クレイジーズ 42日後
パワー・オブ・ザ・ドッグ (Netflix)
囚人ディリ
聖地X
ファブリック
スプートニク
ラブ・エクスペリメント
インビジブル・スパイ
潔白
スカイ・シャーク
ゾンビ津波
デンマークの息子
ベル・エポックでもう一度
ウェイティング・バーバリアンズ 帝国の黄昏
バッド・ヘアー
シティー・コップ 余命30日?!のヒーロー
モンスターランナー 怪物大戦争
ホワッツ・イン・ザ・シェッド
アイの歌声を聴かせて
アイス・ロード
ダーク・アンド・ウィケッド

12月20本
孫悟空vs猪八戒
コスモボール/COSMOBALL
ヴェノム レット・ゼア・ビー・カーネイジ
天才ヴァイオリニストと消えた旋律
パーフェクト・ケア
悪なき殺人
パニック・イン・ミュージアム モスクワ劇場占拠テロ事件
彼女が好きなものは
GUNDA グンダ
半狂乱
タイム・ガーディアンズ 異界の魔女と時をかける少女
ブラック・クローラー
白雪姫の赤い靴と7人のこびと
コントラ KONTORA
あなたの番です 劇場版
偶然と想像
人肉村
夏時間
RUN/ラン
キャッシュトラック


諸事情でNetflixを途中で退会したこともあって、配信の新作に手が回っていないのですが、1ヶ月あたり20本弱のペースということで例年と然程変わりはないですね。
まだ年越しまで時間はあるので追加で数本観るかもしれませんが、現時点(12/29)での鑑賞数になります。



これに加えて旧作鑑賞数は246本。
こちらは例年に比べると30本ほど少ないですね。

とはいえ、フォロワーさんからの薦め『ドラえもん』シリーズや、『ワイルド・スピード/ジェットブレイク』のためのワイスピシリーズ、『007/ノー・タイム・トゥ・ダイ』のために映画007シリーズを1作目から復習したりと旧作もなかなか充実はしていました。



では、今年は40位までランキングにしましたのでご覧ください。




31~40位

残念ながらベスト10に入らなかったけど、40位くらいまでは好きな映画がほぼ団子状態で…決めるのが大変でした(笑)

31~40位はこちらの作品たちになります。

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㉛あのこは貴族
㉜パワー・オブ・ザ・ドッグ (Netflix)
㉝RUN/ラン
㉞隔たる世界の二人 (Netflix)
㉟メタモルフォーゼ/変身
㊱エターナルズ
㊲アイの歌声を聴かせて
㊳GUNDA グンダ
㊴21ブリッジ
㊵Mr.ノーバディ



『あのこは貴族』は上半期ベストの時点では13位くらいにいたのですが、残念ながらズルズルと落ちていきましたね。
この辺りのランキングだと、あまり僕らしくない作品も入ってきています。

MCU映画『エターナルズ』が割と上位(210本中36位)というのも珍しいのではないでしょうか。
ちなみに、『パワー・オブ・ザ・ドッグ』は劇場鑑賞しましたが最終的にはこの位置でした。




21〜30位

次、21~30位はこちらの作品たちになります。

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㉑ドライブ・マイ・カー
㉒コントラ KONTRA
㉓春江水暖 しゅんこうすいだん
㉔空白
㉕夏時間
㉖砕け散るところを見せてあげる
㉗この茫漠たる荒野で(Netflix)
㉘ウィッチサマー
㉙哀愁しんでれら
㉚アウシュヴィッツ・レポート



なんと、ここで今年の邦画の顔の一つでもある『ドライブ・マイ・カー』が21位であることが明かされてしまいました(笑)
この件については、後述しております。

この21~30位が今年の年間ベストだと言ってもおかしくないラインナップですよ、正直なところ。
どれもとても良い映画ですからね!

2021年上半期ベスト10の偏愛枠『砕け散るところを見せてあげる』は惜しくも26位。
2021年上半期ベスト10入りの『この茫漠たる荒野で』、『哀愁しんでれら』と如何に混戦だったのかわかってもらえると思います。

例年なら『春江水暖』や『空白』辺りもベスト10に絡んでくるくらいに高水準な作品ばかりでした。




11〜20位

惜しくもベスト10には入らなかったけどとても好きな映画ばかりです。
偏愛枠が多いですが。

11〜20位はこちらの作品たちになります。

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⑪キャンディマン
⑫草の響き
⑬ダーク・アンド・ウィケッド
⑭パーフェクト・ケア
⑮美に魅せられて (Netflix)
⑯マスター 先生が来る!
⑰ラストナイト・イン・ソーホー
⑱プラットフォーム
⑲無聲
⑳最後の決闘裁判



もう一度言いますが、偏愛枠が多い(笑)

なんやかんやでTLで荒れて「これ、最後の決闘裁判と同じことやってるでしょ…」と呆れてしまった『最後の決闘裁判』が20位!(言わなくていい)
映画としては良かったですからまあ順当でしょう。

『キャンディマン』、『ダーク・アンド・ウィケッド』、『ラストナイト・イン・ソーホー』、『プラットフォーム』は広義の意味でホラージャンル。
『美に魅せられて』、『マスター 先生が来る!』はインド映画枠。
『草の響き』、『無聲』は僕の好みがわかっておられる方なら納得の入賞だと思います。

11〜20位はベスト10にこそ入らなかったですが、僕の好みがしっかりと反映された10作なんですよね。

つまり、『パーフェクト・ケア』が今年のダークホースだったということです!
いやあ、面白かった!




1〜10位


さ、ここからはベスト10になります。
少し語りたいというのもあり、1作品ずつ紹介していきたいと思います。




・10位

『偶然と想像』
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(C)2021 NEOPA / Fictive


同監督・濱口竜介による今年の邦画の顔の一つとも言える『ドライブ・マイ・カー』。
確かに鑑賞後の余韻は突出したもので、完成度もそちらの方が圧倒的にクオリティも高い。
今も尚咀嚼できてないというか語れないというか、だからこそ単純に「この映画が好きだ!」という感情にも振り切れてないわけで。
そのような映画は僕のベスト10ではないな、ということで『ドライブ・マイ・カー』はベスト10から漏れてます。

どちらかといえば10位にランクインした『偶然と想像』の方が好みなんですよね。
どちらも共通するのが対話、コミュニケーションなんですが、ドライブマイカーはその対話の壁を日本語と外国語の隔たりを取っ払って成立させる演劇『ワーニャ伯父さん』や韓国人の手話という2段階の壁を通して隔たりのない言葉として表現していて。
また、人が生きるということ。
愛や心の傷を生きる弱みに変えてはいけないというメッセージを僕は感じたんですが…。


本作『偶然と想像』では、様々な偶然性が引き寄せる人生の遭逢と言語、文章や声が紡ぐ様々な想像性を介して3つの物語が織り成す運命と、演劇のようなリズミカルな対話が創り出す命題を突きつけてくるんですよ。

また、特筆すべきはカメラワーク。
僕個人的に好きな韓国監督のひとり、ホン・サンスのように長回しやズームなどを利用しながら、言葉で状況が変化していく濱口竜介の世界観に一気に飲み込まれていくのが自分でもわかりました。
要は言葉、対話から生まれる人と人との関係性がコミカルを交えながら共感したり、もしくは俯瞰的に見て楽しんだり、はたまた心に染みてくるというか。

ただ、ホン・サンスと濱口竜介のカメラワークの意図の違いは、ホン・サンスは偶然性に、濱口竜介は想像性に焦点を当てていると思います。
ホン・サンスは反復という日常繰り返される対話とそこに付随する偶然性のショットによる奇跡のような映画を撮る監督で
濱口竜介は逆に偶然という非日常から成り立つ対話と観客が想像を掻き立てるようなショットによる計算された映画を撮る監督という印象を改めて持ちました。


濱口竜介監督作品はほかに
『寝ても覚めても』しか観ていないのですが
同じ顔で対照的な二人の男の間で"運命と選択"によって揺れ動く女性心を描いた作品。

悩んだ末に出した答えは予め心で決めていたことなのかもしれない。
一方で無数の選択肢の中から答えを出しているのかもしれない。
これは自由意志と因果関係の二律背反であり、覚めない夢は現実を霞ませるもの。

自分の感情(主観)とそれを抑えようとする理性(客観)。
夢と現実が対極を成すように、自と他、主観と客観が描かれていて、『偶然と想像』ではその主観(感情)と客観(理性)のせめぎ合いから対話によって生まれる新たな関係性の構築を見せてくれたんですよね。


個人的には一話の『魔法(よりもっと不確か)』が一番面白かった。

ということで、3作しか観てませんが濱口竜介監督作品の中でも『偶然と想像』が好きでした!





・9位

『まばたかない瞳 バンガロール連続誘拐殺人』
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(C)Cameo Films India, (C)Drumsticks Productions


インディアンムービーウィーク2021のタミルクライム映画特集で上映。

大都市バンガロールで街中を震撼させる連続誘拐殺人事件が発生。
富裕層の子供が誘拐されて身代金が支払われても殺される。
犯人は射殺されたはずが、全く同じ手口の事件が再発し、真犯人と名乗る男から犯行予告が入る。
そんな凶悪事件の殺人犯を追う女性CBI捜査官の物語。

主人公の女性CBI捜査官のワケアリな感じと、突然現れる弟のラブロマンスで前半は「何を見せられてるんだろう…ということはこれは伏線だろうな」って大まかなその後の展開は予想できるんですが、伏線回収しながら予想を裏切ってくるというか。
そこから更に一歩、いや二歩先を行く転調に驚かされる。

私情を挟みまくるインドの正義はどうあれ、170分という時間を忘れるほど二転三転…いや、四転し、掌の上で転がされる心地良さ。
この感覚は2019年ベスト『盲目のメロディ インド式殺人狂騒曲』ぶりかも。
フランスの短編映画『調律師』から着想を得て作られたインド映画で、視覚障害者を装うピアニストがある事件を目撃することから進展するブラックユーモアたっぷりの痛快コメディ。

どちらもめちゃくちゃ力技ではあるものの、インド映画が持つポテンシャル、そして観客を楽しませようとする気概に本作でも改めてインド映画って面白いし凄いなと思った。


監督業も俳優業も熟すアヌラーグ・カシャプがサイコ野郎すぎてマジで最高です!

ちなみに、アヌラーグ・カシャプ監督が本人役で出演するNetflix配信映画『AK vs AK』が面白いのでインド映画に興味がある方は是非観てほしい。





・8位

『スケーターガール』
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Netflix配信作


インド人の父を持つ英国籍の女性が休暇で父の故郷へと訪れる。
カースト制度や男尊女卑、家父長制、貧困、インドの抱える様々な問題が障害となる中で、それと対比するようにスケートボードによって自由や夢という輝きを子どもたちに与えていく。
小さな一歩が誰かの人生を変える。

久々にこの手のベタなインド映画を観て泣いた。
というか、僕は難病や悲哀の恋愛ドラマなど所謂感動の押し売りで泣くことはないんですが、報われない人が努力して報われる瞬間ってのには弱いんですよね。

外部の手を加えないと現状が変わらない閉塞的な村の規則やインド国の因習、選択の余地がない決められた人生やそのしがらみが本当に悔しい…スケボーに乗る少女の表情が観終わった後でも鮮明に脳裏に焼き付いている。
何より、エンドロール直前のテロップで評価が爆上がり。

この撮影で作られたスケボー競技するための施設が実際にこのインドの村に残されて、今も現地の子どもたちがスケボーに励んでるんですよ。
創作が現実になる、精神的であれ物理的であれこれこそ映画の持つ力の証明だと思っているんです。

こういう映画こそ劇場でかけてほしい!


本作『スケーターガール』はManjari Makijanyという女性監督が撮った映画だが、『M:i ゴーストプロトコル』や『ワンダーウーマン』、『ダークナイトライジング』のインドでの撮影に参加、クリストファー・ノーラン監督のもとで助監督をされていたそうで、インドを舞台にしながらハリウッド的なテイストを感じさせる。
今後の作品にも期待したい注目する監督の一人となった。

昨今韓国映画で言えば『はちどり』や『マルモイ ことばあつめ』など女性監督の作品が評価されてきていて、ほかにも『ハーレイ・クインの華麗なる覚醒 BOP』のキャシー・ヤンや『エターナルズ』のクロエ・ジャオなどメジャー大作でも活躍が見られます。


そんな中で、今年に僕が注目した監督が本作『スケーターガール』のマンジャリ・マキジャニー監督と惜しくもベスト10には入りませんでしたが、『夏時間』という韓国映画のユン・ダンビ監督ですね。

新人監督はどんどん映画を撮ってほしいし応援したい!





・7位

『デンマークの息子』
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(C)Henrik Ohsten


こちらも先程と同様に監督の長編デビュー作になります。
先日に行いましたナオミントさんとのコラボキャス『レクミントの未体験ゾーン2021』でも語りましたが、未体験ゾーンの映画たちという映画祭上映作品で鑑賞作品28作品中、断トツの1位です。

近未来のデンマークを舞台に描いたポリティカル・サスペンス。
多数の犠牲者を出した爆破テロ事件から1年が経った2025年のコペンハーゲンでは、移民排斥を訴える極右政党が支持率を上げていた。
移民に対するヘイトクライムが激化する中で、それに対抗する過激派組織に入った青年が党首の暗殺を命じられる。


同じく未体験ゾーン上映作品で『アンコントロール』というデンマークの映画があるんですが、安全圏にいる我々へ向けた痛烈なメッセージが鮮烈なんですよ。
クオリティ自体はそこまで高くはないが、街の憎悪に飲み込まれていくエンタメ性の高いデンマーク版『レ・ミゼラブル』(ラジ・リ監督)と言える社会派サスペンスアクションです。


こちらの本作『デンマークの息子』はフィクションを介して近い将来の最悪の事態を危惧し、現代におけるデンマークの移民問題に鋭いメスを入れる。
この完成度でウラー・サリム監督のデビュー作というから驚きしかない。

監督はコペンハーゲン出身だが、両親はイラク移民。
監督がインタビューで「この物語はどの国で起きても不思議でない」と語る様に、移民問題はEU諸国共通の課題でもあります。
また、デンマークは移民が人口の10%を超えていて、移民の二世だからこそ描ける近未来への危惧、想像し得る地獄を作品を通して我々に突きつけてきます。





・6位

『すばらしき世界』
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(C)佐木隆三/2021「すばらしき世界」製作委員会


『ドライブ・マイ・カー』と同じく、今年の邦画の顔の一つと言える作品ですね。

人生の大半を裏社会と刑務所で過ごした男の再出発の日々を描く。
殺人を犯し13年の刑期を終えた三上は自立を目指す。
そんなある日、若手テレビディレクターの津乃田とやり手のプロデューサーの吉澤が近づいてくる。
彼らは、社会に適応しようとあがきながら、生き別れた母親を捜す三上の姿を感動ドキュメンタリーに仕立て上げようとしていたが…。


『ヤクザと家族』と対になるアプローチって話は何度かさせていただいたのですが、本作『すばらしき世界』は正直あまり語れない映画の一つなんですよね。

他人事だと罵り揶揄することは簡単で、他者の人生を物語として消費してしまう危険性を孕む。
後出しじゃんけんで事後に正当性を突きつけたり、説教することなんて簡単なんですよ。

長澤まさみ演じるプロデューサーや、仲野大賀演じる津乃田もはじめは他人事として三上の人生を消費するんですが、不寛容や傍観から寄り添い見守ることへと心情が変化していく。
これって観客の視点を体現してるなあと感じるところが多々あって。

冒頭から元反社の人って我慢が足りないというか、いきなりキレたりするよねってどこか偏見の目で見ている自分がいるんですよ。
そんな三上がそれなりにマトモになろうとした先でのラストシークエンスで、そんな偏見の目で見ていた三上と自分が重なる瞬間があるんですよね。

客観視が主観へと変わるタイミングで「ハッ」とさせられる。
あの三上の行動は処世術とも呼べるし、不寛容な社会に絡めとられたとも取れるし、あのラストは僕個人としては気持ちのいいものではなかったんですよ、所謂同族嫌悪と言いますか。

でも、そういう一面って人間誰しもが必ず持ってると思うんですよね。
余程の偽善者でもない限りは。
各々の立場から見えてくる様々な社会問題や状況を介して僕たちが見る世界の視野を広げ、考えさせられる。
だからこそ本作の存在価値は大きいと思うんです。





・5位

『Swallow/スワロウ』
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Copyright (C) 2019 by Swallow the Movie LLC. All rights reserved.


ヘイリー・ベネットが異物を飲み込むことで自分を取り戻していく主婦を演じるスリラー。
ふとしたことからガラス玉を飲み込みたいという衝動にかられ、その日から異物を飲み込むことに多幸感を抱くようになっていく。

『ハードコア』や『ガール・オン・ザ・トレイン』でもエロスの雰囲気を醸し出していたヘイリー・ベネットですが、本作では非常に繊細な女性を演じていますね。


タイトルのスワロウは"飲み込む"と"抑える"のダブルミーニング。
一見裕福な家庭環境での孤独感や疎外感。
それに対して痛みや苦しみを伴う異食は我慢や抵抗、はたまた挑戦を示す。

排泄されても消化されず原型を留める異物を保管する。
これは異物と自分自身を重ね、自身の存在を認めることで、アイデンティティーの確立に繋がっていく。
排泄という行為そのものは生を実感する象徴でもあるんです。
謂わば、生きた証、トロフィーのようなものなんですよ。


何よりも、この映画ではトイレというシチュエーションの使い方が上手すぎるんですよ!
本来、トイレという場所は体に溜まった不要なものを出す場所です。
プライベート空間であると同時に、彼女が飲み込み、抑えてきたものを吐き出す場所。
そこから、彼女にとっての生きた証、アイデンティティーを確立していく場所となり、更には閉塞的な空間と外界とを繋ぐ場所にもなるんです。

また、女性にとってのトイレって、例えば化粧直しや身だしなみを整える場所でもあって
外界へ踏み出す勇気を生理的に訴え、彼女の抱える秘密パーソナル部分から、抑圧から解放される女性の物語へと派生していってるんですよ。
それを可視化したのが最高のエンドロールなんですよね。

上半期からずっと好きな映画の一つです!





・4位

『聖なる犯罪者』
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(C)2019 Aurum Film Bodzak Hickinbotham SPJ.- WFSWalter Film Studio Sp.z o.o.- Wojewodzki Dom Kultury W Rzeszowie - ITI Neovision S.A.- Les Contes Modernes


第92回アカデミー賞の国際長編映画賞にノミネートされたポーランド製作の人間ドラマ。
監督はNetflix配信作品で、SNSの中傷戦術の闇を描いた映画『ヘイター』のヤン・コマサです。
(まだ観てないのですがフォロワーさんにオススメされているのでNetflix再開した時に必ず観ます。)


少年院に服役中の主人公ダニエルは「前科者は聖職に就けない」と知りながらも少年院で神の教えを説くトマシュに習い、仮釈放され田舎の製材所で働き始める予定だったが立ち寄った教会で過去を偽り司祭の代わりを務める。

基本的には信仰がメインテーマではあるが、あくまでもそれは内包するテーマを可視化するための大枠。
何を以て善と説くか、人は何に縋って生きていくのか?
また、人が生きていく上で必要なものとは何か?
を考えさせられる映画です。


主人公の名前でもあるダニエル。
別に知らなくてもいいのですが、旧約聖書のダニエル書を知れば更にこの物語の深みが増すと思います。
主にダニエルたちが新バビロニアに連行されるバビロン補囚の部分ですね。
主人公であるダニエルに由来する。彼は捕囚の民の一人としてバビロニアに連行されてくるが、その賢明さによってネブカドネツァル2世に重用されたとされる人物。

旧約のダニエル書、新約のヨハネの黙示録が代表とされる黙示文学。
この世の終末を語り、信仰心のある人々を説き伏せる救済であり、これもまたこの『聖なる犯罪者』に通ずる部分でもある。


また、この物語が事実を基に作られたというから興味深い。
実際には、最初は事実に基づいた物語を書き始めたけどドキュメンタリー調になってしまって、脚本家がこの事件と似たケースの事件も取り入れて書きあげた創作になっているんですよね。
聖書を知らなくても信仰心と懐疑心という相反する事柄への矛盾をひしひしと感じられるはず。


聖職者、司祭ではない犯罪者が人々の心を掌握して司祭として認められていく。
虚構が真実になる、ないし真実を超えた存在となっていく。


似た設定の映画を挙げるとコメディ映画になりますが、チャールズ・チャップリンの『偽牧師』やマイケル・カーティス監督の同名リメイクしか観てないんですが、ニール・ジョーダン監督の『俺たちは天使じゃない』など。
チャップリンも脱獄囚が牧師の衣装を盗んで本物の牧師と間違えられてミサを行う。
リメイク版『俺たちは天使じゃない』もロバート・デ・ニーロとショーン・ペンが脱獄して神父を偽ったり。

この映画での詳しいプロットはネタバレになるので伏せますが、この主人公ダニエルや田舎村の人々の心理的な変遷が信仰でなくとも何かに縋りたいという希望、または自己陶酔のような思考や自己顕示欲と重なって絶妙なバランスで描かれるんですよ。


主人公の犯罪者ダニエルが教誨師トマシュの名を借りて田舎村で司祭を務める。
刑務所から出てきて居場所がない主人公が、他人になりすますことで自分の居場所を模索。
虚偽で塗り固め、自分以外の誰かになることで自己肯定し、新たな人生を手に入れようとする。
この二面性は昨年末に観た『ナンシー』にも通ずる。

罪と赦しまたは贖罪ないし救済、善悪或いは偽善、真偽と正否、そして陶酔と信仰を介して人間の本質を問うこの物語の構造を巧みに利用し、道理と矛盾を同時に掲示している凄い映画なのです。





・3位

『逃げた女』
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ホン・サンス監督と色々あったキム・ミニが7度目のタッグを組む。
5年の結婚生活の間、夫と一度も離れたことのなかった主人公ガミが夫の出張中に3人の女友だちと再会する。


ホン・サンスの映画って基本的には会話劇で進行していくんですが、そこに長回しやズームとパンを使って画で見せていくんですよね。
偶然なのに必然だと思わせるような奇跡のショットが映画そのものを雄弁に語るんですよ。映像として。

これをホン・サンス節って僕は勝手に呼んでるんですけど
会話劇って例えば小説ないし朗読でも字や音声だけで映像がなくても成り立ちますよね?
そこに映像が入ることで、映画としての形が作られるわけです。


で、ホン・サンスがテーマとしているものが過去作から一貫してるんですけど、それが「人生は反復である」と。
要は毎日同じことの繰り返しで人生はできてますよって。
これがホン・サンスの反復でもあって、謂わばホン・サンス自身の映画人生ですよね。
そこに差異、違いが生じるとドラマが生まれるよってのがホン・サンスのスタイルなんですよ。

本作『逃げた女』も主人公が先輩なり旧友なり女性たちに会いに行ってご飯食べながら話をする。
この反復する日常を切り取り、他愛もない会話が物語を牽引しながら、ホン・サンス節を見せることで心情なり人となりに厚みが増していくんですよね。

そんな主人公が時折、先輩や旧友たちの私生活を監視カメラないし遠くから覗き見るんですよね。
この主人公の客観的視点が観客である我々の主観的視点へと移り変わる妙。
ここもホン・サンス節があるからこそ成せる技で。
これがラストの主人公と観客の同調にも繋がるし、すげえなって。


また、その女性の反復を崩す仕掛けによく男性と死が用いられる。
それは女性の人生を狂わすものが男性であり、反復する日々の積み重ね、人生の終着駅が死であるから。
勿論、死とは肉体的なものも過去作には描かれていた。
恋や愛の死もまた過去作には描かれています。

ホン・サンス監督の作品に登場する男性が教授や映画監督などであることにも理由があると思っています。


少し前に話題となったファ◯◯映画のようなながら見や早送りでは決して掴み取れないような些細な機微、変化から心情をぼんやりと浮かび上がらせるホン・サンス作品は観る人を選ぶものではあるんですが…。

この映画において肯定的に結論づけられているものはほとんどなく、すべては観客の解釈に委ねられています。
男女の関係、或いは人生とは何たるか。
映画の中で確定的に結論を出さず、解釈を観客に委ねることで多様な見方が出来てしまうのもこの作品の面白さだろう。





・2位

『ファーザー』
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(C)NEW ZEALAND TRUST CORPORATION AS TRUSTEE FOR ELAROF CHANNEL FOUR TELEVISION CORPORATION TRADEMARK FATHER LIMITED F COMME FILM CINE-@ ORANGE STUDIO 2020


『羊たちの沈黙』以来、2度目のアカデミー主演男優賞を受賞したアンソニー・ホプキンスが認知症の父親役を演じたヒューマンドラマ。

認知症を患った人間はどう見えているのか。
ある種のミステリー・スリラー的なアプローチではあるんですが、そのディテールは古典的。
フロリアン・ゼレール監督は元々舞台であるこの題材を映画として作るにあたり、同じ室内の絵画や家具の配置を変化させることでまったく違って見えてくる空間を作り出しているんです。


主人公アンソニーの脳内、現実と虚構が交錯する主観映像の可視化が圧倒的な説得力を生み、認識的不確実さに付随するパーソナルな部分を炙り出す。
また、主観だけに留まらず娘のアンをはじめ登場する人物たちから見た違和感、客観的な視点を挿入することで、アンソニーが見ている世界は"誤り"であるという"真実味"が引き立てられる演出と構成、これは凄い…。

「目に見えるもの、見たものしか信じない。」なんて言葉がありますが、アンソニー視点"主観性=確定性"を不確実なものへ導くと同時に、観客視点"客観性=確定性"も不確実なのだと認識させられる。
つまりは、何が事実で何が誤認なのか分からなくなるということ。

この作品は何が真実?何が事実?何が妄想?と観客からの視点で判別が付かないまま物語が進行していきます。
これって認知症当事者の時間の流れそのものなんですよね。


それらを踏まえて
老いという誰もが陥ってしまう危険性を孕むこの物語は、視点を変えれば当人にとっては疑い得ない真実だと肯定しているように思えてならない。

言い換えるなら、人それぞれの真実があり、真実と事実は必ずしも合致しないということ。
認知症患者の言葉をただ否定するのではなく、認知症患者から見た世界をまず知ることが重要なのだと、まさに疑似体験、追体験として実直に訴えかけている。


と言うものも、何度も言ってきてますが、僕にとって映画ってのは娯楽であってあくまでも客観視するものなんですよね。
僕はよく映画を観ながら何かしら考えて観ちゃうところがあって。

観客はスクリーンに向かって創作である他人の物語を見るわけで。
この他人事として人生を物語として消費しているってのは『すばらしき世界』でも言えますよね?
まさにこの『ファーザー』も所詮はそんな他人事の話なんですよ。
特に自分はまだ老人でもなければ、家族に認知症の人がいないんですよね。
でも、もし自分が認知症になってしまったら…と自分の立場に置き換えて考え出したり、他人事として見ているそんな自分の心が揺さぶられたのなら、もうスクリーンを越えてその他人の物語は自分の物語になってるんですよ。


もう一度言いますが、本来、映画ってスクリーン越しに俯瞰で見るもので、映画を観ながら脚本や編集の巧さ、監督の意図などを考えだしたら客観視しかできてないと思うんです。
それらを抜きにその客観が主観に変わるタイミングに僕は快感を得ているわけで、言い換えるなら他人の物語が自分の物語になる瞬間でもあるんです。

この他人の物語が自分の物語となる感覚と近いものを感じたのが、今年の上映作品だと『すばらしき世界』と『映画大好きポンポさん』。

これは劇中でも語られるし、めちゃくちゃ納得する部分でもあり、評価した部分でもある。
そこを体感的に観たのが『逃げた女』と『ファーザー』です。

したがって、本作『ファーザー』では時系列や経緯の正確性を考えたり探るのではなく、アンソニー同様に今見えている現実、映像に振り回され、騙されてほしい。
そうすることで、少なからず世界の見え方が変わると思うんです。


勿論、映画としての出来も良くてそこに引き込まれるというのもあるんです。
アンソニー・ホプキンスやオリビア・コールマンの演技あってのものってのも頷けます。

アカデミー賞授賞式の主演男優賞をアンソニー・ホプキンスが受賞した時のあの空気。
チャドウィックボーズマンの『マ・レイニーのブラックボトム』も後に観ましたが「いやいや、主演男優賞はアンソニー・ホプキンスしかないだろう」と思いましたよ。

そんな演技や映画的な上手さの中で、観客を巻き込む吸引力がとてつもないんですよね。
これって創作が持つポテンシャルというか創作が受け手に与える力をまざまざと見せつけられた感じですね。
今年の映画を語る上では外せない一作かなあと。

ちなみに、個人的にアンソニー・ホプキンスが大好きということもあって贔屓目には見てます(笑)





・1位

『アンテベラム』
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(C)2020 Lions Gate Entertainment Inc. All Rights Reserved.


ジャネール・モネイが境遇の異なる2人の人物を1人で演じた異色スリラー。
製作に『ゲット・アウト』『アス』のプロデューサー、ショーン・マッキトリック。


『アンテベラム』は考察ブログにも書きましたが、絶っっっっ対にネタバレを読まずに観た方がいいです。
何も知らずに観に行くことで感じるものこそがこの物語のメッセージとして最も重要なことで、そこで振り回されて自分の価値観と向き合ってもらいたい。

そういう考えではいるので、正直なところ『アンテベラム』はネタバレなしで話すのはかなり難しいです。

とりあえず、本作『アンテベラム』も沈黙がキーとなっていることから、『羊たちの沈黙』のポスターオマージュが使用されている点でも大好きな映画であることは間違いないです。

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まるで悪夢を見ていたかのように。
ある大きな仕掛けがちゃんと劇中で分かりやすく開示される。
それまでの違和感、点と点が線で繋がった時に押し寄せてくる感情…物凄く胸糞悪い。

『ゲット・アウト』『アス』のプロデューサーとのことで、内容は概ね予想した通りではありましたが、冒頭から凄まじい。
この2作のようなコミカルさはなく、シニカルに描いています。

人種差別だけでなく、性差別やマチズモ的な思想に至るまで、ウィリアム・フォークナーの言葉の引用
「過去は決して死なない。過ぎ去りさえしないのだ。」
で我々観客をぶん殴ってくる。
観客の先入観や固定観念を利用した映画的でありながら実に見事な作劇。

『ゲット・アウト』は、黒人差別の裏をついて人間の意識の奥底にある偏見を呼び起こす物語。
『アス』では、奴隷解放宣言からの公民権運動を経たアファーマティブ・アクション、表面化する偏見や差別意識に焦点を当てた物語。
そして本作『アンテベラム』は、人類の負の歴史を通して、現在も尚根強く残る差別意識を可視化した物語となっていますね。

本作の脚本は監督の見た悪夢にインスパイアされて作られています。
そうです、我々観客が目を覚めなければならないんです。
現実に在る悪夢から。









終わりに


改めて、レクの2021年映画ベスト10はこちら!

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①アンテベラム
②ファーザー
③逃げた女
④聖なる犯罪者
⑤Swallow/スワロウ
⑥すばらしき世界
⑦デンマークの息子
⑧スケーターガール (Netflix)
⑨まばたかない瞳 バンガロール連続誘拐殺人
⑩偶然と想像



今年も素敵な映画にたくさん触れられて充実した一年が送れました。

ということで、今年のブログ更新も最後になります。
来年も当ブログ『小羊の悲鳴は止まない』と私レクを、何卒よろしくお願いいたします。


来年も皆様にとって素敵な映画に出会えますように。
良いお年を!


殺人と愛の衝動(『あなたの番です 劇場版』ネタバレ考察)

目次




初めに

どうも、レクです。
今回は『あなたの番です 劇場版』を観てきました!
実は公開日初日に観る予定だったのですが、上映時間を間違えていて結局観れず、漸く観ることができました。

劇場版を語る上で、ドラマ版のこともネタバレありで言及しています。
ドラマ版を未鑑賞の方は読まない方がいいです。


※この記事はネタバレを含みますので、未鑑賞の方はご注意ください。



作品概要

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製作年︰2021年
製作国︰日本
配給︰東宝
上映時間︰142分
映倫区分︰G


解説

2019年に日本テレビ系列で放送され、都内マンションで新婚生活を始めた夫婦が住民たちの「交換殺人ゲーム」に巻き込まれていく様子を予想外な展開の連続で描き、大きな話題を呼んだテレビドラマ「あなたの番です」の劇場版。テレビ版に引き続き秋元康が企画・原案、原田知世と田中圭が主演を務め、もしもマンションの住民会に出席したのが妻ではなく夫だったら、そして交換殺人ゲームが始まらなかったら、というパラレルワールドを描く。マンション「キウンクエ蔵前」に引っ越して2年後、晴れて結婚した菜奈と翔太は、住民会を通じて親しくなったマンション住民たちを招待し、船上ウェディングパーティを開く。ところが、逃げ場のないクルーズ船内で連続殺人事件が発生。菜奈と翔太と住民たちは犯人捜しに乗り出すが、そこには思わぬ殺意が交錯していた。共演にも西野七瀬、横浜流星、木村多江、生瀬勝久らテレビ版のキャストが集結。
あなたの番です 劇場版 : 作品情報 - 映画.comより引用





キャスト

ドラマ版、劇場版ともにネタバレありで紹介しています。



ドラマ版キャスト

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・302号室

手塚菜奈(原田知世)
フリーランスのスポーツウェアなどの在宅デザイナー。
ミステリー好きの読書家。
嘘をつく時に手を組む癖がある。
手塚翔太と共にマンション「キウンクエ蔵前」に引っ越してくるが、細川朝男と既婚者であることを翔太に隠していた。
交換殺人ゲームでは「細川朝男」と記入し、田宮淳一郎の書いた「こうのたかふみ」を引く。
第10話で黒島沙和に塩化カリウムで毒殺される。

手塚翔太(田中圭)
スポーツジムのトレーナー。
愛読書は『名探偵コナン』。
オラウータンタイムなるもので推理する時間に入り、的を射た結論が出るとブルと言う。
嘘をつく時に無意識に右の胸を掻く癖がある。


・101号室

久住譲(袴田吉彦)
エレベーター好きで袴田吉彦に似ていることがコンプレックス。
交換殺人ゲームでは「袴田吉彦」と記入し、手塚菜奈の書いた「細川朝男」を引いて犯行に出る。


・102号室

児嶋佳世(片岡礼子)
自宅で子供の英会話教室を開く。
不妊による子供への執着が酷く、夫とすれ違いがある。
黒島沙和に殺害された後、内山達夫によって食肉加工工場で冷凍庫に遺棄された。

児嶋俊明(坪倉由幸)
児嶋佳代の夫。
サラリーマンで同僚と不倫。
児嶋佳世の事件後、102号室に住む。


・103号室

田宮淳一郎(生瀬勝久)
銀行を早期退職後、演劇に熱を入れる。
盗撮中に波止陽樹による黒島沙和へのDV現場を目撃し、波止陽樹を殺害。
当初は「ゴミの分別ができない人」を引いたと証言していたが、実際は「こうのたかふみ」と記入し黒島沙和の書いた「波止陽樹」を引いた。

田宮君子(長野里美)
田宮淳一郎の妻。
夫への愛情は強い。


・104号室

石崎洋子(三倉佳奈)
夫と子供2人と住む専業主婦。
「石崎洋子」と記入し、管理人の書いた「吉村」を引いた。


・201号室

浮田啓輔(田中要次)
暴力団員。
黒島沙和が引いた紙が自分の書いたものだと気付いていたが黒島沙和に殺された。
「赤池美里」と記入し、赤池美里が書いた「赤池幸子」を引いた。

妹尾あいり(大友花恋)
浮田を父と慕う。

柿沼遼(中尾暢樹)
浮田啓輔の子分で、妹尾あいりにプロポーズする。


・202号室

黒島沙和(西野七瀬)
国際理工大学理学部数学科2年生で高知出身。
南穂香殺害から殺人衝動に駆られていて、今回の交換殺人ゲームの黒幕。
当初は「早川教授」と書いて「織田信長」を引いたと証言するが、実際は「波止陽樹」(元カレ)と書いて浮田啓輔の書いた「赤池美里」を引く。


・203号室

リン・シンイー(金澤美穂)
中国人留学生。
「袴田吉彦」を引き「タナカマサオ」と記入。
交換殺人ゲームによって脅迫されていたことで、同居人が桜木るりとともに袴田吉彦を殺害。


・204号室

西村淳(和田聰宏)
外食チェーンを経営。
『反撃編』から住民会会長を務める。
管理人の自殺現場に居合わせ、交換殺人ゲームの当事者ではないが事件のキッカケを作った人物。


・301号室

尾野幹葉(奈緒)
横恋慕に執着する変わり者。
白紙を出し、石崎洋子が書いた「石崎洋子」と書かれた紙を見ずに捨てている。


・304号室

北川澄香(真飛聖)
ラジオパーソナリティ。
息子・北川そらと暮らすシングルマザー。
「児嶋佳世」と記入し、尾野幹葉が書いた白紙を引いた。
交換殺人ゲームによって引っ越しを決意する。

二階堂忍
ドラマ版『反撃編』で北川澄香が引っ越した後に新たに越してきた住人。
黒島沙和と同じ国際理工大学に通う大学院生で、AIの研究をしている。
黒島沙和のことが好き。


・401号室

木下あかね(山田真歩)
フリーライター。
ゴミ漁りと情報収集が趣味。


・402号室

榎本早苗(木村多江)
専業主婦で元住民会会長。
息子・総一に異常な愛情を持つ。
当初「初恋の人」と記入して「電車で席を譲らない人」を引いたと証言していたが、実際は「管理人さん」と記入し藤井淳史が書いた「山際祐太郎」を引いた。

榎本正志(阪田マサノブ)
榎本早苗の夫で、警視庁すみだ署生活安全課課長。

榎本総一(荒木飛羽)
榎本早苗と正志の息子。
殺人衝動が抑えられないサイコパスで402号室に軟禁されていた。


・403号室

藤井淳史(片桐仁)
整形外科医。
「山際祐太郎」と記入し、シンイーの書いた「タナカマサオ」を引いた。
交換殺人ゲームで脅迫され、タナカマサオを殺害。
桜木るりと恋仲になり、自分の罪も被って自首しようとする彼女を見て自白。


・404号室

江藤祐樹(小池亮介)
IT起業家。
赤池幸子と仲がいい。


・501号室

佐野豪(安藤政信)
氷彫刻家。
飼ってはいけないワニを飼育している。


・502号室

赤池美里(峯村リエ)
義理の母・赤池幸子に嫌悪感を募らせる。
「赤池幸子」と記入し、北川澄香の書いた「児嶋佳世」を引いた。
痔疾で夫・赤池吾郎とともに黒島沙和の手で殺害される。

赤池吾郎(徳井優)
赤池幸子の息子で赤池美里の夫。
黒島沙和によって殺害される。

赤池幸子(大方斐紗子)
赤池美里をイビる。
黒島沙和の義理の祖母。

南雅和(田中哲司)
YouTuber。
赤池夫妻殺害事件後、502号室に引っ越ししてくる。
高知出身で、実は娘・南穂香殺害事件後を追っている。


・管理人

床島比呂志(竹中直人)
キウンクエ蔵前の管理人。
交換殺人ゲームの最初の被害者。
「吉村」と記入し、榎本早苗の書いた「管理人さん」を引いた。
後に自殺だと判明する。

蓬田蓮太郎(前原滉)
床島比呂志の後任の管理人。
木下あかねに好意的。


・警視庁すみだ署

水城洋司(皆川猿時)
所轄の刑事で極度の怖がり。

神谷将人(浅香航大)
所轄の刑事。
裏金で懲罰を受けるが、手塚菜奈殺害の手掛かりを手塚翔太に連絡しようとしたところを内山達夫によって殺害される。


・その他

細川朝男(野間口徹)
手塚菜奈の夫。
久住譲によってエレベーターから突き落とされて殺害される。

桜木るり(筧美和子)
藤井淳史の務める病院の看護師で藤井淳史と付き合い始める。
袴田吉彦をシンイーの同居人2人と殺害する。
愛のためなら人を殺すタイプ。

内山達夫(大内田悠平)
黒島沙和、二階堂忍と同じ国際理工大学の工学部医療工学科。
黒島沙和のストーカーで協力者。
こうのたかふみと神谷将人を殺害する。
黒島沙和が毒を塗ったダーツが刺さって死亡。



劇場版キャスト

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・初登場
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謎の女・浦辺優(門脇麦)
黒島沙和の家庭教師の恋人で、彼の死を不審に思い黒島沙和の命を狙う。

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早川教授(酒向芳)
黒島沙和が嫌いな大学教授。
ある研究のためにクルーズ船に乗船。


・設定改変キャラ

二階堂忍(横浜流星)
マンション「キウンクエ蔵前」には引っ越しせず、黒島沙和の恋人役として、黒島沙和を心配しクルーズ船に乗船。

南雅和(田中哲司)
マンション「キウンクエ蔵前」には引っ越しせず、娘の事件から黒島沙和を追ってクルーズ船に乗船。

蓬田蓮太郎(前原滉)
管理人後任ではなくカメラマン。




感想

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タイトルクレジットから、『あなたの番です"か?"』と表記され、ドラマ版とは異なる物語であることが明示されます。

手塚翔太、菜奈夫婦はマンション「キウンクエ蔵前」に引っ越してきます。
そのマンションでは月に一度、住民会というものが行われており、そこに妻・菜奈が出席して交換殺人ゲームに巻き込まれる…というのがドラマ版の話。

ドラマ版での黒幕は西野七瀬演じる黒島ちゃんだったんですが、クランクインの段階で犯人役だと知らされての演技をしていたそうですね。
そう思うと、なかなか難しい役どころだったのではないでしょうか。



本作『あなたの番です 劇場版』では、その住民会に夫・翔太が出席した世界線の2年後として描かれます。
つまり、ドラマ版で起こった交換殺人ゲームが起こらず平和に2年の歳月をあのマンションで過ごしたことになります。

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手塚翔太と菜奈の結婚式を執り行うためにクルーズ船に住民を招待するという、海の上でのクローズド・サークル。

ポスタービジュアルで映っている住民の一部はこのクルーザーに乗ってないんですよ。


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おいおいおい!
榎本夫妻の問題児、総ちゃんがいないのかよ!!!

そんなこんなで、クルーズ船で起こる連続殺人事件。
犯人は誰だ!?
という流れになります。



と、個人的に楽しみだった生粋のサイコパスがシカゴに留学中で出て来ないことに憤りを感じつつ(笑)、いざ始まるとまあそれなりに楽しかったですね。

これは映画としてではなく、ドラマ版を観ていたからこその楽しみ方というか。
というわけで、考察に入る前にこれだけは言わせてください!


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翔太くん、菜奈ちゃん、結婚おめでとう!

ドラマ版では叶わなかった菜奈ちゃんのウエディングドレス姿を見れて僕も満足しましたよ(笑)




考察

本作『あなたの番です 劇場版』はドラマ版『あなたの番です』及び『あなたの番です 反撃編』は観ていなくても楽しめる仕様にはなっています。

が、がですよ、劇場版はドラマ版を観ていないとわからない面白さ、見ているからこそわかる楽しさが盛り込まれたエンターテイメント作品となっているので
劇場版を100%楽しむためにはドラマ版を観ておくことを強くオススメします。

では、早速考察に入っていきます。



・連続殺人事件の犯人と被害者

ここからはドラマ版と劇場版の連続殺人事件の犯人と被害者を振り返っていきます。


ドラマ版

被害者/犯人

南穂香(南雅和の娘)/黒島沙和
黒島沙和の家庭教師/不明
管理人(榎本早苗が交換殺人ゲームで記入)/自殺
山際祐太郎(藤井淳史が交換殺人ゲームで記入)/榎本早苗
タナカマサオ(シンイーが交換殺人ゲームで記入)/藤井淳史
赤池夫妻(浮田啓輔が交換殺人ゲームで記入)/黒島沙和
袴田吉彦(久住譲が交換殺人ゲームで記入)/桜木るりとシンイーの同居人2人
児嶋佳世(北川澄香が交換殺人ゲームで記入)/黒島沙和
浮田啓輔/黒島沙和
細川朝男(手塚菜奈が交換殺人ゲームで記入)/久住譲
こうのたかふみ(田宮淳一郎が交換殺人ゲームで記入)/内山達夫
黒島沙和の元カレ(黒島沙和が交換殺人ゲームで記入)/田宮淳一郎
手塚菜奈♪黒島沙和
神谷将人/内山達夫
内山達夫/黒島沙和

※内山の犯行は黒幕の黒島が絡んでいる


管理人の自殺と交換殺人ゲームで榎本早苗が書いた「管理人さん」のメモを知った交換殺人ゲームに参加していない西村淳が、管理人の自殺を隠し榎本早苗を脅迫したことからこの連続殺人事件は始まっています。

ドラマ版の1クール目『あなたの番です』では連続殺人事件と四苦八苦する手塚菜奈の姿を。
2クール目『あなたの番です 反撃編』から物語は謎解きへと向かっていきますが、ほぼほぼ手塚翔太の力技と二階堂忍のAI頼りでしたね。



劇場版

被害者/犯人

床島比呂志/不明
南雅和/浦辺優
内山達夫/神谷将人
黒島沙和/神谷将人


謎の女は黒島沙和の家庭教師だった男の恋人で、ドラマ版では明言されなかったその家庭教師の死は黒島と協力関係にあった内山達夫の犯行だと匂わせます。
また、DV彼氏の波止陽樹も黒島沙和によって殺されていました。

浦辺優は黒島沙和の周りで次々と人が死んでいることに気付き、恋人への想いから黒島沙和を殺すためにクルーズ船に乗船しました。
黒島沙和が宿泊していた部屋に戻ったと勘違いをして、黒島沙和の部屋の扉の下からガソリンを流し入れて放火します。
南雅和もまた、黒島沙和を追ってクルーズ船に乗船していました。
彼は黒島沙和が部屋を空けている間に部屋を物色していたところ、浦辺優の放火によって焼死します。

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本来、ドラマ版では協力関係となりそうな2人のすれ違いによって、殺さなくてもいい相手を殺してしまうというやるせない殺人事件が起こってしまったわけです。

娘を殺され、同じ目的を持つ相手に殺されるなんて、南雅和は報われないぞ!


劇場版で管理人・床島比呂志を殺したのは
赤池美里と管理人が黒島の命を狙っていたことを知った黒島が、赤池美里の部屋の前で管理人のスマホを持っていた描写をわざわざ挿入したことからも黒島と内山の共犯による犯行の可能性は高いでしょう。

ドラマ版では、榎本早苗の書いた「管理人さん」のメモで自殺するメンタルの弱さ
劇場版では、殺そうと思っていた相手・黒島沙和に殺されたとなると、共に同じようにロープで絡まって死んだ最初の被害者である管理人・床島もやるせないなあ。


あ、考察と言ってもミステリーに関する考察なんてありませんよ(笑)
劇中で答えは出てますし、考察するほどの内容でもな…ゲフンゲフン。



ドラマ版、劇場版の概要を纏めますと

手塚翔太の愛と黒島沙和の殺しの衝動。
二階堂忍の愛と手塚翔太の怒り。
ドラマ版ではこの衝突が焦点でもありました。

手塚菜奈の愛と二階堂忍の愛。
そして黒島沙和の愛と神谷将人の愛。
劇場版ではこの対比が焦点でもありました。





・ドラマ版と劇場版で入れ替わる構図と関係性

ということで、ドラマ版との比較として劇場版ではその構図や関係性が逆になっている点で面白い。

例えば

赤池嫁姑に関しては、相変わらず拗れてはいますが嫁が「姑は先が短いから」と謂わば達観した関係性を築いています。
榎本夫妻は、息子への過保護さは解消されていて息子をシカゴへ留学させています。
手塚菜奈の元夫・細川朝男もドラマ版では離婚届を出さなかったが、劇場版では手塚夫妻に協力的。
その理由は尾野幹葉と再婚して子宝に恵まれていたからなんですが、尾野幹葉自身も横恋慕から一途な恋へと変化しています。
児島夫妻も妻が英会話教室で来れないと別居している感じはなく、ほか住民同士の関係も交換殺人ゲームが行われなかったことで良好なように見えます。
黒島沙和は二階堂忍と付き合っていて恋人同士になっていました。


ドラマ版では殺す側だった黒島沙和、殺された神谷将人が劇場版では殺される黒島沙和、殺す側の神谷将人になった!
とか
刑事の神谷将人が殺人犯だった!
とか
むしろ、劇場版での犯人が誰かなんて正直どうでもよくなりました(笑)


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特筆すべきは、手塚翔太と手塚菜奈、黒島沙和と二階堂忍の関係性です。
ここからはそこに絞って語っていきます。



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ドラマ版では、手塚菜奈が殺されたことで『反撃編』へと入りました。
そこで引っ越してきた二階堂忍の協力を得て手塚翔太が犯人へと近づいていきます。
手塚翔太は黒島沙和を疑い、それを庇う二階堂忍という構図もありました。

劇場版では、黒島沙和が殺されたことで手塚翔太は容疑者となる展開に。
そこで手塚菜奈の協力を得た二階堂忍が犯人へと近づいていきます。
二階堂忍は手塚翔太を疑い、それを庇う手塚菜奈という構図となっています。


つまり
ドラマ版『あなたの番です』での主人公は手塚菜奈。
ドラマ版『あなたの番です 反撃編』での主人公は手塚翔太。

本作『あなたの番です 劇場版』での主人公は手塚翔太から二階堂忍。

このように主人公バトンが受け渡されるように視点が変わっているんです。



ドラマ版の最終回では黒島沙和が犯人だったという驚きもない事実よりも、アリバイでもあった監視カメラの映像が内山達夫によって偽造されていたという事実に駄作認定していました。

2クールですよ、その間にどれだけの人たちが考察してきたと思っているのか。
推理の仕様がないというか、最もアンフェアなトリックに憤りを感じました。



それは一先ず置いておいて、その最終回では

ドラマ版での犯人は黒島沙和でした。
黒島沙和は殺人衝動を抑えきれず自分を殺してほしいと二階堂忍にお願いするも、二階堂忍は手を出せず自首してほしいと願っていた。

劇場版での犯人は神谷将人でした。
殺人衝動を抑えきれない黒島沙和が変わろうとしている、二階堂忍ではなく私を殺してと神谷将人に願い出て殺された。

黒島沙和の二階堂忍と神谷将人への愛情、及び二階堂忍と神谷将人の黒島沙和に対する愛情というものも逆転の構図となっています。



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ドラマ版ではアンフェアなトリックで怒りにまで達しましたが、劇場版ではトリックそのものはアンフェアではないと思います。
これだけのキャストを扱う中で、良い意味でこじんまり纏まった感じもありますし。

結局主要キャスト絡みの結末かよと言ってしまえばそれまでなんですが。




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更には
ドラマ版では、怪我から復帰した手塚翔太が黒島沙和に撮影してもらいながら手塚菜奈への寝起きドッキリをするという流れで、寝室にいた手塚菜奈の死体を見つけます。

劇場版のエンドクレジットでは、怪我から復帰した手塚翔太が二階堂忍に撮影してもらいながら手塚菜奈への寝起きドッキリをするという流れで、寝室にいた手塚菜奈の寝起きを取ります(笑)


一瞬、ドラマ版の1クールのようなバッドエンドを想像させてハッピーエンドにするところで、(ドラマ版のように交換殺人ゲームが行われなくて本当に良かったと)観客が安堵を浮かべる雰囲気に包まれました。

これは劇場だからこそ体験できる特典ではないでしょうか。




さてさて、ドラマ版では弱かった最終回のサプライズ、赤池幸子の隠し孫が黒島沙和でした!設定がここで生きてきます(笑)

ドラマ版で交換殺人ゲームを持ちかけ計画していたのが管理人・床島比呂志と赤池美里であることが最終話で明かされました。
これは劇場版と同じ動機で、隠し孫である黒島沙和に遺産を持っていかれないための赤池美里の陰謀。

劇場版でも床島比呂志と赤池美里のやり取りを匂わせ、黒島沙和が遺産相続しないために殺そうと計画していたことがわかります。


結局、ドラマ版での交換殺人ゲームの持ちかけも、劇場版での連続殺人事件のキッカケも、全ては管理人である床島比呂志と遺産目的の赤池美里による欲が齎した惨劇なんですよね。
この一貫性に関してはちゃんと考えられているなあといった印象です。

そして、その惨劇に巻き込まれた黒島沙和が殺人衝動を抑えきれなかったのがドラマ版、愛の衝動に駆られたのが劇場版と言えるのではないでしょうか。




終わりに

ということで、ドラマ版と劇場版の比較で考察を進めましたがいかがでしたか?

TVスペシャルで十分な内容ではありましたが(笑)、どうせ観るなら100%楽しむためにもドラマ版を観てから劇場版を観ましょう!


最後までお読みくださった方、ありがとうございました。



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