小羊の悲鳴は止まない

好きな映画を好きな時に好きなように語りたい。

形而上学の視点から見る非現実世界(「未来のミライ」ネタバレ考察)

目次




初めに

こんばんは、レクと申します。
今回は「未来のミライ」について語っています。
久しぶりの考察記事となってます。

この記事はネタバレを含みますので
未鑑賞の方はご注意ください。



作品概要


製作年:2018年
製作国:日本
配給:東宝
上映時間:98分
映倫区分:G


・解説

バケモノの子」「おおかみこどもの雨と雪」の細田守監督が手がけるオリジナルの長編劇場用アニメーション。甘えん坊の4歳の男児くんちゃんと、未来からやってきた成長した妹ミライの2人が繰り広げる不思議な冒険を通して、さまざまな家族の愛のかたちを描く。とある都会の片隅。小さな庭に小さな木の生えた、小さな家に暮らす4歳のくんちゃんは、生まれたばかりの妹に両親の愛情を奪われ、戸惑いの日々を過ごしていた。そんな彼の前にある時、学生の姿をした少女が現れる。彼女は、未来からやってきた妹ミライだった。ミライに導かれ、時を越えた冒険に出たくんちゃんは、かつて王子だったという謎の男や幼い頃の母、青年時代の曽祖父など、不思議な出会いを果たしていく。これがアニメ声優初挑戦の上白石萌歌がくんちゃん、細田作品は3度目となる黒木華がミライの声を担当。両親役に星野源麻生久美子、祖父母役に宮崎美子役所広司
未来のミライ : 作品情報 - 映画.comより引用



・予告編





矛盾点

鑑賞後、端的に言って混乱しました。

なぜなら作品内の設定を自ら崩した脚本となっているから。
整合性のないストーリー展開となっているため、自分の中で想像した過程と結果というレールを大きく脱線してしまったんです。

これは明らかに制作側の作為的なもの。と判断せざるを得ない。
つまりは、何か理由があるんです。

その点について考えていこうと思っています。



・現在

まず、冒頭のファンタジー要素。

樫の木が生えた庭で、くんちゃんは変な男に話しかけられます。
この変な男は飼ってるペットのゆっこ。

衝撃的な描写として、その擬人化ゆっこに生えた尻尾を引っこ抜いただけでなく、くんちゃんは自分のア〇ルにそれを突っ込んで犬になってしまうんです!

そして、更に分からないのが、その尻尾を付けたくんちゃんをお父さんやお母さんがゆっこと呼ぶんです。
つまりは、お父さんやお母さんからはくんちゃんはゆっこに見えていることになります。

時間軸としては現在の時間経過そのもの。


ファンタジーの導入部としては力で押し切る展開…と思いきや、その後の展開で庭での不思議体験にファンタジー色は薄まり、SF色が強まるんですね。
後半に差し掛かるにつれて益々自分の中でこの冒頭のファンタジー導入部は必要だったのか?とさえ思ってしまう。(※ここについては後述しています。)



・未来から現在へ

次に、くんちゃんが未来のミライと出会うシーン。

ここでも違和感がずっと残ったままなんですよね。
右手の痣は恐らく4歳児のくんちゃんが未来から来たミライをミライだと判断するための設定でしょう。
庭で起こる不思議体験も、既にゆっこの擬人化を経ているのですんなり(?)受け入れられる。

問題は擬人化ゆっこを見ても未来のミライは動じないこと。
あくまでも冒頭での不思議体験はくんちゃん自身のもののはず。
未来のミライが知るはずがないんです。


もうひとつ言及するなら、未来から来たミライが過去に干渉することの危険性。
くんちゃんは分からないとして、未来のミライが自分本位に過去改変することへの違和感。

冒頭のファンタジー体験とこの未来のミライ体験、これをくんちゃんの脳内妄想として仮定した時に、雛人形の片付けという物理的干渉がどうしても納得いかない。

この二点から、ひとつの道筋が見えてきました。(※こちらについても後述しています。)

そして、同じ時間軸に同じ人物が同時に存在できない設定。
ここも後半パートでその設定を崩しています。(※こちらも後述しています。)



・現在から過去へ


次に、お母さんの幼少期と曾祖父さんに会うシーン。

過去へと飛んだくんちゃん。
泣いている少女(お母さんの幼少期)と出会います。
部屋を散らかし放題にし、お母さんのお母さん(お婆ちゃん)に叱られるお母さん(幼少期)を自分に重ねるような展開ですね。

実際に時間軸を移動したとして、過去の自分の母親に会うことはかなり危険です。
一方で、過去への干渉は現在の物理干渉は起こっておらず、くんちゃんの脳内妄想として仮定することもできます。


次に、自転車に乗ることを挫折したくんちゃんは再び過去へと飛びます。
すみません、ここで少し睡魔がきてしまいウトウトしてました。
なので、観てはいましたが事実と異なることが記載されていた場合はご指摘の方をお願いします。

そこで出会った青年はくんちゃんと馬に乗り、バイクに乗り、前を向くことを教えてくれました。
くんちゃんはこの青年をお父さんだと思い込むんですね。

しかし、実際は曾祖父さん。
4歳児のくんちゃんは曾祖父さんの顔を認識出来てなかったのか、若い頃の曾祖父さんだから気付かなかったのか。
現在へと戻ってきたくんちゃんはアルバムの写真で曾祖父さんだと認識します。

こちらも同様に、現在への物理干渉がなされてないので、脳内妄想として仮定できます。

いずれにせよ、この過去シーンが最もSFらしい展開となってますね。



さて、この後にもうひと展開あるのですが
一旦、ここでこの現在、未来、過去の3時間軸について整理したいと思います。



矛盾点の整理

まず、鑑賞中に感じたこと。
それは時間軸の移動は全てくんちゃんの脳内妄想ではないのか?です。


上記にも記載した通り、この3時間軸の整合性のない矛盾点は明らかに制作側の作為的なもの。と判断せざるを得ない。

整合性のないもの、とするなら
現在の擬人化ゆっこと犬化という不思議体験。
未来のミライ、過去のお母さんと曾祖父さん。


冒頭の擬人化ゆっこはこれから始まるこれらの不思議体験はファンタジー、脳内妄想ということを指し示すための演出の具現化、可視化ではないだろうか。
よって、その方向性で考えてみると全ての不思議体験はくんちゃんの脳内妄想という結論に至る。



擬人化ゆっこと出会うことで、赤ちゃん返りが治る。
未来のミライと出会うことで、雛人形の片付け。
過去のお母さんと出会うことで、母親への思いやり。
過去の曾祖父さんと出会うことで、自転車に乗れる。


自転車の件を終えた後のお父さんの台詞にもあった通り、子供は突然色んなことができるようになる。
不思議体験と現在のくんちゃんとのリンクはくんちゃんの現在置かれた状況と不思議体験後の自我の芽生えにあると思います。


その点で考えていくと、未来のミライ雛人形を片付けた点。
ここが唯一物理干渉を起こした点であり、最も大きな矛盾点となります。

雛人形の件もくんちゃんが一人で片付けたことになっちゃう。
果たしてそんなことが可能なのだろうか?(笑)

擬人化ゆっこを見ても未来のミライは動じなかった件は、くんちゃんの脳内妄想とするならば納得はできます。
未来のミライにも擬人化ゆっこは犬のゆっことして見えていたとできるからです。


しかし
時間軸の移動→整合性の矛盾→脳内妄想
とすると、後半パートで更に作品内設定を崩す設定が登場するんですよね。


それが樫の木の存在。
くんちゃんが不思議体験をしたのは家の庭に生えている樫の木が原因でした。
これは作品中でも説明されています。

過去のお母さんのエピソードから、靴に手紙を入れる。
猫好きだったお母さんのペットが犬である理由。
そして、傷ついた鳥とくんちゃん宅の鳥の巣。
過去の時間軸が現在に干渉している。


ということは
時間軸の移動→整合性の矛盾→脳内妄想→時間軸の移動
結局、振り出しに戻ってしまうんですよ。

でもですよ、時間軸の移動とするなら
擬人化ゆっこの件がまた説明できなくなるんです。
唯一、時間軸を移動してない不思議体験ですからね。


ここが最も混乱した理由です。
単に意味が分からないから混乱したのではないんです。
SF観点から考察すべきか、ファンタジー観点から考察すべきか、分からないから混乱したんです(笑)



矛盾点の結論

はい。
少し長々と行ったり来たりで話してきましたが、ここで自分なりの結論を出したいと思います。


自分が提唱する説は
形而上学的成長譚
です。

何言ってんだよ!ってのはやめてください(笑)
あくまでも個人的考察によるものなので正解を求めている訳ではありません。
自分が納得出来る仮説を説きたいだけです。

形而上学(けいじじょうがく、希: μεταφυσικά、羅: Metaphysica、英: Metaphysics、仏: métaphysique、独: Metaphysik)
感覚ないし経験を超え出でた世界を真実在とし、その世界の普遍的な原理について理性的な思惟によって認識しようとする学問ないし哲学の一分野である。世界の根本的な成り立ちの理由(世界の根本原因)や、物や人間の存在の理由や意味など、見たり確かめたりできないものについて考える。対立する用語は唯物論である。他に、実証主義や不可知論の立場から見て、客観的実在やその認識可能性を認める立場や、ヘーゲルマルクス主義の立場から見て弁証法を用いない形式的な思考方法のこと。
形而上学 - Wikipediaより引用



今作は不思議体験を通して得たくんちゃんの成長譚であること、そして家族の絆を描いたもので間違いないと思います。

くんちゃんが不思議体験する際には必ず、喜怒哀楽などの感情の起伏が起点となっています。
嫉妬、怒り、悲しみ、そういったなかなか受け入れられない駄々をこねる状況で不思議体験を経て、現実でくんちゃんがその経験を踏まえて成長を見せる。
自分の成長と共に家族との絆を育む。

大まかに纏めるとこんな感じ。
愛を奪われたくんちゃんが愛を取り戻す、北斗の拳的な話でもありますね(違う)

愛をとりもどせ!!

愛をとりもどせ!!



結局、この話は時間軸の移動なの?それとも脳内妄想なの?というところなんですが
SFファンタジーとするなら両方の要素があってもいいのではないか?
という安直な結論しか導き出せませんでした、すみません(笑)


時間軸の移動→整合性の矛盾→脳内妄想→時間軸の移動
ではなく
整合性の矛盾→脳内妄想≒時間軸の移動
もしくは
整合性の矛盾→脳内妄想+時間軸の移動


全てはくんちゃんの妄想だと纏めてしまえば簡単な話なんですが
やはり引っかかる雛人形の物理的干渉、そして
物理学に興味があるならまだしも鉄道マニアな4歳の男の子が果たしてこんな壮大な時間軸の移動と設定を妄想可能なのか?
というところで「脳内妄想+時間軸の移動」としています。


また、そのひとつの理由が
この作品における時間軸の移動はすべて過去に遡るもの。

そして、くんちゃんが現在の出来事をリンクして時間軸の移動、不思議体験を脳内妄想したと考えると、現実世界と非現実世界での繋がりが見えてきたんです。



・擬人化ゆっこの愚痴を聞く(くんちゃんの脳内妄想)
→赤ちゃん返りが治る



雛人形を片付ける(未来のミライの時間軸移動)
→おもちゃを片付けない



・現実世界でミライの顔にお菓子を乗せるイタズラをする
→非現実世界で魚の群れに襲われる


→非現実世界でお母さん(幼少期)が叱られて泣く(くんちゃんの時間軸移動)
→現実世界でお母さんが泣いている



・現実世界で自転車に乗れない
→非現実世界で馬やバイクに乗る(くんちゃんの時間軸移動)
→現実世界で自転車に乗れる



・くんちゃんの迷子(くんちゃんとミライの時間軸移動)
→くんちゃんがミライを妹として認める



そうです、3時間軸からもうひと展開あったくんちゃんの迷子シーンで判明したのですが

くんちゃん宅の樫の木は図書館のようなものでインデックスが出来ており、家系の過去、現在、未来の3時間軸全ての出来事がカードのような形になって収められている。
インデックスの中は球体状になっており、そこには系統樹が張り巡らせ枝分かれするような形で記録が残されているという。

そこから行きたい場所を見つけるのは困難という未来のミライの台詞。

ここで仮説が立てられますね。


くんちゃんの迷い込んだ場所(ここを俯瞰的世界とします)。
くんちゃんの描写では、とある駅の待合室でした。
未来のミライは時間軸の移動で現在へと来ている。
そして、この3時間軸に関わる俯瞰的世界にも未来のミライが登場していることから


ミライもくんちゃんと同じように、未来での樫の木による不思議体験者なのではないだろうか?


ということ。
索引の使い方をくんちゃんに教えていたのも頷ける。
とするなら、雛人形の物理的干渉も説明できます。
また、擬人化ゆっこを見ても動じなかったことも説明ができます。
時間軸を移動して、既に知っていたからです。


ここで前半パートと後半パートの矛盾点、雛人形を片付ける際に説明された同じ時間軸に同じ人物は同時に存在できない。という設定も
俯瞰的世界、つまりどの時間軸でもない世界では過去と現在と未来が混在しているのではないか?と推測できます。

したがって、俯瞰的世界では
現在のくんちゃんと待合室にいた未来のくんちゃん。
が同時に存在できたのではないか?



これらの不思議体験を何らかの実体として認めると仮定しよう。
(ゆっこの尻尾でくんちゃんがゆっこに見えた件、未来のミライが物理的に干渉した件などを考慮し)

これは広い意味で、様相実在論と呼べるのではないか?

非現実世界は現実に存在しない。
とするなら、この主張は様相形而上学的には否である。
裏を返せばすべての実体は現実に存在するものということが言える。
つまりは、哲学的理論(ここで言う不思議体験)に使われる実体もすべて現実に存在する。と言えるのではないか。


現実世界と非現実世界の区別はどこか?
例えば、「此処」と「此処以外の場所」の区別や
「現在」と「現在ではない時間軸」の概念と類似すると思う。

「此処」と発した時点での場所を「此処」と定義するなら、「現在」と発した時間が「現在」なわけで、非現実世界を現実だと認識したのならば現実世界であり、現実世界での現実としての認識と区別されることはない。
つまりは非現実世界も形而上学的には特別なものということにはならない。

無数の不思議体験は論理空間を探索する知的旅行である。



かなり極論なのは承知の上で述べてます。
こうしないと纏まらなかったんです。

締まりが悪いなあ。。。



総評

考察してきた矛盾点が気になって気になって感想どころではなかったので、改めて感想を。


SFファンタジーとする一方で、しっかりとうざいくらいに子供目線で描かれている点も評価できる。
また、作品内容だけでなくアニメ作画としても素晴らしい。
息を吹きかけて曇る窓ガラスとそれを拭う手の跡。
人型であるくんちゃんの犬化モーション。
泳ぐ魚や駅の描写まで。

恐らく、自分が考察してきたような理論的なものではなく、「考えるのではなく感じろ」映画だったのは間違いないだろう。
ただ、ファンタジー導入部が機能しきれず後半になるにつれてSF色が強まったことは勿体無い気もします。

そもそも、細田守監督が壮大なファンタジーを描けるとは思っていなかったので、不思議体験が家の中で、それも庭という限られたミニマム空間でしか起こっていないことは英断としか思えない。

よって脚本の粗さはあるものの、時間跳躍によって紡がれる家族という共同体を冷たくも温かく描き出したことが素晴らしく、また過去へしか遡っていない設定は未来は自分で切り開いていくものだというメッセージにも取れる。



終わりに

なんだかグダグダと語り出したら止まらなくなってきて、長々と失礼しました。
結局答えはビシッと出せず抽象的になりましたが、疲れたのでこの辺でやめておきます。

最後までお読みくださった方、ありがとうございました。



(C)2018 スタジオ地図

この森で、天使はバスを降りた(ネタバレ感想)

目次




初めに

こんばんは、レクと申します。
今回は映画「この森で、天使はバスを降りた」について語っています。
フォロワーさんからのオススメ映画を観た第三弾になります(笑)

この記事はネタバレを含みます。
未鑑賞の方はご注意ください。



作品概要


原題:The Spitfire Grill
製作年:1996年
製作国:アメリ
配給:東宝東和
上映時間:116分


・解説

さびれた町にやって来たよそ者の少女が、しだいに人々の傷ついた心を癒していく様を描くヒューマンドラマ。監督・脚本はテレビシリーズ『探偵レミントン・スティール』で知られるリー・デイヴィッド・ズロートフで、彼の劇映画デビュー作。製作は「ボブ・ロバーツ」のフォレスト・マーレー、製作総指揮はウォレン・G・スティット、撮影は「Dr.ギグルス」のロブ・ドレイパー、音楽は「アポロ13」のジェームズ・ホーナー、美術は「ユージュアル・サスペクツ」のハワード・カミングス、編集は「フォー・ルームス」のマージー・グッドスピード、衣裳は「ユージュアル・サスペクツ」のルイーズ・ミンゲンバック。主演は「蒼い記憶」のアリソン・エリオット。共演は「キルトに綴る愛」のエレン・バースティン、「クラッシュ」のマルシア・ゲイ・ハーデンほか。96年サンダンス映画祭観客賞受賞。
この森で、天使はバスを降りた : 作品情報 - 映画.comより引用



・トレーラー






調和からの脱却

自然に囲まれた閉鎖的な小さな村。
そこにバスから降り立つ一人の素朴な女性。


変化を求めない調和、現状維持の傾向は、いい意味で平凡であり平和なのだろう。
一方で、排他的な視線で外部を受け入れようとはしない偏見が見られるんですよね。

そこで、力で押し切り何かを変えようとする強引な演出がないところもこの映画の魅力のひとつ。


彼女が服役していた罪は殺人罪
刑期を終えた彼女はその罪からも逃れられずにいる。
食堂スピットファイアを営むハナもまた、自責の念に囚われている。

この二人と食堂を取り巻くように物語は展開されていくわけだが、ひとつのアイデアが現状を一変させる。



作文コンテスト。
100ドルの応募金で作文を作り、優勝者にはこの食堂を譲るというもの。
自然に囲まれる田舎の食堂だからこそ価値があり、パーシー同様に新たな地で人生をやり直したいと願う人は多数いるのだ。

この寄せられる一つ一つの文が、それを読む村中の人達の表情が和やかで心温まる。



パーシーのアイデアを受け入れたことは、それまで調和を求めた村全体に変化を齎せた。
自分が変わろうとするパーシーには人を変える力がある。

ハナも少しずつパーシーを受け入れるようになっていく。
怪我をきっかけに少しずつパーシーを頼るようになっていくのだ。


ハナの甥ネイハムの妻であるシェルビーもまた、パーシーと出逢ったことで少しずつ変わっていく。

最もそれが表れたシーンが、シェルビーが夫ネイハムに逆らうシーンだ。
それまでは夫の言いなりで閉鎖的な村同様に調和を求めていた。
ハナのお金が盗まれた時、シェルビーはパーシーを疑うなら離婚すると言ったのだ。

これはパーシーによって変わりゆく村のメタファーとして描かれていると思う。


こうだと決め込んでしまうとそれ以上にはならない。
変化することは恐怖もある。
そして変化するためには勇気がいる。
変わるきっかけを作ってくれたのがパーシーであり、変えることができたのは彼女ら自身なのだ。



見えないものの恐怖

傷が深ければ、治るのもそれに比例して苦しいのか?


‪人間が持つ内包的な善悪、犯罪に至る経緯や心情の変化、憎悪や嫉妬、猜疑心や欺瞞、そういった負の感情というものは、築かれつつあった関係を一瞬で崩れさせる。‬

しかし、周りの目を気にするような消したい過去、例えばパーシーのように罪を犯して刑務所に入っていた過去があったとしても、その経験を後の人生に活かすことも出来るんだ。
つまりは生かすも殺すも自分次第であり、自分がどう立ち振舞って行くかが重要だということ。



何よりも怖いのが、分かっているつもり、知っているつもりで相手を決めつけてしまうことだろう。
潜在的にある偏見や差別の目、自分のフィルターを通して見た姿と相手の本心、真意との乖離や齟齬。


「彼女のことを知ってるつもりでした。」
ネイハムのこの言葉が全ての懺悔と罪の意識を物語っている。

そう、「何も知らなかった。」んです。
思い込みは時に良からぬ方向へと進んでいってしまう。
信じることとそう思い込むことは違うんです。


そして、さらに言うならば、大切なものは失って初めて気付かされるということ。

手の届かない場所、もう会えない場所へ旅立った。
その時になって人々は与えられた小さな物事の大きさに気付かされる。



交わる接点

我が子を失った母親と我が子を亡くした母親。
境遇は違うし、互いの気持ちを理解し合うことは出来ない。
それでも我が子に対する愛情という点においては共通するものがある。


人は決して相手の気持ちを全て理解することなんて出来ない。
それでも、相手の気持ちを察することは出来る。


気持ちに乖離があっても接点を持つことは出来るんです。

だからハナの息子であるイーライに、パーシーは産まれてくるはずだった子どもと同じジョニー・Bと名付け、命を賭けて助けようとしたのだろう。
意図するものではなく、無意識に。本能的に。


自分は我が子に会えなかった。
しかし、ハナとイーライを会わせることが出来た。
これは紛れもなくパーシーの立ち振る舞いの結果である。



作文コンテストの優勝者はクレアという女性。

子を身篭った時に応募されたもので、応募金は100ドルに満たない。
しかし、息子のこれからの人生のチャンスを与えてあげようといった内容には、我が子への愛情、そしてこれから先の未来を見据えた希望が見える。
ハナはその希望に託したのだと思えるのです。


拍手でクレアを迎え入れる村人たちとその笑顔は当初の排他的な村の印象はない。

そう、これは決して爽やかなハッピーエンドでもなければ悲劇的なバッドエンドでもない。
今、ここから始まる物語なのです。



終わりに

この作品を観て分かる邦題の素晴らしさ。
単にタイトルを見ただけでは分からないこの作品の良さがこの放題に詰め込まれている。

何このセンス!
邦題が良すぎてブログ記事のタイトル何も浮かばんかった(笑)

扱うテーマは重いものの、ラストは荒んだ心に静謐を齎してくれるような、そんな映画でした。
最後までお読みくださった方、ありがとうございました。



(C) 1996 Warner Bros. Entertainment lnc. All Rights Reserved.

不遇への葛藤と愛を見つけた希望の物語(「プレシャス」ネタバレ感想)

目次




初めに

こんばんは、レクと申します。
今回は映画「プレシャス」について語っています。
フォロワーさんからのオススメ映画を観た第二弾になります(笑)

この記事はネタバレを含みます。
未鑑賞の方はご注意ください。



作品概要


原題:Precious
製作年:2009年
製作国:アメリ
配給:ファントム・フィルム
上映時間:109分
映倫区分:R15+



・解説

1987年のニューヨーク・ハーレムで、両親の虐待を受けながら希望のない日々を生きる黒人少女プレシャス。レイン先生に読み書きを習い、つたない文章で自分の心情を綴り始めたプレシャスは、ひたむきに人生の希望を見出していく。サファイアの小説「プッシュ」を、「チョコレート」で製作を務めたリー・ダニエルズが映画化。マライア・キャリー、レニー・クラビッツ、ポーラ・パットンらが出演。2009年のサンダンス映画祭でグランプリ、第82回アカデミー賞助演女優賞と脚色賞を受賞した。
プレシャス : 作品情報 - 映画.comより引用



・キャスト






・予告編





人生の選択

16歳のプレシャスは父親からの性的虐待で二度目の妊娠。
母親からも逆恨みの虐待を受け、友達や恋人も出来ず、読み書きもできない。
妊娠を理由に退学させられたプレシャスはここで人生のターニングポイントに差し掛かる。



一つ目の重要な選択は
教育を受けること。

プレシャス自身の本当の想いは分からない。
しかし、子は親を選べないという自分の不遇を愛する我が子たちにして欲しくないという母性の目覚めを自分は感じました。

その為には先ず自分がちゃんとした生活を手にする必要がある。
愛を知らない齢16の女の子が、学校に通いつつ産まれてきた子ども二人を育てる。
非常に困難で突きつけられる現実、大きな壁、障害は多い。


そして、もう一つの重要な選択が
母親との離別。

プレシャスの母親だって初めは心から娘を愛していたんです。
我が子に名付けたその名前こそがそれを証明しています。
宝物(プレシャス)

この作品で、恐らく誰もがよく思わない母親という存在。
娘に対する虐待は決して許せない問題であるが、彼女自身も被害者であることは忘れてはならない。
彼女もまた夫からの愛を知らずに人生を歩んできたのだ。

プレシャスはそんな母親との離別を決意し、我が子へ愛を注ぎ、同時に愛を知ることとなる。
自分を本当の意味で愛してくれる人の存在は大きい。
生きる希望にもなるし、自分の存在意義にもなりうる。
同時に、親が子を愛することは当たり前ではなく、時には別の愛する人のために捨て置くことも有り得るのだ。


1980年代、経済格差の渦中にあったアメリカでは、貧困の中に疎外された男性たちのDVや性的虐待などの暴力が蔓延っていました。
原作者のサファイア自身もDVのある環境に育っていたようで、今作の監督てをあるリー・ダニエルスは原作を読んで深く感心を寄せたという。
母親役のモニークも兄からの性的虐待を告白していることからも、この役作りに徹したモニークには脱帽です。

「プレシャス」で第82回アカデミー助演女優賞に輝いたモニークの兄ジェラルド・アイムスが、4月19日放送の米ABC「オプラ・ウィンフリー・ショー」に出演し、子どものころのモニークに性的虐待を行っていたことを告白した。
アイムスは、自身が13歳、モニークが7歳のころから1、2年にわたり性的虐待を行ったと明かし、「本当にすまないと思っている」と涙ながらに謝罪。かねてモニークは、兄から性的虐待を受けていた過去をメディアに語り、「プレシャス」で演じた鬼のような母親役を、その経験をもとに演じたとコメントしていた。
オスカー女優モニークの実兄、性的虐待を告白 : 映画ニュース - 映画.comより引用




変化と成長

大きく分ければこの上記2つがプレシャスの重要なターニングポイントでした。

一方で、人生とは無数の選択肢の上に成り立ちます。
勿論、この劇中にも様々な選択肢がありました。
その中でも大きく関わったのはフリースクールで出会った生徒たちとレイン先生です。


あの時、校長先生が自宅を訪ねて来なければ。
もし、プレシャスが校長先生の言葉に耳を傾けなければ。
翌朝、フリースクールへと足を運ばなければ。
・・・etc.

その中でも印象に残ったポイントだけ挙げていきます。



・レイン先生の質問

フリースクールでの初めての自己紹介。
名前、出身地、得意なこと、好きな色を教えて。


一度はパスしたプレシャスは勇気を振り絞って自己紹介をします。

人は名前も、生まれる場所も、肌の色も選べない。
それでも好きな色は自分で選ぶことが出来る。
得意なことを伸ばすことは自分の自信へと繋がる。

人生とは自分の選択肢で歩んでいくものなんだ。
というメッセージとも取れる非常に素晴らしい描写がさり気ない演出のひとつとして落とし込まれているんですね。



・プレシャスの妄想

冒頭から何度か劇中に挿入されるプレシャスの妄想。
こうありたいと願う夢が可視化される瞬間は色鮮やかで表情も明るく煌びやかな演出がなされています。

この現実と夢との対比は、不遇な彼女を通した現実世界は甘くないという痛烈な皮肉にも、現実逃避にも思える妄想はある種の前向きな姿勢の表れにも取れる。

また、この妄想や表情からも、プレシャスは人生のすべてにおいて自己憐憫に浸ってはいないということが伺える。
そして、物語を終始取り巻く暗く落ちていくような雰囲気を少しでも和らげる観客への救いにも思えてならない。
ポジティブな人を見ていると何処か元気が出てくるアレに近い(語彙力)。



・プレシャスの心境の変化

フリースクールへと通う前は自分の都合のいいように妄想をしていたプレシャス。
思い出してほしいのですが、身支度をする鏡に映った自分の姿が白人の金髪女性として演出されています。
上記に記述した通り、プレシャス自身のこうありたいという理想像。


しかし、母親との対談の場に歩む前、ロビーで映る自分自身の姿は金髪女性ではなくありのままの自分自身でした。

妄想することで現実から目を背けてきた彼女自身を払拭する決意の表れ、現実と向き合ったこと、現実と向き合う強さを持ったことを意味するのではないかと思う。

フリースクールが人生の転機となったのはこれ以上説明するまでもありませんが、この時にプレシャスが自分のありのままの姿を受け入れたこと。
そして、自分の人生を歩み出したことを示唆させます。

勿論、転機を見逃さないことも必要ですが、その転機に乗っかることが出来る自己選択も重要なのではないだろうか。


いつか子どもに読み聞かせると語った絵本。
フリースクールで習ったことは読み書きだけでなく、人間としても母親としても成長させたのでしょう。



終わりに

プレシャスは過去のしがらみを断ち切った。
一見、ハッピーエンドにも見えるラストでしたが、プレシャスはやっとスタートラインに立てたんです。

この先、我が子が成長し、自分の出生について知る機会もあるでしょう。話さなければいけないことも沢山あるでしょう。
その時に、どう向き合っていくのか。
ただ言えることは、プレシャスにとって我が子は宝物です。

良い母親として我が子へ愛を注いでやってほしい。
そして二人の子どもにとっても、プレシャスは母親としては勿論のこと、かけがえのない存在で在り続けてほしい。
そう願わざるを得ないラスト。


重くのしかかる題材の中に、諦めないことで自ら見出した光を掴む、そんな希望に溢れた未来を想像できる非常に感慨深い作品でしたね。
最後までお読みくださった方、ありがとうございました。




(C) PUSH PICTURES, LLC

この映画は二度はじまる(「カメラを止めるな!」ネタバレなし)

目次




初めに

こんにちは、レクと申します。
今回は今、話題の「カメラを止めるな!」について語っていこうかと思っています。

まだ上映館数も少なく、観てない方も大勢おられると思いますのでネタバレは控えています。
※とは言ってもサイト情報や予告編で明示されている部分については言及しています。



作品概要


製作年:2017年
製作国:日本
配給:ENBUゼミナール
日本初公開:2017年11月4日
上映時間:96分


・解説

映画専門学校「ENBUゼミナール」のワークショップ「シネマプロジェクト」の第7弾として製作された作品で、前半と後半で大きく赴きが異なる異色の構成や緻密な脚本、30分以上に及ぶ長回しなど、さまざま挑戦に満ちた野心作。「37分ワンシーンワンカットのゾンビサバイバル映画」を撮った人々の姿を描く。監督はオムニバス映画「4/猫 ねこぶんのよん」などに参加してきた上田慎一郎。とある自主映画の撮影隊が山奥の廃墟でゾンビ映画の撮影をしていたが、そこへ本物のゾンビが襲来。ディレクターの日暮は大喜びで撮影を続けるが、撮影隊の面々は次々とゾンビ化していき……。2017年11月に「シネマプロジェクト」第7弾作品の「きみはなにも悪くないよ」とともに劇場で上映されて好評を博し、18年6月に単独で劇場公開。
カメラを止めるな! : 作品情報 - 映画.comより引用


・予告編





駄文

まず、Twitterの感想から。



前提として、この作品は好きです。
それを踏まえた上で、あえて言及していきます。




そもそも、前知識、予備知識を持たずに観た場合、期待した作品なのか?期待を超える内容なのか?


ゾンビ映画としてカメラを止められない。
言い換えれば、撮影し続けなければならない現状でゾンビパンデミックが起こるといったものを期待してしまうと斜め上を行くものとなっています。

そう、予告編を観るか観ないかで、期待する方向性が大きく変わってきてしまうんですよね。


前半、ゾンビ映画としてのクオリティは手放しに褒められるものではありません。
低予算というフィルターを通してでも。

この作品で評価できるポイントのひとつがここにあります。
この低予算で見るに堪えないとは言いませんが、少しシラケてしまうようなチグハグした冒頭のゾンビ映画
このチープさでさえ、伏線回収へと繋げてしまうんですよね。
キャッチコピーや予告編をご覧になられた方は察すると思いますが。

一度落とされた(笑)気持ちを盛り上げる脚本。
その落差の絶対値が大きければ大きいほど、この作品が面白いと感じる仕様になっているのでしょう。

えっ、上田慎一郎監督凄すぎない?ってなっちゃいます。



実際に撮影されたものと伏線回収時の演出に少し齟齬が見えたこと。
ここは大した問題ではありません。
むしろ、上手く誤魔化せてたと思います。

チープな低予算ゾンビ映画での盛り上がりを期待すると恐らくは期待外れ、肩透かしを食らってしまいます。
ここで「オイオイ、マジかよ(笑)」な空気が劇場で流れたことも確かです。

そこを裏切って、楽しませてくれたエンタメ性の高い脚本と役者陣の熱が観客を巻き込んだ。
この作品の人気を支える大きな要因のひとつだと思います。

自分も予備知識なしに観に行きましたが、そこに惹かれたことは間違いないでしょう。

ここにハマれるかどうか。。。

あまり時間が取れず、観た方の感想も回りきれてませんが、見るのは絶賛評ばかり。
そう、それに期待しすぎると合わない人がいてもおかしくない。
観客皆が同調圧力に負けてるとは思いません。
ただ、批判的な意見をあまり見かけないこと。
そして、上田監督の次作への期待値は不安がないこともない(笑)





次に、インディーズ映画は普段メジャー作品を観ている観客にウケるのか?


かく言う自分もミニシアター系映画を好き好んで観るタイプではありますが、数をこなしている訳ではありません。
時間に余裕があれば足を運ぶ程度で、大半はやはりメジャータイトルに落ち着く。

普段から映画を観ない観客にとってのインディーズ映画はどう映るのか?

経験上、この作品のように口コミで広まっていないインディーズ映画はやはり空席が目立ちます。
上映館数も少なく、座席数も少ない。
カメラを止めるな!」は口コミも宣伝もあり、ほぼ満員でした。
そして、鑑賞中に何度か笑いの起こる和やかな雰囲気でした。

その雰囲気に引っ張られたこともあるでしょうが、コメディタッチな笑いは万人受けしそうではありました。
そうです、純粋にこの演出が評価された瞬間でもあり、ここに所謂顔となる役者や監督の名前は不要なんです。
もちろん最低限の技術は必要ですが。

確かに演技力にバラつきはありました。
しかし、それを互いに補い合い、ひとつのチームとしてこの作品を作り上げた。
そんな熱意が観客の心を掴んで離さないんですよね。


あ、厳しくいこうと思ってても、何故か褒めちゃってますね。
なんか悔しい(笑)





ということで
厳しい目で評価しましょう。

本作「カメラを止めるな!」は本当に前情報や予備知識なしでなければいけないのか?

自分も映画好きを謳っているひとりであり、それなりにネタバレはダメだというような作品も観てきています。
そんな中で時折思うのが、ばらしていいネタバレとばらしてはいけないネタバレです。



例えば、公開当初に問題となったM・ナイト・シャマラン監督作「スプリット」。

この作品を観る前にある作品を観ておけ。といったネタバレとも取れないネタバレ問題ですね。
観客にとって有益で必要な情報であるにも関わらず、それをネタバレだと批判されたことに疑問は大きい。
それは必要なネタバレ(ネタバレと言っていいのかも疑問だが)だと思っています。
シャマラン監督の過去作を観ておいた方がいいよ。だけではプッシュが弱いんですよね。


次に、ジェームズ・マンゴールド監督作「アイデンティティー」。

アイデンティティー [Blu-ray]

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この作品のすごいところは、ネタバレ禁止の部類に入る作品であるにも関わらず、作中であっさりとネタバレを掲示してしまう。
そこに観客が納得出来ること。
そしてネタバレを知っても楽しめること。
何度観ても面白い点にあると思うんです。


本作「カメラを止めるな!」に関しても
ネタバレされても観客は納得して楽しめるのか?と。
ネタバレされてから観ても面白いのか?と。


恐らく、自分はもう一度観に行っても楽しめると思います。
それは自分がこの作品にハマれたからというのが大きい。

一度も鑑賞されていない観客が、もしネタバレを見て、それでも尚この作品を楽しめるのかどうかという点に非常に興味があります。
あくまでも一般的な視点で。


もちろん、何も知らない状態の方が受ける衝撃は大きい。
かく言う自分も、ネタバレは出来る限り見たくありません(笑)
前情報も予備知識もあまり入れずにフラットな状態で作品に臨みたい。

しかし、ネタバレされたから面白くなくなるような作品はそもそも面白い作品なのか?とも思う。


まだ観てない方に言いますが、「カメラを止めるな!」は正直、予告編でネタバレしてます(笑)

どちらがいいのかなんて言えませんが、公式が掲示した内容を踏まえた上で鑑賞しなければ、観客側が勝手に期待して、思っていたのと違うと肩透かしを食らってハマれなかった。なんてことも有り得るということが言いたい。

そもそもの話、ネタバレの境界線は各々違うってのもあるんですけど。



キャッチコピー
『最後まで席を立つな。この映画は二度はじまる。』



もしかすると、ネタを知った二回目の鑑賞で何かが始まるのかもしれない(笑)



終わりに

と、色々と簡単に書きましたが、まだご鑑賞されていない方は出来るだけ劇場で観てほしいです。
勿論、自宅鑑賞を否定するわけではありませんが、この手の映画は観客一体となって観る臨場感もキモのひとつだと思います。

作品の善し悪しを左右するものと簡単には言えませんが、どうせ観るなら劇場で!くらいの気持ちで行ってみましょう。
少なくとも自分はこの作品に1800円を支払う価値はあると思います!

最後までお読みくださった方、ありがとうございました。


Keep Rolling (映画『カメラを止めるな!』主題歌) [feat. 山本真由美]

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(C)ENBUゼミナール

この映画を観たらもう戻れない変態映画25選!

目次




初めに

こんにちは、レクと申します。

今回はですね、Twitterのフォロワーさんでありブロガーのナガさんがお書きになられた記事

より、自分の変態映画も記事にしてみては?とのご意見をいただいたので、早速やってみることにしました(笑)


所謂「変態映画」をナガさん同様に25作品ご紹介させていただこうと思っていますが、ナガさんのエログロ?ではなく、自分はあくまでも常軌を逸した変態要素を重要視して選出しました。

ナガさん曰く
「もう変態ではなかったあの頃には戻れない」
との事なので、今回ご紹介する映画を見ないように気をつけてください!(こちらでもフリ)

そして25作品全て見ているよと言う方がいらっしゃいましたら、健全だったあの頃にもう戻れないないという事実を噛みしめて、ナガさんと僕と一緒に泣きましょう。

ナガさんも僕ももうあの頃には戻れません(笑)


(C)あんど慶周集英社・2016「HK2」製作委員会



ということで、真面目な記事ではありません。
レビューもふざけてますが、興味ある方は最後までお付き合いお願いします。



変態入門編

先ずは変態入門編!
変態味は薄ーい犯罪者たちの映画。
これくらいじゃ変態とは胸を張って言えませんね!


・セブン:ビギンズ 〜彩られた猟奇〜

ウィレム・デフォー セブン:ビギンズ~彩られた猟奇~ [DVD]

ウィレム・デフォー セブン:ビギンズ~彩られた猟奇~ [DVD]

アナモルフォーズとは、歪像画とも言われる所謂隠し絵や騙し絵のことです。
見る角度や距離、遠近法を利用して描かれたもので、ある視点から見ると隠れていたものが現れてくるという仕組み。
ある視点から見てるだけではその物事の全容はわからないって教えみたいですね。

主人公とアンクル・エディ猟奇殺人事件を絡めたストーリー展開。
一番の見せ場が犯人の殺害現場の装飾。
壁に投影される臓器を抜かれ逆さ吊りにされた死体。
バラバラに切り刻まれた人体ジグソーパズル。
一見、無意味に見える殺害現場もある視点から見れば一つの作品となる。
芸術性の高い殺害方法は実に変態的な美しさ。


・チェイサー

デリヘル運営の元刑事の店で女の子が立て続けに失踪。その頃、街では連続猟奇殺人事件が頻発していた。
デリヘル運営元刑事と殺人でしか性的興奮を覚えないEDな犯人との追いかけっこクライムサスペンス。

EDな犯人が女性を突くのはアソコではなく頭蓋骨、チンコではなくノミ。
何といっても救われない結末に胸が痛くなる。
こうピンと張ったピアノ線が切れて一気に弛む様のように、気持ちが沈んでいく。本当に後味が悪い。
実話を基に作られたようですが、実に生々しい。


ザ・セル

最先端技術で連続殺人鬼の精神世界へ潜入。
漂白した被害者女性の屍を見ながらの吊り下げ自慰は変態領域で、そんな彼のインナースペースは残酷と稚拙な快楽が入り乱れる。
正直、物語としては薄味だが、この圧倒的映像美と役者の存在感に目が離せない。

力の入った独創的な映像と主演のジェニファー・ロペスのコスプレ七変化、殺人鬼役ヴィンセント・ドノフリオの狂気。
変態殺人鬼の脳内はどうなっているのか?が最大の魅力であり、サスペンス色よりもSF色の強い作品です。


・インビジブル

もし透明人間になれたら?
恐らく男性なら間違いなく女子風呂を覗くという回答が得られるだろう。
そう、そんな世の男性の欲望を現実にしたらこうなりました映画がこれ。

ケヴィン・ベーコンの演技とおっぱいは勿論のこと、何より評価される点は透明人間という目に見えない描写を可視化したことである。
何度観ても色褪せない透明人間の細かな描写と男の欲望を叶えてくれた愛すべき変態映画。


・マニアック

マネキン修復師が女性の頭皮を剥がしてマネキンに被せるというタイトル通り、マニアックすぎる性癖を持つイライジャ主演の猟奇殺人ホラー。

あえてリメイク作品をご紹介しますが、イライジャのLOTRのイメージを払拭するほどの変態味を味わって欲しい。
ただそれだけだ。
POV視点だがグロにボカしが入っててそこは残念でしたが、観て損はしない変態ホラー映画。


・ELLE(エル)

エル ELLE [Blu-ray]

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流石は変態ヴァーホーヴェン監督、一筋縄ではいかない。
衝撃的な始まり方から単なるサスペンスに留まらない変態映画。
女性がエロくもあり美しくもあり、男性を手のひらで泳がすように主導権を握る強かさや怖さと徐々に浮き彫りになってくる人間に潜む変態的な本質。
この作品に漂う妖艶な雰囲気と性が齎す耽美なサスペンスが絶妙なバランス。
そして、欲に囚われた人間の怖さや愚かさ、醜さがより人間らしい生々しさを含ませる。

誰しも性や暴力を幾度か妄想したことはあるはず。
ヴァーホーヴェンが変態と言われるくらい凄いところはそんな型にハマらない非日常的な性と暴力を頭の中で描いていて、その空想を現実で起こる事象のように創作出来るところだと思う。



変態中級編

さあ、ここからはエログロに突入だ!
この作品もすべて観てるよって方は普通の映画じゃ満足出来なくなってるんじゃないですか?(笑)


・RAW 少女のめざめ

食欲と性欲は非常に関係性が強いもの。
満腹状態、つまり食欲が満たされた状態では性欲が薄れるらしいです。
人食に目覚めていくと同時に性にも目覚めていく、その一方で異常だと思える人食が自然なことである思春期の悩みと同等に、さも当たり前の悩みのように描かれる。
この自然さと異常さのバランスというか、食欲と性欲の関係性の描き方が素晴らしい。

「RAW」とは「生の」、「皮のむけた」、「未熟な」、「下品な」
という意味があります。いやらしい。


イグジステンズ

イグジステンズ [DVD]

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夢とも現実とも区別がつかないヴァーチャル・リアリティの世界。
果たして今見ているのは夢なのか現実なのか?
ある種のゲームに没入するような、或いは映画の世界に浸るような幻想世界にイク。
グロ汚いヘンテコSFファンタジー

クローネンバーグ監督作は基本的に本人もよくわかってない作品が多いですが、今作は「ヴィデオドローム」の性的モチーフをわかり易く、テーマそのものを明確にした作品。
つまりは変態映画です(笑)


アンチクライスト

暴力シーンと性描写が凄いというか、日本公開ではボカシありで誤魔化されてますがウィレム・デフォーのウィレムJr.がデフォデフォしてます。

監督は救われない結末を作らせたら右に出る者がいないと思う『ダンサー・イン・ザ・ダーク』のあのお方(笑)
森で出てくる烏、鹿、狐もそれぞれ生殖に関する暗喩を含んでいる。
タイトルに♀が入っている通り女性の目線で描かれる鬱な内容と壊れていく姿。
女の性とそこに潜むエゴを描いた愛憎を絡めた狂気的な変態映画。


・ベイビー・ブラッド

ベイビー・ブラッド [DVD]

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フレンチホラーの原点。
端的に言って怖いとかではなくて、ぽんぽん痛くなる映画。
女性の方は特に注意が必要なんですが、ぽんぽんが痛い。
フレンチ・マタニティー・スプラッター

触手系のムチムチおっぱいと言えば誤解が生じますが色々とシュールな映像が楽しめます。
終始、おっぱいとスキッ歯が気になって仕方なかった映画ですね(笑)


・屋敷女

屋敷女 [DVD]

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ベイビー・ブラッドと合わせて観るといいかも。
グロとかゴアは勿論なんですが、出産間近の妊婦ってことでお腹の赤ちゃんが心配で終始落ち着かない。
途中で弛れることもないから、いい意味で精神力使います。
まあ想像してた通りの結末なんで、案外普通でしたが、自分を追い込みたいドMな妊婦さんにオススメ(やめろ)

これもぽんぽん痛くなる映画です。
マトモな人は観ない方が良いです(笑)


マーターズ

一級品の胸糞映画。
見るのも嫌になるようなグロ、ゴア描写の拷問の連続と救われない不条理な展開は観る人を選ぶ。
ただ、この作品が評価される理由は残虐描写だけに頼ることなく、しっかりとしたストーリーがあるということだ。

ここまで残虐行為をする理由は何なのか?
その答えは【死後の世界を見たい】から。
人の欲望というものは底がない。
一線を越えたその欲望の恐ろしさたるや。
そして、この残虐行為は変態野郎の金持ちたちの単なる娯楽に過ぎないという事実がまた恐ろしい。
そこにまた別の嫌悪感が生まれる。


・ビヨンド・ザ・ダークネス/嗜肉の愛

原因不明の病で恋人を失ったフランクは彼女を剥製にする。
剥製にするために内臓や目玉を取り出すシーン、首を噛みちぎったりカニバリズム的な過激なゴア描写のある変態映画。

常軌を逸した彼女への愛情は変態の鑑。
と思いきや、他の女と授乳プレイしたり剥製に他の女とのセクロスを見せるなど変態味が溢れます。



変態上級編

さあ、エログロを超えた先には何があるのかな?
そう!下ネタとうんち映画だ!


・キラーコンドーム

キラーコンドーム [DVD]

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32㌢の巨根を持つ(もうこれだけで変態的)、ゲイの刑事はコンドームがナニを食うという奇妙な事件の調査の為に現場へ向かうが、コトに及んだ際に片方の睾丸を食いちぎられてしまう。

一見おバカな設定とおバカな内容なんですが、この作品には子作り目的以外での不純異性行為はダメだというメッセージが込められているんですよ!
中学校で観せるべき映画(やめろ)


・吐きだめの悪魔

酒飲んだら溶けちゃうよーなグロ汚いホラー映画。
今まで観てきた映画の中でも特に汚い方(笑)
映像から臭さが漂ってくる感じ、分かりますかね?
蓋を開けてみればど下ネタのオンパレード。
めちゃくちゃくだらないのに笑っちゃう。
見どころは宙を舞う切り取られたチンコと切り取られたチンコでフットボールです。

なんと、めでたくBD化されたんですよね。
「おなかいっぱい吐きそうエディション」欲しい!


クリーチャーズ 異次元からの侵略者

監督は撮影中にお薬でも決めちゃってるのかな?ってくらい散らかったくだらなさ。
グロと笑いのコラボレーションなんですが、端的に言いましょう、これはドアノブがチンコになる映画です。

ソイソースというお薬で見えないものが見えるようになる、シュールでカオスな世界は癖になる。
大真面目にふざけ切った変態珍SF映画


ゾンビアス

ゾンビアス [Blu-ray]

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井口昇監督のゾンビ映画
オナラで空を飛ぶ女性とウンチまみれのゾンビ、ウンデッドに初めは84分、何を観させられたんだろうという気持ちになる。
そしてなんだか分からないけど、フルチの「サンゲリア」が観たくなった、そんな汚い映画(わからん)

この映画から学んだことは、「オナラはエンジン」です。


ジャッカス3D

ジャッカス3 [Blu-ray]

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頭空っぽにして観ようよ、おバカ映画。
この映画を観てる時のIQは恐らく20くらいだろう(笑)
ネタの内容はチンコかゲロかウンコなんだけど、超お下品なのに何故か飽きない。
耐性がある方だけ観てください、ご飯食べられなくなっても責任は取りません。

爆笑出来たなら、もらいゲロともらい脱糞出来ること間違いなし!


ピンク・フラミンゴ

ピンク・フラミンゴ ノーカット特別版 [DVD]

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恐らくうんち映画としては最も有名な作品ではないでしょうか?
そうです、犬の糞を食べるシーンです。
はい、これ、マジで犬の出したてほやほやのうんちを食べてるんですよ。
このシーンを観るだけでも価値がある!

汚くてお下品な映画だけど、アーティスティックで最高のお下劣カルト映画だと思うんですよね。


ムカデ人間

ムカデ人間 [DVD]

ムカデ人間 [DVD]

言わずもがなですね。
このブログでもあることについて考察しましたが、人の口と肛門を繋ぎ、ひとつの生命体としてムカデ人間を作りたい。
つまりは「つ・な・げ・て・み・た・い」という好奇心、発想自体が変態すぎる。

ムカデ人間はうんちは食べてはいけません!という教育映画です。


ムカデ人間

ムカデ人間2 [DVD]

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ムカデ人間3は正直観ても観なくてもどちらでもいいです。
先程ご紹介させていただいた1作目とこの2作目は合わせて観てもらいたい。
ムカデ人間に影響を受けた人間が如何にして変態的素養を得たのか?

ムカデ人間を愛しすぎた変態野郎のムカデ人間ひとりでできるもん!は危険だ。
ムカデ人間は手術が必要だよ、という教育テレビのようなメッセージを残す。


・ソドムの市

ご飯が喉を通らないほどのファシズムの糾弾、人間批判映画。
自尊心、承認欲求、そんなもののために他者を蔑むならソドムの市へ送られろ。
描かれる愚行の数々は、芸術的狂気。
炙り出される悪趣味な映像は、変態的蹂躙。

スカ〇ロジスト以外は観ていていい気分にはならないだろう。



ド変態編

最後に、一切の感情移入もできない、観た後に何も残らなかった虚無感。
自分が評価できない作品を生み出した監督の変態性を存分に見せられたド変態編です。


セルビアン・フィルム

セルビアン・フィルム 完全版 [Blu-ray]

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スルジャン・スパイソイェヴィッチ監督作。
名前がもう変態的でしょ、するじゃんって(謝れ)
自分は結構耐性ある方だから何でも観れるわ、と自信過剰に思ってたんですが、こればかりは二度と観たくないと思った。
内容は口に出来ないほど非人道的な映画撮影に巻き込まれる元ポルノ男優の話。
倫理の裏側に潜む嗜好を寄せ集めたような映画。

作品自体は評価すべきものなんでしょうが…すみません、自分の許容範囲を超えたので評価できませんでした。


・ネクロマンティック

ユルグ・ブットゲライト監督作。
彼は人の死を描くことが大好きな変態監督。
今作は死体愛好家が死体を交えて3Pをしちゃったよ的なド変態っぷり。
ぶっ飛げー(ブットゲライトだけに)な死姦、屍姦の悪趣味映画。

大きく人道を逸れた偏愛は正にド変態と呼べるのではないだろうか?


・死の王

死の王 [Blu-ray]

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こちらも同じく、ユルグ・ブットゲライト監督作。
月曜から日曜までの一週間、7つの死をオムニバス形式で撮す。
自殺を特別な出来事ではなく、日常の中に捉えた繊細且つ挑発的で憐憫さえ感じさせる鬱映画。

途中に挿入される腐りゆく死体はリアルで、こんな作品を作る監督はド変態としか思えない。



終わりに

ということで、25作品を挙げさせていただきましたが、ここでご紹介しきれなかった変態映画もまだまだあります。
自分の観ていない変態映画もたくさんあるので、もう後戻りはしません。
前に進むだけです!

あ、くれぐれも変態上級編とド変態編の映画を軽い気持ちで観てはいけませんよ?(笑)
おふざけの軽ーいレビューしか書いてませんが、なかなかのグロさがあります、ご飯食べられないとか言われても責任は取れません。

真面目な記事ではなくて申し訳ないですが、最後までお読みくださった方、ありがとうございました!


自然は見える精神であり、精神は見えない自然である(「Vision-ビジョン-」ネタバレ考察)

目次




初めに

こんにちは、レクと申します。
今回は「Vision-ビジョン-」について語っています。

まず初めにTwitterの感想から。





作品概要


製作年:2018年
製作国:日本・フランス合作
配給:LDH PICTURES
上映時間:110分
映倫区分:PG12


・解説

河瀬直美監督が永瀬正敏とフランスの名女優ジュリエット・ビノシュを主演に迎え、生まれ故郷である奈良県でオールロケを敢行したヒューマンドラマ。フランスの女性エッセイストで、世界中をめぐり紀行文を執筆しているジャンヌは、あるリサーチのために奈良の吉野を訪れ、山間に暮らす山守の男・智と出会う。智は、山で自然とともに暮らす老女アキからジャンヌとの出会いを予言されていたが、その言葉通りに出会った2人は、文化や言葉の壁を超えて次第に心を通わせ、さらに山に生きる者たちとの運命が予期せぬ形で交錯していく。ジャンヌ役をビノシュ、山守の男・智役を永瀬が演じるほか、岩田剛典、美波、森山未來田中泯夏木マリらが出演。
Vision : 作品情報 - 映画.comより引用


・予告編





仏教的観点からのVision

先ずは本作「Vision」を仏教的観点から見ていきます。
本作「Vision」は自然と大きな関わりがあります。

主演女優ジュリエット・ビノシュはこうも語っています。

「自然と人間は、切り離せないもの。自然に戻るということは過去に回帰することではなく、自分の基になっているものを再確認することなの。日本の方は、そういった理念を大切にしている。自然を失って文明だけで生きてしまうと、人は人生に迷ってしまったり、自殺する人までも出てきてしまう。ちゃんと自分のルーツを持ちながら、新しいことに向かっていくのが大事だと思うわ」
ジュリエット・ビノシュ、「Vision」河瀬直美監督の現場で最も感銘を受けたのは? : 映画ニュース - 映画.comより引用



諸行無常

日本国における仏教の教えに諸行無常という言葉があります。
諸行無常とは、仏教のテーゼのひとつ。
「この世のあらゆるものはすべて移ろい行く」
「形あるものは必ず壊れる」というようにあらゆるものは生じそして滅するという理。

自然とは命あるもの。
命あるものは儚くいずれは必ず消えてしまう。
そして、命あるものは生まれ変わる。輪廻転生へと繋がります。

"山川草木悉皆成仏"という仏教の思想、みな平等で生けとし生きるものが寄り沿い合う"法華経"の世界観、"八百万の神"といわれるような日本の神々の思想が融合され、日本の仏教が形成されています。


本作でも命あるものは儚くいずれは必ず消えてしまう。という死が描かれていましたね。

ひとつはアキ。
もうひとつは犬のコウ。

共にトンネルを潜る演出から、生から死を表しているのは間違いないでしょう。

死を迎えて自然に帰る。
アキは智に「17歳に戻ったら…」と輪廻転生を匂わす台詞も語っています。



諸法無我

諸法無我とは、全てのものは因縁によって生じたものであって実体性がないという意味の仏教用語


これは本作「Vision」における幻の薬草"ビジョン"を指します。

ビジョンによって引き寄せられた彼女らが、再びこの森で出会う。
言い換えれば、この出会いは必然であり、縁によって生じた実体のないもの"ビジョン"。

自然とは実体があるものでもありますが、同時に感じるものでもあると思うんです。
風で靡く木々の葉音、雲の切れ間から差し込む陽の光、土の匂いや川のせせらぎ。


目に見えるものだけが全てではなく、目に見えないところにこの映画の本質があるのかもしれません。

この作品自体が何処か掴みどころのない、実体がないもののようで、そんな作品を観ることとなったのもまた、何かの縁なのかもしれませんね。
と言っておきます(笑)



涅槃寂静

涅槃寂静とは、煩悩の炎の吹き消された悟りの世界(涅槃)は、静やかな安らぎの境地(寂静)であるということを指す仏教用語

幻の薬草"ビジョン"を巡り、辿り着いたのは
火がVisionを生み出し、痛みを消し去る。

この炎に包まれ、沈静していく様は正に涅槃寂静


炎の中に見た岳の姿。
岳と森で出会い、鈴という子を授かったジャンヌにとって、岳を失ったことは心の痛み、つまり煩悩だったのではないでしょうか?

そして、鈴にとっても親の顔も知らずに育った。
この森に導かれてジャンヌが自分の母親だと認識出来た。
過去の苦しみ(煩悩)からの解放を意味しています。




諸行無常諸法無我涅槃寂静
この3つを三法印といい、仏教において三つの根本的な理念を示します。

仏教的観点から見ても本作「Vision」はこの三法印でひとつのストーリーとなっている事が分かりますね。



哲学的観点からのVision

次に、哲学的観点から見ていきます。
先程も記載したように、本作「Vision」は自然と大きく関わりがあります。

日本語の"自然"という言葉は、明治時代に古代ギリシア語の"ピュシス"、ラテン語では"natura"を語源とするヨーロッパ言語の言葉を翻訳する際に、もともと日本で用いられていた"自然"という言葉をあてがった翻訳語です。

したがって現代の日本語でいう"自然"には
翻訳語として用いられる以前に持っていた意味と
ヨーロッパ言語の言葉の意味

の2種類が存在します。

"自ずとなる"という意味での"自然"と
"物質的存在"という意味での"自然"。

"自然"と"nature"の共通する意味は"人工"との対義語だ。

古代ギリシアにおいても
「自然は隠れることを好む」(ヘラクレイトス)
「各々の事物のうちに、それ自体として、それの運動の始まりを内在させているところのその当の事物の実体のことである」(アリストテレス)
とされ、自然とは固有の在り方、内在的な原理のことを意味する。


では、日本にもともとあった"自然"と"nature"との相違とは何か?

"nature"は物質的存在を意味している場合が多く、人間の精神や意識と反意する意味である。
日本語における"自然"には、このような意味はもともとありません。


仏教的観点では記載しませんでしたが、『沈黙-サイレンス-』での宣教師フェレイラの言葉
「自然の内でしか信仰を見い出せない」

まさにこれです。
日本では精神や意識として扱うことが多いのです。


本作「Vision」でも"自然"は精神的な意味合いが大きいように思います。

自然と哲学は密接な関係があります。
特にドイツ観念論における自然哲学で代表されるなシェリングの言葉を借りましょう。


フリードリヒ・ヴィルヘルム・ヨーゼフ・フォン・シェリング(Friedrich Wilhelm Joseph von Schelling、1775年1月27日 - 1854年8月20日)は、ドイツの哲学者である。カント、フィヒテヘーゲルなどとともにドイツ観念論を代表する哲学者のひとり。
フリードリヒ・シェリング - Wikipediaより引用


「自然は見える精神であり、精神は見えない自然であるはずだ」




これを元に結論に入っていきます。






これがすべてです(笑)


前置きに対しての結論の短さ。
言いたいことの全てがこれです。


見て、聞いて、触れて、感じる。

自然は見える精神であり、精神は見えない自然である。
これ以上この作品について語る的確な言葉がないと思います。



余談

他にも幾つか伏線がありましたね。
素数ゼミです。

周期ゼミとは
毎世代正確に17年または13年で成虫になり大量発生するセミである。その間の年にはその地方では全く発生しない。ほぼ毎年どこかでは発生しているものの、全米のどこでも周期ゼミが発生しない年もある。周期年数が素数であることから素数ゼミともいう。
17年周期の17年ゼミが3種、13年周期の13年ゼミが4種いる。なお、17年ゼミと13年ゼミが共に生息する地方はほとんどない。
周期ゼミ - Wikipediaより引用

本作における幻の薬草"ビジョン"の周期も997年で素数という設定でした。
三桁の素数の中で最も大きい数ですね。

と、特に掘り下げることもありませんでした。
恐らく1000年という区切りとして最も近い素数を選ばれたのかな?

この辺りの詰めが甘い(笑)



次に、涙についてですが
ジャンヌ、鈴など涙を流すシーンが幾つかあるのですが、必ず右目からのみ涙を流していたのにお気づきになられましたでしょうか?

哲学的観点で、見る、聞く、触る、感じる。それがすべてだと語りました。

裏を返せばどれかひとつでは足りないんです。
人は見ることですべてを分かったかのように思い込む。
この作品は台詞が極端に少なく、そして言葉を交わすというコミュニケーション能力がかえって疎通の壁となるわけです。
そこでより一層、数少ない会話、表情、仕草、アイコンタクトが強調されるわけです。

見て、聞いて、触れて、感じる。
そのひとつが涙です。


「右目から流れる涙は嬉し涙だよ」

などというスピリチュアル的なことをいう訳ではありませんが、スピリチュアルな作品である本作の演出としては可能性は高いです(笑)


そもそも、涙を流すための神経(涙腺神経)は左右別にあり、鼻の奥にある翼口蓋神経節からの副交感性節前線維を涙腺神経に知覚が運ばれることで涙が出るんです。

翼口蓋神経節、または蝶形口蓋神経節、メッケル神経節)は、翼口蓋窩にある副交感神経の神経節である。
翼口蓋神経節は副交感神経の神経節の中で最も大きなもので、顔面神経からの副交感神経を受けている。翼口蓋窩の中で上顎神経に接して存在し、三角形ないしハート形をしている。 翼口蓋神経節は口・鼻・眼のどれに対しても近い位置にあり、涙腺、副鼻腔、歯肉、咽頭、口蓋などの腺分泌にかかわっている。
翼口蓋神経節 - Wikipediaより引用

つまり、右目からだけ涙を流そうと思えば流せるんですね。



終わりに

河瀬直美監督作は合う合わないがあると思います。
特に本作「Vision」においても、難解というよりも抽象的で物語の全容を把握出来ず、脚本も緩いところが難点だ。

一方で、視覚的な美しさ、自然美と演出の芸術性は評価しますが、論理的に見た時との齟齬が大きく、ノれなければかなりしんどい作品となってますね。

語りすぎない内容は、様々な考察、視点が生まれるものとも思います。
ご鑑賞された方はどんな視点でどのように感じたのか、お聞きしたいものです。


最後までお読みくださった方、ありがとうございました!




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1日1本オススメ映画(2018/01/01~2018/05/31)

初めに

こんにちは、レクと申します。

昔からTwitterで度々お世話になっております
「1日1本オススメ映画」
というタグで紹介させていただいた映画を今年の頭から半年分ではありますが纏めました。
数が多ければ四半期や月毎となる場合も御座います。

いつものように記事らしい記事では御座いませんが、観る映画の参考程度になれば幸いです。



1日1本オススメ映画

・ボルベール<帰郷>




フェノミナ



最高の人生の見つけ方



トゥルーマン・ショー



・サヨナラの代わりに



・ワンチャンス



言の葉の庭



スペース カウボーイ



・ルーム



・エイミー



サスペリア



インフェルノ



・ウィッチ



ジョゼと虎と魚たち



三度目の殺人



グラン・トリノ


終わりに

今後もこのような形ではありますが、纏めて保管させていただこうと思っております。

よろしくお願い致します。