小羊の悲鳴は止まない

好きな映画を好きな時に好きなように語りたい。

ギリシア神話から読み解く映画「聖なる鹿殺し」ネタバレ考察

目次




初めに

こんばんは、レクと申します。
今回は前回の『ロブスター』に続いてヨルゴス・ランティモス監督作『聖なる鹿殺し キリング・オブ・ア・セイクリッド・ディア』について語っています。

この記事はネタバレを含みます。
未鑑賞の方はご注意ください。



作品概要


原題:The Killing of a Sacred Deer
製作年:2017年
製作国:イギリス・アイルランド合作
配給:ファインフィルムズ
上映時間:121分
映倫区分:PG12


解説

「ロブスター」「籠の中の乙女」のギリシャの鬼才ヨルゴス・ランティモス監督が、幸せな家庭が1人の少年を迎え入れたことで崩壊していく様子を描き、第70回カンヌ国際映画祭脚本賞を受賞したサスペンススリラー。郊外の豪邸で暮らす心臓外科医スティーブンは、美しい妻や可愛い子どもたちに囲まれ順風満帆な人生を歩んでいるように見えた。しかし謎の少年マーティンを自宅に招き入れたことをきっかけに、子どもたちが突然歩けなくなったり目から血を流したりと、奇妙な出来事が続発する。やがてスティーブンは、容赦ない選択を迫られ……。ある理由から少年に追い詰められていく主人公スティーブンを「ロブスター」でもランティモス監督と組んだコリン・ファレル、スティーブンの妻を「めぐりあう時間たち」のニコール・キッドマン、謎の少年マーティンを「ダンケルク」のバリー・コーガンがそれぞれ演じる。

聖なる鹿殺し キリング・オブ・ア・セイクリッド・ディア : 作品情報 - 映画.comより引用



ギリシア神話から読み解く

前作『ロブスター』に続き、今作『聖なる鹿殺し』でもギリシア神話との関係性について考察しています。

前作『ロブスター』の考察はこちらから。


Twitterに上げた感想です。



監督ヨルゴス・ランティモスは『聖なる鹿殺し』の製作にあたってこのように語っています。

「大まかに話すと‘正義’と‘報復’、‘信念’、‘選択’などでしょうか。人生で大きなジレンマに直面すると、何が正しくて何が間違っているのか判断できなくなることですね」
ヨルゴス・ランティモス監督、映画作りの醍醐味語る 『聖なる鹿殺し』特別インタビュー映像|Real Sound|リアルサウンド 映画部より引用


マーティンという人物を中心に作られた物語の中で、ギリシア神話に重なる部分がいくつも見えてくる。
当記事ではそのギリシア神話と個人的見解を中心に考察していますが、その根底には人間の業の深さがあると思います。
こちらの見解に関しても後述しておきます。



さて、まずは前作『ロブスター』同様にギリシア神話を絡めつつ見ていきましょう。



劇中にも語られるギリシア悲劇作家エウリピデス『アウリスのイピゲネイア』。
娘のキムはこの作品の作文で教師から評価を得ていました。

ギリシア軍は、トロイアへの出航準備を済ませてボイオーティアのアウリス港で待機していたが、風がぴたりと止んだため果たせずにいた。カルカースに占わせた結果、これは単なる気象異常ではなく、女神アルテミスの意志によるものだと分かる。アガメムノーンが女神の逆鱗に触れたため、女神は風を止めたのである。

カルカースは将軍に、女神の怒りを和らげるためには、アガメムノーンは長女イーピゲネイアを生贄にささげなくてはならないと告げる。アガメムノーンは恐懼したが、浜に集められた兵士たちは鬱屈しており、このままでは反乱が起きる可能性が高まっていたため、決断せざるを得なくなる[要出典]。アガメムノーンは、妻のクリュタイムネーストラーに伝令を送り、戦に出立する前にギリシア軍兵士のアキレウスとイーピゲネイアを結婚させると言って、娘をアウリスに呼び寄せる。

アウリスのイピゲネイア - Wikipediaより引用



生贄とされたイピゲネイアは鹿と引き換えにアルテミスによって救われた説もあります。

『聖なる鹿殺し』というタイトル。
本作に鹿は登場しません(笑)
このギリシア悲劇を主軸に『聖なる鹿殺し』の全てを読み解ける訳ではありませんが、タイトルとギリシア神話の関連から概ねプロットを理解することは可能です。
 


事の発端はスティーブンがマーティンの父親の心臓の手術に失敗し、死なせてしまったことにある。
物語の中盤で明らかになったのは、スティーブンが酒を飲んだ状態で手術を行ったこと。
つまりマーティンの要求は、自分の父親を殺した報いとして、スティーブンに犠牲を払って貰うというもの。

ヨルゴス・ランティモス監督が語るように、マーティンにとっては"正義の報復"であり、断罪。
ティーブンにとっては、究極の"選択"となる"信念"のぶつかり合いなのだ。



その報復はスティーブンの家族の身に起こる不可解な現象から始まる。

①手足の麻痺
②餓死するまで食事の拒否
③目からの出血
④死亡

の四段階であり、家族のうち誰か1人を犠牲にしなければ家族全員が死んでしまうというもの。

 
マーティンが望むのは、あくまでも自分と同等の苦しみをスティーブンに与えること。
自分以外の家族を失う悲しみや苦しみを味わせることなんですね。



『アウリスのイピゲネイア』でもアガメムノンは「ヘラス人のためにお前を殺さなければならない。」と述べており、娘イピゲネイア自身も「アルテミスが私の身体を望んでいるのであれば捧げます。」と自ら犠牲になることを承諾しています。

このイピゲネイアの台詞と同じような内容をキムが語っていました。
「自分を殺してほしい。家族を愛している。」と。

キムが『アウリスのイピゲネイア』の作文を書いたことにより、影響を受けていることが見受けられる。
つまりはキム自身をその悲劇のヒロインに重ねていたことが考えられます。



しかし、最終的にスティーブンは目隠しのロシアンルーレットで家族一人の生贄を"選択"することを選びます。
結果的にボブが射殺され死んでしまう。
この点に関しても、『アウリスのイピゲネイア』での一説、"イピゲネイアの代わりに鹿が生贄とされた"ことと繋がる。



ここで、ギリシア悲劇から

アガメムノンはスティーブン
その妻クリュタイムネーストラーはアナ
娘イピゲネイアはキム
女神アルテミスはマーティン
そして、犠牲となった聖なる鹿はボブ

という構図が決定付られるわけです。





さて、ここで更に踏み込んだ考察が出来てしまうんですね。
個人的な見解として、この考察が最もしっくりきたものでもあります。

それは『アウリスのイピゲネイア』の後日譚である『オレステイア悲劇三部作』です。


‪『オレステイア悲劇三部作』では『アウリスのイピゲネイア』で描かれた生贄とイピゲネイアの悲劇、そして支配と隷属から復讐の連鎖が紡ぎ描かれます。‬

『オレステイア』(希: Ὀρέστεια, 英: Oresteia)は、古代ギリシアの悲劇作家アイスキュロスの書いた、トロイア戦争におけるギリシア側総大将アガメムノーン一族についての悲劇作品三部作。
オレステイア - Wikipediaより引用


『オレステイア悲劇三部作』は『アガメムノーン』、『供養する女たち』、『慈しみの女神たち』の三つの悲劇から構成される。

その後日譚の内容を簡単に纏めます。
『アガメムノーン』では妻が夫恨んでおり夫殺しを、『供養する女たち』ではアガメムノーンの息子が父の仇討ちとして母を殺し、『慈しみの女神たち』では親殺しを行った息子の罪を問われるが無罪となり、エウメニデスによって慈しみをもって憎しみと復讐の連鎖はついに断ち切られ、ギリシアに調和と安定がもたらされた。


オレステースを責める復讐の三女神 (ウィリアム・アドルフ・ブグロー/絵, 1862)

エリーニュス(古代ギリシャ語: Ἐρινύς, Erīnys)は、ギリシア神話に登場する復讐の女神たちである。
エリーニュスたちは恐るべき女神であり、本当の名前を出すことははばかられるため、エウメニデス(慈しみの女神たち)と呼ばれる。

エリーニュス - Wikipediaより引用

今作の劇中でも、スティーブンの妻アナは娘キムよりも息子のボブを可愛がっていた描写が幾つか見て取れる。
そんな娘キムは父であるスティーブンよりも母であるアナを嫌っていた描写が幾つかある。
そして、キムはマーティンに恋心を抱いていた。


つまり
聖なる鹿(ボブ)殺しであるスティーブンを恨んだ妻アナが夫を殺し、その夫殺しの仇討ちとして娘キムが親殺しを行う。
その後、キムはマーティンとくっつくのではないか?


これこそが、今作『聖なる鹿殺し』のラストから想像として補完できる物語の終結ではないのだろうか。
そう思える描写が物語の冒頭とラストのシーンに詰め込まれていたように思います。


冒頭、マーティンはスティーブンとの相席でポテトを最後に食べます。
好きなものは最後に残しておくという理由です。
一方、ラストでのキムはどうでしょう。
真っ先にポテトに手を付けていました。

物語でもキムはマーティンと出会って早々にマーティンに思いを寄せます。
このことから好きなものは先に食べるのではないか。
マーティンは"報復"という食事を終え、好きなもの(キム)は最後に食べると…(突然の下ネタ)



マーティンという人物を『アウリスのイピゲネイア』の女神アルテミスとして、そして『オレステイア悲劇三部作』の復讐の女神エリーニュスから慈しみの女神たちエウメニデスとして描かれているのではないか。


色々と考えすぎかもしれませんが、『アウリスのイピゲネイア』の後日譚があるからこそ、『聖なる鹿殺し』の物語があれで終わったとは思えなかったんですよね。



人の業の深さ


ということで、ここからは上記のギリシア神話の考察を踏まえた上で、余談や個人的見解になります。



余談として、関連性は不明だがギリシア悲劇『アウリスのイピゲネイア』と類似した内容のものがキリスト教にもあります。
それは『イサクの燔祭』。


イサクを捧げるアブラハム ローラン・ド・ラ・イール 1650

イサクの燔祭(イサクのはんさい)とは、旧約聖書の『創世記』22章1節から19節にかけて記述されているアブラハムの逸話を指す概念であり、彼の前に立ちはだかった試練の物語である。その試練とは、不妊の妻サラとの間に年老いてからもうけた愛すべき一人息子イサクを生贄に捧げるよう、彼が信じる神によって命じられるというものであった。この試練を乗り越えたことにより、アブラハムは模範的な信仰者としてユダヤ教徒キリスト教徒、並びにイスラム教徒によって讃えられている。

イサクの燔祭 - Wikipediaより引用

こちらは神への信仰心を確認するための神に捧げられる至上の犠牲の物語なのですが、イサクの燔祭においても最後には雄羊が屠られる。

キリスト教学においては、子羊はイエス・キリストを指す言葉としてしばしば用いられ、人間の罪に対する贖いとしてイエスが生贄の役割を果たすことを踏まえており、古代ユダヤ教の生贄の習慣にも由来する。


ギリシア悲劇『アウリスのイピゲネイア』においても犠牲となる生贄は娘イピゲネイアであり、生贄の選択は出来ませんでした。
今作では家族3人のうち誰か1人という選択が可能だったわけですが、妻アナの「殺すなら当然子供。私たちならもう1回子供作れる」というセリフが最も恐ろしかったですね。



ギリシア神話においては、鹿は聖なる生き物として扱われており、女神アルテミスの聖獣ケリュネイアの鹿を指すことが多い。
このことからも、タイトル『聖なる鹿殺し』はアルテミスの聖獣ケリュネイアの鹿を生贄として捧げることを指すと考えられる。

また、泉で水浴しているアルテミスの裸身を見てしまったアクタイオーンに怒り、アクタイオーンを鹿に変えたという『変身物語』もあります。




人間の罪に対する贖罪といえばドストエフスキーの『罪と罰』。
主人公ラスコーリニコフはある理念の元に行動します。
それが「一つの微細な罪悪は百の善行に償われる」

ティーブンは医師として多くの患者の命を救っている。
また、マーティンに時計をプレゼントしたりとひとつの罪を償うように善行を重ねる。

ひとつの罪とは酔ったまま手術してマーティンの父親を死なせてしまったこと。
言わば、事故死という形で正当化された殺人なわけです。



"罪の償い"に対して、マーティンはスティーブンに父親殺しの罪と対等の罪を償えば、それ以上の罪は求めてはいなかった。
ティーブンがマーティンを地下室に監禁したシーンから各々の立ち位置を推測することができる。


アナはマーティンの傷の手当をした際に、足の甲にキスをします。
これは隷属関係を示し、アナが既にマーティンの支配下に置かれていることが分かります。
不可解な現象が現れなかったことも、地下室から解放したことも関係していると思われます。

この時、キムも床に這いつくばっており、マーティンの方が立場が上であることを示しています。
その上、キムはマーティンに思いを寄せており、支配下に置くことは容易い。

しかし、ボブだけは椅子に座ったままでマーティンと同じ視線の高さでいます。
「父親がいないとお前が支配者のようだな。」とボブに向けたセリフからもボブだけはマーティンの支配下にはなっていない。



家族がそれぞれスティーブンに訴えかけるセリフからもその家族の立ち位置が見て取れる。

自分の命はいいからお母さんと弟を救って欲しいと語るキム。
ティーブンの好きな黒いドレスに身を纏い服従を誓うアナ。
いずれもスティーブンに対して立場は下なんです。

ボブはどうだったか。
自分の夢は実は心臓外科医になることだと涙ながらに訴えかけるんです。
これはスティーブンに対して対等な立場になることを意味します。


以上のことから、実は家族3人のうち誰か1人という選択が可能ではなかったのではないでしょうか?
予め、ボブが聖なる鹿として犠牲になることが定められていたとも考えられます。



マーティンが拘束された際に、スティーブンの腕に噛み付いたシーンから、スティーブンとの関係性も明らかとなります。
ティーブンに噛み付いた直後、自分の腕にも噛み付き、対等な立場を作る。

これは他の描写でも伺えます。
例えば、スティーブンに時計をプレゼントされれば、その家族にプレゼントを返す。
アナにレモネードを出されれば、スティーブンを家に招待しレモネードを振る舞う。


あくまでも現状で対等の立場を貫くことで、罪の償いをさせず、スティーブン一家を支配下に置き、父親殺しという罪を"正義の断罪"として振り翳して裁くことができるからですね。


「目には目を、歯には歯を」
ハンムラビ法典に記述された有名な言葉ですが、これはあくまでも対等な身分であることが条件です。
また、ハンムラビ法典の趣旨は犯罪に対して厳罰を加えることを目的としてはおらず、 過剰な報復を禁じ、同等の懲罰にとどめて復讐の連鎖を断ち切る
つまりは、あらかじめ犯罪に対応する刑罰の限界を定めることが本来の趣旨です。



また、マーティンはスティーブンに対して、自分の父のように尊敬し父親のようになってほしいと思っているかのようにも映る。
一方で、マーティンの実の父親の描写は希薄。
キーパーソンであるにも関わらず息子であるマーティンとのエピソードは"パスタを食べる時のフォークの使い方"のみである。
この特徴を「誰だって同じだ」と自ら否定する。

マーティンの中で、父親は既にいないものとして決定づけるものだろう。
だからこそ、家族を失う苦しみを与えること、スティーブンの家族のうちの誰か1人を失ってもらう必要があるという"覚悟"や"信念"にも映る。




マーティンの報復は果たして同等の懲罰なのか?
過剰ではないと言えるのだろうか?

上記で記述した通り、ラスト後の物語の想像としての補完は『オレステイア悲劇三部作』からも復讐の連鎖を生む形となっている。
そして、その復讐の女神たちも説得され慈しみの心を持てば物事は収束し、調和と安定がもたらされる。

今作は、人の業の深さ、人ひとりの命の重さを訴えるものであるように思います。



終わりに

今回もダラダラと語ってしまいましたが、『聖なる鹿殺し』はかなり自分好みの映画でしたね。

ヨルゴス・ランティモス監督がギリシャ人ということもあり、彼の作品にギリシア神話とは切っても切れないものだと思います。
あくまでもひとつの見解として考察していますが、ギリシア神話に結び付けずとも今作『聖なる鹿殺し』は『ロブスター』よりも単純なプロットであり、見易く分かりやすいと思います。

ギリシア神話は日本人にとって馴染みのないもの。
だからこそ、興味を持つことで今後の彼の作品に深みが出ると思います。
女王陛下のお気に入り』は彼の作品の中では初ということもあり、ギリシア神話を絡めての考察はしていません。
が、ギリシア神話に纏わる物語が何か隠されているのではないか?と思ってしまうほどヨルゴス・ランティモスという監督に興味が持てました。

次回鑑賞作は『籠の中の乙女』になると思います。
また考察したくなればブログに書き起すこととします。



最後までお読みいただいた方、ありがとうございました。




(C)2017 EP Sacred Deer Limited, Channel Four Television Corporation, New Sparta Films Limited


ギリシア神話から読み解く映画「ロブスター」ネタバレ考察

目次




初めに

こんにちは、レクと申します。
今回は『ロブスター』について語っています。
久しぶりに新作ではない映画の考察記事になります。

この記事はネタバレを含みます。
ご注意ください。



作品概要


原題:The Lobster
製作年:2015年
製作国:アイルランド・イギリス・ギリシャ・フランス・オランダ・アメリカ合作
配給:ファインフィルムズ
上映時間:118分
映倫区分:R15+


解説

アカデミー外国語映画賞ノミネート作「籠の中の乙女」で注目を集めたギリシャヨルゴス・ランティモス監督が、コリン・ファレルレイチェル・ワイズら豪華キャストを迎えて手がけた、自身初の英語作品。2015年・第68回カンヌ国際映画祭で審査員賞を受賞。独身者は身柄を確保されてホテルに送り込まれ、そこで45日以内にパートナーを見つけなければ、動物に変えられて森に放たれるという近未来。独り身のデビッドもホテルへと送られるが、そこで狂気の日常を目の当たりにし、ほどなくして独り者たちが隠れ住む森へと逃げ出す。デビッドはそこで恋に落ちるが、それは独り者たちのルールに違反する行為だった。
ロブスター : 作品情報 - 映画.comより引用




ギリシア神話から読み解く

まずはTwitterにあげた感想から。


ということで、自分が感じたギリシア神話との共通点についてサクッと語っていきます。


テイレシアースは盲目の予言者として知られるが、盲目となった理由は諸説あります。

一説には、テイレシアースがキュレーネー山中で交尾している蛇を打ったところ、テイレシアースは女性になってしまった。9年間(オヴィディウスの『変身物語』では7年と書かれている)女性として暮らした後、再び交尾している蛇を見つけ、これを打つと男性に戻った。あるときゼウスとヘーラーが、男女の性感の差について、ゼウスは女がより快感が大きい、ヘーラーは男の方が大きいとして言い争いとなり、テイレシアースの意見を求めた。テイレシアースは「快感を10倍に分けており、男を1とすれば、女はその9倍快感が大きい」と答えた。ヘーラーは怒ってテイレシアースの目を見えなくしてしまった。ゼウスはその代償に、テイレシアースに予言の力と長寿を与えたという。
テイレシアース - Wikipediaより引用



動物に変えられるというシュールな設定もこのギリシア神話"変身物語"からの着想を得たのではないかという個人的見解です。

この"変身物語"でテイレシアースは蛇の交尾を見つけ、打ったことで女性となってしまった。
そして、再び同じ行動をして男性に戻った
ことから、物語冒頭のバイ・セクシャルに繋がる。
主人公デビッドがテイレシアースに準えられた事を示すものではないのか?と考えたわけです。


また、盲目の代償として予言の力と長寿を与えた。
予言の力についてだが、テイレシアースがナルキッソスを占って「己を知らないままでいれば、長生きできるであろう」と予言する場面がある。
ナルキッソスは動物ではなく水仙という花に変えられてしまうのだが、ナルキッソスはナルシストの語源であり、自分自身を知るとは人を愛すること、今作では盲目の女性を愛する自分の姿。
愛を知らなければロブスターとなり長寿を得ることになる。
この物語の大筋とナルキッソスを占ったテイレシアースの予言の共通点です。



"オイディプース王の悲劇"に出てくる、かの有名なスピンクスの謎かけ。


オイディプススフィンクス

オイディプースはポーキスの三叉路から逃げてテーバイへと向かった。この頃テーバイではヘーラーにより送られたスピンクス(スフィンクス)という怪物に悩まされていた。

この謎は「一つの声をもちながら、朝には四つ足、昼には二本足、夜には三つ足で歩くものは何か。その生き物は全ての生き物の中で最も姿を変える」というものであった。

テーバイに来たオイディプースはこの謎を解き、スピンクスに言った。
「答えは人間である。何となれば人間は幼年期には四つ足で歩き、青年期には二本足で歩き、老いては杖をついて三つ足で歩くからである」

また一つの解釈として、スピンクスの謎かけの答えは「オイディプース」であるとも言われる。それは、初めは立派な人間(=二つ足)であったが、母と交わるという獣の行いを犯し(=四つ足)、最後は盲目となって杖をついて(=三つ足)国を出て行く、と言うオイディプースの数奇な運命を表すものである(この解釈では朝・昼・夜という時系列は、青年期・壮年期・老年期となる)。この解釈は蜷川幸雄演出の『オイディプス王』(2002年、野村萬斎主演)でも演じられた。

オイディプース - Wikipediaより引用

これも彼らの行動と一致する。
人間として生きていく道を選んだ二人。
厳密には近親相姦ではないが、森での禁じられた行為(異性間交遊)として描かれていると思ってもらえれば。



ちなみに、テイレシアースとオイディプースの共通点でもあるテーバイについても言及しておこう。

テーバイは、ギリシャ神話で重要な役割を果たす土地である。
神話によれば、テーバイの創建者はカドモスである。
父を殺し母を妻としたオイディプースの悲劇の舞台であり、オイディプースはカドモスの玄孫にあたる。

オイディプースには2人の男子(エテオクレース、ポリュネイケス)と2人の女子(アンティゴネー、イスメーネー)がいた。2人の男子は王位をめぐって争い、テーバイ攻めの七将の物語となる。七将は攻略に失敗し、反逆者として埋葬が禁止された兄ポリュネイケースの亡骸を葬ったアンティゴネーは自害した。

テーバイ - Wikipediaより引用


テイレシアースは上記に記載した通り、テーバイの預言者
オイディプースの2人の男子は王位をめぐって争い、テーバイ攻めをする。
その攻略に失敗し、反逆者として埋葬が禁止された。

今作に当てはめるなら、テーバイは例のホテルを指し、逃亡した独身者は反逆者を指す。
誰も埋めてはくれない、自分の墓を掘れという設定は反逆者は埋葬が禁止されたことに基づくと考えられる。



愛とは何か?

あくまでもギリシア神話はこの物語の大筋の話を準えるだけであって、その根底にあるメッセージはTwitterの感想にも記述した通り、"愛とは何か?"なんですよ。


ホテルのルールとして45日以内にパートナーを見つけなければ動物になる。
極端な話、好きでもない異性に好かれる為に偽りの共通点を探すわけです。
その嘘に綻びが出ればカップルにはなれず動物となってしまう。

だから、それが嫌で独身者のままであろうとする逃亡者が森へと逃げ出す。

面白いのが、その逃亡者たちレジスタンスを麻酔銃で眠らせて捉えれば、一人あたり一日のホテル滞在期間が延長されるというもの。

ホテル滞在者は動物にされまいと必死であり、独身者は格好の餌食。
つまり、まだ動物になっていない逃亡者は既に動物のように狩られる立場にあるということです。

ホテルでも規則に縛られ、レジスタンスでも規則に縛られる。
いずれにしても待っていたのがファシズムの抑圧なわけです。



ここで、レジスタンス側としてデビッドは近視の女性と恋に落ちて逃避行するわけですが、もっと早くに出会っていれば…といった人の運命論的観点が皮肉が見え隠れする。


デビッドが思いを寄せる女性に近づいた男に必要以上に近視かどうか迫るシーンでも、近視であることが二人の共通点、運命の相手である条件、運命の出会いであると信じていたから。


そんな近視の女性はレジスタンスのリーダーに騙されて失明する。
近視ではなくなった女性との共通点がなくなったデビッドが取った行動がラストシーンです。

ラストで足の不自由な男が鼻血の偽装を行ったように、彼も盲目となったか否かについては、個人的見解では否であると考えています。

様々な解釈が出来る故、盲目を選んだ視点もあり。
盲目になることを選んだと解釈するなら、盲目の預言者であるテイレシアースに繋がり、盲目の人が杖をついて歩く姿からオイディプースの三本足(この物語の終盤を指す)にも繋がる解釈が可能です。

エンドロールに流れる波の音からも、彼は盲目となるという決断が出来ず、ロブスターになった説の方が濃厚ですね。
エンドロールに入る間際の彼を待ち続ける彼女の長回しからもそれは推測できる。



「せめて生まれ代わることができるのなら、人間なんて厭だ。しかし、牛や馬ならまた人間にひどい目にあわされる。どうしても生まれ代わらなければならないのなら、私は貝になりたい。なぜなら、深い海の底の岩にへばりついている貝は、何の心配もない。兵隊にとられることもない。」

元陸軍中尉・加藤哲太郎の獄中手記『狂える戦犯死刑囚』の遺書部分をもとに創作されたドラマ『私は貝になりたい』。
その遺書の一文です。

これと似たような内容の詩があります。

I should have been a pair of ragged claws
Scuttling across the floors of silent seas.
(カニかなんかの一対のボロ爪になって、しいんとした海の底を急いで渡ってたほうがよかったね。)
The Love Song of J. Alfred Prufrock by T. S. Eliotより引用


『The Love Song of J. Alfred Prufrock』
J・アルフレッド・プルーフロックの恋歌というトマス・スターンズ エリオットの処女詩集。


まさに今作でのデビッドの想いそのもの。
愛から逃れるために、人間ではいたくなくなった。
ロブスター(カニ)のように海の底で静かに生きようと。

デビッドは盲目になることを避け、視力の代わりに彼女の愛を失ったのでしょうか。



終わりに

ということで、簡単にギリシア神話から見た『ロブスター』の考察と補足をしましたが、様々な解釈が出来る面白い映画でしたね。


久しぶりに旧作映画で考察したいと思える作品に出会いました。
ヨルゴス・ランティモス監督作、実は『女王陛下のお気に入り』が初鑑賞作であり、『ロブスター』は彼の作品の二作目なんです。



『聖なる鹿殺し』は劇場鑑賞を逃してしまって、まだ鑑賞出来ていません。
また機会がありましたら、ブログに起こすかもしれません。

その際は、よろしくお願いします(笑)



最後までお読みいただいた方、ありがとうございました。


(C)2015 Element Pictures, Scarlet Films, Faliro House Productions SA, Haut et Court, Lemming Film,
The British Film Institute, Channel Four Television Corporation.



現代社会に切り込む聖書(「幸福なラザロ」ネタバレ考察)

目次




初めに

こんにちは、レクと申します。
今回は『幸福なラザロ』について語っています。

この映画を深く語ろうとすればネタバレを避けることはできません。
したがって、この記事はネタバレを含みます。
未鑑賞の方はご注意ください。



作品概要


原題:Lazzaro felice
製作年:2018年
製作国:イタリア
配給:キノフィルムズ
上映時間:127分
映倫区分:G


解説

カンヌ国際映画祭グランプリ受賞作「夏をゆく人々」などで世界から注目されるイタリアの女性監督アリーチェ・ロルバケルが、死からよみがえったとされる聖人ラザロと同じ名を持ち、何も望まず、目立たず、シンプルに生きる、無垢な魂を抱いたひとりの青年の姿を描いたドラマ。「夏をゆく人々」に続き、2018年・第71回カンヌ国際映画祭コンペティション部門に出品され、脚本賞を受賞した。20世紀後半、社会と隔絶したイタリア中部の小さな村で、純朴な青年ラザロと村人たちは領主の侯爵夫人から小作制度の廃止も知らされず、昔のままタダ働きをさせられていた。ところが夫人の息子タンクレディが起こした誘拐騒ぎを発端に、夫人の搾取の実態が村人たちに知られることとなる。これをきっかけに村人たちは外の世界へと出て行くのだが、ラザロだけは村に留まり……。
幸福なラザロ : 作品情報 - 映画.comより引用

予告編



時代背景

今作『幸福なラザロ』は20世紀後半のイタリア中部にある小さな村が舞台。

貧しい生活の中で働き者の純朴なラザロと村人たちは、小作制度の廃止を隠蔽する侯爵夫人に騙され、社会から隔離された生活を強いられていました。
ある日、侯爵夫人の息子タンクレディ狂言誘拐騒ぎを起こし、この事件をきっかけに村人たちは外の世界に出ていく。



このあらすじは監督アリーチェ・ロルバケル自身が"小説より奇"な事実から着想を得たと語っています。

「何よりもイタリアで80年代にやっと中世――労働を奴隷制度と見なす考え方が終わったことで生まれた大きな可能性について語りたかったの。それは政治の力で労働が人類にとって重要なものであることを再認識するチャンスだったから。ところが奴隷制を続ける選択がなされた。肌の色が変わり、出身地も変わって、以前の農民たちとは違うけれど、奴隷であることに変わりはない」
カンヌ脚本賞「幸福なラザロ」A・ロルバケル、インスピレーションの源は“小説より奇な”事実 : 映画ニュース - 映画.comより引用


イタリアでは、1964年から1982年という18年もの時間をかけて廃止になったメッザドリアという小作人制度がありました。
メッザ(半分)という言葉からも分かる通り地主に収穫の半分を納めるというものです。

小作制度(こさくせいど)とは、農民が生産手段としての土地をもたず、その土地の所有者や占有者から土地の使用権を得て農作物の生産に従事する制度。小作制度は土地の性格あるいは所有権や占有権の性格の差異によって多様な様相をもつ。
小作制度 - Wikipediaより引用


1982年に封建的な小作制度が廃止されても尚、労働環境は改善されず、搾取も隷属状態も改善されない。
それどころか、貧困問題は一層過酷になっている。
農民たちは自由を手に入れたが、特権階級は搾取のターゲットを貧しい外国人たちに変え、更に搾り取ろうとしていました。



これは嘘のようで本当にあった出来事。
容赦のない現実の不条理を描き出すため、アリーチェ監督が選んだ主人公がラザロなのです。

目を見張るほどの善人であり、純粋故に人を疑うことを知らない。
扱き使われる村人のためでも、自己中心的な侯爵夫人の息子のためでも、望みを聞いて回る。
隷属関係にある下僕のようにも、はたまた人々を助ける聖人のようにも映る。
そんなラザロの姿が静かに淡々と、それでいて清く淑やかに慎ましく物語を引っ張っていく。



第一部

ラザロくんは二度死ぬ!



いきなり核心をつくネタバレをぶち込みました。

そう、ラザロくんは劇中で二度死んじゃうんです。
あらすじに書かれたストーリーは第一部に過ぎません。
一度目の死からの復活で物語は第二部へと入ります。

色々あってラザロくんは一度死んでから、時を経て再び目覚めるんですよね。



まず、ラザロくんは新約聖書に聖人ラザロがモデルなのは言うまでもないですね。


ラザリ(ラザロ)の復活のイコン(15世紀ロシア)

ラザロはユダヤ人の男性で、イエスの友人。日本ハリストス正教会ではラザリと転写される。ユダヤ名エリエゼルがギリシア語化した名と推測される。

正教会非カルケドン派カトリック教会・聖公会で聖人。記念日は6月21日。エルサレム郊外のベタニアに暮らし、マリアとマルタの弟で共にイエスと親しかった。イエスは彼らの家を訪れている(『ルカによる福音書』10:38-42)。

また『ヨハネによる福音書』11章によれば、イエスによっていったん死より甦らされた。ラザロが病気と聞いてベタニアにやってきたイエスと一行は、ラザロが葬られてすでに4日経っていることを知る。イエスは、ラザロの死を悲しんで涙を流す。イエスが墓の前に立ち、「ラザロ、出てきなさい」というと、死んだはずのラザロが布にまかれて出てきた。このラザロの蘇生を見た人々はイエスを信じ、ユダヤ人の指導者たちはいかにしてイエスを殺すか計画しはじめた。カイアファと他の大祭司はラザロも殺そうと相談した。(ヨハネ12:10)

ラザロ - Wikipediaより引用


ラザロ蘇生の奇跡は、人類の罪をキリストが贖罪し、生に立ち返らせることの予兆とされています。

このラザロ蘇生はメタファーやメッセージ性として多くの文学に用いられています。
例えば、ドストエフスキーの『罪と罰』でも、主人公である殺人犯ラスコールニコフが自白を決意する際にラザロの死と復活について娼婦ソーニャに請うて朗読させる場面があります。


また、ラザロという言葉は医学用語としても用いられます。

ラザロ徴候(ラザロちょうこう、英語: Lazarus sign, Lazarus phenomenon)は脳死とされる患者が自発的に手や足を動かす動作のことである。1984年にA・H・ロッパーによって脳神経科学誌の『Neurology』に報告され、ラザロ徴候と名づけられた。名前は新約聖書でイエスによってよみがえったとされるユダヤ人のラザロに由来する。
ラザロ徴候 - Wikipediaより引用


ラザロ徴候を題材としたSFホラー映画も作られていますね。



ちなみに、新約聖書旧約聖書に対して、新しい契約という意味がある27の文書からなるキリストの正典です。

旧約聖書ユダヤ教の正典であり、モーゼとの契約について記されたもの。
新約聖書はキリストの誕生後の神の啓示を記したもの。
マタイ・マルコ・ルカ・ヨハネの四福音書でイエスの行動と説教を伝え、ペテロ・パウロなどの活動を伝える「使徒行伝」があり、パウロの手紙といわれる13の書簡が続く。
最後に「ヨハネの黙示録」ではローマ帝国の迫害下にある信者に対し、忍耐と希望を呼びかけ、終末での神の審判への期待を記している。



劇中の冒頭で、村人たちが宴を繰り広げている夜、一人で鶏小屋の見張りをするラザロの姿がひとつ。
侯爵夫人に搾取される村人たちからも搾取されるラザロくんという構図は言わば食物連鎖の底辺に位置する。

もうひとつは高熱に魘された夜
村人たちはラザロの頭をご利益があるかのように順番に撫でていく。
足元もおぼつかない様子で高所から転落する一度目の死は、侯爵夫人と村人の隷属関係の崩壊を意味し、小作人たちは救済される。





ここで、劇中に一貫して登場する"狼"について考えていきます。

小作人たちにとって、家畜は財産のようなものです。
そんな大切な家畜、主に羊や鶏を殺すものとして狼は恐れられている存在。
隔離された社会の外部からやってきてその集落を撹乱させる存在です。

羊や鶏を見張るラザロは村人からも搾取される立場。
しかし、そんなラザロこそがその集落を守り、支える役割を担っていたのだろう。



小作人である村人たちを搾取する側の立場であるタンクレディと搾取される側のラザロが兄弟という形で友好的な関係を築き、"狼の遠吠え"を真似たシーン。
これは集落が内部から崩れることを予兆するもの。

結果、デ・ルーナ侯爵夫人を頂点とする食物連鎖は、タンクレディ狂言誘拐によって崩壊することとなった。



新約聖書には"羊の皮をかぶった狼"という言葉が登場します。

にせ預言者たちに気をつけなさい。彼らは羊のなりをしてやって来るが、うちは貪欲な狼です。(新約聖書 マタイの福音書 7章 15節)

意味としては「親切そうにふるまっていながら、内心ではよからぬことを考えている人物」となります。
ちなみに"羊"という動物は聖書の中では、象徴的な意味を持つ動物。
それは時にイエス・キリストを象徴する時もあれば、人間を象徴することもあります。

つまり"羊の皮をかぶった狼"とは侯爵夫人やニコラのように小作人を搾取する側を指す。
村人たちが侯爵夫人のことを"毒ヘビ"と表現していたこの言葉がそれと同等の意味を持つ。

新約聖書にてパウロが毒蛇に噛まれる話がありますが、旧約聖書から一貫して毒蛇は悪の象徴であると考えられます。

旧約聖書においても創世記3章にて、蛇はアダムとエバをそそのかし、神様が食べてはいけないと言われていた木の実を食べさせてしまいます。
これが人間の罪の始まりでした。

村人にとって、侯爵夫人は悪の存在というわけです。



少し話が逸れましたが、狼の話に戻します。
ラザロくんの一度目の死から、再び目覚めたシーンで、狼がラザロの匂いを嗅いでいました。

狼は善人の匂いを嗅ぎ分けられるのか?



イタリアオオカミという品種がいるのはご存知でしょうか?


メスはオスに比べて1割ほど小さい。 オスの平均体重は、24~40kg、体長100~140cmで体毛は黒や灰色、茶色をしている。

イタリアオオカミは、1800年代半ばまでは、シチリア島を含め、イタリア半島の広範囲に及んでいたが、 1940年代にはシチリア島から姿を消した。 1960年から1970年の間に400頭以上のイタリアオオカミが殺害された。

イタリアオオカミ - Wikipediaより引用


劇中に登場した狼もイタリアオオカミです。
狼はイタリアにとって象徴的な動物なんですね。

ラザロには両親はいません。
いつ、どこで生まれたのかも知りません。
狼と育った可能性も。
そして一度目の死で、狼がローマの魂を運んできた、とも考えられます。

ローマに伝わる伝説にも、狼に育てられた双子の話があり、ローマの街には狼の銅像も建っています。
狼に育てられた双子ロムルスとレムスは羊飼い夫婦ファウストゥルスとラレンティアに発見され、二人のもとでたくましい青年に成長し、羊飼いをしていたという話もあります。
この兄ロムルスという名前が、後に"ローマ"の名前の由来となったそうです。



第二部

一度目の死からの復活、時を経て目覚めたラザロはひとり過去に取り残されたかのように彷徨い歩く。

第一部ではたばこ農園と自然の風景を中心に、実話に準えたストーリーで村人たちをリアリズムに捉えていました。


時を経て第二部へと入り、舞台が隔離された村から北イタリアの大都市へ転ずると、ラザロの聖人像は一層色濃くなります。


アントニアやタンクレディと再会したラザロが訪れた教会のシーン。
まるで神がラザロを祝福していたかのように、彼が去った後の教会から音楽が逃げてしまいます。
聖歌はラザロを追って空を舞うのです。

その時、ラザロが流した一筋の涙は観ている我々観客の心を浄化するように美しく、清らかで。。。



兄弟と信じ込み、タンクレディとの再会を喜んだのも束の間、ラザロはその裏切りにより悲しみに暮れます。

タンクレディに招待される直前、タンクレディとラザロは再び"狼の遠吠え"をします。
これは二人の関係を崩壊させることを予兆していたのか?

ラザロは尚、兄弟であるタンクレディを救うべく、差し押さえられた財産を取り戻すために銀行へ向かいます。
辛くもタンクレディとの絆でもあった武器"パチンコ"を銃と間違えられ、怒り狂った市民の暴力によってラザロは動かなくなりました。

二度目の死を迎えたラザロの元を離れ、車道を走る狼は、"聖人"ラザロの清き魂を古都ローマへ連れ帰ったのか。





新約聖書にラザロはもう一人登場します。

金持ちとラザロはイエス・キリストのたとえ話(ルカによる福音書16章19~31節)に登場する対照的な人物である。

16:19 ある金持がいた。彼は紫の衣や細布を着て、毎日ぜいたくに遊び暮していた。20 ところが、ラザロという貧しい人が全身でき物でおおわれて、この金持の玄関の前にすわり、21 その食卓から落ちるもので飢えをしのごうと望んでいた。その上、犬がきて彼のでき物をなめていた。22 この貧しい人がついに死に、御使たちに連れられてアブラハムのふところに送られた。金持も死んで葬られた。23 そして黄泉にいて苦しみながら、目をあげると、アブラハムとそのふところにいるラザロとが、はるかに見えた。24 そこで声をあげて言った、『父、アブラハムよ、わたしをあわれんでください。ラザロをおつかわしになって、その指先を水でぬらし、わたしの舌を冷やさせてください。わたしはこの火炎の中で苦しみもだえています』。25 アブラハムが言った、『子よ、思い出すがよい。あなたは生前よいものを受け、ラザロの方は悪いものを受けた。しかし今ここでは、彼は慰められ、あなたは苦しみもだえている。26 そればかりか、わたしたちとあなたがたとの間には大きな淵がおいてあって、こちらからあなたがたの方へ渡ろうと思ってもできないし、そちらからわたしたちの方へ越えて来ることもできない』。

金持ちとラザロ - Wikipediaより引用


この話に登場するラザロは聖人ラザロとは別人です。

ラザロという名前はヘブル名ではエルアザル(神はわが助け)という意味。
貧しい病人のラザロに対し同情心を持たなかった、ある金持ちの死後の世界での末路について語られる。
そして、イエスが教えを語り、悔い改めを促しても彼らは一向に耳を傾けないだろうと言う意味が込められている。



ラザロの一度目の死からの復活、第一部は"聖人ラザロ"。
そして、復活してからラストの二度目の死までの第二部は"金持ちとラザロ"に登場するラザロとの共通点が非常に多いんです。



終わりに

第一部では過去に実際にあった事実を基に"聖人"ラザロの復活を。
そして第二部では第一部で描いた小作制度が残す傷跡、現代社会を見据える"聖人"視点で映しながら、貧困層が抱える問題を描いた寓話、いや聖書である。


独特な世界観や空気感、それを押し付けがましくなく、すっと心に染み渡るように優しく、そして心の澱を掬ってくれるように慎ましく現代の"聖人"を作り上げたアリーチェ・ロルバケル監督の手腕を見せつけられました。
過去作を観ると共に、新作を追いかけていこうと思いましたね。

ということで『幸福なラザロ』、なんとも言えない余韻に包まれる素晴らしい映画でした。



最後までお読みいただいた方、ありがとうございました。




(C)2018 tempesta srl ・ Amka Films Productions・ Ad Vitam Production ・ KNM ・ Pola Pandora RSI ・ Radiotelevisione svizzera・ Arte France Cinema ・ ZDF/ARTE

「神と共に 第一章 罪と罰」ネタバレあり感想

目次




初めに

こんばんは、レクと申します。
今回は韓国映画「神と共に 第一章 罪と罰」について語っています。

一言で言うと
泣いたし、めちゃくちゃ面白かった!!!

まだ間に合います。
二部構成なので、興味ある方は今のうちに劇場へGOしちゃってください!



この記事にネタバレを含みます。
未観賞の方はご注意ください。



作品概要


原題:Along with the Gods: The Two Worlds
製作年:2018年
製作国:韓国
配給:ツイン
上映時間:140分
映倫区分:G


解説

韓国の人気ウェブコミックを実写映画化し、世界的ヒットを記録したファンタジーアクション2部作の第1章。人間は死ぬと49日間に7つの地獄の裁判を受けなければならず、すべてを無罪で通った者だけが現世に生まれ変わることができる。ある日、死を迎えた消防士ジャホンの前に、冥界からの使者で地獄の裁判の弁護と護衛を務めるヘウォンメクとドクチュン、カンニムが現れる。生前の善行が認められ、19年ぶりの貴人として転生を確実視されるジャホンだったが、裁判が進むにつれて地獄鬼や怨霊が出現し、冥界が揺らぎはじめる。冥界の使者カンニムを「お嬢さん」のハ・ジョンウ、ヘウォンメクを「アシュラ」のチュ・ジフンが演じるほか、共演にも「猟奇的な彼女」のチャ・テヒョン、「新しき世界」のイ・ジョンジェら豪華キャストが集結。「ミスターGO!」のキム・ヨンファ監督がメガホンを取る。
神と共に 第一章 罪と罰 : 作品情報 - 映画.comより引用

予告編



罪と罰

タイトル『神と共に 第一章 罪と罰』からも分かる通り、二部構成という形を取りながらひとつの映画としてしっかりとカタルシスを設け、その上で後編に繋げるというエンタメのお手本です。

また、韓国映画のイメージは例えば猟奇殺人もの、自国の政界的な汚点を描いた社会派ドラマやヒューマンドラマ、ラブロマンスなどをイメージしますが、今作のジャンルはファンタジーアクション。
これが韓国でも大ヒットを巻き起こしたんです。


正直、あまり期待はせずに観たのですが、予想を超えるスケール感に圧倒されました。

『新 感染 ファイナル・エクスプレス』など、昨今の韓国映画の新境地開拓は良い方向に向いてますね。


では、本題に入っていきます。
タイトルにもある『罪と罰』。

罪と罰といえば、ドストエフスキーの『罪と罰』を思い浮かべる。

罪と罰〈上〉 (新潮文庫)

罪と罰〈上〉 (新潮文庫)

罪と罰〈下〉 (新潮文庫)

罪と罰〈下〉 (新潮文庫)


主人公のラスコーリニコフは"1つの罪は100の善行によって償われる"という理論のもと、過去に火事の中から子供を救ったこともある青年。
しかし、殺人を犯してしまって罪の意識に苛まれる。

この作品は、"罪を犯した人間でも更生することができる"といった希望を見せるメッセージを含意しています。



今作での『罪と罰』は単純に地獄の法廷劇を意味します(笑)
厳密に言えばジャホンがラスコーリニコフと重なる部分はあるのですが、深く考察するまでもないでしょう。

生前の罪を背負い、死後に罰を受ける。
但し、生前に許された罪は死後に処罰されないといった例外はあります。

主人公の消防士ジャホンは生前の善行が認められた"貴人"。
貴人とは、一般的に身分の高い人のことを指す言葉ですが、ここで言う身分は冥界での扱いですね。



人は死を迎えるとどうなるのか?
この世(下界)とあの世(冥界)の世界はあるのか?
今作はそんな死生観を仏教の概念とVFXを用いて壮大なスケールで描いた超大作と言えます。



量子力学の観点から見た死生観は、脳(物質)の次に意識が作られるのではなく、意識から脳(物質)が作られる。
つまり、肉体(物質)が死んでも意識まで消滅する必要はなく、死後(意識)の世界が認められると仮定される。
即ち、死後の世界とは意識の世界ということになる。


冒頭でいきなり人生のクライマックスを迎えた消防士ジャホンが亡くなるシーン。
現場で倒れている自分を見ていましたが、これは量子力学の世界でいう意識。
言わば臨死体験のようなものと考えられます。

‪一旦、肉体の機能が停止した後、奇跡的に息を吹き返した人間がその間に体験する時間。
‪ある臨死体験に基づいた記録によると、死の直後3分間は意識があるとのこと。‬

使者が現れ、下界と冥界を繋ぐ穴に吸い込まれる間は霊体(意識)として下界に存在していたことになる。


ジャホンの弟スホンは、死後に怨恨によって下界に留まる。
これは所謂地縛霊のようなものだと考えられます。

身内が死後に怨恨で下界に介入すると冥界に地獄鬼が現れ時間の流れも早くなるという特殊な設定と、使者は下界に介入できないとしながら下界に介入した際に冥界に影響があったことから、基本的に亡者は下界に介入することは冥界の法律違反とされているようですね。

ただ一つ、下界に介入出来るものが現夢と呼ばれるもの。
亡者が下界の誰かひとりの夢の中に一度だけ姿を表すことができる。
所謂夢枕に立つというやつです。

夢枕に立つことは、何かを伝えるために霊が下界に現れたと考えて良いので、もし枕元に先祖の霊が現れて何も言わずに突っ立ったままだったら、ご用件を訊ねましょう(笑)



死後の世界を描いた映画は結構多いですよね。
例えば、最近日本でも公開された『DESTINY 鎌倉ものがたり』もそうです。


今作で描かれる死後の世界(冥界)は、端的にやりすぎです(笑)

まあ、そこが面白いんですが。
大枠はあらすじ通り法廷劇で小難しい話は一切なく、亡者ジャホンの生前の罪を問われ罰を与えるか否かという裁判がヒューマンドラマの形で描かれていきます。
家族を絡めてトラブルが発生する七つの裁判、そして兎に角、使者のアクションが凄い。

これはドラゴンボールか?
いや、『ジャンパー』だ!(笑)


とはいえ、七つもの裁判をひとつの映画内で行うことは時間の枠的に厳しいものがあり、テンポは早め。
そこがかえって良かったとも思います。
多分、もっと時間を掛けていたら中弛るみしてました。



七つの裁判

韓国映画において、仏教の映画は珍しく、韓国で扱われる宗教はキリスト教が多いと思います。

仏教を扱った映画で思い付くのは『アシュラ』。


キリスト教を扱った映画は多数あるので、個人的に好きな映画を。

シークレット・サンシャイン


『哭声 コクソン』




さて、今作『神と共に 第一章 罪と罰』で扱われる輪廻転生を題材にした死生観、仏説寿生教について記述していきます。

あらすじから簡単に説明をすると

人は死ぬと、49日間に7つの地獄の裁判を受けなくてはならない。
殺人・怠惰・ウソ・不義・裏切り・暴力・天倫
七つの地獄の裁判を無罪で通ったものだけが、現世に生まれ変われる。

というもの。
劇中でジャホンが受けた裁判の順は以下の通り。

火蕩霊道にある変成大王が仕切る"殺人地獄"
三途の川にある初江大王が仕切る"怠惰地獄"
剣樹林にある泰山大王が仕切る"ウソ地獄"
寒氷峡谷にある五官大王が仕切る"不義地獄"
天地鏡にある宋帝大王が仕切る"裏切り地獄"
真空深穴にある秦広大王が仕切る"暴力地獄"
千古砂漠にある閻魔大王が仕切る"天倫地獄"



日本における仏教では六道が一般的ですね。

六道とは、仏教において、衆生がその業の結果として輪廻転生する6種の世界(あるいは境涯)のこと。

六道には下記の6つがある。
天道(てんどう、天上道天界道とも)
人間道(にんげんどう)
修羅道(しゅらどう、阿修羅道とも)
畜生道(ちくしょうどう)
餓鬼道(がきどう)
地獄道(じごくどう)
このうち、天道、人間道、修羅道を三善趣(三善道)といい、畜生道、餓鬼道、地獄道三悪趣三悪道)という。

六道 - Wikipediaより引用



また、中国における仏教(道教)にも似たような教えがあります。
それが十王です。

十王とは、道教や仏教で、地獄において亡者の審判を行う10尊の、いわゆる裁判官的な尊格である。数種の『十王経』類や、恵心僧都源信の『往生要集』に、その詳細が記されている。

人間を初めとするすべての衆生は、よほどの善人やよほどの悪人でない限り、没後に中陰と呼ばれる存在となり、初七日 - 七七日(四十九日)及び百か日、一周忌、三回忌には、順次十王の裁きを受けることとなる、という信仰である。

没して後、七日ごとにそれぞれ
秦広王(初七日)
初江王(十四日)
宋帝王(二十一日)
五官王(二十八日)
閻魔王(三十五日)
変成王(四十二日)
泰山王(四十九日)
の順番で一回ずつ審理を担当する。
七回の審理で決まらない場合は、追加の審理が三回
平等王(百ヶ日忌)
都市王(一周忌)
五道転輪王(三回忌)
となる。ただし、七回で決まらない場合でも六道のいずれかに行く事になっており、追加の審理は実質、救済処置である。
もしも地獄道・餓鬼道・畜生道三悪道に落ちていたとしても助け、修羅道・人道・天道に居たならば徳が積まれる仕組みとなっている。

十王 - Wikipediaより引用



基本的な設定はこちらがモチーフとなっているかと思います。
今作に登場する裁判を収める大王の名前も十王と一致します。

もしかしたら、続編『神と共に 第二章 因と縁』では追加の審理3つが出てくるのかもしれませんね!

ただし、今作では死後の世界は全て地獄であり、生まれ変わる先が六道ではなく地獄道か人間道ということでしょう。
劇中でもちゃんと説明がされているので、地獄のルールについては観ていただければ分かると思います。

十王の裁判の裁きは特に閻魔王の宮殿にある「浄玻璃鏡」に映し出される「生前の善悪」を証拠に推し進められるが、ほかに「この世に残された遺族による追善供養における態度」も「証拠品」とされるという。
十王 - Wikipediaより引用


このように、裁判中に使者が弁論をする際に生前の証拠として見せていた鏡のことも明記されていました。



総評

と、ここまで冥界と七つの裁判について語ってきましたが、ここで総評です。

冒頭でも申した通り
泣いたし、めちゃくちゃ面白かった!!!

確かに冥界の世界観はワクワクします。
しかし、法廷劇が面白いわけではないんです。
なんなら雑なくらいです(笑)

そう、この作品のキモは裁判でも地獄でもなく、それらはすべてが消防士として生前に善行を積んだ主人公ジャホンとその弟スホンを絡めた家族の愛を掘り起こす媒体に過ぎないのです。

スホンは兵役中に一等兵のウォン・ドンヨンの誤射によって倒れる。
死を隠蔽したい上司がドンヨンと共にスホンを森に埋めた際、まだかろうじて生きていたスホンは生きたまま埋めになって殺される。

ジャホンの物語から突如スホンの物語へと移行し、その2つの物語を絡めて最終裁判である"天倫地獄"を迎える。

ファンタジーアクションと謳いながら、ミステリー要素までぶっ込んできたぞ!!!
と評価上がっちゃう。


"天倫地獄"で明らかになったジャホンの生前の罪。
兄弟喧嘩。
15年もの間、実家に帰らなかった理由。

卑怯だよね。ベタだよね。
泣かせようとする演出では普段泣かないんですが、泣いた。
何に泣いたかって、お母さんの我が子を思う気持ちですよ。
親の心子知らずとはよく言ったもので、もうこういうのに滅法弱い。

罪を許され無事ジャホンは生まれ変わることができました。

ハッピーエンド。





で終わりではなく、ジャホンはまだ48人目なんですよね。
そう、49人を生まれ変わらせることで、やっと使者たちは生まれ変わることができるんです。

49人目は最後の功績が認められ(?)貴人となったスホン。
そして、続編となる『神と共に 第二章 因と縁』はついにマ・ドンソクが登場します。


第一章はジャホンの物語。


第二章はカンニムたち使者の物語ということで、非常に楽しみです!



終わりに

ということで(?)
観客を楽しませることに注力した複合型エンターテインメントといったところでしょうか。
まんまとその魅力にハマってしまった。

元々、韓国映画は大好物だったのですが、新たな韓国映画の魅力を知れて「こういうのもアリだな」といった印象。
今後の楽しみが増えましたね。



最後までお読みいただいた方、ありがとうございました!



(C)2019 LOTTE ENTERTAINMENT & DEXTER STUDIOS All Rights Reserved.

静かなる変革と未来への軌跡(「僕たちは希望という名の列車に乗った」感想)

目次




初めに

こんにちは、レクと申します。
今回は5月に絶対観たいと心待ちにしていたドイツ映画
『僕たちは希望という名の列車に乗った』
について語っています。

この記事にネタバレはございません。
最後までお読みいただければ幸いです。



作品概要


原題:Das schweigende Klassenzimmer
製作年:2018年
製作国:ドイツ
配給:アルバトロス・フィルム、クロックワークス
上映時間:111分
映倫区分:PG12


解説

ベルリンの壁建設前夜の東ドイツを舞台に、無意識のうちに政治的タブーを犯してしまった高校生たちに突きつけられる過酷な現実を、実話をもとに映画化した青春ドラマ。1956年、東ドイツの高校に通うテオとクルトは、西ベルリンの映画館でハンガリーの民衆蜂起を伝えるニュース映像を見る。自由を求めるハンガリー市民に共感した2人は純粋な哀悼の心から、クラスメイトに呼びかけて2分間の黙祷をするが、ソ連の影響下に置かれた東ドイツでは社会主義国家への反逆とみなされてしまう。人民教育相から1週間以内に首謀者を明らかにするよう宣告された生徒たちは、仲間を密告してエリートとしての道を歩むのか、信念を貫いて大学進学を諦めるのか、人生を左右する重大な選択を迫られる。監督・脚本は「アイヒマンを追え!ナチスがもっとも畏れた男」のラース・クラウメ。
僕たちは希望という名の列車に乗った : 作品情報 - 映画.comより引用

予告編



ラース・クラウメ監督

アイヒマンを追え!ナチスがもっとも畏れた男』ラース・クラウメ監督が、ベルリンの壁建設5年前の東ドイツで起こった史実を基に作られています。

"たった2分間の黙祷"は、国家を揺るがす大事件に発展するという衝撃の実話を映画化した青春群像劇。


アイヒマンを追え!ナチスがもっとも畏れた男』の感想はこちら。



今作『僕たちは希望という名の列車に乗った』と『アイヒマンを追え!ナチスがもっとも畏れた男』の二作からも、ラース・クラウメ監督が描く映画のメッセージが読み取れる。

ラース・クラウメ監督は映画を通して我々観客に、 ドイツが誇れる人物を、物語をもっと多くの人に知ってもらいたい。
歴史を変えた英雄を、時代の矛盾に苦しんだ者たちの奮闘する姿を伝えたい
のではないか?


アイヒマンを追え!ナチスがもっとも畏れた男』にてフリッツ・バウアー本人映像の冒頭の語りはラース・クラウメ監督自身にも大きな影響を与えたのではないだろうか。

「我々ドイツ人にとって、奇跡的な経済復興とゲーテやヴェートーベンを生んだ国であるということは、とっても大きな誇りになっている。
だが、その一方でドイツは、ヒトラーアイヒマン、そしてそのお仲間を生んだ国であるというのも事実である。」
by フリッツ・バウアー





ラース・クラウメ監督は今作の映画化へ動いた理由を明かしています。

「『アイヒマンを追え!ナチスがもっとも畏れた男』が自分でも予想できないぐらいの成功を収めて、うれしい反面、次へのプレッシャーがそうとうあったことは確か。周囲から期待されるからね(苦笑)。ただ、プロデューサーにはほんとうに自分がいいと思う脚本でないと作れないと宣言していた。

 そんな折、出会ったのがディートリッヒ・ガルスカのノンフィクション『沈黙する教室 1956年東ドイツ-自由のために国境を越えた高校生たちの真実の物語』だったんだけど、恥ずかしながらこんなことがあったなんて知らなかった。

アイヒマンを追え!ナチスがもっとも畏れた男』の主人公フリッツ・バウアーはもっともっとドイツ国内で知られていい人物だけど、それなりに知っている人はいる。でも、今回の『僕たちは希望という名の列車に乗った』のエピソードに関しては、ドイツ人でさえほとんどが知らない。ということは世界では全く知られていないということ。確かにベルリンの壁崩壊前後のことはよく描かれいる。ただ、これは壁がまだできる前の話。ここら辺の時代、とりわけ東ドイツ側の状況はほとんど語られていない。これは世界に向けて発信しなければと思ったんだ」

ラース・クラウメ監督が東ドイツを題材にした理由は?|Real Sound|リアルサウンド 映画部より引用


ドイツの人々がなぜ東に残るのか、なぜ西へ逃げるのかが的確且つ簡潔に描かれており、予備知識は不要。
しかし、ベルリンの壁に関する時代背景や当時のドイツの情勢を念頭に観ると更に深みが出ます。

ということで、予備知識として時代背景を簡単に書き足しておきます。
参考までにどうぞ。



時代背景

まず、資本主義と社会主義、その時代背景について簡単に説明します。

資本主義は、営利目的の個人的所有者によって商業や産業が制御されている、経済的・政治的システム。
資本主義 - Wikipediaより引用


簡単に説明すると、資本(お金)を持つ資本家が労働者を雇って利益を得る体制のことで、我が国日本の社会も資本主義にあたります。

資本主義のメリットは競走市場により、経済が発展しやすいこと。
デメリットは格差が広がる恐れがあること。

社会主義は、個人主義的な自由主義経済や資本主義の弊害に反対し、より平等で公正な社会を目指す思想、運動、体制。
社会主義 - Wikipediaより引用


こちらは、国が国民の給料や財産を管理して、 平等を実現しようとする体制のこと。
つまり、国民を平等にする為に国、政府が一括に管轄する社会。

社会主義のメリットは計画経済を基盤に格差のない平等な社会を目指すもの。
デメリットは経済が停滞しやすく、政治的圧力が強いこと。

あくまでも社会主義共産主義を目指す第一段階であるという言わば理想論です。



最初に"社会主義"を実行したのが当時、地球上で最も面積が大きかった"ソ連"という国です。
1900年頃まで、世界の中心は資本主義でしたが、1922年にスターリンのもとでソ連が成立すると、スターリンソ連社会主義化を進めます。

そして、1945年に第二次世界大戦が終わると、ソ連は周辺国を中心に"社会主義"を広めていきます。


以降、社会主義国家は東ドイツハンガリーポーランドなどの東欧。
中国、北朝鮮の東アジア。
ベトナムカンボジアなどの東南アジア。
イラク、シリアなどの中東。
エチオピアコンゴ共和国などのアフリカ。
キューバの中米。
世界中で社会主義が成立します。

それに危機感を感じたのが、資本主義の象徴であるアメリカ。
この"資本主義アメリカ"と"社会主義ソ連"の対立が、いわゆる"冷戦"です。


しかし、上記に記載した通り社会主義は"経済が停滞しやすい"というデメリットがあり、ソ連は1991年に崩壊します。

"ベルリンの壁"崩壊後の旧東ドイツを描いた映画『希望の灯り』も凄くいい映画でした。
機会があれば是非。



今作の舞台となった1956年は"ベルリン壁"建設前の時代。
壁が建設されたのはこの5年後の1961年です。
東西ドイツに分断されたのは1949年で、まだ国としては新しくて混乱と発展の狭間にあった。

社会主義に重きが置かれ、国民の思考としても社会主義には"希望"を抱いていたのかもしれません。

1950年代終わりの東ドイツの生活水準は西ドイツの25~30%のレベルでしかなかったと言われています。



米ソ冷戦下での旧東ドイツが舞台となると、暗く重苦しい描写を想像するかもしれませんが、物語の導入は軽快。
今作の主人公であるテオとクルトという二人の若者が青春を謳歌している。



テオは労働者階級の生まれ。(上)
クルトは市議会議長の父を持つ。(下)

彼らは大学へ進学するという希望が約束された特進クラス。
社会的地位の異なる二人が同じ立場として国の行く末や社会的立場の苦難を強いられることとなる。
 


クルトのモデルは原作者ディートリッヒ・ガルスカです。
惜しくも2018年にお亡くなりになられたようで、この映画を観ることなくこの世を去られています。

舞台となった街や人物の脚色以外はありのまま描かれているそうで、監督は原作『沈黙する教室 1956年東ドイツ-自由のために国境を越えた高校生たちの真実の物語』を細かく読み解き、ディートリッヒ・ガルスカ本人にも話を聞いた上で脚本を書いたそうです。

沈黙する教室 1956年東ドイツ?自由のために国境を越えた高校生たちの真実の物語

沈黙する教室 1956年東ドイツ?自由のために国境を越えた高校生たちの真実の物語

  • 作者: ディートリッヒ・ガルスカ,大川珠季
  • 出版社/メーカー: アルファベータブックス
  • 発売日: 2019/05/13
  • メディア: 単行本
  • この商品を含むブログを見る

ディートリッヒ・ガルスカ(著/文)
1939年生まれ。ケルン、ボーフムでドイツ文学、社会学、地理学を学ぶ。
ギムナジウム教師を経て、後はエッセンの市民学校で文化と芸術分野の講師をしていた。
2018年2月28日に本書を原作とした映画『僕たちは希望という名の列車に乗った(Das chweigende Klassenzimmer)』のワールド・プレミアがベルリン映画祭で行われたが、その2ヶ月後の4月18日に病没。



ナチスの傷跡

さて、ここまで今作を絡めつつ、時代背景について語ってきましたが、それを踏まえた上でこの作品が何を我々に残したのか。

ここからは個人的感想をまとめていきます。



ナチス・ドイツが残した傷跡は他国だけではなく、ドイツにもある。
例えば『ヒトラーの忘れもの』のようにナチス政権が残した負の遺産とどのように向き合い、過去を乗り越えていくのかをテーマにした作品が作られている。



今作でもナチス政権が残した負の遺産ナチスの傷跡が根強く残る。

東ドイツスターリンシュタットに通う高校生たちが、西ベルリンの映画館でハンガリーの民衆蜂起を伝えるニュース映像を目にしたことからこの物語は大きく動く。

民衆蜂起でハンガリー市民が多数死亡したこと知った彼らは、学校の教室で哀悼の意を表し黙祷を捧ぐ。

統制がかかっていたこの時代にも、自由を求めて自分の意志を貫く若者たちが東ドイツにもいたという事実。



若者たちの行った"たった2分間の黙祷"。
それに対し、体制を重んじる大人たちが厳しく当たり、権力の行使が行われる。

それは、ソ連支配下社会主義国家(ソ連マルクス主義)であった東ドイツの体制において、ハンガリー動乱社会主義の体制を脅かす"国家への反逆"、"反革命行為"とされる行為だからだ。

今を生きる我々には人権があり、アイデンティティは尊重されるべきものとして守られている。
しかし、当時の大人たちから見ればそれは、"反乱分子"であり、"反革命的"な若者たちとして見なされるのだ。



また、今作で使われた"ゲシュタポ"という言葉に対し、大人たちは激昴し「ナチスと戦った」と反論する。

支配と隷属
かつての独裁国家ナチス武力行使を憎んでいた大人たちが若者たちに対して同じようなことをしているというこの皮肉こそが、根強く残るナチスの傷跡そのものである。



また、社会主義(ソ連マルクス主義)は国が資産を管理することから政治的な抑圧、差別が見られる。

マルクス主義とは、カール・マルクスフリードリヒ・エンゲルスによって展開された思想をベースとして確立された社会主義思想体系の一つである。しばしば科学的社会主義とも言われる。

マルクス主義は、資本を社会の共有財産に変えることによって、労働者が資本を増殖するためだけに生きるという賃労働の悲惨な性質を廃止し、階級のない協同社会をめざすとしている。

ソ連型のマルクス主義マルクス・レーニン主義、その後継としてのスターリン主義)に対して、西欧のマルクス主義者は異論や批判的立場を持つ者も少なくなかったが、最初に西欧型のマルクス主義を提示したのは哲学者のルカーチ・ジェルジとカール・コルシュだった。

ルカーチソ連マルクス主義マルクスレーニン主義)に転向したが、ドイツのフランクフルト学派と呼ばれるマルクス主義者たちは、テオドール・アドルノやマックス・ホルクハイマーを筆頭に、ソ連マルクス主義のような権威主義に対する徹底した批判を展開し、西欧のモダニズムと深く結びついた「批判理論」と呼ばれる新しいマルクス主義を展開し、1960年代の学生運動ポストモダニズムなどの現代思想に対しても深い影響力を見せている。

マルクス主義 - Wikipediaより引用



つまり、マルクス主義による冷戦下での思想の抑圧は、東欧から西欧へ、後世の現代思想にまで影響を与えているほど強大なものであった。


マルクス主義による格差社会の撤廃は、逆に抑圧的な差別意識を含む。
その差別意識は支配階級のイデオロギーが被支配階級に強制されている。

即ち、様々な階級、階層、民族、世代、その他の社会集団が、それぞれの存在条件を維持、あるいは変革するための力として作用するものとしての精神的諸形態。

これは現在の差別意識にも通ずるところがある。
個人の差別意識でも、差別イデオロギーでもなく、社会意識としての差別意識そのものではないだろうか。
どのような状況に置かれているどのような集団がいかにして差別意識を形成し、保持しているのか。
また、その集団に所属している個人は如何にして差別意識を内面化し、集団の差別意識を支えているか。



この作品の凄いところは
その階級社会を撤廃するという平等な社会の確立という聞こえの良い言葉の中に隠された差別意識をしっかりと映像として見せ、差別意識を無意識に植え付けられた体制と社会主義の危うさを浮き彫りにしているところではないだろうか。

無論、そんな大人たちに屈することなく、自分たちで考えて行動に起こした若者たちが輝いて見える。
そんな若者たちへの繊細で力強い想いも素晴らしいのですが。


ここに関してはラース・クラウメ監督の前作『アイヒマンを追え!ナチスがもっとも畏れた男』の冒頭でも共通する認識がある。

「どんな日であっても必ず昼と夜があるものだが、同様にどんな民族の歴史においても陽の部分と陰の部分がある。
私は信じる。このドイツの若い世代ならきっと出来まいことはないのだと。
過去の歴史と真実を知っても克服出来るはずだ。
だが、若い世代に出来てもこれがその親世代となると実に難しいことなのだ。」
by フリッツ・バウアー


体制のもと、そうであることが"正しい"と刷り込まれた親世代は、簡単には変われない。
だからこそ、それを若い世代に押し付けようと、型に収めようとする。
若い世代は、見るもの全てが新しく、"自由"を選択することが出来る。

ほんの出来心、少しの反抗心、恐らく誰もが抱く感情。
そんな些細な、それでいて悪気のない若者たちの"たった2分間の黙祷"という行為が"政治的反逆"とされ、自らの状況を知り、立ち向かい、自らの進むべき道を短期間で考え、選ばなければならなかった。
そんな彼らの判断が我々に大きな勇気を与えてくれる。

沈黙から離脱することがほとんどできない状況。
その沈黙が家族を守ることであり、友情を繋ぐものでもある。
欺瞞や猜疑心に駆られながらも確かな形を残した彼らの行動。


『僕たちは希望という名の列車に乗った』(Das schweigende Klassenzimmer/THE SILENT REVOLUTION)

彼らの勇気ある行動は、歴史を変えるであろう"静かなる変革"
乗り込んだ列車は彼らにとっての"希望"であり、"新しい未来"の幕開け。

未来は自分自身の手で切り開いていくものなのだから。



終わりに

如何でしたか?

ドイツ映画のイメージは、戦争、ナチスホロコースト、東西統一というものがありますが
今作は知られていない歴史のひとつ、新たな一面を掘り起こした作品であり、歴史的社会派ドラマとしてだけでなく、青春群像劇としても楽しめる作品と言える。

今作は個人的に文句なしに2019年劇場鑑賞暫定ベストです。
今まで観てきたドイツ映画の中でもトップクラスの出来ではないでしょうか。


最後までお読みいただいた方、ありがとうございました。




(C)Studiocanal GmbH Julia Terjung

『アベンジャーズ/エンドゲーム』ネタバレあり考察

目次




初めに

こんばんは、レクと申します。
ついに天皇陛下の譲位により新元号となりました。
元号「令和」でも当管理人及び当ブログをよろしくお願いいたします。

さて、今回はですね、MCUラソンを経てやっと観てきた『アベンジャーズ/エンドゲーム』について語っています。

この記事にはネタバレが含まれます。
未鑑賞の方はご注意ください。



作品概要


原題:Avengers: Endgame
製作年:2019年
製作国:アメリ
配給:ディズニー
上映時間:182分
上映方式:2D/3D


解説

アイアンマン、キャプテン・アメリカ、ソー、ハルクといったマーベルコミックが生んだヒーローたちが同一の世界観で活躍する「マーベル・シネマティック・ユニバースMCU)」の中核となるシリーズで、各ヒーロー映画の登場人物たちが豪華共演するメガヒット作「アベンジャーズ」の第4作。前作「アベンジャーズ インフィニティ・ウォー」で、宇宙最強の敵サノスに立ち向かうも、ヒーローたちを含めた全人類の半分を一瞬で消し去られてしまうという敗北を喫したアベンジャーズが、残されたメンバーたちで再結集し、サノスを倒して世界や仲間を救うため、史上最大の戦いに挑む姿を描く。「インフィニティ・ウォー」では姿を見せなかったホークアイアントマンといったヒーローも登場し、新たにキャプテン・マーベルも参戦。監督は前作に引き続き、アンソニージョー・ルッソ兄弟が務めた。
アベンジャーズ エンドゲーム : 作品情報 - 映画.comより引用




総評

まずはいつもと順番が違うのですが、総評から書かせていただきます。

自分の好きなジャンルでした!
所謂SFタイムトラベルものですね。
それだけでも面白いのに、そこに11年間のMCUの歴史、キャラのドラマを乗せてくる。

過去作の本編のさり気ないセリフの一言一言やエンドクレジット、文字通り一本の線に繋がる感じが、エンドゲーム単品ではなく11年のMCU全作品でひとつの映画なんだって思わせてくれる。



自分が敢えて不満点を挙げるとするなら、各々のキャラの扱いにムラが大きいのとキャロル(キャプテン・マーベル)の雑さ。

キャロルの強さは『キャプテン・マーベル』でも描かれたように桁外れなので、あの処理は仕方ないのかもしれませんが、やはり何かしらの手は打つべきだったと思います。

キャロルだけでなく、もう少し他のキャラにも焦点を当てるべきかとも思いました。
フェイズ3の締めが『アベンジャーズ/エンドゲーム』(以下EG)ならまだしも、次作に『スパイダーマン:ファー・フロム・ホーム』が控えてるとなると、ピーター(スパイダーマン)とトニー(アイアンマン)のやり取りはもう少し必要だった気がします。

なんにせよ、初期メンバーと数人がいれば成り立つストーリー構成はスマートだけど完全燃焼はせずといった感じです。



しかし二部作構成とは言えど、『EG』を観ると『アベンジャーズ/インフィニティ・ウォー』(以下IW)を再評価せざるを得ない。

個人的に『IW』初見の印象として、あくまでも自分の中での主人公はヒーローであるアベンジャーズであり、そのヒーローたちがサノスに倒されていく姿、そして絶望で終わらせ『EG』で希望を匂わせる展開にカタルシスを覚えなかったんですよね。
二部作構成による中途半端な終わり方だとさえ思えました。

しかし、『EG』を観て改めて『IW』はサノス視点で見るとサノスなりの正義を貫き、世界の人口を無作為に半分にし、サノス曰く世界を救ったと言える。
一つの作品として成り立っているんです。


つまりは『EG』でソーに首を跳ねられたサノス(IW)は正義を全うしたただのおじいちゃん(笑)
過去から未来へとタイムトラベルしてきたサノス(EG)こそ絶対悪なのではないか?と思えたんです。



サノス(IW)によって人口が半分になった世界で、悲しみに打ちひしがれ前を向くこと、立ち上がることさえできない人々がいる。


(これは劇中にてスティーブ(キャプテン・アメリカ)のセミナーでも映し出されてます)

そんな人たちを救うべく、消された人たちを復活させようと奮闘するアベンジャーズ
トニーとスティーブの和解。
その再結成し生き残ったアベンジャーズに立ちはだかる壁が過去から来たサノス(EG)という構図が堪らない。


同じ目的を持った二人のサノスだけど、『EG』序盤でのあのサノス(IW)の姿を見ると慈悲の感情が湧いてくる不思議。
それもネビュラとの親子の絆が垣間見れたから、なんですが。



『シビル・ウォー』や『IW』では、正義と正義(主観)でぶつかり合いました。

生き残った者達はアベンジャーズは"過去を知る者"として未来を変えることを選びます。
サノス(EG)は最終的に一度世界を無に返し、"過去を知らない生き物達だけの世界"を作り上げようとします。

今作『EG』ではよくありがちな設定ではありますが、ここでしっかりと善と悪に分かれたわけです。



キーパーソン①

『EG』におけるキーパーソンは主に二人だと思います。
勿論、各々のキャラクターは必要であり、それぞれにドラマが用意されていたので必要ないというわけではありません。
あくまでも『EG』におけるキーパーソン、ストーリーテリングとして重要な人物を挙げています。



キーパーソンの一人目は『アントマン&ワスプ』で量子世界に閉じ込められていたスコット(アントマン)


アントマン&ワスプ』のラスト、例のバンに搭載された量子トンネルからの生還である。
現実世界では5年が経過していたにも関わらず、量子世界にいたスコットの体感は"5時間程度"。

アベンジャーズの本部を訪れたスコットは、量子トンネルで過去に戻れば破壊される前のインフィニティ・ストーンが手に入る。
そうすれば消えてしまった人々を元に戻せると提案する。

これが今作『EG』のメインストーリーとなります。



アントマン&ワスプ』のエンドクレジットにて、ジャネットが「量子世界には"時間の渦"がある」みたいなことを言っていました。
この"時間の渦"こそが、タイムトラベルの方法なのです。
ジャネットが「"時間の渦"に触れるな」と言っていたのは、『EG』への大きな伏線であったと考えられます。


ということで、MCUにおけるタイムトラベルとはどのような理論が用いられているのか、個人的に考えてみました。




通常、タイムトラベルを行うにあたって使われる理論も幾つか存在します。


・「ブラックホール理論」

ブラックホール中性子星の場合よりさらに質量が大きい恒星が寿命を迎えた後に生成されると考えられる天体であり、近年ではその姿が捕えられたと話題にもなりましたね。

ブラックホールはその強大な重力で光すら吸い込み、絶対に逃すことはない。
その表側にある領域"事象の地平面(イベント・ホライゾン)"を超えた先の密度無限大になる一点"特異点"では既存の物理法則が適用できない。
つまり、その周りではタイムトラベルが可能な時空構造を実現する可能性がある。

"アインシュタイン方程式"では星の成長から宇宙の死まであらゆる重力関連現象を規定する重要な式で、その解の中に"過去に戻るループ"を許容するものが存在することが数学者クルト・ゲーデルによって示されている。
ほとんどの物理学者は現実世界では起こりえないと否定しているが、物体はある軌道をめぐって過去の同じ地点に戻ってくるという現象を起こす過去へのタイムトラベルと考えられる。



・「光速理論」

こちらの説は一番有名なタイムトラベルの方法だろう。

移動速度が光の速度に近づくと、"アインシュタイン特殊相対性理論"に基づき時間がゆっくり進むようになる。
これを"ローレンツ収縮"と呼ぶ。
光速に達することができれば、内部での時間は停止し、光速を超えた場合、時間は過去に向かって逆行すると考えられる。

多くのSF作品においてこの時間の遅れが"ウラシマ効果"と呼ばれるものです。
宇宙船で高速移動した乗員が地球に戻ると、数十年の時が経過しているといった未来へのタイムトラベルである。

これは今作『EG』におけるスコットの経験談と近いものがありますね。
アントマン&ワスプ』はエンドクレジットから時系列では『IW』の前、もしくは同時期と考えられる。
そこから『EG』の5年間を5時間程度の体感時間で未来へとタイムトラベルしたことになります。
実際にスコットが光速度で移動したわけではありませんが。



・「タオキン理論」

上記の「光速理論」の応用。
仮に光速度を超える粒子が存在するとするなら、特殊相対性理論に基づき質量が逆行し"虚数"という存在が仮定される。
この虚数粒子を"タキオン"と呼びます。
もし、タキオンが存在し、利用できるとするならば、時間を逆行するため過去への通信が可能性である。

厳密には全くの別物なのですが、『EG』の劇中ではネビュラのデータ(記憶)がこれに近いのかもしれません。
未来のネビュラ(IW)は過去のネビュラ(EGで登場する)と記憶媒体で共有しています。
言い換えるなら過去への通信が可能となったとも言える。
※詳しくは後述。



・「ワームホール理論」

時空構造の位相幾何学の応用で、ある時空二箇所を繋ぐ"時空の虫食い穴"の存在が想定されており、これを"ワームホール"という。
これを用いれば、時間や空間を瞬間移動する"ワープ"が実現する可能性があるという考え。

理論物理学者キップ・ソーンはこのワームホールの出入り口を光の速度に近い速度で移動させることで過去と現代を接続することができるといった説を唱えています(上記に記述した「光速理論」に基づく)。



・「宇宙ひも理論」

こちらもSF作品でしばしば用いられる理論。
物理学者リチャード・ゴットが唱えています。

宇宙ひもとは無限の長さを持つ素粒子ほどのひび割れのことで宇宙誕生の際に生じる特殊な領域を指す。
要約すれば、宇宙と宇宙の隙間であり、そこには"時間"が存在せず、時空が歪んでいるためワープのように一瞬で長距離を飛び越えたように見える。
仮に2本の宇宙ひもを用意することができれば、この超光速移動によって過去へ戻ることができると考えられています。





今作『EG』で用いられた主な理論は恐らく単純なものです。
それは「特殊相対性理論」と「量子力学」。

特殊相対性理論では、動いている物体を外から見ると、物体内で経過している時間が、外の時間の流れとは異なる。
例えば、宇宙船が速度を上げ光速に近い速度になっても、宇宙船内の観測者は船内の時間の流れには変化がない。
ところが、宇宙船外の観測者には宇宙船内の時間の流れが遅くなるように見える。
同時に、重力場も時間の流れを変え、強重力場における時間の流れはその場にいる観測者にとっては変化がないが、外から見ると限りなく遅くなる。

量子力学における時間の概念は、マクロの宇宙に適用される相対性理論とは異なる。
量子世界の時間には、過去と未来を区別しないという特徴があり、時間の逆行も可能。
時間とは観測者や時計や座標系が定義するものであり、固有の物理量ではないということですね。



キーパーソン②

もう一人のキーパーソンは上記に記載した『ガーディアンズ・オブ・ギャラクシー』に登場するネビュラ


"MCUにおけるタイムトラベルの理論"は上記で記述しました。
ネビュラが何故キーパーソンなのかに入る前にはまず、"MCUにおけるタイムトラベルのルール"について確認しなければなりません。

スコットとローディ(ウォーマシン)との会話では所謂タイムトラベル系の映画が幾つか挙げられました。
「『ターミネーター』や『スター・トレック』、『ある日どこかで』、『ビルとテッドの大冒険』・・・『ダイ・ハード』は違う。」



ブルース・バナー(ハルク)とローディの会話では、タイムトラベルについて重要な台詞が語られています。

ローディが「サノスが赤ちゃんの時に殺しちゃうのはダメなの?」といった不適切な質問をした時、ブルースがは「過去へ戻って歴史を変えたとしても、自分たちが生きた歴史は変わらない。もし過去へ旅をすると、その過去が未来になってしまう。元の現在が過去になってしまう。新しくできた未来はその過去となってしまった現在で変えられない。」と説明をしています。

これをわかりやすく図にしてみました。
※字が汚くて申し訳ございません(笑)




過去へ戻って歴史を変えても意味が無いと知ったアベンジャーズのメンバーは別の解決方法を探ります。
インフィニティ・ストーンを集めて、もう一度消えた人たちを取り戻そう。

過去は変えられない。
だけど未来なら変えられる。

これはスティーブが前に進むとセミナーで話していたこととも繋がる。

ただ、サノスによって全てのインフィニティ・ストーンを破壊されて無くなってしまっているんですね。
なので、サノスが手に入れる前の時間軸に遡り、インフィニティ・ストーンを全てを手にしてしまおうというもの。




インフィニティ・ストーンとタイムパラドックスについてはブルースとエンシェント・ワンの会話でわかりやすく説明されています。

エンシェント・ワンは枝分かれの説明をしつつ、タイム・ストーンを渡すことを一度は拒みます。
インフィニティ・ストーンを持ち去ると、インフィニティ・ストーンがない世界線へ分岐する。
ブルースが借りた時間に戻って一瞬も消えてなかったようにすると約束する。
その作戦も生存してできることだとタイムストーンが戻ってこない危険性があると引き続き拒まれました。
『IW』でドクター・ストレンジがサノスに無条件でタイムストーンを渡したことを知り、最終的にタイムストーンをアベンジャーズに託します。

ストレンジの行動には何か意味がある=ストレンジの言う1/1400万605の勝率ですね。



つまり、過去に戻るだけではその世界線は分岐せず、過去は未来となり、現在は過去となる。
インフィニティ・ストーン絡みの過去改変は世界線を分岐させるということ。

MCUの世界でいうと『ドクター・ストレンジ』でモルドがストレンジに「時を無闇に操作しようとすると、タイムラインに新しい枝が生まれてしまい、空間パラドクスが生じたりタイムループが生まれてしまう危険がある」と注意喚起しています。
この段階でタイムストーンを使用し、過去への介入をすると世界線の枝分かれするという設定は決まってたということになりますね。





一度起こってしまった現在の世界線の歴史はそのままで、新しい世界線に枝分かれする。
枝分かれし、今と異なった歴史は救われるかもしれないけれど、我々のいる歴史は変わらない。
これは漫画『DRAGONBALL』と同じ原理です。

DRAGON BALL 全42巻・全巻セット (ジャンプコミックス)

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その作品内でもこの事象が生じています。
ドラゴンボール超の設定は考慮していません。

ただ単に人造人間編を語りたいだけなんですが(笑)
知らない方はなんのことかわからないと思うので、端折っていただいても構いません。

ベジータの息子であるトランクスは未来からタイムマシンに乗って悟空たちのいる時間軸へとタイムトラベルしてきます。


アニメ「Dragon Ball Z」より


しかし、実際はトランクスだけがタイムトラベルしてたわけじゃないんですよね。
そうです。人造人間編でのラスボス的存在、セルです。


漫画『DRAGONBALL』より



簡単に図にして纏めました。
汚い字で申し訳ございません(笑)

ト…トランクス
悟…悟空たちZ戦士
人…人造人間17、18号
セ…セル

世界線A…悟空たちの現在。
世界線B…トランクスのいた未来。
世界線C…セルのいた未来。

  1. 世界線Bの悟空Bは心臓病で死亡。Z戦士も戦死。
  2. 世界線BからトランクスBが世界線Aへと来る。
  3. その一年前、世界線Cで人造人間17、18号Cを倒したトランクスCを倒し、タイムマシンを奪ってセルCが世界線Aに来ていた。
  4. 世界線AのセルAは未熟な段階で処分される。
  5. 世界線Aの人造人間17、18号AはセルCに吸収され、完全体となったセルCは悟空Aたちによって倒される。(悟空は死亡)
  6. セルCから解放された人造人間17、18号Aが善化。
  7. 世界線Aで修行したトランクスBが未来(世界線Bの10年後)へ戻って、世界線Bの人造人間17、18号BとセルBを倒す。


この世界線のセルを倒しても、別の世界線のセルは消えない。
ここも『EG』と共通する点です。

仮に我々が過去へ戻れるとして、その過去が同じ世界線だとすれば、過去の自分を殺せば当然、今生きている自分も消えることになります。
これが『ターミネーター』や『バック・トゥ・ザ・フューチャー』の理論です。
この理論ではタイムパラドックスが起こる、所謂"親殺し"や"自分殺し"です。

ブルースとスコットの会話から、「タイムトラベル系の傑作はでたらめなの?」という内容が話されていました。
バック・トゥ・ザ・フューチャー』のタイムトラベルは、"自分の両親が結婚しなければ、自分は産まれて来ない。
すなわち本人の存在そのものが消えてしまう"という仕組みなんですが、これは"自分自身を殺すことも同じ"です。

ネビュラは劇中で、"過去から来た自分殺し"を行います。
過去と言っても上記に説明した通り別世界線の自分。
過去の自分自身を殺したにも関わらず、現在のネビュラは存在している。



また、『EG』の劇中でネビュラのデータ(記憶)は時を超えます(上記に記載したもの)。

未来のネビュラ(IW)は過去のネビュラ(EGで登場する)とデータ(記憶)を共有しています。
ネビュラ(IW)のデータ(記憶)がネビュラ(EG)のデータに干渉したのは、未来から過去へと時間軸を移動したことにより未来のデータが逆行、二人同時に存在するネビュラのデータ自体も同期(過去のネビュラのデータを上書き)したものと考えられます。



MCUにおけるタイムトラベルに関して
ネビュラはタイムパラドックス、そしてインフィニティ・ストーンを持ち帰ると世界線は分岐し、各世界線はそれぞれ独立したものであるということを可視化する形で体現したキャラクターなのです。



修正

これらの世界線の分岐が生まれないように最終的にスティーブが各インフィニティ・ストーンを元の時間軸に戻しにいきます。
正確にはアベンジャーズが回収する直前の時間軸。
これはタイムパラドックスを避ける措置ですね。
要するに過去へ行ってインフィニティ・ストーンを盗んだこと自体をなかったことにするため。

インフィニティ・ストーンを戻すことで、世界線の分岐をなくす。
つまりは分岐してインフィニティ・ストーンがなくなった世界線そのものを消し去り、インフィニティ・ストーンが存在する時間軸(今いる世界線と同じ歴史)へ修正する。


ここでひとつの疑問として、過去を変えられないのに何故、スティーブはおじいちゃんとして戻ってきたのか?

個人的見解として、トニーがスティーブに話した通り、"自分の人生を生きた"のだろう。
ではどの世界線を生きたのか?

例えば、元の世界線をα、アベンジャーズがインフィニティ・ストーンを手にするために過去へ戻り分岐したインフィニティ・ストーンがない世界線をβとしよう。

ティーブが仮に世界線αと分岐した世界線βよりも更に過去へ戻ったまま70年余りを過ごしたとすると、世界線αにはスティーブとキャプテン・アメリカ、同じ人物が2人存在することになる。
ここまでは問題はないのですが、問題は盾の存在だ。

ハワードの作った盾は一つであり、それはスティーブがキャプテン・アメリカとしてサノスと戦った際に破損している。
同じ世界線αだと仮定すると、スティーブが盾を持ち帰ったところで、その後の歴史は盾なしキャプテン・アメリカが存在することになる。
※ここはソーのムジョルニアと同じで、わざわざスティーブがインフィニティ・ストーンと共にムジョルニアを元に戻した意味と繋がる。



以下、ここで考えられること。

インフィニティ・ストーン6個目、最後の返却はトニーとスティーブがインフィニティ・ストーンを持ち出した時間軸よりも少し前の時間軸。
つまり世界線βに分岐するよりも過去、世界線αと共通する過去だ。
時代で言うと、第二次大戦後、スティーブが氷漬けになり消息が絶たれた時間軸。

そこからスティーブは自分の人生を生きる。
インフィニティ・ストーンを持ち去った時間軸に差し掛かった際、一旦はインフィニティ・ストーンを戻さずに一度世界線βでキャプテン・アメリカの盾を手にする。
(世界線βにもキャプテン・アメリカは存在するので二人のスティーブが同時に存在することになる。)

そしてスティーブは盾を持ったままもう一度インフィニティ・ストーンを持ち去った時間軸の直前へと移動し、改めてインフィニティ・ストーンを返却し、世界線をαに戻して元の時間軸(現代)へと帰還する。


盾を持ったおじいちゃんスティーブがインフィニティ・ストーンを返却した説です(笑)



こうすることで、世界線βの盾のないキャプテン・アメリカの歴史は消える。
同時に、映画『アベンジャーズ』の時間軸でトニーとスコットが失敗し、ロキがインフィニティ・ストーンを持ち去った事実(仮に世界線γとする)も消える。

盾を手に入ることが可能で、尚且つ世界線αには盾が二つ存在することになり、世界線αから分岐した世界線β、更に世界線αから分岐した世界線γの存在も消えることになる。

世界線βが消えても、そこにあった盾の存在は消えない。
これは『EG』劇中でのガモーラに該当する。
ガモーラは実際、世界線αではサノスの手によって死亡している(『IW』にて)。

『EG』ではソウルストーンを手にするためにナターシャ(ブラック・ウィドウ)が犠牲となったためにガモーラは生存。
サノスらと共に未来へとタイムトラベルしてきた。
ティーブが過去へ戻ってソウルストーンを返却し、世界線βが消失して世界線αへと修正されてもガモーラの存在が消えていないと仮定するなら、盾も同様に存在し続けることが可能である。



次にピム粒子について、タイムトラベルする回数分しか用意されてなかったと仮定した場合、数が足りないだろうという指摘もあるだろうが、スティーブが1950年代にタイムトラベルしたとするなら、そこで改めて手に入れた可能性も考えられる。

しかし、『EG』劇中で『アベンジャーズ』の時間軸にてトニーとスコットの失敗により手詰まりとなった際、トニーとスティーブが更に過去へとタイムトラベルしたシーン。
ここでスティーブはピム粒子を手にするのだが、通常自身とトニーの分二つだけでよいピム粒子を四つ持ち帰っている。
これはこのことを想定した描写ではないのだろうか?と疑ってしまう。


以上が、盾の矛盾と世界線の矛盾を解決させる唯一の説、おじいちゃんスティーブがインフィニティ・ストーンを返却した説です(笑)



終わりに

少々強引に話を勧めましたが、自分で仮説を提唱しておきながらツッコミどころ満載です。
あくまでも自論ですので御容赦願います。

様々な解釈ができる所も楽しみ方のひとつだと思っているので、自分はこう考えているということを書き記させていただきました。



最後までお読みいただいた方、ありがとうございました。




(C)2019 MARVEL


‪イ・チャンドン監督3作品(「バーニング 劇場版」「ペパーミント・キャンディー」「オアシス」感想)‬

目次




初めに

おはようございます、レクと申します。
今回は『バーニング 劇場版』のイ・チャンドン監督が手掛けた素晴らしい傑作、『ペパーミント・キャンディー』と『オアシス』について他の韓国映画も混じえながら語っています。

この記事にネタバレはありません。



バーニング 劇場版


(C)2018 PinehouseFilm Co., Ltd. All Rights Reserved

原題:Burning
製作年:2018年
製作国:韓国
配給:ツイン
上映時間:148分
映倫区分:PG12


解説

シークレット・サンシャイン」「オアシス」で知られる名匠イ・チャンドンの8年ぶり監督作で、村上春樹が1983年に発表した短編小説「納屋を焼く」を原作に、物語を大胆にアレンジして描いたミステリードラマ。アルバイトで生計を立てる小説家志望の青年ジョンスは、幼なじみの女性ヘミと偶然再会し、彼女がアフリカ旅行へ行く間の飼い猫の世話を頼まれる。旅行から戻ったヘミは、アフリカで知り合ったという謎めいた金持ちの男ベンをジョンスに紹介する。ある日、ベンはヘミと一緒にジョンスの自宅を訪れ、「僕は時々ビニールハウスを燃やしています」という秘密を打ち明ける。そして、その日を境にヘミが忽然と姿を消してしまう。ヘミに強く惹かれていたジュンスは、必死で彼女の行方を捜すが……。「ベテラン」のユ・アインが主演を務め、ベンをテレビシリーズ「ウォーキング・デッド」のスティーブン・ユァン、ヘミをオーディションで選ばれた新人女優チョン・ジョンソがそれぞれ演じた。第71回カンヌ国際映画祭コンペティション部門に出品され、国際批評家連盟賞を受賞。
バーニング 劇場版 : 作品情報 - 映画.comより引用



村上春樹原作、そしてイ・チャンドン監督8年ぶりの新作ということで話題を呼んだ今作。

自分も今年の2月に『バーニング 劇場版』を観てきました。
村上春樹の短編小説原作『納屋を焼く』を踏襲するようなメタファーの演出とラストの改変が光るイ・チャンドン監督最新作です。


ネタバレありの感想はこちら。


正直なところ、「バーニング 劇場版」は好きか嫌いかと言えばそこまで好みではありません。
しかし、鑑賞後数日経っても何故か余韻が消えないんですよ。
後からじわじわくる自分にとって不思議な映画です。



『バーニング 劇場版』を観るまではイ・チャンドン監督作は『シークレット・サンシャイン』しか観ていませんでした。



改めて、イ・チャンドン監督はすげぇな…と感心した次第であります。



そして4月、『オアシス』と『ペパーミント・キャンディー』のイ・チャンドン二本立てという素晴らしい組み合わせで鑑賞して参りました!

フォロワーさんが腰を抜かすほどの作品、どれほどのものかと、ハードルは上げ過ぎす気軽にいつもの感じで観てきましたが…



2作とも素晴らしかった!



『オアシス』は
オールタイム・ベストを更新しました!!!


ひっさしぶりですね、こんな超絶大傑作はっ!!!
その後に観た『ペパーミント・キャンディー』も傑作なんですが、その傑作が霞んでしまうほどの超絶大傑作!

というわけで、まず『ペパーミント・キャンディー』から語っていきます。



ペパーミント・キャンディー


EAST FILM&NHK

原題:Peppermint Candy
製作年:1999年
製作国:韓国・日本合作
配給:ツイン
日本初公開:2000年10月21日
上映時間:130分


解説

韓国現代史を背景に1人の男性の20年間を描き、韓国のアカデミー賞である大鐘賞映画祭で作品賞など主要5部門に輝いた人間ドラマ。「オアシス」「シークレット・サンシャイン」のイ・チャンドン監督が1999年に手がけた長編第2作。99年、春。仕事も家族も失い絶望の淵にいるキム・ヨンホは、旧友たちとのピクニックに場違いなスーツ姿で現れる。そこは、20年前に初恋の女性スニムと訪れた場所だった。線路の上に立ったヨンホが向かってくる電車に向かって「帰りたい!」と叫ぶと、彼の人生が巻き戻されていく。自ら崩壊させた妻ホンジャとの生活、惹かれ合いながらも結ばれなかったスニムへの愛、兵士として遭遇した光州事件。そしてヨンホの記憶の旅は、人生が最も美しく純粋だった20年前にたどり着く。2019年3月、イ・チャンドン監督の「バーニング 劇場版」公開にあわせて、4Kレストア・デジタルリマスター版が日本初公開。
ペパーミント・キャンディー : 作品情報 - 映画.comより引用



“韓国のアカデミー賞”5部門制覇。
アッバス・キアロスタミ監督が「本当に素晴らしい映画を観た!」と絶賛し、韓国のアカデミー賞である大鐘賞5部門を独占した監督2作目となる伝説の傑作『ペパーミント・キャンディー』。

まずはTwitterの感想から。



絶望し、発狂しながら自殺を試みた主人公キム・ヨンホ。
彼の人生は如何にして壊されたのか?
線路を人生のメタファーとして、巻き戻すように彼の人生を振り返っていく回顧録

壮絶。
心に留まるというよりも、時間を置く事にじわじわとくるこの感覚は正に『バーニング 劇場版』のようで、それでいてインパクトの強い作品です。


時系列は1999年から1979年へ、過去へと遡っていっていく回顧録にも関わらず、見方を変えればキム・ヨンホが愛を取り戻していく人生譚にも映る。

作中に幾度となく語られる"人生は美しい"という台詞。
果たして、人生とは美しいものなのだろうか?





なんと言っても、ソル・ギョングの演技。
彼の演技力には脱帽です。


特にソル・ギョングの演技が目立っていたというわけではないのですが、犯人の行動の監視を専門とする特殊犯罪課を描いた『監視者たち』でも良い役どころを演じ、上手い立ち回りを見せています。


今年公開の『22年目の記憶』。
秘密裏に行われようとしていた初の南北首脳会談を背景に翻弄されていく男を描いたこちらの作品。
体格の違う金日成の影武者を演じきったその姿は正に金日成そのもの。
舌を巻くほどの高い演技力を見せつけられました。
恐らく、ソル・ギョングは韓国俳優の中でもトップクラス。

『22年目の記憶』は『ペパーミント・キャンディー』で韓国政府、国家によって人生を狂わされた男を演じ切った経験、積み重ねてきた俳優人生の全てが詰まっていました。

イ・チャンドン監督の采配の素晴らしさも当然なのですが『ペパーミント・キャンディー』がソル・ギョングの演技の原点ではないかと思う程である。



少し逸れますが、南北の緊迫状態をエンタメとして描き切った『鋼鉄の雨』も必見。
Netflixオリジナル作品です。


また、『ペパーミント・キャンディー』でも描かれた韓国政府の黒歴史光州事件
その目撃者としてタクシー運転手視点で描かれた『タクシー運転手 〜約束は海を越えて〜』。


そして、その後に起こった民主化闘争の裏側を描いた『1987、ある闘いの真実』。
こちらでもソル・ギョングは良い演技をしているんですよ。


このように、韓国映画は自国の汚点を時代背景としてしっかりと描きつつ、そこにドラマ性を持たせることに非常に長けています。

ペパーミント・キャンディー』ではその時代背景は深く描かず、あくまでも人生を壊された、時代に翻弄されるひとりの男のドラマを見事に描き切っているんです。




オアシス


(C)2002 Cineclick Asia All Rights Reserved.

原題:Oasis
製作年:2002年
製作国:韓国
配給:ツイン
日本初公開:2004年2月7日
上映時間:133分


解説

ペパーミント・キャンディー」のイ・チャンドン監督が、社会に適応できない青年と脳性麻痺の女性の愛の行方を描き、第59回ベネチア国際映画祭で監督賞などを受賞した恋愛ドラマ。ひき逃げ死亡事故で服役し刑務所から出たばかりの青年ジョンドゥは、家族の元へ戻るが迷惑がられてしまう。ある日、被害者家族のアパートを訪れた彼は、寂しげな部屋にひとり取り残された被害者の娘コンジュと出会う。重度の脳性麻痺を持つ彼女は、部屋の中で空想の世界に生きていた。互いに惹かれ合い、純粋な愛を育んでいくジョンドゥとコンジュだったが……。「ペパーミント・キャンディー」でも共演したソル・ギョングムン・ソリがジョンドゥとコンジュをそれぞれ演じた。2019年3月、イ・チャンドン監督の「バーニング 劇場版」公開にあわせて、HDデジタルリマスター版が日本初公開。
オアシス : 作品情報 - 映画.comより引用



第59回ヴェネツィア国際映画祭で最優秀監督賞、新人俳優賞(ムン・ソリ)、国際批評家連盟賞を受賞した、極限の純愛を描いた傑作『オアシス』。

こちらもTwitterの感想から。




前科持ちという偏見、障害者という偏見。
周りから見る目は無意識にも意識的にもそれを物語り、そんな中で2人が作り出す2人だけの世界が美しく描き出される。
互いが互いのことだけを理解できればそれでいい。

言葉にしなければ伝わらないこと。
言葉にすることで強まる意志。
言葉を交わすことで得られる共感。

逆に
‪言葉にしなくても伝わること。‬
言葉にしちゃうと安っぽく見えること。
言葉を交わさずとも感じる共鳴。

"愛"を伝えるために言の葉が紡ぎ出すものの大切さを。
そして"愛"を伝えるのに言の葉として表せない感情を。


ちょっと鑑賞後は「何も言えねえ」放心状態で座席から立つのもやっと。
偏見の意識を揺さぶり、表面上に見えるものだけでなく共感しにくい題材に感情移入させ、心の奥底にある何かを揺さぶるように魂を震わせ、我々の心をも飲み込んでしまう圧倒的演技力とそれを昇華させる圧倒的説得力。



もう一度言います。

オールタイム・ベストを更新しました!

ペパーミント・キャンディー』よりも個人的には『オアシス』の方が好みです。
鑑賞したあの日からずっと心に留まり続けています。



上記に韓国映画は自国の汚点を時代背景としてしっかりと描きつつ、そこにドラマ性を持たせることに非常に長けていると語りました。
同時に、障害者を扱った映画や性的虐待を描いた映画も多数作られています。


母なる証明』では殺人の容疑で逮捕された知的障害を持つ息子を持つ母親の行き過ぎた愛情と狂気を。


『7番房の奇跡』では冤罪で死刑判決を受けた知的障害の父親と娘の家族愛を。
この作品は韓国映画ベスト5に入る超絶大傑作です。


『それだけが、僕の世界』では落ちぶれた元ボクサーの兄とサヴァン症候群の天才的なピアノの腕を持つ弟の兄弟愛を。


『トガニ 幼き瞳の告発』では性的虐待を受けた障害を持つ子供の告発を。


などなど、救いのない暗く重い作品から心温まる愛の物語まで幅広い。



昨年公開の『殺人者の記憶法』でもソル・ギョングの抜群の演技力に魅せられました。
障害とは少し違うのですが、アルツハイマーを発症した元殺人犯が娘のために奮闘する家族愛を描いた作品です。


また、『オアシス』でソル・ギョングと甲乙つけ難い抜群の演技力を魅せたムン・ソリ
ペパーミント・キャンディー』でも良い役をされてたんですが…もう『オアシス』での演技は圧倒的。

ムン・ソリの出演作、全然観ていないので今後は追いかけていこうと思いましたね。

いい加減、パク・チャヌク監督作「お嬢さん」を観なければ…(笑)



終わりに

なお、2019年は『ペパー ミント・キャンディー』が製作20周年、『オアシス』が日本公開15周年と記念すべき年です。
レンタルにもありますので、是非イ・チャンドンの世界を堪能してみてください。



最後に個人的な願いを置いておきますね(笑)

イ・チャンドン監督作の円盤はどれもDVDが廃盤であったり、ブルーレイ化されてません。
どうか!どうか!
イ・チャンドン監督作のブルーレイBOXの発売を!!!

3万までなら出します、すぐ買います!!!
トリロジーとしてこの3作品だけの収録でも構いません!!!



というわけで完全に自己満足な記事になってしまいましたが、これからも韓国映画を、そしてイ・チャンドン監督及びソル・ギョングムン・ソリの出演作を追いかけていこうと思っております。

最後までお付き合いくださった方、ありがとうございました。